2016/03/09 - 2016/03/09
131位(同エリア385件中)
佐藤C作さん
同じ地球に生きる者として、絶対足を運ばなくてはならないと感じていた人類の負の遺産の一つ「アウシュビッツ」を見にポーランドへ。
クラクフからはバスで約2時間。
たまたま今の時代の日本に生まれたけれど、もしこの時代に自分がポーランドに生まれていたら…ここで見たことが自分に起こっていたかもしれない。迫害によって人生を強制的に終わらせられた人々…その無念さを思うと自分の中にどうにも処理できない感情が出てきた。
ここでかつて非人道的な行為があったにもかかわらず、数十年の時を経た空は不思議なくらいすがすがしかった。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
- 航空会社
- アエロフロート・ロシア航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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06:38
朝散歩。
こんな古い建物が好き。
古いものが好きなのは、自分自身が古くなったからだろうか…クラクフ歴史地区 旧市街・古い町並み
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これが銀行ってかい。
通いたくなるわ。 -
パステルカラーが美しい旧市街の街並み。第二次世界大戦中、クラクフは戦火を免れたため、中世の建物がそのまま保存されている。
フロリアンスカ通り 散歩・街歩き
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せっかく保存されている美しい街並みなのに、左のようなギラギラした文字やめてくれないかな。某国と同じじゃん。
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09:20
アウシュビッツ強制収容所到着。
他の方の旅行記にもあったが、バスをおりて周囲に何も目印のないところをカンに頼って歩いてきた。そうだよな、広大な収容所だったんだから、目立つようなビルなんてあるはずがない。後ろに私について歩いている人がいたけれど、適当に歩いてみたから間違っていたら申し訳ないと思いながらも無事到着。オシフィエンチム (アウシュヴィッツ第一強制収容所) / アウシュヴィッツ博物館 建造物
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入場料は無料。入口手前にある白い小屋で、人数と国籍を伝えレシートを発行してもらう。
この日は寒かったにもかかわらず、たくさんの人が来ていた。中には社会科見学であろう中高生たちも。知ることは大切。 -
遠方に収容施設が。
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本当に広い。
すべてじっくり見るのならば一日必要。 -
有名な第一強制収容所の門。
"ARBEIT MACHT FREI"(働けば自由になる)。"B"が逆さなのは被収容者のささやかな反抗とか、はたまた当時の流行りとか。 -
ところどころで見かけたもの。何なのだろう?
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同じ人間なのに、
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なぜ人が人を支配するようになったのか。
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なぜ人を痛めつけようとするのか。
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途中、団体のお話を盗み聞き。
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調理室
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収容施設。
現在、各バラックはそれぞれ展示スペースやオフィスとなっている。 -
説明書きがいたるところに。
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15番。
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写真や資料などが。
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当時の状況を記録したものがたくさん。
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こんな世の中、誰も望んでいないのに。
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武力で人が人を支配するなんて、理解不能!
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残酷すぎる。
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『「飢え」させることも暴力の一つ』
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小さな甥っ子姪っ子のことを思い出す。彼らには絶対こんな目にあわせたくない!!
今の大人が平和を守っていかなくては。そして次の世代に引き継いでいかなければ。 -
標識や看板の作り直し。
ポーランドの町そのものを乗っ取ったドイツが、地名をポーランド語からドイツ語に変えた。「アウシュビッツ」はドイツ語。ポーランド語では「オシフィエンチム」。 -
当時のまま。
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衣類と顔写真だけなのに、とてもリアルで背筋が凍った。
よくわからないが、ここに入るなり第六感みたいなものを感じた。 -
有刺鉄線は二重になっている。
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ところどころに明かりがあり、脱走が見つかったら即銃殺。
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同じ建物がきれいに整列。機械的なものを感じる。
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調理場だったかな?
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規則を破り食べ物を所持していた被収容者への刑罰についての記録。
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被収容者の一日。労働のため外へ。
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逃げ出そうとした者の顛末。
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少ない食料で働かせられ、労働終了後には倒れてしまうものも。
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被収容者が持ってきたものは何でも没収。琺瑯のマグや鍋など。
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「後で返すから、名前を書いておきなさい」と言い、安心させ騙して強制収容所へ。
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メガネも没収。
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山になるほどのとんでもない数の靴。
このほか、収容直後に刈り取られた髪の毛も。編み込んでラグなどとして使用していたとのこと。 -
藁の上に所狭しと雑魚寝。
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洗面台。
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こんな非人道的な中で、ソープは使われていたのか??
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被収容者の中でも、見張り・密告などの役割を与えられた者の部屋。
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平均して一つのスペースに二人横たわっていた。
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死の壁。
脱走を試みたものや反抗したものが銃殺された。隣のバラックの窓は、被収容者の目に触れないように目隠しとなる板がつけられていた。 -
立ったまま収監される狭くて真っ暗な独房など、この棟はおぞましかった。
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ガス室での殺害にはチクロンを用いていた。
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「入浴の時間」と被収容者をだまし、服を脱がせガス室へ。
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天井の穴からチクロンガスを入れ、一度にたくさんの人を殺害。
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そしてガス室。
中は真っ暗。天井にある小さな穴からチクロンが投入され、人々はもだえ苦しんだ。壁には苦しみのあまり引っかかれた跡が。
どうしてもここでは写真を撮ることができなかった。
外では黒い服を着たユダヤ人がお祈りをささげていた。 -
焼却炉。
ここでは人が人として扱われなかった。まさに死の工場。 -
焼却炉の扉。
ここを何人がくぐったのだろう… -
死の灰。
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毎日どれだけ疲れ、どんな気持ちでこの門をくぐっていたのか。数十年という時間を経て世界中から人が訪れているなんてまさか思わなかっただろう。
はじめの収監者は別の収容所から移送されてきた犯罪常習者。それがロシア人捕虜、同性愛者、そしてドイツ国内のユダヤ人強制労働者にまで広がっていった。 -
第一収容所の外へ出て、無料バスに乗車。
そして少し離れた第二収容所「ビルケナウ」に到着。
イスラエル国旗を背にかけた若者が。ビルケナウ (アウシュヴィッツ第二強制収容所) 史跡・遺跡
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ぎゅうぎゅうになるまで人を詰め込んで運んできた貨車。到着する前に亡くなる人も。そして強制労働者として使えるかどうかの選別。「価値なし」に分類されたものは即ガス室へ。
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あまりに広すぎて、あっち側の端が見えない。
数十年前には人が人を支配し、恐怖に陥れ殺戮を行っていた場所。今はそれが信じられないほど静かで穏やかで、なぜかわからないが空が高く広くてすがすがしさをも感じられた。しかし目線を下げると視界に飛び込んでくるのは有刺鉄線や焼却炉といった施設。もし当時自分がこの地に生まれていたら…支配していたのかされていたのか。運命の分かれ道とは何か。どうしても出ない答えに不思議な感覚を覚えるのみ。 -
殆どが風化され、残っているのは煙突部分。
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誰かが白いバラを。
私もクラクフで用意してくるべきだった。 -
クレマトリウム。
証拠隠滅に破壊された。 -
複数あったクレマトリウムはすべて原型をとどめていない。
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ここでも多くの人がモノとして扱われていたことを考えると胸が痛む。
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バラの横には石が。
ユダヤ教では人を弔う時に、石を置くそう。 -
ため池。
ここにも死の灰が流された。 -
わずかに残っている収容所。
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ここは「死のバラック」と呼ばれていた。
もう働けない女性を収容し、食べ物も水も与えずガス室へ送ったそう。 -
3月。中は本当に寒い。
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こんなちいさなストーブが一つだけ。
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クラクフに戻り、Cafe Camelotへ。
アップルパイをオーダー。シナモンの味が強かった。カフェ キャメロット カフェ
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旅行記グループ 【ポーランド】アウシュビッツ強制収容所
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