2018/06/10 - 2018/06/17
60位(同エリア170件中)
ひよどりさん
鳥栖に所用があり、4泊。
東京への帰り道、下関で途中下車、物見遊山で3泊。7泊8日の道中となりました。
鳥栖では、ホテルの自転車を利用して、空いた時間に、市内を駆け抜け、下関では、唐戸を中心に、対岸の門司まで足を伸ばして、ぶらぶらしてきました。
今回の旅行記では、道中3日目、長崎街道経由で所用のある田代へ向かった時の街道風景をお伝えしたいと思います。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自転車
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-
鳥栖には、数回来たことがあります。所用を済ますと、直帰しており、鳥栖の町に関心を払ったことがありませんでした。何にも無い所と決め付けていました。
今回は、ゆとりのある日程が組めましたので、地図を眺めて見ました。検索もしてみました。
旧長崎街道(小倉ー.長崎)が通っています。田代は、なんと参勤交代の大名、和蘭陀のカピタンが往還する宿場町ではありませんか!
鳥栖駅の一つ手前で、各駅しか止まらない無人駅の町が、江戸時代の宿場町、そして、対馬藩領、伊能忠敬も逗留等々、知らなかったことばかりです。
写真は、鳥栖市の作成した長崎街道の案内プレート。田代八坂神社で撮影。 -
ホテルから長崎街道へ 1
鳥栖駅前の南方にある宿泊先の「サンホテル鳥栖」から、自転車を借りて出発です。鳥栖駅近くでは、レンタサイクルが見当たらないので、ありがたい存在です。
ホテル正面の通りを300~400m西行すると、秋葉町を経て、長崎街道に出ます。北上すると、田代宿に、南下すると、轟木宿に至ります。
鳥栖の町の楽しみは、道のあちこちに小さな御堂や祠に出会えることです。そして、本当に、どれも個性的です。江戸時代の年号の刻まれたものから、ごく最近のものまで、この町では、神仏を大切にする心が、途切れることなく続いているようです。 -
ホテルから長崎街道へ 2
迫力のある恵比寿様。
街角に祀られている神仏では、恵比寿様が一番多いようです。
前の写真と本写真の2枚は、前日夕方撮影。本日は、前を素通りしました。 -
秋葉町~本町の街並み 1
ホテルから直進して来た道を右折して長崎街道に出ました。
旧街道らしい、伝統的な建物が並びます。
後程訪れた鳥栖八坂神社の案内板によると、この辺りは、田代宿と轟木宿の中間に出来た町で、商店も多く、三斎市も立ち、人家も轟木宿より多かったようです。 -
秋葉町~本町の街並み 2
現在の秋葉町・本町は、かつて、瓜生野今町・瓜生野町と呼ばれていました。
配置売薬商人が多く住んでいたそうです。 -
秋葉町~本町の街並み 3
街道沿いには、歴史を感じる、立派な建物が目につきます。 -
秋葉町~本町の街並み 4
宿場と宿場の中間に出来たこの町には、「商いの町」「商いで財を為した人の町」の風情が感じられます。 -
秋葉町~本町の街並み 5 (鳥栖八坂神社)
鳥栖八坂神社着。
石燈籠には「安永九年」と刻まれています。1780年です。幕末の「安政」ではないかと、凝視しましたが、はっきり、しっかり、「安永」と読めます。
18世紀の年号に、ちょっと気持ちがわくわくしてきました。 -
秋葉町~本町の街並み 6 (鳥栖八坂神社)
長崎街道に面した鳥居。
本殿は、この鳥居をくぐり、直角に曲がった先にあります。 -
秋葉町~本町の街並み 7 (鳥栖八坂神社)
本殿正面の鳥居。
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秋葉町~本町の街並み 8 (鳥栖八坂神社)
拝殿。注連縄から下がる長い紅白の布が印象的です。
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秋葉町~本町の街並み 9 (鳥栖八坂神社)
境内は広々としています。
案内板によると、江戸時代、この場所で、三斎市が開かれていたようです。
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秋葉町~本町の街並み 10 (鳥栖八坂神社)
樹齢320年の楠の木。 -
秋葉町~本町の街並み 11 (鳥栖八坂神社)
文化八(1811)年の銘がある手水鉢。
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秋葉町~本町の街並み 12 (鳥栖八坂神社)
謂われは、よくわかりませんが、少し小高い場所に小さな祠がありました。 -
秋葉町~本町の街並み 13 (鳥栖八坂神社)
境内には、日露戦役記念、上海満州事変出征記念などの石碑もあり、近代日本の世情を知ることができます。
注目すべきは、この写真の石碑です。昭和53年、土地600坪奉納の碑です。現代を物語っております。
氏神様を大切にする気持ちが失われない土地柄を表していると思います。 -
秋葉町~本町の街並み 14 (鳥栖八坂神社)
八坂神社付近の長崎街道の風景。
ここで、国史跡でもある「太田古墳」を見るために、長崎街道市街地から離れ、丘陵地帯に向かいました。
(この件は、次回の旅行記にまとめたいと思います。) -
田代宿 1
太田古墳から、再び、長崎街道に戻って来ました。田代宿の範囲内を西から東に輪行したいと思います。
田代宿は、JR田代駅の北西500~700m程の所にあります。
宿南端で、長崎街道から「久留米」に、北端で、「天領日田」に向かう道が分岐しております。
更に、田代宿の隣の原田(はるだ)宿では、「博多」へ、更にその隣の山家(やまえ)宿では、「薩摩」に向かう道が分岐しており、田代を含め、この一帯は、長崎街道と九州各地を結ぶターミナル的役割を果たした地域と言えるでしょう。 -
田代宿 2
外町(ほかまち)追分石。久留米への分岐点。 -
田代宿 3
田代は、肥前国鍋島藩内において、対馬藩の飛び地の為、宿内には、代官所が置かれました。
また、長崎の要人(オランダ商館長・幕府役人)の公的宿泊施設である上使場もありました(伊能忠敬も逗留)。
田代宿は、公的機関のある賑やかな宿場町であったことでしょう。
それらの公的建物や高札場は、現存しておりませんが、街道沿いには、伝統的な建物がそちこちに残っており、今でも、宿場町の風情を味わうことができます。 -
田代宿 4
代官所のあった場所は、現在小学校となっています。その校門右手に、恵比寿像がありました。台座には、「文化十四(1817)年」とあります。 -
田代宿 5
随分見とれて、眺めてしまいました。
鯛ではなく、鯉を抱えているようです。 -
田代宿 6
街並み。 -
田代宿 7 (田代八坂神社)
宿のほぼ中央に位置する神社です。
ここで、郷土史に詳しい方と出会いました。
今日は、地元の中学生の歴史学習会で、ここを訪れる中学生に解説をする為、待機されているそうです。
長崎街道や田代宿について、いろいろ教わりました。 -
田代宿 8 (田代八坂神社)
拝殿・本殿。 -
田代宿 9 (田代八坂神社)
この神社の境内は、興味深いです。
まず、燈籠。「寶暦十庚辰」とあります。1750年、鳥栖八坂神社の燈籠同様、18世紀半ばの年号です。こちらの方が古いです。 -
田代宿 10 (田代八坂神社)
「寶暦十・・」「祇園・・」と刻まれた石碑が無造作に置かれています。
石碑の近くには、礎石のように並んだ石があります。(次の写真)
廃仏毀釈で神仏習合の祇園社が八坂神社に改められたことと関係があるのでしょうか? -
田代宿 11 (田代八坂神社)
礎石? -
田代宿 12 (田代八坂神社)
境内社。 -
田代宿 13 (田代八坂神社)
前の写真の二つの社殿の間にあります。
台座には、「大國主命 奉献 明治二十年」とあります。
鏡餅でしょうか、それとも、白蛇と化した大國主命でしょうか? -
田代宿 14 (田代八坂神社)
裏に回ると、大きな鼠が最上部へ登ろうとしています。
大国主命を火の原で助けた鼠でしょうか?
こんなユニークな像は、初めて見ました。
あまりにも熱心に見ていましたので、前述した中学生の為のガイドさんが声をかけて下さいました。
「こういう像がお好きなら、道祖神社に行かれたらどうですか?」 -
田代宿 15
ガイドさんに、教わった道順で、道祖神社目指してペダルをこぎます。
長崎街道を東に進み、伝・代官所の通用門の前を通り(ここでも、中学生を迎える準備をしていました。)、田代昌町を右に曲がり、長崎街道から離れ、路地に入りました。
写真は、伝・代官所の通用門。 -
田代宿 16 (田代道祖神社)
道祖神社到着。
扁額には、「稜威巌境」とあります。
祭神は、猿田彦神と事毘羅神。
創建は、明暦元(1655) 年です。 -
田代宿 17 (田代道祖神社)
神社の境内ですが、14体のお地蔵様が並びます。左端を除く13体は、大正年間に造られたものです。 -
田代宿 18 (田代道祖神社)
境内、もう一つの別の小堂にも石仏が祀られています。中央の台座には、「天保四(1833)年」とあります。
右端の石仏が何ともユニークです。失われた頭部の代わりに、丸石が置かれています。
この丸石は、道祖神? -
田代宿 19 (田代道祖神社)
ここでは、頭の無い仏には丸石を、体の無い仏には円柱状の石を(次写真左奥)据えています。
その光景には、やさしさと神仏への畏怖が感じられました。
像の手前には、小さな恵比寿様(右)。
神と仏が区別なく、大切にされているようです。 -
田代宿 20 (田代道祖神社
更に、別の小堂。
この自然石は、道祖神?
扁額の「巌」と関係があるのでしょうか?
江戸時代の田代宿の範囲を示した絵図では、道祖神社は、宿の南東隅に位置しています。(鳥栖市観光協会発行の冊子掲載)
古くから、境界の守り神のとして、役割を果たしてきたのでしょう。
ガイドさんの言われた通り、興味深い境内です。
-
田代宿 21 (田代道祖神社)
道祖神社、本殿。 -
田代宿 22 (田代道祖神社)
注連縄、紙垂、青竹、紅白の布帛、風を受け、清々く思えました。 -
田代宿 23
長崎街道を引き返し、本日の鳥栖散策は終了です。明日は轟木宿を、訪れたいと思います。
遠くに中学生の列が見えてきました。
(参考:鳥栖観光コンベンション協会作成冊子「鳥栖の長崎街道」)
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