2018/10/25 - 2018/10/25
191位(同エリア554件中)
ガッサンさん
この旅行記のスケジュール
2018/10/25
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醒井宿に14:30頃、到着しました。
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NHKの旅番組「小さな旅」で醒井宿が今年放映された。観光化が進んでいる、と思いきや進んでいません。
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醒井宿を案内する「醒井湧くわくMAP」はコピーが擦れ読み取れません。何で、という思いが起きてきます。
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NHK「小さな旅」で見た地蔵川に覆い被さる緑は、10月末にはなかった。違う光景を見ているようだった。
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醒井宿から長浜市へ移動しました。
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この旅行記スケジュールを元に
関ケ原を越えると、そこは近江国坂田郡「醒井宿(さめがいしゅく)」中山道61番目の宿場である。現在の滋賀県米原市醒井。旧中山道の風情が残る町です。
醒井宿から中山道の分岐点米原宿、北国街道に入り長浜。この道筋は天下人秀吉が若かりし頃、岐阜と長浜を行き交う為、幾度となく通った街道である。長浜は秀吉が造った城下町、その心は今も息づく。その面影を辿り歩いてみました。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 新幹線 JRローカル 私鉄 徒歩
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JR醒ヶ井駅を出ると左側へ曲がり関ケ原方面へ、醒井宿に向かって歩きました。中山道の頃は都が京都でした。従って、上(かみ)でなく下(しも)、「下り」になります。
奥に見える欄干は地蔵川に架かる「いさめばし」のものです。醒井宿 名所・史跡
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橋の入口の欄干には「中山道醒井宿」と彫られていました。
醒井宿 名所・史跡
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「いさめばし」から地蔵川を覗くと10月末というのに「梅花藻(バイカモ)」が白い小さな花を水の中に咲かせていました。初夏の数週間咲く珍しい水草と聞いていたが、温暖化の影響でしょうか、結構花は咲いていました。
地蔵川 自然・景勝地
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醒井宿の街道に建ち並ぶ民家。かつては旅籠が建ち並んでいたことでしょう。
姉川で織田・徳川連合軍対朝倉・浅井連合軍が戦いました。織田・徳川連合軍が勝利し、信長の命で秀吉は浅井の小谷城を監視する役目になり、小谷城に対峙する横山城(長浜市)に入りました。その当時、織田の本拠地は岐阜でした。信長の命を受ける為、秀吉はその都度、岐阜に向いました。小谷城を落とすまで幾度となく、岐阜と横山城(長浜市)を往復しました。
若き頃、秀吉が醒井宿を通ったかは定かではありません。秀吉が岐阜へ登城し、留守をする度、浅井は横山城へ仕掛けて来ました。秀吉はその度、横山城へ急行しました。
私はこの地域へ何回か踏査しました。醒井宿を通ると遠回りです。現在の国道365号(長浜から伊吹山山麓を通る)沿いに間道が出来ていた、と想像する。従って、火急の場合は最短コースを走ったと思われる。しかし、安全上から醒井宿を通過したことも伺えます。醒井宿 名所・史跡
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立派な門の横に石碑が立っていました。明治天皇御駐輦所の石碑でした。
醒井宿 名所・史跡
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懐石料理の「多々美家」です。
醒井宿 名所・史跡
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イチオシ
醒井宿のシンボル地蔵川です。地蔵川は、居醒の清水などから湧き出る湧水によってできた川で、水中花「梅花藻(バイカモ)」で有名です。
地蔵川 自然・景勝地
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醤油屋喜代治商店です。店先は中山道の雰囲気を出していました。古い暖簾も味わい深いものがあります。
醤油屋喜代治商店 専門店
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米原市醒井宿資料館前を流れる地蔵川、川面には水中花「梅花藻(バイカモ)」が顔を出していました。
地蔵川 自然・景勝地
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「日本遺産 滋賀・びわ湖」の案内です。中山道醒井宿の説明もあります。
醒井宿 名所・史跡
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「日本料理 本陣樋口山」は虹鱒 (ニジマス) を中心とした日本料理店です。
本陣 樋口山 グルメ・レストラン
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パワースポット「醒井地蔵尊」湧水スポット「水汲み場」の道標が立っていました。
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「醒井延命地蔵尊縁起」が立ち、地蔵尊の由緒が詳しく書いてありました。
醒井地蔵尊 地蔵堂 寺・神社・教会
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醒井地蔵尊 地蔵堂です。地蔵堂の背後に見えるガードレールは日本最初の高速道路「名神高速道路」です。この小さな谷は日本の交通の要衝の地です。東海道新幹線、名神高速道路が通り、古くは中山道が通りました。
ここ醒井は日本列島の隘路、隘路を抑えることは天下を制することに繋がりました。醒井地蔵尊 地蔵堂 寺・神社・教会
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イチオシ
「居醒の清水」は加茂神社の境内にある、と書いてある文書をよく見ます。厳密に言えば境内かもしれませんが、道路沿いにあります。
「平成名水百選 居醒の清水」と「蟹石」の立て札が立っているので見逃す恐れはない、と思います。
平成名水百選 居醒の清水加茂神社 寺・神社・教会
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イチオシ
「居醒の清水」は加茂神社の袂の石垣の下からこんこんと湧き出ている。「居醒の清水」と記された高札の下を見れば、透き通って、水が勢いよく噴き出ているのがわかります。 地蔵川の源泉となり旧中山道のほとりを川となって流れて行きます。
日本武尊が熱病に倒れ、体毒を洗い流した霊水と伝えられ、不思議なことに目が醒めるように元気になったという伝説がある湧水です。この言い伝えから「居醒の清水」と呼ばれるようになり、この地域の名前にも「醒井」という文字があてられるようになったとされる。加茂神社 寺・神社・教会
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「居醒の清水」の周囲にはいくつもの湧き水の湧出口があり湧水池になっています。鳥居をくぐると、日本武尊が伊吹山征伐の後に腰をかけて休んだとされる「腰掛石」とその際に馬の鞍を掛けたとされる「鞍掛石」が、この湧水池のなかにあります。「腰掛石」「鞍掛石」の高札が立っていました。
加茂神社 寺・神社・教会
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加茂神社の鳥居です。急峻な階段を上がって行きます。神社の背後に名神高速道路が走っています。当初は現在地より南に鎮座していたそうです。名神高速が通ることになり醒井宿の東の入口付近である現在地に遷座したそうです。
加茂神社 寺・神社・教会
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加茂神社の「手水舎(てみずや)」です。
加茂神社 寺・神社・教会
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加茂神社の拝殿です。
加茂神社 寺・神社・教会
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宿場を切り盛りした施設「醒井問屋場」が昔のままの姿で残っており、往時の賑わいを伝えています。米原市指定文化財に指定され、米原市醒井宿資料館として活用されています。
醒井宿資料館(問屋場) 美術館・博物館
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地蔵川の川面です。川面はびっしり梅花藻で埋め尽くされていました。5月中旬~8月下旬まで白い小さい花を咲かせる水中花と聞いたが10月下旬というのに、まだ白い花は咲いていました。
地蔵川 自然・景勝地
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加茂神社の方から駅に向かって歩いています。地蔵川に架かる橋の欄干には漢字で「居醒橋」と彫り込んでありました。反対側はひらがなで「いさめばし」でした。
地蔵川 自然・景勝地
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明治時代の醒井小学校の玄関が残っています。玄関前に立つ案内板です。
松尾寺政所 寺・神社・教会
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この建物が明治時代の醒井小学校の玄関です。重厚な造りです。
松尾寺政所 寺・神社・教会
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この建物は「旧醒井郵便局局舎」です。かつての宿場町には、今も当時の風情を感じさせる町並みが残っています。この建物は、アメリカ出身の建築家で実業家としても活躍した、ウィリアム・メレル・ヴォーリズが設計に関わったと伝えがあります。
醒井宿資料館(問屋場) 美術館・博物館
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旧醒井郵便局局舎は現在、醒井宿問屋場とともに、「中山道醒井宿資料館」として利用されています。
醒井宿資料館(問屋場) 美術館・博物館
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JR東海道本線の「醒ヶ井駅」です。醒ヶ井駅は東海道本線におけるJR東海管轄駅の中で最も西になる駅です。 隣の米原駅は西日本旅客鉄道(JR西日本)の管内に入ります。
醒ケ井駅 駅
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醒ヶ井駅の「きっぷうりば」です。切符の販売機はありません。きっぷうりばの窓口に駅員がおり、昔ながらの手渡しで販売していました。
醒ケ井駅 駅
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醒ヶ井駅のホームです。人影は疎らですが、東海道本線の立派なホームです。
醒ケ井駅 駅
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長浜市の曳山博物館前に石碑があります。石碑には「豊公の街は永久に美しく」と記されてありました。この「豊公」は豊臣秀吉です。
この長浜という城下町を造った人は秀吉です。浅井領の中心地は山城の小谷城でした。天正元年(1573年)に信長に攻められ、小谷城は落城しました。
天正元年に羽柴秀吉(豊臣秀吉)が浅井長政攻めの功で織田信長から浅井氏の旧領を拝領しました。秀吉が初めて城持ち大名になりました。信長は岐阜に城下町を造り、楽市楽座を進め繁栄を極めていました。その繁栄ぶりを見て、城下町を山城の小谷城から平城に移す決心をします。
秀吉が浅井領を拝領した当時、長浜は今浜(いまはま)と呼ばれていた。この地を信長の名から一字拝領し長浜に改名した。小谷城で使われていた資材や、あらかじめ、竹生島に密かに隠されていた材木などを見つけ出し、それらを使用し築城を開始した、という。曳山博物館 美術館・博物館
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長浜町絵図は「豊臣秀吉公と朱印地」を記した碑です。
豊臣秀吉公は、天正2年(1574)頃から長浜の城下町を建設しますが、町屋敷年貢を免除して町民の誘致を図りました。この年貢免除の規定は、秀吉公が長浜を去った後も認められ、天正19年(1591)5月9日の朱印状によって300石という範囲も確定しました。
従って、上記の絵図は「年貢を取りませんというエリア」を示す絵図です。左右の絵図から現在の町割(まちわり)は秀吉時代に出来上がったことがわかります。曳山博物館 美術館・博物館
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左側の店は、食事・喫茶の近江肉料理の「せんなり亭近江肉橙(だいだい)」です。近江牛肉専門店直営の店です。ステーキ・すき焼きが楽しめます。近江肉ステーキ重も逸品です。
せんなり亭近江肉 橙 グルメ・レストラン
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旧明治銀行長浜支店 黒壁1號館は現在「黒壁ガラス館」となり活用されています。
黒壁ガラス館 名所・史跡
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黒壁ガラス館の外観は黒色を基調とし、落ち着いた雰囲気を醸し出していました。
黒壁ガラス館 名所・史跡
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凸凹堂長浜です。アクセサリーやストールを取り扱っているお店です。オリジナル商品もあります。
長浜大手門通り商店街 市場・商店街
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凸凹堂長浜のお勧めは、オリジナルの深海ブルーとんぼ玉のアクセサリーです。
●深海ブルー● 深い海の底をのぞきみたような神秘的な色合い ☆季節・年齢・性別を問わず人気です☆ と店先の看板にありました。長浜大手門通り商店街 市場・商店街
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大手門通り商店街の中ほどに「土田金物店」という大きな看板のかかった旧商家があります。現在は「まちづくり役場」です。まちづくり役場は数人のスタッフが年中無休で活動しているNPO法人の団体です。
長浜は、まちづくりの先進地として注目を集め、視察は多い時で年間約400件くらいあった。全国の多くの中心市街地が、郊外の大型店におされて衰退している中、長浜は黒壁を起爆剤に多くの人が訪れるとても元気なマチです。長浜のことが知りたい人たちにとって、まちづくり役場は情報発信の拠点となっています。長浜大手門通り商店街 市場・商店街
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大手門通り商店街の中ほどに「まちづくり役場(土田金物店)」があります。その近くに小さな社の「延壽地蔵尊」がありました。
長浜大手門通り商店街 市場・商店街
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正面の建物は「海洋堂フィギュアミュージアム黒壁」の入口です。
海洋堂フィギュアミュージアム黒壁 龍遊館 美術館・博物館
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「海洋堂フィギュアミュージアム黒壁」は株式会社 海洋堂及び食玩メーカーの協力のもと株式会社 龍遊館が企画・運営しています。 海洋堂のフィギュアは日本最大級の品揃えで、人気のカプセルフィギュアやオリジナルアイテムも購入できるそうです。
海洋堂フィギュアミュージアム黒壁 龍遊館 美術館・博物館
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イチオシ
川の名前は「米川」です。川筋の家並みは長浜の歴史を彷彿させます。
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路地裏の川筋には生活観があります。
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商家の前に石碑が立っていました。石碑の側面には「天香さん下坐 初体験の場」と刻んでありました。
西田 天香(1872~1968)は、滋賀県長浜市生まれの宗教家・社会事業家、政治家。一燈園の創始者で参議院議員でした。 -
石碑の上面には、近代日本の求道者 西田天香さんを紹介するプレートがありました。一燈園生活創始者 長浜市名誉市民 第一号(1872~1968)、と書かれてありました。
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文泉堂です。書道、俳句、骨董等々趣味の本色々。お座敷画廊で催事も色々です。岸駒の襖絵と梅の古木が有名です。
文泉堂 グルメ・レストラン
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文泉堂は江戸期の商家を守り続けた佇いで、市のまちづくり風格賞を受賞しています。元は「銭作」という屋号の両替商で、初代町長吉田作平を輩出しております。などの案内が店先に出ていました。
文泉堂 グルメ・レストラン
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「茶処 べっこうや」さんです。かつて、「茶処 べっこうや」さんでは手作りチャーシューとドリップコーヒーを販売していたそうです。訪れたときは店を閉めていました。尋ねた所、「茶処 べっこうや」さんは夏頃閉店したそうです。
茶処べっこうや グルメ・レストラン
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長浜煎餅堂です。和菓子、せんべいを扱っている店です。訪れたときは店を閉めていました。尋ねた所、この店舗から同じ黒壁スクエア内に移転しました。新住所は長浜市元浜町12-32番地です。凸凹堂長浜の隣になりました。
長浜煎餅堂 グルメ・レストラン
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「菓富庵かどや」は240年余りの歴史がある老舗の和菓子屋だったそうです。人気商品「麩まんじゅう」は伊吹山の名水で冷やした柔らかい触感の生麩のお菓子でした。ご覧の通り、店先は荒れていました。尋ねた所、秋頃に閉店したそうです。
菓富庵かどや グルメ・レストラン
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招喜屋(まねきや)は日本全国に10店舗を数えるそうです。その1店舗が長浜の黒壁スクエア内にあります。入口で迎えてくれるかわいらしい「まるころ丸鏡」はつい足を止めてしまいます。
長浜大手門通り商店街 市場・商店街
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様々な顔の招き猫や人気シリーズの動物、アクセサリーを豊富に取り揃えてありました。
長浜大手門通り商店街 市場・商店街
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招き猫を様々にデザインした人形たちです。よく招き猫のバリエーションを考えたものです。
長浜大手門通り商店街 市場・商店街
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この通りは長浜を通る「北国街道」です。北国街道は、 信濃追分から始まり ~ 善光寺 ~ 高田 ~ 出雲崎間そして高田 ~ 金 沢 ~ 敦賀 ~ 米原まで約620kmの長い街道です。
足軽が片手に火縄銃を持っています。ここは長浜、この近くに国友(くにとも)鉄砲村があります。私は2回ほど訪ねました。国友村は、現在の滋賀県長浜市国友町です。戦国時代から江戸時代末期まで、堺、根来と並び称される鉄砲の生産地でした。織田信長が、500挺もの火縄銃を国友村に鉄砲を発注したという記録があります。姉川合戦(1570年)を機に村を所領とした信長は、羽柴秀吉に命じ、国友村に鉄砲業の発展をなし遂げさせました。
以前、国友町を訪ねました。田園が広がる、どこにでもある、のどかな農村という感じでした。鉄砲業を営んできた、という面影はどこにもありません。ただポツンと鉄砲資料館があるだけでした。 -
ここは北国街道です。「武者隠れ道」という大きな案内がありました。案内によると
「この通りは北国街道の中で「武者隠れ道」と言われ他の街道には見られず、四ッ辻間が南北長さ六十五間九尺(120米)各戸の家敷と隣家の家敷の境界が不規則に出たり入ったりして戦の時に身を隠したと古老より言ひ伝えられております。この様な道は余り他に見られぬ独特の景観を呈しております。
北国街道 近江長浜 下呉服町」
とありました。 -
「武者隠れ道」の案内板があり、内容は「うだつ」についての説明でした。
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ここは北国街道です。街道に対して軒先の出ている量がデコボコで揃っていません。「武者隠れ道」です。街中での銃撃戦時、銃口と目だけ出して打つには持って来いの造りが「武者隠れ道」です。
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街灯の電柱に「北国街道」のプレートが付いていました。
かつて、賤ヶ岳合戦時、秀吉は美濃大垣に居ました。勝家動くとの情報により、秀吉は賤ヶ岳へ急行しました。これを以前から予測し準備をしていた。北国街道の道々に松明を焚かせ街道を照らした。所々に炊き出しと水を置いた。秀吉軍は大垣から走りに走り、あっという間に着陣した。このスピードに勝家は負けた、という。 -
今重屋敷能舞館は、造り酒屋を営んでいた伝統的町屋を修復再生し、蔵として使用されていた建物を新たに能の展示場として、開館したそうです。
今重屋敷 能舞館 名所・史跡
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イチオシ
北国街道沿いの家並みです。歴史ある家々が並び、雰囲気がある通りです。
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「かわ重 涼風亭」の店です。創業天保元年。ガラス工芸品・名窯陶器・和風ギフトの専門店です。
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「北前船のカワモト」は福井県にある「株式会社北前船のカワモト」が運営するお店で、日本各地に店があるそうです。店先には「手すき おぼろ昆布」の旗が揺らめいていました。
福井の名産品から海産物、毎日のご飯のお供まで全国に美味しさをお届けています。 -
イチオシ
郷土料理 焼鯖そうめんの「翼果楼(よかろう)」です。焼鯖そうめんの専門店です。柔らかく煮た焼鯖とそうめんの相性は絶妙です。
翼果楼 グルメ・レストラン
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「翼果楼(よかろう)」の店先です。メニュー・焼鯖などが飾ってありました。
翼果楼 グルメ・レストラン
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「古美術 西川」は北国街道沿いにあります。秀吉が山城の小谷城から平城の長浜に移してから、長浜は発展しました。街中を北国街道が通り、琵琶湖の水運も使え、長浜の街は加賀や京都の雅に触れ、長浜の町衆たちは調度品へのこだわりも強く、先祖代々受け継がれた逸品が数多く残されています。
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家の前に案内板が掛かっていました。
■長浜歴史遺産 北国街道安藤家
秀吉がこの地を城下町として開いたとき、町の中から代表十人を決め、町の自治を委ねました。安藤家はその一人として、江戸期を通じ代々この地で活躍しました。
明治三八年(1905)に建てられたこの住宅は、虫籠窓(むしこまど)・紅殻格子(べんがらこうし)などがある長浜らしい近代和風建築で、「古翠園(こすいえん)」と名付けられた日本庭園も見どころです。
またこの家にいくどとなく逗留した北大路魯山人(きたおうじろさんじん)は、離れの「小蘭亭(しょうらんてい)」に直筆の天井画・襖・篆刻(てんこく)などを残しました(季節公開)。大広間では魯山人の最高傑作といわれる篆刻看板「呉服」を常設展示しています。
長浜まちづくり(株)
と書いてありました。北国街道安藤家 名所・史跡
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イチオシ
北国街道安藤家です。「小蘭亭(しょうらんてい)」を特別公開していました。
北国街道安藤家 名所・史跡
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「開知学校」です。明治4年に開校された県下初の小学校です。登録文化財。
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開知学校の向いに「NAGAHAMA TOWER BILL」という古い建物がありました。
長浜タワービルは、1964年(昭和39年)に、地元の資産家が「長浜にも東京タワーのような名物を作りたい」という意向で建設したそうです。北国亭 グルメ・レストラン
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ガラス板に描かれた「黒壁スクエア案内図」です。
長浜のまちづくりも紆余曲折を経ながら30年で現在のようになったそうです。
様々な問題がある中でも関係各所が連携しながら、今後も「まちづくり」を続けて行きたいと言っていました。
秀吉が築いた長浜城の城下町は黒壁の町として甦り、往時の楽市楽座の賑わいを思い起こします。是非、訪ねてみよう。 -
長浜市豊公園の浜から見た夕暮れの琵琶湖です。
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比良山地に沈む夕日。夕日は湖面に光の筋を作っていました。
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イチオシ
比良山地に沈む夕日。秀吉もかつて、長浜城天守閣からこの夕日を見たことでしょう。そして、何を思ったことか。
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確か、小学生の頃だったと思う。「風船物語」が国語に載っていた。話の筋は確か、記憶を辿ると手紙を付けた風船が「長浜」に舞い降りた。それは思いも寄らぬ遠い所から来た。長浜の小学生が相手に手紙を書き、出合いが始まる。こんなイメージのストーリーだった、と思う。その頃、全く長浜の知識がなかった。
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夕日は間も無く比良山地に沈みます。琵琶湖の湖面も黒なじんできました。
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