2018/12/31 - 2019/01/06
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ドイツ4都市とオランダ周遊を電車移動で行ってきました。今回一人旅です。ドイツは行ってみたかった所です。第二次世界大戦時のヒトラーの軌跡を見たかったのが一番の理由です。
関連する戦争映画やドキュメンタリーもかなり見ました。ヒトラー最後の12日間、帰ってきたヒトラー、シンドラーのリスト、アウシュビッツに大量のユダヤ人を輸送にかかわったアイヒマンのドラマ、又東西冷戦時期の歴史をかなり勉強してのドイツ・オランダ行きです。
オランダ航空でアムステルダムでトランジットしてベルリンテーゲル空港INで、アムステルダムスキポール空港OUTのコースです。
ドイツはベルリン、フランクフルト、ハイデルベルク、ケルン、オランダはアムステルダムと5都市を周遊。日数的に1ケ所を1日か半日での移動でしたので、街歩きがほとんどです。
計画は自分で練り、飛行機、ホテル、鉄道に至るまで全て自力です。
一人旅も何度かすると慣れて、何でもできる気になってます。(英語は相変わらず上達せず)
予約時間の電車がなくなったり、バス乗り場を間違ったり、夜の風俗街探索等ひやひやドキドキが入り交ざり、じっくりと計画したはずがなんともスリリングな旅になりました。
30年12月31日 関空→アムステルダム→(テーゲル空港)ベルリン
国会議事堂→ブランデンブルク門周辺散策
31年1月1日 イーストサイドギャラリー→アレクサンダー広場(ワールドタイムクロック・テレビ塔・聖マリア教会・赤の市庁舎)→ベルリン大聖堂→王宮→ブランデンブルク門→チェックポイントチャーリー→ポツダム広場→総統地下壕跡地→ユダヤメモリアル→ブランデンブルク門→国会議事堂→フランクフルトへ電車移動→フランクフルト散策
31年1月2日 ハイデルベルク半日観光ハイデルベルク城→薬事博物館→大樽棟→エリザベート門→ハイデルベルクマルクト→聖霊教会→アンテブリュッケ古橋→学生牢→街歩きとショッピング→フランクフルト着→鉄の橋→レーマ広場→マインタワー→ユーロマーク→ホテル
31年1月3日 ケルン半日観光→ケルン大聖堂→ホーエンツォレルン橋→ビジネスセンター→現代美術館→香水4711→香水博物館→市庁舎→Köln中央駅→アムステルダム→ダム広場→王宮→飾り窓
31年1月4日 アムステルダム観光終日→アンネフランクの家→王宮→ダム広場→飾り窓→屋根裏の天守博物館→レンブラントの家→マヘレの跳ね橋→国立美術館→ゴッホ美術館→ナイトクルーズ
31年1月5日 アムステルダム中央駅→スキポール空港免税店買い物とラウンジで食事
31年1月6日 AM関空着
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 2.5
- ショッピング
- 3.5
- 交通
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 25万円 - 30万円
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
1月3日 アムステルダム中央駅です。
ドイツケルンからICEでオランダアムステルダムに到着しました。
駅で48時間チケットを自販機で買おうとしたのですが、どうしてもわかりません。
1回券は理解でき、購入しようと思えばできたのですが48時間チケットが欲しかったのです。
何度かやってみましたが、後ろに行列ができると心折れてしまいます。
窓口は既に閉まっており迷った挙句、買うのをやめました。
小心者です。
ホテルまでの地図は頭に入ってるし、歩けない距離でもない。時間もある。結果歩くことにしました。アムステルダム中央駅 駅
-
トラムが見えます。あのトラムに乗ればすぐにつけたのですが・・・
大きなスーツケースを転がしながら町を観光し、ホテルへ行きます。
18時頃なので人は大勢歩いています。怖さはありません。トラム 鉄道系(地下鉄・モノレールなど)
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ホテルに到着
1階はテナントが入っていて、2階からがホテルになっているようです。
入口は小さくわかりずらい。 -
ブティックホテルラベルビューです。
ここは宿泊する方の入り口です。レセプションは、27番地へと提示されています。
ホテルの口コミで調べていたものの、なんだか不安に・・
レセプションにいく急な階段を上がり、説明を受け別の入り口から入れとのこと。
階段は予想していたものの、かなり急で荷物を持ち上げるのが大変。
まぁ力持ちなので、何とかなりましたが。 -
狭い部屋でした
超狭い部屋に、スーツケースが広げられない。トイレとバスの仕切りがない。暖房が入らない。究極の囲われた部屋。外向きの窓がない。部屋と部屋の間に造られている。残念なヘアでした。まぁ寝るだけなので。。
アムステルダムは物価が高いのか、ホテルは高めです。
ただ立地は最高です。ダム広場まで5分くらい。トラムの乗り場も近い。大きなスーパーも近くにある。便利な所です。 -
アンネフランクの家
ホテルから5分ほどで到着。翌日朝予約しているので、下見です。
アンネフランクの家は、日本からチケット購入して行きました。当日はかなり並ぶ様です。
行く日の丁度2か月前から予約できます。1か月前くらいは、予約ですでに埋まっています。当日でも入れますが、チケット数は限られており折角行っても入れないということがあります。
入場料は10ユーロeメールでバーコード付きチケットが来ます。
予約時間は朝一番の9:00からにしました。アンネ フランクの家 建造物
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マグナプラザ(ショッピングセンター)
キラッキラのメイン通りです。マグナ プラザ ショッピングセンター
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アムステルダム新教会
ダム広場まで徒歩5分くらい。アムステルダム新教会です。新教会 寺院・教会
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ダム広場のオランダの王宮
ダム広場の西側に建っているかなりの広さの建物です。
現在は迎賓館として使われています。王宮 城・宮殿
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王宮の上部
細工が見事です。王宮 城・宮殿
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ダム広場
ヨーロッパでは、クリスマスを過ぎて年を越してもツリーをあらゆるところで見ます。ダム広場 広場・公園
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旧教会
ここはディープなところにあります。
夜は危ないかと思いながら、行ってみました。
飾り窓のそばにあります。旧教会 寺院・教会
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旧教会
旧教会の周りでは、飾り窓ツアーの団体が大勢いました。
夜は危ないからツアーを申し込んでいる様です。私も申し込むか考えましたが、英語のツアーだしよく理解できないだろうと一人で行く事にしました。旧教会 寺院・教会
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飾り窓界隈です。
写真は撮ってはいけないらしいので、遠くから少しだけ。
この界隈の細い通路に、上から下までの全面ガラス張りの窓を赤の枠で囲んだ場所が多くあります。
売春が合法化されているオランダで、綺麗なお姉さんがガラスの向こうの男性に向かって、モデルポーズするんです。私もガラス窓をかなりの数覗きこみました。
スタイルもよく、お顔も美人が多い。
この界隈の女性の一人歩きは危ないとか書かれてましたが、正月休みでもありかなりの人が歩いていました。家族連れや、若い男女のカップル。老若男女凄い数です。細い路地はすんなり歩けませんでした。飾り窓地区 建造物
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飾り窓界隈
赤いネオンのところが飾り窓です。
沢山の赤いネオンがあり、気に入ったお姉さんがいると金額や時間、サービスの交渉をし、合意すれば入っていきます。
その時になると、カーテンが閉まるという具合です。
彼女たちは、自営業者です。自分でレッドライトの一室を1日から数日借り自分で商売をする仕組みです。
掃除から客の呼び込みから、モデルポーズ。すべて商売につながってます。
この時は興味でこの界隈を覗いていました。しかし、調べていくと売春とは日本でもそうですが、自分からしている人だけではないのです。
借金の為売り飛ばされたり、ダンサーとして連れてこられたヨーロッパ各地の女性がいます。いまだに人身売買はあるのです。
逃げたくても逃げられない。そんな悲しい女性を興味本位で見てしまったことに今は自責の念にかられています。飾り窓地区 建造物
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ダム広場に戻ってきました。
この時間になると、人も少なくなりました。ダム広場 広場・公園
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ダム広場
王宮の周りもキラキラです。ダム広場 広場・公園
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ホテル近くの運河
運河でライトフェスティバルをしているので、とても綺麗です。 -
ホテルに戻りました。
この細く長い階段。何度か上り下りして疲れました。オランダの建物は細い階段が多いです。
この日は、朝フランクフルトを出てケルン観光。ケルンからアムステルダムと1日3都市の移動でした。
軽く疲れはあるものの、電車の時間も長く休憩しながらいい時間配分でした。
この日の歩数31,167歩でした。歩数でこの日が一番歩いてます。距離にして20キロ以上。頑張りました。 -
1月4日早朝
この日は終日アムステルダム観光です。
まずは9時から予約のアンネ・フランクの家に行きます。
予約時間通り、9時には館内に入れます。チケットはやはり日本から購入していくべきだと思いました。
ゆっくりと見て回ることができました。アンネ フランクの家 建造物
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アンネ・フランクハウス
ここでは、アンネフランク一家(父。母、姉、アンネ)の4人、とファンダール一家(おじさん、おばさん、息子)と途中独り者の歯科医デュッセルが加わり8人で隠れて生活していました。アンネ フランクの家 建造物
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アンネフランクです。
アンネ・フランクとは、1929年6月生まれ1945年3月頃死亡「アンネの日記」の作者であるユダヤ系ドイツ人です。
第二次世界大戦中ヒトラー率いるナチスドイツは、ユダヤ人迫害を行いました。
銀行家で事業をしていて裕福なオットー・ハインリッヒ・フランク一家の末娘アンネフランクは、フランクフルトアムマインで居住していました。
ナチスドイツの迫害から逃れる為、アンネフランク一家はオランダへ逃亡。
1942年から2年間、強制連行されるまで隠れ家生活をしていました。
その間生活していた場所がここであり14歳の多感な時期のアンネは、日記に色んな事をつづっていました。それが有名な「アンネの日記」です。アンネ フランクの家 建造物
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アンネ・フランクハウス隠れ家に通じる扉。
建物は2棟になっており、左側は事務所で右側のたてもの3.4.5階が隠れ家になっていました。
左側の事務所部分に本棚が置いてあり、隠れ家に通じます。
隠れ家は、通りからはわかりずらい構造になっていました。アンネ フランクの家 建造物
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アンネ・フランクハウス
アンネの部屋です。当時貼られていたのものがそのまま残されています。
アンネは日記に当時の生活や、恋愛、将来の夢を書いていました。
普通の14歳の少しおませな女の子でした。
私は小学校の頃アンネの日記を読み、感想文を書いた記憶があります。
当時、平和な日本で何不自由のない生活をしていて、アンネの日記を読んでも遠い異国の話で、他人事だった気がします。
その年代は、ドイツでの大量虐殺の映像など見たこともなく授業で聞くくらいだったと思います。
しかし、大人になるにつれ戦争時の画像を見たり、アウシュビッツ収容所の画像が流れ出すとかなり衝撃を受けた覚えがあります。
今回実際にこの家を見て回ると、かなり重く、見ている人達みんな私語もなく、静かに当時の情景を想像している様でした。アンネ フランクの家 建造物
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1944年、とうとうアンネの家にゲシュタボ(ドイツ秘密警察)がやってきて、アンネは強制連行されます。アウシュビッツ収容所へ送られたのです。
姉とアンネはアウシュビッツから、ベルゲン・ベルゼンの収容所へ移動させられチフスにかかり死亡しました。
母はアウシュビッツで亡くなっています。
アンネの父のみ生き残り、戦後この自宅に戻り全員の死亡を知ります。
その後このビルが他の会社に変わったりしましたが、父オットーがアンネフランク財団を作り博物館として現在に至っています。アンネ フランクの家 建造物
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西教会です。
アンネフランクの家のすぐ横手にあります。西教会 寺院・教会
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王宮
西教会から歩いて10分ほど、ダム広場にきました。
昨夜もみた旧王宮です。
王宮は市庁舎として350年間使われてきたところです。
1808年ナポレオンの弟のルイ・ボナパルトが王宮として使い始めてから、現在に至っています。
建物の内部は当時のまま、オランダの黄金期の豪華な市庁舎として国内外でも有名でした。
いまは国内外からの来賓などを迎える迎賓館として使われています。
入館してすぐのところでチケットは売られ、現地ですぐに購入できました。
チケット料は10ユーロです。王宮 城・宮殿
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王宮
入ってすぐの大広間です。建造物の細工が細かくとても綺麗です。シャンデリアは豪華で、床の大理石も重厚感があります。
派手さはないけど、荘厳な落ち着いた広間です。王宮 城・宮殿
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王宮
広間の床には、地球のマップがあります。
大理石?で作られていて素敵な地図です。王宮 城・宮殿
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王宮
部屋をすべて回ります。ルイ・ボナパルトが残した調度品や、オランダ王家の収集した絵画、彫刻など沢山あります。王宮 城・宮殿
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王宮
どの部屋も落ち着いた色合いです。王宮 城・宮殿
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かなりの大作です。
絵画も沢山あります。王宮 城・宮殿
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ウィルヘルミナオランダ女王(1890年 - 1948年)在位の肖像画です。
1948年娘のユリアナに譲位するまで58年もの間女王であった人物です。
先の大戦時女王だった方です。とてもお綺麗な方です。
ウィルヘルミナから2013年までオランダは女王が続くこととなった。
1948年から2004年まで娘のユリアナが女王でした。
2004年から2013年までから娘ベアトリクスが譲位。
2013年から息子である現在のウィレム・アレクサンダーが国王となる。王宮 城・宮殿
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現在の国王ウィレム・アレクサンダー国王と奥様のマクシマ・ソレギエタ王妃の写真です。入り口あたりにあります。
女王の在位が123年続いたオランダで2013年国王が誕生しました。
国王は皇太子時代から14回も日本を訪問している方です。
日本とオランダの関係が上手く行っていない時代もありました。
しかし現在は、イギリス王室と血縁関係(王妃)のあるオランダ皇室と日本の皇室は、同じ立憲君主制民主主義国とし、国家間で親密な関係を結んでいます。
オランダはヨーロッパでは、スウェーデン王室やイギリス王室などと共に王室間での交流が盛んな国です。
外交活動をご病気で5年出ていなかった皇太子妃雅子様が、オランダ国王夫妻が日本へ来た際、とても明るくひざを折って挨拶するクリスティーと言う正式なご挨拶をしているのを見ました。
雅子様はオランダ王室が好きなんでしょうね。オランダ王室に親近感を覚えます。王宮 城・宮殿
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次に屋根裏の天主博物館へ行きました。
王宮から旧教会、飾り窓地区の一角の博物館へ来ました。
ここも必ず行くと決めていたところです。
入場料は12.5ユーロです。当日、入口すぐの受付で購入。そんなに混んでいません。
名前の通り、秘密の教会です。
外の近代的な外観からは想像もつかない、内部でした。
オーディオガイドに日本語はありませんでしたが、英語のガイドで雰囲気はつかめました。屋根裏部屋の教会 (旧アムステルクリング博物館) 博物館・美術館・ギャラリー
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屋根裏の天守教会の外観です。
オシャレなショップという感じです。
1600年頃、家の屋根裏部屋に建てられた教会です。
当時カトリック信仰は私的にしか容認されず、全てののカトリック教会はプロテスタント教会に改宗させられたのです。
その後、豊かなリネン商人が、普通の家の屋根裏部屋でこの教会を作りました。
外からは見えず、家の裏側の階段を通って教会に入れました。屋根裏部屋の教会 (旧アムステルクリング博物館) 博物館・美術館・ギャラリー
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教会内部です。
ローマカトリックの習慣で美しく飾られています。
うす暗闇の中で、素晴らしい絵画とつくりになってます。屋根裏部屋の教会 (旧アムステルクリング博物館) 博物館・美術館・ギャラリー
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狭い場所に立派な教会です。
立体構造になっていて、上からも臨めます。屋根裏部屋の教会 (旧アムステルクリング博物館) 博物館・美術館・ギャラリー
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狭い階段を登り上手く空間利用しています。
屋根裏部屋の教会 (旧アムステルクリング博物館) 博物館・美術館・ギャラリー
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古いオルガンも当時のままあります。
屋根裏部屋の教会 (旧アムステルクリング博物館) 博物館・美術館・ギャラリー
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ベットは壁にあります。
17世紀の人達がどのように居住していたかわかります。屋根裏部屋の教会 (旧アムステルクリング博物館) 博物館・美術館・ギャラリー
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博物館には展示物もあります。
司祭の行事用の服でしょうか。屋根裏部屋の教会 (旧アムステルクリング博物館) 博物館・美術館・ギャラリー
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教会から外を望む。
運河と対岸が見えます。
場所的には、飾り窓界隈です。屋根裏部屋の教会 (旧アムステルクリング博物館) 博物館・美術館・ギャラリー
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運河を行き来して、街を歩いていきます。
次なる場所は、レンブラントの家です。今は博物館になっています。
1606年大金でこの自宅を購入。その後破産し競売にかけられる。
レンブラント生誕300年の際に、再現させることとなり1911年に博物館としてオープンしました。
レンブラントは、オランダのバロック絵画を代表する人物です。
夜警や自画像はあまりにも有名。
外観のみ観光。レンブラントの家 建造物
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レンブラントの家
このまままっすぐに行った運河沿いに、出店が多くあります。レンブラントの家 建造物
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蚤の市界隈です。アジア系の人が商店主でした。
中国人かしら?
古着、古本、アクセサリー、古物等沢山のお店が並びます。
ここで、お土産のアムステルダムのマグネットを購入。
とにかく安い。いいお買い物できました。ポ・チャイ・トン 専門店
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マヘレの跳ね橋
アムステルダムで最も有名な橋『マヘレの跳ね橋』です。
アムステル川に架かっている、1671年に建てられた唯一木造の橋です。
現在は自動制御の開閉ですが、昔は人が手動で開閉していました。マヘレ橋 建造物
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マヘレの跳ね橋
ゴッホが『アルルの跳ね橋』という絵をかいています。
オランダ生まれのゴッホが南仏アルルにに移り住んだ頃、故郷に思いをはせ
描いた絵と言われています。他にも跳ね橋の絵をゴッホは書いています。マヘレ橋 建造物
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エルミタージュ美術館(アムステルダム別館)
レンブラント広場に近い運河沿いにエルミタージュ美術館があります。
エルミタージュと言えば、ロシアサンクトぺテルブルクにあるのでは?と思いましたが、ロシアとオランダの関係や膨大な質の高いコレクションがあるそうです。
ロシアサンクトペテルブルク建設時に多くのオランダ人が関わっていて、歴史的にかかわりが深いそうです。
2つの文化的な街を結ぶ友好関係は現在まで続いています。
昨年夏に、エルミタージュは行ったので中には入りませんでした。エルミタージュ美術館 アムステルダム 博物館・美術館・ギャラリー
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アムステル広場
朝から歩きっぱなしで、軽く食事をした休憩場所です。
何もない広場ですが、周りは居住区で現地の人の生活が垣間見れます。
ここから国立美術館へ向かいます。
アムステルダム2へつづくモコ カフェ
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