出雲市旅行記(ブログ) 一覧に戻る
大山隠岐国立公園にある日御碕は、島根県北東部に横たわる島根半島の最西端にある岬です。日御碕は、古来「 日没の地」として日本の夕日を代表する景勝地でした。<br />柱状節理石英角斑岩(流紋岩の一種)からなる隆起海蝕台地は、日本海の波風に洗われて断崖絶壁となり、荒々しい黒い肌をした岩礁が印象的な岬です。黒い大地に聳える白亜の灯台「出雲日御碕灯台」は、国際航路標識協会(IALA)が提唱した「世界の歴史的灯台100選」に日本から選ばれた灯台5基のひとつです。(犬吠埼・神子元島・美保関・姫埼灯台)<br />浜田・境の両港が開港場に指定され、外国との貿易が活発するに伴ない、大型沿岸灯台設置の必要性が高まったことから建設されました。1900(明治33)年着工、1903年に点灯した往時としては希少な日本人技術者によって設計・施工された大型洋式灯台です。その高さは、基礎から頂部まで43.7m、海面から灯塔の頭上までは63.3mあります。建設当初から現在に至るまで、本邦最高の石造灯塔として高さを誇ります。灯台の光度、48万カンデラ・光達距離は21海里(約39km)あり、115年の風雪に耐えて今なお現役で海の安全を守っています。<br />散策マップです。<br />http://www.city.izumo.shimane.jp/www/contents/1334895513192/simple/hinomisaki.pdf

萬福笑來 山陽・山陰紀行⑤出雲日御碕(ひのみさき)灯台

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2019/01/30 - 2019/02/01

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montsaintmichel

montsaintmichelさん

大山隠岐国立公園にある日御碕は、島根県北東部に横たわる島根半島の最西端にある岬です。日御碕は、古来「 日没の地」として日本の夕日を代表する景勝地でした。
柱状節理石英角斑岩(流紋岩の一種)からなる隆起海蝕台地は、日本海の波風に洗われて断崖絶壁となり、荒々しい黒い肌をした岩礁が印象的な岬です。黒い大地に聳える白亜の灯台「出雲日御碕灯台」は、国際航路標識協会(IALA)が提唱した「世界の歴史的灯台100選」に日本から選ばれた灯台5基のひとつです。(犬吠埼・神子元島・美保関・姫埼灯台)
浜田・境の両港が開港場に指定され、外国との貿易が活発するに伴ない、大型沿岸灯台設置の必要性が高まったことから建設されました。1900(明治33)年着工、1903年に点灯した往時としては希少な日本人技術者によって設計・施工された大型洋式灯台です。その高さは、基礎から頂部まで43.7m、海面から灯塔の頭上までは63.3mあります。建設当初から現在に至るまで、本邦最高の石造灯塔として高さを誇ります。灯台の光度、48万カンデラ・光達距離は21海里(約39km)あり、115年の風雪に耐えて今なお現役で海の安全を守っています。
散策マップです。
http://www.city.izumo.shimane.jp/www/contents/1334895513192/simple/hinomisaki.pdf

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
同行者
カップル・夫婦
交通手段
観光バス
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)
利用旅行会社
クラブツーリズム

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  • 稲佐の浜(車窓)<br />『日本書紀』には「素戔嗚尊(スサノオノミコト)、熊成峯(くまなしのみね)に居して、遂に根國(ねのくに=出雲)に入りましき」と記されています。熊成峯は山頂に磐座のある松江市八雲町熊野の天狗山(610m)と推測され、その山頂で素戔嗚尊は柏の葉を使って占いを行ない、葉の落ちた処が「日御碕」だったと伝えています。<br />また、『出雲国風土記』の「国引き神話」では、出雲平野の北に聳える山塊と西を縁取る砂浜は、巨大な神「八束水臣津野命(ヤツカミズオミヅヌ)」が海の彼方から引き寄せた「国(土地)」とその時に使った「綱」と伝えます。 <br />更に、砂浜と山塊の境に位置する「稲佐の浜」は、大国主神が高天原の使者「建御雷神(タケミカヅチ)」と会見し、国を譲り渡すことを承諾したと伝える『古事記』の「国譲り」神話の舞台でもあります。<br />西方の海に弓なりに開くこの海岸線は、滑らかな砂浜から岩肌が剥き出しの荒磯へとダイナミックに変貌し、まさに神業に相応しい景観を魅せます。

    稲佐の浜(車窓)
    『日本書紀』には「素戔嗚尊(スサノオノミコト)、熊成峯(くまなしのみね)に居して、遂に根國(ねのくに=出雲)に入りましき」と記されています。熊成峯は山頂に磐座のある松江市八雲町熊野の天狗山(610m)と推測され、その山頂で素戔嗚尊は柏の葉を使って占いを行ない、葉の落ちた処が「日御碕」だったと伝えています。
    また、『出雲国風土記』の「国引き神話」では、出雲平野の北に聳える山塊と西を縁取る砂浜は、巨大な神「八束水臣津野命(ヤツカミズオミヅヌ)」が海の彼方から引き寄せた「国(土地)」とその時に使った「綱」と伝えます。
    更に、砂浜と山塊の境に位置する「稲佐の浜」は、大国主神が高天原の使者「建御雷神(タケミカヅチ)」と会見し、国を譲り渡すことを承諾したと伝える『古事記』の「国譲り」神話の舞台でもあります。
    西方の海に弓なりに開くこの海岸線は、滑らかな砂浜から岩肌が剥き出しの荒磯へとダイナミックに変貌し、まさに神業に相応しい景観を魅せます。

  • 稲佐の浜 弁天島(車窓)<br />旧暦10月になると全国の神様が海路で出雲にやってきて、人々の縁を決める大会議を行います。その際の上陸地点となっているのが、この「稲佐の浜」です。<br />その浜に一際目立つお椀を逆さまにしたような形の「弁天島」があります。地元では「べんてんさん」と呼ばれて親しまれている島で、かつては稲佐湾の遥か沖合にあったため、沖ノ御前や沖ノ島と呼ばれていました。<br />昭和40年頃までは、木橋を使ってでしか弁天島に渡れなかったそうですが、近年潮流の変化や川の環境の変化により島の周りに砂が堆積するようになり、現在では島の後まで歩いて行けるようになっています。神仏習合の頃には「弁財天」が祀られていましたが、明治時代に入ってからは豊玉毘古命(とよたまひこのみこと)を祀っています。豊玉毘売命は、海神の娘で、夫の山幸彦が約束に反して出産の場面を覗いたことを恥じて、故郷の海へ戻ってしまう女神です。実は、その時、姫は鰐(=鮫)の姿になっていたのです。

    稲佐の浜 弁天島(車窓)
    旧暦10月になると全国の神様が海路で出雲にやってきて、人々の縁を決める大会議を行います。その際の上陸地点となっているのが、この「稲佐の浜」です。
    その浜に一際目立つお椀を逆さまにしたような形の「弁天島」があります。地元では「べんてんさん」と呼ばれて親しまれている島で、かつては稲佐湾の遥か沖合にあったため、沖ノ御前や沖ノ島と呼ばれていました。
    昭和40年頃までは、木橋を使ってでしか弁天島に渡れなかったそうですが、近年潮流の変化や川の環境の変化により島の周りに砂が堆積するようになり、現在では島の後まで歩いて行けるようになっています。神仏習合の頃には「弁財天」が祀られていましたが、明治時代に入ってからは豊玉毘古命(とよたまひこのみこと)を祀っています。豊玉毘売命は、海神の娘で、夫の山幸彦が約束に反して出産の場面を覗いたことを恥じて、故郷の海へ戻ってしまう女神です。実は、その時、姫は鰐(=鮫)の姿になっていたのです。

  • 県道29号線(車窓)<br />バスの車窓から見える景色は、弓状に広がる風光明媚な砂丘海岸から、こうした黒い岩肌が剥き出しの荒磯に徐々に変貌を遂げます。

    県道29号線(車窓)
    バスの車窓から見える景色は、弓状に広がる風光明媚な砂丘海岸から、こうした黒い岩肌が剥き出しの荒磯に徐々に変貌を遂げます。

  • 出雲日御碕灯台<br />1903(明治36)年に高さ43.7mで設置され、「石造」灯台では日本一の高さを誇ります。海面から灯塔の頭上までは63.3mあります。<br />往時の近代的な建物は、お雇い外国人が設計・施工に携わるのが当たり前でしたが、この大型洋式灯台の設計者は工部大学校(現 東大工学部)土木科第一期生で逓信省航路標識管理所技師の石橋絢彦、施工は宮谷佐が請け負いました。石橋は、工部大学校を卒業後、英国に留学して灯台の技術を学び、米国の灯台も現地で視察しています。つまり、この時代には珍しいオールジャパンが手掛けた純国産の記念碑的な灯台と言えます。

    出雲日御碕灯台
    1903(明治36)年に高さ43.7mで設置され、「石造」灯台では日本一の高さを誇ります。海面から灯塔の頭上までは63.3mあります。
    往時の近代的な建物は、お雇い外国人が設計・施工に携わるのが当たり前でしたが、この大型洋式灯台の設計者は工部大学校(現 東大工学部)土木科第一期生で逓信省航路標識管理所技師の石橋絢彦、施工は宮谷佐が請け負いました。石橋は、工部大学校を卒業後、英国に留学して灯台の技術を学び、米国の灯台も現地で視察しています。つまり、この時代には珍しいオールジャパンが手掛けた純国産の記念碑的な灯台と言えます。

  • 出雲日御碕灯台<br />明治時代に導入された石造建築の技術と日本古来の築城技術などを駆使した、灯台建築の傑作です。石積造の累積技術の優秀さにおける到達点と評価されています。 <br />柱状節理石英角斑岩の基盤の上に建ち、外壁は島根県八束郡森山産の硬質の凝灰質砂岩を用いた切石積みで、基底部から頂部に向けて緩い円錐形状となっています。<br />外壁が白いのは外壁の石材が白いからではなく、白く塗装しているからです。この塗装は、普通の塗料ではなく、自然環境の影響を受け難い特殊塗料を用いているそうです。

    出雲日御碕灯台
    明治時代に導入された石造建築の技術と日本古来の築城技術などを駆使した、灯台建築の傑作です。石積造の累積技術の優秀さにおける到達点と評価されています。
    柱状節理石英角斑岩の基盤の上に建ち、外壁は島根県八束郡森山産の硬質の凝灰質砂岩を用いた切石積みで、基底部から頂部に向けて緩い円錐形状となっています。
    外壁が白いのは外壁の石材が白いからではなく、白く塗装しているからです。この塗装は、普通の塗料ではなく、自然環境の影響を受け難い特殊塗料を用いているそうです。

  • 出雲日御碕灯台<br />内壁は煉瓦造の円筒形状とし、外壁との間に空間を設けた特殊な2重殻構造です。塔の途中で8本のバットレス(控え壁)が放射状に外筒部に向けられ、内外の筒部を繋いでいます。同種の構造は水ノ子島灯台のみであり、類似の2重殻構造も犬吠埼と尻屋埼にしか見られない希少なものです。

    出雲日御碕灯台
    内壁は煉瓦造の円筒形状とし、外壁との間に空間を設けた特殊な2重殻構造です。塔の途中で8本のバットレス(控え壁)が放射状に外筒部に向けられ、内外の筒部を繋いでいます。同種の構造は水ノ子島灯台のみであり、類似の2重殻構造も犬吠埼と尻屋埼にしか見られない希少なものです。

  • 出雲日御碕灯台<br />こうしたの2重殻構造は、国内の灯台の多くのモデルとなったスコットランドはもとより、往時のヨーロッパには見られない形式です。この形式は英国人ブラントンが設計した犬吠埼(1874年竣工)や尻屋埼(1878年竣工)の2灯台で初めて採用された構造です。石橋が発表した英国土木技師協会報『The Japan Lights』により、日本での灯台建設においては耐震性を重視していたことが判り、また、こうした形式が採用された4灯台には、剛性を得るための手段として2重殻構造が採用されたと考えられています。<br />スコットランドの灯台建設技術が日本にもたらされた後、 日本の地理的諸条件に見合うように技術的に創意工夫が探求されたひとつの到達点として貴重な存在と言えます。

    出雲日御碕灯台
    こうしたの2重殻構造は、国内の灯台の多くのモデルとなったスコットランドはもとより、往時のヨーロッパには見られない形式です。この形式は英国人ブラントンが設計した犬吠埼(1874年竣工)や尻屋埼(1878年竣工)の2灯台で初めて採用された構造です。 石橋が発表した英国土木技師協会報『The Japan Lights』により、日本での灯台建設においては耐震性を重視していたことが判り、また、こうした形式が採用された4灯台には、剛性を得るための手段として2重殻構造が採用されたと考えられています。
    スコットランドの灯台建設技術が日本にもたらされた後、 日本の地理的諸条件に見合うように技術的に創意工夫が探求されたひとつの到達点として貴重な存在と言えます。

  • 出雲日御碕灯台<br />正式名称は、「出雲日御碕灯台」と「出雲」を付けます。これは、和歌山県にある「紀伊日ノ御埼灯台」と区別するためです。<br />「塔高日本一」についても、その前に「石造」を付けないと誤りになります。世界一の高さを誇る鉄塔灯台「横浜マリンタワー」があるため、単純に塔高日本一とは言えません。

    出雲日御碕灯台
    正式名称は、「出雲日御碕灯台」と「出雲」を付けます。これは、和歌山県にある「紀伊日ノ御埼灯台」と区別するためです。
    「塔高日本一」についても、その前に「石造」を付けないと誤りになります。世界一の高さを誇る鉄塔灯台「横浜マリンタワー」があるため、単純に塔高日本一とは言えません。

  • 出雲日御碕灯台<br />それでは、灯台の中に入ってみましょう。入口で靴を脱いで階段を登って行きます。靴を脱ぐのは、階段が汚れないようにして清掃の手間を省く工夫かも知れません。<br />内部には163段の螺旋階段があり、参観料200円で灯台上部に設けられた展望台へ上がることができます。生憎の悪天候のため展望台には出られず、雄大なパノラマの眺めはお預けです。足元が濡れてスリップしないようにとの配慮だと思います。<br />展望台の眼下には日本海に島根半島の全景が広がり、晴れた日なら南方遥か遠くに中国山地が幾重にも連なり、北方には隠岐諸島も望めたはずです。

    出雲日御碕灯台
    それでは、灯台の中に入ってみましょう。入口で靴を脱いで階段を登って行きます。靴を脱ぐのは、階段が汚れないようにして清掃の手間を省く工夫かも知れません。
    内部には163段の螺旋階段があり、参観料200円で灯台上部に設けられた展望台へ上がることができます。生憎の悪天候のため展望台には出られず、雄大なパノラマの眺めはお預けです。足元が濡れてスリップしないようにとの配慮だと思います。
    展望台の眼下には日本海に島根半島の全景が広がり、晴れた日なら南方遥か遠くに中国山地が幾重にも連なり、北方には隠岐諸島も望めたはずです。

  • 出雲日御碕灯台<br />1998年に「世界灯台100選」、2013年に国の登録有形文化財に選ばれた日本を代表する灯台であり、その歴史や文化的な価値の高さからAランクの保存灯台となっています。また、全国に5箇所しかない最大の第1等レンズを使用した第1等灯台でもあります。<br />尚、経産省の「近代化産業遺産群 続33」にも選ばれています。

    出雲日御碕灯台
    1998年に「世界灯台100選」、2013年に国の登録有形文化財に選ばれた日本を代表する灯台であり、その歴史や文化的な価値の高さからAランクの保存灯台となっています。また、全国に5箇所しかない最大の第1等レンズを使用した第1等灯台でもあります。
    尚、経産省の「近代化産業遺産群 続33」にも選ばれています。

  • 出雲日御碕灯台<br />使用されているフレネルレンズは、凸レンズとプリズムを組み合わせたもので、集光力を上げることは勿論、軽量化を主目的にフランスで考案されたものです。<br />出雲日御碕灯台のレンズも軽量化レンズが採用されていますが、それでも 3トンあります。灯台の灯火は回転しますが、これは電球を回しているのではなく、レンズを回しています。重いレンズを効率良く耐久性を持たせた形で回転させなくてはならず、レンズ全体を水銀で満たした水槽に浮かせています。

    出雲日御碕灯台
    使用されているフレネルレンズは、凸レンズとプリズムを組み合わせたもので、集光力を上げることは勿論、軽量化を主目的にフランスで考案されたものです。
    出雲日御碕灯台のレンズも軽量化レンズが採用されていますが、それでも 3トンあります。灯台の灯火は回転しますが、これは電球を回しているのではなく、レンズを回しています。重いレンズを効率良く耐久性を持たせた形で回転させなくてはならず、レンズ全体を水銀で満たした水槽に浮かせています。

  • 出雲日御碕灯台<br />灯台守の暮らしを想像する際、映画『喜びも悲しみも幾年月』に登場する灯台守夫婦の姿を思い浮かべる方も多いと思います。出雲日御碕灯台も、設置時から約70年間は敷地内にある退息所(宿舎)で数名の職員とその家族が灯台の光を守りながら生活していたそうです。しかし、周辺には宇竜や日御碕の集落があり、郵便取扱所もあって全国有数の利便性の高い灯台だったと言われています。<br />一方、全国各地から赴任してくる職員とその家族にとり、未知なる土地での生活は心細く不安も多かったそうです。戦争中には灯塔に緑色の迷彩を施し、灯火も敵機来襲と同時に消灯したそうです。因みに、近くに照明弾が落とされ、機銃掃射を受けたこともあったそうです。<br />美しい白亜の姿からは想像すらできない戦争体験がここにもあったとは…。

    出雲日御碕灯台
    灯台守の暮らしを想像する際、映画『喜びも悲しみも幾年月』に登場する灯台守夫婦の姿を思い浮かべる方も多いと思います。出雲日御碕灯台も、設置時から約70年間は敷地内にある退息所(宿舎)で数名の職員とその家族が灯台の光を守りながら生活していたそうです。しかし、周辺には宇竜や日御碕の集落があり、郵便取扱所もあって全国有数の利便性の高い灯台だったと言われています。
    一方、全国各地から赴任してくる職員とその家族にとり、未知なる土地での生活は心細く不安も多かったそうです。戦争中には灯塔に緑色の迷彩を施し、灯火も敵機来襲と同時に消灯したそうです。因みに、近くに照明弾が落とされ、機銃掃射を受けたこともあったそうです。
    美しい白亜の姿からは想像すらできない戦争体験がここにもあったとは…。

  • 出雲日御碕灯台<br />階段は狭いため対面通行ができません。<br />基本的に登り優先ですので、運悪く団体さんと遭遇した場合は下るのに思いのほか時間を要するので留意してください。<br />天候が悪く、ツアーの方で登られたのは数名でしたのでラッキーでした。

    出雲日御碕灯台
    階段は狭いため対面通行ができません。
    基本的に登り優先ですので、運悪く団体さんと遭遇した場合は下るのに思いのほか時間を要するので留意してください。
    天候が悪く、ツアーの方で登られたのは数名でしたのでラッキーでした。

  • 出雲日御碕灯台<br />ベンチレータでしょうか?<br />緑青が時代の流れを感じさせます。

    出雲日御碕灯台
    ベンチレータでしょうか?
    緑青が時代の流れを感じさせます。

  • 出雲日御碕灯台<br />展望台に出ることができず、窓は北と南側にしか配されていないため見られる景色は限定的ですが、高さはそれなりに実感できます。スリリングな景観が汗ばんだ体をクーリングダウンしてくれます。<br />眼下の海食崖は、流紋岩から構成される山が沈降して海に浸かり、波に侵食された後にわずかに隆起し「海食台」が形成されたもので、今日も海食が進んでいます。

    出雲日御碕灯台
    展望台に出ることができず、窓は北と南側にしか配されていないため見られる景色は限定的ですが、高さはそれなりに実感できます。スリリングな景観が汗ばんだ体をクーリングダウンしてくれます。
    眼下の海食崖は、流紋岩から構成される山が沈降して海に浸かり、波に侵食された後にわずかに隆起し「海食台」が形成されたもので、今日も海食が進んでいます。

  • 日御碕 経島(ふみしま)<br />灯台の展望台から経島を望むことが叶わなかったため、ネットから借用した写真を用いて説明させていただきます。<br />経島は、大小2つの岩島からなる、面積約3000㎡、海抜20m程の岩島です。現在も神域であり、毎年8月7日に行なわれる「神幸祭」の時に宮司だけが渡ることのできる聖なる島です。<br />かつてこの島には、現在は日御碕神社にある日沈宮(ひしずみのみや)が「百枝槐社(ももええにす)」として祀られていました。天照大神は、「吾はこれ日ノ神なり。此処に鎮りて天下の人民を恵まん。汝速やかに吾を祀れ」として経島に鎮座しました。その後、日沈宮は村上天皇の勅により948(天暦2)年に日御碕神社へ遷座しましたが、現在も経島には祠と鳥居が建っています。<br />この画像は、次のサイトから借用させていただきました。<br />https://mapio.net/wiki/Q5508550-ja/

    日御碕 経島(ふみしま)
    灯台の展望台から経島を望むことが叶わなかったため、ネットから借用した写真を用いて説明させていただきます。
    経島は、大小2つの岩島からなる、面積約3000㎡、海抜20m程の岩島です。現在も神域であり、毎年8月7日に行なわれる「神幸祭」の時に宮司だけが渡ることのできる聖なる島です。
    かつてこの島には、現在は日御碕神社にある日沈宮(ひしずみのみや)が「百枝槐社(ももええにす)」として祀られていました。天照大神は、「吾はこれ日ノ神なり。此処に鎮りて天下の人民を恵まん。汝速やかに吾を祀れ」として経島に鎮座しました。その後、日沈宮は村上天皇の勅により948(天暦2)年に日御碕神社へ遷座しましたが、現在も経島には祠と鳥居が建っています。
    この画像は、次のサイトから借用させていただきました。
    https://mapio.net/wiki/Q5508550-ja/

  • 日御碕 経島<br />島名の由来は、島全体が「お経の巻物」を積み重ねたような柱状節理の石英角斑岩からなることに因むと伝えられます。文献には、「文島」あるいは「日置島」とも記されています。<br />また、ウミネコ(カモメ科)の繁殖地として国の天然記念物にも指定されています。ウミネコは、11月上旬に北の海から飛来し、4月頃に産卵して5~6月に子育てをし、7月頃に北海道やそれ以北の海に渡ります。最盛期のウミネコの数は数千羽にも達し、島全体がウミネコで真っ白に覆われるそうです。<br />「未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選」(水産庁)にも選定されています。<br />この画像は、次のサイトから借用させていただきました。<br />https://mapio.net/wiki/Q5508550-ja/

    日御碕 経島
    島名の由来は、島全体が「お経の巻物」を積み重ねたような柱状節理の石英角斑岩からなることに因むと伝えられます。文献には、「文島」あるいは「日置島」とも記されています。
    また、ウミネコ(カモメ科)の繁殖地として国の天然記念物にも指定されています。ウミネコは、11月上旬に北の海から飛来し、4月頃に産卵して5~6月に子育てをし、7月頃に北海道やそれ以北の海に渡ります。最盛期のウミネコの数は数千羽にも達し、島全体がウミネコで真っ白に覆われるそうです。
    「未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選」(水産庁)にも選定されています。
    この画像は、次のサイトから借用させていただきました。
    https://mapio.net/wiki/Q5508550-ja/

  • 日御碕<br />灯台が立つ流紋岩の平坦面は更新世に形成された海岸段丘面と考えられています。段丘面は日御碕南方の追石鼻付近から日御碕を経て東側に5km以上に亘って形成されています。隆起の高さは50~150mとされ、段丘面は海側へ海抜20mまで沈下しています。段丘面は浸食されて谷地形が発達し、その谷は海底にも続いています。<br />因みに、流紋岩は新第三系中新統成相寺層のものとされています。

    日御碕
    灯台が立つ流紋岩の平坦面は更新世に形成された海岸段丘面と考えられています。段丘面は日御碕南方の追石鼻付近から日御碕を経て東側に5km以上に亘って形成されています。隆起の高さは50~150mとされ、段丘面は海側へ海抜20mまで沈下しています。段丘面は浸食されて谷地形が発達し、その谷は海底にも続いています。
    因みに、流紋岩は新第三系中新統成相寺層のものとされています。

  • 日御碕<br />歴史に彩られた白亜の灯台も素晴らしいのですが、圧巻なのは周辺の地形です。<br />日御碕から桁掛半島を経て鷺浦に至るエリアでは、日本海に面した海食崖に沿って1600万年前に噴火した流紋岩の多様な産状を観察することができます。灯台の周辺は「柱状節理」という岩石の割れ方が顕著です。これは流出した溶岩が冷えて固まる時に割れを生じたもので、4~6角柱が組み合わさった幾何学的な形状を呈しています。

    日御碕
    歴史に彩られた白亜の灯台も素晴らしいのですが、圧巻なのは周辺の地形です。
    日御碕から桁掛半島を経て鷺浦に至るエリアでは、日本海に面した海食崖に沿って1600万年前に噴火した流紋岩の多様な産状を観察することができます。灯台の周辺は「柱状節理」という岩石の割れ方が顕著です。これは流出した溶岩が冷えて固まる時に割れを生じたもので、4~6角柱が組み合わさった幾何学的な形状を呈しています。

  • 日御碕<br />日御碕灯台~遊歩道の周辺は流紋岩が最も厚く分布しており、ここの流紋岩は5~10cm角の積み木を束ねたような造形美を魅せます。<br />神代の時代、大国主神が足を踏ん張ったために柱状節理がずれたと伝わるだけに、地学的に興味深い地形です。これほど小さな柱状節理は珍しいようです。

    日御碕
    日御碕灯台~遊歩道の周辺は流紋岩が最も厚く分布しており、ここの流紋岩は5~10cm角の積み木を束ねたような造形美を魅せます。
    神代の時代、大国主神が足を踏ん張ったために柱状節理がずれたと伝わるだけに、地学的に興味深い地形です。これほど小さな柱状節理は珍しいようです。

  • 日御碕<br />島根半島西端の海岸線は、出雲神話の舞台となった「稲佐の浜」と「日御碕」の名で親しまれ、いずれも日本海に沈む夕日の絶景スポットとなっています。<br />この海岸線には、夕日に因んだ社「天日隅宮(あめのひすみのみや)」(出雲大社)と「日沈宮(ひしずみのみや)」(日御碕神社)が祀られてます。古来、政権の中心であった大和政権の北西方向に位置する出雲は、「日が沈む海の彼方の異界に繋がる地」と崇められてきました。『記紀』神話に出雲が「黄泉国(よみのくに)と地上世界を繋ぐ地」として描かれているのは、古代の人々が出雲を「日が沈む聖地」と見做していたからに違いありません。

    日御碕
    島根半島西端の海岸線は、出雲神話の舞台となった「稲佐の浜」と「日御碕」の名で親しまれ、いずれも日本海に沈む夕日の絶景スポットとなっています。
    この海岸線には、夕日に因んだ社「天日隅宮(あめのひすみのみや)」(出雲大社)と「日沈宮(ひしずみのみや)」(日御碕神社)が祀られてます。古来、政権の中心であった大和政権の北西方向に位置する出雲は、「日が沈む海の彼方の異界に繋がる地」と崇められてきました。『記紀』神話に出雲が「黄泉国(よみのくに)と地上世界を繋ぐ地」として描かれているのは、古代の人々が出雲を「日が沈む聖地」と見做していたからに違いありません。

  • 日御碕 出雲松島<br />海岸線には松林と遊歩道が続き、岩にぶつかる波しぶきの音をBGMに自然が創りだす造形美を満喫できます。日本海の荒波に洗われた断崖絶壁の力強く複雑な造形は、大自然のパワーの大きさを肌で感じさせてくれます。<br />小径を振り返れば松林の間から白く聳える灯台が臨め、北へ進めば「出雲松島」と呼ばれる風光明媚な海景色へも通じるなど、多様な景観を愉しみながら散策できます。

    日御碕 出雲松島
    海岸線には松林と遊歩道が続き、岩にぶつかる波しぶきの音をBGMに自然が創りだす造形美を満喫できます。日本海の荒波に洗われた断崖絶壁の力強く複雑な造形は、大自然のパワーの大きさを肌で感じさせてくれます。
    小径を振り返れば松林の間から白く聳える灯台が臨め、北へ進めば「出雲松島」と呼ばれる風光明媚な海景色へも通じるなど、多様な景観を愉しみながら散策できます。

  • 日御碕<br />出雲の人々は夕日を神聖化し、畏敬の念を抱いていたと考えられています。海に沈むこの地の夕日が殊更美しいのは、出雲の歴史がそこに重なるからではないでしょうか? <br />出雲国の最北西端、それは大和や伊勢から見ても最北西端でもあり、凶方とも吉方とも解釈されているようです。いずれにせよ、太陽が沈み行く方位であり、幽世(かくりよ)あるいは常世(とこよ)という死や神の世界が自ずとイメージされる方角には違いありません。<br />余談ですが、今日でも、出雲では夕暮れ時の挨拶として「ばんじまして」という方言が使われています。「こんにちは」と「こんばんは」の中間の挨拶で、夕刻に格別な思いを抱く出雲の人々の心情が表れています。穏やかな表情や荒々しい姿を見せる海岸線。それを舞台に圧倒的な存在感を誇示する夕日。両者が織りなす類い稀なる美しい夕景は神が創生したものだと、この地に生きた人々は信じてきたことでしょう。 <br /><br />この続きは、萬福笑來 山陽・山陰紀行⑥出雲 日御碕神社でお届けします。

    日御碕
    出雲の人々は夕日を神聖化し、畏敬の念を抱いていたと考えられています。海に沈むこの地の夕日が殊更美しいのは、出雲の歴史がそこに重なるからではないでしょうか?
    出雲国の最北西端、それは大和や伊勢から見ても最北西端でもあり、凶方とも吉方とも解釈されているようです。いずれにせよ、太陽が沈み行く方位であり、幽世(かくりよ)あるいは常世(とこよ)という死や神の世界が自ずとイメージされる方角には違いありません。
    余談ですが、今日でも、出雲では夕暮れ時の挨拶として「ばんじまして」という方言が使われています。「こんにちは」と「こんばんは」の中間の挨拶で、夕刻に格別な思いを抱く出雲の人々の心情が表れています。穏やかな表情や荒々しい姿を見せる海岸線。それを舞台に圧倒的な存在感を誇示する夕日。両者が織りなす類い稀なる美しい夕景は神が創生したものだと、この地に生きた人々は信じてきたことでしょう。

    この続きは、萬福笑來 山陽・山陰紀行⑥出雲 日御碕神社でお届けします。

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