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江戸時代から繁栄を極めた島原の花街の地を歩いてみた。京都には祇園を中心とした花街がある一方で、もう一つの花街・島原がある。島原は現在ではもうかつての面影はあまり残されていないが、わずかに残された花街の跡を歩いてみた。繁栄を極めた時期には50軒ほどの置屋と約20軒の揚屋があったそうである。<br /><br />現在では「花街」は「はなまち」という言い方が一般的であるが、本来正式には「かがい」と言うそうである。これは初めて知った次第である。 <br /><br />現在、島原には「角屋」(すみや)と「輪違屋」(わちがいや)の2つの揚屋と置屋がある。揚屋は今の料亭にあたるところで、一方置屋は太夫や芸妓を派遣する店である。<br /><br />■「角 屋」( 京都市下京区西新屋敷揚屋町32 )<br /><br />■「輪違屋」( 京都市下京区西新屋敷中之町 114 )<br />

京都のもう一つの花街「島原」の街を歩く

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2018/07/17 - 2018/07/20

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Weiwojing

Weiwojingさん

江戸時代から繁栄を極めた島原の花街の地を歩いてみた。京都には祇園を中心とした花街がある一方で、もう一つの花街・島原がある。島原は現在ではもうかつての面影はあまり残されていないが、わずかに残された花街の跡を歩いてみた。繁栄を極めた時期には50軒ほどの置屋と約20軒の揚屋があったそうである。

現在では「花街」は「はなまち」という言い方が一般的であるが、本来正式には「かがい」と言うそうである。これは初めて知った次第である。 

現在、島原には「角屋」(すみや)と「輪違屋」(わちがいや)の2つの揚屋と置屋がある。揚屋は今の料亭にあたるところで、一方置屋は太夫や芸妓を派遣する店である。

■「角 屋」( 京都市下京区西新屋敷揚屋町32 )

■「輪違屋」( 京都市下京区西新屋敷中之町 114 )

旅行の満足度
5.0

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  • JR山陰本線丹波口駅を降り、先ずは「島原住吉神社」へ向かった。大きなビルや民家に囲まれてあまり規模は大きくないが、いかにも古そうな佇まいをしている。

    JR山陰本線丹波口駅を降り、先ずは「島原住吉神社」へ向かった。大きなビルや民家に囲まれてあまり規模は大きくないが、いかにも古そうな佇まいをしている。

  • 島原住吉神社の由来が書かれた碑がある。この碑によると、神社はかつては別の広大な敷地を有し、鎮守の神として崇められ、例祭と共に、太夫や芸妓等の仮装行列である練りものが盛大に行われていた。<br /><br />ところが、明治維新後の廃仏毀釈により、廃社となり、祭神が別な場所に移された。廃社後も人々の崇拝信は篤く、別の場所に祀られることとなった。1903年(明治36)現在地に移されたが、狭い敷地となり、名前も稲荷神社となった。1999年(平成11)、境内の整備がなされ、2年後社名を島原住吉神社と改称し、旧に復することが出来た。

    島原住吉神社の由来が書かれた碑がある。この碑によると、神社はかつては別の広大な敷地を有し、鎮守の神として崇められ、例祭と共に、太夫や芸妓等の仮装行列である練りものが盛大に行われていた。

    ところが、明治維新後の廃仏毀釈により、廃社となり、祭神が別な場所に移された。廃社後も人々の崇拝信は篤く、別の場所に祀られることとなった。1903年(明治36)現在地に移されたが、狭い敷地となり、名前も稲荷神社となった。1999年(平成11)、境内の整備がなされ、2年後社名を島原住吉神社と改称し、旧に復することが出来た。

  • もう一つ「東鴻臚館跡」と書かれた碑がある。平安時代、京都の中央を南北に貫く朱雀大路の七条以北の東西にふたつの鴻臚館が設けられたが、この島原付近は東鴻臚館址に当たる。<br /><br />当時この館を利用したのは、唐ではなく、渤海国の施設に限られた。彼らは大いに歓待され、国威高揚のために用いられたが、920年(延喜20)頃には廃されてしまった。そうした由緒ある顧客接待の場が江戸時代の島原に蘇ったことは単なる偶然とは言えない。

    もう一つ「東鴻臚館跡」と書かれた碑がある。平安時代、京都の中央を南北に貫く朱雀大路の七条以北の東西にふたつの鴻臚館が設けられたが、この島原付近は東鴻臚館址に当たる。

    当時この館を利用したのは、唐ではなく、渤海国の施設に限られた。彼らは大いに歓待され、国威高揚のために用いられたが、920年(延喜20)頃には廃されてしまった。そうした由緒ある顧客接待の場が江戸時代の島原に蘇ったことは単なる偶然とは言えない。

  • 島原住吉神社から歩いて数分のところに江戸時代にタイムスリップしたような街並みが現れた。

    島原住吉神社から歩いて数分のところに江戸時代にタイムスリップしたような街並みが現れた。

  • この建物が江戸時代から続く「角屋」である。角屋は島原開設当初から連綿と建物と家督を維持し続け、江戸時代の饗宴・もてなしの文化の場である揚屋建築唯一の遺構として、1952年(昭和27)国の重要文化財に指定された。<br /><br />現在では、「角谷もてなしの文か美術館」として一般公開されている。

    この建物が江戸時代から続く「角屋」である。角屋は島原開設当初から連綿と建物と家督を維持し続け、江戸時代の饗宴・もてなしの文化の場である揚屋建築唯一の遺構として、1952年(昭和27)国の重要文化財に指定された。

    現在では、「角谷もてなしの文か美術館」として一般公開されている。

  • 角屋の入り口。木造で出来た大きな規模の建物に驚かされた。

    角屋の入り口。木造で出来た大きな規模の建物に驚かされた。

  • 中に入ると、先ず帳場があるのに目についた。ここは当時客が支払いをしたところなのだろう。

    中に入ると、先ず帳場があるのに目についた。ここは当時客が支払いをしたところなのだろう。

  • 館内を見て回ると、見たことがないようなものがたくさん置かれている。正面の神棚は稲荷大明神を祀ったものである。

    館内を見て回ると、見たことがないようなものがたくさん置かれている。正面の神棚は稲荷大明神を祀ったものである。

  • 例えば、これなどはじめて見るものである。帳場のすぐそばに客の刀を一時預かる棚がある。

    例えば、これなどはじめて見るものである。帳場のすぐそばに客の刀を一時預かる棚がある。

  • 客から預かった刀を帰るまでこの箪笥 (刀箪笥)の中に収めたそうである。

    客から預かった刀を帰るまでこの箪笥 (刀箪笥)の中に収めたそうである。

  • 2階へ上がる階段が見えるが、箱階段である。残念ながら、この日は2階を見学することは出来なかった。

    2階へ上がる階段が見えるが、箱階段である。残念ながら、この日は2階を見学することは出来なかった。

  • 中庭には大きな井戸がある。勿論今は使われていないが、上の方に滑車が見える。

    中庭には大きな井戸がある。勿論今は使われていないが、上の方に滑車が見える。

  • 座敷の方へ移動した。このお座敷は客をもてなすために用いられた。

    座敷の方へ移動した。このお座敷は客をもてなすために用いられた。

  • 長谷川等雲作の襖絵「唐子の図」(全体図)がある。

    長谷川等雲作の襖絵「唐子の図」(全体図)がある。

  • 上記の右側の唐子の部分を拡大してみた。

    上記の右側の唐子の部分を拡大してみた。

  • 松の間

    松の間

  • 見事な襖絵「金地桐の鳳凰図」がある。これは幕末期の絵師岸連山(1804~71)の筆によるもので、戦後ここに置かれたそうである。

    見事な襖絵「金地桐の鳳凰図」がある。これは幕末期の絵師岸連山(1804~71)の筆によるもので、戦後ここに置かれたそうである。

  • 右襖の太い木の部分を拡大してみたが、幹から延びる可憐な花が美しい。

    右襖の太い木の部分を拡大してみたが、幹から延びる可憐な花が美しい。

  • クジャクの絵の部分を拡大してみた。

    クジャクの絵の部分を拡大してみた。

  • 庭の奥の方に茶室が見える。

    庭の奥の方に茶室が見える。

  • 庭の真ん中に「臥龍松」が大きな枝を幾重にも伸ばしている。

    庭の真ん中に「臥龍松」が大きな枝を幾重にも伸ばしている。

  • 「八方」(はちほう)という照明器具がぶり下げられているが、ここには電灯ではなくろうそくが点されていた。

    「八方」(はちほう)という照明器具がぶり下げられているが、ここには電灯ではなくろうそくが点されていた。

  • 大きなかまどがいくつもある炊事場は大変広い。この炊事場は広さが50畳もある。

    大きなかまどがいくつもある炊事場は大変広い。この炊事場は広さが50畳もある。

  • 井戸のそばに一本の大きな木があるが、途中で切られている。

    井戸のそばに一本の大きな木があるが、途中で切られている。

  • ここが正式な玄関で、客はここから出入りしていた。

    ここが正式な玄関で、客はここから出入りしていた。

  • ふと屋根に目がいき、瓦の造形が見事だ。

    ふと屋根に目がいき、瓦の造形が見事だ。

  • なかなか立派な暖簾であるが、角屋の家紋を染め抜いたものだろうか。

    なかなか立派な暖簾であるが、角屋の家紋を染め抜いたものだろうか。

  • 暖簾と同じ形をした飾り(?)が壁に切り抜かれている。

    暖簾と同じ形をした飾り(?)が壁に切り抜かれている。

  • 係りの人が教えてくれた。柱に刀傷があり、これは新選組によるものだそうだ。

    係りの人が教えてくれた。柱に刀傷があり、これは新選組によるものだそうだ。

  • 見学を終えて、外に出た。改めて角屋の規模の大きな揚屋であることが再認識できた。

    見学を終えて、外に出た。改めて角屋の規模の大きな揚屋であることが再認識できた。

  • もう一つの置屋である「輪違屋」へ向かった。その途中、昔ながらの商家があった。この辺りではもうこうした建物は全然なかかった。

    もう一つの置屋である「輪違屋」へ向かった。その途中、昔ながらの商家があった。この辺りではもうこうした建物は全然なかかった。

  • ある民家の玄関戸の前に初めて目にするようなのが置かれていた。一体何なんだろうか。

    ある民家の玄関戸の前に初めて目にするようなのが置かれていた。一体何なんだろうか。

  • 「島原大門」をくぐった。これはいわば島原のわずかに残された遺構とも言うべきものである。

    「島原大門」をくぐった。これはいわば島原のわずかに残された遺構とも言うべきものである。

  • ここが「輪違屋」である。島原で残っているもう一つの花街の建物である。

    ここが「輪違屋」である。島原で残っているもう一つの花街の建物である。

  • ここは現在でもお茶屋業として営業しているために通常は非公開である。

    ここは現在でもお茶屋業として営業しているために通常は非公開である。

  • 輪違屋の説明板がある。

    輪違屋の説明板がある。

  • ここは入り口から入った上がりまちで、中央の暖簾の奥に座敷がある。

    ここは入り口から入った上がりまちで、中央の暖簾の奥に座敷がある。

  • ここが座敷である。

    ここが座敷である。

  • 座敷奥に近藤勇の書が屏風仕立てで置いてある。

    座敷奥に近藤勇の書が屏風仕立てで置いてある。

  • 襖に達筆な文字で書かれた手紙がいくつも張られている。これらは当時の大夫が常連の客にあてて書かれた手紙である。

    襖に達筆な文字で書かれた手紙がいくつも張られている。これらは当時の大夫が常連の客にあてて書かれた手紙である。

  • こちらも流麗な文字で綴られ、恋の歌を表しているようである。

    こちらも流麗な文字で綴られ、恋の歌を表しているようである。

  • 手の込んだ照明器具がある。

    手の込んだ照明器具がある。

  • 中庭

    中庭

  • この階段を上がって2階へ向かった。電気がついていなかったので、少々覚束ない足取りになってしまった。

    この階段を上がって2階へ向かった。電気がついていなかったので、少々覚束ない足取りになってしまった。

  • 階段はかなり急であるが、花魁や芸妓は上り下りするのにかなり困難を極めたものと思われる。

    階段はかなり急であるが、花魁や芸妓は上り下りするのにかなり困難を極めたものと思われる。

  • 道中傘を襖に描いた「傘の間」があり、まるで意表を突くような迫力があった。<br /><br />

    道中傘を襖に描いた「傘の間」があり、まるで意表を突くような迫力があった。

  • 帰路丹波口駅に向かう途中、いくつか古い家屋があるのに気が付いた。

    帰路丹波口駅に向かう途中、いくつか古い家屋があるのに気が付いた。

  • こちらも古い建物であるが、今はカフェとして使われているようである。一休みしたいと思ったが、この日は団体予約でけの営業であった。

    こちらも古い建物であるが、今はカフェとして使われているようである。一休みしたいと思ったが、この日は団体予約でけの営業であった。

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この旅行記へのコメント (2)

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  • 白い華さん 2018/08/18 22:15:30
    京都 島原・・・は 「品格!ある 花街」デスネ。
    今晩は。
    海外生活が 長かったそう、ですが、 
    「日本の 歴史ある・・・場所。を 素敵!に 旅されて 楽しんでいる」のが 伝わります。
    そんな 場所!は 私も 興味ある・・・所。 

    今回の、「京都 島原」。 なかなか、東京から 行かれない!ので  
    とても面白く、 拝見させてもらいました。

    江戸時代の 武士達が 「休息。 次の 英気を 養う!花街」は、
    派手な 装飾美。 しかし、さすが・・・は 「都! 京都」を 想わせる
    「上品さ」が あり、 様々な しつらえ。 お部屋の 様子。と、興味深く 
    「解説」を 楽しみました。

    大店!の 二軒。が 残ってて、 ひとつ!は 一般公開されている。って 有り難い!ですね。
    これからも、「素晴らしい~! お話・・・と 素敵な お写真」で ご紹介!くださいね。   これからもよろしくお願いします。

    Weiwojing

    Weiwojingさん からの返信 2018/08/19 08:01:03
    Re: 京都 島原・・・は 「品格!ある 花街」デスネ。
    白い華さん、おはようございます。

    昨日は心のこもったメッセージをありがとうございます。今まで海外での生活を経験してきて、いざ日本に戻ってくると、これまであまり日本国内を歩いていないということに気が付きました。

    日本のいろいろ素晴らしいところはたくさん知っていましたが、実際は訪れたことはなく、ただ知識として知っているだけでした。そこでこれからは日本の伝統的な建物や街並みを見てみたいと考え、計画し、先ずは京都をと考え、情報を集めてみました。

    そうしたところ今回の2カ所に目がいき、訪ねた訳です。京都の花街と言えば、祇園ですが、もうひとつ島原もあったのですね。ただ後者は今は衰退し、わずかに2軒の揚屋と置屋があるのみです。どちらも江戸時代から続く店で、その時期の歴史との関わりも秘めていて、大いに勉強になりました。

    これからも過去の歴史との関わりのある場所や建造物を訪ねてみたいと考えています。少しでも参考になればと思います。今後とも見ていただけると、うれしいです。

    ありがとうございました。

    Tamegai

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