2019/04/26 - 2019/04/26
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dimeizaさん
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2019/4/26~4/29に行ってきた、四国旅行の記録です。
今回は四国の現存天守全踏破をテーマに回ってきました。
松山(通過)→伊予大洲(大洲城、臥龍山荘)→宇和島(天赦園、宇和島城)→松山(松山城、湯築城、道後温泉)→今治(今治城)→高松(栗林公園、高松城)→丸亀(丸亀城、中津万象園)→高知(高知城)。
列車で四国を縦横断し、鳥のように余裕なく飛び回っていましたが、無事全ての天守を踏破してきました。
では1日目(伊予大洲、宇和島)。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- JALグループ ANAグループ JR特急 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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今回のフライトは今までで一番早いフライト(7:10羽田発)でした。
少し余裕をもって6時着で経路検索したら、電車が出てこなくて一言、『バスで来い』と。いつもバスで羽田には行っているのですが、今回は初バスで行きました。
今回も往路はプレミアムクラスでございます。
実は帰りの便をプレミアムクラスにしたかったんですが、まぁ予約が取れなくて。
ラウンジは羽田でしか使えないので、往路の方が特典は大きいんですが、ゆっくり座っている暇もなく、ちょっと休んだらすぐ搭乗です。 -
一度座ってしまうと、次もこれで行きたくなるシート。
地上の電車の特急では、せいぜい指定席程度のレベルのシートですが、空路にした瞬間に高くなるんですよねぇ、これが。
個人的には間仕切りが非常にありがたいです。
全席こうしてくれないかなぁと思いつつも、この日もほぼ満席だったので、効率を考えると難しそうな気もします。 -
個人的に一番損しているなぁと思うのが機内サービス。
何たって2時間ないですからね。サーブをしてもらう時間そのものがない。 -
これから飛び回るというのにアルコールを飲むわけにもいかず。
(そもそもあまり交通機関で飲まない人ですが)
毎度、次はもっと遠距離のフライトで、と思いつつも、国内旅行だと長いフライトそのものがほとんどないので、実質席とラウンジを買っているようなものです。 -
この日は結構天気がぐずついていて、地上には暗雲が垂れ込めていました。
離陸したものの、なかなか雲の中を抜けられません。 -
しばらくすると軽食がサーブされました。スープがおいしかった。
例によって軽食自体は文字通りかなり軽めなので、別途朝食を取っておかないと、城巡りの旅の高アクティビティには耐えられません。
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そうこうしているうちに雲海の上へ。
何となく鳥に見えたので1枚。
そういえば、これから行こうとしている地は、かつてこう呼ばれたことがあった。
『鳥なき島』と。 -
着陸が近くなったのでふと窓を見ると、瀬戸内の島が点々と。
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で、こうやって優雅な旅をしてきたかに見えて、降りたら急ぎ足になるわけですよ。到着が遅れていたもので。
よく考えると、前々回の旅も、今回の復路も、基本飛行機遅れてるんですよねぇ。
鉄道ほどの厳密さは期待できないので、もう少しゆとりを持ちたいところですが、ゆとりと旅の密度がトレードオフなのでいろいろ厳しいところ。 -
到着ロビーを出て1枚。松山空港です。
どうやら松山で労働雇用大臣会合をやるらしく。
なぜここにしたんでしょうね。いや、後で行きますがいい所ですけど。 -
空港からバスに揺られてほどなく松山駅へ。
ここは翌日半日かけて見て回ります。 -
駅に到着したら、すでに乗る予定の特急は出発してしまったので、しばし駅前を歩き回ってから改札に入りました。
大分立派な特急が来たなぁ、と思ったのですが、これは私の乗るものではなく。 -
こっちです。特急宇和海(うわかい)。
宇和海、って何て読むのか分からなくて、みどりの窓口で『うわうみ』って言ったら、『うわかい、ね』って訂正されました。 -
さて、今回は列車で四国を駆け巡るに当たって、最強というか、もっとも贅沢なカードを取ってきています。
『四国グリーン紀行』。
指定日から4日間、四国中のJRのあらゆる列車(特急、普通列車のグリーンから自由席まで)、土佐くろしお鉄道全線、JR四国バスに乗り放題という切符。
席の指定は四国のみどりの窓口で直接行うこともできますが、この切符を注文時に同時に行うこともできて、その場合は事前に郵送してくれます。
特急は自由席だけでいいやって場合は下位互換の『四国フリーきっぷ』があるので、閑散期はそれで回るのも全然ありですが、何分私はグリーン依存症患者で、しかも今回は近来例を見ない繁忙期じゃないですか。ここは買って無双しようと思いまして。 -
よって私は、当然この特急宇和海も、終点宇和島まで乗り放題の身なのですが、この日はいったん途中下車。
ここです。伊予大洲。
城とちょっとした景勝があると聞きましてね。 -
伊予大洲で降りて、コインロッカーに荷物を預ける際に、観光案内所の前を通ったら、ふとその前に止めてある自転車に目が留まったんですよ。
伊予大洲ではレンタサイクルかタクシーで城に行こうかと思っていたのですが、ひょっとしてこのMERIDAのクロス、レンタサイクルで貸してくれるのかしら、と。
聞いてみると、ちょうどママチャリが在庫切れで、クロスか電動アシストしかないそうで。この両者はママチャリよりもレンタル料が少し高め(1000円ぐらい)なので、多少敬遠されるのかもしれません。
『3分ぐらい歩くと自転車屋さんがあるので、そこでママチャリ借りられますよ』と言われましたが、私もホビーライダーとはいえ自転車乗りの端くれ。MERIDAのクロスを1000円で借りられるなら、移動も含め諸々捗るな、と思った私は、迷わず借りることにしました。 -
で、先ほどの写真は最初の目的地付近で撮影したものです。
駅前からクロスに乗った私は、慣れない自転車でもあるので、少しゆっくり目に10分間ぐらい南の方へ巡航。
途中、肱川(ひじかわ)を橋で渡って、交差点を右折。しばらく道なりに走って北に曲がると、この東門跡に出ます。 -
大体こんな感じ。
最初の目的地の大洲城は、肱川沿いに建てられています。
東門跡をくぐって北へ。 -
もう少し自転車で進むと大須市民会館に出ます。
で、その市民会館の隣から、大洲城への道が伸びているのですが、その付近にこれが。二の丸大手門跡。 -
近くに周辺案内図があったのですが、ちょっと見落としていたのは三の丸南櫓跡。
時間の関係もあったんですが、ここは重文なので見ておくべきでした。 -
市民会館のそばに自転車を停めて、城のほうに歩いていくと、両側に石垣が。
城址を歩いてこの光景は、何かありそうな雰囲気を感じます。 -
果たして。ここが二の丸大手門跡でした。
両側石垣で先の道が折れている、ってのはよくあるパターンなもので。 -
二の丸大手門跡を抜けて少し進むと、白塗りの蔵のような建物が。
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下台所。大洲城に残る現存建造物の一つだそうで。
ここ、重文じゃないんですね。 -
床下が見えたので。
大分しっかり建てられている感があります。
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歩を進めると、見えてきました。
下台所を同時に収めつつ。 -
この辺が二の丸の広場なんですね。
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城へは坂道を登っていきます。
二の丸側には塀が。
人影は翌日以降の人出を考えるに、かなりまばらでした。
休日を1日前倒して出てきているのも大きいのでしょうが。
家族連れよりもシニアが多かった印象。 -
登っていくと左手に看板が。
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御殿か。なるほど。
普段は二の丸にいたんですね。 -
坂を上がって御殿跡を見ると、広大というほどでもないですが、それなりの広場が。
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天守へはさらに坂を上っていきます。
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登っていくと、右手に味のある石垣が見えてきました。
多少均してはいますが、一応野面ですね。 -
坂をひとつ上りきると、また広場に出ます。
見ると、奥に囲われた銅像らしきものが。 -
近づいてみると。
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近江聖人、中江藤樹の像でした。
名前は聞いたことがありましたが、ここが生誕の地なんですね。 -
振り返ると、石垣上の櫓と天守がまた映える。
藤樹先生は実によい位置にいらっしゃる。 -
先生にちなんで、近くに藤棚がありました。
後で実感しましたが、藤棚は四国随所の特徴として、ずいぶん私の印象に残ることになります。 -
本丸天守まではもう一つ坂を上っていきます。
二の丸から奥まで突き進んでから、折り返して坂を上る必要があるのです。
うん、やはり直進させない。
導線がちゃんと攻城を意識しています。 -
坂を上りながら天守を。
天守自体は四層。櫓と連結されています。 -
この辺は下層よりずっと野面積み感がありますね。
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坂を上りきると、天守と櫓が立っている石垣の層に到着。
この辺が本丸(正確には井戸丸)です。 -
なかなかの威。
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この広場の中央に、柵で囲われた場所が。
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井戸丸の名の通り、ここには本丸唯一の井戸が残っています。
石垣のことも書いてあって、天守復元時に修理と積みなおしをしたのだとか。 -
井戸は真っ暗でよく見えませんね。
とはいえ、本丸に水の手が明確にある、というのは、これも攻城を意識した備えで。
近くに肱川があるので、単に攻囲されているだけでは水に困ることはないはずですが、攻めあがられると水の手を絶たれるので、本丸に籠る際には唯一の水源になるはず。 -
井戸丸から天守と櫓を見上げて。
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天守に入るにはもう一つ坂を上ります。
坂の途上でさらに門跡が。暗り門跡。
今はまっすぐ上ることができますが、かつては石垣があって一度左手に折れる必要があったのだとか。
思いの外実戦想定度が高い。 -
最後の坂を上りきると、本丸上段に出ます。
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というわけで、大洲城天守です。
左右の櫓は高欄櫓と台所櫓。いずれも重文。 -
中央の四層天守は復元天守なんですが、後でお見せする通り、この天守は結構ガチに再建されています。
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大洲城は、羽柴秀吉の命を受けた小早川隆景の四国平定後、湯築城の支城となり、以降、戸田勝隆、藤堂高虎、脇坂安治と主を変え、最後に加藤貞泰が大洲6万石を領して維新に至る、という流れのようです。
どうやら明治期に天守を取り壊してしまったようですが、幸いなことに写真も残っていたので再建されたのだとか。資料が残っていたのは幸いでした。
しかも平成16年という、比較的最近の復元天守。 -
天守には台所櫓から入ります。
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これが天守の骨組みの構造のようです。
先ほどの沿革に書いてあった天守雛形がこんな感じで残っていたとなれば、確かに再現のしようもあります。 -
大洲城の地図。
城の規模自体は絢爛高層というわけでもありませんが、随所に攻城の備えがされていたのは前述の通り。 -
台所櫓は安政に再建されているということは、幕末期の建物ですね。
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もちろん狭間もあります。
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格子窓から外を見ると、緑に囲まれた肱川が良さげに見えます。
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天井を見ると、確かに若干年月を経た表情。
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残念ながら櫓の上層に上がることはできませんでした。
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台所櫓から天守に入る廊下で、復元の趣旨と、復元を支援した人々の名が列挙されていました。
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さて、天守に入るとこんな感じ。
真新しい木材が出迎えてくれます。
そう、復元天守なのに木造なんですよ。
大抵の復元天守は鉄筋コンクリートとかエレベーターとか、現代の建築技術をそのまま放り込んで作られることが多いんですが、ここは当時の技術を使って、当時の城を再現して建築された、本物の木造建築です。 -
実は四国随一の高さを誇る天守だったそうです。
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ひときわ立派な柱があったので。
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これが心柱だそうで。この位置はあまり例を見ないのだとか。
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3層から4層に上がる際にはこんな階段を上がります。
まぁそれなりの勾配。天守だと標準的ですかね。 -
4層はこんな感じ。
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では天守からの眺め。
ここは層塔型天守で、表に出られる望楼がないので、窓枠からスマホを出して。 -
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やはり肱川の景観が良いです。
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天守を降りながら、松本零士先生の絵が飾られているのに気づきました。
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両親が大洲出身で、自身も疎開したことがあって、縁があるそうです。
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本丸を降りて高欄櫓に入る通路。
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というわけで、重文、高欄櫓に入ります。
これも幕末期の再建だそうです。 -
高欄櫓に入ると、往時の城のジオラマが飾ってありました。
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寛永期(江戸初期)の再現だとか。
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櫓と堀を再現してみると、なかなかどうして立派な城ですね。
縄張りそのものは決して広くはないですが、この櫓の構成と導線は、そこそこ攻城に苦労しそうです。数百から千ぐらいあれば、隙なく備えられそうな気がします。 -
天井は台所櫓同様、そこそこの年代を経ている感じ。
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ここは台所櫓と違って、上に上がることができます。
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上がりきるとこんな感じ。
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高欄櫓からは、こんな感じで大洲の街を見下ろすことができます。
先ほどのジオラマからすると、城域とその周辺を一通り見渡せる感じですかね。 -
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高欄櫓を降りつつジオラマを見下ろすとこんな感じ。
そういえば堀も肱川から引いていたんでしたっけね。 -
天守を出て肱川の方向に歩いていくと、もう一つ櫓跡。
玉櫓跡。川越しの攻撃に備えた櫓だったとか。 -
もう一つありました。鉄砲櫓跡。
肱川は見た感じ深かったり急流だったりはしないようので、場合によっては瀬踏みすれば徒歩で渡れたのかもしれませんね。舟を使われる可能性も含め、堀としては期待できないので、備えたんですかね。 -
そしてそこから天守を振り返る。
復元にしては内部構造も含め、本当によくできています。
建築基準法等、実現には種々の障害があったようですが、今後の日本城郭復元の模範として、大きな役割を果たしていくのではないでしょうか。 -
帰路につこうとすると、搦手門跡が。
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ここから下城することもできるんですが、今日は自転車で来ているので、来た道を戻ることにします。
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帰り際に白塗りの建物を見つけて。
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御門番長屋。復元だそうです。
ここにも門があって、門番を籠めていたと。
寅さんのロケ地だったそうです。 -
さて、大洲城を後にして、再びクロスバイクを転がして次の目的地へ。
大洲城だけ見るのであれば、それほど急ぐ必要はなかったんですが、ここにはもう一つ見ておきたいところがあって。
ところがその目的に行く際、ちと迷いました。大通りに面していないので、道なりに行ってもたどり着かなくて。
途中で階段に出くわしたりしたんですが、こういう時にママチャリじゃなくてクロスバイクだと、自転車を担いでそのまま階段を上がれたりするのです。 -
で、その目的地前の駐車場にこんなのがあって。
槍の官兵衛と称された、渡辺官兵衛の屋敷跡。
忠義と文武両道の技量を持つ才人なんですが、剛直に過ぎた感がある人です。
藤堂高虎に高禄で召し抱えられるも、独断専行と高虎との対立が激しく浪人。その後も奉公構を出されて他家に仕官もできなかったそうで。
実はこの屋敷跡に建つ建物こそ、大洲のもう一つの目的地でした。 -
ここです。臥龍山荘。
臥龍淵と呼ばれる肱川の景勝に建てられた、数寄屋造りの山荘で、最近(2016年)国の重文になりました。 -
古めかしい門から中に入っていきます。
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曲がりくねった道を上がっていくと、こんなところに通されます。
ここは臥龍院という茅葺の建物。
ここで靴を脱いで上がります。 -
ふむ。
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縁側を歩いて部屋に入ると、神棚と共に、
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意匠を凝らした欄間細工が。
清吹の間(せいすい)といって、春夏秋冬に因んだ意匠が欄間に施されている夏向きの部屋だそうです。 -
曰く、桜の花に筏で春。
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水玉で夏。
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菊水で秋。
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雪輪窓で冬と、趣向を凝らしています。
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奥には立派な書院が。
壱是(いっし)の間。
ここへの入室は許されていないので、外からの撮影です。 -
奥の櫛型窓は、桂離宮と同じ造り。
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畳を上げることで能舞台にもなるそうです。
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もう一つ、この臥龍院には部屋があって。
霞月(かげつ)の間。
詫び風味の茶室です。 -
棚の上の窓は、清吹の間の雪輪窓から続きになっているという凝った造り。
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臥龍院を出て、庭を歩く。
幽玄さを感じる庭園です。 -
振り返って臥龍院を見るとこんな感じ。
絢爛ではなく、鄙びた外見の中に粋を追及している、そんな建物です。 -
臥龍院を離れて奥へと進んでいきます。
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苔むした手水鉢。
この辺は湿気が多くて、苔の生育が早いそうです。 -
もう一つ、灯篭と共に手水鉢が。
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途中、こんなところを見つけました。
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氷室だったそうです。
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潜龍洞を通り過ぎて奥に行くと、緑の中に涼しげな建物が。
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ここは不老庵という建物で、臥龍山荘で最も美しい風景が眺められるところ。
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靴を脱いで上がると、障子の向こうに。
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肱川の流れる光景を一望できます。
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手前には突き出した岩が。
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望楼が突き出していて、少し表に出ることができます。
木製でギシギシ音を立てつつ、柵が低めなので、おっかなびっくり歩いていました。 -
この庵は船に見立てて作られていて、天井が丸くなっています。
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ひとしきり見て回った後、誰もいなくなったのをいいことに、ごろりと転がって、しばらく臥龍淵と空を眺めていました。
涼風が庭園から臥龍淵に向けて流れ出していきます。
あぁ…ここに住みたい。と思いましたね。 -
ちなみにこの景観は、かなり頑張った土台に支えられていて、岩の上に複数の木の柱を連立させ、文字通り縁に張り出す形で構築されています。
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自然に生育した槇の木が捨て柱になっているとか。
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こんな感じで軒を支えていました。
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ちょうど雲の隙間から青空が。本当に素晴らしい景観でした。
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これで大洲は大体見て回ったので、駅に帰るか、と自転車を走らせていたら、ずいぶん古いポストと何やら看板が。
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東京ラブストーリーとは、また懐かしい。
確かに終盤、愛媛に行ってましたね。
リアルタイムで見た当時、まだ意味を十分に理解していませんでしたが、あの時のポストか…と、数十年ぶりにふいに出くわした若き日の思い出でした。 -
駅からの帰り道、肱川橋の上から。
山河そのものが良い景勝を醸し出していました。
静かに避暑するには良い場所かもしれません。 -
さて、大洲を後にし、次の目的地へ。
と電車を待っていたらですね。 -
なにやら私の目の前を通り過ぎていく、ファンシーな車両。
-
宇和海アンパンマン列車。
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これから何度か、四国の列車旅の中で、このアンパンマンにラッピングされた列車とすれ違うことになります。
子供たち大喜びでしょうね。
どこかのホームでワンワン泣いていた子供が、これが通りかかるや、『アンパンマンだー』とカラスのように泣き止む有様。すごい。 -
一方、大分前にアンパンマンを卒業してしまった私は、普通の宇和海に乗ったのですが、こっちはこっちでこういうのを見るわけです。
-
サイクルトレインか…。
しまなみ海道をはじめ、自転車の地四国と言われていますが、ここまで自転車にやさしい世界になっているとは…。
あまり体力と腕力に自信がなかったのと、今回は爆速で移動する必要があるので、自転車持ってきませんでしたが、持ってきたかったですね。 -
さて、この宇和海の終点こそが、この日の目的地。
言わずと知れた宇和島です。
降りてみると、すごい南国感があって驚きました。
今日はこの宇和島の駅直結ホテル(JRホテルクレメント宇和島)に泊まる予定だったので、列車を降りたらチェックインして、表に出ます。 -
宇和島では行きたいところが2か所あってですね。
1日目の最後と2日目に分けて行こうと思っていたのです。
当初はこの天赦園を2日目に行こうと思っていたのですが、曇天気味の天気、このタイミングになって晴れ間が差してきたので、午後晴天の庭園の美しさを知っている私は、先に天赦園に行くことにしたのです。
というわけで、国指定名勝 天赦園。
宇和島第七代藩主 伊達宗紀公が開き、後に幕末四賢候の一人、伊達宗城を輩出した名園です。 -
天赦園の名の由来は、宇和島初代藩主伊達秀宗の父、伊達と言ったら知らない者のない、独眼竜伊達政宗の漢詩に由来します。
馬上少年過 世平白髪多 残躯天所赦 不楽是如何(馬上に少年過ぎ 世は平にして白髪多し 残躯は天の赦す所 楽しまずして是を如何せん)
時は江戸幕府三代家光の治世、戦国の世を我武者羅に駆け抜け、ついに生き残った長老の述懐として味わい深いものがありますが、伊達宗紀はここを隠棲の場として開いたので、まさに字義通りの庭園ともいえます。 -
入ると藤棚。
伊達は奥州藤原氏の子孫を自称していることもあって、この庭園にも藤は至る所にあります。 -
庭園全体はこんな感じ。
池泉回遊式庭園が基本ですが、実は枯山水も据えられています。
大きさ的には日本三大庭園や、後ほど行く栗林公園には及びませんが、大名庭園として必要なものは一通りある印象です。 -
円に入ると緑の芝生が鮮やか。
奥には花しょうぶが植えられているのですが、ちょっと時期には早かったようで。
5月下旬からが見ごろだそうです。 -
この庭園の特徴の一つは竹で、いたるところに竹が配されています。
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養老の滝。
そろそろ水の手が見えてきます。 -
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一方、左手にはなにやら建物が。
潜渕館(せんえんかん)。
昭和天皇皇太子時の御座所だったこともあるとか。 -
書院式茶亭だそうです。
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なるほど、なかなか。
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ちなみにこの茶室、使うこともできるらしいですね。
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さて、振り返ると。
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池庭が。
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池に面するように建屋が立っています。
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ここは春雨亭といって、宗紀が書を書いたところだったとか。
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上がることができないので表から撮影。
ここは完全に池に面しているので、非常に良い眺めが得られると思います。 -
屋内の眺めに近いアングルからだとこんな感じ。
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では池に沿って回っていこうか、と、歩き始めます。
茶亭側から池を臨みつつ。 -
しばらく進むと、池とは逆の方向に枯流石が。
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昔の私だったら、何だ石か…と、適当に見て水に引っ張られていくところですが、前回の一乗谷朝倉氏庭園で、石の力を学ばせてもらったので、枯山水の味も鑑賞できるようになってきました。
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見えざる水の流れが見えるというか、石組みが描き出す景色が見えるようになっています。
昔の人は庭園を楽しむにも、ずいぶんたくましい想像力をもってしたものです。 -
木々の並びもそうなんですが、苔がまたいい味を出していて。
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物理的な水を流すことなく流れを作っている。
石の芸術です。
実はこの枯川は、伊達発祥の地、仙台を表現しているそうで、つまるところ、この枯山水が表しているのはみちのくの渓流なわけです。 -
枯流石はしばらく行くと藤棚にぶつかります。
藤棚は水の上に据えられていて、そばに花しょうぶ。
私は庭園の花に対しては鑑賞力弱めなんですが、これは奇麗だったので写真に収めました。 -
再び池を回っていきます。
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折しも日が照ってきて、映えるようになってきました。
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この辺で中年の夫婦の方に声を掛けられて。
ずいぶん写真を撮っていたので、『庭園研究されているんですか?』と聞かれたんですが、『好きなので回っているだけですよ』と答えておきました。
学術的なことは全く考えてないんですが、確かに趣味とは言え、我ながらよく廻っているものです。 -
藤棚を橋のように設えているところもあって。
上り藤というそうです。 -
今は緑の橋ですが、季節によっては先ほどの写真のように白くなるのだとか。
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蓬莱島。
池を作り、中央に島を設え、松を植えるというこの様式に美を感じるのは、いったいどこからきているんでしょうね。 -
上り藤をバックに蓬莱島。
松に若干荒々しさを感じますね。 -
こんなのもあって。カモ猟場跡。
昔は海につながっていたそうで、ここから鴨を取って食べていたのだとか。 -
大抵あるんですよね、ソテツ。
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それにしても、確かにこの庭園には竹が多い。
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何種類もあります。
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伊達の家紋が竹に雀なので、これに因んだともいわれています。
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大分小さいですが、州浜。
これも大体どこにもありますね。 -
もう少し後に来ると、水芭蕉満開できれいだったかもしれません。
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個人的には茶室のそばのベンチからの鑑賞が一番好印象でした。
-
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これ、伊達宗城公の腰掛石だったのを後で知りまして。
腰を掛けると頭が良くなる石だったと聞いて、座っとけばよかったなぁ、と。 -
庭園としてあるべき美が一通りそろっている、これほどの景勝が四国にあったとは、と感嘆しきりでした。
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帰りがけに宇和島市立伊達博物館も見てきました。
伊達家ゆかりの品々が展示されていて、特別展として後続ゆかりの品々もいろいろ展示されてましたね。時間がないので駆け足で回りましたが、名家としてずいぶんいろいろ持ってるんだなぁ、と。
ちなみに博物館の庭も割とよくできてたので撮影しておきました。
実はここにも庭園があって、復元したのだとか。 -
さすがにクタクタになったので、ホテルに戻って階下のレストランで夕食。
-
宇和島会席を頼んだら、最後に鯛めしを頂いたんですが、おいしかったですね。
-
このホテルはおそらく宇和島で最も好位置にあるホテルで、こんな感じで宇和島駅の上から市街を一望でき、アクセスも非常に良いのでお勧めです。
というわけで、宇和島にて1日目の夜を明かしたのでした。
以下、次号。
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