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駒ヶ根市赤穂にある天台宗別格本山の古刹です。山号は宝積山(ほうしゃくざん)、院号は無動院、本尊は不動明王(秘仏)を祀り、天台宗信濃五山(顕光寺・善光寺・更科八幡神宮寺・津金寺)のひとつに数えられ、南信州随一の祈願霊場として知られています。<br />開基は、慈覚大師 円仁の弟子 本聖上人と伝わります。比叡山にて研学修行の後、太田切黒川の瀑の中より不動明王の尊像を授かり、860(貞観2年)に開基したとされます。古記録は「高遠城の戦い」など数多の罹災や廃仏毀釈で焼失していますが、武田・羽柴氏の庇護により南信における学問寺としての地位を確立し、江戸時代には徳川家光から地方寺院としては破格の60石の寺領と10万石の大名格を受け、学問寺として隆盛を極めました。明治時代には多くの末寺等が廃寺となり敷地も縮小されましたが、今なお杉の巨木に囲まれた境内に10余棟の堂塔を備えた長野県屈指の大寺です。 <br />また、伊那谷を代表する桜名所の一つに数えられ、仁王門から大講堂付近を中心に樹齢50~200年ほどの約70本の枝垂桜が植えられ、秋には紅葉が魅せます。寂寥とした中にも風情と格式を漂わせ、年間30万人が訪れて美しい庭園風景を愛でています。<br />光前寺のHPです。<br />http://www.kozenji.or.jp/<br />境内マップです。<br />http://www.genbu.gr.jp/genhp/files/kasou/topic/kouzenji/annaizu.html

芳葩爛漫 伊那・諏訪紀行⑨駒ケ根 光前寺(エピローグ)

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2018/04/13 - 2018/04/14

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montsaintmichel

montsaintmichelさん

駒ヶ根市赤穂にある天台宗別格本山の古刹です。山号は宝積山(ほうしゃくざん)、院号は無動院、本尊は不動明王(秘仏)を祀り、天台宗信濃五山(顕光寺・善光寺・更科八幡神宮寺・津金寺)のひとつに数えられ、南信州随一の祈願霊場として知られています。
開基は、慈覚大師 円仁の弟子 本聖上人と伝わります。比叡山にて研学修行の後、太田切黒川の瀑の中より不動明王の尊像を授かり、860(貞観2年)に開基したとされます。古記録は「高遠城の戦い」など数多の罹災や廃仏毀釈で焼失していますが、武田・羽柴氏の庇護により南信における学問寺としての地位を確立し、江戸時代には徳川家光から地方寺院としては破格の60石の寺領と10万石の大名格を受け、学問寺として隆盛を極めました。明治時代には多くの末寺等が廃寺となり敷地も縮小されましたが、今なお杉の巨木に囲まれた境内に10余棟の堂塔を備えた長野県屈指の大寺です。
また、伊那谷を代表する桜名所の一つに数えられ、仁王門から大講堂付近を中心に樹齢50~200年ほどの約70本の枝垂桜が植えられ、秋には紅葉が魅せます。寂寥とした中にも風情と格式を漂わせ、年間30万人が訪れて美しい庭園風景を愛でています。
光前寺のHPです。
http://www.kozenji.or.jp/
境内マップです。
http://www.genbu.gr.jp/genhp/files/kasou/topic/kouzenji/annaizu.html

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
同行者
カップル・夫婦
交通手段
観光バス
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)
利用旅行会社
クラブツーリズム
  • ビアンデさくら亭 駒ヶ根店<br />さくら工房直営店「ビアンデさくら亭」は、精肉店直営のレストラン兼お土産屋さんです。馬刺しや大麦幻豚、信州和牛など、直営店ならではの拘りの肉類が入手できます。

    ビアンデさくら亭 駒ヶ根店
    さくら工房直営店「ビアンデさくら亭」は、精肉店直営のレストラン兼お土産屋さんです。馬刺しや大麦幻豚、信州和牛など、直営店ならではの拘りの肉類が入手できます。

  • ビアンデさくら亭 駒ヶ根店<br />駐車場から中央アルプスを見上げます。<br />雲がなければ、千畳敷カールや宝剣岳など中央アルプスの雄姿を間近に臨むことができたのですが…。

    ビアンデさくら亭 駒ヶ根店
    駐車場から中央アルプスを見上げます。
    雲がなければ、千畳敷カールや宝剣岳など中央アルプスの雄姿を間近に臨むことができたのですが…。

  • 光前寺 <br />高遠桜が残念なことになっていたため、不完全燃焼の我々の心の内を見据えた旅行会社のリカバリーショットが光前寺観光の追加でした。ズバリ、枝垂桜の名所です。このように、沿道も枝垂桜の並木道になっています。<br />お寺の直ぐ脇にある「お菓子の里 信州苑」光前寺店前の第一駐車場にバスを止めて参詣します。護摩団子や赤飯まんじゅうで知られるショップです。<br />第一駐車場は大型バスが5台も留まれば満車状態です。急遽予定変更をした同類項の旅行会社も多いようで、遅い時間に到着するとバス駐車場の確保が困難になります。

    光前寺
    高遠桜が残念なことになっていたため、不完全燃焼の我々の心の内を見据えた旅行会社のリカバリーショットが光前寺観光の追加でした。ズバリ、枝垂桜の名所です。このように、沿道も枝垂桜の並木道になっています。
    お寺の直ぐ脇にある「お菓子の里 信州苑」光前寺店前の第一駐車場にバスを止めて参詣します。護摩団子や赤飯まんじゅうで知られるショップです。
    第一駐車場は大型バスが5台も留まれば満車状態です。急遽予定変更をした同類項の旅行会社も多いようで、遅い時間に到着するとバス駐車場の確保が困難になります。

  • 光前寺 不動滝桜<br />巨大な滝を彷彿とさせる外観から名付けられ、光前寺では「古木の鐘楼桜」と肩を並べる全国区の桜です。<br />「不動滝桜」は、境内ではなく、第一駐車場の向かい、道路を挟んだその先に佇みます。立札もありますが、小さいので見逃さないようにしてください。

    光前寺 不動滝桜
    巨大な滝を彷彿とさせる外観から名付けられ、光前寺では「古木の鐘楼桜」と肩を並べる全国区の桜です。
    「不動滝桜」は、境内ではなく、第一駐車場の向かい、道路を挟んだその先に佇みます。立札もありますが、小さいので見逃さないようにしてください。

  • 光前寺 不動滝桜<br />先代の住職から2代で大切に育ててきた枝垂桜だそうです。<br />しかし、参詣後、不動滝桜の下は哀しいことにバスの駐車場に早変わりしており、下段の桜花が見られない状態でした。観光バス用の駐車場が不足し、「背に腹は代えられない」と言った苦肉の策なのでしょうが、自慢の「不動滝桜」を蔑ろにするのはいかがなものでしょうか?

    光前寺 不動滝桜
    先代の住職から2代で大切に育ててきた枝垂桜だそうです。
    しかし、参詣後、不動滝桜の下は哀しいことにバスの駐車場に早変わりしており、下段の桜花が見られない状態でした。観光バス用の駐車場が不足し、「背に腹は代えられない」と言った苦肉の策なのでしょうが、自慢の「不動滝桜」を蔑ろにするのはいかがなものでしょうか?

  • 光前寺 不動滝桜<br />滝が何段にも流れ落ちるような、迫力ある枝ぶりが見所です。

    光前寺 不動滝桜
    滝が何段にも流れ落ちるような、迫力ある枝ぶりが見所です。

  • 光前寺 仁王門<br />鳳凰の羽を彷彿とさせ、風雅に枝垂てた大木です。<br />光前寺も2018年は早々(4月3日)に桜の開花を宣言しました。駒ケ根観光協会によると、記録が始まった2009年以降では最も早かったそうです。<br />国の名勝の境内には、先代と現住職が植えた枝垂桜が乱れ咲いています。枝垂桜は、複数の樹種があり、咲く時季が多少ずれるため開花宣言から2週間ほど愉しめるそうです。

    光前寺 仁王門
    鳳凰の羽を彷彿とさせ、風雅に枝垂てた大木です。
    光前寺も2018年は早々(4月3日)に桜の開花を宣言しました。駒ケ根観光協会によると、記録が始まった2009年以降では最も早かったそうです。
    国の名勝の境内には、先代と現住職が植えた枝垂桜が乱れ咲いています。枝垂桜は、複数の樹種があり、咲く時季が多少ずれるため開花宣言から2週間ほど愉しめるそうです。

  • 光前寺 仁王門<br />信州では善光寺に次ぐ大寺であり、約1160年という長い歴史を持つ古刹です。<br />仁王門は、切妻造、桟瓦葺、三間一戸、八脚単層門。1944(昭和16)年に突風により大破し、その3年後に再建されています。<br />内部には、室町時代の1528(大永8)年の七乗門院雲慶13代 慶延法眼の作となる阿吽の金剛力士像が安置されています。さすがにこの額縁風景ですので、門の途中で立ち止まって金剛力士像の写真を撮るのは気が引けます。金網で防護されてもいますので…。<br />明治時代以前は仁王門の手前に寺侍の詰所があり、用がある場合はここで取り次ぎをしたそうです。

    光前寺 仁王門
    信州では善光寺に次ぐ大寺であり、約1160年という長い歴史を持つ古刹です。
    仁王門は、切妻造、桟瓦葺、三間一戸、八脚単層門。1944(昭和16)年に突風により大破し、その3年後に再建されています。
    内部には、室町時代の1528(大永8)年の七乗門院雲慶13代 慶延法眼の作となる阿吽の金剛力士像が安置されています。さすがにこの額縁風景ですので、門の途中で立ち止まって金剛力士像の写真を撮るのは気が引けます。金網で防護されてもいますので…。
    明治時代以前は仁王門の手前に寺侍の詰所があり、用がある場合はここで取り次ぎをしたそうです。

  • 光前寺 仁王門<br />位置的には、天気が良ければ中央アルプスと南アルプスが眺められるはずです。<br />この仁王門脇からは中央アルプスの宝剣岳と千畳敷カールが桜花越しに臨めるはずなのですが…。<br />

    光前寺 仁王門
    位置的には、天気が良ければ中央アルプスと南アルプスが眺められるはずです。
    この仁王門脇からは中央アルプスの宝剣岳と千畳敷カールが桜花越しに臨めるはずなのですが…。

  • 光前寺 仁王門<br />暗くて見難いのですが、門の中に山号「宝積山」と書かれた扁額が掲げられています。

    光前寺 仁王門
    暗くて見難いのですが、門の中に山号「宝積山」と書かれた扁額が掲げられています。

  • 光前寺 仁王門<br />ズームアップ撮影による圧縮効果と額縁効果のシナジーをご覧ください。<br />枝垂桜が乱れ咲く様子が圧巻です。

    光前寺 仁王門
    ズームアップ撮影による圧縮効果と額縁効果のシナジーをご覧ください。
    枝垂桜が乱れ咲く様子が圧巻です。

  • 光前寺 仁王門<br />日本人は何故これほどまでに桜に思い入れがあるのでしょうか?<br />日本の文献で花見の初見は、『日本書紀』にある「履中紀」です。履中天皇が磐余市磯池(いはれのいちしのいけ)に船を浮かべて宴を催した際、杯の中に桜の花びらが舞い落ちる情景を描写しています。<br /> 「402年11月、今しも酒を飲もうとしているその時、天皇の持つ酒盃にひとひらの花びらが…」。これほど昔に詩的な表現がなされ、文学的な感性で桜を観ていたことが窺えます。 <br />しかし、11月に桜とは???<br />春と秋の年2回花を咲かせる 「ジュウガツザクラ」だったのでしょう。

    光前寺 仁王門
    日本人は何故これほどまでに桜に思い入れがあるのでしょうか?
    日本の文献で花見の初見は、『日本書紀』にある「履中紀」です。履中天皇が磐余市磯池(いはれのいちしのいけ)に船を浮かべて宴を催した際、杯の中に桜の花びらが舞い落ちる情景を描写しています。
    「402年11月、今しも酒を飲もうとしているその時、天皇の持つ酒盃にひとひらの花びらが…」。これほど昔に詩的な表現がなされ、文学的な感性で桜を観ていたことが窺えます。
    しかし、11月に桜とは???
    春と秋の年2回花を咲かせる 「ジュウガツザクラ」だったのでしょう。

  • 光前寺 参道<br />『日本書紀』にある「允恭(いんぎょう)紀」には、桜を詠った最古の和歌が載せられています。允恭天皇が皇妃への愛を詠った一首です。<br />「花細し 桜の愛で 同愛でば 早くは愛でず我が愛づる子ら」。<br />(同じように愛でるなら、桜のように美しい我が姫を何故もっと早くから愛さなかったのだろうか…。)<br />こうした時代から、元々農耕民族の信仰対象だった桜は宴遊と結び付いて貴族の花になっていきました。

    光前寺 参道
    『日本書紀』にある「允恭(いんぎょう)紀」には、桜を詠った最古の和歌が載せられています。允恭天皇が皇妃への愛を詠った一首です。
    「花細し 桜の愛で 同愛でば 早くは愛でず我が愛づる子ら」。
    (同じように愛でるなら、桜のように美しい我が姫を何故もっと早くから愛さなかったのだろうか…。)
    こうした時代から、元々農耕民族の信仰対象だった桜は宴遊と結び付いて貴族の花になっていきました。

  • 光前寺 参道<br />『万葉集』には、2人の男性から同時に求愛されて苦しみ、死を選んだ「桜児(さくらこ)説話」があります。求婚者同士が命を賭して争う姿を嘆き悲しみ、雑木林で首を吊りました。残された男たちは、彼女の死を悼み、血の涙を流して1首ずつ歌を詠みました。<br />「春さらばかざしにせむと我が思ひし 桜の花は散りにけるかも」。<br />「妹が名に懸けたる桜花咲かば 常にや恋ひむいや年のはに」。<br />『万葉集』の時代までは、このように男性が桜に女性を重ねることが多かったようです。やがて『源氏物語』の花宴の朧月夜の君、更には『花筐(はながたみ)』の照日前の狂気の舞いへと桜花を美しい女性になぞらえたのは、この国の優しき男たちのなせる業でしょうか…。

    光前寺 参道
    『万葉集』には、2人の男性から同時に求愛されて苦しみ、死を選んだ「桜児(さくらこ)説話」があります。求婚者同士が命を賭して争う姿を嘆き悲しみ、雑木林で首を吊りました。残された男たちは、彼女の死を悼み、血の涙を流して1首ずつ歌を詠みました。
    「春さらばかざしにせむと我が思ひし 桜の花は散りにけるかも」。
    「妹が名に懸けたる桜花咲かば 常にや恋ひむいや年のはに」。
    『万葉集』の時代までは、このように男性が桜に女性を重ねることが多かったようです。やがて『源氏物語』の花宴の朧月夜の君、更には『花筐(はながたみ)』の照日前の狂気の舞いへと桜花を美しい女性になぞらえたのは、この国の優しき男たちのなせる業でしょうか…。

  • 光前寺 大講堂(阿弥陀堂)<br />境内一の桜スポットが大講堂前です。まさに桜花爛漫、そんな言葉がぴったりです。巨木ではありませんが、歴史的建造物と一体になって独特の雰囲気を醸し、巨大な1本桜とはまた一味違った趣を魅せます。<br />

    光前寺 大講堂(阿弥陀堂)
    境内一の桜スポットが大講堂前です。まさに桜花爛漫、そんな言葉がぴったりです。巨木ではありませんが、歴史的建造物と一体になって独特の雰囲気を醸し、巨大な1本桜とはまた一味違った趣を魅せます。

  • 光前寺 大講堂<br />阿弥陀如来を祀る阿弥陀堂は、1980(昭和55)年に本尊不動明王の御開帳記念事業として建立されたものです。<br />

    光前寺 大講堂
    阿弥陀如来を祀る阿弥陀堂は、1980(昭和55)年に本尊不動明王の御開帳記念事業として建立されたものです。

  • 光前寺 大講堂<br />ヤエベニシダレの薄紅色が目に鮮やかです。<br />この枝垂桜は、「早太郎35年桜」と呼ばれています。<br />霊犬「早太郎」に由来する名前と思われますが、何故「35年」なのかは未詳です。

    光前寺 大講堂
    ヤエベニシダレの薄紅色が目に鮮やかです。
    この枝垂桜は、「早太郎35年桜」と呼ばれています。
    霊犬「早太郎」に由来する名前と思われますが、何故「35年」なのかは未詳です。

  • 光前寺 参道<br />枝垂桜とレンギョウの共演です。<br />

    光前寺 参道
    枝垂桜とレンギョウの共演です。

  • 光前寺 石碑<br />杉苔と「古木の鐘楼桜」の共演です。<br /><br />『花筐』は、室町時代に世阿弥が創った長編謡曲で、継体天皇と照日前の恋物語をモチーフにしています。継体天皇は、即位する際、寵愛する侍女 照日前に別れの手紙と花筐(花籠)を送り、2人の思い出の場所に桜を植えて「身の代と遺す桜は淡墨よ、千代にその名を栄えとどむる」と詠み、越後から都へ旅立ちました。ある日、紅葉狩りを愉しむ天皇の前に狂女が現れ、漢の武帝と李夫人との悲恋物語を乱れ舞いました。すると天皇は、狂女が手にしている花筐がかつて自分が贈ったものと気付き、照日前を自分の傍らに置く決意をし、彼女を女御にしました。<br />天皇が桜を植えた越前市にある南三里山付近は、照日前と共に過ごした場所と伝えられます。俗に染まるのを畏れて人跡稀な現在地に植え替えられた桜木は推定樹齢500年とされ、「薄墨桜」と呼ばれて親しまれています。天皇が都へ上られた後、花色が徐々に薄くなったことから「薄墨桜」と呼ばれるようになったそうです。<br />因みに、「薄墨桜」と言えば、岐阜県本巣市にある日本三大桜の一つ、根尾谷淡墨桜の方が知名度が高いようです。田中豊編集『真清探當證 真清田神社と継体天皇を結ぶ歴史秘話』によると、こちらも継体天皇が都に呼び戻された時にお手植えされたものとの伝承が残されています。これらの共通性には何か意味があるのでしょうか?

    光前寺 石碑
    杉苔と「古木の鐘楼桜」の共演です。

    『花筐』は、室町時代に世阿弥が創った長編謡曲で、継体天皇と照日前の恋物語をモチーフにしています。継体天皇は、即位する際、寵愛する侍女 照日前に別れの手紙と花筐(花籠)を送り、2人の思い出の場所に桜を植えて「身の代と遺す桜は淡墨よ、千代にその名を栄えとどむる」と詠み、越後から都へ旅立ちました。ある日、紅葉狩りを愉しむ天皇の前に狂女が現れ、漢の武帝と李夫人との悲恋物語を乱れ舞いました。すると天皇は、狂女が手にしている花筐がかつて自分が贈ったものと気付き、照日前を自分の傍らに置く決意をし、彼女を女御にしました。
    天皇が桜を植えた越前市にある南三里山付近は、照日前と共に過ごした場所と伝えられます。俗に染まるのを畏れて人跡稀な現在地に植え替えられた桜木は推定樹齢500年とされ、「薄墨桜」と呼ばれて親しまれています。天皇が都へ上られた後、花色が徐々に薄くなったことから「薄墨桜」と呼ばれるようになったそうです。
    因みに、「薄墨桜」と言えば、岐阜県本巣市にある日本三大桜の一つ、根尾谷淡墨桜の方が知名度が高いようです。田中豊編集『真清探當證 真清田神社と継体天皇を結ぶ歴史秘話』によると、こちらも継体天皇が都に呼び戻された時にお手植えされたものとの伝承が残されています。これらの共通性には何か意味があるのでしょうか?

  • 光前寺 参道<br />仁王門の先の桜並木を過ぎると、風景が切り替わり鬱蒼とした樹齢数百年の杉並木の石畳が100m以上伸びています。昼なお暗く、大講堂の前の桜花の華やかさとは対照的に厳かな凛とした空気が流れています。<br />参道から仁王門へ続く道に延長線上が、丁度夏至に太陽が昇る方角(真東)になるそうです。また、杉並木、境内を囲む林はそのまま木曽山脈へと続いています。

    光前寺 参道
    仁王門の先の桜並木を過ぎると、風景が切り替わり鬱蒼とした樹齢数百年の杉並木の石畳が100m以上伸びています。昼なお暗く、大講堂の前の桜花の華やかさとは対照的に厳かな凛とした空気が流れています。
    参道から仁王門へ続く道に延長線上が、丁度夏至に太陽が昇る方角(真東)になるそうです。また、杉並木、境内を囲む林はそのまま木曽山脈へと続いています。

  • 光前寺 苔の古道<br />立入禁止になっていますが、参道から見事な苔の小路が見られます。この中にヒカリゴケもあるそうです。<br />この先は本坊の客殿に繋がっているようです。

    光前寺 苔の古道
    立入禁止になっていますが、参道から見事な苔の小路が見られます。この中にヒカリゴケもあるそうです。
    この先は本坊の客殿に繋がっているようです。

  • 光前寺 苔の古道<br />境内のほとんどは杉などの大木に囲まれて陽光が遮られ、苔の成育に最適な環境となっています。この古道は苔が地表を覆い、グリーンのベルベット絨毯が敷かれているようです。

    光前寺 苔の古道
    境内のほとんどは杉などの大木に囲まれて陽光が遮られ、苔の成育に最適な環境となっています。この古道は苔が地表を覆い、グリーンのベルベット絨毯が敷かれているようです。

  • 光前寺 古木の鐘楼桜<br />鐘楼の左側にあるのが「古木の鐘楼桜」です。<br />儚げに咲く白の枝垂れが哀愁を帯びさせます。<br />

    光前寺 古木の鐘楼桜
    鐘楼の左側にあるのが「古木の鐘楼桜」です。
    儚げに咲く白の枝垂れが哀愁を帯びさせます。

  • 光前寺 古木の鐘楼桜<br />桜花の色は少し薄いのですが、桜木の姿がとても美形です。<br />

    光前寺 古木の鐘楼桜
    桜花の色は少し薄いのですが、桜木の姿がとても美形です。

  • 光前寺 古木の鐘楼桜<br />華やさはありませんが、妖艶な円熟した美しさを湛えています。

    光前寺 古木の鐘楼桜
    華やさはありませんが、妖艶な円熟した美しさを湛えています。

  • 光前寺 鐘楼<br />鐘楼は、1960(昭和35)年に開山1100年を記念して再建されました。<br />大梵鐘の重量は1340kgあり、近郷第一の巨鐘です。

    光前寺 鐘楼
    鐘楼は、1960(昭和35)年に開山1100年を記念して再建されました。
    大梵鐘の重量は1340kgあり、近郷第一の巨鐘です。

  • 光前寺 三門<br />南信最大規模の三間二重門、入母屋造、柿葺です。江戸時代末期の1818(文政元)年に焼失し、1848(嘉永元)年に美濃国中津川の工匠 横井和泉と藤原栄忠によって再建されたことが軒札から判っています。上層部には仏壇を造り、釈迦如来像を中心に16羅漢などを祀っています。屋根の葺き替え工事を2017年3月に終えています。<br />三門は、1818(文政元)年の焼失以前も2階建ての鐘楼門だったようです。このことから、参道から直接本堂を見ることができないよう、視覚的な障壁の役割を果たしていたと推測されています。<br />左端に見られる三本杉は、幹周6.45m、樹高35m、推定樹齢700年です。

    光前寺 三門
    南信最大規模の三間二重門、入母屋造、柿葺です。江戸時代末期の1818(文政元)年に焼失し、1848(嘉永元)年に美濃国中津川の工匠 横井和泉と藤原栄忠によって再建されたことが軒札から判っています。上層部には仏壇を造り、釈迦如来像を中心に16羅漢などを祀っています。屋根の葺き替え工事を2017年3月に終えています。
    三門は、1818(文政元)年の焼失以前も2階建ての鐘楼門だったようです。このことから、参道から直接本堂を見ることができないよう、視覚的な障壁の役割を果たしていたと推測されています。
    左端に見られる三本杉は、幹周6.45m、樹高35m、推定樹齢700年です。

  • 光前寺 弁天堂(重文)<br />水の流れに囲まれた 弁天堂です。 弁天は七福神の真ん中の神で、水の神です。  <br />伽藍は何度も焼失しており、本堂などの中心的建物はその都度再建されており比較的新しいのですが、弁天堂は現存する建造物で最古のものです。和様と禅宗様(木鼻など)を折衷した室町時代様式を呈し、建築年代は不詳ながら屋根裏から1576(天正4)年修復の墨書が認められた棟木が発見されています。

    光前寺 弁天堂(重文)
    水の流れに囲まれた 弁天堂です。 弁天は七福神の真ん中の神で、水の神です。
    伽藍は何度も焼失しており、本堂などの中心的建物はその都度再建されており比較的新しいのですが、弁天堂は現存する建造物で最古のものです。和様と禅宗様(木鼻など)を折衷した室町時代様式を呈し、建築年代は不詳ながら屋根裏から1576(天正4)年修復の墨書が認められた棟木が発見されています。

  • 光前寺 弁天堂<br />方一間、縁を廻らした入母屋造、銅板葺の小堂宇で、柱は円柱、正面に格子戸、側回りは落板壁と板戸で構成されています。柱上に組まれた斗きょうや木鼻は簡素ですが、室町時代の様式を残しています。<br />宝形造の厨子内には弁財天と十五童子が安置されています。弁財天は八手、十五童子の周りには米俵や大八車、舟、亀が置かれているそうです。尚、弁財天及び十五童子を納める厨子は、1500(明応9)年の七条大倉法眼の作(後世補修)であり、こちらも重文に指定されています。

    光前寺 弁天堂
    方一間、縁を廻らした入母屋造、銅板葺の小堂宇で、柱は円柱、正面に格子戸、側回りは落板壁と板戸で構成されています。柱上に組まれた斗きょうや木鼻は簡素ですが、室町時代の様式を残しています。
    宝形造の厨子内には弁財天と十五童子が安置されています。弁財天は八手、十五童子の周りには米俵や大八車、舟、亀が置かれているそうです。尚、弁財天及び十五童子を納める厨子は、1500(明応9)年の七条大倉法眼の作(後世補修)であり、こちらも重文に指定されています。

  • 光前寺 本堂<br />仁王門から参道を経て三門~本堂へと続く直線状の伽藍配置です。<br />石段の手前左右には池があり、そこに架かる石橋を渡ります。石段の両脇には一対の石燈篭が配され、歴史と風格を感じさせます。静寂な環境と風致は長野県隋一との声もありますが、さすがに桜と紅葉の季節は例外です。<br />秘仏の本尊「不動明王」を祀り、7年に1度御開帳があり威厳に満ちた顔と力強い気を拝することができます。また、内部には、八大童子像や早太郎木像なども安置されています。

    光前寺 本堂
    仁王門から参道を経て三門~本堂へと続く直線状の伽藍配置です。
    石段の手前左右には池があり、そこに架かる石橋を渡ります。石段の両脇には一対の石燈篭が配され、歴史と風格を感じさせます。静寂な環境と風致は長野県隋一との声もありますが、さすがに桜と紅葉の季節は例外です。
    秘仏の本尊「不動明王」を祀り、7年に1度御開帳があり威厳に満ちた顔と力強い気を拝することができます。また、内部には、八大童子像や早太郎木像なども安置されています。

  • 光前寺 本堂<br />主なご利益は、商売繁盛と金運上昇とされています。<br />枝垂桜に因んだ桜絵馬には、何が願掛けされているのか興味津々です。<br />霊犬「早太郎」のパワースポットですから何でもありなのですが、受験合格祈願が多いようです。

    光前寺 本堂
    主なご利益は、商売繁盛と金運上昇とされています。
    枝垂桜に因んだ桜絵馬には、何が願掛けされているのか興味津々です。
    霊犬「早太郎」のパワースポットですから何でもありなのですが、受験合格祈願が多いようです。

  • 光前寺 本堂<br />密教系寺院で不動明王を本尊に祀るのは希であり、そこから発想を飛ばせば、その実態は山岳仏教(修験道)の拠点だったと窺えます。ここは木曽駒ケ岳(2956m)を中心とした修験霊場の適地と言えます。その裏付けとなるのが、「霊犬早太郎伝説」です。山犬=日本狼だとすれば、修験者と日本狼との繋がりには深いものがあります。<br />本堂の左奥には裏山の清水が引かれ「冷水に命も延びるようだ」ということから、「延命水」と呼ばれています。ただし、飲用は「自己責任で!」と記されています。

    光前寺 本堂
    密教系寺院で不動明王を本尊に祀るのは希であり、そこから発想を飛ばせば、その実態は山岳仏教(修験道)の拠点だったと窺えます。ここは木曽駒ケ岳(2956m)を中心とした修験霊場の適地と言えます。その裏付けとなるのが、「霊犬早太郎伝説」です。山犬=日本狼だとすれば、修験者と日本狼との繋がりには深いものがあります。
    本堂の左奥には裏山の清水が引かれ「冷水に命も延びるようだ」ということから、「延命水」と呼ばれています。ただし、飲用は「自己責任で!」と記されています。

  • 光前寺 本堂<br />何度も焼失しており、江戸時代以降の記録では1799(寛政11)年に焼失して1805(文化2)年に再建され、1846(弘化3)年にも再度焼失しています。現在の本堂は、1853(嘉永6)年に再建されたものです。入母屋造、唐破風向拝を持つ柿葺屋根の立派な建造物です。

    光前寺 本堂
    何度も焼失しており、江戸時代以降の記録では1799(寛政11)年に焼失して1805(文化2)年に再建され、1846(弘化3)年にも再度焼失しています。現在の本堂は、1853(嘉永6)年に再建されたものです。入母屋造、唐破風向拝を持つ柿葺屋根の立派な建造物です。

  • 光前寺 本堂<br />向拝懸魚には鳳凰、虹梁の欄間には松と鷹、木鼻には獅子が彫られています。こうした彫刻から、本堂は初代立川和四郎富棟の子 立川2代和四郎治(富昌)の作品と窺えます。冨昌は幕末の左甚五郎とも呼ばれた諏訪の名工です。<br />富昌の彫刻は諏訪大社上社本宮の幣拝殿などが有名ですが、善光寺や愛知県 豊川稲荷、半田の屋台、岐阜県 高山の屋台の彫刻などで立川建築の名を全国的に高めた名工です。

    光前寺 本堂
    向拝懸魚には鳳凰、虹梁の欄間には松と鷹、木鼻には獅子が彫られています。こうした彫刻から、本堂は初代立川和四郎富棟の子 立川2代和四郎治(富昌)の作品と窺えます。冨昌は幕末の左甚五郎とも呼ばれた諏訪の名工です。
    富昌の彫刻は諏訪大社上社本宮の幣拝殿などが有名ですが、善光寺や愛知県 豊川稲荷、半田の屋台、岐阜県 高山の屋台の彫刻などで立川建築の名を全国的に高めた名工です。

  • 光前寺 本堂<br />古来、光前寺は雨乞い信仰の場でした。その中心がお面「青獅子」でした。このお面を持ち出すと雨が降ると信じられてきました。また、木曽駒ヶ岳の中岳山頂付近の大岩を「雨乞石」と称し、その傍らに祠を建てて祈願しました。<br />1888(明治21)年、大規模な山火事が発生し5日5晩燃え続けたため、「青獅子」に雨乞いし、雨で山火事を鎮火したと伝わります。また、1924(大正13)年、大旱魃が発生した折には、「青獅子」を密かに持ち出して駒ヶ岳まで登拝し、霊水濃ヶ池の霊水を振り注いで雨乞いすると突如雨が降りだしたと伝わります。<br />現在の「青獅子」は1620(元和6)年に熱田出身の森満家法眼と小拾郎満泰が住職 法印尊應に奉納したもので、桧材、面長44.5cm、幅39.5cm、高さ29.0cm、彩色仕上げとされ、2013年に市文化財に指定されています。秘宝のため、7年に1度の不動明王の御開帳の時期に公開されています。また、陵王(龍王)や宇転王(優填王)のお面も伝わり、これらを用いた獅子舞が瑠璃寺の本家だとも見られています。何れも市指定文化財です。

    光前寺 本堂
    古来、光前寺は雨乞い信仰の場でした。その中心がお面「青獅子」でした。このお面を持ち出すと雨が降ると信じられてきました。また、木曽駒ヶ岳の中岳山頂付近の大岩を「雨乞石」と称し、その傍らに祠を建てて祈願しました。
    1888(明治21)年、大規模な山火事が発生し5日5晩燃え続けたため、「青獅子」に雨乞いし、雨で山火事を鎮火したと伝わります。また、1924(大正13)年、大旱魃が発生した折には、「青獅子」を密かに持ち出して駒ヶ岳まで登拝し、霊水濃ヶ池の霊水を振り注いで雨乞いすると突如雨が降りだしたと伝わります。
    現在の「青獅子」は1620(元和6)年に熱田出身の森満家法眼と小拾郎満泰が住職 法印尊應に奉納したもので、桧材、面長44.5cm、幅39.5cm、高さ29.0cm、彩色仕上げとされ、2013年に市文化財に指定されています。秘宝のため、7年に1度の不動明王の御開帳の時期に公開されています。また、陵王(龍王)や宇転王(優填王)のお面も伝わり、これらを用いた獅子舞が瑠璃寺の本家だとも見られています。何れも市指定文化財です。

  • 光前寺 本堂 下り龍<br />必見なのが向拝の庇の下の海老虹梁に施された秀逸な彫刻です。薄っすらと色彩が見られますので、かつては極彩色で彩られていたものと窺えます。龍の爪の数は、伝統を重んじた3本爪です。<br />上諏訪の手長神社同様に海老虹梁の上り龍と下り龍は、今にも動き出しそうな気配すら感じられます。<br />また、質素な蟇股の上には、小さいながら立川流の真骨頂となる波模様が彫られています。

    光前寺 本堂 下り龍
    必見なのが向拝の庇の下の海老虹梁に施された秀逸な彫刻です。薄っすらと色彩が見られますので、かつては極彩色で彩られていたものと窺えます。龍の爪の数は、伝統を重んじた3本爪です。
    上諏訪の手長神社同様に海老虹梁の上り龍と下り龍は、今にも動き出しそうな気配すら感じられます。
    また、質素な蟇股の上には、小さいながら立川流の真骨頂となる波模様が彫られています。

  • 光前寺 本堂 下り龍<br />2頭の龍を守り支えるように「力神」が彫られているのもここの彫刻のユニークな点です。何とも言い様のない表情に趣が感じられます。力神は、諏訪立川流が好んだものだそうですので、本堂にも立川流のDNAが受け継がれていることが窺えます。

    光前寺 本堂 下り龍
    2頭の龍を守り支えるように「力神」が彫られているのもここの彫刻のユニークな点です。何とも言い様のない表情に趣が感じられます。力神は、諏訪立川流が好んだものだそうですので、本堂にも立川流のDNAが受け継がれていることが窺えます。

  • 光前寺 本堂 上り龍<br />本尊の不動明王はインドの神です。天台宗や真言宗の密教における最高仏の大日如来の化身とされて重要視され、後に神仏習合の修験道で盛んに信仰され尊重される山の明王です。<br />「お不動さん」と親しく呼ばれますが、目を吊り上げ、右手に宝、左手に縄を持つ憤怒の形相で迦楼羅焔(かるらえん)を背負う恐ろしい姿をしています。剣で魔を砕き、人の煩悩を断ち切り、羂索(けんじゃく)という縄で悪を縛り、煩悩から人々を救い上げるために岩の上で総ての人を救うために動かないから「不動」と言われるそうです。

    光前寺 本堂 上り龍
    本尊の不動明王はインドの神です。天台宗や真言宗の密教における最高仏の大日如来の化身とされて重要視され、後に神仏習合の修験道で盛んに信仰され尊重される山の明王です。
    「お不動さん」と親しく呼ばれますが、目を吊り上げ、右手に宝、左手に縄を持つ憤怒の形相で迦楼羅焔(かるらえん)を背負う恐ろしい姿をしています。剣で魔を砕き、人の煩悩を断ち切り、羂索(けんじゃく)という縄で悪を縛り、煩悩から人々を救い上げるために岩の上で総ての人を救うために動かないから「不動」と言われるそうです。

  • 光前寺 本堂 上り龍<br />中央道駒ヶ根インターのすぐ前に「女体入口」という珍名で有名になったバス停があります。何故こんな露骨な名が付いたかには、諸説あります。有力なのは、近所にある「光前寺」がかつては女人禁制であり、寺に入ることを許されなかった女性たちが待屋で待つ姿から「女待(じょたい)」と名付けられ、それが転化して「女体(にょたい)」となったという説です。<br />他には、光前寺のお坊さんがこの場所で女遊びをしていたからというストレートな説や、中央アルプスが女性の横たわる姿に似ており、その入口に当たるからというロマンチックな説もあります。

    光前寺 本堂 上り龍
    中央道駒ヶ根インターのすぐ前に「女体入口」という珍名で有名になったバス停があります。何故こんな露骨な名が付いたかには、諸説あります。有力なのは、近所にある「光前寺」がかつては女人禁制であり、寺に入ることを許されなかった女性たちが待屋で待つ姿から「女待(じょたい)」と名付けられ、それが転化して「女体(にょたい)」となったという説です。
    他には、光前寺のお坊さんがこの場所で女遊びをしていたからというストレートな説や、中央アルプスが女性の横たわる姿に似ており、その入口に当たるからというロマンチックな説もあります。

  • 光前寺 霊犬早太郎の墓<br />「霊犬早太郎伝説」の主人公の墓です。<br />本堂の南東側にあり、早太郎を偲んで墓前で手を合わせる人が絶えません。本尊 不動明王の化身だったとも言われ、災難除け・厄除けの霊犬として崇められています。<br />石塔はかなり痛んでおり、かつての形を今に留めていないそうです。

    光前寺 霊犬早太郎の墓
    「霊犬早太郎伝説」の主人公の墓です。
    本堂の南東側にあり、早太郎を偲んで墓前で手を合わせる人が絶えません。本尊 不動明王の化身だったとも言われ、災難除け・厄除けの霊犬として崇められています。
    石塔はかなり痛んでおり、かつての形を今に留めていないそうです。

  • 光前寺 霊犬早太郎の墓<br />石塔の前には、前立本尊のようないでたちで小さな犬の石像がチョコンと佇んでいます。<br />遠い昔のエピソードですが、遥々遠州まで村の娘を救いに行った勇敢なる山犬「早太郎」は、今も人々に親しまれ、伝説として語り継がれています。遠江国では悉平太郎(しっぺいたろう)と呼ばれ、駒ヶ根でも疾風太郎(しっぷうたろう)という別名が伝わっています。尚、駒ヶ根市と静岡県磐田市は、「霊犬早太郎伝説」が縁で友好都市の関係にあります。

    光前寺 霊犬早太郎の墓
    石塔の前には、前立本尊のようないでたちで小さな犬の石像がチョコンと佇んでいます。
    遠い昔のエピソードですが、遥々遠州まで村の娘を救いに行った勇敢なる山犬「早太郎」は、今も人々に親しまれ、伝説として語り継がれています。遠江国では悉平太郎(しっぺいたろう)と呼ばれ、駒ヶ根でも疾風太郎(しっぷうたろう)という別名が伝わっています。尚、駒ヶ根市と静岡県磐田市は、「霊犬早太郎伝説」が縁で友好都市の関係にあります。

  • 光前寺 霊犬早太郎伝説<br />墓前には新しい花が供えられ、今なお、皆に親しまれていることが判ります。<br /><br />早太郎は、まんが日本昔話『猿神退治』に登場する霊犬として知られています。<br />山犬が光前寺の縁の下で仔犬を産むと、それを知った和尚は世話をしてあげました。ある日、母犬は一番利口な仔犬をお礼に残して立ち去りました。仔犬は足が速かったことから、「早太郎」と名付けられてかわいがられました。<br />ある日の夕方、裏山に恐ろしい怪物が現れ、子供をさらおうとしました。それを見つけた早太郎は、怪物と戦って子供を助けました。それ以来、村の人たちも早太郎をかわいがるようになりました。その頃、遠州府中(静岡県磐田市)では、秋祭りの夜、少女を木箱に入れて見付天神社の神前へ生贄として差し出す風習がありました。僧 一実坊弁存が不審に思って隠れて見ていると、「信州信濃の早太郎はおらぬか。このことは早太郎に知らせるな」と歌いながら怪物が現れ、娘をわしづかみにして消え去りました。お坊さんは、怪物の歌が忘れられず、早太郎を探して欲しいと旅人に頼みました。旅人は、ある茶屋の老婆から早太郎の話を聞き、光前寺へ行き「早太郎を貸してください」と頼みました。怪物の話を聞いた和尚は、「がんばっておいで」と早太郎を送り出しました。祭りの夜、早太郎は木箱に入れられて差し出されました。やがて怪物がやってきて蓋を開けたとたん、怪物に飛び掛りました。怪物も応戦して早太郎も負傷しましたが、最後の力を振り絞って喉に噛み付くと怪物はばったり倒れました。夜が明け、村人たちが恐る恐るお宮へ行ってみると、老ヒヒが死んでいました。<br />早太郎は、満身創痍で光前寺に辿り着き、和尚の前に座って「ワン」と一声吠えると息途絶えました。和尚は、太い杉の木に囲まれた本堂の左横に穴を掘り、安らかな眠りに就かせました。

    光前寺 霊犬早太郎伝説
    墓前には新しい花が供えられ、今なお、皆に親しまれていることが判ります。

    早太郎は、まんが日本昔話『猿神退治』に登場する霊犬として知られています。
    山犬が光前寺の縁の下で仔犬を産むと、それを知った和尚は世話をしてあげました。ある日、母犬は一番利口な仔犬をお礼に残して立ち去りました。仔犬は足が速かったことから、「早太郎」と名付けられてかわいがられました。
    ある日の夕方、裏山に恐ろしい怪物が現れ、子供をさらおうとしました。それを見つけた早太郎は、怪物と戦って子供を助けました。それ以来、村の人たちも早太郎をかわいがるようになりました。 その頃、遠州府中(静岡県磐田市)では、秋祭りの夜、少女を木箱に入れて見付天神社の神前へ生贄として差し出す風習がありました。僧 一実坊弁存が不審に思って隠れて見ていると、「信州信濃の早太郎はおらぬか。このことは早太郎に知らせるな」と歌いながら怪物が現れ、娘をわしづかみにして消え去りました。お坊さんは、怪物の歌が忘れられず、早太郎を探して欲しいと旅人に頼みました。旅人は、ある茶屋の老婆から早太郎の話を聞き、光前寺へ行き「早太郎を貸してください」と頼みました。怪物の話を聞いた和尚は、「がんばっておいで」と早太郎を送り出しました。 祭りの夜、早太郎は木箱に入れられて差し出されました。やがて怪物がやってきて蓋を開けたとたん、怪物に飛び掛りました。怪物も応戦して早太郎も負傷しましたが、最後の力を振り絞って喉に噛み付くと怪物はばったり倒れました。夜が明け、村人たちが恐る恐るお宮へ行ってみると、老ヒヒが死んでいました。
    早太郎は、満身創痍で光前寺に辿り着き、和尚の前に座って「ワン」と一声吠えると息途絶えました。和尚は、太い杉の木に囲まれた本堂の左横に穴を掘り、安らかな眠りに就かせました。

  • 光前寺 三重塔<br />南信唯一の三重塔であり、長野県宝に指定されています。<br />高さ17.6mあり、均整のとれた造形美と繊細な彫刻の美しさが高く評価されています。現在のものは1808(文化5)年の再建で、諏訪の名宮大工 初代立川和四郎富棟とその子の立川2代和四郎富昌の手になります。屋根は三層銅板葺、初層と2層は2重の繁垂木、3層は2重の扇垂木を用い、こうした手法が美的効果を一層高めています。

    光前寺 三重塔
    南信唯一の三重塔であり、長野県宝に指定されています。
    高さ17.6mあり、均整のとれた造形美と繊細な彫刻の美しさが高く評価されています。現在のものは1808(文化5)年の再建で、諏訪の名宮大工 初代立川和四郎富棟とその子の立川2代和四郎富昌の手になります。屋根は三層銅板葺、初層と2層は2重の繁垂木、3層は2重の扇垂木を用い、こうした手法が美的効果を一層高めています。

  • 光前寺 三重塔<br />柱にはケヤキを用い、円柱や側回りに縁長押や半長押、内法貫、頭長押を廻らしています。中央の柱間に桟唐戸、両脇に連子窓を配し、組物は左右脇に尾垂木を用いた三手先、その間は中備間斗束を配する懲りようです。2層は平三斗腰組付の縁に勾欄を廻らしています。相輪は鋳鉄製とし、頂部の水煙や宝珠も均衡が取れており、この塔の美しさを助長しています。内部には 五智如来を安置しています。<br />立川流の「波」の彫刻が見られます。立川流の真骨頂は、角度を付けて見ないと見られないような波の奥にも波を彫る職人気質です。

    光前寺 三重塔
    柱にはケヤキを用い、円柱や側回りに縁長押や半長押、内法貫、頭長押を廻らしています。中央の柱間に桟唐戸、両脇に連子窓を配し、組物は左右脇に尾垂木を用いた三手先、その間は中備間斗束を配する懲りようです。2層は平三斗腰組付の縁に勾欄を廻らしています。相輪は鋳鉄製とし、頂部の水煙や宝珠も均衡が取れており、この塔の美しさを助長しています。内部には 五智如来を安置しています。
    立川流の「波」の彫刻が見られます。立川流の真骨頂は、角度を付けて見ないと見られないような波の奥にも波を彫る職人気質です。

  • 光前寺 三重塔<br />江戸時代建立の塔にしては、過剰な装飾を排除した端正な塔と言えます。<br />初層の隅にある尾垂木の龍首や中備えの説話風の彫刻も、興味深いものがあります。

    光前寺 三重塔
    江戸時代建立の塔にしては、過剰な装飾を排除した端正な塔と言えます。
    初層の隅にある尾垂木の龍首や中備えの説話風の彫刻も、興味深いものがあります。

  • 光前寺 霊犬早太郎像と碑<br />1957(昭和32)年に霊犬早太郎を顕彰するために建立されました。<br />背景と同化してしまっていますが、精悍な顔付きで、筋肉が引き締まり、見るからに俊敏そうな犬です。<br />

    光前寺 霊犬早太郎像と碑
    1957(昭和32)年に霊犬早太郎を顕彰するために建立されました。
    背景と同化してしまっていますが、精悍な顔付きで、筋肉が引き締まり、見るからに俊敏そうな犬です。

  • 光前寺 経堂<br />古びた雰囲気を湛えていますが、1802(享和2)年の再建です。<br />土蔵造、入母屋造、柿葺、妻入りで、唐破風向拝の建築美は近郷第一と称され、内部には1316(正和5)年や1715(正徳5)年、1802(享和元)年の経の他、1520(永正17)年と1704(宝永元)年に寄進された三千仏名経など、多くの経文が納められています。

    光前寺 経堂
    古びた雰囲気を湛えていますが、1802(享和2)年の再建です。
    土蔵造、入母屋造、柿葺、妻入りで、唐破風向拝の建築美は近郷第一と称され、内部には1316(正和5)年や1715(正徳5)年、1802(享和元)年の経の他、1520(永正17)年と1704(宝永元)年に寄進された三千仏名経など、多くの経文が納められています。

  • 光前寺 経堂<br />「早太郎」を妖怪退治に借り受けた僧 一実坊弁存は、早太郎の供養のために大般若経(1882(文政5)年)を奉納しています。それも寺宝として経堂に保管されています。

    光前寺 経堂
    「早太郎」を妖怪退治に借り受けた僧 一実坊弁存は、早太郎の供養のために大般若経(1882(文政5)年)を奉納しています。それも寺宝として経堂に保管されています。

  • 光前寺 経堂<br />虹梁の上の欄間には、菊の花と瑞雲が彫られています。

    光前寺 経堂
    虹梁の上の欄間には、菊の花と瑞雲が彫られています。

  • 光前寺 経堂<br />虹梁の木鼻は、苔生した象と獅子です。

    光前寺 経堂
    虹梁の木鼻は、苔生した象と獅子です。

  • 光前寺 参道 光苔<br />参道にある石垣の隙間には、天然記念物の光苔が自生しています。見られるシーズンは4月中旬~10月下旬(冬場は枯れています)、ロープが施されている石垣の隙間を色々な角度から見ると光に反射する光苔が見つけられます。隙間の中が暗いため、そこだけエメラルド色に輝き神秘的です。スマホの明かりで照らしてみたら、もう少し判り易かったのかもしれません。<br />光って見えるのは、細胞が球状になっており、光を反射しているためです。そして、細胞が球状になっているのは暗い所でも僅かな光さえあれば、それを集められるからです。暗い所で生きていくための知恵なのでしょう。<br />ヒカリゴケ科ヒカリゴケ属で、1科1属1種の小さく原始的な苔植物です。レッドリストの準絶滅危惧(NT)の指定を受けています。

    光前寺 参道 光苔
    参道にある石垣の隙間には、天然記念物の光苔が自生しています。見られるシーズンは4月中旬~10月下旬(冬場は枯れています)、ロープが施されている石垣の隙間を色々な角度から見ると光に反射する光苔が見つけられます。隙間の中が暗いため、そこだけエメラルド色に輝き神秘的です。スマホの明かりで照らしてみたら、もう少し判り易かったのかもしれません。
    光って見えるのは、細胞が球状になっており、光を反射しているためです。そして、細胞が球状になっているのは暗い所でも僅かな光さえあれば、それを集められるからです。暗い所で生きていくための知恵なのでしょう。
    ヒカリゴケ科ヒカリゴケ属で、1科1属1種の小さく原始的な苔植物です。レッドリストの準絶滅危惧(NT)の指定を受けています。

  • 光前寺 参道<br />森閑とし、天にも届けとばかりに聳える杉の大木に見守られた信州伊那谷の古刹は、昔と今を語り継ぐ歴史に彩られています。今を盛りに咲き乱れる妖艶な枝垂桜と思いもよらぬ美しい佇まいに心が潤いました。<br />「さまざまのこと思い出す 桜かな? 」。<br />改めて芭蕉の句を噛み締めてみます。<br />深く息を吸い込み、瞼をそっと閉じてみます。この旅行で出会った一期一会、そして学んだことを走馬灯のように思い浮かべながら、その余韻に浸ります。<br /><br />最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。恥も外聞もなく、備忘録も兼ねて徒然に旅行記を認めてしまいました。当方の経験や情報が皆さんの旅行の参考になれば幸甚です。どこか見知らぬ旅先で、見知らぬ貴方とすれ違えることに心ときめかせております。

    光前寺 参道
    森閑とし、天にも届けとばかりに聳える杉の大木に見守られた信州伊那谷の古刹は、昔と今を語り継ぐ歴史に彩られています。今を盛りに咲き乱れる妖艶な枝垂桜と思いもよらぬ美しい佇まいに心が潤いました。
    「さまざまのこと思い出す 桜かな? 」。
    改めて芭蕉の句を噛み締めてみます。
    深く息を吸い込み、瞼をそっと閉じてみます。この旅行で出会った一期一会、そして学んだことを走馬灯のように思い浮かべながら、その余韻に浸ります。

    最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。恥も外聞もなく、備忘録も兼ねて徒然に旅行記を認めてしまいました。当方の経験や情報が皆さんの旅行の参考になれば幸甚です。どこか見知らぬ旅先で、見知らぬ貴方とすれ違えることに心ときめかせております。

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