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 鳥栖に所用があり、4泊。<br /> 東京への帰り道、下関で途中下車、物見遊山で3泊。7泊8日の道中となりました。<br /><br /> 鳥栖では、ホテルの自転車を利用して、空いた時間に、市内を駆け抜け、下関では、唐戸を中心に、対岸の門司まで足を伸ばして、ぶらぶらしてきました。<br /><br /> 今回の旅行記は、遠回りして、所用のある田代とは反対方向の轟木宿に立ち寄った、道中4日目の街道風景と、鳥栖市内3箇所(元町・鳥栖本町・曽根崎町)の老松神社の報告です。

鳥栖輪行 街道の町(長崎街道轟木宿)と3つの老松神社 2018年6月《4》

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2018/06/10 - 2018/06/17

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旅行記グループ 2018年6月 鳥栖・下関・門司

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40

ひよどり

ひよどりさん

 鳥栖に所用があり、4泊。
 東京への帰り道、下関で途中下車、物見遊山で3泊。7泊8日の道中となりました。

 鳥栖では、ホテルの自転車を利用して、空いた時間に、市内を駆け抜け、下関では、唐戸を中心に、対岸の門司まで足を伸ばして、ぶらぶらしてきました。

 今回の旅行記は、遠回りして、所用のある田代とは反対方向の轟木宿に立ち寄った、道中4日目の街道風景と、鳥栖市内3箇所(元町・鳥栖本町・曽根崎町)の老松神社の報告です。

旅行の満足度
4.5
観光
3.5
ホテル
4.5
交通
5.0
交通手段
自転車

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  •  鳥栖も4日目、明日は、当地を離れるので、その前に、もう一度、八起のアイスキャンデーを食べたくて、ホテル近くの京町店に行きました。<br /><br /> 残念なことに、お留守です。

     鳥栖も4日目、明日は、当地を離れるので、その前に、もう一度、八起のアイスキャンデーを食べたくて、ホテル近くの京町店に行きました。

     残念なことに、お留守です。

  •  京町店から300~400m、<br /> 大正町店に行ってみよう!<br />

     京町店から300~400m、
     大正町店に行ってみよう!

  •  閉店、更地になっていました。<br /><br /> 行き当たりばったり、路地に入って、小さなお堂を探しながら、京町店の開店を待つことにしました。

     閉店、更地になっていました。

     行き当たりばったり、路地に入って、小さなお堂を探しながら、京町店の開店を待つことにしました。

  •  道端の小祠・小堂  1<br /><br /> 1つ目。何が祀られているか、覗き込むのが楽しみです。

     道端の小祠・小堂 1

     1つ目。何が祀られているか、覗き込むのが楽しみです。

  •  道端の小祠・小堂  2<br /><br /> 弁財天です。<br /> 弁財天は、初めて見ました。

     道端の小祠・小堂 2

     弁財天です。
     弁財天は、初めて見ました。

  •  道端の小祠・小堂  3<br /><br /> 2つ目。<br />

     道端の小祠・小堂 3

     2つ目。

  •  道端の小祠・小堂  4<br /><br /> 恵比寿様です。

     道端の小祠・小堂 4

     恵比寿様です。

  •  道端の小祠・小堂  5<br /><br /> 3つ目。<br />

     道端の小祠・小堂 5

     3つ目。

  •  道端の小祠・小堂  6<br /><br /> こちらも恵比寿様です。鯛の頭が欠けてしまっています。

     道端の小祠・小堂 6

     こちらも恵比寿様です。鯛の頭が欠けてしまっています。

  •  道端の小祠・小堂  7<br /><br /> 4つ目。

     道端の小祠・小堂 7

     4つ目。

  •  道端の小祠・小堂  8<br /><br /> 地蔵尊です。<br />

     道端の小祠・小堂 8

     地蔵尊です。

  •  鳥栖中央公園<br /><br /> 12:00まで、まだ少し時間かあります。<br /> 八起の近くの鳥栖中央公園の池の周りを一巡りします。隣接の大型ショッピングセンター「フレスポ鳥栖」で時間調整。

     鳥栖中央公園

     12:00まで、まだ少し時間かあります。
     八起の近くの鳥栖中央公園の池の周りを一巡りします。隣接の大型ショッピングセンター「フレスポ鳥栖」で時間調整。

  •  定番のミルク味。<br /> 鳥栖でしか食べられないアイスキャンデー。<br /> 満足。<br /><br /> 鳥栖を輪行できるのも、今日が最終日。長崎街道轟木宿まで行ってみます。

     定番のミルク味。
     鳥栖でしか食べられないアイスキャンデー。
     満足。

     鳥栖を輪行できるのも、今日が最終日。長崎街道轟木宿まで行ってみます。

  •  妙善寺  1<br /><br />  長崎街道轟木宿は、鳥栖駅から1km程の距離にあります。<br /> 頭に、地図を焼き付けて、ペダルを漕いでいたのですが、一つ手前の角で曲がってしまいました。<br /> 気付かずに進み、なかなか川に差し掛からないので、おかしいなあ→スマホで確認、引き返しました。<br /> <br /> この通りは、長崎街道ではありませんが、妙善寺、老松宮等もあり、佇まいには、歴史が感じられます。<br /><br /> 写真左側の木々は老松宮。寺と大木の間にJR長崎本線の高架が覗きます。(南から撮影)

     妙善寺 1

      長崎街道轟木宿は、鳥栖駅から1km程の距離にあります。
     頭に、地図を焼き付けて、ペダルを漕いでいたのですが、一つ手前の角で曲がってしまいました。
     気付かずに進み、なかなか川に差し掛からないので、おかしいなあ→スマホで確認、引き返しました。
     
     この通りは、長崎街道ではありませんが、妙善寺、老松宮等もあり、佇まいには、歴史が感じられます。

     写真左側の木々は老松宮。寺と大木の間にJR長崎本線の高架が覗きます。(南から撮影)

  •  妙善寺  2<br /><br /> 山門。

     妙善寺 2

     山門。

  •  元町老松宮  1<br /><br /> 写真は、老松宮の鳥居です。<br /> 天保十三(1842)年とあります。

     元町老松宮 1

     写真は、老松宮の鳥居です。
     天保十三(1842)年とあります。

  •  元町老松宮  2<br /> <br /> 本殿。御祭神は、菅原道真公。<br /><br /> 風で揺れる紙垂を、ぼーっと眺めながら、ふと、大袈裟だけど、太古より、その藁や布や紙の動きに、自然に宿る神を感じていたのではと、思いました。<br /> <br /> そういえば、随分昔に行った伊勢神宮の白い御幌(みとばり)も、風にはためいていたことを思い出しました。<br /> 風によって、神域との境界が曖昧なる、そんな効果があるのかな?と考えていました。<br /> <br />

     元町老松宮 2
     
     本殿。御祭神は、菅原道真公。

     風で揺れる紙垂を、ぼーっと眺めながら、ふと、大袈裟だけど、太古より、その藁や布や紙の動きに、自然に宿る神を感じていたのではと、思いました。
     
     そういえば、随分昔に行った伊勢神宮の白い御幌(みとばり)も、風にはためいていたことを思い出しました。
     風によって、神域との境界が曖昧なる、そんな効果があるのかな?と考えていました。
     

  •  元町老松宮  3<br /><br /> 石厨子の中には自然石が祀られています。<br /> 道祖神?

     元町老松宮 3

     石厨子の中には自然石が祀られています。
     道祖神?

  •  少し遠回りをしましたが、轟木宿に到着しました。<br /><br /> 時間にゆとりもなくなってしまったので、長崎方面に街道を下って行くことは、できなくなりました。<br /> 番所のあった辺りを散策して戻ります。<br /><br />

     少し遠回りをしましたが、轟木宿に到着しました。

     時間にゆとりもなくなってしまったので、長崎方面に街道を下って行くことは、できなくなりました。
     番所のあった辺りを散策して戻ります。

  •  菅公史跡 姿見池<br /><br /> 長崎街道、轟木宿を目指して進みます。<br /> 番所川の手前に、菅原道真伝説にまつわる史跡がありました。<br /><br /> 解説板によると、太宰府左遷に従った三澄時遠が、年老い、この場所に隠居。子供がいなかったため、道真の子息長寿丸を養子。長寿丸に会いにきた道真が、この池に姿を映し、自画像を描き、長寿丸に与えた、という話が伝わっているそうです。<br />

     菅公史跡 姿見池

     長崎街道、轟木宿を目指して進みます。
     番所川の手前に、菅原道真伝説にまつわる史跡がありました。

     解説板によると、太宰府左遷に従った三澄時遠が、年老い、この場所に隠居。子供がいなかったため、道真の子息長寿丸を養子。長寿丸に会いにきた道真が、この池に姿を映し、自画像を描き、長寿丸に与えた、という話が伝わっているそうです。

  •  番所川<br /><br /> 案内板によると、この川は、対馬藩領の田代と鍋島藩領の轟木との国境でもあり、番所が置かれました。<br /> 橋は架けられず、写真に映る飛び石で両岸を行き来したをしていたそうです。<br /> <br /> 本旅行記表紙の轟木番所の案内杭は、この場所で撮影しました。

     番所川

     案内板によると、この川は、対馬藩領の田代と鍋島藩領の轟木との国境でもあり、番所が置かれました。
     橋は架けられず、写真に映る飛び石で両岸を行き来したをしていたそうです。
     
     本旅行記表紙の轟木番所の案内杭は、この場所で撮影しました。

  •  日子神社  1<br /><br /> 番所跡から200m程の所にある神社です。<br /><br /> 田代に戻らないといけないので、じっくり見られなかったのが残念です。

     日子神社 1

     番所跡から200m程の所にある神社です。

     田代に戻らないといけないので、じっくり見られなかったのが残念です。

  •  日子神社  2<br /><br /> 拝殿。御祭神は、天之穂耳尊、伊弉諾尊、伊弉冉尊。<br /><br /> また、注連縄に目が止まってしまいました。<br /> 鳥栖に来てから、どうも、注連縄が気になって仕方が無いのです。<br /><br /> 鳥栖の神社の注連縄は、建物そのものでは無く、前方に注連縄の為の柱を設け、そこに付されています。<br /> <br /> この社殿と注連縄の距離感から、伊勢神宮の御幌が思い浮かんだのだと思います。<br /> 

     日子神社 2

     拝殿。御祭神は、天之穂耳尊、伊弉諾尊、伊弉冉尊。

     また、注連縄に目が止まってしまいました。
     鳥栖に来てから、どうも、注連縄が気になって仕方が無いのです。

     鳥栖の神社の注連縄は、建物そのものでは無く、前方に注連縄の為の柱を設け、そこに付されています。
     
     この社殿と注連縄の距離感から、伊勢神宮の御幌が思い浮かんだのだと思います。
     

  •  日子神社  3<br /><br /> 境内の小祠。右の燈籠には、寛政八(1796)年とあります。<br /><br /> 田代に戻ります。<br /> 昨日は、長崎街道を途中で離れ→古墳群→田代宿というコースをとったので、昨日通らなかった長崎街道の鳥栖八坂神社→田代外町追分石間を通りたいと思います。

     日子神社 3

     境内の小祠。右の燈籠には、寛政八(1796)年とあります。

     田代に戻ります。
     昨日は、長崎街道を途中で離れ→古墳群→田代宿というコースをとったので、昨日通らなかった長崎街道の鳥栖八坂神社→田代外町追分石間を通りたいと思います。

  •  鳥栖村老松神社(水影天神社)  1<br /><br /> 鳥栖駅の北西、昨日訪れた鳥栖八坂神社とは、約500m程の距離にあります。<br /> <br /> 燈籠には、天保八(1837)年、狛犬には、天保九年、手前の石柱には、「戦役記念」と刻まれています。<br />  

     鳥栖村老松神社(水影天神社) 1

     鳥栖駅の北西、昨日訪れた鳥栖八坂神社とは、約500m程の距離にあります。
     
     燈籠には、天保八(1837)年、狛犬には、天保九年、手前の石柱には、「戦役記念」と刻まれています。
      

  •  鳥栖村老松神社(水影天神社)  2<br /><br /> 明治30年、里道開墾之碑。<br /><br /> 前の写真の「戦役記念」を始め、明治から昭和にかけての石碑が目につきました。

     鳥栖村老松神社(水影天神社) 2

     明治30年、里道開墾之碑。

     前の写真の「戦役記念」を始め、明治から昭和にかけての石碑が目につきました。

  •  鳥栖村老松神社(水影天神社)  3<br /><br /> 「御昇格並社号變更記念碑」<br /> <br /> 社殿前の縁起が記された石碑によると、延喜年間(10世紀初)に、菅原道直筆の水影天神の画を祀る為に創建され、その後、鳥栖村の産土神となり、更に、慶長年間(16世紀末~17世紀初)、老松神社となったそうです。<br /> そして、大正13年、村社に昇格、老松神社から水影神社に社名変更、記念碑が建てられました。

     鳥栖村老松神社(水影天神社) 3

     「御昇格並社号變更記念碑」
     
     社殿前の縁起が記された石碑によると、延喜年間(10世紀初)に、菅原道直筆の水影天神の画を祀る為に創建され、その後、鳥栖村の産土神となり、更に、慶長年間(16世紀末~17世紀初)、老松神社となったそうです。
     そして、大正13年、村社に昇格、老松神社から水影神社に社名変更、記念碑が建てられました。

  •  鳥栖村老松神社(水影天神社)  4<br /><br /> 昭和3年の御大典を記念して奉献された手水鉢。<br /><br /> 旧宿場町(田代宿、轟木宿)の神社境内に比べると、昨日訪れた鳥栖駅に近い(旧瓜生野界隈)、鳥栖八坂神社や本社には、印象に残る近代石碑が多いように思えます。<br /> 最も、旧宿場町で、私は、江戸の年号と注連縄に夢中になっていましたので、見落している可能性も高いのですが・・・<br /><br /> 明治22年に、鉄道が敷かれ、明治37年には、現在の駅舎が建設、町の賑やかさも、旧長崎街道の宿場町から駅近に移っていったことと、この界隈の神社に近代石碑が目立つことには、相関性があるのかなって思いました。

     鳥栖村老松神社(水影天神社) 4

     昭和3年の御大典を記念して奉献された手水鉢。

     旧宿場町(田代宿、轟木宿)の神社境内に比べると、昨日訪れた鳥栖駅に近い(旧瓜生野界隈)、鳥栖八坂神社や本社には、印象に残る近代石碑が多いように思えます。
     最も、旧宿場町で、私は、江戸の年号と注連縄に夢中になっていましたので、見落している可能性も高いのですが・・・

     明治22年に、鉄道が敷かれ、明治37年には、現在の駅舎が建設、町の賑やかさも、旧長崎街道の宿場町から駅近に移っていったことと、この界隈の神社に近代石碑が目立つことには、相関性があるのかなって思いました。

  •  長崎街道も田代外町追分石まで来ました。石には、「右さか 左くるめ」(右佐賀 左久留米)とあります。<br /> 街道輪行も、ここで終わり、「左くるめ」への道を通って田代駅方面に向かいたいと思います。

     長崎街道も田代外町追分石まで来ました。石には、「右さか 左くるめ」(右佐賀 左久留米)とあります。
     街道輪行も、ここで終わり、「左くるめ」への道を通って田代駅方面に向かいたいと思います。

  •  曽根崎町老松神社  1<br /><br /> 所用を終え、ホテルへの帰路は、鹿児島本線の東側を輪行しました。<br /> まだ明るいですが、20:00に近い時刻です。<br /><br /> 曽根崎町老松神社に寄り道しました。<br /> 鳥栖市ホームページで紹介されていた楠の木を見てみたかったからです。<br /><br /> 木立の中の一の鳥居。誘われるように、参道を進みます。<br /><br /> 

     曽根崎町老松神社 1

     所用を終え、ホテルへの帰路は、鹿児島本線の東側を輪行しました。
     まだ明るいですが、20:00に近い時刻です。

     曽根崎町老松神社に寄り道しました。
     鳥栖市ホームページで紹介されていた楠の木を見てみたかったからです。

     木立の中の一の鳥居。誘われるように、参道を進みます。

     

  •  曽根崎町老松神社  2<br /><br /> とても景観の良い神社です。<br /> 一の鳥居、神池、神橋、二の鳥居、社殿まで一直線に参道は続きます。<br />

     曽根崎町老松神社 2

     とても景観の良い神社です。
     一の鳥居、神池、神橋、二の鳥居、社殿まで一直線に参道は続きます。

  •  曽根崎町老松神社  3<br /><br /> 一目見たかった、ご神木の楠の木です。<br /> 樹齢は推定500年、佐賀県の名木にも選ばれています。<br /> ご神木にふさわしい風格があります。

     曽根崎町老松神社 3

     一目見たかった、ご神木の楠の木です。
     樹齢は推定500年、佐賀県の名木にも選ばれています。
     ご神木にふさわしい風格があります。

  •  曽根崎町老松神社  4<br /><br /> ご神木は、境内絶妙な位置にあり、360度どの位置からも眺められます。<br /> 歳月を物語る幹、大地を掴むような根、見上げれば広がる枝と木漏れ日、雄大な姿を全望できる境内の空間、楠の木とともに視界に入る社殿や鳥居・・・いい神社です。

     曽根崎町老松神社 4

     ご神木は、境内絶妙な位置にあり、360度どの位置からも眺められます。
     歳月を物語る幹、大地を掴むような根、見上げれば広がる枝と木漏れ日、雄大な姿を全望できる境内の空間、楠の木とともに視界に入る社殿や鳥居・・・いい神社です。

  •  曽根崎町老松神社  5<br /><br /> 本殿。御祭神は、菅原道真公。

     曽根崎町老松神社 5

     本殿。御祭神は、菅原道真公。

  •  曽根崎町老松神社  6<br /><br /> 弘化四(1847)年奉献の狛犬。

     曽根崎町老松神社 6

     弘化四(1847)年奉献の狛犬。

  •  曽根崎町老松神社  7<br /><br /> 神使牛像。

     曽根崎町老松神社 7

     神使牛像。

  •  曽根崎町老松神社  8<br /><br /> 牛蒡締めの注連縄。

     曽根崎町老松神社 8

     牛蒡締めの注連縄。

  •  曽根崎町老松神社  9<br /><br /> 境内の天満宮。鳥居の先に、小さな石厨子があります。

     曽根崎町老松神社 9

     境内の天満宮。鳥居の先に、小さな石厨子があります。

  •  曽根崎町老松神社  10<br /><br /> 天神像は、ガラスケースで守られ、台座には、明治二十八年とあります。

     曽根崎町老松神社 10

     天神像は、ガラスケースで守られ、台座には、明治二十八年とあります。

  •  曽根崎町老松神社  11<br /><br /> 最後にもう一度、楠の木を見上げて、ホテルに戻りましょう。<br /> そろそろ20:00です。東京なら、もうとっくに日は暮れ、夜になっていますね。<br /><br /> この4日間、鳥栖の史跡を巡りました。<br /> 町中には、明治に建てられた駅舎、江戸の年号が記銘された石造物が残る神社、数多の路傍の小さな祠堂、丘陵には、古墳群が、大切に遺されていました。<br /> <br /> 鳥栖と聞いて、サッカースタジアムしか思い浮かばなかった私にとって、大発見続きの4日間でした。<br /><br />(参考:鳥栖観光コンベンション協会作成冊子「鳥栖の長崎街道」)

     曽根崎町老松神社 11

     最後にもう一度、楠の木を見上げて、ホテルに戻りましょう。
     そろそろ20:00です。東京なら、もうとっくに日は暮れ、夜になっていますね。

     この4日間、鳥栖の史跡を巡りました。
     町中には、明治に建てられた駅舎、江戸の年号が記銘された石造物が残る神社、数多の路傍の小さな祠堂、丘陵には、古墳群が、大切に遺されていました。
     
     鳥栖と聞いて、サッカースタジアムしか思い浮かばなかった私にとって、大発見続きの4日間でした。

    (参考:鳥栖観光コンベンション協会作成冊子「鳥栖の長崎街道」)

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