2018/05/24 - 2018/05/24
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めておら☆さん
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トスカーナ北東部のカゼンティーノと呼ばれる山岳地帯に、”ポッピ(Poppi)”という小さな町があります。
「イタリアの最も美しい村」に加盟するその町は、カゼンティーノの緑に囲まれた風景や柱廊が並ぶ中世の街並みが美しく、また、12世紀に町を治めていたグイディ家の頑強な城もみどころとなっています。
また、ルネサンス文化の先駆者として活躍した詩人、ダンテ・アリギエーリが1310年にこの町に滞在しており、彼の作品『神曲(La Divina Commedia)』の中の地獄編は、このポッピで書かれたと言われています。
今回の旅で巡った町の中でも、お気に入りの一つとなったポッピ。ほとんど観光地化されておらず、ゆったり静かに街歩きを楽しむことができました。
また、古城から眺めるカゼンティーノの緑豊かな風景に、心が癒されること必至です☆
□1日目 5/18 成田空港→ローマ・フィウミチーノ空港→ボローニャ・ボルゴ・パニガーレ空港
□2日目 5/19 ボローニャ・ボルゴ・パニガーレ空港(レンタカーピックアップ)→ラヴェンナ→リミニ
□3日目 5/20 リミニ→サン・マリノ→ウルビーノ
□4日目 5/21 ウルビーノ→グッビオ→ペルージャ
□5日目 5/22 ペルージャ
□6日目 5/23 ペルージャ→サン・セポルクロ→アンギアーリ→モンテルキ→アレッツォ
■7日目 5/24 アレッツォ→ローロ・チュッフェンナ→ピエーヴェ・ディ・グロピーナ→ポッピ→ボローニャ・ボルゴ・パニガーレ空港(レンタカー返却)→ボローニャ
□8日目 5/25 ボローニャ
□9日目 5/26 ボローニャ・ボルゴ・パニガーレ空港→ローマ・フィウミチーノ空港→成田空港
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- グルメ
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 25万円 - 30万円
- 交通手段
- レンタカー タクシー 徒歩 飛行機
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
7日目 5/24(木)
グロピーナのサン・ピエトロ教会でロマネスク建築の美を堪能した後は、山間の道を南へコトコト進み、次の町”ポッピ(Poppi)”へと向かう。
のどか~。 -
途中、前を走るトラックの絵にくぎ付け!
大好きなBEL PAESE(ベル・パエーゼ)のロゴだぁ♪
ベル・パエーゼは北部イタリア、ロンバルディア州で作られるフレッシュチーズで、そのまま食べてもパンやクラッカーにつけても、クリーミーで美味しいのだ。
ところが、このトラックがひどくトロトロ走っているので、予定より進みが遅くなってる・・・くねくねした道だから追い越すにも追い越せないし(-_ー;) -
ようやくトラックが脇道に入ってくれたので、またスイスイ走る。
緑も深まってきて、気持ちいいドライブ♪
ポッピはトスカーナ北東部のカゼンティーノと呼ばれる山岳地帯に位置するため、こんな山道が続くのだ。 -
12:00 ポッピ到着。
旧市街の南の入口、サンティ・ディ・カシェーゼ門(Porta Santi di Cascese)の手前まで車で入って来た。 -
門のすぐ前の道にレンタカーを停める。
確か無料で停められたと思う(←記憶が定かでない汗) -
サンティ・ディ・カシェーゼ門には「Uno dei Borghi più belli d'Italia(イタリアの最も美しい村の一つ)」と書かれた看板が。
イタリアの最も美しい村に加盟している町であることを示すものだ。 -
これはポッピ旧市街の地図。
4ヶ所ある⑦の部分が町への入口となっており、私が居るサンティ・ディ・カシェーゼ門は右の角の部分。ここから門の中へ入るとすぐ広場があり、そこも駐車場になっているが有料(だったと思う)。
この地図に書かれている主要なスポットを全て回っても、約1キロとごくごく小さな町だ。
しかし、その起源は古代ローマ時代まで遡り、ローマとリミニをつなぐフラミニア街道を見下ろす位置にあったことから、戦略的要所として存在していたという。
そして12世紀には、当時イタリア中部の有力貴族であったグイディ伯爵家が、城や城壁を築いて町を統治し、集落として発展していった。
それに伴い、グイディ家代々の領主も徐々に力をつけ、ポッピはカゼンティーノ地方における政治と行政の中心となっていった。 -
さて、ワクワクしながら門の中へ・・・♪
すると右手に塔が立っている。”悪魔の塔(Torre dei Diavoli)”だ。
名前はおどろおどろしいが、これは11世紀に造られた最初の城砦の名残りだ。 -
門から北へ伸びるチェーザレ・バッティスティ(Via Cesare Battisti)を町の中心に向かって歩いていく。
ポッピの特徴の一つであるポルティコ(portico=柱廊)が続く。
ポルティコと言えばボローニャが有名だが、ポッピのものは天井が低く道幅も狭いので、ボローニャのミニチュア版といった感じ。 -
ポルティコは小さいながらも中心部までずっと続いている。
雨の日は傘が無くても濡れずに歩けるから便利だ。 -
ポルティコと、ボルティコじゃない道があったら、絶対ポルティコを歩いちゃう。
なぜかワクワク感があるから♪ -
ボローニャのゴージャスなポルティコも素敵だけど、ポッピの素朴で控え目なポルティコも可愛らしくてイイ☆
-
歩き始めて5分としないうちに、旧市街の中心に到着。
まずは”サンティ・マルコ・エ・ロレンツォ教会(Chiesa dei Santi Marco e Lorenzo)”にやって来た。
13世紀創建の歴史ある教会だが18世紀になって再建され、その後も1854年と1928年に大規模な改修を行っているため、見た目は新しく感じる。 -
サンティ・マルコ・エ・ロレンツォ教会の前にある噴水。
これはすごく古そう・・・ -
内部は単身廊式。後期バロック様式とネオクラシック様式が混在している。
クリーム色の天井と白い漆喰装飾のコントラストが印象的。 -
主祭壇に向かって右手。
-
主祭壇に向かって左手。
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主祭壇。
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主祭壇には古い木製の磔刑像が飾られている。
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主祭壇のアップ。
祭壇画については詳細不明だった。 -
身廊右手の壁に飾られていた木製の十字架。
-
ラザロの復活(Resurrezione di Lazzaro)
ヴェローナ出身の画家ヤコポ・リゴッツィ、1619年の作品。
身廊左手の壁に飾られている。
葬られて4日経ったラザロの墓の前で、キリストが「ラザロよ、出てきなさい!」と言うと、死んだはずのラザロが生きて墓から出てきたのだそうだ。
その他にも地元ポッピ出身のフランチェスコ・モランディーニ(通称ポッピ)の絵画などもあったが、写真が残っていなかった。 -
町の中心アメリーギ広場(Piazza Amerighi)、そこに、オレンジ色のクーポラを持つコロンとした可愛い建物が建っている。
”マドンナ・デル・モルボ小礼拝堂(Oratorio della Madonna del Morbo)”
17世紀に建てられた六角形の礼拝堂で、うち三辺が柱廊に囲まれた造りになっているのが特徴。
小さな体に似つかわしくない大きなクーポラが、頭でっかちな印象でカワイイ♪
またファサードの時計は行き交う人々に時を告げ、まさに町のランドマークといった感じだ。 -
”マドンナ・デル・モルボ小礼拝堂(Oratorio della Madonna del Morbo)”
マドンナ(madonna)=聖母マリア
モルボ(morbo)=伝染病
直訳すると「伝染病の聖母マリア小礼拝堂」となるのだが、それは1530年と1631年の2度、カゼンティーノ地方で流行したペストに起因している。
2度の流行にもかかわらず、ポッピはほとんど被害者を出すことなく切り抜けることができた為、その奇跡を聖母マリアに感謝するべく、この礼拝堂が建てられたという。 -
入口上部のルネッタには聖母子のフレスコ画が描かれている。
聖母子の右後方にはポッピのシンボル、グイディ伯爵家の城も見て取れる。 -
内部ももちろん六角形の平面。
入って正面を見るとこんな感じになっている。狭いのでうまく撮れないが、中央の祭壇の左右にも、祭壇が設けられている。 -
後で述べるが、この中央の祭壇に、大変興味深い絵が飾られているのだ。
-
中央の祭壇の上部。
堂内にある3つの祭壇全て、上部に漆喰装飾が施されているのだが、これもまた少しずつ趣が異なり美しい。 -
そしてとても興味深いのがこの祭壇画。
四角い絵の中の上部に小さなアーチで囲まれた聖母子の絵が埋め込まれている。聖母子の右下には幼い洗礼者ヨハネも描かれている。
これは15世紀のもので、作者は不明。
土台となっている四角い絵には、左から聖ジュゼッペ、パドヴァの聖アントニオ、そしてポッピの守護聖人・聖トレッロ。
これはフィレンツェ出身の画家、ロレンツォ・リッピの1664年の作品。
それにしても、どうしてこんな「絵の中の絵」みたいなことになってしまったのか・・・?
実は、この聖母マリアに捧げる礼拝堂が完成した当時、祭壇に飾るにふさわしいとしてこの小さな聖母子の絵が選ばれたが、なにぶん祭壇に飾るには小さすぎた為、後から外枠となる四角い絵を描き、そこに聖母子の絵をはめ込んだのだという。 -
これが「絵の中の絵」になっている聖母子。右下に幼い洗礼者ヨハネも描かれている。
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こちらは中央に向かって右手の祭壇。
祭壇画には戴冠を受ける聖母マリアと、左から聖トレッロ、聖フランチェスコ、カマルドリ修道会創始者の聖ロムアルドが描かれている。
フィレンツェ出身の画家、ピエトロ・ダンディーニの1707年の作品。 -
この祭壇の上部にも、美しい漆喰装飾が。
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こちらは中央に向かって左手の祭壇。
祭壇画には、アンナとヨアキム(聖母マリアの両親)に子供が生まれ、マリアと名付けられる場面が描かれている。
これもフィレンツェ出身の画家、ピエトロ・ダンディーニの17世紀の作品。 -
この祭壇の上部はちょっと変わってる。
漆喰装飾は他と同じなのだが、中央に灯り取りの窓がついているのだ。 -
礼拝堂の天井。建物が六角形なのがよくわかる。
夜の闇のような濃紺が神秘的。 -
入口上部には木製の聖歌隊席が設けられていた。
中央の扉の奥にはパイプオルガンが収められているのだが、その扉には音楽の守護聖人・聖チェチリアがオルガンを奏でる姿が描かれている。 -
マドンナ・デル・モルボ小礼拝堂を出て、北へ伸びるカヴール通り(Via Cavour)を進む。ここが目抜き通りなのだろうが、人通りはごくごく少ないし、賑やかな飲食店も土産物店も無い。
小さな町はこれがいい。観光地化されちゃったら、逆に興醒めする。 -
マドンナ・デル・モルボ小礼拝堂のすぐ前にはこんなエレガントな噴水があるが、残念ながらこれも詳細は不明。
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カヴール通りは両脇にポルティコが並んでいる。
建物ごとにアーチの形状も柱の形状も異なるから、観察しながら歩いていると楽しい♪ -
カヴール通りのポルティコ。
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このポルティコは天井が木製で珍しい。
柱も円柱あり、多角形のものあり・・・なんか意味あるのかな? -
おっ、カラビニエーリ(国防省に属する国家憲兵)の車だ!
大体紺色だけど、緑って珍しいなぁ~。 -
カヴール通りをどんどん北へ進む・・・
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イチオシ
途中、路地に目をやると、アーチのある素敵な風景☆
向こうに覗く緑がまばゆい。 -
イチオシ
来た道を振り返ると、マドンナ・デル・モルボ小礼拝堂が、頭でっかちな姿で覗いてる。
しっかり町のシンボルしてるね。 -
ふと見上げた窓辺、ボロっちいけど、雰囲気あってイイ☆
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まだまだポルティコは続く・・・
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扉口を眺めながら歩くのも楽しい。
時折すごくステキなものに出くわしたりする。
そうしてる間に、目的の場所が見えてきた・・・ -
”サン・フェデーレ修道院(Badia di San Fedele)”
カヴール通りの突き当りにある修道院。
10世紀にベネディクト会の修道院として城壁の外に創建されたが、11世紀にはヴァッロンブローザ修道会のものとなり、さらに12世紀にはポッピを支配下に置いたグイディ家によって城壁内に移転した。
そして13世紀にはバロック様式に改修されるが、1928年から1934年にかけてオリジナルのロマネスク様式に戻されるという、なんとも忙しい歴史を持っている。 -
建物正面に向かって右手に立つ鐘楼。
この修道院が城壁に沿って建っていることから、かつて塔だったものを鐘楼にしたのではないか、との推測もある。 -
建物の左手には、心和む緑の風景が広がる。
-
このサン・フェデーレ修道院は歴史的にも建築的にも、また内部に収められている美術品の数々にしても、カゼンティーノ地方で最も貴重な一例であるとされている。
さて、中はどんなことになっているのか・・・♪ -
ちなみに、内部は単身廊式で、ラテン十字の平面となっている。
身廊左右に祭壇が各3つ、翼廊にも2つの祭壇がある形となる。 -
内部に足を踏み入れると、その独特な雰囲気に「お~~」という声が漏れる。
教会ではあるが、切石積みの素朴な壁と木製の天井が、どこか山小屋のような雰囲気も醸し出しているような・・・。 -
主祭壇と左右翼廊は大きなアーチで仕切られているのだが、そのアーチの白と黒の色調が、とてもいいアクセントになっている。
また、木製の聖歌隊席とその上のパイプオルガンの美しさにも目を見張る。 -
主祭壇に吊られている木製の十字架は14世紀中頃のもので、作者は不明だがジョット派のものとされている。
-
十字架の後方には美しいステンドグラスがはめ込まれている。
この修道院の名前にもなっている聖フェデーレ。 -
内部にはほかにも美しいステンドグラスがあった。
これは衣装の紫がとてもキレイで、気に入ってしばし眺めていた。 -
入口上部のステンドグラスも美しい。
-
主祭壇側から入口方向を眺める。
ん~~、いいなぁこの雰囲気!荘厳さはありつつ、どこか温かみもあって。
さて、祭壇を一つ一つ見て行こう♪ -
"聖母子と二天使(Madonna col Bambino e due angeli)"
1280年頃の作品とされている貴重な作品。作者はマグダラのマリアの秀作を描いたことからその名がついたフィレンツェ出身の画家、マエストロ・デッラ・マッダレーナ。13世紀後半に活躍した。 -
でもってちょっと違和感だったのが、このキリスト。
聖母に抱かれた幼子のはずなのに、なぜかオヤジ臭い(←バチ当たり汗)
しかも聖母子の絵ってキリストはだいたい裸なのに、これは修道服みたいな衣装を身に着けてる・・・
調べてみると、これは幼子キリストでありながらあえて修道服を着た聖フランチェスコに似せて描かれているらしい。それはこの修道院を建てたグイディ家の、聖フランチェスコに対する敬意の表れなのだという。 -
”聖ヴィンチェンツォの殉教(Martirio di San Vincenzo)”
トスカーナのサン・グスメ出身の画家、ピエトロ・ソッリ(1556-1622) の作品。 -
"使徒ヨハネの殉教(Martirio di San Giovanni Evangelista)”
ポッピ出身で16世紀に活躍した画家、フランチェスコ・モランディーニ(通称ポッピ)の作品。
彼は1544年にポッピで生まれ、1597年にフィレンツェで亡くなっている。
その独創的でエレガントな画風は、師であったジョルジョ・ヴァザーリから受け継がれたものとされている。 -
"ロザリオの聖母(Madonna del Rosario)"
アレッサンドロ・ダヴァンツァーティの16世紀の作品。 -
"玉座の聖母子(Madonna col Bambino in trono)”
アンドレア・ディ・ジョヴァンニ(通称ソロズメオ)、1527年の作品。
聖母子の両脇は左から洗礼者ヨハネ、聖フランチェスコ、ヴァッロンブローザ修道会創始者の聖ジョヴァンニ・グァルベルト、聖セバスティアーノ。 -
”聖母被昇天(Assunzione di Maria)”
ヤコポ・リゴッツィ(1547-1627)
右下には西方教会における修道制度の創設者で、ベネディクト会創始者でもある、聖ベネディクトが描かれている。 -
入口付近の壁には古いフレスコ画の一部が残る。
恐らく15世紀ころのものではないかと推測されている。 -
ポッピの街並みが描かれている部分もあった。
最初に旧市街に入った時に見た、”悪魔の塔(Torre dei Diavoli)”が見て取れる。 -
洗礼盤には花が飾られていた。
-
修道院内部にはクリプタ(地下聖堂)もある。
低い天井、それを支える太くて短いずんぐりした柱が印象的で、上の主祭壇同様、アーチが縞模様になっているのが特徴。 -
写真左端にちょっぴり祭壇が映っているのだが、ここにとても重要なものが収められている。
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祭壇のアップ。
ここに、ポッピの守護聖人である聖トレッロの遺体が収められているのだ。
うまく写真が撮れず脚しか映っていないが、頭部から足先まで全身の骨が残っていた。 -
サン・フェデーレ修道院を出て、元来たカヴール通りを戻って行く。
途中、また雰囲気ある路地を発見。カヴール通り沿いをゆっくり散策したら、もっとステキな路地に出会えそうだ。 -
カヴール通りは両脇がポルティコになっているので、行きは右、帰りは左、のように両方歩いてみると楽しい。
-
ここも歴史のありそうな木製天井。
-
イチオシ
そしてやって来たのが、ポッピのシンボル”グイディ伯爵家の城(Castello dei Conti Guidi)”。
目にした瞬間、その威厳に圧倒される。そして、この小さな村にこんな立派な城がある事もそうだが、ほぼ完全な姿で残っていることに驚く。
もちろん12世紀に創建されてから幾度かの改築や改修を行っているが、それにしても見事な姿だ。
フィレンツェのヴェッキオ宮を手掛けたアルノルフォ・デル・カンビオがこの城の設計にも携わっていたとされており、外観はやはりヴェッキオ宮を彷彿とさせる。
とはいえ、この城が建てられたのはヴェッキオ宮より前であるから、正確にはこの城がヴェッキオ宮のモデルとなったと言える。 -
城に向かって左手は緑の風景が見渡せる展望台になっているのだが、そこに、ルネサンス文化の先駆者として活躍した詩人、ダンテ・アリギエーリの胸像が置かれていた。彼の生誕700年を記念して作られたものらしい。
ダンテは1301年にフィレンツェを追放されるが、彼の身をとても案じていたグイディ伯爵はカゼンティーノにある一族のいくつかの城に彼を招き、滞在させていた。このポッピの城にも1310年から1年間滞在しており、彼の代表作「神曲」の地獄編第33歌は、この時に書いたとされている。 -
城の前は木々が茂る公園になっているのだが、その一角にはイタリアンカラーのこんな可愛いモニュメントもあった。
-
場内に入る門の上には紋章がいくつか見られるが、風化してよくわからない。
中央の大きなものはグイディ家の紋章??
ちなみに、チケットはこの門で購入する。
城だけなら4ユーロ、塔に上るならプラス2ユーロで合計6ユーロ。
高いとこ大好きの私は、もちろん塔付きにした。 -
敷地内に入り、間近から城を見上げる。
高くそびえる塔は、グイディ家の力を誇示しているかのようだ。 -
ファサードの二連窓がエレガントで美しい。
-
門を入ると、すぐ左手に井戸が残っていた。
-
城の眼下には、カゼンティーノの心和む風景が広がっている。
-
先ほど訪れたサン・フェデーレ修道院の鐘楼も見える。
-
入口上部には獅子のレリーフが。
ポッピでのグイディ家の支配は15世紀に終わり、城はフィレンツェ共和国のものとなるが、その後城の改修を行った際にフィレンツェのシンボルである獅子のレリーフが取り付けられたという。
以後、この入口は”獅子の扉”と呼ばれるようになった。
威厳に満ちた姿、足を踏み入れる者を威嚇するような表情でこちらを見ている。 -
入口を入るとすぐこの光景が目に飛び込んでくる。
吹き抜けの開放的な空間。天井の大きな窓から燦々と光が差し込み、古城の薄暗いイメージとは全く異なっている。 -
反対側から入口方向を眺めるとこんな感じ。
内部は3階層になっており、写真左手のつづら折りの階段を上がって行く。 -
まずは1階をぐるっと一周。
壁に残るフレスコ画の一部は、12世紀創建当時のものだろうか? -
1階の吹き抜けの広間の壁には、彩色テラコッタの紋章が飾られていた。
フィレンツェのテラコッタ職人・ロッビア一族の作品? -
階段脇の壁にはたくさんの紋章が飾られている。
代々城を守ってきたフィレンツェの貴族たちのものだ。 -
これらの紋章は15世紀のものだそうだ。
-
階段がなんとも芸術的!
この城の特徴の一つと言っていいだろう。 -
2階の壁。
一面、カラフルなフレスコ画で装飾されている。
今で言う壁紙みたいなもんかな。 -
階段を上り切ったところにある像はシモーネ・グイド伯爵。
13世紀から14世紀の長きにわたり領主であった人物で、フィレンツェを追われたダンテを1310年に城に招き入れたのもこの人。 -
像の脇にもフレスコ画が残っているが、肝心の部分が剥がれていて、よくわからない。
-
上階はグイディ伯爵の居室になっており、どの部屋にも美しいフレスコ画が施されている。
この部屋はグイディ家のプライベート礼拝堂。初期ルネサンス期に活躍したフィレンツェ出身の画家で、ジョットの弟子であったタッデオ・ガッディ(1300年~1366年)が14世紀前半に描いたもの。
壁の四面全てに写真のようなフレスコ画が施されている。 -
この2場面は使徒ヨハネが題材になっている。
左:ヨハネがドルシアーナを生き返らせる場面。
右:ヨハネが昇天する場面。 -
この2場面は聖母マリアが題材になっている。
左:キリストの神殿奉献。
右:聖母マリアの死、その上部に聖母被昇天も描かれている(もう薄くなっててわかりにくいが・・・)。 -
この2場面は洗礼者ヨハネが題材になっている。
左:ユダの荒れ野で出会ったキリストと洗礼者ヨハネ。この後洗礼が行われる。
右:踊るサロメの目前に、切り落とされた洗礼者ヨハネの首が差し出される場面。写真では切れてしまっているが、右端には首を切られたヨハネの体が描かれている。 -
多翼祭壇画を模したフレスコ画もあった。
左から聖母子、使徒ヨハネ、聖アントニウス、右端は”修道士”としか記載が無かった。 -
聖人の2場面の下は、全てこのようなフレスコ画になっている。
上段は恐らく聖人たちが描かれていたのだろうが、なぜか形しか残っていない。
下段は大理石を模したような柄になっている。 -
天井の青がとても美しかった。
-
こちらは暖炉の間。
調度品はほとんど無いが、壁一面に描かれた格子状の模様が華やかさを演出し、またオレンジ系の色彩が暖炉のある空間に温か味を加えている。 -
暖炉の間。
格子模様がには陰影もあり、立体感が出ている。 -
また別の部屋に移動。
”貴族”というイメージとはちょっと違うポップな柄のフレスコ画だけど、これはこれでカワイイ。 -
よくよく見ると、とても繊細に描かれてる。
-
そしてまた別の部屋には、こんなジオラマが展示されていた。
1289年6月11日に、このカゼンティーノのカンパルディーノ平原で繰り広げられた”カンパルディーノの戦い(Battaglia di Campaldino)”の戦闘風景だ。
この戦いでは、神聖ローマ皇帝を支持するギベリーニ党(アレッツォ)と、ローマ教皇を支持するグェルフィ党(フィレンツェ)の間で激しい戦闘が行われたのだが、なんと、あのダンテ・アリギエーリもグェルフィ党の兵士として参戦していたという。
戦闘の末グェルフィ党が勝利するが、次第にグエルフィ党の内部でもフィレンツェの自立政策を掲げる白党と、教皇に結びつこうとする黒党の二派で対立が激化、1301年には黒党が政変を起こして実権を握った為、白党に属していたダンテはフィレンツェから永久追放される。
そして流浪となったダンテは、グイディ伯爵の招きで1310年にこの城にやって来ることとなるのだ。 -
カンパルディーノの戦いのジオラマ。
手前の戦列はグェルフィ党(フィレンツェ)、その奥がギベリーニ党(アレッツォ)。圧倒的にグェルフィ党の数が上回っていることがわかる。
そして、正面には山岳風景が描かれたパネルがあるが、よく見るとの右手の小高い丘にポッピの町と城も描かれているのがわかる。
そして、手前の戦列は -
人形一つ一つが細かく精工に作られており、美術品として見てもかなりの見応えがある。
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一つ一つ微妙に違う人形たち。一体全部で何体あるのかわからないが、大変な作業だったことだろう。
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ジオラマのある部屋の壁には、古いフレスコ画の一部がいくつか残っていた。
-
こちらもジオラマの部屋のフレスコ画。
紋章や何かのシンボル的なものが描かれているが・・・なんだろ?? -
ここでひとまず塔に上ることに。
階段をどんどん上り下を覗くと、またまた階段の美しさが目に留まる。 -
あともう少しで塔の上に出るという所に、なにやら機械が置いてある部屋があった。
これは古い時計なのだが、今も正確に時を刻み、時間になると塔の上にある鐘を鳴らすようになっているのだそうだ。
そして写真の右端にちょっぴりだけ写っているのが塔の上に出る階段。
ワクワクしながら上っていくと・・・ -
塔の上に出た~~!
鐘がすごく間近で見られるのだが、30分ごとに鳴るので、その時間は避けないと大変なことになるかも・・・??
左の小さい鐘は1423年のもの、右の大きいものは1722年のもの。 -
そして塔の上からは、カゼンティーノの絶景が見渡せる。
すぐ真下の木が生い茂っている場所は城の前の広場。その向こうにも田園や山々の緑が続き、眺めていると心が和む。 -
反対方向(城の北東)を眺めると、円形をした東屋のようなものが見える。
これは戦没者の記念碑で、1936年にフィレンツェの建築家ウーゴ・タルキが手掛けたもの。過去の大きな戦争で命を落とした全てのポッピの人々に捧げられている。 -
塔から下りて、残りの部屋を見て回る。
ここは"サローネ・デッレ・フェステ(Salone delle Feste)"と名の付いた部屋。日本風に言うと”宴会の間”と言ったところ。
グイディ伯爵家の経済力をアピールする為に作らせた部屋で、交流のある貴族や教会の権威者を招きパーティーを開いていたのだそうだ。 -
宴会の間というよりは、サンマリノ共和国の国会議事堂をちょっと彷彿とさせる感じ。
実際、15世紀にフィレンツェ共和国に城を明け渡してからは、市民の会議室として使われたのだそうだ。 -
この部屋の壁も、一面が美しいフレスコ画で装飾されている。
19世紀から20世紀にかけて修復も行われているので鮮やかな色彩が蘇っているのだろう。 -
議長席後方の壁にはスペイン人画家が15世紀に描いた聖母子の絵、その上にはたくさんの紋章が描かれている。
-
聖母マリアと二聖人の彩色テラコッタは、フィレンツェの彫刻家一族、ロッビア工房の作品。
今回の旅ではロッビア一族の作品を度々目にしたが、そのどれもが美しく、すっかり虜になってしまった☆ -
肖像画もたくさん飾られていた。
肖像画って、写真が無い時代の写真がわりだもんな~。
自分の姿を美しく残したいっていう想いは、昔も今も変わらないんだな。 -
淡い色ガラスがはめ込まれた、この二連窓がとてもキレイだった☆
-
開け放たれた二連窓。
窓のフォルムもしかり、そこから覗く風景もしかり、とにかく美しいのだ。
さて、そろそろ下へ降りて行くとしよう。 -
2階に降りてきて、飛ばしていた図書館へ。
図書館には12世紀から18世紀の大変貴重な書籍が2万5千冊も保管してあるのだが、残念ながら撮影禁止だった。
写真は図書館の入口にあった(←と思う)、木製のパネル。 -
そして地下にある牢獄へと向かう。
途中の壁にあったレリーフ。三本の矢を握る手は、何を象徴してるんだろう? -
地下の牢獄。
薄暗い中にそこそこリアルな人形が置いてあって、一瞬ビビる(汗) -
下を覗くと人骨がぁ~~(@@;)
まさか本物じゃないよね?!と思い、またビビる(汗) -
入口のある広間まで戻って来た。
これでグイディ伯爵家の城はお終い。予想以上に見ごたえがあり楽しかった♪ -
最後に城のすぐ近くにある”カマルドリ会修道院(Monastero delle Camaldolesi)”にやって来たが、残念ながら閉まっていた。
-
元来た道を戻ると、城がより城らしい姿で見えた。
気付かなかったけど、下の方に見張り塔もあったんだぁ。 -
城の前の広場に戻ると、もう14:00を回っていた。
夢中で散策してたから気にならなかったけど、全部見終えたら急激にお腹がすいた!!
広場にあったバールで軽く昼食をとることに。
サルシッチャ(salsiccia=ソーセージ)と玉ネギのパニーノ5ユーロをオーダーし、待つこと10分・・・ -
来た来た~~♪
20センチ以上はある大きなパニーノ!あまり期待してなかったけど、これがアツアツ、サクサク、ジューシーで、めちゃめちゃ美味しい!
無心で一気に食べてしまった。 -
そしてレンタカーを停めた旧市街南側のサンティ・ディ・カシェーゼ門に向けて歩く。
マドンナ・デル・モルボ小礼拝堂の大きなクーポラ、頭でっかちでやっぱりカワイイな~。 -
こんな細い道にもちゃーんとポルティコがある。
あえてポルティコの中を歩くのがお約束♪ -
狭くても低くても、ちゃーんとポルティコ。
-
ふと見上げたポルティコの天井のアーチに、ポッピの城が描かれていた。
素朴だけど、とても郷土愛を感じる絵。 -
別のところには塔がいくつか描かれていた。
中世には塔が権力の象徴だったというが、もしかしてこのカゼンティーノにもかつては塔がいくつもあったのかな? -
悪魔の塔が見えるところまで戻って来た。
これでポッピの町ともお別れ・・・
小さいけど、街並みもそれを取り囲む風景もとても美しい町だった。
美しい・・・というよりは”可愛らしい”かな。
またひとつ、お気に入りの町が増えた。 -
14:20 ポッピを後にし、次は旅の最終目的地ボローニャへと向かう。
相棒のチンクェチェントとはボローニャ空港でお別れ。
それまでの2時間ちょっと、最後のドライブを楽しもう♪
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この旅行記へのコメント (2)
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- マリアンヌさん 2020/07/22 12:55:49
- ポッピいいねぇ♪
- めておらさん Buongiorno☆
ポッピって想像以上にいい美しき村だね。近辺で遠くに臨んだけど寄れなかった。
ポルティコがお出迎えなんて村にあるまじき。(おっと失礼)
緑のカラビニエーリって初めて見たかも?
おまけにブルネレスキが造ったんかい?というようなクーポラが可愛いマドンナ・デル・モルボ小礼拝堂。
2度の流行にもかかわらず、ポッピはほとんど被害者を出すことなく切り抜けることができた為、その奇跡を聖母マリアに感謝するべく、この礼拝堂が建てられたですって?
感染症対策は、ロックダウンか手洗いかetc.教えてもらいたいよね!
祭壇画の成り立ちも面白いねぇ☆
サン・フェデーレ修道院の木製天井単身廊の内陣、素敵だわぁ♪
マッダレーナのオヤジキリストってイタリアあるある。確かに修道士じゃん。
絵画もたくさんあって見どころ満載だね。
アルノルフォ・デル・カンビオがこの城の設計にも携わっていたグイディ伯爵家の中世な内装とフレスコ画もすごいね。あの塔が遠くからよく見える。
そしてイタリア中世といえばギベリーニ党対グェルフィ党だよね。
ダンテ由来の宿にマッサ・マリッティマで泊まったけど、神曲読んでないし勉強不足でよくわからんかった(-_-;)
いやぁ、また行きたいリスト増えちゃったよ。めておらさん、ありがとー♪
マリアンヌ
- めておら☆さん からの返信 2020/07/22 14:54:00
- Re: ポッピいいねぇ♪
- マリアンヌさん、お忙しいところいいねとコメント、どうもありがとう!
マリアンヌさんはポッピ寄れなかったけど、私はロメーナのサン・ピエトロ教会に行けてない・・・。近かったのに、残念。けど、マリアンヌさんの旅行記で楽しませていただいたからね♪
ポルティコって裕福な町のイメージだから、マリアンヌさんが「村にあるまじき」って言うのもわかる笑
でも、ポッピのは慎ましやかなポルティコ(←どんな意味じゃ汗)で、ホントにボローニャのミニチュア版ぽかった。可愛い町だったよ。
マドンナ・デル・モルボ小礼拝堂の奇跡ねぇ、
「感染症対策は、ロックダウンか手洗いかetc.教えてもらいたいよね!」←確かに!!笑
コロナが一日も早く消えてくれるよう、奇跡が起きてくれないかねぇ・・・。
オヤジキリスト、今思うと「あれ?随分老けたキリストだな・・・」って思うものもたまにあったけど、気のせいじゃなかったのかな笑
絵画って、そこに描き手のいろんな感情や意味合いがあって、それを踏まえた上で見るとより楽しめるんだね。マリアンヌさんみたいに勉強しとくと、きっともっと楽しいだろうな~。
神曲、マリアンヌさんも読んでない?!
実は私も・・・読みたい願望はいつもあるんだけど、どうせならイタリア語で、って思うと毎回先送りになってます・・・もういいかな、マンガでも(^^;)
それでは、4連休はコロナに気をつけつつ、楽しくお過ごしくださいね~♪
めておら☆
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