2018/06/14 - 2018/06/14
47位(同エリア102件中)
naoさん
奈良県吉野郡東吉野村小川は、和歌山~松阪を結ぶ和歌山街道(伊勢南街道)と、宇陀から川上村へ通じる道が交差する所に位置する町で、江戸時代には鷲家口村(わしかぐちむら)と呼ばれ、伊勢詣での旅人や行商人の往来する宿場町として賑わいました。
小川は幕末の動乱期に、土佐脱藩の吉村虎太郎、刈谷脱藩の松本奎堂、備前脱藩の藤本鉄石らが結成した尊王攘夷の急進派、「天誅組」の終焉の地としても知られています。
黒船来航などによる幕末の動乱期、徐々に権威を失いつつあった江戸幕府に対抗して、京都の公卿や長州藩を中心に朝廷を推し立てる尊王攘夷派が起こり、孝明天皇の勅命をもって幕府に攘夷を迫るとともに、賀茂神社と石清水八幡宮へ二度の行幸を行い、朝廷の権威を世に示します。
これら尊皇攘夷派の動きに賛同する吉村虎太郎、松本奎堂、藤本鉄石ら「天誅組」は、文久3年(1863年)8月、大和国(春日大社)への三度目の行幸の詔が発せられると、天皇の甥である公卿中山忠光とともに行幸に先んじて大和の五條で挙兵し、天皇政治による新しい統一国家の建設を目指して五條代官所を襲い、江戸幕府倒幕の第一声をあげます。
しかし、倒幕につながる動きに反発していた薩摩藩と会津藩は、これを阻止するため朝廷内で政変を起こし、尊皇攘夷派の公卿と長州藩らを京都から追放して孝明天皇の行幸中止を断行します。
孝明天皇の行幸を待っていた「天誅組」に届いたのは行幸中止の知らせで、大義名分を失った「天誅組」は一日にして逆賊と化し、朝廷や幕府から討伐の命が下されました。
徹底抗戦の道を選んだ「天誅組」は各地で戦いを繰り広げながらも、総攻撃をかけられて十津川から大峰山系を越えて下北山村へと敗走を続け、川上村を経て小川まで逃げ延びてきたものの、陣をしいて待ち構えていた幕府軍に斬り込んだ決死隊を皮切りに、9月27日に吉村虎太郎が討たれたのを最期に天誅組は遂に壊滅させられてしまいました。
同じ幕末の動乱期に活躍した坂本龍馬や新撰組のような華やかさはないにしても、一切の私欲を捨て、己の信念に従って散っていった「天誅組」の行動こそが、やがて訪れる明治維新の導火線になったことは疑う余地はありません。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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吉野町方面から県道16号線を使って東吉野村小川にやって来ました。
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小川は、幕末の動乱期に結成された尊王攘夷の急進派、「天誅組」の終焉の地として知られていて、町並みの各所には東吉野村で非業の最期を遂げた15人の天誅義士たちの悲しい物語を紡ぐ石碑が建立されています。
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では、写真左側の小川の町並みを南へ歩きます。
ちなみに、現在県道220号線になっているこの道は、敗走を続ける「天誅組」が川上村を経て小川まで逃げてきた道になります。 -
こちらの町家は、道に対して斜めに建てられているので、平面形状がノコギリ状になっています。
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鷲家側の河原へ降りる階段から見た町並みです。
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こちらの小屋は、河原に積み上げた石垣の上にのっかっているだけで、固定されていないようです。
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こちらは呉服屋さんです。
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天誅義士の悲しい物語を紡ぐ石碑。
この辺りは彦根藩が陣を張っていた所だそうです。 -
石垣に溶け込むように佇む町家。
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こちらは、きれいな湧き水と良質の小麦粉に吉野の本葛を加えて、手延べで作った『吉野葛たあめん』のお店です。
『吉野葛たあめん』とは、素麺よりちょっと太めの腰のある麺のことです。 -
こちらは江戸時代後期創業の老舗和菓子屋さんです。
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暖簾に書かれている「杣づと」は、地栗をふんだんに使った羊羹のことだそうです。
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チェーンソーで作ったトーテムポールに守られた町家です。
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4枚引きの幅の広い玄関のある町家です。
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切妻屋根の上に破風をのせた町家です。
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厨子2階建ての町家です。
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立派な破風屋根の架かった玄関があるのは、料亭旅館さんです。
なお、現在は営業されていません。 -
郵便ポストと小川の町並み。
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天誅義士の悲しい物語を紡ぐ石碑。
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いつまでも風格のある姿を保っている料亭旅館さん。
さすがですね。 -
小川の町並みを振り返って見た光景です。
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では、先へ進みます。
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幅の広い引き違い戸の入った玄関は、使い勝手が良さそうですね・・・。
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曲線の持ち送りで下屋を支える町家です。
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こちらの町家は、空き家のように思われます。
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奈良を代表する味と言えば、やっぱりこれですね~・・・
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そう、柿の葉すしです。
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天誅義士の悲しい物語を紡ぐ石碑。
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こちらの町家は、玄関先を鉢植えの草花で飾っておられます。
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こちらは「オフィス・キャンプ東吉野」と名付けられた新しい形態のシェアオフィスです。
地域活性化の新たなモデルとして注目されていて、ここを訪れたのをきっかけに3組の皆さんが東吉野村に移住してきたそうです。 -
高見川に架かる橋には・・・
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「天誅組」を題材にした銘板が使われています。
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橋の欄干にも「天誅組」のレリーフが・・・。
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東吉野村で戦死した15人の天誅義士の内、吉村寅太郎をはじめとする9人が眠る明治谷(みょうじだに)墓所です。
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県道220号線から石段を上がったところに墓石が立てられています。
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小川集落の南端にある旅館までやって来たので、ここで引き返します。
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吉野町方面から最初に着いた千代橋の交差点まで戻って来ました。
ここからは県道16号線沿いの町並みを北へ向かいます。 -
この辺りには鉄道が通っていないので、路線バスが唯一の公共交通機関です。
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こちらの町家の軒先でガクアジサイが咲いています。
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こちらは酒店さんです。
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全面に千本格子を入れた町家の横にも・・・
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天誅義士の悲しい物語を紡ぐ石碑が建立されています。
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千代橋の交差点の方を見返した光景です。
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伝統様式を身にまとった端正な町家です。
この町家の先で鷲家川に下りられそうなので、ちょっと覗いてみます。 -
こちらは前の写真の町家の裏側になるようです。
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川遊びのためにでしょうか、別棟の建物からは直接河原に下りられるようになっています。
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手すりの付いている姿や、直接河原に下りられる構造から察するに、かつては旅籠屋さんだったんじゃないかと想像してしまいます。
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鷲家川に架かる橋の上から見た上流の様子です。
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県道16号線の北側に続く町並みです。
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こちらの町家は、目隠しのために低い板塀を設けておられます。
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こちらは倉庫でしょうか・・・。
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1、2階とも両端に戸袋を設けた町家です。
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前面道路が坂道になっているので、建物の一部道路より低くなっています。
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こちらは作業場のようです。
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県道16号線沿いの町並みを振り返ったところです。
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さわやかなブルーが香り立つようなアジサイです。
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県道16号線に面して長~く伸びる、間口の広い町家です。
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間口が広いので、建物の途中で細工瓦がにらめっこしています。
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これだけ間口の広い町家は、そんなに見かけませんね・・・。
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入母屋屋根にトタンを葺いた町家です。
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さて、小川集落の北端までやって来ました。
ここから「天誅組」の足跡をたどって、鷲家を目指します。
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