2019/01/30 - 2019/02/01
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montsaintmichelさん
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CT社企画のバス旅行「新春!出雲大社の初詣 山陰じっくり周遊3日間」に参加してきました。今回は、第1弾として勝山編をお届けいたします。
岡山県真庭市南部に位置する勝山地区は、岡山県中北部の中国山地と吉備高原に挟まれた小盆地に位置し、三浦藩2万3千石の城下町や宿場町として栄えました。一方、古くは日本海と瀬戸内海を結ぶ出雲街道の要衝として繁栄しました。また、室町時代末期には脇を流れる岡山県三大河川のひとつである旭川の水運が開かれ、高瀬舟の北端の発着点として年貢米や林産物などの集積地として賑わいました。
1985年に岡山県下で初めて指定された「町並み保存地区」には、往時を偲ばせる土蔵や連子格子、出格子、なまこ壁の商家の町並みや高瀬舟発着場跡などが今に遺されています。
日本酒の蔵元「御前酒蔵元 辻本店」をはじめ、旧家や武家屋敷といったノスタルジックな建造物に加え、古民家や土蔵などをリノベーションした工房、カフェ、ギャラリーなどが軒を連ね、旧き佳き伝統を遺しながら今の時代のセンスも巧みに取り入れる地域づくりは、全国のモデルケースとして注目されています。
太平洋戦争中に疎開してきた谷崎潤一郎もこの勝山をこよなく愛したそうですが、近年は草木染の染織家 加納容子さんが手がけた「暖簾」が軒先を彩る「のれんの町」で注目を浴びています。
勝山散策マップです。
http://www.city.maniwa.lg.jp/webapps/open_imgs/info//0000000417_0000009448.pdf
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 観光バス
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- クラブツーリズム
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-
鳴戸橋
国道313号沿いにある「木材ふれあい会館」でバスを降り、そこで現地ガイドさんと合流します。
太平洋戦争中に熱海から京都、岡山、津山へと戦火を逃れて勝山へ辿り着いた谷崎潤一郎は、この鳴門橋の袂から城山(左)や太鼓山(右)を眺めて「小京都みたいだ」と呟いたそうです。(下の写真がその景色になります。)
「勝山町は旭川の上流なる山峡にありて小京都の名ありといふ、まことは京に比すべくもあらねど山近くして保津川に似たる急流の激するけしきの嵐峡あたりの面影なきにしもあらざればしか云ふにや、街にも清き小川ひとすぢ流れたり…」。
因みに、太鼓山は、1766(明和3)年に時を知らせる太鼓櫓を建てたことから、こう呼ばれるようになったそうです。 -
鳴戸橋
滔々と流れる旭川は、岡山県の中央部に位置し、その源流を岡山県真市蒜山の朝鍋鷲ヶ山(標高1081m)に発し、途中、新庄川、目木川、備中川等の支川と合流し、岡山市の中心部を貫流した後に児島湾に注ぐ、幹川流路延長142kmの一級河川です。
因みに、岡山後楽園では中州に旭川の水を引き入れています。
また、旭川水系は琵琶湖水系に次いで生息魚の種数が豊富で、全国でも屈指の生物多様性に富んだ水系です。上流域は、河川そのものが「特別天然記念物オオサンショウウオ生息地」として文化庁の指定を受けています。 -
鳴戸橋
山並みが町のすぐ背後にまで迫まる様子が印象的です。町屋通りをこうして裏側から眺めると、石垣の上に家が建ち、「がんぎ」と呼ばれる船着場跡が幾つか見られます。
かつては、海辺~山間の物資輸送は、高瀬舟と呼ばれる川舟でなされていました。こうした石垣とがんぎが何とも情緒のある風景を織り成しています。
勝山は合併して真庭市となりましたが、旧勝山町は面積の約85%を山林が占め、古くから林業が盛んに行われている西日本有数の木材産地です。
また、勝山は古代くは高田郷と言い、江戸時代前期までは高田村と言いました。江戸時代後期に勝山と改称されましたが、正式に勝山村になったのは明治22年のことです。 -
旭川
護岸の一部が破壊されていますが、これは2018年7月に起こった「西日本豪雨」による爪痕です。 -
勝山文化センター
JR姫新線 中国勝山駅から徒歩5分程に位置し、館内には座席数696のポンテホールや会議室などがあります。
2020年東京オリンピック・パラリンピック開催に当たって「ホストタウン」構想が進められており、真庭市もドイツのホストタウンとして登録(第四次)されています。
「ホストタウン」構想とは、事前合宿の誘致や参加国・地域との相互交流などを担う自治体を登録し、地域活性化を目的とする政府の取組みです。登録自治体は、一部費用について政府から財政支援が受けられる仕組みで、1998年長野オリンピックで地元の小中学校がそれぞれ参加国・地域を応援した「一校一国運動」をモデルにしています。
真庭市には2005年の国民体育大会で馬術競技会場となった乗馬クラブ「蒜山ホースパーク」があり、またリオオリンピック代表 原田喜市選手が市在住のこともあり、馬術の強豪国のドイツとの繋がりを活かし、五輪大会後のドイツ選手の招聘や馬術を中心とした交流が予定されています。
岡山県内のホストタウンは、岡山市(ブルガリア)、倉敷市(ニュージーランド)、美作市(ベトナム)、真庭市(ドイツ)の4市となりました。 -
新町商店街
JR中国勝山駅に繋がる、檜を組んだアーケード街「檜舞台(ウッドストリート)」です。
旧勝山町の町木「檜」と晴れ舞台という意味を持つ「檜舞台」をかけ、この場所が人々の檜舞台となればという思いを込めて命名されています。
商店街の中央付近には藩主 三浦家の家紋を付けた太鼓が載せられています。
因みに、この筋にある旦酒店の裏手は、戦時中に疎開していた谷崎潤一郎が一時滞在していた場所とされます。 -
町屋通り
勝山の町並みを歩いてみて印象深いのは、各戸の軒先に掛けられた「暖簾のある風景」です。実は、暖簾は勝山のシンボルであり、町の誇りでもあるそうです。
「ひのき草木染織工房」の店主が、町にアクセントを加えたいとの発想で自らの店の軒先に暖簾を掛けたのをきっかけに、商店だけでなく民家までもその趣旨に賛同し、今では100軒以上もの家々がその店や家を象徴するセンスに富んだデザインの暖簾を掛けています。ですから、「ここは何のお店?」と思考回路を回らせながら散策すると愉しさが倍増します。 -
ハセガワ時計店
前の写真の暖簾が掛けられているのは、時計店です。
時計の文字盤をデザインした暖簾が揺れていますので、直ぐに判りますよね!
数字が中心を向く文字盤は、3代目店主のアイデアだそうです。数字を斜めにすることでソフトな感じにしています。
素晴らしいのが、暖簾を掛けるのは自治会などから強要された訳ではなく、自主的な行いであることです。観光客に「こんにちは!」と声を掛けてくれる自然な応対に触れれば、この町への愛情が生む地域の一体感や矜持が伝わってきます。 -
坂元ガラス店
店舗から窓越しに見える風景をあしらっています。裏手を流れる旭川の先に広がる錦秋の山々です。茶色の濃淡を基調とし、控え目に多色染めしたシックなデザインは、哀愁を帯びた秋の夕暮れを彷彿とさせます。
大正時代から続くガラス店は、かつて旭川を往来していた高瀬舟を使ってガラスを運んでいたこともあったそうです。 -
そうごう薬局 真庭勝山店
薬草を擦り混ぜる乳鉢や乳棒、カプセルタイプやタブレットタイプの薬をあしらった暖簾です。
グリーンの濃淡を基調にし、オレンジ色をアクセントにしています。 -
酒のもりもと
明治時代から続く老舗の酒屋さんです。
暖簾には、4本の徳利が揺れたり、傾いたりしながら仲睦まじくお酒を飲み交わす様子が表現されています。徳利の1本を赤い顔にしているのは、ご愛嬌です。 -
コットンショップもめん
斬新なモダンなデザインが光ります。 -
西山邸
家人が鍬(クワ)や鋤(スキ)、鎌の柄を作る会社を経営していることに因んだデザインです。会社では金鎚や鋸の柄、太鼓の撥(バチ)なども作っているそうです。 -
Nostalgie cafe ろまん亭
築150年の大正時代には写真館だった建物をリノベーションした、風情を湛えた大正レトロ風のカフェです。
食材にも拘っており、自然豊かな真庭市各地にある地元食材を用いたメニューを提供しているのが特徴です。手打ちうどんや手作りの定食も味わえるそうです。 -
Nostalgie cafe ろまん亭
高台にあるため、町屋通りから見上げた時に暖簾が目立つよう、明るくはっきりとした色合いでデザインされています。
円は「和らぎ」の象徴であると共に、味が「〇(GOOD)」ということなのでしょう。 -
つるべ井戸
道の右側に用水路が流れています。この用水は「高田用水」と呼ばれ、街道に沿って流れていますが、ほとんどの区間が暗渠になっているため気付き難くなっています。
幅1.2m、長さ1.5kmに及び、室町時代に農業用水として造られたものです。
道端に井戸桶(つるべ桶)を並べた「つるべ井戸」がありますが、この井戸は朽ち果てる寸前で復元されたものです。 -
川柳双裕庵
「行雲流水 私はいつも自然体」など、夥しいほどの川柳が書かれています。
一瞬、魔除け封じのお札かと身じろぎするほどです。
『耳なし芳一』を彷彿とさせるディスプレイです! -
お米屋さんとの情報がありますが、ここも川柳に占拠されています。
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「勝山の顔」として定着した暖簾は、日本独特の家具です。目隠しにはなるが、人の出入りの邪魔はしない。デザインを眺めて愉しく、一寸お店を覗いてみようという気持ちにさせる看板にもなります。
特にしぼり染めという手法は、染めた縁がじんわり滲んだような模様になるため、独特の柔らかい雰囲気が出せます。
こうした温もりのある暖簾を揺らす、優しい風が流れる町です。 -
きくや菓子店
1938(昭和13)年創業。創業当時から変わらない昔ながらの製法と味を守り続ける和菓子店です。「二万三千石」と名付けられた和菓子は白あんを包んだ焼き菓子で、三浦家の家紋が押印されています。三浦家は1764(明和元)年に2万3千石を領する勝山城の城主となり、その後103年間、勝山を統治した藩主です。
暖簾のデザインは、旭川を利用して産物を運搬した高瀬舟と「三」の文字は勝山城主 三浦家の家紋「三浦三つ引両」です。 -
村上種苗店
なまこ壁と白壁に三浦家の家紋を配し、2階を格子窓にしたファサードが目を引きます。 -
村上種苗店
種に関係のある5種類の野菜が描かれたカラフルでポップな暖簾です。
野菜の絵柄は上下に分けて染められ、写真とネガのように反転しています。これには意味があり、下方が土の中から芽を出して太陽を浴びて育つ成長過程を表わし、上部は成熟した野菜を表しています。
また、暖簾の丈が短いのは、店内を見通せるようにとの配慮です。 -
鍛冶屋
庇に細い煙突が立てられています。 -
鍛冶屋
鍛冶屋さんのシンボル「研磨機」が玄関先に置かれています。 -
河本邸
2階建の間口の広い平入りの商屋です。虫籠窓や出格子が古民家の趣を湛えています。
3代続いた醤油屋は広い土間を持つ店だったそうで、往時は甕売りをしていたそうです。背後には、旭川との間にかつての醤油蔵を見ることができます。 -
河本邸
歴史ある商家と醤油蔵を営んでいた頃の商標「鶴井(つるのい)」をイメージしたデザインです。正方形と青い丸を重ねることで井桁を表現すると共に、四角四面の厳格さと長い歴史も合わせて表現しています。また、地色は醤油色に染めてあります。 -
日本基督教団勝山教会
和の佇まいの中に忽然と出現するのが白亜の勝山教会です。町屋の白壁と相性がいいため、全く違和感はありません。
1918(大正7)年に創立した、100年の歴史を持つ教会です。 -
日本基督教団勝山教会
屋根の裾をちょこんと水平にしたデザインも斬新で可憐です。 -
日本基督教団勝山教会
暖簾は、白百合と十字架をモチーフにし、版画のイメージでデザインされています。色褪せてしまっていますが、教会に暖簾を掛けるのは全国でも初めての試みだったそうです。また、腕木の両端にも十字架があしらわれているのが特徴です。 -
榎本邸
暖簾には、江戸時代から1941(昭和16)年まで使用していた屋号「今市屋」の商標「井桁に一文字」を大きくあしらっています。
榎本家は、室町時代に高田庄の領主となった三浦家と共にこの地に来たと伝わり、藍の産地問屋と藍染屋を営み、三浦藩おかかえの染物屋だったそうです。玄関前に置かれた大きな甕は、藍染用に使われていたものです。 -
「町並み保存地区」は、電線などの地中化工事がなされ、電灯はあるものの空間を遮る蜘蛛の巣のような電線がなくスッキリした印象です。
電線の地中化工事は最新の技術ですが、「技術の発展により勝山の町並みが昔の景観を取り戻した」とは言い得て妙です。電線だけでなく光ケーブルも埋められており、これも将来計画の一環だそうです。
こうした成功事例を全国に発信し、インバウンドを取り込むロールモデルになっていただければと思います。 -
ギャラリーKEN工房
オリジナルデザインのステンドグラスのランプ等を制作・販売されていることは暖簾が教えてくれます。
また、それ以外にも陶人形作家の一点ものや普段使いの小物や器なども揃っています。温かみのある灯りに、つい引き寄せられそうなお店です。 -
大前商店
1920(大正9)年の創業以来、食料品店と仕出し屋や手作り惣菜屋を営んでいます。
暖簾のデザインは毎回野菜をモチーフにしており、最新のものは明るく活気溢れた店のイメージに合わせて大きな「トマト」をデザインしています。 -
江原邸
色の違う2つの半円を並べたシンプルなデザインです。
丸い人柄を円で表し、緑色と黄色をコーディネートした彩により穏やかで柔らかい印象に仕上げています。明るい黄色の花々と緑の草木で旭川の早春の河原景色を描いています。 -
カフェ
珈琲色と白色の2色でカフェのイメージを描いています。 -
ひのき草木染織工房
町中の軒先に掛けられた「暖簾」を一手に制作しているのがこの工房です。築250年の酒蔵を改造し、草木染めの工房兼ギャラリーを設えています。店舗には、暖簾をはじめとした染織作品はもちろん、竹や木、陶器、ガラスなどの作家の作品が並んでいるそうです。(残念なことに訪れた水曜日は定休日でした。)
染織作家 加納容子さんは、1997年に生家でこの工房を立ち上げました。最初は自分の店の軒先に暖簾を掛けましたが、それを見た町の人たちが徐々に輪を広げていきました。
勝山の「のれん」は、住まい手と職人の恊働から生まれた町のアートです。暖簾のデザイン一枚一枚にメッセージやストーリーが染め込まれており、住まい手が自己主張しているのが特徴です。また、伝統的なものに「遊び心」を付加しており、古い町並みにモダンな風を取り入れながら、今日もゆっくり豊かな時を刻みます。都会の喧噪とは無縁の「隠れ里」がここにもありました。 -
ひのき草木染織工房
この暖簾が「のれんの町」のルーツです。
暖簾は、ひのきの皮(檜皮)で染めた茶色の地に白い大きな丸が絞り抜き、「人に対して丸い気持ちを…」との思いが込められています。
「のれんによる町づくり」に対して2008年度のSDA賞特別賞・財団法人日本産業デザイン振興会会長特別賞が贈られています。
受賞のきっかけとなった草木染の染織家 加納容子さんの生家は造り酒屋で、大戦後は祖母と母親が酒の小売店を営んでいました。加納さんは東京の女子美術大学で染色・織物を学んだ後、織物教室を主宰して染織活動をしていましたが、老いた親が営む酒屋を手伝うために故郷へUターンしました。昼は酒屋の手伝いと子育て、夜は染織の作品づくりに勤しみました。
自分の店のために染めて掛けた1枚の暖簾を見て、同じ町内で水道店を営む幼なじみから「うちにも」と声が掛かったのがはじまりだそうです。1996年に「かつやま町並み保存事業を応援する会」が発足し、町に暖簾を掛ける住民参加の活動が始まりました。
最初の16軒に暖簾が掛かった時点から雑誌や新聞に取り上げられるようになり、次第に暖簾を見に訪れる観光客が増えてきました。 -
ひのき草木染織工房
加納さんは次のように語られています。
「暖簾が掛かり始めてから勝山は印象が変わったと言われる。町の通りがやわらかくなった。人の良さも感じられて豊かでゆっくりと生きているイメージまでついてきた。私は作り手ながら、のれんが起こす力をただびっくりしながら眺めてきたのだが、この度、デザインという観点からの特別賞をいただき、この上なく嬉しい。気がつけば最初のデザインの段階からその家の商売、心をデザインで表そうとしてきたので、こんな小さな町のサインを取り上げてくださったことに感謝し、なにより、のれんを掛けてくれている町の方々に感謝します」。 -
庄屋
勝山町並み保存地区の中間辺りにある古民家を修繕した御休処です。
暖簾は、渦巻きを2つ組み合わせたシンプルなデザインです。
「元三大師のお札(角大師)」が京都の町屋を彷彿とさせます。 -
手前が織田邸です。
先々代の夫人が備後地方(現在の広島県西部)から勝山に嫁ぎ、屋号「備後屋」で日用品や雑貨など扱う商売を始められたそうです。暖簾は商標をデザインしたものです。
奥が旧水島呉服店です。
江戸時代、勝山は高瀬船の船着場であり、出雲街道の通り道でもあったため、この町だけで5軒の呉服屋がありました。水島家は舅が事業家だったこともあり、当時1000~2000円で家が建つところ、20000円かけてこの家を建てたそうです。
ここには疎開していた谷崎潤一郎の机や手紙、送別会の写真が残されており、懇意な間柄だったことが窺えます。谷崎はここの2階でも時々執筆しており、水島芳子さんが谷崎一家を助けたことは有名です。
現在は呉服を止め、司法書士事務所になっています。 -
ヤスコ美容室
1962(昭和37)年開業の美容室です。やさしいブルーのごかしの中に「千代萬歳豊稔踊り(ちよまんざいほうねんおどり)」をあしらっています。「千代萬歳豊稔踊り」は300年以上も前から踊り継がれている勝山の伝統的な盆踊りです。
暖簾に描かれたシルエットは踊りの順番を表しており、ゆっくりとした動きで歌や三味線、尺八、締め太鼓に合わせて踊ります。ゆっくり流れる勝山の時間に相応しい踊りと言えます。 -
ミズシマ洋装店
家紋「丸に三つ柏」をあしらっています。
この地で20代続く水島家では、勝山の歴史が語り継がれています。 -
水島家の土蔵のようです。
鬼瓦には、土地柄から言えば「大黒様」でしょうか? -
中橋
旧水島呉服店の手前を左に折れると、旭川に架かる細い中橋に至ります。元禄年間、当時架かっていた上橋以外にも橋を架けて欲しいとの住民からの要望があり、その40年後に幕府の裁定で下橋(鳴門橋)と共に架けられた橋です。その時の「幅1間」の約束が現在も守られており、車両の入れない歩道専用橋となっています。
土蔵の白壁には「水」の文字を描いています。庶民に制限されていた懸魚を屋根へかける代わりに、水の文字を妻壁に描くことで水の神通力にすがり火災から建物を守る火伏せのまじないです。
鬼瓦には、「鶴と亀」です。 -
中橋
中橋の袂にある 高瀬舟船場跡の石碑には、「古代より海辺と山あいの物資輸送は川舟が中心であった。慶長年間角倉了以が高瀬川で使いだしてから高瀬舟の名が広まった。勝山は旭川の高瀬舟の起点で荷の揚げ下げはすべてこの船場でしており賑わった。県下でその面影が完全に遺っているのはここだけである」とあります。 -
中橋
初代勝山藩主 三浦明次は、高瀬舟の舟運に注力し、物資の集散地として勝山の繁栄を支えました。勝山から岡山までの16里(64km)を長さ8間・幅8尺の高瀬舟を漕いで、勝山からは年貢米をはじめ中国山地産のたたら鉄や木材、木炭などの山間の産物を岡山に運び、帰路は塩や砂糖、干物などの生活必需品を往復1週間の行程で運びました。また、大社参りや金毘羅参詣にも大いに利用され、高瀬舟は鉄道が開通する昭和時代初期まで物資輸送の主流となりました。最盛期には30隻程の舟が行き交っていたそうです。 -
漕ぎ屋小路
中橋を渡り、漕ぎ屋小路を進む旅人を出迎えたのが三叉路の正面突き当たりにある老舗の薬屋「玉屋」です。現在は居酒屋「おにのすみか」になっていますが、建物は300年以上の歴史を刻んでいます。
丁度小学生の下校時間帯でした。大きな声で我々観光客に「こんにちわ!」と元気よく挨拶する姿がこの町の温もりを感じさせます。 -
江戸時代に三浦家が藩主として当地を治めることになった際、居城となる高田城を勝山城と改称し、藩名を勝山藩と命名しました。
因みに、「勝山」は、城郭の存在する山を縁起を担いで好字を使用して命名されたと伝わります。 -
市瀬屋
レトロな赤いポストが目印の郵便切手やはがき等を扱うお店です。
暖簾には、郵便番号簿の表紙に描かれている「ポストマン」をあしらっています。郵便番号は最初は入ってなかったそうですが、お店のおばあちゃんの希望があり、後から入れたそうです。 -
水島司法書士事務所
公平なジャッジにより、安らかな決着をみる事ができるという意味が込められています。両端の三角形は天秤をデフォルメしたものかもしれません。 -
豊田邸
かつては米屋を営んでおり、「田賀屋(たがや)」の屋号で親しまれていたそうです。
「入り山形」に「田」を組合わせた「田賀屋」の商標をあしらったデザインです。 -
ヘアースタジオ HONGAN
暖簾は床屋さんのシンボル「3色のサインポール」をあしらった動きのあるデザインです。 -
ギャラリー佐久知
骨董品店のはずですが、何故か暖簾には「茶壷」と「茶葉」、「茶」の文字がデザインされており、首を傾げます。
その訳は、昔から宇治の抹茶と煎茶の販売をされているためです。お茶や硯、唐津物(焼き物)を取り扱う店として明治時代に創業し、お茶屋さんであることを今でも誇りとされている店主の熱い思いを汲み取り、暖簾のデザインにお茶のイメージを取り入れたそうです。因みに、勝山の民芸品として有名な高田硯は、「神庭の滝」近くの黒色粘板岩(高田石)から作られます。
こうした暖簾にまつわるエピソードを知ればこそ、より「のれんの町」の散策が愉しくなります。 -
郷宿
出雲街道の一画にある「郷宿」です。
現在は手打ち蕎麦もサービスする料理屋ですが、江戸時代には三浦藩公認の公事宿(くじやど)でした。近郷の村役人が公事などで城下を訪れた際にはここに泊まったそうです。この郷宿は、明治時代に入ってから郷宿としての機能を失い、染物業を営む高田屋の所有となったと伝わります。
三叉路には、断面が菱形をした道標が立っています。北から見て正面に「左 玉雲宮」、右面に「すぐ かみがた」と刻まれ、左の坂を昇ると玉雲宮へ、真っ直ぐ行けば上方方面に至ることを示しています。裏面には、「文政四年 真嶋屋茂兵衛」と刻まれています。因みに、真嶋屋は「山中刻み煙草」の製造販売で財をなした商屋です。 -
白壁(しらかべ)
中華料理から万里の長城に発想を飛ばしたデザインです。
お店のネーミングも「白壁」が続くこの町に溶け込んでいます。 -
清友邸
かつては醤油醸造業を営んでいた、築200年を越える商家です。 -
清友邸
暖簾は、濃厚な溜まり醤油を彷彿とさせる濃い茶色で染め上げ、1輪の白い牡丹を浮き上がらせています。
往時は「丸ニ醤油」や「白牡丹(はくぼたん)」などの醤油の銘柄を取り扱っており、お得意様に配っていた「白牡丹」柄の手拭いを模したデザインです。 -
清友邸
建物にも注目です。
切妻側の両脇の壁を屋根より高く上げ、そこに小屋根を載せた「本卯建(ほんうだつ)」です。防火壁としての機能を持たせる構造です。
本卯建はなかなかお目にかかれないので、得した気分になりました。 -
三浦坂
勝山藩主 三浦家の菩提寺「安養寺」の手前にある坂です。
坂の名は、三浦家がお墓参りに通ったことに由来します。尚、坂の上には勝山文化往来館「ひしお」があります。
因みに、東京台東区谷中の勝山藩主 三浦家下屋敷跡にも「三浦坂」があります。 -
連子格子と白壁、なまこ壁の商家が佇む町並みです。
太平洋戦争中、勝山に疎開していた谷崎潤一郎は、この道をよく散歩したようです。 -
勝山郷土資料館
暖簾は、三浦家の家紋を大きくデザインしています。
資料館では江戸時代の武士の暮らし向きが偲べる武家屋敷館や勝山藩主 三浦家に関する資料などを数多く展示しています。
また、1945(昭和20)年に勝山に疎開してきた谷崎潤一郎に関する資料も展示しています。名作『細雪』は勝山で執筆されたと伝わります。「小京都」と称される勝山の町並みが彼のインスピレーションに火を付けたのでしょうか? -
原田邸
明るく光り輝くようなオレンジと黄色を両端に配し、真ん中から光が放たれているようなイメージで、宇宙をイメージしながら制作された作品だそうです。 -
行藤修久邸
白壁になまこ壁、土蔵を彷彿とさせる重厚な設え…。丸窓がアクセントになっていますが、これでも民家だそうです。
民家なので遠慮して遠目に撮影させていただきました。
鮮やかな花火が上がる暖簾のデザインで知られています。 -
後藤邸
大小の円に暖色系のグラデーションを配した、モダンなデザインが目を引きます。
元魚屋さんだそうですので、水飛沫をデフォルメしているのかもしれません。 -
辻邸
ここの建物にも注目です。
2階は白壁に虫籠窓となまこ壁、1階は出格子と格子戸といった勝山商家の特徴をフルラインナップした、お手本のような建物です。 -
辻邸
暖簾には朝顔の花をあしらい、左下に「まし満屋」と書かれています。
「真嶋屋」と何か関係があるのかもしれません。 -
旦雅夫邸
シンプルでモダンなデザインです。季節柄、雪が舞い落ちる様子を表わしているのか、リズミカルで軽やかなデザインです。
生地は特殊な麻を用いており、藍色以外は染色が難しいそうですが透け具合が絶妙です。幅も太く織れないことから細長い生地9枚を組合わせています。 -
顆山亭(かざんてい)
かつては鍛冶屋だった空き家を住民自ら勤労奉仕で修復した無料休憩所です。
暖簾は、お茶の湯気がハート形に象られています。
地元の方々と観光客が交流する憩いの場としてだけでなく、イベント空間や地元住民のノミュニケーションの場としても活用されています。 -
理容コユキ
暖簾の3つの尖った三角形は櫛の歯をデフォルメしたものです。
50年以上前に開業した散髪屋の2代目だそうです。 -
秋田自転車店
自転車の車輪をモチーフにし、鮮やかな紺の地色が印象的です。颯爽と風を切って走る自転車を連想させるデザインです。
暖簾掛け(腕木)に使われている竹は、かつて茅葺屋根の時代に囲炉裏の上にあった「すす竹」を用いているそうです。 -
杉邸
鮮やかな赤い丸に白い鼻緒を添えて「塗り下駄」を表しています。
自宅の近くで「杉履物みやげ店」を開業されており、そこにも同様のデザインの暖簾があります。 -
竹井食品店
昭和時代初期に食料品を扱う店として創業し、現在は地元真庭産の新鮮野菜を中心に販売・配達をされています。
これまでの暖簾のデザインの遷移は、馴染みの深い野菜をモチーフに、レンコン→ナス→ピーマン→カボチャと移り、現在のエンドウ豆は5代目だそうです。エンドウ豆とその中の豆を3つ仲良く並べたデザインです。
3代目となる店主と奥さん、そしておばあちゃんを加えた3人が力を合わせお店を切り盛りしている姿を染め上げています。 -
道標
辻本店の手前の三叉路には道標が立っています。
左側の小さな道標には、「是より右ゆばら」、「元禄二年三月」と刻まれています。元禄2年は1689年です。それにしては痛みが少ないと訝しく思いましたが、近年、川の中から堀りだされたものだそうです。 -
道標
大きい方の道標は、嘉永6(1853)年に建てられたものです。
「南 左 雲伯往来
西 右 京大阪
東 大仙倉吉道」
と刻まれ、「雲伯往来」とは出雲街道の別名です。つまり、ここは出雲街道と美作街道の合流点ということです。
勝山は、城下町であると同時に、水運の便がよく「雲伯」(出雲と伯耆の総称)に向かう出雲街道の宿場町でもありました。松江藩も参勤交代の際、この往還を利用していたそうです。 -
御前酒蔵元 辻本店
赤煉瓦や土壁、なまこ壁に覆われた外観が特徴的なこちらのお店は、1804年に創業した日本酒の蔵元「御前酒蔵元 辻本店」です。江戸時代は藩主への献上酒を製造していました。岡山県初の女性杜氏としても知られています。
江戸時代後期~明治時代に亘って建てられた店舗兼主屋をはじめ9つの建造物が2013年に国の登録有形文化財に指定されています。土蔵の並びや向かい側は全て辻本店関連の建物であり、その繁栄ぶりが窺えます。
因みに、屋号は「炭屋」と言い、元々は木炭を扱っていたそうです。 -
御前酒蔵元 辻本店
歴史ある酒蔵の暖簾は、様々な慶事の際に用いられる角樽(つのだる)をデザインしたものです。映画『男はつらいよ』の48作目にして最後の作品「寅次郎 紅の花編」では、辻商店で日本酒を試飲してフラフラになって千鳥足で出てくるシーンが撮影されました。
勝山藩主御用達の献上酒として「御膳酒」の銘を受け、かつては「萬悦」の銘柄で親しまれていました。現在30数種類の銘柄を販売されており、酒の原料の米は地元産米山田錦と雄町米を主に使用、おいしさの秘密は優れた水にあるそうです。純米吟醸酒に銘柄「如意山」がありますが、辻本店の裏にある山の名前だそうです。因みに、御前酒は清らかな旭川の伏流水を使っています。 -
酒蔵レストラン「西蔵」
勝山は元々観光地でしたが、30年前の観光客数は年間5万人程に留まり、寂れた田舎町でした。元号が平成になった頃から勝山が変わり始めました。先代の辻均一郎氏や同世代の方々が町づくりに注力し始め、徐々に町を訪れる観光客が増えてきました。
町づくりのコンセプトは「観光客に媚びるのではなく、自分達が町を愛し楽しむこと」です。辻本店では平成元年に貯蔵庫だった蔵をリノベーションし、酒と食の文化の発信地として酒蔵レストラン「西蔵」をオープンさせ、JAZZライブや落語会も開催し異文化交流の場としても活躍しています。日野皓正クインテットをはじめ、ケイコ・リー、藤原清登、国府弘子、金澤英明、綾戸智絵、ケイ・赤城、佐山雅弘トリオ、川嶋哲朗、TOKU、寺井尚子、小沼ようすけ等々、日本のジャズシーンを代表するミュージシャンが来演されています。 -
酒蔵レストラン「西蔵」
お酒の試飲ができるとのことで、あっと言う間にツアーメンバーのほぼ全員がお店の中に吸い込まれていきました。
美味しい料理に酒は勿論のこと、中世の古備前や古伊万里、安藤広重の版画、バーナードリーチの墨絵や陶器などの骨董美術もプラスアルファで愉しめます。 -
御前酒蔵元 衣裳蔵
町家筋沿いに建つ重厚な衣裳蔵の蛇腹戸の内面には、「竜虎」をあしらった鏝絵(こてえ)が描かれています。また、庇持送りの彫刻も繊細であり、街並みに華やかさを添えています。 -
御前酒蔵元 衣裳蔵
鏝絵は漆喰装飾の技法のひとつですが、4つの明り蛇腹戸の内側に繊細な細工が施されています。下段の2つは虎、上段の2つは龍を象っています。
鏝絵は、古くは高松古墳や法隆寺の金堂の壁画に見られ歴史は古いものです。また、天平年間の立体塑にも見られます。木で心柱を作り、その外側に荒土や白土にすさ糊を混ぜた材料で作るのが鏝絵の源流とされます。因みに、漆喰は貝殻と木炭を重ねて焼いた灰で作られます。 -
御前酒蔵元 衣裳蔵
上段右側の龍から時計回りに紹介していきます。
龍はいずれも目が金色をしており、金色の玉を持っています。 -
御前酒蔵元 衣裳蔵
勝山には、見事ななまこ壁の建物が多いのですが、その中でも特に目を引くのは衣裳蔵の蛇腹戸の鏝絵です。 -
御前酒蔵元 衣裳蔵
この鏝絵も勝山の見所のひとつです。
この蔵で保管されている長持の中の着物や帯、お雛様などは、ひな祭りの最中に展示されるそうです。 -
御前酒蔵元 衣裳蔵
日本伝統の技には味わい深いものがあります。
お客さんや観光客のために扉を開けているのでしょうが、雨風に打たれ鏝絵の痛みも進むものと思います。メンテナンスも大変だと思いますが、是非続けていただければと思います。 -
如意山房
衣裳蔵の手前に佇む瓦葺屋根の建物は、御前酒蔵元の奥座敷「如意山房」です。完全予約制で懐石料理を味わえます。長い土塀を這う老松にも歴史が感じられます。
辻家では、明治~昭和時代にかけての当主が文化的な活動にも積極性であり、自ら書画を嗜むことから文人墨客の訪れることが多く、与謝野鉄幹・晶子夫妻の逗留をはじめ、尾上紫舟や碧梧桐等が画帳、色紙に筆跡を残しています。また、旨酒をこよなく愛した谷崎潤一郎は当地で『細雪』を執筆していました。
因みに、背後に聳える「城山」の別名が「如意山」です。 -
宮文(みやぶん)
地元真庭の食材を用いた和食処です。
シンプルかつシックなデザインの暖簾が、老舗料理屋の佇まいに馴染んでいます。
店の創業は大正12年。現在のご主人 守之さんの祖父に当たる初代の宮田文市さんが、自分の名前の2文字をとって「宮文」の暖簾をあげました。 -
宮文
数ある秀逸な暖簾の中で一番心を奪われた暖簾です。デザインだけでなく、透かして魅せる暖簾の本質を極めた工夫に吃驚ポンです!
大正12年、宮田文市氏が料理屋として創業したお店です。現在は地元真庭市の食材を中心にした季節料理ならびに仕出しをしています。
暖簾は、玄関の格子戸とその先にある素敵な庭園が隠れてしまわないよう、薄い麻生平(あさきびら)の素材を厳選し、穏やかな丸を2つ重ねています。暖簾の左下にある瓢箪は、宮文の「卯建」に付けられた装飾を模したものです。 -
辻征典邸
かつては目立て屋を営んでいたお家です。「目立て」とは、切れなくなったノコギリの刃などを研ぐ職人を指します。
デザインのモデルとなったノコギりは、目立て職人だった先代が1つだけ作ったもので、今も大切に保管されているそうです。ノコギりには、刃のリアルさを表現するために染の技法を用いて「さび」まで浮かせています。
ノコギりに付けられた魚の絵柄は、世代交代した家人の職業に係わるものかもしれません。 -
公衆トイレ
旭川と太鼓山をあしらっています。 -
河原に降りてみました。
かつては商家の裏手に高瀬舟を横着けして荷の積み下ろしをしていたそうで、舟を曳く石畳が延々と続いています。
造り酒屋の煙突を見ると、長門勇さんのローカルCMの中の「御前酒飲まにゃあ ええ酒じゃ~ 」という台詞が思い起こされます。 -
水車
真庭市役所勝山支局前の交差路が作るデルタ地帯に日本庭園風の広場があり、高田用水が水車をゆっくりと回しています。
明治~大正時代まではこの周辺には幾基もの水車が設置されており、水揚げ、米つき、粉ひき、油絞り等々に使われていたそうです。古文書『戸村日録』によると、天保年間に酒造りをしていた金田市郎右衛門が町を流れる田方養水(高田用水)に水車を設けたとあります。また、嘉永年間、炭屋又三郎が臼を置いた10基の水車で米つきや油絞りを行なって稼いだことや下町の柳家も水車での稼ぎを申請したことが記されています。 -
真庭市立中央図書館(旧真庭市役所)
ここが、かつて初代勝山藩主三浦家の屋敷があった場所です。1772(明和7)年、初代藩主 明次は、屋敷の完成と同時に江戸から移ってきました。三浦家にとって4度目の転封であり財政的に厳しい状況でしたが、幸いにも明治維新まで10代に亘ってこの地に留まることになりました。
1874(明治6)年、屋敷は競売にかけられ、1361円で売却されたそうです。旧市役所は、その時の競売から免れた場所で、その前の駐車場になっている所に大手門が西向きに建っていたそうです。 -
だんじり
毎年10月19日~20日の2日間行われる秋の大祭「勝山まつり」では、近郊の神社から御輿が繰り出し、町中を練り歩きながら神詣でが行われます。そして夜になると、一変して山車をぶつけ合う「けんかだんじり」が観客を魅了します。この祭りは、1年間の憂さを山車に託してぶつけ合う、まさに「男の祭り」です。
近年では、3月の「女の祭り」である「勝山のお雛まつり」も新たな文化として定着してきています。 -
春樹食堂
大衆食堂として「焼きそば」などのメニューを置くお店です。「温かいおもてなしを感じてもらいたい」との思いから、大小の赤い丸をデザインし、温かい雰囲気を醸しています。庇には「春樹食堂」と大きく書かれていますが、暖簾の写真を撮る人が後で判り易いようにとの配慮から左端に店名を入れています。
かつては店の裏が船着場だったことから、「はるや」という屋号の旅館だったそうです。富山の薬売りや、山仕事に従事する「雑木師」たちの定宿として賑わっていたようです。海上交通が廃れた後、食堂に転身しました。因みに、今の屋号は、先代が当時流行っていた映画『君の名は』(アニメではありません!)の主人公の名にあやかって改名したそうです。
手前は高田用水の一画ですが、池のようになっており、図書館通いの生徒たちの憩いの場となっています。
勝山は、山と川に囲まれた山間の魅力が満載の町でした。この閑静な「隠れ里」も桃の節句では雛人形で賑わいを見せることでしょう。
この続きは、萬福笑來 山陽・山陰紀行②鳥取 金持神社でお届けします。
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