2018/11/17 - 2018/11/18
57位(同エリア387件中)
クッキーさん
柳川の川下りは「お堀めぐり」です。 七曲り、七めぐりして下っていきます。
柳川市は市全体に「堀」が大規模に巡る「水郷のまち」です。
約410年前柳河城築城のおりに、城下町を形成し、防敵をも目的として 人工的に堀を掘って整備されました。
もともと海に近い低くじめじめした湿地帯に「堀」を掘り、掘り起こした泥を盛り上げて乾田をつくり、「堀」は貯水池として生活用水、農業用水、さらには地下水を涵養し地盤沈下を防ぐなど、他に代替できない機能で、柳川の人々の生活、柳川土地全体を支えてきました。
今なお残るその美しい掘割は柳川の生活に根付いています。
川下りが始まったきっかけは、昭和29年に公開された映画『からたちの花』。柳川出身の詩人、北原白秋の少年時代を描いた長谷健の小説が原作の作品で、柳川で撮影が行われました。
映画に登場した川遊びが注目を浴びたことを機に、柳川市は2艘のどんこ舟で観光客向けに川下りを始めました。
船内は飲食自由で、弁当や飲み物を持ち込むこともできます。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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バス停で降りて 駅構内に沿って歩き、エレベーターに乗って上の階へ。跨線橋を進むと その先の広場の向こうに、ホテル・ルートイン柳川駅前が見えてきました。
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コンパクトにまとまった シングルの部屋。
朝食込みで6,850円。 -
バスルームは機能的。
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柳川での一番の目的は 舟下り。
市内には4カ所の川下り会社がありますが、乗船場が 西鉄柳川駅から一番近い「水郷柳川観光」を利用しました。
下百町交差点にある「下百町(しもひゃくちょう)乗下船場」へ向かいます。 -
下百町から 柳川藩主立花邸であった御花までの川下りが楽しめるコース。乗船料金は大人1,500円、約60分のコースです。
乗客がある程度集まるまで 待機所に集合、他の観光客と乗り合わせで出発します。舟下り乗り場には 多くのどんこ舟が待機しているのですが、稼働しているのは数隻のようで、待合室でしばらく待ちました。 -
15:25
乗下船場では、靴を脱いで どんこ船に乗り込みます。乗る時には 揺れるかなと思いましたが、意外とスムーズに乗れました。
しばらく待ったおかげで 一番前の位置に座ることができました。
出発してすぐに橋の下をくぐります。 -
一つの橋をくぐると、その先には また次の橋が。
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眼鏡橋みたい。
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掘割側は 家の裏にあたると思うのだけど、我が家の裏側に比べて きれいな設えの家々です。
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この橋は 443号線。
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どんこ舟とは、ハゼ類のドンコという魚に似ていることから そう呼ばれるそう。
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柳川というその名の通り、川沿いに並ぶ柳の木が美しい。
川の真ん中をゆっくりと進むどんこ舟。 -
15:33
春の芽吹き時ではありませんが 十分青々とした柳の木々です。
背後は 柳川古文書館? -
どんこ舟の先頭に座れているので、右も左も見渡せます。
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前方に 趣のある建物が見えてきました。
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15:36
掘割を進むと、右手に 狭い水門が現れました。 -
あまりにも雰囲気がいいので ズーム。
左手の建物は 白柳荘かな? -
これは 柳川城堀水門。ここからが立花藩の城内となり 内堀に入ります。
水門は幅2.6m、高さ3.5m。幅はギリギリです。
船頭さん曰く、今日は水嵩が低いからまだ余裕ですって。 -
低い橋の下をくぐる時は、みんなで頭をさげ、ちょっとしたアトラクション感覚。
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そこからはまた広い堀に。ここからが「お堀巡り」のスタートです。
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途中、柳川市出身の詩人・北原白秋の詩を記した石碑、
「ついかがむ 乙(おと)の女童(めわらわ)影揺れて まだ寝起きらし 朝の汲水場に」は、女の子が早朝家の手伝いで汲水場にいる様子を詠んだ詩。 -
お堀の両岸は民家。
こんな風に堀が張り巡らされた柳川は 「水が豊かな地域」と思ってしまいますが、実は真水を得にくい地理的条件があるのだとか。
柳川は、筑後川が運んだ土砂でつくられた沖積平野。最大6mの干満の差がある有明海では、干潮時には大きな干潟が出現します。
柳川に限らず、河口付近の平野の耕地化は、こうした干潟に掘割を切って排水を促し、掘り上げた土を盛ることによってつくられてきたそうです。 -
河口付近の低湿地を人力で耕地化するには、尋常でない努力が必要。井戸を掘っても真水が得られないから、干拓地は水源に乏しく 頼れるのは雨水と川水だけ。
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掘割は、土地の水はけのためにつくられ、そこから掘り上げられた土は耕地や住宅地や土居(堤防)に利用され、さらに真水を蓄える「溜池」機能も果たすのだとか。
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どの家も掘割に面しているので、水汲み場があり、「水くん場」と呼ばれて親しまれてきた。
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堀の水は 思っていた以上にきれいです。
ちなみにこの掘割、全部繋げると930kmになるとか!東京―大阪間が約500kmですから すごいですね。 -
水辺で寛ぐ人の姿も見えます。
遊歩道のようなものも 整備されている様子。 -
城下町の名残りを感じさせる 平瓦を敷き詰めた白いなまこ壁。
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趣きのある掘割です。
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この辺りで お決まりの記念撮影がありました。
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15:49
明治後期の建物、赤レンガの並倉。
ここは外堀と内堀の分岐点。まっすぐ進むと外堀に入ります。
西日さし 水路は埋む臺灣藻(ウォーターヒヤシンス)の花
白秋が詩に詠った「並倉」は、明治3(1871)年から続く鶴味噌醸造の今も現役の味噌蔵です。
大正初期(1912年~1918年頃)の建築で、赤いレンガ造りの蔵が3棟並び、柳川の観光名所のひとつにもなっています。
以前は、汲水場が併設され、掘割の水を引き込んでいました。
堀の反対側の路地に店舗兼工場の入口があります。なまこ壁の土蔵があります。並倉とどっちが古いかわからない風情です。 -
手前のお兄さんは、船頭さんの見習いだそうです。
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ここで右手に曲がります。
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両岸から 木々が覆いかぶさり、
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まるで森の中を進んでいるかのような趣き。
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その先は また堀が広くなって、
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緑に覆われた橋。
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たおやかな柳の並木。
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16:01
掘割沿いの風景にも 少し飽きてきた頃、何やら賑やかな場所が見えてきました。
乗船しながら購入できる「水上売店 一期一会」への寄り道です。 -
いわば“水上のドライブスルー”!船頭さんの巧みな竿さばきでどんこ舟を水上売店に横付け。
コーヒーや甘酒、おつまみなど 色んなメニューがあります。
どんこ舟はちゃんと停泊してくれるので、ゆっくりお支払い。 -
「揚げ餅」を購入。
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揚げ餅を頬張ると、少しだれてきた気分も一新。
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16:08
どなたかの像。 -
一番狭い橋「弥兵衛門(やえもん)橋」。こんな狭い橋をくぐるのは スリル満点。この 部分的に狭くなっているのには理由があります。
掘割では 水はゆっくりと流れますが、大切な水をいっそう長く滞留させ活用するために、「もたせ」という工夫を考え出されています。
「もたせ」を俯瞰すると、橋が架かっている場所などでは、堀の幅が狭まっています。幅が狭くなっているので、その手前で水はいったん、滞留します。狭い所を流れるときは速くなるので、水を撹拌して酸素を取り込む作用もあるのです。 -
「もたせ」を断面方向に見ると、上が開いた台形につくられています。このため、水が増えたときに貯留できる水量は、少ないときよりも多くなります。こうしておけば、満潮時に雨が降って排水できないときにも、掘割に貯留することで氾濫を防ぐことができ、たとえ氾濫しても、じわじわあふれるだけで、潮が引くときに、掘割が排水路の役目を担ってくれるのです。
つまり掘割には、少ない水を有効に利用する利水機能と、水勢や水量を調整して洪水を防ぐ治水機能が一体となった、非常に賢いシステムがあるのです。 -
16:10
昔、フナやコイ、ドジョウなどを捕っていた「くもで網」。
こちらは本物ではなく、ディスプレイ用に作られたもの -
待ちぼうけ 待ちぼうけ ある日せっせと野良稼ぎ…」。木の根っこで獲物を待つ子供の姿の銅像は、コースの終盤にあります。たぶんこの辺りだったと思うのですが、見損なったのか、撮り損ねたのか…と思っていたら、左端に小さく写っていました。
作家・壇一雄の文学碑もあります。父方の実家が柳川だそう。
掘割沿いの遊歩道は、時間切れと体力不足で 歩けませんでした。 -
待ちぼうけの像の写真は お借りしたもの。
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民家の堀側には階段があり、昔は 汲水場(くみず)で洗濯もしていたとか。
たわわに実った柑橘。名前は聞いたけれど 記憶になし。食べても美味しくないそうです。 -
掘割沿いに作られた 階段状の観覧席。
川下りのどんこ舟に雅楽隊、男びな・女びなの扮装の男女、そして晴れ着姿の幼女が乗り込み、川下りコースをゆっくりと進むという「おひな様水上パレード」の観覧席だと聞いたような・・・ -
16:26
「御花」に続く船着き場が終点。 -
船着き場から。
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情緒あふれる風景です。
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御花の西洋館。
「御花」は柳川藩5代藩主が1738年に家族と過ごすための場所として「御花島」と呼ばれた地に屋敷を建てたのが始まりです。
江戸時代、途中で改易された大名も珍しくない中、立花家は柳川藩主のまま明治時代を迎えます。「御花」は立花伯爵家の邸宅となり、14代当主により、明治42年に迎賓館としての西洋館に大広間のある和館が続いた形に整えられます。 -
16:30
「御花」は 敷地全体が「立花氏庭園」として国の名勝に指定されている観光スポット。ここは 翌日に見学する予定。
川下りは片道運航。下船後はゆっくり観光しながら歩いて帰るもよし、無料送迎車も用意されているということで、門の外でバスを待ちました。
一応の時刻は表示されていましたが 変則運行のようになっていて、乗ったバスは若干の乗客を積み残して出発しました。 -
一度 ホテルに戻り 1時間ほど休んだ後、駅で友達と待ち合わせ。
駅近くの うなぎ専門店へ。 -
18:25
柳川と言えば 鰻のせいろ蒸しが有名ですが、シニア主婦の二人は こんな可愛らしい 盛り合わせ料理を注文。
いろいろな味が楽しめ、目も楽しませまてくれました。
1年ぶりの再会で 話も弾みます。 -
7:24
翌朝 ホテルの朝食。旅行中は 和食がうれしい。 -
8:47
バスで 御花の近くまで行き、掘割沿いを街歩き。 -
柳川観光の穴場スポットと聞いて 向かった先は「江戸小路すずめの時間」。川下りの船着場近くの小道の中にある雰囲気抜群のブックカフェだそう。
私道のような 裏路地を歩きます。路地は もう少し風情があるかと期待していましたが、いたって普通の路地でした。
入り組んだ路地の奥、生い茂った庭が見えました。店内からは旧椛島邸庭園の美しい風景を眺めることができるということなので、ここでしょうか? -
朝早いせいか まだ開店前のよう。
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さらに歩いて 御花へ。開館時間まで少し待ち、西洋館の奥にある対月館へ。
入ってすぐのロビー脇には こんなオブジェが飾られていました。 -
対月館の二階テラスから見る 大広間に面する日本庭園「松濤園(しょうとうえん)」。
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終戦後、旧華族たちが困窮する中、当主であった立花和雄と夫人文子は、旧伯爵邸を利用して「料亭旅館 御花」を営むことになりました。柳川の観光拠点として、また、大名文化を伝える場として徐々に親しまれるようになったそう。
商才があった方々なんですね。 -
テラスから 舟下りの舟が見えました。
池の水は 柳川城の堀の水を循環させるように作ってあり、生き物が豊富なためか冬場には野鴨が飛来し、冬の風物詩となっているそうです。 -
一階から 庭に下りられます。
宮城県松島の景観を模した日本庭園松濤園は、海に見立てられた池と その周りに無数の石が鏤められています。 -
常緑の松の緑が美しい池庭「松濤園」は、クロマツに囲まれた池庭であることから名付けられました。辺りに280本以上の老松が繁茂し、彩りを添えています。
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この先の大広間へは行けないらしく、入口辺りで頭上に目をやると 兜が多数展示されていました。立花家史料館でも展示されている「金箔押桃形兜」。
兜の下の長押(なげし)に打った釘隠し(釘の頭を隠すためにつけられた木製や金属製の装飾のこと)がお花の飾りになっています。
さらには 天井から下がっている電灯の笠も お花の形ですね。 -
こんな お花の飾りが見られるそう。
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西洋館へ向かう廊下。
柳川の雛祭りで飾る「さげもん」は、江戸末期頃より、女の子が生まれると初節句のお祝いとして お雛様の代わりに古着の端切れで小物を作り飾ってお祝いしたのが始まりだと言われています。
柳川地方では、昔から女の子が生まれると初節句に子供の健やかな成長を願い、ひな段と一緒に色とりどりの「さげもん」を飾り、盛大に祝うのが習わしだとか。
さげもんとは、縁起の良い鶴やウサギ、ひよこ、這い人形などの布細工と鮮やかな糸で巻き上げた「柳川まり」とを組み合わせたもので、「幸福」「健康」など、母親、祖母、親戚等の願いが込められています。
柳川さげもんは柳川藩の奥女中が着物の残り布で、子どものおもちゃや琴爪入れを作ったのが始まり。そのうち、それらを下げて楽しむ様になり、今日に至っているそうです。 -
小物には、鶴、亀、えび、三番叟といった縁起の良い小物がさげられ、一つ一つ袋ものになって物を入れることができます。竹の輪に、7個7連に49個の小物と、中央に大きな柳川まりを2個さげて全部で51個。
さげる順序は上中段に飛ぶもの、山のもの、木になる(咲く)、中下段に水中のもの、動物、人形を基本としてます。最下段は這い人形、柳川まりだそう。 -
二階の広間。漆喰で造り上げられた天井の装飾が見事。シャンデリアもそのまま。
まだ電気が通っていなかった当時、立花家はなんと自家発電していたそう。 -
さげもんが吊るされた 撮影スポット。
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天井が高い洋間に置かれた 和風家具。
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階段は幅が広く、踊り場などもゆったりしています。
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手すりに施された 繊細な模様。
洋館の玄関ホールに並ぶ 手の込んだ細工がされた柱は、まるで神殿のようで、賓客をもてなすにふさわしい威厳があるということですが、中から入ったので 見られず 片手落ちの見学でした。 -
2月初旬から4月初旬の「柳川雛祭り さげもんめぐり」の期間中は、堀割に「さげもん」と呼ばれる吊るしびなが飾られ華やかに。
また、おひな様水上パレードの日には、おひな様に扮した子どもたちがどんこ舟で川上りする様子を見ることもできるそうです。 -
「御花」内部を サクサクと見終えたので、「立花家史料館」も見学。
武具甲冑など約5000点もの大名道具や、近代伯爵家資料などが、収蔵されています。見所は 甲冑や兜、刀剣などだそうですが・・・
目を引いたのは、このような小物類。 -
香炉各種。
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備前綴目水差。赤水差 銘 面壁(めんぺき)。三島唐津暦手(こよみで)水差。
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面白い形の蓋置が勢ぞろい、遊び心満載です。
栄螺(さざえ)蓋置。 青磁火舎香炉(せいじほやこうろ)蓋置。
三閑人(さんかんじん)蓋置。 蓮の葉被り人形蓋置。 -
瀬戸茶壷 銘 養老。
堂々とした姿かたちの茶壺です。 -
唐物茶壷(るそん壷)。
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葵紋入皆具。
黒漆塗祇園守紋橘紋散らし台子。
高貴な雰囲気が感じ取れます。 -
茄子(なす)茶入。
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茶箱。
野点など どこでも好きな時に、特別な空間をつくることができるもの。
初めて実物を見ることができました。 -
有職雛(ゆうそくびな)。
立花家の姫さまたちから大切に受け継がれてきた雛人形と雛調度。
江戸時代に上流階級で流行したといわれる極小サイズの雛道具は 婚礼調度のミニチュア版とも考えられ、また生まれた子どもが道具について学習でき、 情操教育の一環として小さい頃から遊びながら道具の使い方などを学 習していったものとも考えられるそうです。
筝、三味線、胡弓の三曲、 碁盤、将棋盤、双六盤の三面や文房具等様々な物があったそうです。 -
牡丹唐草蒔絵雛調度。
ひな道具の貝桶と 指先に乗るほどの小さな貝合わせの貝。
貝の一つ一つに 絵が描かれています。 -
この女乗物は、梅唐草文様に二重の祇園守紋が蒔絵であらわされ、柳川藩主夫人の所用とみられています。
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賀茂人形は、柳や黄楊(つげ)の素材を用い、筋をつけ、布を押し込んだ「木目込人形の元祖」と言える人形です。元文年間(1736-42)に京都の上賀茂神社の雑掌、高橋忠重が柳筥(やないばこ)を作った余材で人形を制作し、神職装束の残り布を衣装に使用しました。
これらの豆賀茂人形の高さは約2cm。立花家には243体の賀茂人形が伝わっており、それらは底に錘を仕込んだ起き上がり仕様。何度倒れてもそのたびにニコニコと起き上がってくる七福神なのだとか。 -
賀茂人形・裸坊。
この子たちの顔が とっても可愛いんです。 -
雛調度もミニチュア仕様。
-
御花園内の案内図。
とても複雑な構造で、どのお部屋を見学したのか よく分かりません。 -
9:48
名残惜しく、最後に 掘割の風景を1枚。
まるで 時代劇に出てきそうな風景です。 -
9:58
大通りを歩いて 柳川城址まで。柳川城址の案内図に描かれた かつての城。
柳川の立花家について調べてみると、面白いことが…
豊臣秀吉が九州を平定したのちは、秀吉のおぼえもめでたく、念願だった独立大名へ。13万石の城主として柳川に城を構えた 藩祖・立花宗茂。
関ヶ原の合戦では、やはり西軍に付いたため、関が原の決戦の結果、宗茂も改易されてしまいます。
わずかな家臣をひきつれ、京・上方で、なんとか徳川家の許しを得ようと浪人生活をしながら頑張り、6年たってようやく徳川秀忠に拝謁(はいえつ)を許され、
その後 奥州で1万石の大名に戻れたのです。西軍に付いた者が大名に返り咲いたなんてすごいこと。 -
大通りから 小径を入ると、石垣が見えてきました。
一方、関が原の戦いの後、柳川を含む筑後一帯は田中吉政に与えられます。田中氏は 堤防の補強や道路網の整備など、城下町柳川の基礎を造りました。しかし、吉政の跡を継いだ忠政が、跡継ぎがないままになくなってしまいます。
その結果、柳川城主として立花宗茂が復活!関が原から20年をかけての、奇跡の復活劇でした。 -
かつての城跡は 柳川高等学校と柳城中学校のキャンパスとなり、遺構は天守台、石垣、堀が 柳川城本丸跡として残っているのみ。
これだけの石垣だけでは さすがの石垣フェチの私でも がっかりのレベル。 -
柳川城址。
天守台跡は柳城中学校の運動場の一角にあり、地元では「へそくり山」と呼ばれ、その勾配が運動部員のトレーニング場として利用されているそうですが、これがそうなのでしょうか?
この後、ホテルでスーツケースをピックアップして 大宰府へ向かいます。
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