鳥栖・基山旅行記(ブログ) 一覧に戻る
 鳥栖に所用があり、4泊。<br /> 東京への帰り道、下関で途中下車、物見遊山で3泊。7泊8日の道中となりました。<br /><br /> 鳥栖では、ホテルの自転車を利用して、空いた時間に、市内を駆け抜け、下関では、唐戸を中心に、対岸の門司まで足を伸ばして、ぶらぶらしてきました。<br /><br /> 今回の旅行記は、道中3日目、長崎街道経由で所用のある田代へ向う途中、街道から離れ、太田古墳とをその周辺を訪れた時の報告です。

鳥栖輪行 古墳の町 2018年6月《3》

17いいね!

2018/06/10 - 2018/06/17

39位(同エリア181件中)

旅行記グループ 2018年6月 鳥栖・下関・門司

0

23

ひよどり

ひよどりさん

 鳥栖に所用があり、4泊。
 東京への帰り道、下関で途中下車、物見遊山で3泊。7泊8日の道中となりました。

 鳥栖では、ホテルの自転車を利用して、空いた時間に、市内を駆け抜け、下関では、唐戸を中心に、対岸の門司まで足を伸ばして、ぶらぶらしてきました。

 今回の旅行記は、道中3日目、長崎街道経由で所用のある田代へ向う途中、街道から離れ、太田古墳とをその周辺を訪れた時の報告です。

  •  太田古墳  1<br /><br /> 田代駅ホームの名所案内板には、「太田古墳 北に20分 太田観音 北に20分」とあります。<br /><br /> 太田古墳は、装飾古墳として、古くから周知されており、大正年間に国史跡に指定されています。<br /><br /> 個人宅の敷地内にあり、現在は、完全非公開です。<br /><br /> 内部 は、九州国立博物館にて、VR映像に再現されたこともあります。<br /> 幾何学文・人物を赤色を中心とした施した美しい壁画で有名です。

     太田古墳 1

     田代駅ホームの名所案内板には、「太田古墳 北に20分 太田観音 北に20分」とあります。

     太田古墳は、装飾古墳として、古くから周知されており、大正年間に国史跡に指定されています。

     個人宅の敷地内にあり、現在は、完全非公開です。

     内部 は、九州国立博物館にて、VR映像に再現されたこともあります。
     幾何学文・人物を赤色を中心とした施した美しい壁画で有名です。

  •  太田古墳  2<br /><br /> 道路に接しているため、西側から、墳丘を見ることはできました。<br /><br /> 6世紀後半に造られた円墳で、南側に開口部があるとのことですが、現状では、こんもりとした木立と草むらを眺める以上は無理なようです。

     太田古墳 2

     道路に接しているため、西側から、墳丘を見ることはできました。

     6世紀後半に造られた円墳で、南側に開口部があるとのことですが、現状では、こんもりとした木立と草むらを眺める以上は無理なようです。

  •  太田古墳のすぐ傍に、地域の公民館があります。<br /> その前の道路の路面に、史跡案内が貼り付けてありました。<br /> 中央の赤色の部分が太田古墳の壁画を意匠化したものです。<br /> 踏まれることもあるのでしょう。だいぶ傷んでいます。<br /><br />「岡寺古墳まで、230m。<br /> 庚申堂塚古墳まで、210m。」<br /><br /> まず、岡寺古墳に行ってみます。

     太田古墳のすぐ傍に、地域の公民館があります。
     その前の道路の路面に、史跡案内が貼り付けてありました。
     中央の赤色の部分が太田古墳の壁画を意匠化したものです。
     踏まれることもあるのでしょう。だいぶ傷んでいます。

    「岡寺古墳まで、230m。
     庚申堂塚古墳まで、210m。」

     まず、岡寺古墳に行ってみます。

  •  太田古墳→岡寺古墳  1<br /><br /> 史跡案内の矢印に従って、畦道のような細い道を進みます。<br /> <br /> 写真左側のお宅の敷地内に太田古墳があります。

     太田古墳→岡寺古墳 1

     史跡案内の矢印に従って、畦道のような細い道を進みます。
     
     写真左側のお宅の敷地内に太田古墳があります。

  •  太田古墳→岡寺古墳  2<br /><br /> 足を止めて、右手の広い農地を眺めます。自然と、深呼吸をしていました。<br /> いい景色です。

     太田古墳→岡寺古墳 2

     足を止めて、右手の広い農地を眺めます。自然と、深呼吸をしていました。
     いい景色です。

  •  太田古墳→岡寺古墳  3<br /><br /> 岡寺古墳に向かって、少し上って行きます。<br /><br /> 振り返って、写真を撮りました。

     太田古墳→岡寺古墳 3

     岡寺古墳に向かって、少し上って行きます。

     振り返って、写真を撮りました。

  •  太田古墳→岡寺古墳  4<br /><br /> 大きな溜池にさしかかると、その先に太田山安生寺(太田観音)の屋根が見えました。<br /> 田代駅ホームの名所案内板に記されていた寺院です。<br /> 岡寺古墳は、この寺院の境内にあります。

     太田古墳→岡寺古墳 4

     大きな溜池にさしかかると、その先に太田山安生寺(太田観音)の屋根が見えました。
     田代駅ホームの名所案内板に記されていた寺院です。
     岡寺古墳は、この寺院の境内にあります。

  •  太田観音・岡寺古墳  1<br /><br /> 細い道は、太田観音の境内まで続いていました。

     太田観音・岡寺古墳 1

     細い道は、太田観音の境内まで続いていました。

  •  太田観音・岡寺古墳  2<br /><br /> 境内には、私の好きな小さい石仏が並んています。

     太田観音・岡寺古墳 2

     境内には、私の好きな小さい石仏が並んています。

  •  太田観音・岡寺古墳  3<br /><br /> 石厨子も奉納されていました。<br /> その中に、大きな石が置かれています。<br /> 石に宿る力が伝わってきます。

     太田観音・岡寺古墳 3

     石厨子も奉納されていました。
     その中に、大きな石が置かれています。
     石に宿る力が伝わってきます。

  •  太田観音・岡寺古墳  4<br /><br /> 像は目測で15~20cm位の高さです。

     太田観音・岡寺古墳 4

     像は目測で15~20cm位の高さです。

  •  太田観音・岡寺古墳  5<br /><br /> 近くに同じような石厨子がもう一つありました。<br /> こちらには、「安永七(1778)年」とあります。

     太田観音・岡寺古墳 5

     近くに同じような石厨子がもう一つありました。
     こちらには、「安永七(1778)年」とあります。

  •  太田観音・岡寺古墳  6<br /><br /> 岡寺古墳に向かいます。自然の高台なのか、墳丘なのか、よくわかりませんが、上って行きます。

     太田観音・岡寺古墳 6

     岡寺古墳に向かいます。自然の高台なのか、墳丘なのか、よくわかりませんが、上って行きます。

  •  太田観音・岡寺古墳  7<br /><br /> ベンチや展望スペースもあり、散策できるように整備されています。<br /> <br /> テーブルは、大きな石臼?<br /> べンチは、どこかで使われていた石柱?<br /><br /> 面白いですね。

     太田観音・岡寺古墳 7

     ベンチや展望スペースもあり、散策できるように整備されています。
     
     テーブルは、大きな石臼?
     べンチは、どこかで使われていた石柱?

     面白いですね。

  •  太田観音・岡寺古墳  8<br /><br /> 岡寺古墳に到着。

     太田観音・岡寺古墳 8

     岡寺古墳に到着。

  •  太田観音・岡寺古墳  9<br /><br /> 案内板によると、東西約80mの前方後円墳ですが、土地造成のため、墳墓の原形は失われてしまいました。石室は、未確認、周囲から、多数の埴輪片が出土しているそうです。<br /><br /> 最上部には、明治になって建てられた石碑がありましたが、謂われは、よくわかりませんでした。

     太田観音・岡寺古墳 9

     案内板によると、東西約80mの前方後円墳ですが、土地造成のため、墳墓の原形は失われてしまいました。石室は、未確認、周囲から、多数の埴輪片が出土しているそうです。

     最上部には、明治になって建てられた石碑がありましたが、謂われは、よくわかりませんでした。

  •  再び、ここに戻り、今度は、庚申塚古墳」を目指します。<br /> 緩やかな坂道を上って行きます。

     再び、ここに戻り、今度は、庚申塚古墳」を目指します。
     緩やかな坂道を上って行きます。

  •  庚申堂塚古墳  1<br /><br /> 案内板によると、南北約60mの前方後円墳です。造営当初は、葺き石で覆われ、周囲には溝が巡っていたと想定されるそうです。<br /> 円筒埴輪の破片も採取され、石室内からは、鉄鏃、馬具等が出土しています。<br /><br /> 写真右側が前方部、階段は、後円部に設けられています。

     庚申堂塚古墳 1

     案内板によると、南北約60mの前方後円墳です。造営当初は、葺き石で覆われ、周囲には溝が巡っていたと想定されるそうです。
     円筒埴輪の破片も採取され、石室内からは、鉄鏃、馬具等が出土しています。

     写真右側が前方部、階段は、後円部に設けられています。

  •  庚申堂塚古墳  2<br /><br /> 前方部。<br /> 遺存状態の良い古墳です。<br /> 墳丘に登ると、前方後円形が見て取れます。

     庚申堂塚古墳 2

     前方部。
     遺存状態の良い古墳です。
     墳丘に登ると、前方後円形が見て取れます。

  •  庚申堂塚古墳  3<br /><br /> 前方部には、「庚申尊天」と記された石碑がありました。

     庚申堂塚古墳 3

     前方部には、「庚申尊天」と記された石碑がありました。

  •  庚申堂塚古墳  4<br /><br /> 小さい石碑?もありましたが、こちらには、文字は彫られていないようです。<br /> 石そのものへの信仰でしょうか?

     庚申堂塚古墳 4

     小さい石碑?もありましたが、こちらには、文字は彫られていないようです。
     石そのものへの信仰でしょうか?

  •  庚申堂塚古墳  5<br /><br /> 前方部から後円部を臨みます。<br /> 円形を上手に写真で撮ることができませんでした。

     庚申堂塚古墳 5

     前方部から後円部を臨みます。
     円形を上手に写真で撮ることができませんでした。

  •  前日、鳥栖ー田代駅間の鹿児島本線跨線橋の上から西方を撮った写真です。<br /> 本日巡った古墳は、家並みの向こうに見える小高い丘陵の右側にあります。<br /> 今日訪れた3つの古墳の他にもいくつか古墳が残っています。<br /><br /> 6世紀、この場所に稲田があり、集落が営まれ、丘には、豪族が眠るります。<br /> そして、太田古墳から丘を下り、700m程の所には、長崎街道の田代宿。社寺には、18世紀の年号を刻んだ燈籠等も残っています。<br /> <br /> 半日ですが、自転車に乗って、盛り沢山な「田代歴代散歩」ができました。

     前日、鳥栖ー田代駅間の鹿児島本線跨線橋の上から西方を撮った写真です。
     本日巡った古墳は、家並みの向こうに見える小高い丘陵の右側にあります。
     今日訪れた3つの古墳の他にもいくつか古墳が残っています。

     6世紀、この場所に稲田があり、集落が営まれ、丘には、豪族が眠るります。
     そして、太田古墳から丘を下り、700m程の所には、長崎街道の田代宿。社寺には、18世紀の年号を刻んだ燈籠等も残っています。
     
     半日ですが、自転車に乗って、盛り沢山な「田代歴代散歩」ができました。

17いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

価格.com旅行・トラベルホテル・旅館を比較

PAGE TOP