2019/02/28 - 2019/02/28
298位(同エリア666件中)
あおしさん
インドに来て6日目。
この日はアグラからジャイプールまで230キロ、車で5時間の移動です。
ジャイプールは独特の建物が並ぶ街並みでした。
https://www.youtube.com/watch?v=msLxey29OxY
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 25万円 - 30万円
- 交通手段
- 徒歩
- 航空会社
- JAL
- 旅行の手配内容
- 個別手配
- 利用旅行会社
- エス・ティー・ワールド
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朝、8時にアグラのホテルを出発。
途中1時間ほど移動した途中で「ファテプール・シクリ」というところに立ち寄り。
車では乗り入れ禁止とのことで、インドのバスに乗り換え。
ぎっしり満員ファテープル・シークリー 史跡・遺跡
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今回の旅行では全くノーマークでしたが、何気にここも世界遺産です。
ムガール帝国、第3代皇帝アクバル大帝の造った城です。 -
連戦連勝で次々にインド内の領土を広げていたアクバルでしたが、悩みの種は跡を継ぐ息子がいなかったこと。
息子がいないとせっかく建て直し、領土を広げたムガール帝国も彼の死により終わってしまいます。
彼にとっては切実な悩みだったのでしょうが、ここにいた神官から「ここに城を造れば息子ができます」と言われて、その気になって造った城です。
保存状態が極めてよく、「インドのボンベイ」と言われています。 -
アクバルの偉大だったところは、イスラム教、ヒンズー教、キリスト教などの宗教に対して寛容だったことです。
彼の宗教差別のない政治姿勢のもとで、あらゆる宗教を問わず、多くの人材が集まり、アクバルを助けました。
現在でもイスラムとヒンズーは対立し、宗教の寛容を説いたガンデイーは「イスラムに甘い」とヒンズー教徒に暗殺され、ヒンズーのインドとイスラムのパキスタンに分裂し、今もミサイルを撃ち合っている現状を見れば、残念ながら400年経過した今でもアクバルの政治姿勢は今も輝きを失っていません。 -
アクバルはキリスト教徒、ヒンズー教徒、イスラム教徒と3人のお妃を持っており、それぞれのお妃ごとに館を立てました。
それぞれの宗教からお妃を迎えることで、宗教対立をなくそうとしたのでしょう。
特に望み通り跡継ぎを産んだイスラム王妃の館は立派で宮殿のようでした。 -
アクバルの宗教寛容政策のもと、ムガール帝国は栄えますが、第6代皇帝・アウランゼーブは熱心なイスラム教徒だったために、宗教寛容政策をやめて、ヒンズー教やキリスト教を弾圧し始めます。
これ以降、ヒンズー教徒の反乱などでムガール帝国は転げ落ちていき、最後はインドはイギリスの植民地となってしまいました。 -
この城は立地が悪いことや、水があまり豊富でなかったため、アクバルは数年でアグラに本拠を移してしまいますが、その反面、戦乱などに巻き込まれず、保存状態が良好でした。
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さて、ここから4時間で、ジャイプール到着。
ジャイプールは街中の建物がピンク(実際は茶色ですが)に染められており、別名「ピンク・シテイ」と呼ばれています。
ピンクではなく、茶色だけどかえって色が落ち着いておりまるで映画のセットか何かのようです。
東京駅のような建物で町がつくられている感じで、独特の街並みをつくっています。 -
ムガール帝国はインド各地に「マハラジャ」と呼ばれる王がいて、その上にムガール帝国皇帝が君臨していました。
ちょうど日本の江戸時代の、徳川将軍と薩摩藩や長州藩の大名のような関係で、歴史学的には「藩王」、領土は「藩王国」と呼ばれています。
ムガール帝国皇帝の「家臣」とはいえ、領土は日本の国並みの広さと人口を有していました。 -
ジャイプール一帯はアクバルに娘を嫁がせて、アクバルのインド制覇を助けたアンベール藩王の国でした。
アンベール藩王はムガール帝国の功労者、第一の重臣として、大幅な自治権を与えれらており、このあたりの古くからの独自の文化が良く残っています。 -
ランチで立ち寄ったレストランではこの地方の民族衣装をきたおじさんが生演奏をしてくれていました。
もっとも、食べ物は例によってカレーででしたが・・・ -
ジャイプールは「ラッシー」の本場です。
いままでは食事の際にはミネラルウオーターだったけどここでは本場ラッシーを。
もっとも結構値段は高く250ルピー、日本円で500円ほど。
インドの物価を考えればバカ高い。
スープは今までと違ってトマトを使ったスープ。 -
さて、まずはこの街の見どころの「シテイ・パレス」へ。
ここはアルベール藩王家の宮殿です。アンベール藩王の宮殿 by あおしさんシティ パレス 史跡・遺跡
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アルベール藩王家はムガール帝国がイギリスにより1857年(明治維新は1868年)に滅ぼされ、イギリス・ビクトリア女王がインド皇帝を兼ねてインドを植民地支配しても藩王家の存続は許されて一定の自治権を与えられていました。
門の文様も見事なものです。 -
まず、門をくぐったところの広場。
街並みと同じ色の壁で囲われていました。 -
藩王と家臣たちの謁見の間です。
この広場からは宮殿の中にも入れますが、撮影禁止。
ただ、藩王とはいえ、さすがムガール帝国一番の重臣。
ムガール皇帝の城にも劣らない豪華さ宮殿でした。 -
第2次世界大戦後、インドが独立するとアルベール藩王家は現在の日本の天皇と同じく政治的な権力は失われましたがこの地方の象徴として現在も続いています。
「シティ・パレス」の中のこの建物がアルベール藩王家の当主が住んでいるところです。ここは立ち入り禁止で衛兵もいました。 -
この建物は今はアルベール王家の歴代の藩王の肖像画や衣服や調度品が展示されていました。
ここも内部は撮影禁止なのは残念。 -
観光客向けの馬車。
アルベール藩王の馬車と同じ馬車です。 -
シテイパレスの近くの「風の宮殿」。
イスラム世界では高貴な女性は外に出て家臣・領民に顔を見せることはできませんでした。
そこで、この建物は王妃や娘たちが街を眺められるように造られた宮殿です。
1000以上の窓があり夏でも風で涼しくしかも町の人たちが彼女たちの顔を見れないように設計されていました。ジャイプールの中心 ランドマークです by あおしさんハワー マハル (風の宮殿) 城・宮殿
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とはいえ、外に出られないなんてイスラムの高貴な女性は大変です。
雅子妃も皇居に閉じ込められて適応障害になってしまいましたが、たまにはお外で羽を伸ばさないとね。 -
ジャイプールのホテルは1787年(日本でいえば江戸時代後期)創業の宮殿のようなホテルでした。
ちょっとばかり王侯貴族の気分。
宮殿のようなホテル by あおしさんホテル ビサウ パレス ホテル
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もっとも部屋はおんぼろでした。
200年前だったら豪華なホテル(お屋敷?)だったんでしょうけど。 -
ホテルで一息入れたあと、ガイドさんと別れて、1人でぶらぶらと町歩き。
歩いていると、ピンクか茶色かは置いといて、まるで映画のセットのような街並みを実感できます。 -
この建物は団地のようです。
こういう建物で過ごすのもいいなあ。 -
街の中心はやはりインドは人が多いので大賑わい、大混雑。
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商店街です。
ここは衣服の店が並ぶ、日本でいえば「呉服町」と言ったところです。 -
ジャイプールも町全体が城壁で囲まれており、ところどころに城門あります。
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夜の城門もとてもきれいでした。
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ホテル ビサウ パレス
3.04
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旅行記グループ 初めてのインド 9日間
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