2017/07/29 - 2017/08/15
74位(同エリア2017件中)
森の番人さん
今年の夏はどうしたいか、子ども達に聞くと、「キャンプ~!!」と娘に即答され、考えてみると一昨年の夏から全くキャンプをしていませんでした。
そこで、この夏はキャンプ三昧な旅を計画することになりました。
バンクーバーから車で行けるキャンプ場は、結構、あちこち行っていて、どこに行こうか迷った末、オレゴンコーストのフローレンスからカリフォルニア州のサンフランシスコまでの間は、まだ行ったことがなかったので、そのエリア周遊に決めました。
ただ、バンクーバーからは距離があり、移動型のキャンプになるので、キャンプ道具を最低限にする為、テントは持たずにキャンプ場のキャビンやヤーツを利用することにして、キャビンやヤーツがない場所も多いので、キャンプとホテル半々の周遊の旅となりました。
Day11-3(ゴーストタウン、Bodie 前編)
かつては、ゴールドラッシュで栄えた町、Bodie
その後、産業の衰退と町の中心部の大火事が原因で町が機能しなくなり、人々が去ってしまってゴーストタウンになりました。
そんなゴーストタウンの写真を、ずっと前に見て以来、この町の名前が頭に残っていて、いつか機会があったら、行ってみたいな~と思っていました。
ボディの町は、思っていたよりも広くて、見応えがあり、こんなに大きな町が、ゴーストタウンになってしまったんだと思うと、とても感慨深かったです。
アンティーク好きの息子も大喜びで、十二分に楽しむことができました。
ちなみに、Bodieは、1961年に国定歴史建造物、1962年には州立歴史公園に指定されて管理されています。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 家族旅行
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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未舗装のガタガタ道をずっと進んだ突き当たりにBodieの町がありました。
ボディ州立公園 広場・公園
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Bodieの町の絵入りの地図には、5つの赤い丸が付いているので、その5つは外せないポイントなのでしょう。
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その絵地図の先に記念碑があります。
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1859年、W.S. Bodeyによって、ここでゴールドが見つかったとかで、後に、それにちなんで町の名が付けられたとか。
100ミリオン以上の価値があるゴールドを発掘していたとか。
今は、カリフォルニア州の歴史的ランドマーク341号として登録されています。 -
ボディで最初にゴールドが発見されたのが1959年で、この町がブームになったのは1879年から1881年だとか…
1860年代、1870年代は、オーロラや、ネバダのバージニアシティに人々が集中していたので、ボディの金発掘はゆっくりだったとかで、1863年から1877年の間にはたった100人程度の人しかいなかったとか。
1875年のBanker Hill Mineの崩壊で、Bodieのシルバー、ゴールドラッシュブームが始まり、1879年には2000人を超えて、それから2年間で7000人以上の住人に増えたとか。 -
白い尻尾のジャックラビットがいたみたいだけど、今もいるのかな?
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え、バックウィートって蕎麦じゃん。
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その辺にわさわさしているのがバックウィートなのかしら?
これから蕎麦作れるのかな? -
「フォローミィ」
そう、息子が言い、ズンズンと先を歩き始めました。
さっき買ったパンフレットは、こういう古いものが大好きな息子の手に。 -
パンフレットに番号と説明がしてあるので、その順番を追っていきます。
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まずは、#1 McDonell/ Dolan House
1920年に、ドナルドと息子のフランクがマイナーとして登録して奥さんと3人で暮らした家。
1935年~1937年には、学校の先生、Alice Dolanと、シェリフの娘、James Dolanが一時期、住んでいたそう。
1915年、彼女の父は、モノレイク付近で射殺されたとか。 -
#1 McDonell/ Dolan Houseの中には入れないけど、窓から中が見えます。
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あそこは、トイレっぽい。
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#2 Methodist Church
1882年に建てられた教会 -
#2
教会の中は、割と綺麗に保存されてます。 -
#2
床にお賽銭みたいにお金が投げられていました。
ここで何をお祈りするのでしょうね。 -
イチオシ
#2
青空に映える木造りの教会です。 -
#3
道を挟んで教会の前にあるのが、D.V.Cain House
1873年の建築 -
町の中にレンジャーがいて、質問に答えてくれます。
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#3
子ども達も興味津々に中を覗いています。 -
向こうの方に見えるのは、Sturgeon, Brownと、Moyle Houseって、パンフレットに書いてあるけど、あっちまでは行かなかったので、もう一つ下の写真と、どっちが、どっちか、わからないけど、1900年に、アレキサンダーさん一家が住んでいたとか。
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1920年代後半、日当$1で、マイニング・カンパニーで働いていたWilliam L.Brownさんが、奥さんと3人の子ども達と一緒に、この家か、ひとつ上の写真の家に住んでいたとか。
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#4 Red Barn
ボディの典型的な大きな納屋 -
#4周辺からの景色
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#4周辺には、草ぼうぼうの中に、無造作に色々なものがあって、当時の生活を連想させてくれます。
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ゴールドラッシュの頃を想像してみたり…
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イチオシ
#4周辺
こんな車も、そのまま捨てられていったようで。 -
さっき行った教会が真ん中に見えています。
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イチオシ
この車の中を覗いていたら、ガイドっぽいお爺さんが、この車にまつわる話をしてくれたのですが、どんな話だったか、見事に忘れました。
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イチオシ
こんなに色あせた壊れた車が、とっても風景に馴染んでいて絵になります。
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町はずっと向こうの方まで続いていて、結構、大きい建物もあります。
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ピクニックテーブルとかも置かれてます。
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#5 Miller House
カナダ生まれのTom Millerの家
カナダ生まれっていうだけで、なんか親近感が沸いてしまう… -
#5 Miller House
1900年、ミラーは奥さんと2人の子ども達とここに住んでいたとかで。
細いベッドが2つあるので、ここは多分、子ども部屋でしょう。 -
#5 Miller House
ミラーさんは、Bodie Railwayの為に木材業の会社で働いていたとか。
暖炉もあって、ちょっと広そうな感じの間取り。 -
#6 James Stuart Cain House
1879年、James Stuart Cainが25歳の頃に引っ越してきた家
彼は、ちょうど結婚したばかりで、木材業を始める為にボディにやって来たとか。
その当時、鉱山工場を稼働させる蒸気の燃料、家屋や教会やお店を建てる資材、一般家庭のキッチンや暖炉のための薪など、木材は欠かせなかったそうです。 -
#6 James Stuart Cain House
そして、1888年にJames Stuart Cainは、銀行家になって、1932年まで、Bodie Bankを開業していたとか。
その後、1915年、彼はコートオークションで、金鉱業の所有権を獲得して、すぐに町の主要な財産所有者となったそうです。 -
#6 James Stuart Cain House
ここは、ストーブも残っていたけど、さすが町の主要な財産所有者宅だけあって、他の家より家具も立派で保存状況も良かったです。 -
#6 James Stuart Cain House
ベッドの上にコインが投げられているけど、大成功を修めたJamesさんにあやかろうと言う人達かしらね。
Jamesさんは、いつもボディの鉱業が再び栄えると信じていたそうです。 -
倒れそうな建物には丸太で補強してあります。
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井戸があるので、生活水は、ここから汲み上げていたのでしょう。
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ちゃんと注ぎやすいようになってます。
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古い馬車も当時、置かれていったまま・・・
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イチオシ
こういうので鉱石を運んでいたのかな?
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こういうの、どう撮ったら、素敵な写真に見えるんだろう?
なんて考えながら、撮ってみたんだけど… -
この通りが、町のメインストリート
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その両側に色々と、あります。
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そのメインストリートの片側には、#9 Miners' Union Hall (Museum)と、その向かって右側にある小さい方が、#8 Morgue
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建物と建物の間には、ゴールドラッシュ時の残骸がいっぱい落ちています。
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#9 Miners' Union Hall (Museum)
1878年に建てられたもので、ボディの町の社交界の中心となった場所。
ここは、当時、ユニオンメンバーのミーティングや、宗教的なサービス、様々なパーティーも、ここで行われたのだとか。
#9 Miners' Union Hall (Museum)の右側にある小さい方が、#8 Morgue
ボディにふたつある遺体安置所のうちのひとつがここで、ここには、今もまだ棺が置かれたままになっています。
恐らく、1888年、この角のホテル”Bodie House”の火事があった後に、ここに運ばれてきたものでしょう。とのこと。 -
#9 Miners' Union Hall (Museum)
現在は、ミュージアムと小さいブックストアーとして使われていて、ここでこの公園内のインフォメーションもしてくれます。 -
#9 Miners' Union Hall (Museum)
正面の壁に、”Bodie Miners' Unionっ”て書かれた大きな垂れ幕 -
#9 Miners' Union Hall (Museum)
パーティー会場にもなっていたので、ピアノや古い蓄音機もありました。 -
#9 Miners' Union Hall (Museum)
とても可愛らしい形の馬車です。
これ、綺麗に磨かれていたら、とってもお洒落な感じ。 -
#10
I.O.O.F.Hall
1880年にここを建てて家具屋さんをしていたヘンリーさんが、1階を使い、上の階はロッジとして使っていたとか。
一番左の切れている建物が、#11 Dechambeau Hotel
1879年にポスト・オフィスがここに移動してきました。
この建物が、Dechambeau Hotelになったのは、ボディの町の最後の年。 -
町のメインストリート、#9 Miners' Union Hall (Museum)、#8 Morgueなどがある向かい側に建っている奥の建物が、#13 Swasey (Swazey) Hotel
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古い納屋に続く小道を歩いていきます。
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古い納屋の中
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上の写真の古い納屋の左の方に、放置された古いトラック
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息子の目が古いトラックに釘付け。
こういうの大好きだもんね~ -
彼女が去っていったら、もちろん、彼も同じように中を覗きます。
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イチオシ
なんか、いいなぁ~こういうの、絵になる。
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イチオシ
さっき入ったミュージアムを遠目から。
正面真ん中が#9 Miners' Union Hall (Museum)
右隣が#8 Morgue
左隣が#10 I.O.O.F.Hall
そのもう一つ左の切れているのが、#11 Dechambeau Hotel -
ふと後ろを振り返ると、何気なく格好つけて、片足かけている可愛い男の子がいました。
息子同様、こういうのにロマンを感じるのかなぁ? -
子ども達を6人並べて、その家を押して~
って、お母さんらしき人が声かけて、写真を撮ってます。
なんで、押させているんだろ? -
イチオシ
ぐるりと、建物の反対側まで来て納得。
今にも倒れそうなのを、反対側から丸太で支えているからでした。
この建物は、#13 Swasey (Swazey) Hotel -
#13 Swasey (Swazey) Hotel
ネバダ州の牧場経営者、Horace F. Swaseyが、1894年に、このホテルを買い取って、最後の方には洋服店やカジノも経営していたとか。 -
#13 Swasey (Swazey) Hotelと、向こうの方にさっきのトラックと古い納屋が見えています。
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Green Stに出ました。
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#19 Hydroelectric Building
1910年から、町に電気を供給しているサブステーションで、中にある機械類は1930年代後半からのもの。 -
#20 Schoolhouse
最初、ここはBon Tonのロッジングハウスだったが、1879年~1880年に最初の学校が、多分、少年に寄って燃やされてしまった時に、ここが学校となり、最高入学者数は、615名だったとか。 -
皆、興味津々に窓から中を覗いています。
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この学校は1942年に閉鎖されました。
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Green Stを真っ直ぐに歩いてきました。
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大きなのこぎり
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外にあるトイレをちょっと覗いてみると…
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トイレの便器はこんな感じで…
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正面真ん中が#9 Miners' Union Hall (Museum)
その向かって右隣が#8 Morgue
左隣が#10 I.O.O.F.Hall
一番左が、#11 Dechambeau Hotelで、その前辺り(写真では手前)に古い納屋 -
イチオシ
ゴーストタウンとは言え、結構、しっかりとした形で建物が残ってます。
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でも、当時は無法地帯で犯罪も多い危険な町だったそう。
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これは車だったのかな?
あれこれとパーツがないのは、使えそうなものだけ、持っていかれちゃったってことなのかな? -
あ、蛙がいた。
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道の右側の建物は#21 Gregory House
ボディとオーロラの間で、牧場を営んでいたGregoryさんの家
1900年代に、奥さんと4人の子ども達と、この町に現れて、彼の一番下の息子は、鉱山工場でエンジニアとして働き、ボディに最後まで住み続けた人だとか。
左側の建物が#22 McMillan House
McMillanは、1885年にボディ鉱山工場のユニオンの秘書になった人物で、1900年代の前半にボディベースボールチームのマネージャーもしていたとか。 -
また、Green Stに戻ってきました。
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このGreen Stの左側の建物を大体、見学してきました。
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これから、この前の道を右方向へ進み
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町の東側にある、この建物、#27 Standard Mill、鉱山工場の方へ行きます。
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この旅行記へのコメント (2)
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- fuzzさん 2018/04/12 22:34:28
- ゴーストタウンが観光地に!
- 森の番人さん、こんにちは。
今、日本は夜の10:20です。
何時間位の時差があるんでしょうね~?
ゴーストタウンの旅行記にお邪魔してます。
ゴールドラッシュで栄えた地も今やゴーストタウン化して、それを逆手に取って観光地に。歴史的な保存地区って言えばそうだと思いますが、何だか悲しさを感じますよね。
私の住む岩手でも特に観光地にはなっていませんが、炭鉱地の跡みたいのがまんま残ってるようです。入っても良いのかどうか分かりませんが。
日本ではゴーストタウンが世界遺産になったのが軍艦島。一度行ってみたいです。
小さい頃、潰れた病院跡へ友達と入ってみたら鉄格子があったり割れた注射器(昔はガラス製だった)が散乱して、まるで「肝試し」みたいだった事を思い出しました。
Bodieも当時のものが、あえて磨いたり綺麗にされずに残っていることが哀愁を感じますね。
fuzz
- 森の番人さん からの返信 2018/04/14 23:52:46
- Re: ゴーストタウンが観光地に!
- fuzzさん、こんばんは。
お久しぶりです。
投票とコメントをありがとうございます。
> 何時間位の時差があるんでしょうね??
現在の日本とバンクーバーは、時差16時間のようです。
> 私の住む岩手でも特に観光地にはなっていませんが、炭鉱地の跡みたいのがまんま残ってるようです。入っても良いのかどうか分かりませんが。
> 日本ではゴーストタウンが世界遺産になったのが軍艦島。一度行ってみたいです。
炭鉱地の跡、バンクーバー近郊にもありますが、現在は鉱山博物館として観光地になっていて、中の様子や当時の暮らしぶりなど、とっても興味深かったです。
軍艦島、前にバラエティ番組で紹介していたのを見て知りましたが、私も行ってみたいです。
でも、私はなかなか行けそうもないので、もしfuzzさんが行くことがあったら、是非、詳しく紹介してくださいね~。
> 小さい頃、潰れた病院跡へ友達と入ってみたら鉄格子があったり割れた注射器(昔はガラス製だった)が散乱して、まるで「肝試し」みたいだった事を思い出しました。
潰れた病院跡ですか!
それは、肝試しになりそうですね。
> Bodieも当時のものが、あえて磨いたり綺麗にされずに残っていることが哀愁を感じますね。
そうなんですよね。
なんか、最後は産業の衰退と町の中心部で大きな火事があり、町が機能しなくなってしまって、人々が去って行ったらしいのですが、窓から家の中を覗くと、着の身着のままで家を捨てて出て行ったような感じに、色々と残っている家もあって、ここを出て行く時は、どんな感じだったんだろう?って考えてしまいました。
また、ここに住んでいた人達の子孫達は、今どこで何をしているのかな~?なんて、ちょっと興味がありました。
また、fuzzさんの旅行記も拝見させていただきますね~。
森の番人
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