2018/04/13 - 2018/04/14
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montsaintmichelさん
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飯田市の名産品のひとつにりんごがあり、街の中心部には中央通りから飯田動物園のある扇町まで400mに及ぶりんご並木があります。
1947(昭和22)年に発生した「飯田大火」の復興のシンボルとしてはじまり、現在は街のランドマークとして親しまれています。飯田大火は、太平洋戦争の戦火を免れて新しい時代が始まった矢先の出来事であり、街の人々の喪失感を察するのは難くありません。大火からの復興を図る中、「りんごの実る明るく美しい街をつくりたい」という飯田東中学校の生徒の提案からりんご並木が整備され、1953(昭和28)年に防火帯を兼ねて最初に40本の品種「国光」が彼らの手で植えられました。現在は、「日本の道100選」や「かおり風景100選」に選定されています。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 観光バス
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- クラブツーリズム
-
長野県南部に位置する10万人都市 飯田市は、「信州の小京都」と称される自然豊かな城下町です。長野県では明治7年からりんごの栽培を始め、現在は全国の約2割を占める16万トン/年を生産し、全国2位の産地となっています。
また、ベタなところでは、 飯田市は日本一焼肉店が多い町としても有名です。お寿司屋さんでも裏メニューに焼肉があるそうですから筋金入りです。
こうした文化が根付いたのには理由があります。昔、面積の大半が山間部だったため、飯田市では山の産物を売って米や塩を買って暮らしていました。農作物が育ち難いという環境下、唯一豊富にあった資源が山肉であり、住民を支える貴重なタンパク源だったのです。
一方、飯田市民はジンギスカンをよく食すそうです。ジンギスカンは北海道の代名詞なのですが、これにも訳があります。ジンギスカンが日本で広がったルーツは、「満州開拓」にあるとの説です。多数の日本人が満州へ渡り、そこで羊肉料理に触れ、そのレシピを持ち帰りました。満州へ渡航した人の出身地は長野県が最も多く、中でも飯田市は群を抜いていたそうです。それまでは肉を「煮て食べる」文化でしたが、ジンギスカンが広まったことで「焼いて食べる」文化が定着したそうです。 -
まちなかインフォメーションセンター(飯田市観光課内)
右端が飯田市のゆるキャラ「ぽぉ」です。飯田市の中学生が大切に育ててきたりんごの木をイメージしたデザインです。その中学生の想いをりんごの妖精で表現しています。特技はリンゴを頭に乗せてバランスをとることだそうです。名前の通り、のんびりゆったりした性格で、いつもりんご並木の木の上から市民の暮らしを見守っています。名前の由来は、appleの発音(アポォ)のぽぉーに因みます。
左隣は、長野県のゆるキャラ「アルクマ」です。地方の名産・名物をゴテゴテと身に纏った如何にも的なデザインではなく、チャーミングポイントの被りもので名産・名物をアピールしています。信州に出没する、大変珍しいクマとされ、寒がりなため何時も頭にりんごの被りものを着けています。また、旅好きで、背中にリュックサックを背負いながら、信州をクマなく歩き回り、信州の魅力を世の中に広めるのを生きがいとしています。
被りもののバリエーションも、栗や松茸、ワイン、蕎麦のような名産品から、日本アルプスや真田幸村(兜)など多彩です。 -
飯田龍車(人力車)
人力車に乗って観光するのは初体験です。通常の観光地は混雑しており、その中を人力車で走り抜けるのは気が引け、また、それを見ている側の立場からすれば邪道でしかありません。しかし、ここは観光客がそれほどいるわけでもなく、観光の邪魔にならないなら乗ってみようかなという気にさせられます。
「飯田龍車」は、市民団体IIDAWAVE内のWakamono BIZ WAVEが母胎になって誕生しており、街の魅力を俥夫さんがコンシェルジュとなって説明してくれます。事業は地域住民向けの「地域人力車事業」と観光客向けの「観光人力車事業」の両輪を柱に、城下町飯田の再発見と感動を通した地域活性化を目指しています。
天龍川から取ったという会社名のように昇龍の如く大空へ夢を広げていってもらいたいものです。
料金は、他地域の相場の4分の1程に抑えた、15分:大人500円、子供300円と良心的な破格値です。 -
飯田龍車(人力車)りんご並木
日本には人力車を製造する大手の会社は2社しか残されておらず、そのうちの静岡県伊東市の升屋製作所は工場が火事に遭い、稼動していないそうです。小さな会社はいくつかあるようですが、大手の会社は飛騨高山の三清物産(三塚)だけになっています。そんな中、飯田オリジナルの人力車が作れないものかと、果敢にも立ち上がったのが「飯田龍車」でした。このように飯田にも新たな産業が根付いたのは喜ばしいことです。 -
りんご並木
終戦間もない1947(昭和22)年4月20日、桜の名所には花見を愉しむ市民の姿が絶えませんでした。そんなうららかな春の日が、突如悲劇の日に一変しました。正午前、上常盤町(現扇町)の民家の煙突から舞った火の粉が原因で火災が発生。飯田測候所観測以来の空気の乾燥と風速10mの南風に煽られ、火の手は僅か数時間で拡散しました。
「飯田大火」として深く記憶と記録に刻まれたこの火災の罹災面積は、60万平方m、市街地の8割に上りました。罹災戸数は3577戸、罹災世帯数は4010世帯、罹災人員数は人口の53%に当たる1万8000人と甚大な被害をもたらした。また、死者は1人、行方不明者2人、重傷者は80人。損害額は往時の金額で15億円と推定されました。市街地の大規模火災としてまだ記憶に新しい、2016年12月の糸魚川市大規模火災の焼損面積は約4万平方m、被害建築物は147棟とされます。この数字からも飯田大火のすさまじさが伝わってきます。 -
りんご並木
天皇皇后両陛下が、私的な旅行として2016年11月にりんご並木を訪問されています。天皇陛下が「災害復興を機に前より更に良いものを作るという、近年で言う『ビルド・バック・ベター』が既に実行されてたことを知った」と述べられたことがこの碑に記されています。
この言葉からも、大火後の飯田が得たものの大きさが感じられます。
碑の奥でしっかりガードされている苗木が、天皇皇后両陛下がお手植えされたりんごの木です。 -
りんご並木
りんごは長寿命の作物と言われ、苗木を植えてから実が成り始めるまでに4~5年、大切に育てるとその後数十年間は実り続けるそうです。
丁度、開花の季節でした。観光客は「まぁ~、きれいだこと!」でお終いですが、りんご並木の手入れをされている中学生は気の遠くなるような受粉作業に汗を流されていることでしょう。多くのりんご農家では蜂に受粉させるそうですが、りんご並木はどうなのでしょう。 -
りんご並木
バラ科リンゴ属の落葉高木樹です。楚々とした、淡くピンクがかった可愛らしい花を咲かせます。品種改良が進み、日本だけで2千種類、世界では1万種類もの品種が存在しています。
また、りんごは、花、実、木のそれぞれが花言葉を持つという珍しい花です。
花の花言葉は「選択」「評判」です。これらは、ギリシア神話のトロイア大戦争の原因となった「パリスの審判」に由来します。
実の花言葉は、「誘惑」です。『旧誓約書』の「創世記」に記された「エデンの園」にまつわるとされています。有名な「アダムとイヴ」のお話です。
木の花言葉は、「名誉」です。これも「パリスの審判」が由来です。
ギリシア神話「パリスの審判」のあらすじを紹介しておきます。
結婚式に万神が招待されるも、戦いの女神エリスだけ招待されませんでした。怒ったエリスは、式場に乗り込んで「最も美しい女神へ黄金のりんごを授ける」と叫び、「名誉の象徴」の黄金のりんごを投げ入れました。りんごを奪い合い、ゼウスの妃の女神ヘラ、知恵の女神アテナ、そして愛と美の女神アフロディーテの3人が譲りませんでした。困り果てたゼウスは、この判定を美少年パリス(トロイアの王子)に委ねます。
しかし、女神たちは、パリスに賄賂を贈り、自分を選ぶようにけしかけます。へラは富と権力を、アテナは全ての戦いに勝利する叡智と名誉を、アフロディーテは世界中で一番美しい美女を与えると約束しました。その結果、パリスは、美女を選び、後にスパルタの王妃で絶世の美女ヘレネーと恋に堕ち、駆け落ちします。アフロディーテが誰の許しもなく異国の王妃ヘレネーを与えたため、これが発端でトロイア戦争が始まりました。その後、トロイアはスパルタ側が仕掛けた「トロイの木馬」作戦で滅亡し、ヘレネーはスパルタへと取り戻されます。
黄金のりんごが欲しいために選択を余儀なくされた話に因み「選択」の花言葉が付けられ、エリスが投げ入れた黄金のりんごが「名誉の象徴」であったため、木に「名誉」の花言葉が付けられました。 -
りんご並木 三連蔵
「飯田大火」で焼け残った旧呉服屋のなまこ壁の三連土蔵です。
2000年にカフェや市民ギャラリー、集会所にリノベーションされています。かつての繁栄の名残を今に留める数少ない歴史的建造物です。 -
りんご並木 三連蔵
りんごの原産地は、カザフスタン南部のキルギスタン、タジキスタン周辺とされ
ています。スイス地方の先住民族とされる湖棲民族の遺跡から「りんごの化石」が発見され、4000年前には栽培されていたと考えられています。16~17世紀頃にかけてヨーロッパ中部以北の各地で栽培が盛んとなり、19世紀中頃にはイギリスが大産地となったそうです。アメリカには、17世紀前半にヨーロッパからの移住民によってもたらされ、新種の開発や枝変わりの発見など大きな発展を遂げました。以後、世界各地で栽培されている品種のほとんどはアメリカに由来しています。
日本への渡来は中国からと推定されていますが、やがて西洋りんごが渡来するとそれが一般的になり、それまでの種は「和りんご」に区別されました。
平安時代中頃の書物『和名類聚抄』には「利宇古宇(りうごう)」と記されており、これが訛って「りんご」になったと考えられています。 -
りんご並木 「飯田の町に寄す」岸田國士
岸田國士は、劇作家・小説家・評論家・翻訳家・演出家と多才であり、代表作に戯曲『牛山ホテル』や小説『暖流』などがあります。
戦時中に飯田へ疎開しており、昭和23年に飯田の人情や風土を綴ったこの寄稿文を残して帰京しました。娘さんの衿子さん(童話作家)、今日子さん(女優)も一緒に疎開しており、今日子さんは県立飯田高等女学校(現 飯田風越高校)を卒業しています。しかし、時間軸を辿れば、昭和22年に飯田大火に見舞われ、復興前の市街地は詩とは裏腹に焼野原だったはずです。大火以前の飯田を詠ったこの詩が復興を目指す市民へのエールだったと思って読み返すと、また違った風景が浮かんできます。
この石碑が誰のデザインか未詳ですが、白い雲のようなものから雪や光が降り注ぐ斬新なものです。
飯田 美しき町
山ちかく水にのぞみ
空あかるく風にほやかなる町
飯田 静かなる町
人みな言葉やはらかに
物音ちまたにたたず
粛然として古城の如く丘に立つ町
飯田 ゆかしき町
家々みな奥深きものをつつみ
ひとびと礼にあつく
軒さび甍ふり
壁しろじろと小鳥の影をうつす町
飯田 ゆたかなる町
財に貧富あれども
身に貴賤ありとおぼえず
一什一器かりそめになく
老若男女みなそれぞれの詩と哲學をもつ町
飯田 天龍と赤石の娘
おんみさかしくみめよく育ちたれども
いま新しき時代に生きんとす
よそほひはかたちにあらず
美しく 静かに
ゆかしく 豊かに
おんみの心をこそ新しくよそほひたまへ -
りんご並木 日夏耿之介詩碑
1962(昭和37)年に建築家 谷口吉郎氏の設計により、設置された石碑です。晩年をこの地で過ごした耿之介は、生前にこの詩碑を目にしたそうです。
あはれ夢まくはしき密咒を誦してふ
邪神のやうな黄神は逝つた
「秋」のことく「幸福」のことく「来し方」のことく
癖のある字体で書かれているため、解読できる方は稀では?詩集で調べてみると『咒文之周囲』の終聯の詩でした。「秋」と書いて「さわきり」と読ませるのは、味わいがあります。
耿之介は、飯田市名誉市民第1号に選ばれた詩人・英文学者です。下伊那郡飯田町(現 知久町)に生まれ、早稲田大学の文学部教授を務めて長く故郷を離れますが、健康を害して1956(昭和31) 年に愛宕山に帰郷し、1971年に81 歳で他界するまで余生を過ごしました。
飯田を愛した詩人の足跡は、りんご並木の詩碑をはじめ、日夏耿之介記念館や市内に十数カ所ある文学碑など各所に点在しています。こうした碑を巡る旅も趣のあるものです。 -
りんご並木 国光(こっこう)りんご
1953(昭和28)年に40本植えられたというりんご並木の元祖です。樹齢は少なくとも65年の老木です。立て札には次のようにあります。
この「国光」は、昭和22年飯田大火の後「美しい町にしよう」という願いのもと、昭和28年11月に飯田東中の生徒の手により植えられた時の木です。以来、その精神と活動は後輩に受け継がれ、多くの方の励ましやご協力により善意の実が毎年実ってきました。環境の変化や病害虫の影響により、衰弱してきていますが風雪に耐え50年の歴史を刻む貴重な木となっています。
1871(明治4)年に、アメリカから我が国へ導入された。明治33年に全国共通の名称「国光」に統一した。昭和10~30年代まで「紅玉」と共に日本の主力品種として栽培されていた。霜の降る頃に収穫する。国光は比較的早い明治時代初期にアメリカから渡来した品種です。平成15年10月吉日
見た感じ満身創痍のいでたちですが、今年も鈴なりの果実を着けてくれることでしょう。 -
りんご並木 国光りんご
老いた木にはタンポポも宿ります。
国光は、アメリカ原産のりんごです。明治時代に渡来しましたが、りんごの色付きが悪く、現在はあまり魅力的とされないりんごです。しかし、この国光との交配により、様々な秀逸なりんごの品種が作られたという実績があり、「母なるりんご」といった感じです。長野県で栽培されているりんごは主に10種、そのうち「ふじ」が60%を占めます。「ふじ」はこの「国光」と「デリシャス」という品種の交配だそうです。
また、紅玉のように煮崩れし難いため、アメリカでアップルパイに使われているのが国光りんごです。 -
りんご並木 「かおり風景100選」のプレート
2001年に環境省が日本各地の自然や生活、文化に根ざした香りのある地域を全国から募集し、応募のあった600件の中から100件を選定したものです。
環境省は、そんな香りのある風景を慈しみ、守り続けている地域の方々を心から応援しています。
長野県からは、この飯田市の他、赤沢自然休養林の檜(上松市)、松本大名町通りのシナノキ(松本市)、霧ヶ峰の高原と風(諏訪市下諏訪町)が選ばれています。 -
りんご並木 ハナカイドウ(花海棠)
バラ科リンゴ属という繋がりで、りんご並木の一画に植樹されているのでしょう。季節柄、桜の一品種かと見過ごしてしまいそうです。和名の由来は、中国名「海棠」をそのまま読んだもので、「棠」は梨を意味し、「海を渡ってきた梨」という意味です。中国原産で、江戸時代初期の渡来です。また、姫りんごに似た小さな赤い実は、食べられるそうです。 -
りんご並木 ハナカイドウ
春告げ花として新緑が目立ち始める頃、枝を埋めるようにして咲く淡紅色の花が目にも鮮やかです。
花言葉は、「温和」「妖艶」「艶麗」「美人の眠り」。「艶麗」「美人の眠り」は、唐の玄宗皇帝が楊貴妃を呼んだところ、前夜の酔いが醒めないままに、目元をほんのり赤く染めて眠そうな顔をして現れ、それを「海棠の眠り未だ足らず」と喩えたことに因みます。
また、宋代の詩人 蘇軾(東坡)が、「只、夜深く、花の睡去るを想う。高く銀の燭を焼きて汝の妝を照らす」と詠ったことから、カイドウと言えば楊貴妃、更には美人を指す代名詞になりました。中国では古来ボタンと共に愛好され、詩歌や絵画のモチーフに描かれています。
また、「カイドウの雨に濡れたる風情」とは、美人のうち萎れた姿をカイドウが雨に濡れて萎れている様に喩えたものです。春雨にこれほど似合う花はないと言われますが、残念ながらこちらも美人薄命。咲ききったあとはみるみるうちに色が褪せてしまいます。 -
りんご並木 ハナカイドウ
情熱の歌人 与謝野晶子は、華やかなカイドウを『みだれ髪』で詠っています。「春雨に ぬれて君こし 草の門よ おもはれ顔の 海棠の夕べ」
「海棠に えうなくときし 紅すてて 夕雨みやる 瞳よたゆき」
また、俳人の間でもよく詠まれています。
「海棠や 白粉に紅を あやまてる」(与謝蕪村)
「海棠の 寝顔に見ゆる 笑くぼ哉」(正岡子規)
「海棠の 精が出てくる 月夜かな」(夏目漱石)
漱石門下の久米三汀(小説家 久米正雄の俳号)の忌日は「海棠忌」と呼ばれています。 -
久知1横丁
狭い裏通りにも延焼を防ぐための防火用街路樹(シナノキ)が植えられています。
なまこ壁の白とシナノキの緑のコントラストも素敵です。 -
久知1横丁
左側面のなまこ壁が薄っすらとオレンジ色を帯びているのが判りますか?
裏界線沿いの土蔵のなまこ壁は、大火の炎に包まれたため、元の黒と漆喰ではなく、オレンジ色や灰色が混じっています。 -
久知1横丁 裏界線(りかいせん)
飯田の街作りには、至る所に大火の教訓が活かされています。賑わいを見せる華やかなメインストリートを一筋入れば、家同士が隣接しない様に防火帯や避難経路の役割を持つ「裏界線」と呼ばれる幅2mの路地が当たり前のように設けられています。58路線ある全ての裏界線を直線距離にすると約5kmに及ぶそうです。
黒っぽい波形のラインは天の川をイメージしています。点在する鋲は星をイメージしており、夜になると街路灯の反射で光り、表通りとは異なった趣に満ちています。また、長い歴史に刻まれた生活臭が染込んでおり、人々の心の寄り何処となっていることが窺えます。
裏界線は、災害が生み出した「ビルド・バック・ベター」を具現化した安心・安全への道であり、飯田大火の教訓を後世に伝える偉大な道と言えます。
ふらりと立ち寄った路地裏でこんな文化に出会うとは…。飯田の街は、思っていたより深い街でした。 -
飯田市内(車窓)
飯田市と別れを告げ、バスは一路「諏訪湖」を目指します。
車窓には南アルプスの雄姿が広がります。左端の大らかなどっしりした山が赤石山脈北部にある千丈岳(標高3033m)です。その右には、白根三山がたゆたいます。その左端にあるのが山都飯田で見られなかった北岳です。 -
中央自動車道(車窓)
中央アルプス南部の山容です。バスが走行しているのは、JR飯田線 七久保駅の辺りです。
左端に越百山(こすもやま 2613m)、中央左に仙涯嶺(2734m)、中央に雪を冠した南駒ヶ岳(2841m)、その右に赤梛岳(2798m)、空木岳(2863m)と連なります。 -
中央自動車道(車窓)
2027年にはリニア中央新幹線が開通予定で、東京~名古屋間の中間駅になり、アクセスが改善されます。JR飯田線の伊那上郷駅と元善光寺駅の中間付近に新駅の建設が予定されており、長野県の南の玄関口と三遠南信地域の北の玄関口の役割を担います。 長野県内への経済効果は1兆円と発表しています。
一方、ストロー化現象による人材流出が危惧されるところです。メリットを最大限にマイナスの影響を最小限に抑えるため、魅力的な街づくりをはじめ様々な取組みが求められています。その一環が サイエンスパーク構想です。「人的ネットワーク」を中心に据えた研究開発拠点を整備し、国内に限らず世界中から産業人や研究者が集まる地域を目指しています。20年後には「日本のシリコンバレー」と呼ばれているかもしれませんね! -
中央自動車道(車窓)
駒ヶ根周辺から見上げた中央アルプス南部の山容です。
中央左の小さく尖った三角形のピークが宝剣岳(標高2931m)、その右側にどしりした伊那前岳(2883m)、中岳(2925m)、木曽駒ヶ岳(2956m)と連なります。
この続きは、芳葩爛漫 伊那・諏訪紀行③上諏訪 片倉館でお届けいたします。
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