
2019/05/11 - 2019/05/11
3位(同エリア67件中)
旅猫さん
10連休は近間でのんびりしたので、次の週末に出かけることにした。
宿を探したところ、あつみ温泉の老舗の宿が朝食付きで空いていたので予約。
そこからどうしようかと考え、思い付いたのが菅江真澄。
彼が、越後から鼠ヶ関を越えて庄内を通過したのを思い出したのだ。
そこで、その足跡を辿ってみることにした。
- 旅行の満足度
- 3.5
- 観光
- 3.5
- ホテル
- 3.5
- グルメ
- 3.5
- 交通
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 高速・路線バス タクシー 新幹線 JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
今回は、大宮駅を8:14発の『Maxとき305号』で出発。
乗車券は、久しぶりに『週末パス』を利用。
天気も上々で、良い旅となりそうだ。
列車は、9時頃に上越国境を通過。
この辺りは緑が多く、在来線で通るととても美しい場所だ。 -
長岡駅を出ると、車窓には越後平野が広がる。
日本随一の穀倉地帯で、田植えの季節や秋の実りの季節は美しい。 -
そして、9:56に終着の新潟駅に到着。
今回乗った『Maxとき』は、今では残り少なくなった二階建て新幹線。
今後、上越新幹線の速度向上計画に伴い、この車両も引退となる。
そして、防音壁も高くなるため、景色もかなり見えなくなるだろう。
上越新幹線からの車窓を楽しむなら、来年までに乗ることをお勧めする。 -
新潟駅からは、10:11発の臨時快速『きらきらうえつ』に乗り換える。
指定席券だけで乗ることが出来るので、羽越本線沿線を旅する時には重宝する列車だ。
とは言え、こちらも今年9月で廃止となってしまうのだが。
その後は、五能線を走る『リゾートしらかみ』のような列車になるらしいが、今のように気軽に乗れる列車であって欲しい。きらきら うえつ 乗り物
-
車内に入り、指定された座席に行ってみると、要望した海側とは反対側の席だった。
車掌に申告したが、満席でどうにもならないとのこと。
この列車の魅力は、日本海側に見える名勝『笹川流れ』を車窓に眺めることが楽しみなので、反対側では乗った意味が半減してしまう。
2号車のラウンジ席にも予約が入っていて利用できなかった。 -
座った席は東側になり、日差しも入り最悪。
悶々としながら1時間余り乗ると、笹川流れの玄関口、桑川駅に着いた。
ここで数分停車するので、駅を出てみる。
すると、目の前には日本海が広がっていた。 -
ホームに戻り、車内放送で案内されていた記念ヘッドマークを観に行く。
4月から廃止となる9月まで、毎月違う図柄となるそうだ。
5月は『夜空に上がる花火とありがとうの文字にはばたく朱鷺』。
反対側には、別の図柄が掲げられていた。 -
桑川駅を出ると、車窓には岩と海が織り成す美しい景色が続く。
ここが笹川流れだ。
席が反対側だったので、ラウンジの売店前の窓から立ったままで楽しむ。笹川流れ 自然・景勝地
-
府屋駅を出てしばらく走ると、越後と出羽の国境を越える。
そして、最初の目的地である鼠ケ関駅には、11:56に到着した。
臨時快速の他は普通列車しか停まらない駅だが、ホームはかなり長い。
これも、鉄道華やかなりし頃の面影だな。鼠ケ関駅 駅
-
結局、この駅に降り立ったのは私だけ。
もちろん、無人駅だった。
とりあえず、手持ちの地図を頼りに、史跡を訪ねることにする。
まず向かったのは、駅の南側にある古代鼠ケ関址。
歩いて5分足らずの場所にあったが、石碑と説明板があるだけだった。
平安時代、ここは勿来、白河と並ぶ奥羽三大関の一つであり、かの義経が奥州へ逃れる際、この関を船で避けたらしい。 -
石碑の建つ場所からすぐの通りに、県境があった。
ここから山形県側に続く街並みは、かつての羽州浜街道の宿場町があったところだ。
ちなみに、北国街道の北の端がここ鼠ヶ関で、ここから先が羽州浜街道。
この街道は、久保田(秋田)城下で羽州街道に合流する。 -
県境から、一本海側の道を歩く。
そこには、能登の大沢集落で見かけた間垣に似たものがあった。
ここも、冬には日本海からの猛烈な風が吹き付けるのだろう。 -
しばらく歩くと、道沿いに源義経上陸の地碑が建っていた。
その先のマリーナパークねずがせきにあった海岸でしばらく海を眺める。
義経は、兄頼朝に追われ奥州に逃れる際、関を避けてこの浜に船で上陸したと云われているらしい。 -
その浜の一角に、紫色の小さな花がたくさん咲いてるのを見つけた。
-
近付いてよく見てみると、浜豌豆(ハマエンドウ)だった。
浜辺ではよく見かける植物だが、思いがけずに出会えて嬉しかった。 -
浜辺にあった防波堤の上からは、切り立った崖のある島のようなものが見えた。
地図で確かめてみると、弁天島と言うものらしい。
突端に灯台のようなあるので、行ってみることにした。 -
向かって行くと、手前に鼠ヶ関漁港があった。
なかなか大きな港で、多くの漁船が停泊している。
旅先では、漁港に立ち寄ることがよくある。
港の風景と言うのは、なかなか風情があるものだ。 -
島の入口には、厳島神社が鎮座していた。
ここで、島に立ち入るご挨拶を。
境内には、大河ドラマ『源義経』の放送を記念して建てられた源義経碑が建っていた。
義経は、悲劇の武将として判官びいきの語源にもなっているが、実際には、政に疎く、兄頼朝の真意を理解できずに後白河法皇に利用されてしまうなど、思慮に欠ける面があり、今となっては滅ぼされたのは致し方ないとも思う。 -
神社の脇から灯台へと続く道が付いていた。
辿って行くと、波が打ち寄せる岩場に細い道が続いている。
海が荒れていなくてよかったが、それでも時より波しぶきが掛かり、かなり肝が冷えた。
水の神様にお祈りしておいてよかった。 -
風化した足場の悪い石段で灯台のある場所へ登ると、そこには鳥居が立っていた。
そして、その奥に鼠ヶ関灯台が建っている。
灯台の足元には、金比羅様を祀る小さな祠があった。
菅江真澄の著した『秋田のかりね』は、ここ鼠ヶ関から始まっている。
そこには、「磯からわずかに離れたところの小さな島に弁財天の祠があって、よせてはかえす波の上に鳥居が立っている。※」とある。
彼が訪れた時には、弁天島はその名のとおり陸地から離れていたようだが、鳥居のある風景は変わっていないようだ。
※出典「菅江真澄遊覧記Ⅰ(平凡社)」 -
灯台の建つ場所からは、360度の絶景が目の前に広がった。
岩と青い海とが複雑に入り組んだ風景と言うのは、とても惹かれるものがある。
ただ、海はやはり怖い。
私にとって、海は眺めて楽しむものである。 -
陸地の方を眺めると、空には大漁旗がはためいていた。
しばらく眺めていると、あらぬ方から二人ずれの男が歩いて来た。
気付かなかったが、島の反対側に、立派な遊歩道があったのだ。
帰りは、その広い道を歩いて戻ることにした。 -
その道は、鼠ヶ関漁港の脇へと出た。
厳島神社の鳥居の前で、そこには2,3軒の干物などを売る店が建ち並んでいる。
ちょうど昼時で、500円のほっけ焼定食に心惹かれたが、まだ立ち寄りたい場所が残ってたので諦めた。 -
弁天島からキャンプ場の脇を通り歩いて行くと、国道7号線に出た。
道の向こう側には、史跡である近世念珠関址がある。
こちらは、慶長年間から明治初期まで存在した関所の跡だそうだ。
今は、石碑と木戸門を再現したものが建っているだけだった。
義経記には、義経一行が関を越える場面が、歌舞伎の勧進帳を連想させるように劇的に描かれているらしい。
そのためか、史跡には、勧進帳の本家と示された柱が建っていた。近世念珠関址(念珠関所跡) 名所・史跡
-
史跡の片隅には、もう浜茄子の花が咲いていた。
この花を観ると、北海道の夏を思い浮かべるが、実は東日本の沿岸ではよく見かける花である。 -
そこから山の縁に沿って歩いて行くと、瑞芳院と言う寺があった。
立ち寄ってみると、戊辰戦争時の砲弾があるという。
その砲弾は、西軍の蒸気船が鼠ヶ関の沖合から放ったものだそうで、境内にあった欅に当たったものだそうだ。
この時、鼠ヶ関を守備していた庄内藩の中村三内が応戦し、見事西軍を撃退したらしい。
この中村三内は、砲術家の江川英龍に師事しており、砲術は得意であり、敵も、まさかの反撃に驚いたことであろう。 -
その寺の近くには、洋風の建物があった。
地方の都市には、このような建築物が残っていることがよくある。
元は医院だったらしく、社会的地位を表すためのものだったのだろう。 -
さらに歩いて行くと、今度は曹源寺と言う寺があった。
この寺の裏庭に、山形県では自生していないヒサカキの大木があるというので、立ち寄ることにした。
しかし、生えている場所が悪く、すぐに退散した。 -
ふと時刻を確認すると、思いのほか時が過ぎていた。
バスの時間があるので、駅前へと戻ることにする。
ところが、駅へ戻る道が地図を見てもよくわからず、時間が経つばかり。
駅近くの念珠の松庭園を見つけた時には、ホッとした。
念珠の松は、今は廃業している村上旅館の庭にあった黒松で、推定樹齢は400年だそうだ。
一本の枝が龍のように這い、まさに臥竜のごとき姿だった。念珠の松庭園 公園・植物園
-
駅前に戻ると、すぐに13:55発のバスがやって来た。
これを逃すと、3時間近く無いので冷や汗ものだ。 -
乗り込んだバスは、10分足らずで海に面した小岩川バス亭に着いた。
もちろん、降りたのは私だけだが、乗っていたのも実は私だけだった。 -
バス停から道を横切り旧道へと入り、さらに線路を潜り山手へ。
線路脇にあった階段を登り少し歩くと、西光寺と言う寺の前に出た。
何の変哲も無い寺だが、かの菅江真澄がこの寺の天真上人を訪ね、4日も逗留したところなのだ。
碑でも建っていないかと探したが、結局何も無かった。 -
旧道へ戻り、小岩川駅まで歩く。
宿場ではないが、いかにも街道沿いの集落と言った風情が漂っている。 -
その風情から、駅舎も木造の趣のあるものかと思ったが、駅舎は昨年暮れに新しいものに建て替えられてしまい、洒落た感じになっていた。
列車の時間までしばらくあったので、ここで買い込んでいた惣菜パンで簡単な昼食を摂った。小岩川駅 駅
-
20分ほど待つと、14:45発の酒田駅行きの普通列車が入って来た。
羽越本線は電化されているのだが、やってきたのは気動車だった。 -
車内は空いていて、4人掛けの席を独り占め。
これぞ、列車の旅の醍醐味だ。 -
5分ほどで隣のあつみ温泉駅に到着。
次に向かうのは塩俵石という所なのだが、生憎、バスの便が無い。
仕方が無いので、ここはタクシーを使うことにする。
駅前から乗ったバスは海岸線を走り、5分足らずで塩俵石の前に着いた。塩俵岩 自然・景勝地
-
その塩俵石なるものは、海岸に不思議な光景を創り出していた。
よく見れば、柱状節理が横倒しになったような感じだ。
それが、塩を入れる俵が積み重なっているように見えるから、このような名前にとなったらしい。
放射状になれば、根室の車石のような感じになるのかもしれない。 -
塩俵岩のある場所には、芭蕉の句碑が建っていた。
刻まれていた句は、この場所で詠んだものでは無いようだが、芭蕉はここを通ったのは間違いない。芭蕉句碑 名所・史跡
-
ここから宿のある温海温泉へ戻るのだが、バスは土休日はほぼ運休。
仕方が無いので、タクシーで来た道を歩いて戻ることにする。 -
通行量の多い国道沿いをのんびりと歩いて行く。
数分で、大きな岩が見えて来た。
陽が少し傾き、海が輝き始めている。 -
その大きな岩は、暮坪の立岩。
その足元には、矢除神社と呼ばれる社が建っていた。
由緒書きなどは無かったが、ヤマト王権の蝦夷征伐と関係があるようだ。
かの菅江真澄は、温海宿を通り、この立岩や塩俵石を眺めながら歩いたことを『秋田のかりね』に書いている。立岩 自然・景勝地
-
立岩から30分ほど歩くと、温海宿の北の端に辿り着いた。
そこには小さな祠があり、ここが集落の入口だとわかる。 -
旧温海宿の町並みは、真っすぐに伸びた通りが街道筋の面影を残すが、歴史を感じる建物は残っていないようだ。
浜の温海と呼ばれたこの宿場を菅江真澄も通っている。
この宿場から山間に入った場所が、山の温海と呼ばれた温海温泉である。 -
その街並みの途中に、芭蕉が泊ったという家の跡があり、その場所には、今も子孫の方が住んでいるそうだ。
-
旧道を離れ、海側に出る。
そこには、不動岩と言う大きな岩があり、不動尊が祀られている。
岩の上は公園のようになっていて、そこからの眺望もなかなかだった。不動岩 自然・景勝地
-
街道筋に戻る手前の植え込みに、白い可憐な花が咲いていた。
鈴蘭だった。
まさか、こんな場所で、しかもこの季節に出会うとは。 -
そして、ようやくあつみ温泉駅に辿り着いた。
塩俵石を出てから、結局1時間余り経っていた。
駅からは、宿の送迎車に乗り、温海温泉へと向かう。あつみ温泉駅 駅
-
宿までは、5分ほどで着いた。
通されたのは、10畳の和室。あつみ温泉 萬国屋 宿・ホテル
-
部屋からは、温泉街が少し望める。
温海温泉は、日本海に注ぐ温海川の中流の山間に佇む静かな温泉街だ。 -
座卓の上に置かれていた菓子は、温海温泉の銘菓という元禄餅。
柔らかくて上品な求肥餅だった。 -
少し休んだ後、温泉街を散策することにした。
宿の脇に続くのは桜並木のようだ。
夕日が差し込み、風情がある。 -
湯の里橋で対岸へと渡る。
その橋の上にあった飲泉所で源泉を飲んだが、今まで飲んだ温泉で、一番美味しかったかもしれない。
対岸の川沿いには、ベンチなどがあり、ちょっとお洒落な感じだ。
向こう側には、今宵お世話になる『萬国屋』が望めた。 -
川沿いを歩き、上流の葉月橋で再び川を渡る。
大きな温泉街ではないが、こうして見ると、かなり上品な佇まいだ。 -
宿に戻り、温海の湯をいただく。
大浴場は3箇所あり、時間による男女入れ替え制だった。
この時間は、元は男女別の大浴場だったのをひとつにした『桃源山水』と新しい大浴場『楽水』に入ることが出来た。
湯は無色透明な湯だったが、『桃源山水』の湯は悪くは無かった。 -
温泉で一日歩いた汗を流した後、夕食を摂るために温泉街へ出た。
今回は、一泊朝食付きで予約したので、かの老舗宿に安く泊まれたのだ。
温泉街を食事処を求めて適当に歩く。
すると、外湯へと向かう親子連れが前を歩いていた。
こんな光景を見ると、羨ましい気分になる。
今や、下町ですら見ることができなくなった光景だから。 -
それにしても、お店どころか人すらほとんど出会わない。
これでは、食事にありつけないのではないかと不安になる。 -
そんなことを思い始めていたら、ようやく一軒の食事処を見つけた。
ますもと食堂と言う店で、店内に陳列された料理の見本を見れば、何でもありそうなのでここに決めた。ますもと食堂 グルメ・レストラン
-
そして注文したのは、つまみチャーシューと瓶麦酒。
手作り感たっぷりのチャーシューは、麦酒に会い美味しかった。
練りからしが付けられていたのも良い。 -
一緒に頼んでいた餃子は、少し遅れて出て来た。
これが思ったよりもひとつが大きくて、しかも一皿6個も載っていた。
食べてみると、具もたっぷりで食べ応えがある。
でも、美味しかったので、苦も無く平らげてしまった。
他にも気になる料理がいくつもあったが、これで切り上げることにした。 -
宿へ戻る途中、酒屋を見つけた。
入ってみると、地酒の試飲をやっていたので、いただくことにする。
温海酒徳会限定酒なる『摩耶姫 純米吟醸』、東北醸造が醸す『摩耶山 しぼりたて原酒』、そして『大山 特別純米 十水』の三種類の呑み比べである。
摩耶山は、温海温泉近くにある山で、摩耶を関する酒は、温海限定酒らしく、どれもまろやかな味わいだった。
お店の人が言うには、毎年3月に新酒まつりがあるそうだ。
ぜひその季節に渡誘われたので、次回はその頃に来てみたいと思う。 -
酒屋を出ると、夜の温泉街は人気が無い。
土曜日とは思えない静けさに、少し驚いてしまった。 -
葉月橋の袂から、温海川の夜景を望む。
水面に宿の灯りが映り込み、綺麗だった。 -
宿に戻り、もう一度温泉へ。
大浴場の入口は三階にあり、吹き抜けのようになっている。
そこから長い廊下を通ると、ようやく『楽水』に辿り着く。
この宿の大浴場は、かなりゆとりのある造りをしている。
これで温泉が好みの湯なら良いのだが、得てして豪華な造りや凝った造りの宿ほど、湯はありふれたものだったりする。 -
湯上りに、一階にあった地酒とラーメンを出す店に立ち寄る。
夕食がやはり少なかったのか、小腹が空いてしまったのだ。
注文したのは、ラーメン。
煮干し系のようだが、麺もほどよいこしがあり、とても美味しかった。
宿の夜泣きそばで、これほど心に残ったラーメンは初めてだ。
心もお腹も満たされた。
明日も、晴れることを期待する。
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この旅行記へのコメント (6)
-
- hot chocolateさん 2019/07/10 03:48:45
- おいしい温海温泉♪
- 旅猫さま
こんばんは~。ご無沙汰しております。
以前、この旅行記にお邪魔して、ポチだけで失礼したようです。
鼠ヶ関、以前東北に行った時、立ち寄ったような気がしましたが、お写真の景色に記憶がないので、多分、鼠ヶ関の歴史から(鼠ヶ関の歴史は知っていた)、行ったような気になっていたのかも。
「きらきらうえつ」も、今年の9月で廃止なんですね。
だからかな、お席が満席で要望した席ではなかったのは。
海側とは反対側の席では、海の景色も堪能できず残念でした。
湯の里橋の橋の上にあった飲泉所での源泉、今まで飲んだ温泉で一番美味しかったとは、どのような美味しさなのだろう・・・?
hot choco
- 旅猫さん からの返信 2019/07/14 18:06:18
- RE: おいしい温海温泉♪
- hot chocoさん、こんにちは。
お久しぶりです。
鼠ヶ関は、かなり渋い観光地ですし、見所が主要道路から外れているので、立ち寄っていないのかもしれませんね。
『きらきらうえつ』の廃止は痛いですが、また、新しい列車が出来るようです。
今までのように安く乗れるかは微妙ですが。
最後の乗車で海側に座れなかったのは、かなり悔しいです。
帰ってから、JRに苦情を言ってしまいました(^^;
温海温泉の源泉は、まろやかで呑み易いですよ。
飲泉できる温泉の多くは、苦かったりと強烈な味なので。
ごくごくと飲めますよ。
旅猫
-
- だいこくさん 2019/07/09 21:48:59
- あつみ温泉は いい雰囲気ですね。
- 旅猫さま
こんばんは、だいこくです。
旅猫遊覧記なんて、
素敵なタイトルが付きましたね。
どんなんだろう?なんて読み人の興味をそそり過ぎですよ。
内容も負けていないからスゴイな。
列車の引退等情報も何処で仕入れているんだろうと感心するばかりです。
花の名前も詳しいし、一体何屋さんですか(笑い)
紫の花、浜豌豆(ハマエンドウ)って言うんですね?凄く綺麗です。
折角の列車の席が海側のつもりが、そうで無かったなんて
ガッカリですね。
私なら子供みたいに悔しがりますよ。
旅猫さんは、まるでドラマに出て来る昔の刑事さん見たい。
どんだけ歩くんだろうって
歩いて歩いて調べつくすって感じです
それでも、まだ足りてない御様子。
萬国屋に泊まられたのですね。
私も泊まったことが有るので、UPされたお宿の写真や
人の少ない温泉街の雰囲気は懐かしくて
とても楽しめました。
6/18の地震で大浴場などに被害が有ったようですが
復旧は進んでいるようです。
あつみ温泉は清楚な感じの良いところですよね。
- 旅猫さん からの返信 2019/07/14 18:00:35
- RE: あつみ温泉は いい雰囲気ですね。
- だいこくさん、こんにちは。
書き込みありがとうございます。
遊覧記、江戸時代の旅行家菅江真澄の著書からお借りしました(^^;
彼の足跡を辿る度なので。
花の名前など、色々な情報はネットとかからですよ。
まあ、花は好きなのでそこそこはわかりますが。
今回は、出だしで海側に座れなかったのが残念でした。
帰りも寝てしまいましたし(^^;
どうも、昔からひとつところを徹底的な歩き回る癖があるようです。
地図で、面白そうなところは特に。
歩くのはあまり苦ではないですし。
だいこくさんも、萬国屋に泊まったことがあるのですね!
今回の地震でかなり被害を受けたようで心配です。
まだ、一階大浴場の内風呂は復旧していないようです。
温泉街の雰囲気もなかなかなので、あつみ温泉、気に入りました。
旅猫
-
- 墨水さん 2019/06/23 21:53:48
- 透けて見える。
- 旅猫さん、今晩は。
列車のヘッドマークを頻繁に替えて、マニアに高く売ると・・・・・。
透けて見えますナ~~ッ。(笑)
義経は「平清盛こそ人なり。」と、考えて居たから、人が去って行った・・・。
当時の人々に、見透かされてしまったね~っ。
「判官贔屓」とは、当時の朝廷側が流布した「プロパガンダ」じゃないかと・・・。
でも、沿線は風光明媚ですね。
墨水。
- 旅猫さん からの返信 2019/06/26 22:04:14
- RE: 透けて見える。
- 墨水さん、こんばんは。
書き込みありがとうございます。
6回変わるので、6回乗る人がいるのでしょうね。
新しい車両も造らなければならないので、少しは儲けないと。
安上がりな集客作戦ですね。
平家は驕り、源氏は身内を信じない。
どちらも滅ぶべくして滅んだような気がします。
それに比べて、藤原は凄い(笑)
旅猫
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