2019/04/28 - 2019/04/28
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dimeizaさん
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2019/4/26~4/29に行ってきた、四国旅行の記録です。
今回は四国の現存天守全踏破をテーマに回ってきました。
松山(通過)→伊予大洲(大洲城、臥龍山荘)→宇和島(天赦園、宇和島城)→松山(松山城、湯築城、道後温泉)→今治(今治城)→高松(栗林公園、高松城)→丸亀(丸亀城、中津万象園)→高知(高知城)。
列車で四国を縦横断し、鳥のように余裕なく飛び回っていましたが、無事全ての天守を踏破してきました。
では3日目(今治、高松)。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- JALグループ ANAグループ JR特急 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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昨日と同様、早めに起きて素早く朝食を摂ってチェックアウト。
どうも城巡りだと欲張りな旅になって、時間に追いかけられます。
昨日お世話になった路面電車に最後に乗って松山駅へ。 -
三度松山駅のホームに立った私を乗せてくれるのは、1日目に見た立派な特急。
特急しおかぜ。 -
ここからグリーン車に乗ることになります。
実は宇和海にはグリーン車そのものがなくて、指定席だったんですよ。
ちょっともったいなかったですかね。
ところで、このしおかぜにはWifiサービスが展開されていてですね。
社内でWifiを使うことができるのです。
http://www.jr-shikoku.co.jp/02_information/wifi/index.html
登録さえしてしまえば、特に追加費用なく利用できるので、セキュリティには注意する必要がありますが、通常のWeb閲覧程度であれば、旅先でなくなりがちなギガを節約できるのでお勧めです。 -
Wifiで下調べしながら、大体40分ぐらい揺られて、この駅に到着。
ここから歩いていくこともできるんですが、やや遠めなのでバスに乗りました。 -
バス停を降りた直後の景色。
もう目的地が見えています。 -
左右に広がる広大な堀と、
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その堀を突き抜けるまっすぐな道が伸びています。
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史跡 今治城跡。
復元天守ですが通り道なので寄っておきたくて。 -
中央の道を進んでいくと、枡形になっていて、
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先にはいかにも頑丈な鉄製の門が。
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鉄御門というそうです。復元。
今治城の説明も書いてあります。
慶長7年に普請を開始したのは、またしても築城名手、藤堂高虎。
そう、宇和島城で触れたもう一つの水城というのはこの城です。
日本三大水城の一つとされています。 -
そして足元に何やら書いてありました。
官兵衛石。
臥龍山荘の前で見た渡辺官兵衛に因んだ石で、 -
こんな感じで礎石に巨大な石が埋め込まれています。
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門をくぐると道は左に折れて、
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進むと広場に出ます。
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今治城の全体はこんな感じになってます。
現在残る遺構も含めて平城で、中央に天守、三方に櫓。
今神社があるところは御殿だった場所だそうです。
そして周囲を囲む堀は海につながっていて、海水を引き入れています。 -
広場には築城者の像が飾られていました。
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藤堂高虎。
戦国屈指の築城名手にして、戦国一の転職マスターです。
戦国の変転において、主君が変わることは決して珍しくはないことですが、主君を七度も変えた武将として有名です。
浅井の旧臣なんですが、(豊臣)秀長に見いだされてから大分世に出るようになりましたね。
秀長死後、秀吉から大名に取り立てられますが、秀吉死後は徳川家康について忠勤を尽くします。
関ヶ原、大阪の役と功を積んで、最終的には30余万石を領する津藩主に。
戦国を生き抜いた長老として、家康からは『藤堂は徳川の先手』と呼ばれるほどの信頼を勝ち得た人です。
変節漢、と呼ぶ向きもありますが、主君の変遷を見ていると、どちらかというと苦労人と言った方がいいでしょう。主家断絶や夭折といった不幸で主を変えている例が多く、秀長や家康のような優れた主に仕えた時は、忠実、かつ遺憾なく才能を発揮しています。
「寝屋を出るよりその日を死番と心得るべし。かように覚悟極まるゆえに物に動ずることなし。これ本意となすべし」
津藩は代々この高虎の遺訓を大事にしていたそうですが、これは単なる卑劣な変節漢からはとても出てこない言葉です。
築城に優れた、誠実な才臣、というのが私の印象です。 -
築城者の後ろに見える天守の遠景。
実はこの天守は、以前見た富山城のように、復元天守ではなく模擬天守と呼ぶべきもので、実際の形状に基づいていないとされています。
今治城の天守の存在と形状は、過去の資料からも定かではないのです。
今治城の天守は建造後、丹波亀山城天守に移築されたという説が残っていて、丹波亀山の天守を参考にして作られたという話もありますが、私の目の前にあるこの天守(望楼型)は丹波亀山城の天守(層塔型)とも形状が異なっているのです。
この点は地元の人も理解していて、ガイドの方が『城マニアには評判が悪くてねぇ』って言ってました。 -
今治城の広場は堀周りに張り巡らされた石垣で囲まれていて、現存する櫓がいくつか残っています。
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石垣の上に登って歩いていると壁があり、
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狭間から外をのぞくとこんな感じ。若干視界がきついですね。
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石垣は野面積み然としています。
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広場の北側には天守本丸に入る門と二の丸跡の神社へ行く門があって、潜った後でどちらにも行くことができます。
これは天守行きの門。 -
門のそばに今治城の沿革が書いてあります。
天守五層、城濠三重というのは確かになかなかの規模。
現在は内堀しか残っていませんが、往時はさらに広い縄張りだったそうです。
そもそも現在の今治港自体が、かつて城内に存在していた港だったのだとか。
ところで関ヶ原の徳川家康方の先鋒って、藤堂高虎でいいんですかねぇ…?
譜代では井伊直政(松平忠吉)、外様では福島正則ってのが一般的な気がしますが。
高虎は調略方面で大活躍、という印象がありますが、関ヶ原の先鋒については、どこまでが俗説でどこまでが事実なのか、資料自体の信憑性も含めて悩ましいところがあります。 -
門をくぐると左折。
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折れた先はこんな感じ。
ここを右に進むと本丸天守入り口、進むと二の丸跡の神社です。 -
ここは吹上神社と呼ばれている神社。
祭神はいろいろ合祀されていますが、一応藤堂高虎も含まれます。 -
稲荷もありましたね。
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天守に入ると、中は鉄筋コンクリートです。
内部の構造自体には面白いところは何もないんですが、展示品の量は相当なものなので、時間があれば見ていくとよいでしょう。
私はあまり時間がなかったので、ざっと見て早々に最上層へ。 -
では天守からの眺め。
今見えている今治港も、かつては城の縄張りの一部だったとすると、類を見ない平海城だったというのも、なるほどうなずけます。 -
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瀬戸内を遠望できますね。
船の往来を見て取れるなら、泰平の世にあっても天守に実用的な意味もありそう。 -
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吹上神社を見下ろせます。
ということは当時の御殿をも見下ろせた、ということ。 -
堀の構造はなかなか美しいですね。
潤沢な海水を引き入れられる平海城ならでは。 -
一周すると、搦手門の存在に気づきました。
帰りはあそこから下城したいところ。 -
天守を降りると、順路上は各櫓を回っていくことになります。
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櫓は全て復元で、御金櫓と山里櫓は美術館、鉄御門は展示スペースに。
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鉄御門は平成19年の再建。
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中はこんな感じで結構新しかったですね。
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石垣周りの犬走りを直接見下ろすことができたりします。
犬走りとは城の石垣に沿って設けられた細長い平地のことで、石垣を築く際の地盤強化の工夫とされています。 -
おそらく今治城と鉄御門の一番の特徴はこれでしょう。
枡形虎口。
二段構えの門と三方の櫓による、枡形に入った敵兵をせん滅するための地形です。
なかなかよく考えられているなぁ、と思ったのは、1枚目の門である高麗門は防備のための門ではなく、敵を容易に退かせないための門だなぁ、ということ。
鉄御門こそが守りの本命であって、この門は絶対に抜かせてはならないものの、門が一重だと形勢不利なら容易に退けるので、あえて破られてもいい門を置いているのか、と私には見えました。
この用心は山城や平山城とは異なり、山岳地形による防衛効果を期待できない平城ではあってしかるべきものでしょう。 -
狭間から見下ろすとこんな感じで、先ほどの絵のように、寄せ手は鉄砲で袋叩きです。
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そろそろ下城。
天守で見かけた搦手に行ってみます。 -
階段を降りて石垣の下へ下り、小さな門をくぐって出る、という構成。
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正門から入った時には意識しなかったんですが、意外に外の石垣が高いなぁと思って。
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この構成だと天守が櫓の一部として防衛機能を発揮しますね。
本当にそうだったかは定かではありませんが。 -
こっちの門は石垣に挟まれた簡素な門という感じで、正門と比すと小規模ながら、間口が狭いので大軍の進退には適さないようです。
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船着き場っぽいところも。
これ遺構なのかしら。であれば城の往来に小舟を使っていたのかもしれません。 -
外門は特に防衛機構を持たない普通の門。
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門を出て堀を渡りながら撮ると、堀に面した石垣の高さと天守の姿に威を感じます。
平城だと思って甘く見るなよ、という築城者の声が聞こえてきそう。 -
堀を渡り終わって1枚。
復元(模擬)天守ながら、なかなか興趣に満ちた城でした。 -
というわけで、日本三大水城の一つ、今治城でした。
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バスの時間が合わなかったので、今治駅には歩いて帰ることにしました。
その気になれば20分ぐらい見ておけば歩いて帰れます。
ところで、この今治の地では自転車乗りを多く見かけました。
今治は、自転車乗りの聖地といわれる瀬戸内しまなみ海道の終点に当たる地で、たくさんのサイクリストが往来する地です。老若男女含めたくさんの自転車乗りが、スポーツサイクルに乗っていました。
今治駅前には、スポーツサイクルで有名なGIANTのストアがあって、ここでクロスバイクからカーボンロードまで、GIANTの名だたる自転車を借りることもできるとか。時間があれば借りて乗り回してみたかったですね。
まぁ、今度は愛車持参で来ましょう。 -
再び特急しおかぜを待って乗車。
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再びグリーンに。
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移動しながら食事しないと時間がないので、お昼は駅弁ですが、また鯛があったので手が伸びてしまいました。
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うめぇうめぇ言いながら、四国では鯛ばかり食っています。
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特急しおかぜは直接目的地までは行ってくれなくて。途中の多度津で列車を変えて乗り継ぎ。
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次の目的地にして今日の宿はここ。高松。
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高松では駅前のホテルに宿をとっていたので、チェックインしてすぐに駅の地下へ。
バスでも電車でも行けるところなんですが、移動に自由度があるので自転車で行くことにしました。
外国の人も結構レンタサイクルを借りていて、意外に国際化されてるんだなぁと思いました。
ちなみに借りられるのは普通のママチャリです。 -
高松駅から南に下っていきます。
こうしてみると普通の地方都市なんですが。 -
ここに来ると様相が変わります。
特別名勝、栗林公園。 -
なにやらイケてる庭園があるらしいやんけ、程度のノリで行くことを決めていたんですが…だいぶ想像と違って…規模が…。
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栗林公園の沿革です。
生駒高俊によって造園後、松平家に引き継がれ、下屋敷として使用されたとか。 -
これが案内図なんですが、この規模がまた…。
これを通り過ぎるときはさほど意識していなかったんですが、この庭園、版図に関してはすさまじいもので、これまで巡った庭園の中で最大でした。
実際、文化財庭園としては日本最大なのだそうです。 -
そのあまりの広さに、庭園散策のコースも基本的にはつまみ食いな感じで、すべての場所を回るモデルコースはなかったりするんですが、私は外周から一通り回ることにしてみました。
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外周の道を歩いていくと、こんな場所に。
あぁ、大規模庭園にはつきものの…。 -
馬場ですね。
外周に設置されているのはよくあるケース。 -
馬場の奥の木立を進んでいくと、水の手に出ます。
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ほう、これはなかなか。
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左手に築山(飛来峰)があったので上っていくと、早くもこの庭園最高の景勝にたどり着いてしまいました。
背後の紫雲山を借景に、中央に偃月橋を臨む絶景です。
中央の島嶼に咲くつつじの色がワンポイントを添えています。 -
築山を降りて外周を回っていくと、清水が流れ出すせせらぎが。
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そのまま池に流れ込んでいます。
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吹上という噴泉で、この庭園の水源はここだけなのだとか。
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絶え間なく流れ込みながらも、水の行く先はまた静か。
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先ほど飛来峰から眺めた橋(偃月橋)に登って湖(南湖)を。
よく見ると、湖の上に舟が1艘。
船で遊覧できるらしいです。 -
引き続き外周を歩いていきます。
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初夏の山を借景にすると、湖面に反射して、曇天だというのに碧が映える。
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もう少し歩くと、少し力を感じる石組が。
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小普陀。
もっとも古い石組らしく、ここが栗林公園の始まりの場所とも呼ばれています。 -
こんな橋を渡って先に。
左右の菖蒲はもう少し先が見ごろかしら。 -
橋を渡りきると広場に。
広い。 -
しかしこの水の贅沢な使い方よ。
奥になにやら建物が見えます。 -
行ってみると、大分立派な。
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果たして茶室でした。掬月亭。
ここでは有料でお茶を頂きつつ、庭園を愛でることができます。 -
私は先を急いでいたのでお茶を飲まず、近景を移すだけにとどめましたが、この石組にも力を感じます。
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瀟洒な赤橋を通って先へ。
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涼やかな。
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さらに進むと、柵に囲まれた庵らしきものが。
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柵の中には一風変わった流れが。
円形の水たまりが水の流れの中にあります。
実はここ、外の池につながっていて、水が流れ込むようになっているとか。 -
人が多くて全景を移せなかったんですが、こんな感じの庵。
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というか茶室です。旧日暮亭。
土間を持つ茶室。 -
こんな感じですね。
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ここの松平家と武者小路千家とは深いつながりがあるのだとか。
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こっちの入り口も土間付き。
しかし、貴人口を作って大名は座敷に座りつつ、家臣は土間に床几を置かせるとか、何となくお高く止まった感がありますねぇ。 -
帰りに先ほど見た流れを見てみると、手水石がありました。
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降蹲踞といって、茶道的には貴重なものなのだそうです。
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実は旧日暮亭を回っているころから、滝の音がしていてですね。
近づいてみると。 -
桶樋滝。
藩主の鑑賞用の滝で、人力で水をくみ上げて流していたんだそうで。
うーむ…。
この庭園の設計思想は、何というか、身分を強く意識させる世界観でできていますね。藩主の命令なら家来に何させてもいい、みたいな。
この辺、大名の地位的優越を露骨に醸し出していて、成金趣味というか露悪感があります。
他の庭園でも当然同種の傾向によって、庭園の景観が維持されていたのは確かなのですが、こうもむき出しになってくると、保有者の意図とは逆に、見る者に対して尊貴感よりも醜悪さを感じます。
帝王学をきちんと修めた藩主であれば、自分が景観を楽しむために、下々の者に人力で水をくみ上げさせる、という無駄を果たして容認しただろうか…、と、この時おぼろげに思っていましたが、これを書きながらはっきりと認識しました。 -
まぁ、この庭園に見え隠れする思想を心の片隅に置きつつ、次を鑑賞。
ここには気象庁の標本木が何本かあって、これはノダフジの標本木。 -
開花日を観測しているそうです。
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滝に沿って立ちはだかる岸壁は赤壁とも呼ばれています。
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蘇軾の赤壁賦にちなんでいるそうです。
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ハスが群生しているのが印象的でした。
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掬月亭の前を南に下っていった際に撮った1枚。
根底の思想はともかく、鑑賞に足る景を成しているのは確かです。 -
渚山と呼ばれる築山から見下ろすとこんな景色が。
こういう景色が至る所にあるというのは、確かにミシュランガイドで3つ星を受けるだけの理由にはなるでしょうね。 -
迎春橋という橋を越えて南に戻った後、
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芙蓉峰という築山から中央の湖(北湖)を見下ろすとこんな感じ。
中央の梅林橋を紅一点として、北湖の左右に開ける木々と紫雲山の借景が良いバランスを醸し出しています。 -
売店では盆栽が売られていて、地方発送にも対応していました。
この栗林公園の特徴の一つは松なので、興趣をそそられた人が確かに買いそうです。 -
屏風松と箱松。
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こっちが屏風松。
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で、こっちが箱松。
確かに一般的な松とは明らかに異なる、変わった形状です。 -
さっき山上から見た梅林橋。
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地上から見ると何てことない赤い橋です。
明らかに山上から鑑賞することを想定して設置していますね。 -
梅林橋を通り過ぎてそのまま北庭に進むと。
潺湲池。 -
水の流れがまた奇麗で。
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飛び石を渡りつつ、
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飛び石の中央から撮影するとこういう光景。
人工的に作られた渓流の景、というか。
こういうの好きなんです。 -
北庭に入ると、芙蓉沼という池があるんですが、私が行った時点ではこんな感じで若干がっかり。
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ここはハスの群生地らしく、6月ごろには見ごろになるとか。
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後、梅林もありましたね。
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こっちもシーズンオフ。
逆に言うと四季折々の顔を見せるように作られている、ということです。
高松市民は贅沢な庭をお持ちだ。 -
南側の池は相応の景観があります。
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群鴨池。
鴨猟に用いられていた、って、天赦園にもありましたね。
庭園を持つ大名はみんな鴨狩が好きか…。 -
群鴨池に沿って南へ廻っていくと、こんな感じです。
これはこれで一つの景なのですが、シーズンオフということもあってか、南庭の方が人が圧倒的に多く、こちらはやや閑散としていました。 -
-
紫明亭という東屋から群鴨池を臨んで。
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もうすぐ一周、というところで菖蒲がたくさん植えられているところが。
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花しょうぶ園。
北庭は6月に見に行くと百花繚乱っぽいですね。 -
最後に目に入ったのは、こんな構造物。
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鴨引き堀と小覗。
鴨猟用の設備を復元したものらしいです。 -
木の小窓があって、向こう側の様子が見える仕組み。
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向こう側は実際にはこうなっています。
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これで1周しました。正直目茶苦茶疲れましたね。
2時間程度かけて丸々一周しています。
この規模には圧倒されました。
まさか四国にこんな化け物庭園があったとは…。
そろそろお暇しようと思ったのですが、最後にもう一度どうしても景色が収めたくなったので、芙蓉峰に再度上って1枚。
いやはや、恐るべき景勝でした。
木々、花々の変化を考えると、時期を変えて再訪する価値もありそうです。 -
疲れた足を使って自転車をこぎ、高松駅前に戻ってくるわけですが、まだ終わっていないのです、今日の旅は。
駅前なのでアクセスが容易なここには、最後に行こうと思っていましてね。 -
高松城址。現在は玉藻公園という名前になっています。
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生駒親正が築城後、松平頼重が入城し版籍奉還まで松平氏の居城に。
ここも往時は三重の堀でもっと広かったそうです。 -
野面積み感のある簾櫓跡。
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現在は有料入場可能な公園になっています。
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左の庭には枯山水感が。
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石垣はかなり無骨ですね。
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ここも実は海城です。
旅の前には全く意識していなかったんですが、高松駅から歩いて数分で海なんですよね。この城もまた海に直接面した水城でした。
実はこの城、今日寄った今治城と合わせて、日本三大水城の一つです。 -
しばらく行くと堀が見えてきました。
舟が浮かんでいます。 -
実はここも舟遊びができるらしく。
すでに17:00を回っていたのでもう終わっていました。 -
堀は今でも海につながっていて、水位調節もできるんだそうです。
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しばらく外周を歩いていくと、こんな看板が。
披雲閣庭園。玉藻公園についてはあまり調べてなくて、中に庭園があることすら知りませんでした。
ところがこの庭園、実は最近(2013年)、国の名勝指定を受けていて、中に建てられている披雲閣は重要文化財指定を受けているという、本来私が意識して立ち寄るべきところでした。 -
これは思わぬところで僥倖と、庭園の中に入っていきます。
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この庭園は水を使っておらず、流れは全て枯山水ですが、決して見劣りしない造りです。
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向こう側に建物が。
あれが披雲閣。 -
枯川の中にはライトが。
夜間ライトアップする機関があるのかもしれません。 -
披雲閣の近影。
2階建ての古風な建物です。 -
なかなかいい感じ。
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流れを感じます。
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昭和天皇、皇后御手植えの松もあって。
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今はこれぐらいまで育っていました。
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一般の訪問者は披雲閣の中に入ることができません。
地元では貸会場として使われているとか。
ただ、表からガラス越しに撮影はできたので、撮ってみました。 -
これは大書院。
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槇の間。
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対面所だそうです。
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松の間。
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当主の居室。
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一通り見た後で、枯川の流れに沿って出口へ。
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入ってきた口とは別の口から表に出ると、角に陣取る櫓の姿が。
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門がついていますね。
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高松城北の丸月見櫓と水手御門。重文。
解体復元されたものの、一応現存建造物のようです。 -
海からの監視防衛ということで、外に対して睨みが効きそうでした。
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門を挟んで櫓の反対側にある建物も、渡櫓という重文。
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石垣の継ぎ足し部分…?
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…あぁ、確かに。
看板のある場所を境に、きれいに石垣が切れています。 -
少し離れてみると一目瞭然。
明らかにあの場所を境に使われている石とパターンが異なります。
なるほどなぁ…。 -
ぼちぼち時間が無くなってきたので、外周を回らずに披雲閣庭園を通って反対側に出ます。
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ソテツ。この庭園も外していないですね。
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右手に最後の目的地である天守台が。
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左手には披雲閣。
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近づいてみると別の広間がありました。
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小さな門を通って表に出ると、
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広場に出ます。
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ここが披雲閣の正面で、本来はここから入ることになります。
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かつては藩の政庁兼藩主の邸宅でしたが明治期に壊し、大正6年にたてなおしたのが今の披雲閣なのだそうです。
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重要文化財 披雲閣と、誇らしげに建てられていました。
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ここでも松の盆栽が。さすが高松…。
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資料館がギリギリ開いていたので見てきました。
往時の高松城のジオラマと、 -
天守の復元模型です。
層塔型3層か…。
小さく見えますが、実は昨日行った松山城より大きく、四国最大規模の天守だったそうです。 -
史跡整備に関する看板がありました。
石垣の積みなおしをしてるようですね。
高松空襲で石垣が焼けたという話も書いてあって、城が多く残っている四国もまた、戦災で史跡にダメージを受けたんだなぁと。 -
もう一つ櫓を見つけました。
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旧東の丸櫓。
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別名艮櫓。重文。
解体復元に合わせて、石垣をいじったり角度を変えたりとか、微妙に手を入れていますね。まぁ悪いとは言いませんが。 -
近くに搦手というか、別の出口がありました。
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その出口が面するのは枡形。
というか、ここ切り込みハギですね。
他の場所(野面、打ち込み)とは構成が違う…。
これが現状通りなら、この城は面白い城ですね。
石垣3種構成がすべてそろっている。
安土期、江戸期と主を変えながら修築拡張されていった城の歴史を、石垣がそのままとどめてくれている、というわけです。 -
天守台のほうに歩いていくと、こんな碑がありました。
『讃州讃岐は高松様の城が見えます波の上』
『わたつみの玉藻の浦を前にしぬ高松の城龍宮のごと』
今でこそ海に直接面していませんが、与謝野晶子が龍宮とうたった雄姿をぜひ見て見たかったですね。 -
天守台のそばに道が一つ設けられていましたが、
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ここはふさがっているようで。
天守台に行くには別の回り道が必要そうです。 -
天守台の遠景。
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先ほど資料館でも見ましたが、復元時はこんな感じだとか。
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天守台には橋を通っていくことになります。
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鞘橋。本丸に至る唯一の橋です。
江戸期から存在していたそうですが、現在の橋は明治にかけ替えられたものだとか。 -
橋を渡っていく最中、右手を見るとプラットホームが。
琴電の高松築港駅です。
城の隣から電車に乗る、というのも乙なものかも。 -
橋を渡るとジグザグな石垣の間をくぐって本丸に出ます。
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天守跡への階段。もう少しです。
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上りきると、何やら礎石やら、建物の遺構がありますね。
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右手を見ると展望台への階段が。
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上って高松港方面を見るとこんな感じ。
これ、天守3層から見るとさぞかしいい景色でしょうね。
瀬戸内から高松城を見るのと同様、高松城から瀬戸内を見渡すこともできるでしょう。 -
天守台を発掘したら、天守地下1階の構造が分かったそうです。
文献の記載を裏付ける成果で、引き続き構造解明を行い復元を目指しているとか。
最近海外で新たに写真が見つかったという報告も聞いたので、ぜひ復元に成功してほしいものです。 -
そろそろ閉門時間いっぱいなので、お暇します。
以上、高松城址(玉藻公園)でした。 -
せっかく高松に来たのだから、うどん食べとかないとなー、と。
とはいえ散々歩き回ってもうクタクタなので、駅前で手を打ちました。
源平御膳と名付けられた夕食を摂りながら、そういえば屋島が近かったんだっけ、と思いつつ。今回は源平はテーマに含まれていないので、残念ながら見送りと相成りました。
うどんは美味しかったのですが、この量では讃岐うどん満喫には程遠く、後ほど追い讃岐をすべく、関係者への土産とは別に讃岐うどん数食分を私用の土産として買い込んだのち、ホテルに入って眠りについたのでした。
以下、次号。
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