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甲府城はその真ん中にJR中央本線が東西に通っています。<br />線路を挟んで北側が城の北側の門であった山手門がある歴史公園。<br />南側に稲荷櫓が復元された舞鶴公園があります。<br />甲府城の南側の部分を歩き回りました。

山梨へ! その6 甲府城の南側の部分にある舞鶴公園へ。

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2019/03/02 - 2019/03/03

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nichi

nichiさん

甲府城はその真ん中にJR中央本線が東西に通っています。
線路を挟んで北側が城の北側の門であった山手門がある歴史公園。
南側に稲荷櫓が復元された舞鶴公園があります。
甲府城の南側の部分を歩き回りました。

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  • 線路を越えて南側にやってきました。<br />甲斐甲府城の白壁が見えました。<br /><br />武田氏が滅亡した後、豊臣秀吉の政権下で建築が始められました。<br />1,600年頃、五奉行の一人であった浅野長政が完成させました。<br />城主は、 家康の九男であった徳川義直、家光の三男であった 徳川綱重、徳川家宣(後の江戸幕府6代将軍)、 柳沢吉保 などがいました。

    線路を越えて南側にやってきました。
    甲斐甲府城の白壁が見えました。

    武田氏が滅亡した後、豊臣秀吉の政権下で建築が始められました。
    1,600年頃、五奉行の一人であった浅野長政が完成させました。
    城主は、 家康の九男であった徳川義直、家光の三男であった 徳川綱重、徳川家宣(後の江戸幕府6代将軍)、 柳沢吉保 などがいました。

  • 舞鶴公園全体図。<br /><br />甲府城は別名を舞鶴城と呼ばれています。<br />よってここは舞鶴公園と言います。<br />そもそも何故甲府城は舞鶴城と呼ばれているのか?<br />白壁が重なり合う優雅な姿から、鶴が舞う雄大な姿連想して付けられたとか、<br />天守閣の形が鶴が羽を広げたときのように優雅な形だったからと言われていますが、本当かどうかは判りません。<br />山形の米沢城も舞鶴城と言う別名がありました。<br />全国に16も別名を舞鶴城と言うお城があるようですね。

    舞鶴公園全体図。

    甲府城は別名を舞鶴城と呼ばれています。
    よってここは舞鶴公園と言います。
    そもそも何故甲府城は舞鶴城と呼ばれているのか?
    白壁が重なり合う優雅な姿から、鶴が舞う雄大な姿連想して付けられたとか、
    天守閣の形が鶴が羽を広げたときのように優雅な形だったからと言われていますが、本当かどうかは判りません。
    山形の米沢城も舞鶴城と言う別名がありました。
    全国に16も別名を舞鶴城と言うお城があるようですね。

  • 舞鶴城公園の案内図。

    舞鶴城公園の案内図。

  • 内松陰門です。<br />舞鶴公園の北西側の入口です。<br />二の丸から屋形曲輪にあがる途中にある門です。

    内松陰門です。
    舞鶴公園の北西側の入口です。
    二の丸から屋形曲輪にあがる途中にある門です。

  • 明治の初めまで残っていた門ですが、絵図や発掘調査の成果をもとに、平成11年に復元されました。

    明治の初めまで残っていた門ですが、絵図や発掘調査の成果をもとに、平成11年に復元されました。

  • 内松陰門の説明。

    内松陰門の説明。

  • 自分たちがいる場所を確認します。

    自分たちがいる場所を確認します。

  • 内松陰門を振り返ります。

    内松陰門を振り返ります。

  • さらに上にあがります。<br />見事な石垣が見えます。

    さらに上にあがります。
    見事な石垣が見えます。

  • 謝恩碑が見えます。<br />高さ約30mの舞鶴公園のシンボルです。<br />山梨県は明治40年8月と明治43年8月に起こった大規模な水害により、多くの方が亡くなりました。明治天皇は、災害の復興にと皇室の山林を県に供与し、謝恩碑はその記念に建てられました。

    謝恩碑が見えます。
    高さ約30mの舞鶴公園のシンボルです。
    山梨県は明治40年8月と明治43年8月に起こった大規模な水害により、多くの方が亡くなりました。明治天皇は、災害の復興にと皇室の山林を県に供与し、謝恩碑はその記念に建てられました。

  • 振り返って北側を見てみます。

    振り返って北側を見てみます。

  • ここに銅門がありました。<br />天守曲輪から本丸に入る所です。<br />奥が本丸です。

    ここに銅門がありました。
    天守曲輪から本丸に入る所です。
    奥が本丸です。

  • 銅門の説明。

    銅門の説明。

  • 本丸の奥に天守台がありますが、ここに実際に天守閣があったかどうかは判らないそうです。<br />

    本丸の奥に天守台がありますが、ここに実際に天守閣があったかどうかは判らないそうです。

  • 本丸をブラブラします。

    本丸をブラブラします。

  • かなり広い本丸です。

    かなり広い本丸です。

  • 本丸から北側を見下ろします。<br />手前の広場になっているところが、稲荷曲輪です。<br />手前に当時使われていた井戸が見えます。<br />JR甲府駅の奥が、先ほど訪れた甲府城の山手門です。<br />

    本丸から北側を見下ろします。
    手前の広場になっているところが、稲荷曲輪です。
    手前に当時使われていた井戸が見えます。
    JR甲府駅の奥が、先ほど訪れた甲府城の山手門です。

  • 稲荷曲輪の東側に稲荷櫓があります。

    稲荷曲輪の東側に稲荷櫓があります。

  • 坂を降りてみましょう。

    坂を降りてみましょう。

  • 見事な石垣です。

    見事な石垣です。

  • 稲荷櫓に向かいましょう。

    稲荷櫓に向かいましょう。

  • 稲荷曲輪は桜の名所だそうです。<br />今は3分咲でしょうか???

    稲荷曲輪は桜の名所だそうです。
    今は3分咲でしょうか???

  • 天守台を振り返ります。<br />一番の高台である本丸に位置するのが天守台です。<br />天守台は台形状で、1590年代に築城された当時のままの野面積(のづらづ)みの石垣が現存しています。<br /><br /><br />  <br />

    天守台を振り返ります。
    一番の高台である本丸に位置するのが天守台です。
    天守台は台形状で、1590年代に築城された当時のままの野面積(のづらづ)みの石垣が現存しています。



  • 稲荷櫓にやってきました。<br />正式名称は稲荷曲輪御櫓です。<br /><br />城内の鬼門(北東)にあります。<br />江戸時代には武具蔵として使われていました。<br />平成16年に再現されました。

    稲荷櫓にやってきました。
    正式名称は稲荷曲輪御櫓です。

    城内の鬼門(北東)にあります。
    江戸時代には武具蔵として使われていました。
    平成16年に再現されました。

  • 稲荷櫓の説明。

    稲荷櫓の説明。

  • 鯱

  • 甲斐甲府城の全体模型です。<br />2人で見入ってしまいます。<br /><br />櫓の中は手斧削りや長く太い本柱など、当時になるべく近い形で復元されていました。

    甲斐甲府城の全体模型です。
    2人で見入ってしまいます。

    櫓の中は手斧削りや長く太い本柱など、当時になるべく近い形で復元されていました。

  • こちらは黄金の鯱。

    こちらは黄金の鯱。

  • 左から、豊臣 浅野 徳川 柳沢の家紋が掲げられています。<br />甲斐甲府城に関連に深い武将の紋ですね。<br />

    左から、豊臣 浅野 徳川 柳沢の家紋が掲げられています。
    甲斐甲府城に関連に深い武将の紋ですね。

  • 稲荷櫓を出て稲荷曲輪を南に向かいます。

    稲荷櫓を出て稲荷曲輪を南に向かいます。

  • 庄城稲荷跡。<br />ここに稲荷があったため、近くに建てられた櫓に稲荷櫓の名が付いたようです。

    庄城稲荷跡。
    ここに稲荷があったため、近くに建てられた櫓に稲荷櫓の名が付いたようです。

  • 稲荷曲輪門です。<br />稲荷曲輪と鍛冶曲輪の間にある門です。<br />

    稲荷曲輪門です。
    稲荷曲輪と鍛冶曲輪の間にある門です。

  • 稲荷曲輪門の説明です。

    稲荷曲輪門の説明です。

  • 鍛冶曲輪側から稲荷曲輪門を見ます。

    鍛冶曲輪側から稲荷曲輪門を見ます。

  • 立派な石垣に囲まれている門です。

    立派な石垣に囲まれている門です。

  • 水溜の跡です。<br />今回の発掘調査で発見されました。

    水溜の跡です。
    今回の発掘調査で発見されました。

  • 水溜跡の説明。

    水溜跡の説明。

  • 鍛冶曲輪から石垣を見上げます。

    鍛冶曲輪から石垣を見上げます。

  • ここの桜が咲くと、石垣を背景に綺麗でしょうねーー

    ここの桜が咲くと、石垣を背景に綺麗でしょうねーー

  • 広い鍛冶曲輪です。

    広い鍛冶曲輪です。

  • 少し下がって石垣を見上げます。

    少し下がって石垣を見上げます。

  • 南側には堀が残っています。

    南側には堀が残っています。

  • 堀も綺麗ですね。

    堀も綺麗ですね。

  • 遊亀橋から城を振り返ります。

    遊亀橋から城を振り返ります。

  • 遊亀橋

    遊亀橋

  • 堀沿いを歩きます。

    堀沿いを歩きます。

  • 先ほどの遊亀橋が見えます。

    先ほどの遊亀橋が見えます。

  • 綺麗な石垣ですね。

    綺麗な石垣ですね。

  • 謝恩碑と鉄門が見えます。

    謝恩碑と鉄門が見えます。

  • 鉄門です。<br />本丸の南側に建築された2階建ての櫓門です。<br />天守曲輪と本丸の間にある門です。

    鉄門です。
    本丸の南側に建築された2階建ての櫓門です。
    天守曲輪と本丸の間にある門です。

  • 綺麗な景色ですね。<br />明治に建てられた謝恩碑に少し違和感を感じますが、、、

    綺麗な景色ですね。
    明治に建てられた謝恩碑に少し違和感を感じますが、、、

  • 恩賜林記念館越しに城が見えます。

    恩賜林記念館越しに城が見えます。

  • 鍛冶曲輪門です。<br />城の南西の角にあります。<br /><br />この後、コインパーキングに戻ってくるまで武田神社に向かいます。

    鍛冶曲輪門です。
    城の南西の角にあります。

    この後、コインパーキングに戻ってくるまで武田神社に向かいます。

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