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2017年8月11日~22日までの<br />3都市巡りの旅の最後はプラハ。<br />様々な歴史の渦に巻き込まれ翻弄され、それでも沈まず今に至る古都。<br />Ⅰ街<br /><br />Ⅱブルタヴァ<br />Ⅲプラハ市民会館とミュシャ<br />Ⅳヴィシェフラド<br />Ⅴ宿

プラハにたゆとう Ⅰ.街 /ウィーン→ザルツブルグ→プラハ 2017夏

26いいね!

2017/08/18 - 2017/08/22

697位(同エリア4267件中)

maay

maayさん

2017年8月11日~22日までの
3都市巡りの旅の最後はプラハ。
様々な歴史の渦に巻き込まれ翻弄され、それでも沈まず今に至る古都。
Ⅰ街

Ⅱブルタヴァ
Ⅲプラハ市民会館とミュシャ
Ⅳヴィシェフラド
Ⅴ宿

旅行の満足度
5.0
観光
5.0

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  • ザルツブルクからウィーンへ戻り、<br />列車を乗り換えプラハに向かいます。

    ザルツブルクからウィーンへ戻り、
    列車を乗り換えプラハに向かいます。

  • オーストリアとは車窓の眺めがだいぶん違ってくる。<br />列車の内部も…かなり違う!<br />プラハ本駅に着き、トラムで宿のある駅に向かう。<br />トラムが来たから、中に券売機もあるだろう!<br />とドイツのようなつもりで<br />急いで乗り込むが<br />券売機がなくて次の駅で慌てて下車。<br />結局、次の駅にも近くにも<br />傍のキオスクにも売ってなくて…<br />娘が一駅歩いて戻ってチケット買って戻る事態に(笑)

    オーストリアとは車窓の眺めがだいぶん違ってくる。
    列車の内部も…かなり違う!
    プラハ本駅に着き、トラムで宿のある駅に向かう。
    トラムが来たから、中に券売機もあるだろう!
    とドイツのようなつもりで
    急いで乗り込むが
    券売機がなくて次の駅で慌てて下車。
    結局、次の駅にも近くにも
    傍のキオスクにも売ってなくて…
    娘が一駅歩いて戻ってチケット買って戻る事態に(笑)

  • 【ダンシングビル】<br />腰をひねって踊っているような<br />ダンシングビル。<br />ちょうど可愛いトラムが来て<br />お気に入りの一枚。

    【ダンシングビル】
    腰をひねって踊っているような
    ダンシングビル。
    ちょうど可愛いトラムが来て
    お気に入りの一枚。

  • 【プラハ城】<br />プラハカードを買って街をめぐることに。<br />プラハをめぐる観光バス?が<br />カードで乗れたので乗ってみる。<br />日本語の音声ガイドもあり<br />(ちょっと…変な日本語でしたが(笑))、<br />プラハの街の感覚が少しわかる。<br />

    【プラハ城】
    プラハカードを買って街をめぐることに。
    プラハをめぐる観光バス?が
    カードで乗れたので乗ってみる。
    日本語の音声ガイドもあり
    (ちょっと…変な日本語でしたが(笑))、
    プラハの街の感覚が少しわかる。

  • ものすごい人混み。<br />ちょうど衛兵の交代の時間らしい。<br />ラッキーです。

    ものすごい人混み。
    ちょうど衛兵の交代の時間らしい。
    ラッキーです。

  • プラハ。<br />歴史の波に翻弄され、それでも今、<br />この街並みを残している。<br />チェコの歴史に触れると、<br />ここに流れてきた激動の歴史に<br />圧倒されてしまう。

    プラハ。
    歴史の波に翻弄され、それでも今、
    この街並みを残している。
    チェコの歴史に触れると、
    ここに流れてきた激動の歴史に
    圧倒されてしまう。

  • 私なんかが生半可に語れる歴史じゃない。。<br />プラハの栄光と悲痛と…歓喜。<br /><br />「たゆとえど沈ます」は<br />パリの標語だけれども<br />プラハにもあてはまるのかな…<br /><br />こんなこと勝手に言っちゃいかんと思いますが…

    私なんかが生半可に語れる歴史じゃない。。
    プラハの栄光と悲痛と…歓喜。

    「たゆとえど沈ます」は
    パリの標語だけれども
    プラハにもあてはまるのかな…

    こんなこと勝手に言っちゃいかんと思いますが…

  • 【聖ヴィート大聖堂】<br />600年の歳月を経て完成された。<br />歴代の王が祀られている。<br />バラ窓が麗しい。。<br />

    【聖ヴィート大聖堂】
    600年の歳月を経て完成された。
    歴代の王が祀られている。
    バラ窓が麗しい。。

  • アルフォンス・ムハのステンドグラス。<br />この年の春、<br />ムハの「プラハ叙事詩」が<br />六本木の新国立美術館に来ていた。<br />その時に見た作品に圧倒されて、<br />今、私はプラハにいる。

    アルフォンス・ムハのステンドグラス。
    この年の春、
    ムハの「プラハ叙事詩」が
    六本木の新国立美術館に来ていた。
    その時に見た作品に圧倒されて、
    今、私はプラハにいる。

  • 完成までに600年の時が流れた<br />「聖ヴィート教会」<br />若いときにフランスで成功し、<br />フランス語読みで<br />「ミュシャ」と呼ばれる<br />「アルフォンソ・ムハ」<br />彼が製作した美しいステンドグラスは、<br />ヴィート教会が完成した1928年頃のもの。

    完成までに600年の時が流れた
    「聖ヴィート教会」
    若いときにフランスで成功し、
    フランス語読みで
    「ミュシャ」と呼ばれる
    「アルフォンソ・ムハ」
    彼が製作した美しいステンドグラスは、
    ヴィート教会が完成した1928年頃のもの。

  • チェコの英雄ヴァーツラフが眠るこの教会に<br />歴代のチェコの王達が立ち、<br />歴史が流れた。

    チェコの英雄ヴァーツラフが眠るこの教会に
    歴代のチェコの王達が立ち、
    歴史が流れた。

  • それをいつから見つめてきたのか…<br />純銀の天使たち。

    それをいつから見つめてきたのか…
    純銀の天使たち。

  • 暗い内部を美しい色彩が照らしている

    暗い内部を美しい色彩が照らしている

  • 貴方はどこから見ていた?<br />ヴァーツラフ一世には…会っていない?<br />マサリクにはもちろん会っているね。<br />そして、ナチスの軍服に身を固めた人たちも<br />貴方の側を通っていった。

    貴方はどこから見ていた?
    ヴァーツラフ一世には…会っていない?
    マサリクにはもちろん会っているね。
    そして、ナチスの軍服に身を固めた人たちも
    貴方の側を通っていった。

  • ヤン・ネポムツキーの墓碑を守る天使たち

    ヤン・ネポムツキーの墓碑を守る天使たち

  • チェコの英雄 <br />ヴァーツラフ一世の礼拝堂<br />壁には、ヴァーツラフの生涯が描かれている。

    チェコの英雄
    ヴァーツラフ一世の礼拝堂
    壁には、ヴァーツラフの生涯が描かれている。

  • 民衆に危機が迫ったときにはよみがえり、<br />眠れる騎士達を引き連れて外敵と戦い、<br />国と民衆を守ると言われている。<br /><br />チェコの守護聖人。

    民衆に危機が迫ったときにはよみがえり、
    眠れる騎士達を引き連れて外敵と戦い、
    国と民衆を守ると言われている。

    チェコの守護聖人。

  • 堂々たる佇まい。

    堂々たる佇まい。

  • イジー教会

    イジー教会

  • チェコの歴史は、<br />周辺の列強国に翻弄され続けた歴史。<br />

    チェコの歴史は、
    周辺の列強国に翻弄され続けた歴史。

  • チェコの人々は、<br />時に抗い、<br />時に忍耐強く、<br />時を過ごしてきた。

    チェコの人々は、
    時に抗い、
    時に忍耐強く、
    時を過ごしてきた。

  • 【正門の上の巨人像】<br />チェコ語さえ使うことができない時代もあった。<br />だからこそ、スメタナは「我が祖国」を作曲した。

    【正門の上の巨人像】
    チェコ語さえ使うことができない時代もあった。
    だからこそ、スメタナは「我が祖国」を作曲した。

  • 様々な地域からなっていたチェコは、<br />長らくまわりの列強国の一部とされ、<br />統治されていた。<br /><br />第一次世界大戦の後、<br />チェコの英雄<br />トマーシュ・マサリクらにより<br />チェコスロバキアとして、<br />悲願の独立を成し遂げた。<br /><br />トマーシュ・マサリクは、初代大統領に就任。<br /><br />チェコスロバキアの<br />平和な時代が<br />しばらくは、続いた。

    様々な地域からなっていたチェコは、
    長らくまわりの列強国の一部とされ、
    統治されていた。

    第一次世界大戦の後、
    チェコの英雄
    トマーシュ・マサリクらにより
    チェコスロバキアとして、
    悲願の独立を成し遂げた。

    トマーシュ・マサリクは、初代大統領に就任。

    チェコスロバキアの
    平和な時代が
    しばらくは、続いた。

  • 【プラハ城正門】<br />だが、<br />トマーシュ・マサリクの死後、<br />ナチスドイツが侵攻。<br /><br />チェコスロバキアは、<br />まわりの列強国によって解体され、<br />事実上、<br />地図の上から消え去ってしまう…。

    【プラハ城正門】
    だが、
    トマーシュ・マサリクの死後、
    ナチスドイツが侵攻。

    チェコスロバキアは、
    まわりの列強国によって解体され、
    事実上、
    地図の上から消え去ってしまう…。

  • 【プラハ城正門前の広場】<br />1938年 ミュンヘン協定<br />トマーシュ・マサリクの息子で<br />外交官だった<br />ヤン・マサリク。<br />国の代表としてその場にいた。<br /><br />チェコスロバキア解体の協定の<br />あまりの酷さに<br />涙したという…。

    【プラハ城正門前の広場】
    1938年 ミュンヘン協定
    トマーシュ・マサリクの息子で
    外交官だった
    ヤン・マサリク。
    国の代表としてその場にいた。

    チェコスロバキア解体の協定の
    あまりの酷さに
    涙したという…。

  • 【プラハ城の広場横からマラーストラナの街並みを眺める】<br />長い長い、<br />民族としての歴史と文化を持ちながら、<br />国として独立して<br />わずか20年ほどで、<br />またしても国を失ってしまう。<br /><br /><br />

    【プラハ城の広場横からマラーストラナの街並みを眺める】
    長い長い、
    民族としての歴史と文化を持ちながら、
    国として独立して
    わずか20年ほどで、
    またしても国を失ってしまう。


  • 【王の道を降りていく】<br />ナチスに統治されると、<br />ナチスは、このプラハ城をの本拠地とし、<br />そして最終的には、<br />「プラハの虐殺者」と呼ばれるようになる<br />ラインハルト・ハイドリッヒが<br />統治者となる…

    【王の道を降りていく】
    ナチスに統治されると、
    ナチスは、このプラハ城をの本拠地とし、
    そして最終的には、
    「プラハの虐殺者」と呼ばれるようになる
    ラインハルト・ハイドリッヒが
    統治者となる…

  • 【この道は、降りていくのが正解でした!】<br />本当に美しい…素晴らしい道です。

    【この道は、降りていくのが正解でした!】
    本当に美しい…素晴らしい道です。

  • ヤン・マサリクを中心に、<br />ロンドンにチェコスロバキア亡命政府が置かれた。<br /><br />プラハは、<br />ナチスドイツに統治され、<br />ユダヤ人やチェコの指導者層など、<br />五万人ものプラハ市民が、<br />命を奪われていった…。

    ヤン・マサリクを中心に、
    ロンドンにチェコスロバキア亡命政府が置かれた。

    プラハは、
    ナチスドイツに統治され、
    ユダヤ人やチェコの指導者層など、
    五万人ものプラハ市民が、
    命を奪われていった…。

  • 【2つの建物をつなぐ美しいな回廊】<br />チェコの統治者となったハイドリッヒは、<br />労働者層に手厚い政策をとったため、<br />ナチスに対する抵抗運動に、<br />賛同する労働者階級はいなくなる。<br /><br />反ナチスの抵抗運動は、<br />骨抜きになり消滅していく…<br />

    【2つの建物をつなぐ美しいな回廊】
    チェコの統治者となったハイドリッヒは、
    労働者層に手厚い政策をとったため、
    ナチスに対する抵抗運動に、
    賛同する労働者階級はいなくなる。

    反ナチスの抵抗運動は、
    骨抜きになり消滅していく…

  • チェコスロバキア在英亡命政府は、<br />選り抜きの軍人をプラハに送り、<br />ハイドリッヒの暗殺を企てる。<br /><br />「歴史」としては知ってはいたが、<br />映画「Anthropoid」(エンスラポイド作戦)<br />を見て、衝撃を受けた…<br /><br /> 邦題は「ハイドリッヒを撃て」というのだけれど<br />この映画の全編を覆う沈鬱な雰囲気には<br />全く合っていないと思う…<br /><br />俳優達、<br />特に主役の二人が素晴らしく<br />心に刺さる映画でした。<br />

    チェコスロバキア在英亡命政府は、
    選り抜きの軍人をプラハに送り、
    ハイドリッヒの暗殺を企てる。

    「歴史」としては知ってはいたが、
    映画「Anthropoid」(エンスラポイド作戦)
    を見て、衝撃を受けた…

    邦題は「ハイドリッヒを撃て」というのだけれど
    この映画の全編を覆う沈鬱な雰囲気には
    全く合っていないと思う…

    俳優達、
    特に主役の二人が素晴らしく
    心に刺さる映画でした。

  • 「暁の七人」は、観たことがなかったのだけれど…<br /><br />1941年12月28日の夜<br />チェコスロバキア在英亡命政府が送った<br />7人の兵士が、<br />プラハの郊外に<br />パラシュートで降下した。<br />

    「暁の七人」は、観たことがなかったのだけれど…

    1941年12月28日の夜
    チェコスロバキア在英亡命政府が送った
    7人の兵士が、
    プラハの郊外に
    パラシュートで降下した。

  • 彼らは、<br />レジスタンス運動に協力している<br />プラハ市民の家族や教会などに身をかくし、<br />入念に、<br />ハイドリッヒ暗殺計画を練る。<br />

    彼らは、
    レジスタンス運動に協力している
    プラハ市民の家族や教会などに身をかくし、
    入念に、
    ハイドリッヒ暗殺計画を練る。

  • 【旧市街広場近く】<br />プラハの建物は本当に美しい。<br />外壁に様々な時代の装飾が残され、<br />丁寧に維持されている。<br /><br />チェコ人の知り合いが、<br />言っていたのだけれど、<br />歴史の荒波にあまり抵抗せずに身を任せていて<br />街が破壊される戦いにならなかったのは<br />チェコ人の気質。<br />だからプラハの街並みは<br />残された訳だけれども…。<br /><br />少し複雑な気持ちになった…。<br /><br />

    【旧市街広場近く】
    プラハの建物は本当に美しい。
    外壁に様々な時代の装飾が残され、
    丁寧に維持されている。

    チェコ人の知り合いが、
    言っていたのだけれど、
    歴史の荒波にあまり抵抗せずに身を任せていて
    街が破壊される戦いにならなかったのは
    チェコ人の気質。
    だからプラハの街並みは
    残された訳だけれども…。

    少し複雑な気持ちになった…。

  • 【市庁舎の時計台】<br />市庁舎はメンテナンス中で上に登れず残念…!

    【市庁舎の時計台】
    市庁舎はメンテナンス中で上に登れず残念…!

  • ハイドリッヒ暗殺計画<br />「エンスラポイド作戦」<br />生還の可能性はない任務とされ、<br />家族を持たない七人の兵士が選ばれていた。<br /><br />「人間味のある総督」を演出していたハイドリッヒは<br />自宅からプラハ城に向かうときに、<br />オープンカーに乗り<br />自らの姿を市民に見せていた。<br /><br />それが彼の命取りとなった。<br />

    ハイドリッヒ暗殺計画
    「エンスラポイド作戦」
    生還の可能性はない任務とされ、
    家族を持たない七人の兵士が選ばれていた。

    「人間味のある総督」を演出していたハイドリッヒは
    自宅からプラハ城に向かうときに、
    オープンカーに乗り
    自らの姿を市民に見せていた。

    それが彼の命取りとなった。

  • 【ディーン教会】<br />1942年5月27日<br />急ぎの用事でプラハ城に向かうため<br />護衛をつけていなかったハイドリッヒの乗る<br />ベンツのオープンカーが止められ、<br />ヨゼフ・ガプチークと<br />ヤン・クビシュが<br />作戦を実行した。<br /><br />ハイドリッヒは倒れ、<br />1週間後に病院で命を落とす。<br /><br />

    【ディーン教会】
    1942年5月27日
    急ぎの用事でプラハ城に向かうため
    護衛をつけていなかったハイドリッヒの乗る
    ベンツのオープンカーが止められ、
    ヨゼフ・ガプチークと
    ヤン・クビシュが
    作戦を実行した。

    ハイドリッヒは倒れ、
    1週間後に病院で命を落とす。

  • 【ディーン教会】<br />7人の兵士は、<br />“聖ツィリル・メトデイ正教大聖堂”<br />に身を隠す。<br /><br />この夏にプラハを訪れたときには、<br />その教会のことは知らずにいた。<br />ダンシングビルから歩いてすぐの所にある。<br /><br />

    【ディーン教会】
    7人の兵士は、
    “聖ツィリル・メトデイ正教大聖堂”
    に身を隠す。

    この夏にプラハを訪れたときには、
    その教会のことは知らずにいた。
    ダンシングビルから歩いてすぐの所にある。

  • 【旧市街広場に面している建物の装飾】<br />報奨金目当ての<br />カレル・チュルダにより密告されるまで<br />彼らや彼らをかくまった家族のことを<br />ゲシュタポは見つけることが出来なかった。<br /><br />映画では、<br />報奨金と共に、<br />暗殺実行犯が捕まらなければ、<br />多くのプラハ市民が殺されると知り、<br />カレル・チュルダの心が動いていたが…。<br /><br />カレル・チュルダは、<br />戦後1947年に自殺したが<br />未遂に終わり、<br />ナチス協力の罪で処刑されている…。<br /><br />7人の兵士をかくまった家族も<br />酷い運命を辿ることとなってしまう…<br /><br /><br /><br />

    【旧市街広場に面している建物の装飾】
    報奨金目当ての
    カレル・チュルダにより密告されるまで
    彼らや彼らをかくまった家族のことを
    ゲシュタポは見つけることが出来なかった。

    映画では、
    報奨金と共に、
    暗殺実行犯が捕まらなければ、
    多くのプラハ市民が殺されると知り、
    カレル・チュルダの心が動いていたが…。

    カレル・チュルダは、
    戦後1947年に自殺したが
    未遂に終わり、
    ナチス協力の罪で処刑されている…。

    7人の兵士をかくまった家族も
    酷い運命を辿ることとなってしまう…



  • 【旧市街広場ヤン・フス像の前】<br />“聖ツィリル・メトデイ正教大聖堂”には<br />何百人ものナチスの親衛隊の軍隊が押し寄せ、<br />7人は、<br />6時間に及ぶ銃撃戦末、<br />最後に残った者も捕らわれることを避け、<br />自決する…。

    【旧市街広場ヤン・フス像の前】
    “聖ツィリル・メトデイ正教大聖堂”には
    何百人ものナチスの親衛隊の軍隊が押し寄せ、
    7人は、
    6時間に及ぶ銃撃戦末、
    最後に残った者も捕らわれることを避け、
    自決する…。

  • “聖ツィリル・メトデイ正教大聖堂”の外壁には<br />今も当時の銃痕が残されている。

    “聖ツィリル・メトデイ正教大聖堂”の外壁には
    今も当時の銃痕が残されている。

  • ハイドリッヒの死後、<br />ヒトラーはチェコに報復をする…。<br /><br />1万3000もの名もない人々が<br />命を奪われ、<br />リディツェ村、レジャーキ村は、<br />完全に破壊されて<br />消滅してしまう…<br />

    ハイドリッヒの死後、
    ヒトラーはチェコに報復をする…。

    1万3000もの名もない人々が
    命を奪われ、
    リディツェ村、レジャーキ村は、
    完全に破壊されて
    消滅してしまう…

  • ハイドリッヒは、<br />ヒトラーを継ぐ者と言われていた人物で<br />彼が暗殺されたことは、<br />ナチスの衰退につながった<br />という見方もある。<br /><br />亡命政府は、<br />プラハのレジスタンス活動を援助するつもりで<br />この作戦を実行したという。<br /><br />でも当時、プラハの人々は、<br />ナチスの報復を恐れていて、<br />もはや<br />レジスタンス活動は、<br />ほとんど失われていたらしい…

    ハイドリッヒは、
    ヒトラーを継ぐ者と言われていた人物で
    彼が暗殺されたことは、
    ナチスの衰退につながった
    という見方もある。

    亡命政府は、
    プラハのレジスタンス活動を援助するつもりで
    この作戦を実行したという。

    でも当時、プラハの人々は、
    ナチスの報復を恐れていて、
    もはや
    レジスタンス活動は、
    ほとんど失われていたらしい…

  • レディツェ村は、<br />大きな美しい村だった。<br />200人の15才以上の男性は<br />納屋に集められ<br />10人づつ外に出され<br />銃により命を奪われた…<br />女性や子供は<br />収容所に送られ<br />ほとんどが命を失った…<br /><br />レジャーキ村は、<br />小川に水車が回る小さなのどかな村だった。<br />30人ほどの村人は<br />男女問わず包囲されて<br />銃で命を奪われ、<br />村は<br />全てが焼き払われたという…

    レディツェ村は、
    大きな美しい村だった。
    200人の15才以上の男性は
    納屋に集められ
    10人づつ外に出され
    銃により命を奪われた…
    女性や子供は
    収容所に送られ
    ほとんどが命を失った…

    レジャーキ村は、
    小川に水車が回る小さなのどかな村だった。
    30人ほどの村人は
    男女問わず包囲されて
    銃で命を奪われ、
    村は
    全てが焼き払われたという…

  • プラハを訪れた後に、<br />プラハをもっと知りたくなった。<br /><br /><br />第二次世界大戦後、<br />チェコスロバキア共和国は復活した。<br />ヤン・マサリクは、<br />外務大臣となり祖国に戻る。<br />しかし、<br />次第にソ連の影響が濃くなり…<br />

    プラハを訪れた後に、
    プラハをもっと知りたくなった。


    第二次世界大戦後、
    チェコスロバキア共和国は復活した。
    ヤン・マサリクは、
    外務大臣となり祖国に戻る。
    しかし、
    次第にソ連の影響が濃くなり…

  • 【ユダヤ教会 シナゴーグ】<br />1948年 ヤン・マサリクは転落死。<br /><br />モスクワ訪問の直後だった。<br /><br />チェコスロバキア共産主義政府にとって<br />チェコスロバキア民主化の英雄 <br />トマーシュ・マサリクの息子は<br />民衆の英雄でもあったわけで、<br />マサリクは、<br />政府の大半となっていたソ連の影響を受けている共産主義者に<br />窓から突き落とされ<br />殺された<br />と言われている。<br />

    【ユダヤ教会 シナゴーグ】
    1948年 ヤン・マサリクは転落死。

    モスクワ訪問の直後だった。

    チェコスロバキア共産主義政府にとって
    チェコスロバキア民主化の英雄 
    トマーシュ・マサリクの息子は
    民衆の英雄でもあったわけで、
    マサリクは、
    政府の大半となっていたソ連の影響を受けている共産主義者に
    窓から突き落とされ
    殺された
    と言われている。

  • 【シナゴーグの近くにあったお店】<br />その名の通り、古い時計が沢山あり<br />素敵なお店でした。

    【シナゴーグの近くにあったお店】
    その名の通り、古い時計が沢山あり
    素敵なお店でした。

  • 【プラハで最も古いシナゴーグ】<br />その後のチェコの<br />20世紀の歴史も本当に…<br /><br />ソ連の大きな影響を受け続け、<br />1960年に社会主義共和国に。<br /><br />その後、自由化・民主化を望む<br />「プラハの春」<br />の運動が高まるが<br />ソ連を中心として、<br />チェコは軍事介入され、<br />東ドイツと並ぶ<br />警察国家となっていく。

    【プラハで最も古いシナゴーグ】
    その後のチェコの
    20世紀の歴史も本当に…

    ソ連の大きな影響を受け続け、
    1960年に社会主義共和国に。

    その後、自由化・民主化を望む
    「プラハの春」
    の運動が高まるが
    ソ連を中心として、
    チェコは軍事介入され、
    東ドイツと並ぶ
    警察国家となっていく。

  • 【ユダヤ人街の美しい装飾の建物群】<br />この年に<br />プラハに行くときには、ちょうど<br />春江一也著「プラハの春」<br />を読んでいた。<br />

    【ユダヤ人街の美しい装飾の建物群】
    この年に
    プラハに行くときには、ちょうど
    春江一也著「プラハの春」
    を読んでいた。

  • 「プラハの春」の活動家達にとって<br />他国に亡命するか、<br />プラハに残るか、<br />苦渋の決断だったという。<br /><br />ある活動家は、<br />亡命するチャンスもあったが<br />暮れていくプラハ城を眺めながら、<br />悩んだ末に、<br />プラハこそ自分の居場所と、<br />プラハに残る決断をする。

    「プラハの春」の活動家達にとって
    他国に亡命するか、
    プラハに残るか、
    苦渋の決断だったという。

    ある活動家は、
    亡命するチャンスもあったが
    暮れていくプラハ城を眺めながら、
    悩んだ末に、
    プラハこそ自分の居場所と、
    プラハに残る決断をする。

  • プラハで<br />仕事を持つこともままならない人々が、<br />沢山いたそうだ。。<br /><br />しかし、1989年「ビロード革命」<br />他の東欧の国々も<br />大きく揺れ動き、<br />ベルリンの壁も崩された<br />あのとき。<br /><br />日本のTVも新聞も<br />全てヨーロッパの国々の大きな波<br />一色だった。<br />連日、<br />一日中、<br />報道が溢れていた。

    プラハで
    仕事を持つこともままならない人々が、
    沢山いたそうだ。。

    しかし、1989年「ビロード革命」
    他の東欧の国々も
    大きく揺れ動き、
    ベルリンの壁も崩された
    あのとき。

    日本のTVも新聞も
    全てヨーロッパの国々の大きな波
    一色だった。
    連日、
    一日中、
    報道が溢れていた。

  • 学生のデモ行進が<br />プラハのカレル大学前から始まり、<br />何万人もの市民が<br />これに賛同し<br />大規模なデモ行進は<br />プラハ旧市街に向かう。<br /><br />沢山の市民がろうそくを掲げ、<br />民主化を訴えてデモ行進する姿が<br />日本のTVにも<br />映し出されていた。

    学生のデモ行進が
    プラハのカレル大学前から始まり、
    何万人もの市民が
    これに賛同し
    大規模なデモ行進は
    プラハ旧市街に向かう。

    沢山の市民がろうそくを掲げ、
    民主化を訴えてデモ行進する姿が
    日本のTVにも
    映し出されていた。

  • ソ連やチェコスロバキア政府は、<br />これに軍事介入はしなかった!<br /><br />ヴァーツラフ広場に<br />人々が集まっている映像も<br />何度もTVで流されていた。

    ソ連やチェコスロバキア政府は、
    これに軍事介入はしなかった!

    ヴァーツラフ広場に
    人々が集まっている映像も
    何度もTVで流されていた。

  • 【プラハ国民劇場とドヴォルザークの銅像】<br />そして最も心に残っているのは、<br />革命が成功に終わった後、<br /><br />ラファエロ・クーベリック指揮<br />チェコフィルハーモニーが<br />旧市街広場で、<br />スメタナの「我が祖国」を演奏した映像。<br /><br />音も映像も荒かったけれど<br />圧倒される思いで見ていたことを思いだす。<br />

    【プラハ国民劇場とドヴォルザークの銅像】
    そして最も心に残っているのは、
    革命が成功に終わった後、

    ラファエロ・クーベリック指揮
    チェコフィルハーモニーが
    旧市街広場で、
    スメタナの「我が祖国」を演奏した映像。

    音も映像も荒かったけれど
    圧倒される思いで見ていたことを思いだす。

  • そのプラハに来られるとは、<br />その時は全く思わなかった。<br />私が来られるくらいだから、<br />今は、世界中の観光客でいっぱいのプラハ。

    そのプラハに来られるとは、
    その時は全く思わなかった。
    私が来られるくらいだから、
    今は、世界中の観光客でいっぱいのプラハ。

  • 【エステート劇場】<br />そう、<br />モーツァルトがオペラ「ドンジョバンニ」を<br />初演した劇場!<br />モーツァルトは、<br />プラハの人たちのお気に入りだった。

    【エステート劇場】
    そう、
    モーツァルトがオペラ「ドンジョバンニ」を
    初演した劇場!
    モーツァルトは、
    プラハの人たちのお気に入りだった。

  • 次にプラハを訪れる時、<br />さらに <br />プラハをより深く見つめ、<br />プラハの街を漂いたい…

    次にプラハを訪れる時、
    さらに 
    プラハをより深く見つめ、
    プラハの街を漂いたい…

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この旅行記へのコメント (4)

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  • ねもさん 2019/01/20 21:21:14
    初めまして
    maayさん ご投票ありがとうございます。
    同じころ結構近くを歩いていました。懐かしい画像がいっぱいです。
    私もプラハへの思いはなかなかと自認していましたが、maayさんのプラハ愛には完全に負けます(笑)。maayさんは、アラ還世代の私より若いのでは?と想像します。
    私のプラハへの関心は、1968年のプラハの春とソ連の軍事介入に始まります。多感な中学生にはショッキングな事件でした。この旅行記を拝読すると、プラハの苦難はもっともっと長い前史があったのですね。涙が出そうです。
    ところで、ウィーンのアマーリングバイスルにも行かれたのですね。あちらを拝見していて、この風景は観たぞと気づきました。安くて美味しい、実に良い居酒屋でした。
    他の旅行記も読ませてください。

    maay

    maayさん からの返信 2019/01/20 23:50:49
    Re: 初めまして
    ねもさん
    はじめまして。
    旅行記に投票いただき、コメントもありがとうございます。
    本当に、同じ頃にウィーン、プラハにいたようですね(^^)
    若い頃は、ヨーロッパ一の美しい街と聞きながらも、東欧の国で、プラハに旅できる日が来るとは思っていませんでした。
    「プラハの春」は認識できる歳ではありませんでしたが(笑)、ビロード革命など、あの頃のヨーロッパの激動に衝撃を受けた世代です。
    プラハを訪れて、もっとプラハを知りたくなり興味を持ちました。
    プラハ愛をお褒めいただきありがとうございます(*^^*)
    ウィーンの居酒屋!素敵でしたね。娘が調べて連れていってくれました。
    ねもさんのプラハ旅行記の居酒屋、名前が思い出せませんが…兵士の大きな人形と写真を撮られていた…
    行きたかったので羨ましいです(*´-`)
    旅行記沢山読んでいただいてありがとうございます。
    これからもよろしくお願いいたします。
    maay
  • mistralさん 2018/12/17 13:05:47
    旅のその後。
    maayさん

    こんにちは。
    いつもご訪問をいただき有難うございます。

    私もだいぶ前になりますがプラハを訪問して感動しました。
    「プラハを訪れた後に、プラハをもっと知りたくなった。」
    同感でした。
    今回、街のお写真をアップされながら、たどられた歴史が
    書かれていました。
    複雑な歴史を辿った国!
    なかなか一度で呑み込むのは難しいです。

    私も「プラハの春」を読んで行きました。
    繋がって「ベルリンの冬」も読み
    数年後?ベルリンにも行ってきました。

    旅のきっかけは、あちこちにあることを実感しています。

    来年も元気で旅ができますよう
    お互いに健康に気をつけましょうね。
    今後ともどうぞよろしくお願い致します。

    mistral


    maay

    maayさん からの返信 2018/12/17 21:13:43
    Re: 旅のその後。
    mistralさん
    コメントをありがとうございます!
    自由学園明日館、訪れたくなりました。
    プラハの旅行記も読んでいただいて、本当にありがとうございます。

    思えば、旅への憧れは、高校生の頃に読み始めた、森本哲郎さんの旅行記が根源にあるんだと思います。
    こんな風に自由に旅する人がいるんだ、と憧れました(*´-`)
    なので、mistralさんの森本さんを引用してるのに、とっても共感しています(^-^)
    自由に旅するのは、健康でいてこそですからね…本当に。
    旅が終わるとやり残したことに気づく、本当にそうですね。
    次の旅の計画は、もはや人生の楽しみ、そのものかもしれないなぁ、なんて思い始めています。

    これからもよろしくお願いします(*^^*)

    maay

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