2018/10/25 - 2018/12/03
2182位(同エリア6950件中)
サンフランさん
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何気なく歩いていた南禅寺界隈、この周りには何があるのかきずいていなかった。せいぜい認めていたのは、順正、奥丹などの湯豆腐の店。
NHKの番組で南禅寺界隈別荘群として紹介された
「5000万人が訪れる京都にガイドブックに載らないこんな場所があった。明治から昭和のはじめに政財界の頂点を極めた男たちが財力と教養を惜しみなく注いで築き上げた極上の空間が15軒」 NHKの番組で南禅寺界隈別荘群として紹介された。
この15軒の多くの庭を作庭したのは、植治と呼ばれた7代目の小川治兵衛(1860-1933)いう人物。
明治から昭和初期にいたるまで数々の庭園を造っている。
疎水完成は128年前の明治23年(1890年)
明治29年(1896年)-疎水を利用した工場用地に山縣有朋と植治が最初の別荘とその庭を建立
東山から川が流れるような風景
母屋の近くに樅の木
縁側の先に芝生」
(NHK, 南禅寺界隈別荘群)
疎水は琵琶湖に始まる、秋の1日、日柄もよく、琵琶湖を出発。疎水沿いは紅葉もいいはずだったが、どうも今年の紅葉はいただけない。略図しか持たなかったために第2トンネルの出口にたどり着かず。道に迷いながらさまよいこの日は6時間以上の歩きだった。
2日がかりでインクラインへようやくたどり着く。疎水は明治の時代に山科の水田を潤し、インクラインまでは運河として琵琶湖から物資を運んだ。もちろん発電で京都市は日本で初めて電車を走らせた。それだけではない、防火用水として、発電所上のダムから京都市は南禅寺界隈の宅地に水路を巡らせた。これはじつは豪邸の庭の池に水を流すためである。豪邸の数は60軒、明治から昭和に至るまでの財界、政界トップの人たち、松下幸之助氏にまで及ぶ。
まずは山縣有朋の無鄰庵を訪ねてみた。そこは植治の名を挙げた見事な庭園だった。東山の渓流が庭に流れ着いたような錯覚となる。残念ながら紅葉はいまいちであったが、醍醐から掘り出した名石が渓流をかざる。
一度訪れたこのある平安神宮の神苑、これも植治の作庭であるという。再び訪れてみると、そこは植治ワールドになっていた。流れは東神苑から中神苑を経て、西神苑に達する。中神苑の池中にある円筒形の飛び石、松を中心とした植栽。
植治の庭園が他にはないか? 疎水の流れに沿ってさがしてみた。蹴上の船溜まりから南禅寺に流れができている。発電所系は無鄰庵のほか智水庵、対龍山荘の庭に流れる。南禅寺にある水道橋はなぜあるのか? ようやくわかった。水道橋を流れはわたって北へ。東山高校の間を流れは下り、そこにある豪邸、野村碧雲荘の庭を潤す。さらに、怡園、清風荘、流響院、洛翠などに流れて、白川に流れ出る。これらの庭園は残念なことにすべて非公開。
気を取り直してまだある植治の庭をたずねる。京都動物園の北側にある白河院庭園へ。流れはほとんどないが、池の水面にもみじが写り、見事な光景であった。
さらに都ホテルにある庭園を訪れた。5Fの客室から入る庭園は少し手入れが悪かったが、水はダイナミックに上から落ちていた。
最後に国際交流会館
残念ながら立ち入り禁止でCAFEから覗くしかなかった。
あとひとつあった。円山公園も植治の作庭。池には観光客が多いが、水源が疎水だとは知られていない。ところがその流れは止まっていた。
2022年6月7日
平安神宮の神苑が無料開放になると聞いて、前日の雨も止んで天気もいいし、出かけて見ました。花菖蒲が見ごろとのこと。
- 旅行の満足度
- 3.0
- 観光
- 3.0
- 交通
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス JRローカル 徒歩
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秋の疎水、南禅寺界隈を散策する前に、10月上旬、南禅寺の近く粟田口の粟田神社で祭礼が行われるので、出かけてみた。
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10月7日
三条通りに通りかかる。いつもは閉ざされているお宅が開かれ、これが矛!日本語では「矛を収める」とかよく言うけれど矛ってどんなものなのか見たことがかった。
祇園祭の山鉾にも置かれているはずだが、見たことがない -
粟田神社
お祭りとは思えない静けさ
この前は旧東海道!? 京都三条をでて、旅人はここで旅の安全を願ったのであろうか? -
粟田神社由緒
牛頭天王を祀った。現在はスサノオノミコトを祭る。京都に多い? 八坂さんもおなじ。 -
坂をあがって拝殿本殿を見ることに
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参道に馬がいる!京都には馬の神社が多いみたいだ!
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拝殿へあがる。元禄時代の1703年に建立されたとある!
粟田神社大祭 祭り・イベント
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奥の本殿は1823年の再建、向唐破風造りの屋根」 (京都市たて看板)
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粟田大燈呂の準備がされていますが、....
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そうこうしているうちに矛を牽いた一団が
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なかなか出発の様子もないので、今日はこの辺で
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3条通りから神社にはいる
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10月8日
再び粟田神社
正午を回った。今日は祭り姿の人が集まっているようだ。
まだ動きは内容なので、付近を散策 -
ホテル・オークラ別邸
粟田山荘
ミシュランの星の料理店だ!粟田山荘 宿・ホテル
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みこしの動きはまだないみたいだ。
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3条通りに矛の列があった。剣矛を立てるのは結構大変そうだ。
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矛刺し、2本立ちました。
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矛を天に突き上げている。
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矛は3条通りを進む。移動には横にしてはこぶ。
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子供みこしも行く。
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矛の列は立正佼成会の中へ!
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剣矛と大燈呂の説明が鳥居の近くにあった。
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午後1時を過ぎてようやく神輿が降りてきました。
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鳥居をくぐって街中へ
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平安神宮前には矛の列
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ここには矛を突き上げる集団が! 矛を突き上げて病気を追い払うのだそうだ。
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矛の列はこんな路地にも入り疫病神を追い払う。
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一方、神輿は青蓮院の前にいた。
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矛も一基が青蓮院門前に
そろそろここまでで -
11月24日
JR大津駅に
もう10時になってしまった。 -
大津駅前の大通りを琵琶湖のほうへ向かいます。
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大津湖畔なぎさ公園へ到着
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対岸が見える。アメリカの5大湖に比べると小さい景色だ
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観光船が停泊している。大津港
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京都とは違ったモダンな風景の向こうに比叡山
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プロムナードを振り返る。右にあるのは琵琶湖ホテル
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北国橋
三井寺の看板のあるあたり
この辺が疎水の入り口だろうか? -
琵琶湖第1揚水機場
どうやらここが疎水の入り口らしい -
疎水は京阪電車の鉄橋の下を流れる。
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水門がある。
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しばらく疎水に沿って歩くと疎水はトンネルに
「第一トンネル東口には石の扁額がかけられている。「気象萬千」と書き記したのは伊藤博文」(京都市民新聞30-8-1) -
工事現場の交通整理のおっちゃんに道を聞く。どうやらこちららしい。
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ちらほら紅葉はしているみたいだ。
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三井寺の入山路
桜の名所らしい
先を急ぐ -
長等神社-天智天皇の時代からあるらしい。
ここを斜めに入る長等神社 寺・神社・教会
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突き当たったとこRに道標がある。
小関越え
どうやら右らしい。 -
小関越えは東海道の間道だったらしい。
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ところが延々と上りが続く
幸い車は通らない。 -
下ってきたハイカーに聞いたところ「地蔵堂の先に左に入る道がある」とのこと。
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地蔵堂ありました。
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ここだろうか? 左に入る
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倒木がひどかったらしい。
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第1トンネル縦坑
「山の両側から掘り進むほか、山上から垂直に穴を開けて、そこから両側に掘り進めることで工期を短縮した。」(京都市民新聞30-8-1) -
しばらくして藤尾の集落に出た。
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普門寺の横を通ってきました。
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コンビに発見
こちらで昼食とする -
第一トンネルの出口
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紅葉はいまいち赤くない。
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疎水に沿って歩く。
紅葉がきれいならいい散歩道になる。 -
大津市のマンホール
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第1トンネルの出口から少し
緊急遮断ゲートがある。 -
そろそろ京都市に入る?
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ありがたいことに疎水沿いの散歩道は続く
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四之宮の船だまりに着きました。ここにも紅葉が見られる
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疎水は諸羽トンネルへ
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散策路は山裾を回り込む。当初は疎水も散策路沿いに流れていたらしい。
眼下に山科の町並みが見える。快適な散歩道? -
トンネルの出口
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トンネルの向こう側の入り口が見える。
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山科に
右は毘沙門堂へ毘沙門堂 寺・神社・教会
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疎水は山科の人たちにも恵みをもたらしたようだ。二毛作の山科盆地の田園地帯はもはやなく、住宅街になっている。
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流れの立体交差!
下を流れるのは安祥寺川 -
橋を渡って左岸を行くことにしよう
紅葉があるみたいだ。 -
疎水に沿って散歩道、ジョッギングロードができている。
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朝日を浴びて紅葉も映えているようだ!
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散策グループにお会いした。
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琵琶湖疎水船が行く
秋に運行されるらしい。 -
本圀寺へ渡る朱に塗られた正嫡橋の袂にももみじ
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疎水沿いの道は続く
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疎水は第2トンネルへ
側道はここで途切れる
左側の道をあがる。 -
ここを右に曲がるのだろ思う。
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この住宅街でミスコース
疎水はどこ?
住民に聞くもわからず。 -
このような略図しかもっていなかった。
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天地天皇陵
迷った末、たどりつた。明日、再挑戦にしよう -
11月25日
今日も天気はいい
昨日見落とした曲がる角は、ここ? -
ようやく第2トンネルの出口に到達
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このへんも公園のように整備されている。
児童公園とある -
そろそろ疎水は第3トンネルの入口に
第2と第3の間は短いはすだ。 -
第11号橋の反対河岸はかつては船溜まりだったようだ。
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第3トンネルの入口
紅葉はどうもいただけません
ここからさきは道はありません。 -
第11号橋
この何の変哲もない橋。実は日本最古のコンクリート橋なんです。」(京都市民新聞30-8-1) -
疎水の経緯
第11号橋の案内板
赤い丸は肉眼ではみえない。撮影禁止ということだろうか? -
国道にいったん出て疎水の次の地点へ向かう途中でこのような碑がたてられていた。
処刑場のあと -
江戸の鈴ヶ森のようなところだろうか?
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九条山までゆったりしたのぼり
立体交差の右側にとzんぐちがある。 -
左に京都市の浄水場
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その先の日向台神宮の参道へ上がる。
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ここが疎水の第3トンネルを抜けた水の出口、蹴上の船溜、上下船場でもある。
右側の建物は旧御所水道ポンプ室
「御所まで防火用数を送る目的で建てられた施設」(京都市民新聞30-8-1) -
水はさらにトンネルを抜ける。インクラインがここから始まる。
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左側がインクラインのレール
なにやら弁がある。 -
インクラインを上下した車両がまだ置かれている。あの丸い輪っかは何なんだろう?
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疎水は先ほどのトンネルからこちらに出てくる。
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その先にはダムが造られている
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ここから取水されるのは、発電所ではない。京都市は南禅寺界隈の宅地分譲に水路を巡らせた。それは各庭の苑池を潤すものである。
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その左は発電所への送水管
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発電所着工は1890年! 1912年には本格的に稼動している
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発電所の送水管はここへ降りてきている。
関西電力蹴上発電所 -
首都を東京に奪われた京都の3大事業であった!
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第3期では昭和11年
いつまで使われたのかは不明?いやいまだ現役! -
その後第2疎水がすべてトンネルで造られている。それは浄水場を伴い水道水だった。
京都には水不足はない -
さきほどのダムから左
南禅寺方向へ水は流れる。 -
いま南禅寺方面へは抜けられません。
この先にも水の出口が見える。 -
上の取水口からの水路はこの下を通っている。
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暗渠は智水庵の横を抜けて
水道局の建物?
この下を通っている。 -
そしてここで地表に出る。
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そしてインクラインの横を濁流のように流れる。
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流れ着いたところは
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噴水のあるプール
正面は京都動物園 -
動物園の下にもなにやら水路がある。後で書いているがこれは旧白川だ。
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疎水記念館は休業中だった。
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2日がかりであったが、琵琶湖からだいぶ歩いた。
こちらでひと風呂浴びよう -
一風呂のあとはこちらのたち飲み屋でいっぱいと行こう。
四条川原町にある「すいば」 -
11月27日
紅葉は少し進んだようだが、瓢亭の前のもみじはもっと赤かったと思う。 -
今日はおとなりの無鄰庵へやってきました。
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立て札も年季が入っていて読みにくい。
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「花洛名勝図会」には瓢亭の隣には「丹後や」が建っていた。山縣有朋はその土地を入手した。敷地面積は3391平米(約千坪)明治29年(1896年)の暮れに別荘とその庭が完成。据えられた岩は秀吉が醍醐三宝院に据えようと試みた岩で、山縣が醍醐の山にいって切り出させた。山縣は京都の古い作庭法を批判し、豪壮雄大な庭園造るごしてはばからなかった。それは流れをモチーフとした自然風の庭。1941年(昭和26年)近代の名園として京都市に譲渡された」(尾崎博正 植治の庭 小川治兵衛の世界、無鄰庵パンフレット)
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この時期拝観者は多い。少し列ができていた。ありがたいことに拝観料は410円とお安い。
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玄関には通れないが意外にも質素だった。
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拝観者はこの茶室の入り口にあるような躙り口から出入りする。
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入り口を入ると飛び石が続いている。
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飛び石を渡り庭先へ出る。
これらの飛び石にもこだわりがあるのだろうか?
前方に庭伽藍の踏み分け石がある -
するとめのまえにこのような絶景が開ける。
正面の借景は東山
東山とつながって見える。庭自体が先細りになっている飲んでパスペクティブの効果が出ている! -
庭園は渓流をモチーフにしてある。
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中島で流れは2つに分かれている。
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いただいた拝観券には、
「流れ、従来の人は重に池をこしらえたが、自分は夫(これ)より川のほうが趣致がある」(山縣有朋)
「山縣は池よりも動きのある自然な流れを好みました。豊富な琵琶湖疏水からの水は、滝、渓流となり多様な表情を見せてくれます」(京都市入館券、301127) -
渓流の流れはよどみがない。
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山縣も靴を脱いだであろうか? 沓脱石は立派に大きい。
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渓流の中の飛び石
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せせらぎには小石を置いている。水音が聞こえるのだろうか?
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「山縣の注文は
1.松が中心であった庭木にヒノキ、樅、杉を使う
2.明るい芝生の空間を造る
3.琵琶湖疏水の水を使う
中央北側に、大石。これは視覚修正、目線をとめて先の空間につなげる」
(小川勝章、技と美の庭) -
「山縣が醍醐の山にいって切り出させた石は3個
庭園に北側の端、池の端、茶室のすぐ横に据えられている。これらは秀吉が大阪城を作る時に切り出した石切り場に残された石、このうち2個には石工がつけた矢穴がの残っている。」
(烏賀陽百合、しかけに感動する京都名庭園)
池畔には古典的な州浜も設けられている。 -
烏賀陽百合氏のよると秋の無鄰庵は母屋の2階から見た風景がいいらしいが、菓子きり席になっていて残念ながらあがれない。
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「この2階で明治36年(1903年)元老山県有朋、伊藤博文、総理大臣桂太郎、外務大臣小村寿太郎の4人によって、日露開戦直前の無鄰庵会議が開かれている。」(無鄰庵管理事務所 無鄰庵パンフレット)
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今年の紅葉はオレンジ色!
ただし、大石のあたりは赤く染まっている。 -
「水にリズミカルな動きを与える瀬落ちが奏でる水音が響く」(無鄰庵管理事務所 無鄰庵パンフレット)
無鄰菴庭園 名所・史跡
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これが滝で渓流の源
滝の前に沢飛び石がある。江戸時代なら水分石であったはず。 -
周回して大石に近づくくことはできなかった。
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さながら東山のトレイルに見られるような沢渡り石が置かれている。水量の調整はどうしているのであろうか?
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この井戸のような施設には水音が
どうやらここが排水溝のようだ -
滝からあふれた余分の水はパイプを通してここにくるみたいだ。
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茶室
建物はかなりしっかりしている。修復したのであろうか? -
灯篭と苔むした手水鉢
茶室の近くにあるという大石は見つからなかった。 -
「作庭当初は芝生だった。いまは50種の苔が広がる。」(無鄰庵管理事務所 無鄰庵パンフレット)
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このへんも芝地と苔が入り混じっている。
池畔の大石とは、この右上の少し平たい石であろうか? -
そろそろ周回も終わりにちかづいた。
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ここはもともとの排水の出口だったのか?
今は流れがよどんでいる。
左の洋館は陳列室になっている。 -
仁王門通りと南禅寺参道が交わるこの信号のところがちょうど水源のあたり
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どうやら水源らしい構造物がある。「南禅寺界隈疎水園池群の水系構造」の水路網図によると
蹴上船溜から暗渠で直接送水されている。上下関係から考えると滝を構成するのは加圧の必要もなくそんなに難しくはなかったのであろう。
それにしても疎水の水を豪邸の庭の流れとするとは! それを可能にした京都市も考えた土地分譲だ。 -
京都市は加藤造園に管理を委託している。50種のうち一部の苔が
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小川治兵衛の肖像が壁に貼られている。
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植治が疎水の水を庭園に用いたのは1894年の並河邸。並河邸は植治の自宅の隣家であった」(京都市文化市民局、岡崎・南禅寺界隈の庭の調査)
手前が小川治兵衛邸
水は本線系の神宮道のあたりから引かれたらしい。 -
疎水から白川への流れは、...
右側の道路の下にも水路がある! -
これが水路の跡だろうか? しかも右のパイプからは水が流れ出している。
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植治の邸宅はまだ残っている。
植治は小川家に入って約15年間、法然院や久原庄三郎邸(智水庵)などに出入りする植木屋として過ごした。 -
「明治27年植治35歳、無鄰庵の作庭に取り組むとともに平安神宮神苑の作庭を命じられ、さらに並河靖之邸の庭園を完成させた大きな節目の時期」(京都市文化市民局、岡崎・南禅寺界隈の庭の調査)
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平安神宮神苑は明治26年(1893年)に着工、28年に竣工している。庭園の設計施工は無鄰庵の作庭に携わっていた植治に委嘱された。」(尼崎博正 植治の庭 小川治兵衛の世界)
あえて逆コース、水の流れで見てみよう -
東神苑の中心は泰平閣
(小川勝章、技と美の庭) -
平石の橋がかけられている。対岸には貴賓館が見える栖鳳池。
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護岸は古典的な方法とも見える。
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平石の橋は2つ。もう一つは木橋だろうか? 遠目でよくわからない。
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中島は2つ
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こちらの紅葉もいまいちで、....
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北側に水源らしきものがあった。疎水からはかなりの距離がある。「南禅寺界隈疎水園池群の水系構造」の水路網図によると、動物園からの水路があったとされているが、今はもう使われていないようだ。
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紅葉の向こうに
中国にありそうな風景? -
池から渓流が流れる。植治らしいつくりだ。
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渓流は中神苑の蒼龍池に達する。
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「中神苑 微妙なカーブを描き園路沿いの流れの護岸は崩れ石積み、要所に大きな石を据えて間には中小の石をかみ合わせる」(尼崎博正 植治の庭 小川治兵衛の世界)
こちらには回遊路がある。池中には蓮の間に落ちた真っ赤な落ち葉! -
臥龍橋 昔かかっていた橋の脚の部分を使用(丸い飛び石が池の中)
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中島の岸からは4角い切石が2本ー五条大橋の橋桁
円い飛び石は五条大橋と三条大橋の橋脚
(京都市文化市民局、岡崎・南禅寺界隈の庭の調査) -
臥龍橋には大きい平石も置かれる
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紅葉の影、松の緑の陰が池の水面に
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流れは神殿の裏のほうへ
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遊歩道に沿った細い流れとなる。
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そこから滝となって次の西神苑の白虎池に落ち込む。
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池側からはわかりずらい!
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なぜかここにだけ立て看板が立っている。
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中島には見事な松
神苑内はアカマツ(雌木)で構成される。松を中心にたどると庭の骨格がよく見える。(小川勝章、技と美の庭) -
最後にここから水は流れ出る。その先の南神苑は植治の作庭ではないらしい。それは春にいいしだれ桜の庭です。
-
参道はクロマツ(雄木)、(小川勝章、技と美の庭)
-
再び疎水の発電所本管を見る。このコンクリートの塊は発電所に向かう導水管を受けている。
-
その発電所本管の脇から流れるこの流れは?
-
「京都市は明治28年(1895年)の内国博覧会開催を機に東山一帯の宅地化、風紀地区保存の方針、博覧会前後に庭が作られるようになる。」(尼崎博正 植治の庭 小川治兵衛の世界)
この水路は下水ではない。智水庵方向へ流れている。 -
智水庵は1897年、無鄰庵の築造に続いて植治の作庭
起伏ある地形を利用した池庭と茶庭の組み合わせ、園池の水は疎水から引いている。(尼崎博正 植治の庭 小川治兵衛の世界)
NHK番組にも出ていた加藤造園のトラックが停まっている。表札などは一切ない。どうやら奥に深いお屋敷のようだ。 -
その隣にあるのが大寧軒
中から人の声が聞こえる!どなたの豪邸なのでそうか? -
その前にあるのが、何有荘(かいうそう)旧稲畑勝太郎邸
水路はその中に入っていく。
ご門は硬く閉ざされている。非公開の名園だろうか!こちらは表札が出ているが、何有荘とあるだけで、どなたがお持ちになっているのか?どなたがお住まいなのか? まったく不明 -
紅葉がこぼれ出ている。豪邸だ!
-
NHK番組で主に紹介された対龍山荘
呉服で財を成した市田弥一郎(1843年 - 1906年)
元市田邸、1800坪の豪邸。現在はニコスという会社が所有している。
明治39年から4年がかりで植治が作庭した。
市田が考えた対龍台という建物があり、使われたガラスはヨーロッパから輸入された」(NHK)
名勝庭園の石柱がたてられてはいるが、もちろん非公開。 -
対龍山荘の庭をめぐった園池の水がこぼれ出ている。疎水の水は対龍山荘へは大寧軒、金地院などを経由して供給されている。「南禅寺界隈疎水園池群の水系構造」の水路網図
-
南禅寺門前の八千代
紅葉はここだけではないと思う。庭にはもちろん疎水の流れが供給されている。
「かつては大阪の魚問屋であった吉田卯之助邸
戦後、進駐軍に接収されるのを恐れて旅館業をはじめた。吉田茂、犬養毅など著名政治家が利用。建物は阪神淡路大震災後に建て替えた」(京都市文化市民局、岡崎・南禅寺界隈の庭の調査)南禅寺 八千代 宿・ホテル
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再び南禅寺に戻り水路を確認してみよう。
今は通れなくなっている水路沿いの道を来ると、この水路閣と呼ばれる水道橋に出る。 -
なぜこような水道橋が由緒ある寺院の境内にあるのか?
ようやく理由がわかった。京都市が疎水の水を防火用に、庭園用に供給するためにここに水路を設ける必要があったのだろう。庭園に疎水の水を引き込んでいるお屋敷は60軒ほど! 殆どが豪邸である。 -
水道橋の先は再びトンネルに入る。この水の旅はトンネルをくぐることが多いようだ。
「南禅寺界隈疎水園池群の水系構造」の水路網図をみると永観堂の上あたりに扇ダムという施設があり、そこから放水路が下っている。 -
南禅寺分流は、東山高校の上で扇ダムに達する。
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扇ダムからは校舎の間を坂を転げ落ちるように流れ落ちる。その先は野村碧雲荘
-
ダムから直接水を受けるのは、まづ野村碧雲荘
-
野村の別荘として昭和3年に完成している。5000坪の敷地はこの界隈でも群を抜いている」(NHK)
これはすごい!
植治の円熟の70歳の作。
内部をうかがい知ることはできない。もちろん非公開 -
囲いの外の外苑もなかなかのものだが、渓流にはなぜか水がない。
-
東山高校に面しているこちらは裏門なのだ。
宮内庁の施設みたいだ! -
この界隈は豪邸ばかり
野村碧雲荘の道を挟んだ前にあるこちらは清風亭(西園寺公望別邸)
NHKは建物のヒノキの小丸太を敷いた廊下を紹介していた。風を抜く工夫だそうだ。植治と息子の白楊の作庭。
もちろんここも非公開
「清流亭のなずけたのは東郷平八郎元帥であり、大正天皇の大礼の際して元帥の宿舎として当たられた」」(尼崎博正 植治の庭 小川治兵衛の世界) -
怡園(旧細川護立別邸) にも放水路から水が供給されている。
野村碧雲荘から西側の道を挟んだお隣
こちらももちろん非公開 -
清風亭の西隣は流響院?
もともとは京都の実業家、塚本与三次の一つの邸宅だったらしい。「織宝苑として岩崎小弥太に譲渡され拡張された。さらに龍村織物が所有。庭園は当初、植源により作庭されたが、小川治兵衛の子、白楊が改造。大部分が植治の作風で支配される。現在は真如苑が保有して流響院となる。」(尼崎博正 植治の庭 小川治兵衛の世界)(京都市文化市民局、岡崎・南禅寺界隈の庭の調査) -
バス通りに出るとあるこの紅葉
松籟・む庵
こちらにも疎水の水は供給されている。 -
流響院にも水はダムから放水路を経て流れている。
そのとなり
洛翠(旧藤田小太郎邸、現 日本調剤株式会社 研修保養所)洛翠 公園・植物園
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洛翠・開かずの門
伏見城にあったとされる門が移築されている。 -
「1700坪の豪邸の庭は明治42年植治の作庭」
非公開なのにこんな立て札を表の通路に出して、ご自慢なされたいのであろうか? -
そのとなり松下幸之助別邸真々庵
こちらも植治の作庭。NHKによると一木一草にまで幸之助氏が決められたとのこと。 -
塀の上には竹の矢の突起!
「真々庵は元実業家染谷寛治氏が明治末期に造営した。その後松下氏に譲渡される。松下氏はこの染谷邸をこよなく愛し、一部を修補した以外は完全に旧態を保存している。庭園は南禅寺の檀徒総代でもあった染谷氏が植治に直接指図して作庭。そのため植治の作風は見られない」(中根金作、京都の名庭百選)
NHKの番組と意見は全く食い違っているようだ! -
前を流れるのは旧白川だろうか?
豪邸からの流れがつぎ込まれている。 -
市田邸洗心庵
こちらも植治の作庭とされているが、うかがい知る由もない。建物は立て直されて使われているようだ。
流れはお隣のO邸から -
O邸
こちらも豪邸です。疎水の流れが供給されている。
流れはとなりの中村邸から
豪邸のご門ばかり見ていてもつまらない。 -
豪邸の間に皮肉っぽくラブホが2軒
-
硬く門が閉まっていたが、ここは旅館のようだ。
洛陽荘
「重厚感あふれる門構えと端正な築地塀」(ホームページ)
元は大正年間の華族・山科伯爵邸
なるほどなるほど
もちろん庭には水が供給されている。 -
NHKも番組では紹介しなかったが、このあたりに保養所を持っている。
庭にはもちろん水が供給されている。
NHK組合占有の高級旅館 -
白川は疎水の工事で流れが変えられている、松下邸の前あたりから動物園の下へ流れ込んでいる。
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一方、扇ダムから北へも流れがあるようだ。植治が
植木屋として働いた光雲寺も水を受けているそのひとつ
鹿ヶ谷通りに光雲寺への参道がある。その左は住友家有芳園 -
座禅中に付き立ち入り禁止
門前に水路が着ているようで水音がしていた。光雲寺 寺・神社・教会
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小川治兵衛晩年の作庭」(小川勝章 わざと美の庭)
この池の庭だろうか? ちょっとだけ覗かせていただいた。
「都林泉図会には別の庭が描かれている。復元を意図としてデザイン上の参考とした改作
飛び石に植治の手法が見られる」(尼崎博正 植治の庭 小川治兵衛の世界) -
住友家有芳園から流れ出る水
垣根の間から覗かせていただいたところ屋敷内に小川が流れている! -
鹿ヶ谷通りに
住友有芳園には門が2つ広大な敷地!
「植治はあらかじめ自分の別荘としていたところを住友春翠に勧めた」(小川勝章 わざと美の庭) -
鹿ヶ谷通りにこの時期いつも並んでいるうどん屋さんがある!
日の出うどん日の出うどん グルメ・レストラン
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有芳園から枝分かれの水路はB邸へ
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そのとなり牧野邸へも流れているようだ。
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さらに白川通りにK邸
きりがない豪邸ばかり! 全て植治の庭園ではなさそうであるが、全て非公開 -
このさい法然院へ行ってみることに
その前に永観堂をちらみする。永観堂 (禅林寺) 寺・神社・教会
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今年はオレンジが目立つ!
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哲学の道も紅葉はしているようだ。
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安楽寺の前
もみじは黄色いまま落ちている。 -
植治が植木屋として出入りしていたという法然院に
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法然院の茅葺の門をくぐる。
法然院 寺・神社・教会
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白砂壇
「山門を入ると、両側に白い盛り砂がある。水を表わす砂壇の間を通ることは、心身を清めて浄域に入ることを意味している。」法然院ホームページ -
盛り砂の上にももみじの落ち葉が!
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右側には池がある。残念なことに倒木がまたがっている。
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延段が続く。これは草の延段
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本堂前まで
本堂も方丈も非公開
植治が手入れしていたのはたぶん右側の塀の向こう側にある庭園だろう。 -
今年の紅葉を表すかのような落ち葉
黄色が多い! -
11月29日
ようやく今年は紅葉がたけなわになってきた。公開される植治の庭はまだある。気を取り直して岡崎公園に近く、京都動物園の裏側にある白河院庭園に白河院並びに法勝寺跡 名所・史跡
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現在は組合所有の宿泊所になっているが、...
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「本庭園の周辺はかつて白河天皇が営んだ法勝寺の境内にあたり白河院の名称はそれに因んでつけられた。
庭園と建物は当地が呉服商、下村忠兵衛の所有になった翌年、1919年に造られた。
庭園を手がけたのは7代目小川治兵衛である。1958年に私立学校の組合の施設となり現在に至る。1982年に洋館と和漢の一部が取り壊されたが庭園部分は改変を受けていない。」 -
この門から入れていただくことに
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手入れの行き届いた赤松は植治作庭の大きな特徴、情念の桜、哀れのもみじをふんだんに使っている。」(小埜正章、水野克比古 京都秘蔵の庭)
この右の赤松? -
水もに写る紅葉
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植治の得意技の沢渡り石がある。池の奥からの流れがあるようだ?
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この奥が水源のようだ
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水の供給口より池に流れ落ちる。
但し、水は流れていなかった。 -
水源から見た池の風景
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池の裏側にも回遊できる。
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茶室があった。
その目の井戸のようなものは排水溝だろうか? -
1周させていただいた。
教員組合さん、ありがとうございます。 -
ウエスティン都ホテルにも植治の庭があると知り、....
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5階にやってきました。客室の間に庭園への通路があった。
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都ホテル葵殿及び佳水園。
都ホテルの前身は明治23年に開設された吉水園でその後に都ホテルとなった。
葵殿庭園は大正4年に造られる小規模な庭園であったが、昭和8~9年に植治が滝の流れや池を作庭した。ホテル本館の建設で池の護岸に変化があったが、植栽や滝の流れは作庭当時の状態で回遊ができる。
植治の晩年の作で技量の円熟を見ることができる。
佳水園は小川白楊の作庭、作庭直後になくなっている。建物は建て替えられているが庭園はそのまま。
(京都市文化市民局、岡崎・南禅寺界隈の庭の調査) -
眼下にはホテルの宴会場?
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飛び石に案内され進む。
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どうやら枯山水?
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桂離宮で遠目に見た灯篭と同じ
三光灯篭があった! -
上からの流れがあった。
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ここが植治が手を入れた箇所だろうか?
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「雲井の滝」として下に落ちる。
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プラックは汚れたまま!
外資系になって手が回らないのか? -
上の佳水園は工事中で通行禁止!
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なにやら紅葉が見える
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振り返るとホテルの客室が見える。
これは客室から見る庭園かもしれない。 -
下の葵の間から上がるに階段がある。
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植治は京都市長迎賓館庭園も手がけている。現在の国際交流会館
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立ち入り禁止!
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しかたなくcafe から紅葉を
なぜか織部灯篭がある! -
平石の橋がかけられているのが見える。
残念ながらこれまで -
もう1箇所、植治が手がけたとされる庭園
誰もが訪れる円山公園は市民の憩いの場所 -
左側の池には植治らしい橋桁の石が船着場にすえられている。
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「安養寺塔頭の六坊(世阿弥、正阿弥、庭阿弥など)が存在していた。円山温泉もあった!
明治25年、京都市が土地を収用。公園は大正2年に着工。3年3月に完工。水の流れを作庭の主題とした。水源は第2疎水!」(尾崎博正、植治の庭 小川治兵衛の世界) -
橋の反対側には2個の石を池中に置いている。
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円山公園への引水は1893年(京都市文化市民局、岡崎・南禅寺界隈の庭の調査)
疎水から惹かれているはずだが、.....
残念ながら池に注ぐ流れには水がない枯山水状態 -
流れをわたる飛び石は間違いなく植治のものだろう
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現在修復中?
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滝にも水はない打ち止め
こちらもこれで打ち止め
植治の庭はたくさんあるが保全のいいところで拝見できるところはは少ないようだ。 -
2020年秋
修復はいつの間にか終わっていました。 -
清流は戻ってきたようですが、
インクラインの上からの水路はもう使われないようです、今はいいポンプがありますからね! -
池もきれいになりました。
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2022年6月7日
平安神宮の神苑が無料開放になると聞いて、昨日の雨も止んで天気もいいし、出かけて見ました。
花菖蒲が見ごろとのこと -
今日は無料とあって、長蛇の列
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この神苑は明治の初め、7代目植治(小川治兵衛)の作庭になる名園
これでで2回目の訪問 -
最初の池は西神苑の白虎池
花菖蒲これだ -
どうも人が多すぎる
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蓮?いや水連も咲いている
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菖蒲の群生はここだけだろうか?
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中島には赤松
植冶は赤松を好んで植えたらしい。 -
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2番目の池
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立て札にはカキツバタが書かれているが、...
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植治の傑作の7条大橋の橋げたの飛び石にも人の後が絶えない
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東神苑の泰平閣へ
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ここが水源
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