2018/08/23 - 2018/08/31
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“追補版”です。
ニューヨークのノグチミュージアムでも同時期にここの取材をしていたようです。ひな壇の黄色いテープを取って撮影しています。全面写真もさすがにプロの撮影です。
という事で、ミュージアムから送って頂いた2枚の写真を最終ページに追加アップしました。
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メキシコの首都メキシコシティには東京の上野にある「アメ横」のようなマーケットがあるのをご存知ですか?
名前は「アベラルドロドリゲスマーケット」です。
ミヤマーにも「アウンサンマーケット」と言うのがあります。ここはアウンサンスーチーの父親アウンサンの名前を冠したマーケットです。
アベラルドロドリゲス(Abelardo Rodriguez 1889~1967)はメキシコの革新系の政党から出た大統領です。自国の英雄の名前をつけた市場なのです。
メキシコを代表する画家であり、メキシコの紙幣500ペソ札の表に肖像画が描かれている国民的英雄ディエゴリベラ(1886~1957)は1930年代にこのマーケットの内部の壁面に自分の生徒から選抜した優秀な若い画家達に壁画を描かせました。
その頃、ニューヨークのグッゲンハイム基金の奨学金を得たイサムノグチ(1904~1988)が1935年に(31歳)メキシコシティへやって来ます。
壁面彫刻の制作を依頼出来る力量のある作家をディエゴリベラが募集していたと言う美術史家もいます。
いずれにせよ多くの生徒達が壁画を制作している空間の中でディエゴリベラはイサムノグチには特別に2階の壁面空間(自由な構想が可能な広い空間)を与えました。
つい最近まで、この「アベラルドロドリゲス市場」は「危険で汚いエリア」として「観光客は行ってはいけないエリア」とされていました。
今でも「観光客は行ってはいけないエリア」と思っている人は多いです。
イサムの壁面レリーフ作品「メキシコの歴史」やメキシコ生まれの当時の若い画家達が「アベラルドロドリゲス市場」の全ての入り口に描いた壁画群が再認識されて来ています。
限られた美術研究家ではなく一般の美術愛好家たちが見学に来ているのです。
その影響でいくらか「落ち着いたエリア」、「部外者を拒否しない人が増えているエリア」になって来ていると思いました。
スペイン語は話せませんが指差し会話をするうちにここに居る人たちにとって、この壁画たちが自慢の存在(自慢のタネ)になって来ているんだなと感じられました。
僕は一人で昼まえに行きました。
イサムノグチの作品「メキシコの歴史」がどこにあるのか探すのに苦労しました。
英語は通じませんが「メキシコの歴史」の写真をスマホに入れていったので指差し会話ができました。
メキシコの若い画家たちよりも、優遇されてイサムノグチはディエゴリベラから市場の2階の壁面という制作にあたって特別条件の良い空間を与えられていました。
この壁画レリーフ「メキシコの歴史」(2x20m セメントに着色)の制作のためにイサムノグチは8ヶ月もメキシコシティに滞在しています。
足場の組まれたイサムノグチの制作現場には頻繁にフリーダカーロが訪れています。
レリーフの左端にはアインシュタインが1907年に発表した相対性理論「E=mc2」が彫刻文字で描かれています。中央右の部分にはナチスの鉤十字が配置されています。
作品の右奥にある事務所のおじさんが僕の肘を突くので振り返ると指差して教えてくれたのですが、右側の側面にはイサムノグチのサイン(ISAMU NOGUCHI 1936)がありました。
この後、イサムノグチは「自己の作品の方向性探しの旅を終えて」ニューヨークに戻ります。
1940年36歳の時にはニューヨークのロックフェラーセンターにあるAP通信社ビル(冬にはアイススケートリンクになる所の右側にある茶色いビル)に9トンものステンレスを使って5人の報道記者たちの働く姿をテーマに大型肖像壁面レリーフ作品「ニュース」(6x5.2m)を制作しています。
この作品「ニュース」の工程は全てイサムノグチが一人でやっています。
メキシコでの「メキシコの歴史」の作業と比べれば大きさでは楽だったんでしょうか?
或いは、金属素材だから工程は大変な気もしますが?
ステンレスを素材と選んだのは屋外での耐久性を考慮したのだと思います。
実際に「アベラルドロドリゲスマーケット」で作品を見るとロックフェラーセンターの作品「ニュース」のベースにはこのメキシコシティの作品「メキシコの歴史」(これはセメントに彩色)があるのが分かります。
「アベラルドロドリゲスマーケット」はイサムノグチのファンならば訪れるべき所だと思います。
それに壁画は移動出来ない作品ですからね。
でも、女性一人での訪問はまだ危ないかも知れません。
少しご注意が必要かも知れません。
この後は1.4km徒歩20分で国立美術館まで行きました。ここにはディエゴリベラの若い頃のパリ時代の目を見張るようなスマートな作品たちが展示されています。
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「アベラルドロドリゲスマーケット」の動画をYouTubeにアップしています(撮影機材はiPhoneX)
動画を撮るのに忙しくて静止画は少なかったです。
このYouTube紙芝居では「アベラルドロドリゲスマーケット」全体の様子をご理解を頂けると思います。
https://youtu.be/r2nu_SCTnnU
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 4.5
- グルメ
- 3.0
- 交通
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- タクシー 徒歩
- 航空会社
- ANA
-
今回、宿泊したホテルはガレリアプラザレフォルマです。
このホテルは6年前の「死者の日」にメキシコシティに来た時も宿泊しました。
6年前2012年11月のメキシコ旅行記は下記です。
https://4travel.jp/travelogue/10736058
ホテルは口コミにもアップしましたが改装されて良くなっています。
写真はホテルからアベラルドロドリゲスマーケットまでUberを事前予約した(10:30~10:45)メールです。
この返信メールが予約完了の返事です。ガレリア プラザ レフォルマ ホテル
-
この写真はマップです。
ホテルからアベラルドロドリゲスマーケットまでのスマホのナビゲーションを表示しています。
Uberのドライバーもスマホの音声ナビゲーションで運転しています。僕のスマホとほぼ同じ道順のナビゲーションでした。
Uberは予約時に乗合、普及、高級の3種類が選べます。
普及タイプの車種を選びました。
ナンバープレートの番号と車種(この時はホンダシビック)が表示されます。
ホテルの前に来たのを簡単に判別出来ました。
見つけられない時は携帯電話します。
現地で使用できる携帯があったほうが安心で安全な旅を進めるためには便利です。
電話、ナビゲーション、検索、あとスペイン語がダメなので翻訳機能にも助けられました。 -
Uberを降りる時は現金は必要ありません。
登録したカードにチャージされます。
請求金額は下車後しばらくしてメールがきます。
ドライバーが気に入れば
いいね評価
チップ
を上げることも出来ます。
チップもカードにチャージされます。
写真は「アベラルドロドリゲスマーケット」です。
アベラルドロドリゲス(Abelardo Rodriguez 1889~1967)はメキシコ大統領を1932年から1934年まで務めています。
制度的革命党というメキシコの最大政党を率いてメキシコの民主制度改革に貢献したと言われていいます。
ティファナ空港もアベラルドロドリゲス空港と呼ばれています。
このマーケットは4Tにはスポット登録されていないようです。 -
2階にある事務所(コミニュティセンター)の入り口にあった看板です。
コミュニティセンター
アベラルドロドリゲス
1995年9月12日にオープンしました。
という銘板です。 -
2階にある事務所(コミニュティセンター)の入り口です。
メキシコの壁画運動について、このロドリゲスマーケットについて話したいと思って入って行って見ました。
英語を話せる人は誰もいなくてダメでした。
ここにいたメキシコ人の方たちはシャイな(恥ずかしがり屋さん)性格でした。 -
イサムノグチの作品は2階です。
写真は1階から2階の階段の踊り場の壁面に描かれているメキシコ人画家の手による壁画です。
ディエゴリベラは多くの生徒の中から優秀な人間を選んで描かせたのだと思います。
その中でもこの階段の部分に描かれた壁画の作者は抜きん出て優秀な生徒だったのだと思いました。
日頃の成績の他に壁面別の画面構成の下絵を描かせて優秀な生徒にその壁面を与えたのかもしれません。天井部分の面ごとの画面構成にはそれなりの構想力と想像力が必要だったと思います。 -
イサムノグチの作品「メキシコの歴史」です。
素材はセメントに着色
サイズは概算ですが縦2mx横幅20mととてつもない大きさの作品です。
周囲は綺麗に清掃され作品の下の部分の壁と作品を取り巻く舞台の部分は赤茶色に塗装されていました。
舞台のように一段上がったところへは黄色い侵入禁止のテープが貼られていました。
近くまで接近して鑑賞出来れば感想は少し変わっていたかも知れませんね。
「日本から来ました」とダメ元で黄色いテープ内での鑑賞をお願いすれば良かったとこの旅行記を書きながら反省しています。 -
作品の左端にはメキシコ原住民のシルエットが描かれています。
その右隣にはE=MC2(アインシュタインが1907年に発表した相対性理論の数式)が刻まれていました。
数年前に日本でこの作品の話をグループの検討会で話題にしたことがありました。
あるメンバーが「イサムノグチは凄いものだ相対性理論まで勉強しているんです!」と発言していました。
僕の見解ではイサムノグチがこの数式を作品の構成に加えたのは「時代の流れを象徴し表現する」為の部品として使用したのだと思います。 -
作品の中央部から右側の写真です。
抽象彫刻家のイサムノグチの作品としては1936年32歳の初期の作品としてもかなり説明的すぎる構図だと思います。
作品の中央の右にはナチスの鉤十字があり、一番左側にはアインシュタインの相対性理論のE=MC2が彫られています。
このような構成をイサムノグチが構想したのは分からないでもありませんが、準備時間が無かったのでしょうか熟成されていないという不満感があります。
当時の時代は、ヒトラーの首相任命が1933年、ヒンデンブルグの死後ヒトラーが総統になるのが1934年です。
ヒトラーは自由な表現芸術を頽廃であるとしてどしどし規制し排除していきます。
作品タイトルの「メキシコの歴史」とどう関係するのか不明ですがイサムノグチがその時代の重苦しい風潮を感じていたか予感していたのは事実かも知れません。
フリーダカーロの父親ギリュエルカーロ(1871~1941)はユダヤ系ハンガリー人でした。
イサムノグチがメキシコでこの作品を作っていたのは1936年です。
でも、ナチスのユダヤ人迫害はメキシコまでは及んでいなかったと思います。 -
作品「メキシコの歴史」のiPhoneの横パノラマ撮影写真です。
中央から右側は密(混み合っている)
左側は疎(まばらである)
です。
イサムノグチは右から作り始めて左に作り進めたのでしょうか?
壁画制作には膨大な下絵が必要です。
再構成して壁画に仕上げる工程には鋭い感覚と構想力が必要です。
この3つの窓が構成のポイントだったように思います。右側が混み合って流動感に満ちているのに対して左側がまばらでさみしいのは意図したものなのか、次の予定があって時間切れになったのか? -
この写真の真ん中の白い長方形は窓です。
ニューヨークのウォール街の株式大暴落(世界大恐慌の始まり)が1929年です。
世界大恐慌の深刻化や日本の満州事変が1931年です。
デトロイトにディエゴリベラとフリーダカーロがやって来たのが1932年です。
翌年1933年にはドイツではヒットラー政権が成立しています。
かたや日本は国際連盟を脱退しています。2.26事件が1936年でこの年にイサムノグチ はメキシコシティでこの作品「メキシコの歴史」を作っていました。
1939年にはナチスのポーランド侵攻で第二次世界大戦が始まっています。
1947年12月には日本がハワイ真珠湾を攻撃し太平洋戦争が始まっています。
このイサムノグチ の作品は「世界の近未来」を描いているように思えます。 -
カソリック教会に飾られる宗教画は
聖書が読めない人(文字が読めない人)に為の「見る聖書」だと思います。
壁画も同じように文字が読めない人をある方向に導く為のものだと思います。
宗教画がカソリック教会の布教や信者の信仰の掘り下げに貢献したように、メキシコの壁画はメキシコ人の自己認識や政治活動に貢献することを目的としていたように思います。個人が所有するのでは無く一般人がいつでも見る事が出来る「壁画」の意義が強調されています。
メキシコ壁画運動の主力推進メンバーであったディエゴリベラ、ダヴィッドアルファロシケイロス、ホセクレメンテオロスコたちは同時にメキシコ共産党の幹部でした。
レオントロッキーがメキシコへ亡命した頃はディエゴリベラはメキシコ共産党の書記長でした。
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イサムノグチ の、この作品が作品のタイトル「メキシコの歴史」を表現しているとはどうも思えませんでした。
相対性理論の数式を入れて見せたり
ナチスの鉤十字を入れて見たり
派手な演出で画面は構成されています。
いずれも表層的で、ニューヨークではイサムノグチはやりそうのない勝ち目のない構成です。
同時に壁画作業を進行していたメキシコ人画家たちとその作品に引っ張られたのでしょうか? -
メキシコの壁画運動の最高潮の頃に来たイサムノグチがメキシコ美術界の熱い潮流に大きな影響を受けたのは間違いないと思います。
イサムノグチはニューヨークに戻ります。
1940年36歳の時にロックフェラーセンターにあるAP通信社ビル(冬のアイススケートリンクの右側にある茶色いビル)にステンレスを使って報道記者たち5人の働く姿をテーマに大型肖像壁面レリーフ「ニュース」を制作します。
ニューヨークのイサムノグチ作品の2015年10月の旅行記は
https://4travel.jp/travelogue/11073827
この作品「ニュース」に登場する報道記者のレリーフの造形は「メキシコの歴史」の延長にあるような表現形態です。
その後のイサムノグチの「レッドキューブ」などの有名な屋外展示作品「パブリックアート」はこのメキシコでの作品の延長線上に展開して行ったのだと考えて良いと思います。
イサムノグチの「パブリックアート」以前から、古くはギリシャローマの時代から広場や中心部の屋外に置かれてきた王侯貴族や戦功をたてた軍人やらの銅像や彫像は記念碑的な顕彰的な存在がありました。
「パブリックアート」は第二次世界大戦以降にアメリカで認識され始めたアート活動です。 -
この日は別の訪問者はいませんでした。
1939年に日本の真珠湾攻撃で始まった太平洋戦争に合わせアメリカ各地10ケ所に作られた強制収容所に在米日本人は送られていきます。
その一つアリゾナ州のポストンに作られた強制収容所に、1942年イサムノグチ は志願して入所しています。ポストン強制収容所内の公園やレクリエーション施設のデザインに取り組んでいます。
日本人の野口米次郎とアメリカ人のレオニーギルモアの間に生まれたイサムノグチにとって母の国と父の国が戦争するという状況はどんなものだったのでしょうか? -
イサムノグチはこの後ニューヨークに戻ります。
途中パリでは抽象彫刻の父と呼ばれるコンスタンチンベラクーシのアトリエで働いています。
パリのベラクーシのアトリエ見学記は
https://4travel.jp/travelogue/10963655
日本にも回っています。
ニューヨークに戻ったイサムノグチはロックフェラーセンターのAPプレスビルに報道の自由を主題にした「ニュース」という作品を作っています。
その動画です。
https://youtu.be/KDuWsOACvEg
9トンのステンレス製です。全行程を36歳のイサムが一人で行っています。
ニューヨークの旅行記は
https://4travel.jp/travelogue/11073827 -
この写真がニューヨークのロックフェラーセンターにあるイサムノグチの報道の自由をテーマにした作品「ニュース」です。
この写真の左側が冬の時期アイススケートリンクになる一段下がった広場です。
この写真はこのメキシコ旅行のあと行った時に撮影したものです。
朝の散歩の時です。ビルに朝日が当たっていました。 -
iPhoneの横パノラマの撮影です。
縦2m横幅20mと大きな作品です。
1936年32歳のイサムノグチが8ヶ月をかけて完成させました。
どうやって作ったのかを考えて見込んでしまいました。
立体物の部分は石膏で原型を作り
流し込んで型を作り
型にセメントを流し込んで成形
壁に補強材をつけて取り付け
着色
平面部分はコテで成形、レリーフもコテで手作業
80年経過しても、亀裂や、落下がないのはイサムノグチの作業が丁寧で職人のように確実だったことの証明になっていると思います。
イサムノグチは作品の右側から作業を進めていったように思いました。右側は濃くて躍動感があり左に行くにつれて平面的で静的になっています。 -
写真は国立美術館です。
ここにはパリ時代のディエゴリベラの作品があります。西欧風の垢抜けたかっこいい作品たちです。
帰国後壁画運動を始めた画風とは全く違います。それでもディエゴリベラらしさは一貫として貫かれています。 -
ラテンアメリカンタワーの41階にはMiraltoというレストランがあります。
トリップアドヴァイザーのランキングではメキシコシティのレストラン5115軒のうち870位です。
1956年に出来た時は1番でしたが今ではメキシコシティで5番目に高いビルです。44階が展望台です。
レストランへは専用の直行のエレベーターで行きます。
他のエレベーターでは途中のオフィス階で降りる事になってしまいます。階によっては上に行くエレベーターがない事もあり、その場合は1階に戻って直行エレベーターで上がって下さい。
シーザーズサラダを注文すると目の前でドレッシングを作ってくれます。
6年前の動画ですが
https://youtu.be/mRPttGiL4jA -
メキシコシティを鳥瞰しながら楽しめるこのレストランでの食事は大勢の方が良いと思いました。
1人で食べるのはハンバーガーが意外と良いです。
メキシコのハンバーガーは本格的です。焼き方を聞いてきます。
ミディアムレアぐらいで注文したのが美味しいです。
ここと、ガレリアプラザレフォルマのレストラン、帰りの空港のコートヤードメキシコシティエアポートのレストランでハンバーガーを食べました。どれも美味しかったです。飲み物とチップ入れて270~300ペソでした。
ーーーーーー
イサムノグチ がメキシコシティに来たのが1935年~36年の前後の大きなトピックを検索してメモしてみました。
フリーダカーロとディエゴリベラが結婚したのが1929年でこの年ウォール街の株暴落
1931年は満州事変
デトロイト市美術館とフォード財団の委託を得てディエゴリベラがデトロイト市美術館に自動車産業を主題に壁画を制作したのが1932年
同じ年に同行していたフリーダカーロは初めての流産(この時描いた絵が「フォード病院」)
1934年にディエゴとフリーダカーロの妹クリスティナとの関係発覚
1935年ディエゴとフリーダは別居
イサムノグチ がメキシコに来た1935年とはそんな事の時でした。
1939年に第二次世界大戦
1941年に日本の真珠湾攻撃 -
スマホの電池残量がさみしくなったので充電させてくれと頼むと写真のバッテリーが出てきました。
一度に2台を充電できます。
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アメリカのデトロイト市美術館でディエゴリベラの大壁画を見た時は驚きました。
ここには16世紀の画家ピーターブリューゲル(父)の作品「屋外の結婚式の踊り」があります。それを見に行きました。
リベラコートと呼ばれる大壁画の部屋がありました。
その時の旅行記は
https://4travel.jp/travelogue/11227918
このディエゴリベラのデトロイトの壁画についての本がデトロイトのホテルにありました。
Linda Bank Downs著
「The Detroit Industry Mural」デトロイト産業の壁画
ディエゴがフォードの工場の現場で取材した膨大な下絵、それを組み合わせて構図を選んで行く作業、足場を組んで実際の描画作業がありました。 -
夕方からの来客に合わせた準備で忙しい店員です。
-
結局、ホテルのガレリアプラザレフォルマまで歩いて帰りました。
メキシコシティは碁盤目状ではないので一本間違えると面倒です。 -
ニューヨークのノグチミュージアムの撮影クルーの撮影による全体図です。
プロの撮影機材でプロのカメラマンによる写真です。 -
同じく
中央部分の撮影です。
こちらのプロの2枚の写真で作品はご鑑賞ください。
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この旅行記へのコメント (2)
-
- Michyさん 2018/11/13 00:59:29
- 私の知らないイサムノグチ
- norio2boさん、こんばんは。
メキシコにイサムノグチをたずねる…。
興味深く拝見しました。 私は昨年高松のイサム・ノグチの庭園美術館へ行って、彼の独特の世界観、彫刻に留まらない創作の数々、そして日本人ではないなぁ~と思うその幅広さというか感銘を受けました。
残念ながらイサム・ノグチの美術館は屋外にも作品が置いてあるのですが、写真撮影が禁止だったので、旅行記にはアップできませんでした。
こうしてnorio2boさんの旅行記でメキシコでの彼の作品を拝見できてとても嬉しいです。
私は仕事で知り合いになったメキシコ人のお友達がいて、アメリカ出張の時はよくメキシコ料理のお店に連れていってもらっていたことなど想い出しました。
フリーダカーロの数奇な人生と作品も気になっていたので、norio2boさんの旅行記で、フリーダとディエゴリベラとの結婚などイサムノグチがメキシコに来た時代がよくわかり、感慨深かかったです。
メキシコシティもなかなか魅力的なところですね!
Michy
- norio2boさん からの返信 2018/11/13 10:06:55
- Re: 私の知らないイサムノグチ
- Michy さん
いつも旅行記楽しく拝見しています。
アプトンハウス訪問についてとてもお世話になりました。おかげさまで作品もちゃんとあって見学出来ました。
新しい旅行記のアップを楽しみにお待ちしています。
今後ともよろしくお願いします。
追伸
イサムノグチのニューヨーク旅行記は3篇アップしています。
お暇な時にご覧頂けると嬉しいです。
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