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 10数年間ご無沙汰していたが、今回は秦野市戸川「稲荷木遺跡」見学会に参加することにした。平成12年(2000年)2月26日に行われた小鹿坂遺跡(埼玉県秩父市)の現地説明会以来のことである。小鹿坂遺跡の現場を見てもおかしな点ばかりで7点もの疑問点が出て来た。現地にいた県教育委員会の人に詰め寄って聞いてみると、ここ小鹿坂遺跡は明治大の安蒜教授が認定したものなのだという。現場で長い間、現地を見て湧いて来た問題点を挙げ、問い質していたので、私とのやり取りは待ち行列で暇にしていた何100人もの現地説明会参加者の耳にも届いていたことと思う。帰りのバスでは隣の席に座ったご老人から、「さっきは随分と言ってましたね。」と声を掛けられた。色々と現地説明会に参加しているが、この小鹿坂遺跡はおかしいことが多くあると、また同じように小鹿坂遺跡のおかしな点を7点挙げて説明した。「昔は荒川沿いの縄文遺跡の発掘も土手を全面剥いでやってようやく遺跡が見つかったくらいですから、あなたのおっしゃる通りかも知れません。」<br /> それから数ヶ月後の平成12年(2000年)11月5日の毎日新聞朝刊で、藤村氏が石器を事前に埋めている姿をスクープされて旧石器捏造事件が明るみに出た。岩宿遺跡を発見した相沢忠洋氏を認め、日本に旧石器時代があったとしたのは明治大の働きであり、それ以来のことで旧石器遺跡といえば明治大の教授がしゃしゃり出てくるのだろう。当事者の藤村氏は名前を変えた。しかし、当然ながら岡村道雄氏は責任を取って当時の職を辞したが、明治大の安蒜教授はお詫びはしたが職は辞さなかった。それにしても岡村氏は11月4日の夜は一睡もできず、何時間かおきに知人から電話があったという。そして、その当日の11月5日には横浜市博物館で講演会があったが、しどろもどろに、考古については何も語らずに取り留めのない世間話などの無駄話で講演時間の全てを費やしてしまうほどだった。<br /> それ以来、良く訓練された博士なら、たとえ専門分野が異なるとは言え、真実かそうではないのかは分かったとしても何ら不思議はないと思うようになり、また、おかしな発掘現場を見るのも忍びないと思い、結果、足が遠のいていた次第だ。<br /> 秦野市戸川で発見された「稲荷木遺跡」はNEXCO中日本が進めている新東名高速道路の秦野SA建設予定地にあり、発掘現場は広大なものである。<br /> 「稲荷木遺跡」見学会では(1)発掘現場、(2)ミニ講演会、(3)出土品、と分かれて説明があった。この10数年で現地説明会も変わったものだ。<br /> 秦野市戸川「稲荷木遺跡」は水無川左岸の河岸段丘にあり、海抜は270mである。敷石住居跡を含む20余りの住居跡と配石遺構が見られる。谷の下が水無川であるがこの辺りは水があり、今日は親子連れでバーべキューを楽しんでいるのが見える。石は下の水無川から運んだものと思われる。<br /> この場所からは富士山が見え(、今日は見えないが)、神名備山は富士山であろう。ここ秦野SAも足柄SA(https://4travel.jp/travelogue/10856436)のように富士山が展望できるSAになるのだろう。<br /> 住居より1段高い場所には水が湧いている。この段丘の谷側には道路が通り、3、4軒の住宅もあったが、縄文の昔にはこの河岸段丘の裾から湧き水が出て集落の水場になっていたのであろう。<br /> 配石遺構は環状列石などではなく、墓と墓石の集合であろう。墓を中心にして住居が取り囲む集落であったと思われる。<br />(表紙写真は秦野市戸川「稲荷木遺跡」の発掘現場の土器)

秦野市戸川「稲荷木遺跡」見学会-発掘現場

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2018/08/11 - 2018/08/11

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ドクターキムル

ドクターキムルさん

 10数年間ご無沙汰していたが、今回は秦野市戸川「稲荷木遺跡」見学会に参加することにした。平成12年(2000年)2月26日に行われた小鹿坂遺跡(埼玉県秩父市)の現地説明会以来のことである。小鹿坂遺跡の現場を見てもおかしな点ばかりで7点もの疑問点が出て来た。現地にいた県教育委員会の人に詰め寄って聞いてみると、ここ小鹿坂遺跡は明治大の安蒜教授が認定したものなのだという。現場で長い間、現地を見て湧いて来た問題点を挙げ、問い質していたので、私とのやり取りは待ち行列で暇にしていた何100人もの現地説明会参加者の耳にも届いていたことと思う。帰りのバスでは隣の席に座ったご老人から、「さっきは随分と言ってましたね。」と声を掛けられた。色々と現地説明会に参加しているが、この小鹿坂遺跡はおかしいことが多くあると、また同じように小鹿坂遺跡のおかしな点を7点挙げて説明した。「昔は荒川沿いの縄文遺跡の発掘も土手を全面剥いでやってようやく遺跡が見つかったくらいですから、あなたのおっしゃる通りかも知れません。」
 それから数ヶ月後の平成12年(2000年)11月5日の毎日新聞朝刊で、藤村氏が石器を事前に埋めている姿をスクープされて旧石器捏造事件が明るみに出た。岩宿遺跡を発見した相沢忠洋氏を認め、日本に旧石器時代があったとしたのは明治大の働きであり、それ以来のことで旧石器遺跡といえば明治大の教授がしゃしゃり出てくるのだろう。当事者の藤村氏は名前を変えた。しかし、当然ながら岡村道雄氏は責任を取って当時の職を辞したが、明治大の安蒜教授はお詫びはしたが職は辞さなかった。それにしても岡村氏は11月4日の夜は一睡もできず、何時間かおきに知人から電話があったという。そして、その当日の11月5日には横浜市博物館で講演会があったが、しどろもどろに、考古については何も語らずに取り留めのない世間話などの無駄話で講演時間の全てを費やしてしまうほどだった。
 それ以来、良く訓練された博士なら、たとえ専門分野が異なるとは言え、真実かそうではないのかは分かったとしても何ら不思議はないと思うようになり、また、おかしな発掘現場を見るのも忍びないと思い、結果、足が遠のいていた次第だ。
 秦野市戸川で発見された「稲荷木遺跡」はNEXCO中日本が進めている新東名高速道路の秦野SA建設予定地にあり、発掘現場は広大なものである。
 「稲荷木遺跡」見学会では(1)発掘現場、(2)ミニ講演会、(3)出土品、と分かれて説明があった。この10数年で現地説明会も変わったものだ。
 秦野市戸川「稲荷木遺跡」は水無川左岸の河岸段丘にあり、海抜は270mである。敷石住居跡を含む20余りの住居跡と配石遺構が見られる。谷の下が水無川であるがこの辺りは水があり、今日は親子連れでバーべキューを楽しんでいるのが見える。石は下の水無川から運んだものと思われる。
 この場所からは富士山が見え(、今日は見えないが)、神名備山は富士山であろう。ここ秦野SAも足柄SA(https://4travel.jp/travelogue/10856436)のように富士山が展望できるSAになるのだろう。
 住居より1段高い場所には水が湧いている。この段丘の谷側には道路が通り、3、4軒の住宅もあったが、縄文の昔にはこの河岸段丘の裾から湧き水が出て集落の水場になっていたのであろう。
 配石遺構は環状列石などではなく、墓と墓石の集合であろう。墓を中心にして住居が取り囲む集落であったと思われる。
(表紙写真は秦野市戸川「稲荷木遺跡」の発掘現場の土器)

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  • 手前に枝垂れ桜。

    手前に枝垂れ桜。

  • 「遺跡見学会のお知らせ」ポスター。

    「遺跡見学会のお知らせ」ポスター。

  • 発掘現場の写真。見学会の参加者で「稲荷木遺跡」が富士山が見える場所にあるのだと認識できた人が何人いただろうか?もし、これが真冬の晴天時に行われた見学会であったなら、嶽もが富士山が見れただろうに。

    発掘現場の写真。見学会の参加者で「稲荷木遺跡」が富士山が見える場所にあるのだと認識できた人が何人いただろうか?もし、これが真冬の晴天時に行われた見学会であったなら、嶽もが富士山が見れただろうに。

  • 幟。

    幟。

  • 事務所。

    事務所。

  • 事務所前。50人も来ればと思っていたら大外れだった。午前中に350人が押し寄せたという。

    事務所前。50人も来ればと思っていたら大外れだった。午前中に350人が押し寄せたという。

  • 現地説明会に集まった人たち。

    現地説明会に集まった人たち。

  • 現地説明会に集まった人たち。

    現地説明会に集まった人たち。

  • 挨拶。

    挨拶。

  • 挨拶。

    挨拶。

  • 現地説明会に集まった人たち。

    現地説明会に集まった人たち。

  • 現地説明会に集まった人たち。班分けされる。ピンクの旗が第1班だ。

    現地説明会に集まった人たち。班分けされる。ピンクの旗が第1班だ。

  • 発掘現場。

    発掘現場。

  • 発掘現場。

    発掘現場。

  • 発掘現場へ向かう第1班の人たち。

    発掘現場へ向かう第1班の人たち。

  • 発掘現場。

    発掘現場。

  • 発掘現場。

    発掘現場。

  • 発掘現場へ向かう人たち。

    発掘現場へ向かう人たち。

  • 住居跡。

    住居跡。

  • 住居跡。

    住居跡。

  • 住居跡。回りを石で囲っている。

    住居跡。回りを石で囲っている。

  • 半分顔を出した土器。カメラで引いた限りでは完形だ。この写真はいかにも遺跡発掘現場という感じだが、実際には案内している係員が説明したり喚起する訳でもなく、ただ通り過ぎてしまうのが実情である。発掘に携わる人にとっては極有り振れた光景であるのだろう。しかし、一般の見学者にしたら見たい光景のはずだ。午前中の参加者は350人もあったというが、この写真の光景を誰もが見られたのだが、現実に見た人は説明など全く聞こえない最後尾の私の近くいた数人だけではあるまいか?このブログを見て、発掘現場にこんな光景があったのに見逃してしまったと残念がるかもしれない。

    半分顔を出した土器。カメラで引いた限りでは完形だ。この写真はいかにも遺跡発掘現場という感じだが、実際には案内している係員が説明したり喚起する訳でもなく、ただ通り過ぎてしまうのが実情である。発掘に携わる人にとっては極有り振れた光景であるのだろう。しかし、一般の見学者にしたら見たい光景のはずだ。午前中の参加者は350人もあったというが、この写真の光景を誰もが見られたのだが、現実に見た人は説明など全く聞こえない最後尾の私の近くいた数人だけではあるまいか?このブログを見て、発掘現場にこんな光景があったのに見逃してしまったと残念がるかもしれない。

  • 石の前に土器。

    石の前に土器。

  • 石の前に土器。

    石の前に土器。

  • 配石遺構。大きな石が立てられている。

    配石遺構。大きな石が立てられている。

  • 真ん中に選ばれた石が立てられている。

    真ん中に選ばれた石が立てられている。

  • 配石遺構は墓地跡であろう。

    配石遺構は墓地跡であろう。

  • 下の谷底は水無川でお盆休みで親子連れがバーベキューをしている。石はここから縄文人が運び上げたものであろう。

    下の谷底は水無川でお盆休みで親子連れがバーベキューをしている。石はここから縄文人が運び上げたものであろう。

  • 発掘現場への道路設置部分。

    発掘現場への道路設置部分。

  • 上段の水の流れ。

    上段の水の流れ。

  • 上段の水の流れ。この何mか下が縄文時代の地層になるが、こうして水の流れがあることは、かつて縄文時代にも(下に隠れている)この谷状になった地層に湧き水が出ていたことを連想させてくれる。

    上段の水の流れ。この何mか下が縄文時代の地層になるが、こうして水の流れがあることは、かつて縄文時代にも(下に隠れている)この谷状になった地層に湧き水が出ていたことを連想させてくれる。

  • 事務所脇に積まれた石。

    事務所脇に積まれた石。

  • 事務所脇に積まれた石。

    事務所脇に積まれた石。

  • 事務所脇に積まれた石。

    事務所脇に積まれた石。

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