2018/09/13 - 2018/09/13
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mas98765さん
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エカテリーナ宮殿の続きを見た後、エカテリーナ公園を少し歩きながらバスに戻りました。その後昼食を食べました。この旅行記では、そういった話を書きます。
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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[1]
前の旅行記から続きます。
https://4travel.jp/travelogue/11412206
引き続き、エカテリーナ宮殿の公式サイトのフロアマップをもとに見ていきます。ガイドさんは詳しく各部屋を説明してくださいましたが、惜しいことに一切覚えていません。エカテリーナ宮殿については現地で買った本もなく、図書館などで本を探しても見つからないので、各写真の説明はフロアマップで番号をクリックすると表示される英語の説明をもとにしています。絵や人の名前などは英語のままとさせていただきます。
※エカテリーナ宮殿公式サイトのフロアマップ
http://eng.tzar.ru/museums/palaces/c_atherine/plans
(エカテリーナ宮殿をwikipediaで調べ、英語版に切り替えて下のリンクから公式サイトを選び、上のVisitingを選んで表示される4つの写真のうちThe Catherine Palaceを選び、右側からPlan of the Palaceを選ぶとこのフロアマップが表示されました。)
11時41分、フロアマップで8番の「白の主食堂(The White State Dining Room)」から、次の部屋に移りました。 -
[2]
ここはフロアマップの9番、「The Crimson Pilaster Room」です。「深紅色の壁柱の間」というような意味です。日本語では「木いちごの食堂」と呼ぶこともあるようです。 -
[3]
名前の通り、リボンのような形の深紅色の壁柱が並んでいます。これもラストレッリの設計によるものです(ラストレッリは女帝エリザヴェータのお気に入りのデザイナーで、エカテリーナ宮殿の大改装もエルミタージュ美術館の建物の建築も手掛けて豪華にしました)。 -
[4]
通路の左手を見て進みます。窓際にカードテーブルがありました。公式サイトの説明によるとその上にチェスのセットがあるということで、他の人の旅行記を見ると確かにチェスのセットが写ったりしていますが、この時はありませんでした。 -
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ドイツの有名な職人Abraham Roentgen の書き物机があります。 -
[6]
もう一つ、公式サイトには説明がないようですが、このような棚もあります。 -
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天井にはこのような絵があります。 -
[8]
写真編集ソフトで歪み補正して四角く見えるようにするとこのような絵です。17世紀後半の無名のイタリア人画家による「The Clemency of Alexander the Great」という作品です。ここも以前は違う絵でしたが、戦争で焼けてしまいました。 -
[9]
11時43分、次の部屋に移りました。 -
[10]
ここはフロアマップで10番の「The Green Pilaster Room」です。「緑色の壁柱の間」というような意味です。一つ前の部屋と同じようなデザインですが、ここは壁柱が緑色になっています。ラストレッリは部屋ごとに違うデザインになるよう工夫したようです。 -
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エカテリーナ2世の時代は食器室として使われ、スクリーンで仕切られていたようですが、今はそのようにはなっていません。 -
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側面の様子です。 -
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天井はもともと18世紀のイタリア人画家Luvici Torelliによる「A Resting Military Commander Harkens to the Call of the Muses 」という絵で飾られていましたが戦争で焼けてしまい、Valery Lednevという人が戦前の写真をもとに同じ題材で描いた絵になっています。 -
11時45分、次の部屋に移りました。
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[15]
ここはフロアマップで11番の「The Portrait Hall(肖像画の間)」です。ここはラストレッリにより、最初からロシア皇帝たちを記念する部屋として設計され、使われました。戦争で焼けてしまったため、残った肖像画などを飾りました。部屋の左手の壁に大きな肖像画が1枚、 -
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正面のドアを挟んで両側に小さめなものが2枚、 -
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右手の壁に大きな肖像画が1枚あります。 -
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いつものように画像編集ソフトで歪み補正して四角くしているため、縦横比が違っている可能性がありますが、一番左のこの肖像画はエリザヴェータです。ピョートル大帝(ロシアで最も偉大だとされる皇帝でサンクトペテルブルクを造った人)とエカテリーナ1世を両親とする娘で、後に女帝になりました。ピョートル大帝の路線であるロシアの近代化を推し進めました。色白で美しく、ファッションに興味を持っていたようです。華やかなものが好きで、このエカテリーナ宮殿を豪華に大改装し、エルミタージュ美術館の冬宮も豪華に建設しました。 -
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正面左手の肖像画はNatalia Alexeyevna です。この人は女帝ではありませんでしたが、ピョートル大帝の妹です。 -
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正面右手はエカテリーナ2世です。エカテリーナ2世はピョートル大帝と並び称される有名な女帝です。もともとはドイツ出身で、ピョートル3世の嫁でしたが、クーデターを起こして夫を追い払い女帝となりました。ロシア帝国の領土をポーランドやウクライナに拡大しました。 -
[21]
右側の壁の大きな肖像画はエカテリーナ1世です。農民出身でしたがピョートル大帝の奥さんになり、後に女帝となりました。エカテリーナ宮殿はもともと、ピョートル大帝がエカテリーナ1世のために建てたものです。 -
[22]
天井画は「Mercury and Glory」という絵で、Giovanni Scaiario の作品だと言われています。
さて、この後フロアマップで12番の部屋に移りました。ここは「The Amber Room(琥珀の間)」といい、部屋中の壁が琥珀で覆われているという豪華な部屋です。「ここを見ずしてエカテリーナ宮殿に来たというなかれ」というような肝心な部屋なのですが、あいにく撮影禁止です。わたしはコンプライアンス重視ですし、旅行記の写真は100%自分が撮ったものなので、写真も説明もありません。
※公式サイトの琥珀の間のページ
http://eng.tzar.ru/museums/palaces/c_atherine/amber_room -
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11時51分、琥珀の間の次の部屋にやってきました。公式サイトのフロアマップで13番になっている「The Picture Hall(絵画の間)」です。左手の壁にも -
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右手の壁にも、まるで全体が一つのタペストリーのようにびっしり絵が飾られています。なお、これらの絵の大部分は世界戦争の時にも退避されて無事だったようです。 -
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中央の正面はこのようになっていて、観光客は部屋に踏み込むことはできませんでしたが、向こう側に窓が並んでいます。この位置の後ろ側にも窓がありますから、先ほど(前の旅行記)見た大広間と同様、宮殿の横幅一杯に広がる部屋です。大広間ほど大きくありませんが180平方メートルあります。18世紀には外交のレセプションや宴会や音楽会に使われました。 -
[26]
どれが何と言う絵か全くわからないので、いくつかの部分にズームアップして雰囲気だけ見ます。左手の壁にはこんな絵や -
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こんな絵がありました。 -
[28]
一方こちらは右手の壁の上の部分と -
[29]
真ん中あたりです。ここの中央左の下の方に写っている緑の大地に道が斜めに走っている絵は公式サイトに紹介されていてFrenchman Pierre Denis Martin the Younger という人が描いた「The Battle of Poltava (ポルタヴァの戦い)」です。「The Battle of Lesnaya(レスナヤの戦い)」の絵もどこかにあるようです。これらの戦いは、大北方戦争のクライマックスで、ピョートル大帝はこの戦争で当時の強い国スウェーデンに勝ち、領土を広げました。ポルタヴァやレスナヤはウクライナ東部にある場所です。同じ題材の絵のセットは、エルミタージュ美術館の「ピョートル大帝の間(小玉座の間)」で昨日見ました。 -
[30]
ここの天井画は、エルミタージュ美術館の「大使の階段」の天井画であるティツィアーノの「オリンポス山」のコピーです。 -
[31]
11時53分、次の部屋に進みました。公式サイトのフロアマップで14番になっている「The Small White Dining Room(小さな白の食堂)」です。エリザヴェータやエカテリーナ2世のプライベートな居住空間の最初の部屋だったようです。 -
[32]
どれも早撮りをしたため斜めに写っていて綺麗ではありませんが、左側にも -
[33]
正面にも -
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右側にも、壁に絵が飾られています。 -
[35]
天井画はCarle Vanlooという人の「Bathing Venus」のコピーです。 -
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窓です。 -
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ここには1770年代にNikolai Vasilyev という職人が作った寄木細工のbureau(整理だんすでしょうか)があります。上の部分がオルゴールか何かになっているような話をガイドさんから聞いたのですが、あいにく忘れてしまいました。公式サイトにはそのような説明は見当たらず、代わりにこのたんすはおそらくエカテリーナ2世の依頼で作られ、1773年にモスクワのクレムリン宮殿の礎石を置いたことと関係しているようなことが書かれています。そのため、前面がクレムリンの絵で飾られていると書かれていて、一体何のことかと思って探すと、 -
[38]
正面の丸くなった部分のすぐ上の細長い部分にモスクワのクレムリンらしい絵が描かれています。 -
[39]
左側面の目立つ絵は何かというと、どうやらツァールスコエ・セローのMonbijouという建物のようです。(「Monbijou Tsarskoye Selo」というキーワードでGoogle検索し画像にすると、似たような建物の絵が複数でてきます。) -
[40]
11時54分、次の部屋に進みました。公式サイトの15番の部屋で「The Chinese Drawing Room of Alexander I」といいます。日本語では「アレクサンドル1世の客間」などと呼ぶようです。ここも皇帝のプライベートな空間でした。 -
[41]
模様が描かれた絹が壁の内側に貼られているのが特徴です。この部屋も、左の壁や -
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正面の壁や -
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右側の壁に肖像画が並んでいます。後ろの他の箇所にも肖像画がありました。 -
[44]
特に目立つ肖像画が2つあります。左側面にあるのはアレクサンドル1世です。エカテリーナ2世の孫です。ナポレオンに侵略されそうになりましたが撃退し、その後のウィーン会議で主導的な役割を演じました。美男子で友情に厚かったと言われています。昨日訪れたエルミタージュ美術館の「1812年祖国戦争の画廊」にも白馬にまたがるアレクサンドル1世の絵がありました。 -
[45]
そして右側面にあるのがエカテリーナ2世の肖像画です。エカテリーナ2世は孫のアレクサンドル1世をかわいがりました。 -
[46]
天井にはFiodor Briullov という人の「Zephyr and Flora」という絵があります。 -
[47]
窓際に椅子があります。 -
[48]
11時56分、次の部屋に移動しました。 -
[49]
ここはフロアマップで16番の「The Pantry(食器室)」です。縦長の狭い部屋です。もとはエリザヴェータが服を着るための部屋の一部で、後に食器室になったようです。 -
[50]
天井にはイタリア人画家Pietro da Cortonaが描いた「Catching Corals」があります。 -
[51]
正面にフランス製の整理だんすがあります。 -
[52]
11時57分、次の部屋(実際には1つとばして次の部屋)に移りました。 -
[53]
フロアマップで22番の「The Green Dining Room(緑の食堂)」という部屋です。名前の通り、部屋の壁は淡い緑色をしています。中央にテーブルがあって -
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食器が並んでいます。 -
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左側も -
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右側も、古代を思わせる白い像などで飾られています。 -
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左側(北側)の中心には暖炉があります。ライオンの頭と脚をかたどったものがあるということで、左手に見えているのがそうだと思います。 -
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11時58分、次の部屋に進みました。フロアマップで23番の「The Waiters’ Room(給仕の間)」です。 -
この部屋は通っただけで、続いて
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フロアマップで33番(小さくて拡大しないとみにくいです)の「The Church Staircase」に出て -
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階段を下りました。 -
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EXITの方向に進んだ後、 -
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長い通路を歩きました。 -
[64]
右側にはエカテリーナ宮殿の現在の姿があって -
[65]
左側には第二次世界大戦で廃墟のようになってしまった姿がありました。 -
[66]
廃墟のようになってしまっていた頃の実際の写真も展示されていました。このような状態から、一生懸命頑張って元の姿に戻しました。
他にも、世界中の政治家や有名人がエカテリーナ宮殿を訪れたときの写真も展示されていました。 -
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再び階段を横目で見ながら -
[68]
12時05分、靴にかぶせていた袋をはずしてごみ箱に投げ入れました。その後トイレ休憩およびコートを預けた人はその受け取りの時間があって、宮殿に入ってきたときと同じソファのある空間で待ちました。 -
その後ガイドさんについてまた歩いて行き、宮殿を入ったところとは違う出口専用のドアから
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[70]
12時10分に外に出ました。 -
[71]
目の前に見えているのは「The Cold Bath」です。
なお、現在地はエカテリーナ宮殿の南東部になります(先ほどエカテリーナ宮殿には北西側からやってきましたので、ちょうど反対側になります)。ここからはエカテリーナ公園を通っていきます。公式サイトに地図がありますので、そちらをもとに見ていきます。
※公式サイトのエカテリーナ公園の地図
http://eng.tzar.ru/museums/palaces/catherine_park/plans
(ツァールスコエ・セローの公式サイトから「Visiting」の「The Catherine Park」を選び「Plan of the Park」を選ぶと表示されます。番号をクリックするとロシア語の説明ページに飛びます。そこで上部のENGをクリックすると、英語版に飛びますが、その建物の説明ではなく英語版の世界になっており「Catherine Park」の「Pavillions」を選ぶと写真付きの建物一覧画面が出て、建物を選ぶと英語の説明が表示され「See on Map」を選ぶとGoogleマップにリンクされます。ややこしくてこの説明では通じないでしょうから、英語版のリンクものせておきます。)
※英語版の建物一覧画面
http://eng.tzar.ru/info/price#pavilions -
[72]
12時11分、ガイドさんに続いて歩きだしました。 -
[73]
右手の「The Cold Bath」は公式サイト地図の2番です。1階部分の壁は穴がボコボコ開いた石灰岩のブロックで覆われています。2階はクリーム色に塗られ、アーチのところはレンガ色になっていて、神話をもとにした像が立っています。 -
[74]
宮殿方向を眺めます。礼拝堂の上の金色のドームが目立ちます。 -
[75]
12時13分、進行方向の左前方に池が見えてきて -
[76]
池の向こうに建物が見えます。地図の4番の建物で「The Upper Bathhouse」です。どうやらこの公園は風呂だらけのようです。以前はエントランスと着替え部屋、風呂と蒸気風呂、ボイラー室と八角形の中央室から成っていました。現在見えるのは戦後に建てられたものです。 -
[77]
右手手前に目をやると、ギリシャ・ローマ風のこのような建物が見えます。地図の3番にあたる建物で「The Cameron Gallery」といいます。先ほど見た「the Cold Bath」や花壇などと合わせて様々な施設が集まる「The Cameron Gallery Ensemble 」を形作っています。ここにギリシャ・ローマ風の建物を建てることはエカテリーナ2世が思い描いていて、これをスコットランドの建築家Charles Cameronがロシアに招かれて実現しました。 -
[78]
更に前方に歩いていきます。 -
[79]
12時15分頃、右手斜め前方にこのような建物が見えてきました。地図の10番にあたる建物で「The Grotto」といいます。エリザヴェータの時代にラストレッリがバロック様式で建設を始め、エカテリーナ2世の時代に完成しました。第二次世界大戦で壊れてしまい、現在あるのは再建されたものです。内部は貝殻と多孔性の石灰岩で飾られているようです。 -
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またしばらく進んで -
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12時16分、右手正面に先ほどの「The Grotto」が見える位置にきました。 -
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更に進んで -
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12時17分、水路を渡り -
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その後左前方の道に沿って更に進んでいくと -
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12時19分、大きな建物にたどり着きました。 -
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これは公式サイトの地図の6番にある建物です。「The Hermitage」といって、昨日見たエルミタージュ美術館と同じ名前です。フランス語で「隠れ家」を意味するこの名前のついた建物は18世紀の庭園で珍しくありませんでした。この建物はMikhail Zemtsovという人によって設計され、その後ラストレッリが改装しました。ここは、皇帝が限られた親しい人たちとくつろいだり夕食をとったりした場所です。 -
[87]
建物はきれいな形をした堀で囲まれています。 -
[88]
そして最後に -
[89]
公式サイトの地図で7番にあたる建物にやってきました。これは台所です。もともと塔の跡だったところに18世紀に建て直された建物で、台所であると同時にエカテリーナ庭園への出入口でもありました。「赤い塔」とも呼ばれるようです。 -
[90]
12時22分、建物の下の出口を通って出ました。
最後にこの場所をGoogleマップで確認しておくと、ここです。
※周辺の地図
https://goo.gl/maps/77LKEoG27w52
(Hermitage Kitchenと書かれているところです) -
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公園を出た後、道路を渡って更に向かいの敷地をまっすぐ進んでいき、正面に見える門をくぐると -
[92]
視界が開けて -
[93]
バスの駐車場でした。12時30分頃バスに乗って出発し、昼食のレストランに向かいました。 -
[94]
12時38分、このようなレストランに到着しました。 -
[95]
「Uno Cafe」という店です。
※周辺の地図
https://goo.gl/maps/YiAjDtpPECC2 -
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このようなテーブルがあります(空いているテーブルを写したものです)。 -
[97]
棚にいろいろ並んでいました。 -
[98]
パンはテーブルに置かれていて、好みに応じて取って食べます。 -
[99]
12時40分、このようなサラダがきました。 -
[100]
12時49分、かぼちゃのスープが来ました。 -
[101]
器に取り、好みでクルトンを浮かべて食べます。 -
[102]
13時05分、メインのキエフ風カツレツが来ました。Wikipediaによると「バターを骨なしの鶏胸肉で巻き、小麦粉、溶き卵、パン粉の衣をつけて焼くか、もしくは揚げたカツ料理」です。キエフチキンともいいます。キエフはウクライナの首都でありウクライナ料理が起源だとされますが、フランス料理の鶏のカツレツに似ており、サンクトペテルブルクで生まれたという人もいて発祥の場所はよく分かっていないようです。なお、日本のレストランのようにソースが用意されていなくてたしかそのまま食べたので「フライをそのまま食べたような味」でした。個人的には悪くなかったです。付け合わせのご飯は(もう慣れましたが)日本人の感覚からすると「こいつは美味い」というようなものではありません。
次はペテルゴフというところに行ってピョートル大帝の夏の宮殿(噴水で有名な庭園)を見ます。
https://4travel.jp/travelogue/11416039
なお、最新の旅行記の目次はこちらです。
https://www2.hp-ez.com/hp/travelmasa/page23
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