2018/06/10 - 2018/06/17
39位(同エリア182件中)
ひよどりさん
鳥栖に所用があり、4泊。
東京への帰り道、下関で途中下車、物見遊山で3泊。7泊8日の道中となりました。
鳥栖では、ホテルの自転車を利用して、空いた時間に、市内を駆け抜け、下関では、唐戸を中心に、対岸の門司まで足を伸ばして、ぶらぶらしてきました。
今回の旅行記は、鳥栖駅舎を中心に、「鉄道の町」の面影探しの報告です。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 3.5
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自転車
-
ホームから 1
2018年6月10日、東京から博多行きの新幹線に乗車→博多から快速→そして、鳥栖駅6番ホームに、17時半頃到着しました。 -
ホームから 2
鳥栖操車場・機関区跡地に建つ「ベストアメニティスタジアム」
「操車場」「機関区」、使い分けが必要な言葉なのでしょうが、本旅行記では、1984年に廃止になった車両基地の範囲の総称として、「操車場」と言う言葉を使いたいと思います。 -
ホームから 3
レールを再利用した柱。
100年以上、ホームの屋根を支えています。 -
鳥栖駅には、3つのホームがあります。
3つのホームは、地下道で改札口につながります。
地下道は2本あります。
写真、左に進むと、南側の地下道へ、右に進むと田代側(博多方面)の地下道に至ります。
鳥栖には、何度か来たことがあります。
いつも、南側の通路を使い、改札を出て、ホテルに直行し、駅に注意を払ったことはありませんでした。
そして、鳥栖が「鉄道の町」であったことも知りませんでした。
今回は、何となく、改札を出ず、駅を探索したくなりました。
緩やかに下がって行く、長い回廊のような通路に惹かれたのかもしれません。 -
田代寄りの地下道へ 1
両壁面には、明治以降の貨物輸送の車両基地として栄えた頃の写真が、所々に掲示されています。 -
田代寄りの地下道へ 2
「昭和38年頃の鳥栖駅構内」と表題の付いた写真がありました。
鳥栖操車場の全容がわかります。
鉄道は、乗るだけの私にでも、その規模の大きさを、写真から捉えることが出来ました。
-
田代寄りの地下道へ 3
-
田代寄りの地下道へ 4
改札から鹿児島本線に沿って、100m近く下り坂を歩いたと思います。やっと突き当たり、右に曲がり、線路の下を通ります。
右手には、それぞれのホームへの階段があります。左側壁面は、ギャラリーです。 -
田代寄りの地下道へ 5
壁面の写真を眺め、振り返ると、ホームへの階段。
見上げると、木造駅舎屋根裏の景観に圧倒されます。(1・2番ホーム) -
田代寄りの地下道へ 6
階段上り口には、迫力ある大きなパネルも飾られています。
どの位置からも、照明が写り込んでしまい、わかりにくい写真になってしまいましたが。
聳え立つ給炭塔に、蒸気機関車、手前には、作業員が映っています。 -
田代寄りの地下道へ 7
通路壁面の写真は「RAILROAD STORY」と名付けられ、解説文が付き、「鉄道の町 鳥栖」の往時の繁栄の軌跡を辿ることが出来ます。
ここに掲示された写真を見ていると、蒸気機関車の発する音、煤煙、油の臭い、合図し合う鉄道員の姿などを、その場に居合わせ、見たかったと思いました。 -
田代寄りの地下道へ 8
全盛期には、蒸気機関車62台が配属されていたそうです。 -
田代寄りの地下道へ 9
転車台と扇形車輌庫。
素人の私でも、凄い設備だとわかります。それが2カ所もあったなんて! -
田代寄りの地下道へ 10
この写真の前で足が止まりました。
貨車を行き先毎に仕分ける作業「坂阜(ハンプ)」を写したものです。
「坂阜」という言葉も初めて知りました。緩やかな丘を意味するそうです。
当時、各地から集まって来た貨車は、行き先毎に連結し直さなければなりませんでした。
丘の頂上付近まで入替機で運ばれた貨車は、往き先別に切り替えられたレールの上で、連結を解かれると、自重で坂を下って行きます。
運転手は、その貨車に跳び乗り、足でブレーキを操作し、所定の位置に貨車を止めると、歩いて丘を上って行きます。その繰り返しが、幾度となく続きます。
電化される前の貨物輸送の一コマ・・・こういう作業が行われていたのですね。 -
田代寄りの地下道へ 11
眺めた写真の余韻に浸りながら、改札口へ引き返します。 -
駅舎 1
駅舎の外に出ました。
外観。 -
駅舎 2
窓枠とガラスの色使いに見とれてしまいした。 -
駅舎 3
駅舎は、明治36(1903)年に建てられました。 -
駅舎 4
車寄せ柱上部に施された飾り金具。両端と中央2点のデザインが異なっています。
近代建築に使われるこういった金具を見るのが楽しみです。 -
駅舎 5
燕の巣。 -
駅舎 6
小さなプレートには、「鳥栖建第1号 駅本屋 明 44.3.30」とありました。 -
駅舎 7
駅長さんの表札が掛けられています。 -
虹の橋 1
駅舎の隣(田代・博多側)に「虹の橋」と名付けられた跨線橋があります。 -
虹の橋 2
橋上から、駅舎方向を撮影。
右上、青い屋根が駅舎。
ホームの屋根にも、年を経た趣があります。
駅舎の後ろの茶色の建物が宿泊先のホテル「サンホテル鳥栖」です。 -
虹の橋 3
橋上、スタジアム方向を撮影。
地下道の写真の1枚1枚が、かつて、ここの日常の風景だった・・・欄干にもたれながら、そんなことに思いを馳せていました。
操車場の痕跡は残っているのでしょうか?
明日、時間を作って、行ってみることにしましょう。 -
線路を追って田代へ 1
田代(鳥栖駅の隣駅)に所用があっての鳥栖4泊です。
移動は、ホテルの無料レンタサイクル。
翌6月11日、往路の寄り道は、田代駅の少し先まで貨物線を追いかけ、復路の寄り道は、鳥栖駅の東側、スタジアム近辺、操車場の痕跡探しです。
鳥栖駅と田代駅の中間に、高橋(たかばし)と呼ばれる橋があります。
国道3号線に接続する鳥栖の主要道路の橋です。
この橋は、鹿児島本線と筑後川水系の大木川を跨ぐ為に盛土を築いて繋ぎ、周囲より、一段と高い標高に造られています。
今回は、橋に上って、横切って、下りて、鹿児島本線の際を線路を見ながら走る道を進んで行きます。 -
線路を追って田代へ 2
坂道の息切れと、交通量の多い道の横断で、神経も疲れますが、橋上からは、遠くの山々が見渡せ、眼下に鉄路と大木川を見ることも出来、爽快な気持ちになります。 -
線路を追って田代へ 3
高橋(たかばし)からの風景。
大木川と鹿児島本線。
写真右手奥が鳥栖駅方向。 -
線路を追って田代へ 4
高橋(たかばし)から鳥栖駅方向を撮影。
右2組の線路が、鹿児島本線。
左側が鳥栖貨物ターミナル駅に続く、貨物用の線路。 -
線路を追って田代へ 5
高橋(たかばし)から離れ、貨物用コンテナが並ぶ、広い空間が眺めながら、ママチャリで輪行です。
線路際の道なので、遮るものもなく、鉄道のある風景を楽しめます。 -
線路を追って田代へ 6
田代駅付近。 -
線路を追って田代へ 7
田代は、江戸時代、長崎県街道の宿でした。
歴史を感じさせる風情がそちこちに残る場所です。 -
線路を追って田代へ 8
田代駅も過ぎ、広く、長い踏切。
この道は、江戸時代、久留米に至る街道で、旧国道3号線でもありました。
踏切を渡り、この路を鳥栖方面に戻ります。 -
線路を追って田代へ 9
踏切から撮影。 -
線路を追って田代へ 10
踏切を渡って、住宅街へ。
一般住宅の塀に埋め込まれた小さなお堂。
鳥栖市内では、この様な、お堂や祠をよく目にします。 -
線路を追って田代へ 11
生花に埋もれたお地蔵様。
このお宅は、お庭にもユリが沢山咲いていて、とてもきれいでした。 -
線路を追って田代へ 12
鳥栖貨物ターミナル駅の脇を通ります。
広々とした構内、気分よく眺めながら走り過ぎてしまい、駅の外れで、慌てて写真を撮りました。 -
線路を追って田代へ 13
駅構内は、静かです。人の気配もしません。
蒸気機関車の時代を想像してみます。覚えたばかりの「ハンプ作業」の音を空想します。
斜面を下る貨車の走行音、連結時の振動、運転手の眼差し、広々とした貨物駅構内に、在りし日の一コマをこの場所で描いてみました。
往路の寄り道は、ここでおわります。 -
操車場の痕跡を探しに 1
所用を終え、ホテルに戻る前に、操車場の跡地を探索しました。
鳥栖駅から北に約500m、高橋(たかばし)の手前に、線路を潜る地下道があります。 -
操車場の痕跡を探しに 2
鹿児島本線の上下線と貨物の線路の下を通ります。
長い地下道です。 -
操車場の痕跡を探しに 3
地上の明かりが見えてきました。 -
操車場の痕跡を探しに 4
地下道、西側出入り口。 -
操車場の痕跡を探しに 5
地下道を抜けると、空き地。
この辺りが、操車場の外れだったのでしょうか? -
操車場の痕跡を探しに 6
写真は、大木川とJR曾根崎町アパート。
大木川に沿って、鳥栖駅方面へ進みます。 -
操車場の痕跡を探しに 7
道路脇に、古い石碑を見つけました。
「鉄道分水之碑」、裏面には「昭和十四年一月建之」と刻まれています。 -
操車場の痕跡を探しに 8
側面には、「鉄道省引水期間」と記され、裏面には、地主、総代、区長、組長、評議員、総勢20名の名前が彫られています。
この碑が、この地から、動いていなければ、大木川を巡って、灌漑用水と鉄道用水について、取水期間の取り決めがあったのかな?と推測しました。
蒸気機関車の時代、農業にとっても、鉄道にとっても水の確保が死活問題であったと思います。
帰宅後、ちょっと気になって、「鳥栖 昭和 干ばつ」で検索すると、昭和12年が大干ばつの年のようでした。
碑文には、不明な文字もありますが、「昭和十三年四月 諾」と刻まれ、引水一連の動きの開始もわかります。
-
操車場の痕跡を探しに 9
「鉄道分水之碑」を見つけた後、大木川から離れ、鳥栖駅近くまで来ました。
自転車なので、見落としもあったかもしれませんが、操車場の痕跡は、見当たらず、スタジアムに到着。
この辺りに、転車台があったのかな?
広い空き地が、機関区の規模を物語ります。 -
操車場の痕跡を探しに 10
42万㎡の跡地、スタジアムですら、ぽつんと見えます。 -
操車場の痕跡を探しに 11
スタジアムの北側には、鳥栖市の交流センター「サンメッセ鳥栖」があります。その建物の広場に、二つの碑が建っています。
手前の碑が、市制施行50周年を記念して、平成16年に建てられた「鳥栖操車場記念碑」です。
右奥に見えているのが、大正3年に建てられた「八坂甚八翁頌徳碑」です。
鳥栖を鉄道の町として発展させた実業家八坂甚八の功績を称えて建てられた碑です。市制施行50周年にここに移つされたそうです。
-
操車場の痕跡を探しに 12
鳥栖駅東側、静態保存・展示されている268号機関車。
そばまで行って観る人は少ないのでしょう。草が生い茂っていました。
案内板によると、戦前から昭和29年まで、構内入替機関車として使われていたそうです。
6番ホームからも見ることが出来ます。 -
操車場・機関区の痕跡を探しに 13
268号機関車のそばに建てられた看板。
「Jリーグのある町 鳥栖市」とあります。
かつての「鉄道の町」の巨大な操車場の「当時の面影」を探しました。見つけたものは、鉄道分水の石碑と1台の蒸気機関車でした。
木造の駅舎も、橋上駅に建替えの計画もあるようです。
「跡形もなく、無くなってしまった・・・」 -
跨線橋「虹の橋」を渡り、駅前に。
横断歩道脇のポール。
「Jリーグのある町」ですね。 -
反対側のポール
鳥栖サガンのマスコットキャラクター。
ちょっと頭を撫でて、信号を渡ります。
駅前の広い通り(本町通)を、自転車を押しながら歩きます。 -
ホテルに戻る前に、もう一カ所、寄りたいと思います。鉄道の町だった時代の雰囲気が残る場所です。
駅前信号から、本町通り左側の歩道を100m位、最初の街区の角を曲がります。
昭和40年代で、時間が止まったような細い路地
に入ります。 -
お目当ては、「八起のキャンディ」です。
-
店内には、店主が描かれた、鳥栖市の風景画が飾られています。
1枚1枚から、郷土愛が伝わって来ます。
鳥栖の歴史も学べます。 -
40種以上あるメニューから、ミルクと小豆をチョイス。
冷凍庫から出したての、他所では味わえない冷え冷えカチカチのアイスです。雑味のない、ごまかしのない、さっぱりとした味わいです。
操車場の跡地へのノスタルジーから生じた寂しさが、少し和らいだ様な気がしました。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
旅行記グループ
2018年6月 鳥栖・下関・門司
-
門司レトロ商店街・門司港駅 2018年6月《8》
2018/06/10~
門司・関門海峡
-
下関唐戸市場~関門トンネル人道~門司港レトロ 2018年6月《7》
2018/06/10~
門司・関門海峡
-
下関 洋館巡り 昼と夜 2018年6月《6》
2018/06/10~
下関
-
下関 社寺巡り 昼と夜 2018年6月《5》
2018/06/10~
下関
-
鳥栖輪行 鉄道の町 2018年6月《1》
2018/06/10~
鳥栖・基山
-
鳥栖輪行 街道の町(長崎街道田代宿) 2018年6月《2》
2018/06/10~
鳥栖・基山
-
鳥栖輪行 古墳の町 2018年6月《3》
2018/06/10~
鳥栖・基山
-
鳥栖輪行 街道の町(長崎街道轟木宿)と3つの老松神社 2018年6月《4》
2018/06/10~
鳥栖・基山
旅行記グループをもっと見る
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
鳥栖・基山(佐賀) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 2018年6月 鳥栖・下関・門司
0
57