二条・烏丸・河原町旅行記(ブログ) 一覧に戻る
始めて京都の祇園祭を見に出掛けた。このところの猛暑のために健康面での留意に万全の備えをして京都を訪れた。<br /><br />平安時代初期から1100年以上続く祇園祭は、貞観11年(869年)、都をはじめ国々で疫病が流行し、人々はこれを牛頭天王の祟りと恐れた。そこで広大な庭園だった神泉苑に当時の国の数にちなんで66本の矛を立て、疫病退散を祈った「祇園御霊会」(祇園会)が、祇園祭の起源だと言われている。インドの祇園精舎の疫病神「牛頭天王」を祀り、「祇園社」に神輿3基を送り、御霊を鎮めるために祈願した。平安末期には疫病神を鎮め、退散させるために、神輿渡御や神楽・田楽・花笠踊り、山鉾を出して市中を練り歩く祭礼として発展したが、応仁の乱で(1467~1477)で30年余り中断してしまった。その後、16世紀には都の復興や有力商人の台頭と共に豪華絢爛な祭りへ発展していった。<br /><br />祇園祭は丸々7月いっぱい続くが、今回は17日の前祭(さきまつり)巡行を見た。巡行は朝10時前後に御池通を通るために予約した観覧席へ早めに出かけた。<br /><br />後祭(あとまつり)が24日に開催されるが、もう一度こちらを見に来るのは難しいので、来年はもう少し時間を取って見に行ってみたいと思う。

初めての「祇園祭」を猛暑のもと、その伝統と華麗なページェントに魅了される

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2018/07/17 - 2018/07/17

772位(同エリア4374件中)

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Weiwojing

Weiwojingさん

始めて京都の祇園祭を見に出掛けた。このところの猛暑のために健康面での留意に万全の備えをして京都を訪れた。

平安時代初期から1100年以上続く祇園祭は、貞観11年(869年)、都をはじめ国々で疫病が流行し、人々はこれを牛頭天王の祟りと恐れた。そこで広大な庭園だった神泉苑に当時の国の数にちなんで66本の矛を立て、疫病退散を祈った「祇園御霊会」(祇園会)が、祇園祭の起源だと言われている。インドの祇園精舎の疫病神「牛頭天王」を祀り、「祇園社」に神輿3基を送り、御霊を鎮めるために祈願した。平安末期には疫病神を鎮め、退散させるために、神輿渡御や神楽・田楽・花笠踊り、山鉾を出して市中を練り歩く祭礼として発展したが、応仁の乱で(1467~1477)で30年余り中断してしまった。その後、16世紀には都の復興や有力商人の台頭と共に豪華絢爛な祭りへ発展していった。

祇園祭は丸々7月いっぱい続くが、今回は17日の前祭(さきまつり)巡行を見た。巡行は朝10時前後に御池通を通るために予約した観覧席へ早めに出かけた。

後祭(あとまつり)が24日に開催されるが、もう一度こちらを見に来るのは難しいので、来年はもう少し時間を取って見に行ってみたいと思う。

旅行の満足度
5.0
  • JR京都駅内にあるギャラリーで祇園祭に関する展示が行われていた。昔の古い写真が紹介されていた。どれも明治40年頃の巡行の写真で、その賑わいは現在と全く変わっていない。

    JR京都駅内にあるギャラリーで祇園祭に関する展示が行われていた。昔の古い写真が紹介されていた。どれも明治40年頃の巡行の写真で、その賑わいは現在と全く変わっていない。

  • 同じく明治40年頃の巡行する「月鉾」。

    同じく明治40年頃の巡行する「月鉾」。

  • 明治40年頃、巡行する「岩戸山」。

    明治40年頃、巡行する「岩戸山」。

  • こちらは各山鉾町で飾られるもので、左右の緑の花は「ヒオウギ」といい、あやめ科の多年草で、扇状の葉を持っていることからその名がつけられた。古来、ヒオウギで悪霊を退治したことから魔除けの花として飾る風習が残っていて、一説によると真黒な実がなることから「黒い実=魔よけ・厄除け」の願いが込められていると言う。

    こちらは各山鉾町で飾られるもので、左右の緑の花は「ヒオウギ」といい、あやめ科の多年草で、扇状の葉を持っていることからその名がつけられた。古来、ヒオウギで悪霊を退治したことから魔除けの花として飾る風習が残っていて、一説によると真黒な実がなることから「黒い実=魔よけ・厄除け」の願いが込められていると言う。

  • 各山鉾町で授けられる物品が紹介されている。これは「月鉾」のお授けのひとつであるうちわ。こうしたものは宵山のみで販売され、そのほかの日にはない。

    各山鉾町で授けられる物品が紹介されている。これは「月鉾」のお授けのひとつであるうちわ。こうしたものは宵山のみで販売され、そのほかの日にはない。

  • 「南観音山」の手ぬぐい、粽そして扇。

    「南観音山」の手ぬぐい、粽そして扇。

  • 「浄妙山」のうちわ、お守りそして粽。

    「浄妙山」のうちわ、お守りそして粽。

  • 炎天下での見学のため「祇園祭」と書かれた、このような帽子が配布された。かなり重宝した。

    炎天下での見学のため「祇園祭」と書かれた、このような帽子が配布された。かなり重宝した。

  • 山鉾巡行の見どころの一つに四条通で行われる「注連縄切り」がある。前祭の17日朝、四条通麩屋町に張られた注連縄を太刀で切るのがこのお稚児さんである。現在、生き稚児(いきちご)が鉾に乗るのは「長刀鉾」だけである。

    山鉾巡行の見どころの一つに四条通で行われる「注連縄切り」がある。前祭の17日朝、四条通麩屋町に張られた注連縄を太刀で切るのがこのお稚児さんである。現在、生き稚児(いきちご)が鉾に乗るのは「長刀鉾」だけである。

  • 「長刀鉾」が先頭を切ってやって来た。お囃子の音と共に鉾の先頭で扇を手に動く2人の「音頭取り」が目に留まった。

    「長刀鉾」が先頭を切ってやって来た。お囃子の音と共に鉾の先頭で扇を手に動く2人の「音頭取り」が目に留まった。

  • 鉾の上では先ほどの稚児が胸に掲げた鼓を叩いている。

    鉾の上では先ほどの稚児が胸に掲げた鼓を叩いている。

  • 鉾を引く人々は炎天下の元大変なことだと思うが、皆、額に大きな汗を流している。

    鉾を引く人々は炎天下の元大変なことだと思うが、皆、額に大きな汗を流している。

  • 「音頭取り」の2人が鉾の前で扇子をかざしている。

    「音頭取り」の2人が鉾の前で扇子をかざしている。

  • 「岩戸山」

    「岩戸山」

  • 山車を引く人達の中には外国人の姿が数多く見られ、他の鉾でも何人もいた。

    山車を引く人達の中には外国人の姿が数多く見られ、他の鉾でも何人もいた。

  • 「鴻基」と書かれた商店の大きな屋号が見える。以前この前を歩いたことがあるのっで、この古い建物を覚えていた。今回はこの前で巡行を見ることになっていた。<br /><br />

    「鴻基」と書かれた商店の大きな屋号が見える。以前この前を歩いたことがあるのっで、この古い建物を覚えていた。今回はこの前で巡行を見ることになっていた。

  • 古い町屋を見ると、鐘馗様が屋根の上に鎮座しているのが分かる。

    古い町屋を見ると、鐘馗様が屋根の上に鎮座しているのが分かる。

  • 軒先に粽がぶら下げれているが、これは長刀鉾の山鉾町で販売されているものである。

    軒先に粽がぶら下げれているが、これは長刀鉾の山鉾町で販売されているものである。

  • 店内を見せていただいた。中はかなり広く、井戸まである。現在も使われているそうだ。

    店内を見せていただいた。中はかなり広く、井戸まである。現在も使われているそうだ。

  • 蔵を改造してギャラリーにし、絵画や版画などを展示し、多くの人に開放している。

    蔵を改造してギャラリーにし、絵画や版画などを展示し、多くの人に開放している。

  • 店先では顧客を招いて祭りの巡行を見せている。

    店先では顧客を招いて祭りの巡行を見せている。

  • 平山郁夫画伯の「砂漠ラクダ行き」

    平山郁夫画伯の「砂漠ラクダ行き」

  • 「占出山」

    「占出山」

  • 「コンコンチキチン、コンコンチキチン」の音色が響いてきた。この響きを聞くと、祇園祭の楽しみが倍加すると言ってもよいだろう。

    「コンコンチキチン、コンコンチキチン」の音色が響いてきた。この響きを聞くと、祇園祭の楽しみが倍加すると言ってもよいだろう。

  • 「綾傘鉾」(あやがさほこ)の巡行では、6人の稚児が参加しているが、現在長刀鉾同様生身の人間が稚児となる貴重な鉾である。

    「綾傘鉾」(あやがさほこ)の巡行では、6人の稚児が参加しているが、現在長刀鉾同様生身の人間が稚児となる貴重な鉾である。

  • 別の稚児の一人。大分疲れているようだ。

    別の稚児の一人。大分疲れているようだ。

  • 「鶏鉾」(にわとりほこ)

    「鶏鉾」(にわとりほこ)

  • 「占出山」

    「占出山」

  • 占出山の水引には三十六歌仙が描かれている。

    占出山の水引には三十六歌仙が描かれている。

  • 占出山の担ぎ手は、占の字紋を背に刻んだ麻の法被を着、まるに占の字紋をしるした黒塗り陣笠を被っている。

    占出山の担ぎ手は、占の字紋を背に刻んだ麻の法被を着、まるに占の字紋をしるした黒塗り陣笠を被っている。

  • 「四条町大船鉾」

    「四条町大船鉾」

  • 「月鉾」

    「月鉾」

  • からくり機構のある大かまきりを屋根の上に乗せた「蟷螂山」(とうろうやま)。

    からくり機構のある大かまきりを屋根の上に乗せた「蟷螂山」(とうろうやま)。

  • 「霰天神山」(あられてんじんやま)は、永正年間(1504~1521)の大火の際に、時節はずれの霰が降って鎮火し、天神山町が護られたことから、雷除け、火伏せのご利益があると言う。その時降ってきた一寸二分(約3.6㎝)の天神像を祀ったのが起こりと伝わっている。

    「霰天神山」(あられてんじんやま)は、永正年間(1504~1521)の大火の際に、時節はずれの霰が降って鎮火し、天神山町が護られたことから、雷除け、火伏せのご利益があると言う。その時降ってきた一寸二分(約3.6㎝)の天神像を祀ったのが起こりと伝わっている。

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この旅行記へのコメント (2)

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  • クラウディアさん 2018/07/23 20:41:44
    祇園祭巡行
    こんにちは。
    いつも素敵なお写真を拝見させていただいております。
    私も3連休に1日足しまして、人生初の祇園祭に行っておりました。ですが…私の写真とは全く違うのでびっくり。素晴らしい!!

    巡行は暑くて最後まで観れないかも?と思っておりましたが、目の前に広がる素敵な山鉾などに最後まで観てしまいました。
    私もまた来年、祇園祭に行ってみようと思います。こんなに素晴らしいと思わなかったです。

    これからも素敵なお写真楽しみにしています。

    Weiwojing

    Weiwojingさん からの返信 2018/07/23 21:58:58
    Re: 祇園祭巡行
    クラウディアさん、ご自身も祇園祭に行かれていたのですか。私は御池通の鴻基という昔ながらの商店の前で見ていました。太陽を直接浴びながら見ていたので、最後までその場にいられませんでした。日陰のあるところに移動して見ていました。

    初めての祇園祭でしたが、また来年も見てみたいです。次回は17日の宵山と24日の後祭を見てみたいですね。ただ今回のような暑さだと躊躇してしまいそうです。

    クラウディアさんも祇園祭をアップされるのでしょうか。楽しみにしています。私は特別技術的なテクニックを用いているわけではありませんが、ただ自分の好みの取り方や場面などを工夫しながら撮っています。

    京都旅行記は後いくつか続く積りです。また見ていただけると、うれしいです。

    ありがとうございました。

    Tamegai


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