2018/09/01 - 2018/09/01
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ドクターキムルさん
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浄智寺裏から葛原岡ハイキングコースに入ると、最初に清凉寺谷切通がある。今は通れなくなっているために、その横に山道が着いており、清凉寺谷に下りられる。山頂にある天柱峰の「竺僊梵僊和尚顕彰碑」と五重石塔を見て下りて行くと途中に鎌倉市によって小山を上る迂回路が設けられている。この階段を下った所が「蛇居ヶ谷の大堀切」と呼ばれている。元々の旧道はこの小山を上り下りするのではなく、この小山を迂回している。現在も旧道は残っているが、浄智寺側の下り口が結構急である。この小山の葛原岡神社側は岩が大きく掘削され、丁度その下に海蔵寺が見える。海蔵寺の隧道を潜った先には海蔵寺墓地があり、寺の裏側は崖で囲まれている。この辺りは蛇居ヶ谷(寂外ヶ谷(じゃくがや))とも呼ばれているのだという。谷と崖との間に土塁のような土手があり、その上に葛原岡ハイキングコースが通っている。しかし、海蔵寺側が崖になっており、後世になって清凉寺谷のように石切場にでもなったのであろうか?あるいは、この蛇居ヶ谷の大堀切自体が逗子にある大切岸のような石切場跡なのか?少なくても10mを越える(20m近い)幅の切通など掘削されたことがないことより、切通説はないであろう。蛇居ヶ谷石切場跡が実態と思われる。
さらに少し上ると道標があり、行先が示されない方向に北上する尾根道は東瓜ヶ谷の東慶寺(縁切寺)西側辺りに通じているのだろう。この尾根道を少し進んでから谷に下りると瓜ヶ谷やぐら群に出る。
葛原岡神社の手前は地図では160m級の前方後方墳状に等高線が示された前方部の端に当たる。葛原岡神社はこの前方後方墳状のくびれ部分に社殿が建てられている。後方墳状には墓のような石積があり、葛原親王(かずらわらしんのう)(延暦5年11月7日(786年12月1日)~仁寿3年6月4日(853年7月13日))を祀っていたと伝承されて来ている。なお、葛原岡の地名は親王の葛原(かずらわら)から転じたものである。
(表紙写真は蛇居ヶ谷石切場跡か)
平成31年(2019年)3月17日に西瓜ヶ谷やぐら群を訪れた。西瓜ヶ谷やぐら群の直ぐ下は谷戸の棚田がある。
この谷戸から山林が続くのだが、この谷戸の上の山は谷になっており、木立の間から尾根の先の空が透けて見える。この尾根は「蛇居ヶ谷の大堀切」がある場所である。「石切場跡か」と思っていたが、「蛇居ヶ谷の大堀切」は切通である可能性が強いと思った。「大堀切」にその直下にある「蛇居ヶ谷」の名が付いているのも切通ならば納得できる命名である。切通の幅が広く、掘削も深いので「切通」ではなく「大堀切」と呼ばれた可能性が高い。
東慶寺(縁切り寺)西の東瓜ヶ谷から山道を南下して西瓜ヶ谷やぐら群がある谷の上の尾根道(葛原岡ハイキングコース)に出る尾根道と東瓜ヶ谷から西瓜ヶ谷を通り、西瓜ヶ谷やぐら群がある谷戸から尾根を越えて海蔵寺裏に出た街道があり、その尾根の部分が切通(「蛇居ヶ谷の大堀切」)となっていたのだろう。
海蔵寺の裏には海蔵寺の墓地がある。その先は高い断崖絶壁の下に民家が建っている。この崖は中世以降に石切場となって鎌倉石が採掘されて崖になったのであろう。浄智寺の切通の先が清涼寺谷(新清涼寺跡)の石切場(https://4travel.jp/travelogue/10813856)となって、切通の先の道が消滅していることと同様であろう。しかし、入口に隧道が残っており、海蔵寺の横を通って化粧坂の入口に至る。
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