2019/01/25 - 2019/01/25
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ドクターキムルさん
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鎌倉市大船5にある粟船山常楽寺の文殊堂は、明治元年(1868年)に鎌倉・栄勝寺の太子堂を移築したものである。萱葺き屋根の入母屋の正面には瓦屋根の向拝があり、後ろには軒の垂木の端まで建物が増築されている。向拝には海老虹梁がなく、垂木だけでお堂が支えているようだ。また、太子堂を文殊堂に改築する際に、須弥壇と両陣を設けるため後ろに伸ばしたのだろう。虫が食った4本の杉の柱も全てが根元で継いでいる。それでも向拝と背後はお堂の建物の中では部材が新しいように見える。移築時に増築したことは明らかである。
最近、(鎌倉市の)調査員が調べに来たが、「創建時の部材が使われていない。」と言われたという。しかし、栄勝寺の伽藍は創建時(寛永年間(1624年~1644年))の鐘楼(寛永20年(1643年)に建立)、山門(寛永20年(1643年)に建立)、仏殿(寛永13年(1636年)に建立、寛永20年(1643年)に改築)、祠堂(寛永20年(1643年)頃に建立)、祠堂門(江戸前期)は創建時のものとされ、国指定重要文化財になっている。大正15年(1926年)に鎌倉・浄光明寺に移築された惣門や常楽寺に移築された太子堂は不当に評価されてはいまいかと思っているのだが、ここの文殊堂は創建時の太子堂からはかなりの改変を受けている。それでも「創建時の部材が使われていない。」ということはないだろう。少なくても四面に彫られた四神の彫刻は創建時のものであろう。後部(北側)は増築されて隠れて見えないが西を現す白虎の彫刻があるものと思われる。移築時に90°方角を変えて建てられたものと考えられる。
(表紙写真は常楽寺文殊堂)
英勝寺では太子堂が大船・常楽寺に移築され文殊堂として現存していると寺伝されている。絵馬殿ではなく、太子堂が正しいであろう。
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常楽寺文殊堂。
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常楽寺文殊堂。
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常楽寺文殊堂正面(南側)の彫刻。東を表す青龍であろう。
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常楽寺文殊堂内部。文殊菩薩像は見えない。
土間を床張にしている例としては鎌倉・壽福寺仏殿などがあるが、絵馬殿ならば土間であろうが、太子堂ならば床張であろう。
天井も創建当時のものではないだろう。 -
常楽寺文殊堂。
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常楽寺文殊堂。
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常楽寺文殊堂。
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常楽寺文殊堂。
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常楽寺文殊堂。
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常楽寺文殊堂向拝。
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常楽寺文殊堂向拝。海老虹梁がない。
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常楽寺文殊堂側面(東側)の彫刻。北を表す玄武であろう。
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常楽寺文殊堂側面(東側)。
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常楽寺文殊堂後部(北側)の増築部分。
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常楽寺文殊堂後部の増築部分。
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常楽寺文殊堂後部の増築部分。木鼻の部分の板を刳り貫いている。
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常楽寺文殊堂後部の増築部分。木鼻の部分の板を刳り貫いている。
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常楽寺文殊堂側部(西側)。
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常楽寺文殊堂側面(西側)。南を現す朱雀であろう。
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常楽寺文殊堂後部の増築部分の柱。根元が継がれている。
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常楽寺文殊堂後部の増築部分の柱。根元が継がれている。
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常楽寺文殊堂内部。
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常楽寺文殊堂内部。
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