若桜・智頭から津山、美作・佐用、児島・井原線の旅(二日目)~桜千本が美しい津山城に本格的な大名庭園衆楽園は、森蘭丸の弟、森忠政が残した誇るべき遺産。城東地区の華麗な街並みに幕末の人材輩出も注目に値するものがあるでしょう~
2018/04/29 - 2018/04/29
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今日は、一日をたっぷりとかけて津山の市街を回ります。宿で自転車を借りたことで、中心部から郊外まで。範囲はぐっと広がって、意外な発見もあったかなと思います。
ただ、やっぱりメインは津山城ですよね。
現在の津山城を築いたのは、森忠政。森氏はもともと織田信長の家臣ですが、以降の戦乱を生き抜いて、津山藩18万石を立藩する。歴史の表舞台に登場するのは、小牧・長久手の戦い。秀吉と家康の戦いですが、その緒戦において、家康につくとみられていた織田家譜代の家臣、池田恒興が寝返り犬山城を占拠する。ここまでは秀吉側の勢いがあったのですが、その後、家康領に深入りし過ぎた池田恒興と森長可(忠政の父)は、長久手の戦いで討ち死にしてしまう。小牧・長久手の戦いは、実質的に家康の勝利という評価となった戦いです。
ただ、歴史の面白さはここからの方。父と兄を家康に討たれた池田恒興の次男、輝政ですが、池田家の家督を継ぐと、秀吉の仲介によって、徳川家康の次女、督姫を娶る。しかし、これが家康との関係を固め、出世の糸口となり、姫路藩から岡山藩、鳥取藩へといった大藩の藩主へと繋がります。森家も織田家の家臣。いったんは秀吉に臣従するものの早くから家康に接近し、津山藩の藩主におさまるのはよく似ていますね。そして、森家の一番の有名人は、森蘭丸。織田信長の近習で、本能寺の変では信長と最期を共にしています。森忠政は、その森蘭丸の弟にあたります。
森家は江戸中期には断絶。後半は越前松平家系の松平氏に代わって、明治を迎えることになります。ちょっと長くなりましたが、しかし、今でも津山では松平家よりもこの森家へのアイデンティティの方が大きいような気がします。
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早朝、前泊した津山グランドホテルを出発。
吉井川を越えて、 -
まずは、知新館へ。
門前にここは第35代内閣総理大臣平沼騏一郎の生誕地であることを示す石碑が建っています。
この建物は別邸として建てられたもの。あまり古さを感じることはないし、現在は市立津山郷土館として活用されています。
ということで、朝早かったので、塀に囲まれた施設を外から確認しただけになりましたが、塀に囲まれた施設はオープン。誰でも自由に利用できるようです。 -
イチオシ
続いては、作州民芸館は、津山市街の南西部。城下町の面影を残すエリアとしてはこの辺りが端になると思います。
寺も多い地区ですが、そこにいきなりといった感じで建つ大正のルネサンス調デザイン。堂々とした大きさもあって、厳格な左右対称のデザインは華やかさというより、重々しい感じでしょうか。明治42年に土居銀行という銀行の建物として建てられた建物です。
なお、内部の展示は郷土玩具とかです。 -
イチオシ
そして、この辺りで見逃してならないのは中島病院旧本館。
正面にポーチが張りだし、そこにコリント式オーダーのバルコニーが重なって、そのまま上部にはドーム屋根を頂く堂々とした建物。石造りのように見えて、実際は木造建築なんですが、大正6年に建てられたこの建物。ベージュの色調に鼠色のラインも美しいし、なかなかに華やかな意匠です。
NHK朝の連続小説「あぐり」のロケでも使われたもの。津山はいいものがあるなとちょっと感銘を受けました。 -
割烹旅館 宇ら島は、家族でやっている津山市街の旅館。館内は、灯りや絵などそこここに女性らしい気配りの装飾が施されていて、家族連れなんかには安心感もあると思います。
今晩の泊りはここ。ちょっと無理を言って、ここで今日市内を回るレンタサイクルを頼んでおいたんです。ここからは、自転車。津山は広いし、これでなんとか回れるめどが立ちました。 -
安国寺には石林園という津山市指定の名勝庭園があります。
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しかし、境内を見渡してもそれらしい様子はない。
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山門を入ってすぐの、第35代内閣総理大臣平沼騏一郎の墓は見つけましたが、しばらくうろうろしてしまいました。
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なんとか、本堂の裏手。日当たりの悪いような場所に庭園を見つけましたよ~
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その庭は池を中心に石組がしっかりした本格的なもの。
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イチオシ
田舎の庭だと思ったら、全然違います。見ごたえがあって、これはいいものを見せてもらいました。
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鶴山八幡宮は、津山市北部の大産土神。
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もともとは現在の津山城がある鶴山山上にあったのですが、森忠政が津山藩主として入府した際、鶴山を城としたため、こちらに移されました。
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がっちりした石の鳥居から門を入って本堂まで。
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ここも小山になっているので、全体として、かつての雰囲気を継承しているのかもしれません。
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イチオシ
そのまま、近くの津山高等学校旧本館へ。津山高校の敷地の中に建つ建物は、薄いベージュを基調として、規則正しく並んだ出窓に
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正面には時計台を頂く堂々とした建物は、明治33年、旧制中学校の校舎として建てられたもの。岡山は閑谷学校でも知られる教育県ですが、津山市もその伝統をしっかり持った土地柄なのだと感じました。ここで学ぶ学生たちに、今でもよい影響を与えているのではないかと思います。
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ここから、改めて、北に向かいます。ここでも、もう自転車がなかったら来れないエリアでしょう。
つまり、美作総社宮は、津山市街の北のはずれ。 -
総社というのは、国司が国内の神社をすべて回ることが難しいので、すべての神社を合祀して、いっぺんに回るためのもの。
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それが残っているところは限られると思いますが、ここは立派な社殿があって、現役そのままといった趣。石の鳥居から直線の参道とその先からの石段を上がって本殿という、
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イチオシ
そのスケール感も素晴らしいと思います。
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さらに北に向かって、今度は神楽尾公園。かつて城もあったという小高い山の上です。
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上る途中のつつじの見事な植え込みに、
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上がりきると津山市街を望む見晴らし台も。
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必要以上に手が入っていない、自然が程よく残っている公園です。
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ここから、市街を時計回りに回って、北東部に向かいます。
つゝやは、津山市街のちょうど北の方。
五大北天まんじゅうというのを一本でやっているお店です。 -
いわゆる黒糖まんじゅうというジャンルなんですが、プルンプルンの皮にすっきりした甘さの餡子が秀逸。このプルンプルンは葛か何かが入っているんだと思いますが、その程よさが絶妙。さっきの宇ら島でも茶菓子として出されていて、津山を代表するおまんじゅうです。
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そこから中山神社に向かう途中の国道沿い。大手門は、駐車スペースも広くて大きな構えのお菓子屋さんです。
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いただいたのは、酒饅頭。できたてですという酒饅頭でしたが、酒粕を入れた饅頭。麹菌で膨らませる本当の酒饅頭ではないですが、酒粕タイプの饅頭としては悪くない。職人タイプのご主人が応対してくれました。
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中山神社が近づいてきて、この下駄屋さんって、ド迫力ですけど。。なんですかあ。まだ店は開いていませんでしたが、店内にはそれらしい下駄がたくさん。存在感が半端ではないお店です。
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そして、中山神社に到着。
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ここは、和銅6年(713年)美作国が備前国から分立した時に創建されたとも伝わる美作国の一宮。
ついでに触れると、吉備国は、備前、備中、備後と三つに分かれていて、これは越前、越中、越後と三つに分かれた越国と二つしかない事例。美作が備前から別れたということは吉備国は実質四つだったということになりますよね。
しかし、それと同様、越国の方も、加賀と能登が分かれているので、こちらは五つ。越国も吉備国も進化の歴史があるということです。 -
樹齢800年のケヤキに樹齢500年のムクノキといった名木百選も面白いし、
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鳥居から本殿に続く悠々とした参道に境内はスケールが大きくて、津山にある神社でも別格かなと思います。
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それから、津山市街から訪ねる途中の風景。川沿いに近づいて行くとどんどん辺りの風景が穏やかになっていく。
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ちょっと別天地にやってきたというような雰囲気があって、それもけっこう印象に残りました。
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そして、市街北東部の最後は、沼弥生式住居跡。中心部と比べるとけっこう標高は高くなっていると思いますが、
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遠くに津山市街を望む見晴らしのいい場所に復元された竪穴式住居が建っていて、かつ、一帯はつつじの植え込みが美しい公園のような感じ。
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駐車場も広いし、ピクニック気分で気軽に訪れることができる史跡です。
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史跡に離接して建つのは津山弥生の里文化財センター。
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さきほどの沼弥生式住居跡の発掘品を中心に展示していますが、それだけではなくて、死者を埋葬した棺の焼き物や
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おびただしい数の土器類をきれいに整理して展示していました。
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また、それと合わせて、レトロな生活道具などもかなり所蔵。スペースにかなり余裕があるので、なんでもかんでもみたいになっているのかなと思います。
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さて、ここから中心部に戻りますが、その前に。
この旬菓匠 くらやは、B'zの稲葉浩志さんのお兄さんが社長を務めているとかでちょっと話題になっているホットスポット。 -
お菓子屋さんといっても、大通り沿いに建つ巨大な建物で、店内も悠々と広いです。
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看板の出ていた柏餅をいただきました。まあ、悪くはないけど普通かな。しかし、この立派な構えにはちょっと驚きます。
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衆楽園まで戻ってきました。ここからは、スタンダードな観光コースです。
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津山城から少し北に離れた場所になりますが、津山藩二代藩主、森長継が造営した池泉廻遊式の大名庭園。
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無料開放されていて、誰でも自由に散策が楽しめます。
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岡山と言えば後楽園が有名ですが、ここもなかなか本格的。広大な池を中心に
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順路を進むと次々と新しい眺めが現れるという、大名庭園としての基本的な風格を備えていて、侮れませんね。
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周囲を山に囲まれた津山では借景を使う方が自然だと思うのですが、それは一切なし。
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山なんか見飽きていて、もしかして、それのない方が津山では別天地感が出るとしたのかも。
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イチオシ
中国山地のど真ん中。これだけ山に囲まれた土地で、どこまでも続くような広々感を楽しむことで、山をまったく意識させない庭園。それを目指したのだとすれば、
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それこそが大名らしい力を示す真の贅沢なのかもしれません。
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衆楽園から津山城へ。
私は、子供のころに一度来たことがあるのですが、その時、ここで鮮やかな色の玉虫を見つけまして、それがちょっと強烈な思い出。私にとっては、津山城といえば玉虫。そんな思い出の地です。 -
傍らに建つのは、津山文化センター。
昭和40年に建てられた鉄筋コンクリート造りの本格的ホールですが、寺社建築に見られる斗?痴(ときょう)構造が特徴の名物建築。ただ、深い軒の重さを支えるという基本的なニーズではなく、意匠としてのものではあります。 -
ここからだと裏門になりますが、入場料を払って、中へ。
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関ヶ原の戦いの後、ほどなく越前を領していた小早川秀秋の逝去を受け、もともとは織田信長の家臣だった森家の一族、森忠政が18万6千石で入封し津山藩が立藩します。
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その森忠政が当時鶴山と呼ばれたここに本格的な築城を開始。
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その後、13年の歳月をかけて、天守、櫓、城門など80余棟が建ち並ぶ近世城郭を作り上げるわけです。
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現在、その数多くの建物はほとんど残っていませんが、
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跡に残った広い平地に桜や紅葉がたくさん植えられていて、
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びっくりするくらい緑豊かな城。
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樹木は成長すると石垣を壊したりする害もあると思うのですが、
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イチオシ
それをものともしないで美しい眺めがあちこちで見られる。
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ここまで緑と調和した城もなかなかないのではないかと思います。
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なお、津山城を築城した森家ですが5代で断絶。その後は、越前松平家が10万石で入封し、幕末まで続きます。
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ちなみに、越前松平家というのは、家康の次男、秀康を家祖とする一門。秀康は秀吉の養子となった後、秀頼が生まれたことで関東の名門、結城家に養子として出されていたため、徳川家の家督は継げなかったのですが、関ヶ原の戦いの後は、越前で75万石の大身となります。
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しかし、その長男、忠直の不出来があって、分割。少し紆余曲折はありますが、以下のようになる。
津山松平家(美作国津山藩10万石) - 秀康の長男忠直の子孫
福井松平家(越前国福井藩32万石) - 秀康の次男忠昌の子孫
松江松平家(出雲国松江藩18万石) - 秀康の三男直政の子孫
前橋松平家(上野国前橋藩17万石) - 秀康の五男直基の子孫
明石松平家(播磨国明石藩8万石) - 秀康の六男直良の子孫 -
宗家は福井藩というのが定説ですが、津山であるという主張も間違っているとは言い切れない。
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途中で、将軍家から養子を迎えていることもあって、家格にかなりの誇りを持っていたこともうかがわれます。
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ただ、例えば、福井藩の松平春嶽や
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松江藩の松平不昧公といった地元の誇りとなった藩主は生んでいない。
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今でもリスペクトを集めるのは、森忠政のような気がします。
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天守閣跡を
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少しチェックして
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その後は、
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やぐらの中にある
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展示室へ。
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森忠政の築城のすごさを紹介するビデオがあって、
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それが必見かなと思います。
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やぐらからは、場内の緑が眼下に広がって。
改めて、緑の豊かさが実感されました。 -
津山城の後は、城東地区へ。
作州城東屋敷は、江戸時代の町家を活用した無料休憩所。城東地区はこの建物のほかにも多くの古い町家が軒を並べていて、そういう意味ではここだけが特にという建物ではありません。 -
しかし、ここでは係の女性がいて、少し地域の話もしてくれる。
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建物の気持ちよさもなくはないですが、むしろそっちの方で気持ちが安らぐ感じがしました。
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城東町は、文字通り津山城の東側市街。出雲街道沿いに1キロ以上に渡って、古い町家が立ち並ぶ。想像以上に美しくて整っているという感じですが、これは多くの町家が揃って残っているがゆえに生まれる景観。さすが保存地区といった迫力です。
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こちらは、箕作阮甫旧宅。
箕作阮甫というのは、幕末に活躍した洋学者。江戸幕府直轄の洋学研究教育機関である蕃書調所の教授職に登用され、種痘館の成立にも携わり、後の東京大学医学部の基礎を築いたのだとか。 -
玄関を入って、
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裏庭に出た奥の蔵の中に、
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こうした功績を詳しく紹介する展示がありました。
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ただ、ここは、津山藩。なんでここに?という感もありましたが、津山は箕作阮甫だけではない。かなり厚みを持った人材が輩出したことを知って、ちょっと驚きました。
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それをより知ることになったのは津山洋学資料館。町家の立ち並ぶ城東地区にあって、広い敷地と近代的な建物で目立っています。
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展示内容も圧巻。
幕末の洋学を巡る時代背景から、「津山洋学五峰」と称される宇田川玄随、宇田川玄真、宇田川榕菴、箕作阮甫、津田真道の功績を紹介していますが、 -
その充実ぶりにはなんだか長崎にでもいるみたいな感覚になる。津山のイメージが一変するような気持ちになりました。
司馬遼太郎は、幕末、優秀な人材を輩出したのは体制に胡坐をかいていた譜代の藩ではなくて外様の藩の方だったと論じていましたが、津山藩はどう理解すればいいのでしょうか。岡山藩は有名な閑谷学校があったし、明治になってから旧制高校六高が置かれた教育県ですが、これなら津山もまんざら負けていないなという印象です。 -
続いては、城東むかし町家。商家であった旧梶村家の住宅です。
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城東町は、外観からすると同じような町家がいくつもあるのですが、
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ここは平たく言えば、その中でも特に金をかけた趣味のお屋敷。
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数寄屋造りの離れ座敷は
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書院や
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ぐるりの縁、欄間など、
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ちょっとひねりの効いた意匠が随所にあって、係の人が丁寧に説明してくれます。
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母屋は元禄時代に建てられた町家のはずなんですが、ただ、そんなに古さは感じない。しっかりした造りだとモチも違うんでしょう。
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なお、この梶村家は、吉井川の水運を利用して商いを行い、明治に入ってからは、津山藩から命じられ、藩札の発行もしていたのだとか。津山を代表する豪商だったんですね。
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つづいては、蔵のギャラリー。
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ほー。土人形のコレクションですか。
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土人形なんか安価だし、本来庶民の楽しみ。
豪商の家が目をつけるようなジャンルではないんですけどねえ。 -
イチオシ
ただ、簡単に手に入る分、逆にセンスも問われるものでしょう。
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そういう視点で眺めると、なかなかのセンスが窺われる美しい人形たち。
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この辺りは、七福神のシリーズですが、
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恵比寿さんでも
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それぞれ趣きと美しさがあって、
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私にとってはたまりませんよ~
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しばし、
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うっとりと眺めて
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楽しませてもらいました。
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棟方志功の作品も、単純に美しい作品。
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誰が見ても楽しめる作品だと思います。
すっかりいい気分になりました。ありがとうございます。 -
最後に、中庭から
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さっきの離れとかを
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確認して
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おしまいです。
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ここで昼飯にしましょうか。
橋野食堂は、有名人も訪ねるという大人気のホルモンうどんのお店。さすが、津山の名物店。この日も長い行列が出来ていました。 -
イチオシ
いただいはのは、シングルのホルモンうどん。惜しげもなく大きな塊のホルモン(小腸)がデン、デン、デンと乗っていまして。。そのホルモンの脂がなんともジューシーでとっても柔らか。こんなのがあるんだあというくらいびっくりのおいしさです。
ただ、そのホルモンはあまりにもうまいので、うどんと合わせて食べなくても、なにかもっとおいしく食べられる方法はあるのかも。それくらい、ホルモンのおいしさは抜群で、際立っていると思いました。 -
橋野食堂からの帰り道。和洋菓子ナポレオンです。正直、オンボロな店構えですが、ここは津山ロールを扱うお店なので立ち寄ってみます。
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店内はお菓子よりも、むしろ、プラモデルのようなおもちゃの類がぎっしり。趣味のようですが、おもちゃ屋さんと間違えるほど。変わっています。
津山ロールの方は、黒豆も入ってあっさりした味わい。こっちはまったく正統派です。 -
城東街並み保存地区に帰ってきて、和蘭堂。津山洋学資料館の入口にある町家建物です。
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ソフトクリームをいただきながら、ちょっと休憩。
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牛乳の香りがしっかりしてきちんとした味わい。店内では津山を紹介するビデオも放映されているので、これも見ながらしばし寛ぎました。
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元気が出たところで、再び散策スタート。
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千光寺は、城東町並み保存地区の北側。山門へ向かう石段を上って境内に入ります。
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が、すぐに気が付くのは、寺を覆うように茂った枝垂れ桜。
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花の季節は終わっていましたが、青々とした桜の緑が美しいし、枝垂れた枝振りは目を見張るくらいの見事さ。
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駐車場の方にも何本かありましたが、この枝振りだけでも一見お価値ありかなと思います。
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城東地区のスイーツチェックをもう少し。
これは、フランセ。おしゃれな洋菓子屋さんです。 -
いただいたいたのは、ここでも津山ロール。地元で生産された小麦粉を使ったロールケーキで、津山市内では7~8軒でそれぞれが腕を競って取扱っているんですよね。
こちらは紅茶かなにかで色付けしたグレーの色彩。落ち着いた味わいのロールケーキでした。 -
こちらは、その向かいの京御門。立派な構えの和菓子屋さんです。
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看板商品は、桐襲(きりかさね)というおまんじゅう。桐襲って、津山の何かに関係しているのかと思ったら、それは違うようですが、このきめ細かな白餡の滑らかな味わいがなかなかいいですね。銘菓の風格があると思います。
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なまくらや三代もその近く。町家の渋い店舗です。
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店内には数種類の煎餅。縄のようなひもでくくられたパッケージも見栄えがいいですね。
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煎餅は小麦系の煎餅。津山城に桜の絵が描いてあって、これなら津山のお土産にはぴったり。職人さんが丁寧に作った感もあるし、卵の香りも程よいです。
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城東地区から出てすぐ。千代稲荷神社は、津山城のふもと。山蔭に隠れるように建っています。
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始まりは、承平4年(934年)で、鶴山八幡宮の摂社だったよう。津山城が造られる際、鶴山八幡宮が移転したことで、この神社だけが残ったということですね。
橋に架かる赤い橋も参道の一部。鳥居も本殿も赤で統一されているのが特徴的ですが、入口に大きな赤い提灯が架かっていて、これもかなり目立っていると思います。 -
津山郷土博物館は、津山城の南側。市街の中心です。建物は昭和8年に建てられたアールデコ様式の鉄筋コンクリート造りビル。中央部に塔屋をいただく堂々とした意匠で、昭和57年までは津山市庁舎として使われました。ただ、現在は、耐震工事のためにしばらく閉館中。外観を楽しむしかありません。
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その隣りは、津山観光センター。この辺りは津山市街の中心です。
施設は広い敷地内に建っていて、 -
お菓子類などのおみやげ品を取り扱っている。ちょっと道の駅のような感じでしょうか。お勧めはここでも津山の名物、津山ロール。いろんなお菓子屋さんの津山ロールを紹介しています。
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津山観光センターで割引チケットを取り扱っていて、つやま自然のふしぎ館も訪ねます。津山観光センターの北隣りです。
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地元のキリスト教の団体が運営しているようですが、それはそれとして。
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その内容は途方もないもの。
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世界中の動植物に鉱物資源まで合わせて、
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生命に溢れた地球のなんたるかを教えられるような感覚になってきます。
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津山の歴史とはあまり関係ないかもしれませんが、
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ここまでのものであれば
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間違いなく津山を代表する観光スポットだと思います。
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まったく素晴らしいコレクション。
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子供にはちょっとリアルすぎて怖いくらいかもしれませんが、やっぱりその辺りも含めて、多くの人にちゃんと見てもらえたらと思います。
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ここから少し離れますが、津山まなびの鉄道館に向かいますが、
その途中のNICO。立派なビルの一階に構えたきれいな店舗です。 -
いろんな種類のスムージーを扱っていて、私は、一番人気という「ラズベリー+トマト+ヨーグルト」をいただきました。何も加えていないという自然な味わい。逆に、これなら家でも出来なくはないかなという気もしなくはありませんが、飲んだ後は、喉の渇きが一変に消えて、また元気に街歩きを再開しました。若い女性がけっこう来ています。
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さて、津山まなびの鉄道館に到着。津山駅からだと歩いて10分ほどの距離でしょうか。
昭和11年に建設された扇形機関車庫は今でも現役。規模としても、京都の京都鉄道博物館に次ぐものだそうです。 -
車庫には保存されたレトロ列車が並んでいて、鉄道マニアの聖地といった感じですが、あいにく、私にはその方の趣味はほとんどなし。猫に小判だったかもしれません。
ぼんやりしていると係の人が声をかけてくれたりして、アットホームな雰囲気もあるような気がします。 -
もうかなり疲れているし、ここでもう終わりにするつもりだったんですが、やっぱり気になって。作楽神社にも足を延ばすことにしました。津山市街から西へ3~4キロなんですが、自転車であればなんとかなるでしょう。しかし、途中は坂道もあるし、かなりハード。本当にへとへとですよ~
さて、ここは院庄館跡という美作国守護の館があった場所。後醍醐天皇が元弘の乱の失敗で隠岐に流される際には、ここに宿泊したのだそう。そうした経緯もあって、明治になってから、後醍醐天皇と忠臣、児島高徳を祭神としてこの作楽神社建てられたというわけです。
スカスカの透かし塀がちょっと特徴的ですが、ただ、建物としてはそれくらい。 -
隠岐に流される後醍醐天皇がここに宿泊した時、地元の豪族、児島高徳が天皇を解放しようと試みますが、それは叶わず。しかし、天皇を決して見捨てないという決意を「白桜十字詩」に詠んだというのです。
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これが、白桜十字詩の碑。ほか児島高徳の像もあって、それらも見どころ。
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また、小さな堀で囲まれた敷地内にはかつての庭園跡のような池もあったり、公的な館の跡といった雰囲気は今でもしっかり感じられます。
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津山市街に戻ってきて。
これは、千代堂。比較的遅くまで開いていて、ちょっと助かる存在になっているかも。 -
品数も豊富。
黒糖饅頭をいただきましたが、この餡子もちょっと個性があるような。少し余韻の残る甘さがいいと思います。 -
で、晩飯はとん喜。人気のトンカツ屋さんで、日曜の夜でしたが、この日もほとんど満席でした。
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イチオシ
いただいたのは、みそかつ丼650円。ビジュアル的には、目玉焼きに乗った味噌のタレがインパクトありですが、味噌の味は見た目ほどは濃くありません。キャベツの千切りが敷いてあって、ソースかつ丼風でもあるのですが、それはそれとして。このトンカツの肉のおいしさこそがなかなかのもの。650円では申し訳なくなるようなおいしさでした。
さて、これで今日はおしまい。宿の割烹旅館 宇ら島に帰ります。今晩はゆっくりして、明日は湯郷温泉からのスタートです。
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