2019/03/02 - 2019/03/03
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nichiさん
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スキーと花見を終え、まずは甲斐善光寺へ。
武田信玄とかかわりが深い由緒あるお寺です。
そして東光寺。
ここのお庭は有名らしいのですが、残念ながらお留守のようで反応が無く入れませんでした。
残念。
でもこの東光寺。
歴史好きにはたまらないお寺でした。
諏訪頼重や武田義信が幽閉されて切腹したお寺なんです!!
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
不老園から車で3分。
甲斐善光寺にやってきました。 -
建立は1,558年。
上杉謙信との川中島の戦いで、信濃善光寺の消失を恐れた武田信玄が御本尊善光寺如来や諸仏寺宝類を奉遷しました。 -
武田氏滅亡の後、御本尊は織田・徳川・豊臣氏を転々としますが、1598年にここに戻りました。
時代に翻弄された御本尊善光寺如来や諸仏寺宝類ですね。 -
1796年に再建された本堂です。
正面梁行き23.6m、正面屋根幅30.8m、側面桁行38.0m、総奥行49.1m、総高27m、建坪310.8坪という、東日本最大級の木造建築です。
目の前の松が見事です。 -
大香炉越しに本堂を臨みます。
1,754年の門前の大火で本堂は焼失しました。 -
お参りします。
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本堂の中です。
ここには長野善光寺と同じく、「お戒壇廻り」があります。
一寸先も見えない暗闇の中を手探りで進み、やがて御本尊様の真下に懸かる「極楽のお錠前」に触れて出てくる「行」です。
でももうお昼を過ぎてお腹が空いていたのでパス! -
「武田信玄訓書」
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これは信玄公。
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長野善光寺と書体が違います。
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本堂を振り返ります。
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本堂の横で梅が咲いていました。
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善光寺銅鐘です。
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この鐘、鎌倉時代に鋳造された梵鐘なんですね。
ひえーーーー!
か。ま。く。ら。
武田信玄が、信濃から引きずって運んだと伝えられ、傷が著しいため、「引き摺りの鐘」と言われています。 -
総高181.8cm、口径90.5cm。
鐘楼堂で、現在も時の鐘を告げています。 -
本堂の奥に綺麗な池がありました。
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多くの大きな鯉が泳いでいました。
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山門を振り返ります。
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重層の楼門で、桁行16.88m、梁行6.75m、屋根幅22.9m、棟高15m。
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山門から後ろに引いて眺めてみます。
参道の奥に本堂が見えます。 -
甲斐善光寺は正式名称を「定額山浄智院善光寺」と言います。
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和様と唐様を折衷した山門です。
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一回本堂と共に焼失し、江戸時代に再建された入母屋造の山門です。
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最後に山門から本堂を眺めてみます。
堂々たる本堂ですね。 -
甲斐善光寺から車で5分。
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甲府五山 東光寺 にやってきました。
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甲府五山(こうふござん)とは、武田信玄により定められた甲府における禅宗の寺格のこと。
甲府市内にある東光寺 能成寺 長禅寺 円光院 法泉寺 の5つの禅寺のことです。 -
入口にはこのような仏さまの石仏が、、、
一つの石に複数の仏さまが彫られています。 -
この東光寺は、創建不明。
平安時代(平安2年 1121年)源義光(新羅三郎)が国家鎮護と仏法繁盛の祈願所として諸堂を再興し、寺号を興国院としました。
その後荒廃しましたが、鎌倉時代になり、蘭渓道隆が禅宗寺院として再興しました。
名称が「東光寺」となったは、この鎌倉時代です。 -
細長い参道を歩いて奥に進みます。
仏殿と鐘堂が見えます。 -
国の重要文化財なんですね。
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このお寺は庭園が有名のようです。
法堂の裏手にのびる山畔を活かした庭のようです。
ちょっと楽しみ。 -
俗名「池泉鑑賞式庭園」となっています。
更にワクワクします。
どんなお庭なんでしょう?? -
奥に本堂が見えます。
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このお庭も素敵ですが、見たいのは裏手にあるお庭。
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この庭も素敵です。
池の松がGOOD!! -
枯山水も。
見たいお庭はこれより凄いんだろうなー?
と期待が膨らみます。 -
鐘堂。
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ここから上がってお庭を拝見するようです。
「すみませーん!」
家内が声をかけますが、反応がありません。 -
庭園拝観受付
300円のようです。
「拝観の方三打してください」
とあるので、家内が木槌で「魚板」を3回叩きます。
乾いたいい音がお寺の中に響きます。
もう一回同じことをやってみますが反応がありません。
蘭渓道隆の作庭とされる鎌倉時代の池泉鑑賞式庭園、
山畔斜面には石組、平坦地は池が広がっているようです。
見たかったなぁーー
残念。 -
有名なお庭の鑑賞は諦めて、仏殿へ。
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木造薬師如来坐像が安置されているはずです。
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檜皮葺きの禅宗様仏殿で入母屋造です。
かっこいいですね。
スマホでググっていた家内が「えーっ!」と声を上げました。
実はこのお寺、1,543年武田信玄の諏訪侵攻によって諏訪頼重が連行された時に幽閉されたお寺のようです。
頼重はこの寺で自害したとのこと。
更にびっくりしたのは、武田信玄嫡男であった武田義信が、あらぬ謀反の疑いをかけられて1,565年に幽閉されたお寺なんです。
ひえーーー!
そんな歴史上有名なことがここで、、、
さらに義信はこの東光寺で切腹しています。
歴史好きの私たちシニア夫婦にとってみると、義信は不運の名将のイメージです。
武田信玄と正室・三条夫人の長男であり、確実に武田家の跡継ぎナンバー1。
従妹である今川義元の娘を正室にし、将軍足利義輝から「義」の字を受け、義信と名乗るようになりました。
もうここまで来れば順風満帆!!!
でも1565年、「信玄暗殺計画に関与した」として切腹を命じられました。
その時に幽閉されたのがこの東光寺で、切腹したのもココ東光寺だったのですね。
びっくりーーーーー!!!! -
枯山水の庭が素敵です。
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仏殿から鐘堂を眺めます。
有名なお庭は見れなかったけど、ここも素敵ですね。 -
きちんと手入れされた松が池の上に。
庭師もたいへんだなーー -
この石像可愛い。
思わず家内が撮影していました。
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