2019/03/02 - 2019/03/02
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PHOPHOCHANGさん
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1月3日、松本からの帰路、途中でお昼を食べようと降り立ったのがたまたま塩山でした。駅前の店でほうとうを食べても電車が来るまでに余裕が有ったので、駅の反対側に足を延ばすと、年末年始はオープンしていなかったものの、甘草屋敷と言う立派な(重要文化財)古民家が在りました。
今度入れる時期に来てみよう、そう思っていたところ、「ひな飾りと桃の花まつり」のメイン会場がその甘草屋敷だと知り、春の青春18きっぷの売り出しを待って、再び出かけて来ました。
甘草屋敷でイベントに参加した後は、武田信玄公の菩提寺の恵林寺へ向かいます。
erinji.jp/
3月はまだ登山シーズンではないのでバスの本数が少なく、その発着時間を中心に動かなくてはなりません
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塩山駅南口バス乗り場から11:25出発です。
お腹が空きましたが食事している時間は無いので、恵林寺参道辺りで何か探します -
塩山駅から乗って恵林寺前で降りたのはPHOを含め、おばぁさんばかり3人。
何と帰りのバス停でもその方々とご一緒に -
11:36着で恵林寺にやって来ました。
帰りは13:59に乗るか、15:29まで居るか迷うところですが、食事をして放光寺まで足を延ばすとしたら、15:29の終バスになってしまうのは間違い無いところです -
恵林寺の総門は黒塗りなので黒門と称されている薬医門形式です
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格式を感じる松の木
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黒門はバス通りに面した駐車場を抜けて直ぐなのですが、此処をくぐると雰囲気が変わります
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いかにも参道らしい参道で、奥に朱色の四脚門、通称赤門(赤いから)が見えます
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四脚門(赤門)。
甲州征伐で焼失した後、徳川家康の再建と伝えられるもので、国の重要文化財。 恵林寺の山号である「乾徳山」の額を門の上に掲げています -
で、予想と違ってお店が全く在りません。
唯一、赤門手前の角に在るのが、こちら。
バス通りに戻って昼ご飯場所探します -
お食事処はやし。
黒門から参道を歩いて来て、赤門手前の十字路(桔梗信玄餅の出店が在った角)を左に曲がり、バス通りに出てすぐです -
各テーブルにコンロ=ガチで焼き肉店でしょう。
でも、ほうとうも有ります -
甲州ほうとう。
肉入ってません。ほうとう(麺?)が少し粉っぽいように感じましたが、逆にそれが素朴なほうとうって感じ。
お店で作っているらしい唐辛子味噌が美味しかったので、買って帰ろうかと思いましたが、量が多かった(だから値段もそれなりな)ので止めました -
赤門前に戻って来ました
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道の左右は庭園
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三門。
ここを「三門」と称するのは、涅槃に入るための三解脱門すなわち空門・無相門・無願門の意を託して表しているからです。 構造は、一間一戸、楼門形式で、小規模ながら総体的に溢れる重厚・荘厳さは、桃山文化の建築物の面影を示し、あまた存在する禅宗寺院の山門の中でも逸品とされています -
恵林寺の三門は、武田信玄の師であった快川紹喜の伝説が残された門です。
天正10(1582)年4月3日、武田征伐によって武田氏を滅ぼした織田信長は恵林寺に匿われていた佐々木次郎(六角義定)の引渡し要求しますが、これを拒否された事から快川をはじめとする100余名の僧を三門に封じ込め、恵林寺を焼き討ちしました。
快川は燃え盛る三門の楼上で「安禅不必須山水 滅却心頭火自涼」と偈を発して火定(要は焼死)したと伝えられています。
心頭滅却すれば火も自ずから涼し。
あまりにも有名 -
快川国師の墓(焼き討ち犠牲になった人々の遺骨が埋葬されています)。
碑には「天正亡諸大和尚諸位禅師安骨場」とありました。
三門のすぐ内側です -
三門内から赤門を望む
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開山堂。
三門正面に在ります。甲州市指定文化財で、堂内には夢窓疎石、快川紹喜、末宗瑞曷の三像が安置されています -
開山堂兼法堂
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凝った彫刻
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夢窓国師像(県重要文化財)。
木彫寄木造り坐像で像高72センチ、胴部は木造であるが、頭部のみは塑像、玉眼入りという非常に珍しいもので、全体が布着せ胡粉地に彩色を施しています。
夢窓国師は元徳2(1330)年9月に甲斐守護の二階堂貞藤(道蘊)に招かれ牧庄内に恵林寺を創建しました -
中央に夢窓国師。
向かって右に快川国師。
左に末宗和尚 -
勅使門
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仏舎利宝塔(三重塔)は納骨堂です
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これは何でしょう?
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武田信玄公の墓所の入口となっている大庫裡へと向かいます。
それがこの門の中 -
大庫裡の入口には「武田信玄公訓言」と書かれた石碑が立てられており、こんな内容が書かれていました。
「およそ軍勝五分を以って上と為し、七分を中となし、十分を以って下と為す。その故は五分は励みを生じ、七分は怠りを生じ、十分は驕りをするが故。たとえ戦に十分の勝を得るとも、驕りを生ずれば次には必ず敗るるものなり。すべて戦に限らず世の中のことこの心がけ肝要なり。」
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大庫裡。
禅寺の中でも珍しい、日本有数の大庫裡です。信長による焼き討ちの後、徳川家康によって再建された壮大な伽藍は、明治38(1905)年の火災によってその殆どを焼失してしまいました。現在の本堂、庫裏も、明治末期に再建されたものです -
舟天井
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方丈
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本堂の正面を進むと、左手に見えるのが枯山水式の庭園です。
右端にチラッと見えてるのが勅使門 -
鬼瓦が置かれていたり、何となく雑然としてるように感じてしまいました。そんな事無いんでしょうけど
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本堂にはご本尊の釈迦如来が安置されているのだそうですが、見ていません。この外廊下と石庭に気を取られて、今になって「そう言えば」と思い返す次第(どんだけ不信心なんだか)
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この太鼓橋を渡ってうぐいす廊下を経て墓所(明王殿=武田不動尊)へ
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方丈庭園を抜けた先には「信玄公の墓所」へと続く「うぐいす廊下」。人が床の板の上を歩く事によって軋み音が鳴る様につくられた仕組みで、外部侵入者の危険探知の為に設けられたのが始まりです。廊下を歩くと、正にうぐいすの鳴き声のように歩を進めるごとに「きゅっ、きゅっ」と鳴り響きます
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途中でお目にかかって見惚れた仏様
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信玄公の墓所へ直接お参り出来るのは月命日の12日だけとなってます(以前は毎日出来ましたけど)。それ以外の日は、此処に祀られている不動尊をお参りしてください
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武田不動尊と二童子像。
明王殿には、信玄公が31の時、比叡山から大僧正位を受けた記念に、京の仏師康清を招き、対面で自らの姿を模刻させたという等身大の「武田不動尊」が安置されています。
剃髪した際の頭髪を焼いて彩色されたとか、漆に毛髪を混ぜて胸部に塗り込めたとか、髪の毛モノの伝承が多いのは生前の入道姿が皆の印象に有るせいなのでしょうか?
どう見ても等身大とは思えない小ささでした。距離のせいと言うより、信玄公が元々小柄だったとか?てか、模刻させたと言う割りには、どう見てもこの憤怒の表情は不動明王そのまんまですよね。右手に剣、左手に索も儀軌通りの造形だし -
明王殿(御霊屋)の奥、塀の隙間から覗き見してみた信玄公の墓所は五輪塔と宝篋印塔の二基から成っているようです(12日は正面の門から拝観可能)
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武田家家臣の墓約70基も後陣に並んでいます。
死してなお信玄公とともにある、忠臣たちの墓です -
柳沢美濃守吉保墓所。
徳川幕府五代将軍綱吉の側用人だった柳沢吉保公の墓所です。正室・定子の墓石も並んでいます。自らの出自が信玄公と同じ甲斐源氏の一族、武川衆であることを強く自負していた吉保公の想いを汲んで、吉保公夫妻の墓所のみ、ここ恵林寺に設けられました -
吉保公と正室定子(曽雌氏)の墓塔。
花崗岩で二重蓮座台、六角形状で吉保公の墓が高さ227cm、幅120cm、また定子夫人の墓は高さ200cm、幅120cm。吉保公が在世中の宝永5(1708)年に甲府城外の北方に位置する岩窪の地(甲府市岩窪町)に菩提寺として建立した黄檗宗の龍華山永慶寺と夫人の牌所となっていた塔頭真光院にあったものを、享保9(1724)年3月、柳沢家の大和郡山への転封の折に嫡男吉里の懇望で急遽恵林寺へ改葬されました。
吉保公は五代将軍徳川綱吉治世下、側近として文治派政治を推し進めた政治家であるが、綱吉時代の弊政を一身に背負わされたため、史実とは裏腹に後世にまで悪官僚視され、損な役まわりを引き受けざる得なかった人物です(現代のドラマや小説では悪役的描かれ方する事が多い吉保公です)が、いずれも後人の作為よるもので、定子夫人も賢婦人であった事は史実によって明らかです。
吉保墓塔の正面には「永慶寺殿保山元養大居士」と陰刻され、夫人墓塔も陰刻で「真光院殿海月映珊大師」とあります。
吉保公は正徳4(1714)年11月2日、57歳で江戸・駒込の六義園(柳沢家別邸、東京都文京区駒込、国指定特別名勝)で死去、定子夫人はその前年の9月5日、同別邸で死去(53歳)しており、ともに甲府へ移葬されました -
吉保公霊廟
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木造柳沢吉保公坐像。
江戸時代(18世紀)に制作された吉保公の坐像です。廟の中に安置された像は木造・玉眼・彩色。高さは85㎝。束帯で公事に着用する正装姿で、吉保自筆の納め状によると正徳元(1711)年に奉納安置されました。 像内幹部前面材上方の墨書によれば、宝永7(1710)年11月、吉保53歳の姿の写し、仏師・大下浄慶の作とされています -
お寺や庭を見に来ていると言うより、好きな構図をカメラ越しに見つけている感じ
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すみません、野菜には「お」を付けない派なんです
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方丈裏には国の名勝指定を受けている庭園が広がっています。今日、恵林寺の庭園は、京都嵯峨野の天龍寺、嵐山の西芳寺(苔寺)庭園とともに、夢窓国師の代表的な築庭庭園として有名です。700年近い歴史を経たその姿は、四季折々に違った情景を見せてくれますが、この時期は色が無さ過ぎて
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飛行機雲が交差
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せめて枝垂れ桜が咲いていてくれたら…
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池泉回遊式の庭園です。笛吹川の水が心の字池に注いでいます
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恵林寺見取図
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庫裡の鬼瓦。
高さだけでも2.5m程は有りそうです。
恵林寺は織田信長によって焼き討ちに遭い、その後は徳川家の支援で再興されましたが、この巨大な鬼瓦は焼き討ち以前の恵林寺の鬼瓦だそうです -
玄関から中庭を見ると
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凝った松があちこちに
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鐘楼。
ねぇ、これどうやって突くの? -
PHOは四脚門から三門の左右に広がる庭園の方が好きでした
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武田不動尊への参道(さっき中に居ましたね)
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でも此処からは入れません
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放光寺へ向かう前に甘い物補給して休憩、と思ったらテイクアウトしか出来ませんと言われてしまったお店。テーブルとか在ったんだけどな。しかもヨモギ団子と握り飯が幾つか有るだけでした。一応婆ちゃんのお土産用に2個だけ買いました。
はっきり道が判らないまま、とにかく裏道歩きます
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