2018/09/13 - 2018/09/13
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mas98765さん
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ツアーでロシアを訪れています。今日はサンクトペテルブルク郊外のツァールスコエ・セローというところに行って、エカテリーナ宮殿を見学します。写真を多く撮ったので、エカテリーナ宮殿についての旅行記を2回に分けて書きます。
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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前の旅行記から続きます。
https://4travel.jp/travelogue/11412103
今日はサンクトペテルブルク郊外のツァールスコエ・セローというところに行き、エカテリーナ宮殿を見ます。9時30分頃バスに乗りこんで出発。今日のガイドさんは昨日のガイドさんと同じ名前の女性でしたが、顔が違っていました。やはり日本語ぺらぺらで、お世辞ではなく口下手なわたしよりずっと流暢でした。情報量が豊富で、特にエカテリーナ宮殿などの観光地の説明はとてもためになるものでしたが、「物忘れのいい」わたしには何も残らず、本当に残念なことをしました。そうしたわけで、この旅行記の説明はほとんどが後で自分で調べて付け加えたものです。 -
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ツァールスコエ・セローはサンクトペテルブルクの南の方にあるのですが、泊まっていたホテル「プリバルチスカヤ」はサンクトペテルブルク中心部からみて北西(ヴァシリエフスキー島)にあり、中心部に行かなくても南にのびる高速道路を走っていけばいいので、事前に予想していた経路を通りませんでした。わたしは眺めがいいだろうと予想していた左側の席に座っていましたが、ことごとくはずれでした。バスは高速道路に乗るため、まず反対方向(北向き)に走っていくのですが、そのうちガイドさんが右手の建物の説明をしました。スタジアムが見えます。正式名称はガスプロム・アリーナといいます。クレストフスキースタジアムとも呼ばれます。2018年のサッカーワールドカップロシア大会の会場としても使用され、その期間はスタジオン・サンクトペテルブルグと呼ばれたため、Googleマップではこの名前が表示されています。サンクトペテルブルクを本拠地とするサッカークラブ・FCゼニト・サンクトペテルブルクが新しいホームスタジアムとして建設したもので、設計者はなんと日本人の黒川紀章です。黒川紀章の亡くなった後2017年にようやく完成しました。
※周辺の地図
https://goo.gl/maps/UeumqSmU4WF2 -
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なお、スタジアムの左手にタワーが見えていて、ガイドさんがロシアで一番高い建物で、サンクトペテルブルクの最新の観光名所だと説明されていましたが、あいにく左手に座っていたためいいシャッターチャンスがなく、右手の窓のところにきたところでズームして撮ろうとしたところ、その直前に高速道路に向かう上り坂にさしかかって視界が遮られてしまいました。写真もないのに説明するのも何ですが、ラフタ・センターといって、ガスプロムが建設しました。この日の午後、ピョートル大帝の夏の宮殿の庭園に行ったときと、夕食後に一人でイサク大聖堂の展望台に行ったときに眺めました。 -
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ロシアの道路標識は基本的にヨーロッパのものとほとんど同じですから違和感がありません。このあたりの制限速度は80キロのようです。三角の部分は、左側のものは吹き流しの絵だったので強風注意、右側のものはカーブする道路の絵だったのでカーブ注意だと思います。 -
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料金所があります。でも車は止まらずに通過しており、電波のマークのような標識があるので、ETCのような仕組みで料金を取っているのではないかと思います。 -
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10時頃は渋滞に巻き込まれました。 -
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やがて、ツァールスコエ・セローにたどり着きました。ツァールスコエ・セローは「皇帝の村」という意味です。現在は町の名前としてはプーシキンというようです。10時26分にこのような場所に止まりました。正面に見えているのは青少年センターのようです、手前には像があって -
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エカテリーナ2世です。でも、ガイドさんの説明はこちら側ではなく、まったく見えない右側の説明でした。どうやら教会があるらしく、ロシアの教会について延々と説明がありました。
※周辺の地図
https://goo.gl/maps/ZWFNCTrdgvM2
(Katherina II monumentと書かれているエカテリーナ2世像と左下のムゼイ・フラモフ・ツァルスコセリスコヴォ・ブラゴチニヤとの間の道路にいます。ムゼイ・フラモフ・ツァルスコセリスコヴォ・ブラゴチニヤというのが教会です。) -
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10時32分にエカテリーナ宮殿近くに到着してバスを降りました。前方に歩いていきます。前方には日本でもおなじみの進入禁止の標識があって、車は侵入できないようになっています。
※周辺の地図
https://goo.gl/maps/dM9QfxNWjR12
(リツェイスキー・サドと書かれた場所の北側の頂点付近でバスを降り、ドヴォルツォヴァヤ・ウーリツァという通りを南下しました。) -
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途中、楽器を持ったおじさん達が道路に立っていました。そのうちの一人がガイドさんに何か尋ねて、ガイドさんが「日本人」と答えました。すると「おはようございます」と声をかけてくれましたが演奏はしませんでした(連絡ミスかな)。我々が進んだ後、後方の集団に向かって中華人民共和国国歌を高らかに演奏し始め、力の差を実感しました。 -
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左手のリツェイスキー・サドというところには -
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プーシキンの像があります。プーシキンはロシアの詩人であり作家です。話し言葉を積極的に使って近代的な文章の世界を確立し、ロシア文学に影響を与えました。ここツァールスコエ・セローの学習院(リツェイ)での公開試験で自作の詩「ツァールスコエ・セローの思い出」を朗読して評価されたのがきっかけで有名になりました。たびたびつまらないことで喧嘩沙汰(というより決闘)になり、相手に銃で撃たれても弾が当たらないので「わっはっは、オレは不死身だ」と自慢していましたが、とうとう傷を負って死んでしまったという変な人です。 -
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向こうにエカテリーナ宮殿の一部らしい青い建物が見えてきました。その手前にあるのはメモリアリニ・ムゼイ=リツェイといこうことで、宮殿とつながっており郷土博物館のようになっていて、農耕器具や地方貴族の調度品や、プーシキンが使用していたものなどが展示されているようです。その左手にも -
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ズナメンスカヤ・ツェルカフィという教会があります。 -
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いよいよ宮殿のところにやってきました。でも、この時間は太陽の方向に見えます。なお、宮殿に入るためには見えている方向に行くのではなく、手前を右手に行きます。 -
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礼拝堂の上に立つ5つのドームが見えます。普段は金ぴかに輝いているのでしょうが、太陽の方向にあるため、逆にしぶく写って趣があります。 -
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今歩いてきた道ドヴォルツォヴァヤ・ウーリツァは、このような部分につきあたります。これは、エカテリーナ宮殿の正面の広場を囲う壁のような建物です。ここにはこのような胸像があります。
※周辺の地図
https://goo.gl/maps/XZNuB4D72Mt
(Googleマップで「パーミャトニク・ラストレルリ」と書かれているところです。) -
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パミャートニクとは記念像という意味で、要するにラストレッリの記念像です。ラストレッリは昨日見たエルミタージュ美術館の建物の建設を最初に手掛けた人でもありました。
エカテリーナ宮殿はもともとピョートル大帝(ロシアで最も偉大と言われる皇帝でサンクトペテルブルクを建設した人)が奥さんのエカテリーナ1世(農民出身で皇后、女帝になった人)のために建てたものです。その後、派手好きなエリザヴェータ(ピョートル大帝の娘で女帝)の時代にラストレッリに命じてバロック様式に大改築しました。後に地味好きのエカテリーナ2世(ドイツ出身で、ピョートル大帝の次にロシアで最も偉大だとされる女帝)の時代にキャメロンに命じてクラシック様式に改装されました。第二次世界大戦で大部分が焼けてしまいましたが、その後元通りに復元されました。 -
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入口のあたりに進むと -
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今度は連絡がうまくいっていたのか、ガイドさんに話しかけることもなく、5人(4人に見えますが後ろに打楽器担当の人がもう1人います)の演奏家が「荒城の月」を演奏しました。続いてロシアの歌「カチューシャ」を歌いながら演奏しました(管楽器ですから歌いながら演奏するのは無理で、右側のトランペットの人たちが歌いました)。最後にまた日本の伝統的な歌「さくらさくら」を演奏しました。選曲の根拠は不明です。 -
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なお、楽団のみなさんが演奏していたのは、ガイドさんが正面のチケット売り場でチケットを買っている間、その場でしばらく待つ必要があったためです。なお、ガイドブックによるとツアーの場合はここが入口ですが、個人の場合は別の場所になるようです。 -
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10時43分、いよいよ入口の門に進みます。 -
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門を入ると、正面左手にエカテリーナ宮殿の建物が見えてきました。 -
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エルミタージュ美術館と同じような色をしています。 -
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雨がポツポツしてきました。建物の入口付近には傘をさした人たちが見えます。今から向こうに並びます。 -
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振り返って、エカテリーナ宮殿の広場を囲っている壁のような建物を眺めます。Googleマップで見るとよくわかりますが、特徴的な形の壁のような建物で広場が囲まれています。
※周辺の地図
https://goo.gl/maps/xtwuoqSvRTE2 -
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その中央の門です。 -
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10時47分、列について並びます。まだ許容範囲なので、わたしは傘をさしません。 -
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宮殿のファサードには人の像をモチーフにした柱が並んでいます。こうした像を建築用語でアトラス(男像柱)と呼ぶようです(ギリシア神話のアトラスにちなんでいるのかもしれません)。 -
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よく見ると、建物を担いでいるようなデザインです。 -
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暇なので、宮殿の建物の上の部分も眺めます。 -
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窓の上の部分には人の顔も並んでいました。 -
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今入ってきた門の方向を眺めます。晴れているような雨空のような変な天気です。おっと、雨が大降りになってきました。ついに観念して傘を使うしかないか、と思いましたが、幸い列の先頭のあたりに来ていたため、間一髪(おおげさですが)のところで建物の中に入りました。 -
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入るとたしかセキュリティチェックがありました。ここもA4サイズのかばんまでしか持ちこめないということで、事前に小さなかばんにしてきました。わたしには用がありませんでしたが、上着預けかトイレか、またはその両方が奥の方にあって、 -
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手前のソファのある空間が待ち合わせ場所でした。 -
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奥に向かう通路の入口横にATMがあり、ツアーのメンバーの方がお金をおろしていました。 -
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11時07分、集まって一斉に出発しました。 -
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11時09分、改札機のところまでやってきて一人ずつ通りました。昨日のエルミタージュ美術館では1人1人にチケットが配られて各自読み込ませて進んだのですが、ここではガイドさんが一括で行い、チケットは配られませんでした。便利でしたが、チケットを記念にすることはできませんでした。 -
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その後袋を取りだして -
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靴にかぶせました。この宮殿は土足禁止なのです。 -
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11時12分、見学の始まりの場所である主階段にやってきました。 -
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赤い階段があって -
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みなさん、写真を撮っています。 -
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11時14分、わたしにも中の様子が見えてきました。
一連の写真を見て分かったことですが、先ほど宮殿の建物に入るときは広場に面した西側(Googleマップで左側)から入ってきたのですが、そのまま主階段に進んだわけではなく、中をぐるっと回って来るうちに、現在は反対の東側(Googleマップで右側)から西側に向かって階段を上がっています。 -
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正面がまだ見づらいので天井を眺めました。天井は意外にシンプルで、3枚の絵がはめこまれていました。 -
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11時14分、主階段のホールの正面(西側)が見えました。
エカテリーナ宮殿も公式サイトにフロアマップがありますから、そちらを参照しながら見ていくとわかりやすいです。番号をクリックすると、英語の説明が表示されます。今回は宮殿内でガイドブックを買う余裕もなく、近くの図書館に本も見当たらないため、この英語の説明を中心に、ほんの僅かに記憶に残っているガイドさんの説明などをもとに説明をつけます。部屋や絵や人の名前は時々英語のままで書かせていただきます。
※エカテリーナ宮殿公式サイトのフロアマップ
http://eng.tzar.ru/museums/palaces/c_atherine/plans
(エカテリーナ宮殿をwikipediaで調べ、英語版に切り替えて下のリンクから公式サイトを選び、上のVisitingを選んで表示される4つの写真のうちThe Catherine Palaceを選び、右側からPlan of the Palaceを選ぶとこのフロアマップが表示されました。)
ここは1番の主階段(The Main Staircase)です。初めはエリザヴェータの時代にラストレッリの設計で主階段が造られましたが、エカテリーナ2世の時代にキャメロン設計のデザインに置き換えらえてしまったため、とてもシンプルです。 -
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後ろ(東側)を振り返ると、正面(西側)と全く同じようなデザインになっています。 -
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白い壁には中国や日本の磁器(皿や花瓶)が飾られています。エカテリーナ2世がオランダで購入したもののようです。日本のものは有田焼(伊万里焼)らしいです。当時の磁器は金に匹敵する価値があったそうです。 -
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斜めからの写真を拡大したものですが、こんな皿です。 -
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少しぼけてしまっていますが、別の場所の花瓶と皿です。左側と右側の壁に3箇所ずつ、このようなセットが飾られています。 -
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天井には3枚の絵があります。オリジナルの絵は戦争で焼けてしまったので、別の絵が飾られています。真ん中のこれはイタリア人画家Carlo Marattiの「The Judgement of Paris」です。写真はコントラストを強くし過ぎました。 -
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西側のこれは、18世紀のイタリアの画家による「Aeneas and Venus 」です。 -
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東側のこれは、Pietro Liberi という画家の「Jupiter and Callisto 」です。 -
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左手に気圧計がありました。ちなみに同じ位置の右側の壁には時計がありましたが写真に撮りませんでした。気圧計の方は天気が書かれていて面白いです。左下の「буря」は嵐、左の「дождь」は雨、右上の「Яснo」は晴れ、「x.погода」はおそらく「хорошая погода」のことで快晴、「сушь」は乾燥とか日照りとかいうことだと思います。肝心の今針が指しているところですが、文字が隠れていることもあり、意味が分かりません。雨と晴れの間だから曇りということなのでしょうか。そもそも今も動いているのかどうか分かりません。 -
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正面を上がったフロアの左右のドアの横には女性像が立っています。 -
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正面(西側)を広く見渡すとこんな感じです。階段を上がった後、左手に進みました。 -
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11時19分、このような部屋がありました。フロアマップの7番ですが、「また戻ってきます」ということでガイドさんが先の部屋に進みました。 -
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わたしは人を信用しないので「戻ってこないかも」と思って、念のためこの部屋の写真を早撮りして進みます。 -
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次の部屋に進みます。 -
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フロアマップの4番の部屋にやってきました。大広間(The Great Hall)といいます。800平方メートルあり、宮殿で最も大きな部屋です。ラストレッリの設計で豪華に造られました。公的なレセプションなどに使われました。大黒屋光太夫がエカテリーナ2世に拝謁して日本に帰らせてもらえることになったのがこの部屋です。大黒屋光太夫は現在の三重県の人ですが、船が漂流してなんとロシアにたどり着いてしまい、はるばるサンクトペテルブルクまで行って助けを求め、日本との貿易を求めるラスクマンという人の使節に伴われて日本(北海道の根室)に帰りました。鎖国をしていた日本は外国の船が来て慌てました。その後、こうした外国船が度々日本にやってくるようになって、日本の人たちも外国のことを知るようになり、やがて江戸幕府は開国に向かう運命となります。 -
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大きな部屋ですが、ものすごく大きいというわけではなく、歩いて行くとすぐ向こうにたどり着きます。それから両側に窓がたくさんあるので、写真に撮ると内部をよく写そうとカメラが考えて、かえって暗く写ります。他の部屋も含めて写真の明るさをところどころいじっています。 -
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奥の方に進んだ後、回れ右をしてもとの方向を眺めると、こんな感じです。 -
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少し進んで部屋の真ん中あたりに進み、ガイドさんから説明を受けました(残念ながらほとんど覚えていません)。右端にエレガントなドレスを着た女の人が写っていますが -
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男の人とグルで、当時の衣装に身をまとい、観光客の思い出づくりのため一緒に記念撮影をしてあげてお金を取る人たちです。かなり高いかもしれないので、たしかに思い出作りになるかもしれません。 -
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天井には3枚の絵が描かれています。まず「その1」ですが、先ほど大広間に入った入口から一番遠く(南側)にある絵です。ラストレッリの招きでロシアにやってきたヴェネツィアの画家Giuseppe Valeriani という人のスケッチによる「Allegory of Victory」という絵です。上に写っているように、四角形が並んだようなデザインのある場所があって、それを挟んで「その2」の絵が上につながっています。集団行動のため真下に移動することができなかったので、写りが悪いです。 -
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「その2」です。実際は写真を左に90度回転させた形で、1つ前の写真につながっています。「Allegory of Russia」という絵です。 -
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先ほどの入口に一番近い(つまり北側の)「その3」の絵です。同じくGiuseppe Valeriani という人のスケッチによる「Allegory of Peace 」という絵です。
「その1」と「その3」の絵はオリジナルです。宮殿が改装されてこれらの絵が取り払われて物置にしまわれ、別の絵になりましたが、その後の戦争で焼けてしまいました。どこかにしまわれていたため、その後これらの絵が発見されてここに蘇ることとなりました。「その2」の絵はスケッチをもとに復元しました。 -
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「その2」の絵の一部です。 -
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「その3」の絵と同じものです。 -
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同じく「その3」の絵の一部です。 -
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「その3」の絵の下の部分です。ここはだまし絵になっていて、天井が高いように見せています。 -
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窓と窓の間の壁には鏡が貼られていて、反対方向の窓が写り、より明るく見せています。窓の外の景色が見えていますが、写真に撮ると部屋の壁が暗く写ります。 -
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試しに上と同じ写真を、明るさをいじって豪華に見せると、窓がまぶしくなって何も見えなくなります。 -
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鏡の周囲は、ろうそくの形をしたランプで縁取られています。 -
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部屋中の壁を覆う金メッキされた木製の飾りつけは、大勢のロシア人職人によって造られました。 -
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あちこちの上にある赤ちゃんの像は、職人さんたちが自分の子供をモデルにしたものだとガイドさんが説明していたように思います。 -
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床は2種類のオークの木で作られた寄木細工です。 -
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先ほど入ってきたところの入口の方向に戻ります。 -
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窓も見ておきます。 -
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窓の外に宮殿広場とそれを取り囲む壁のような建物が見えます。先ほど見た中央の門も見えています。 -
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入口までやってきました。「ここから眺めると、部屋がずっと一続きになっているのが分かります」とガイドさんが説明して、みんなで一斉に写真を撮りました。 -
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11時35分、先ほど通った部屋にやってきました。フロアマップの7番で「騎士の食堂の間(The Chevalier Dining Room)」といいます。 -
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青いリボンで縁取られた大きな楕円形のテーブルが目をひきます。この部屋もラストレッリの設計によってゴージャスに作られています。あまり広い部屋ではないため、広く見せるために「なんちゃって窓」に鏡をはめこみ、反対側の窓を映しています。ですから、ここを訪れて写真を撮る場合、顔出ししたくない人は要注意です。 -
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隅にコバルトペイントのタイル張りの暖炉があります。宴会をする場所なのでまきを入れる場所が裏側にあって見えないようになっています、というような説明がガイドさんからありました。エカテリーナ2世はこの部屋をちょっとした宴会の場として使ったようです。 -
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テーブルの上には、騎士団の等級を表すシンボルやsash(リボンのことかな、懸章のことかな)で飾られたものが置かれているようです。モスクワの近くのVerblikiというところの磁器の工場で作られたそうです。他の方のブログを見ると、青いリボンのテーブルは皇帝専用で -
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リボンの色によって座る場所が決まっていたようです。更に、皿の縁取りはリボンの色と一致しています。 -
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天井には絵があります。 -
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斜めから撮った写真を歪み補正して無理やり四角くすると、このような絵です。現在見られるのは戦後に新たにつけられたものです。無名のロシア人画家の作品で、Helios(ギリシャ神話の太陽の神様)とEos(同じく暁の女神)が四季を表すイメージに囲まれている様子が描かれています。 -
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11時37分、再びフロアマップで1番の主階段(The Main Staircase)まで戻りました。なお、今ここに見えているのは東側で、先ほどは正面中央下の入口から上ってきました。 -
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この位置(つまり西側)で手前のすぐ左手を見ると「眠れるキューピッド」の像があります。 -
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一方、2つ前の写真の下側中央窓の下の部分をズームして、暗く写った写真をかなり明るくすると、東側には「目覚めのキューピッド」の像があります。集団行動のため、近くまで歩いて行けないのが残念です。
これらの像は、マリア・フョードロヴナ(公式サイトではAlexander IIの皇后とありますがWikipediaではアレクサンドル3世の皇后)の命令でVictor Brodzsky が作ったものです。 -
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11時38分、次の部屋に進みました。フロアマップの8番です。「白の主食堂(The White State Dining Room)」といいます。 -
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斜め前方に視線を向けるとこんな感じです。 -
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ここもラストレッリの設計による部屋で、晩餐会をしたり、女帝が親しい人たちとの間で食事をしたりする場所でした。中央には白い楕円形のテーブルがあります。壁には正面にも -
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左手にも -
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右手にも絵が掛かっています。これらはFriedrich Grooth という画家の絵です。 -
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正面左手の絵は「A Goose and a White Peacock」という名前のようで、この人の名前をGoogle検索すると出てきます。 -
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こちらはウサギかと思ったら鹿ですね。インパクトがある絵ですが作品名はわかりません。 -
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天井に描かれている絵は「Triumph of Apollo 」という名前で、Guido Reniという人の作品のコピーです。 -
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テーブルの上にはドイツのマイセンで作られた磁器が並んでいます。 -
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山盛りフルーツをかたどったこれもマイセン製です。 -
[102]
テーブルの中央に飾られている(気にとめていなかったので写真では上に寄っている)変な形の磁器は、ツァールスコエ・セローの Large Caprice pavilionという建物の形を真似たもので、1760年代に Imperial Porcelain Manufactory (帝国磁器製造所)で作られたロシア独自のものです。
※公式サイトのLarge Caprice pavilionの写真があるページ
http://eng.tzar.ru/museums/palaces/alexander_park/new_garden/caprice -
[103]
通路左手にあったこちらもマイセンの香炉のようです。 -
[104]
次の部屋に進みます。次の旅行記に続きます。
https://4travel.jp/travelogue/11412813
なお、最新の旅行記目次はこちらです。
https://www2.hp-ez.com/hp/travelmasa/page23
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