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拈華山・龍津寺(りょうしんじ、静岡県静岡市清水区小島町)は当初は「了心庵」と称した鎌倉建長寺派末寺で、開山は宝珠護国禅師とされその時期は天文年間(1532~1555)と伝えられ、当地を支配した滝脇松平氏の香華寺ながら三代藩主松平昌信(まつだいら・しげのぶ、1728~1771)の菩提寺となっています。<br /><br />開山の宝珠護国禅師とは守護大名から戦国大名に発展した駿河・遠江を領した今川義元(いまがわ・よしもと、1519~1560)の政治・外交・軍事の指南役として著名な太源崇浮雪斎(たいげんそうふせっさい、1496~1555)のことです。<br /><br />雪斎は明応5年(1496)庵原城主・庵原政盛(いはら・まさもり)を父に地元の横山城主・興津正信(おきつ・まさのぶ)の女を母として生まれていますが、その庵原・興津両氏はいずれも今川氏の有力家臣ゆえ雪斎はそのまま成長すれば重臣として今川氏を支えるはずでありましたが、幼児の頃に富士郡の善得寺に入り九英承菊という僧名を得て仏門の道を歩みます。<br /><br />善得寺で修業した後、上洛し建仁寺にて勉学・修行を重ね、更に妙心寺の円満本光国師に師事し修行に励み、ついに師に認められ印可を受けて太原崇浮雪斎と称するに至ります。<br /><br />一方、元禄11年(1698)に一万石の大名として立藩した滝脇松平氏は宝永元年(1704)に甲州に繋がる身延道を望む小島の高台に陣屋を構築、そして松平氏入部の際「了心庵」から「良信寺」を経て現在の寺号に改めた「龍津寺」の客殿再建に際し領地村民と共に小島藩家中から寄進がなされ松平氏の龍津寺への庇護が始まります。<br /><br />具体的には小島藩設立後の元禄13年(1700)に龍津寺山門が建立され、享保16年(1731)には上述の通り客殿再建を果たし、宝暦5年(1755)には三代藩主の松平昌信は臨済宗の中興の祖と言われた白隠慧鶴(はくいん・えかく、1686~1769)を龍津寺に招き維摩会(ゆいまえ)には自らも出席して法話を聞くほどで他の歴代藩主の葬地となっている英信寺・西福寺(いずれも江戸)ではなく龍津寺であることから同寺への帰依の身上を現わしています。

駿河興津 小島藩主の滝脇松平氏の庇護を受けた香華寺ながら三代藩主昌信の菩提寺でもある『龍津寺』散歩

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2018/03/11 - 2018/03/11

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滝山氏照

滝山氏照さん

拈華山・龍津寺(りょうしんじ、静岡県静岡市清水区小島町)は当初は「了心庵」と称した鎌倉建長寺派末寺で、開山は宝珠護国禅師とされその時期は天文年間(1532~1555)と伝えられ、当地を支配した滝脇松平氏の香華寺ながら三代藩主松平昌信(まつだいら・しげのぶ、1728~1771)の菩提寺となっています。

開山の宝珠護国禅師とは守護大名から戦国大名に発展した駿河・遠江を領した今川義元(いまがわ・よしもと、1519~1560)の政治・外交・軍事の指南役として著名な太源崇浮雪斎(たいげんそうふせっさい、1496~1555)のことです。

雪斎は明応5年(1496)庵原城主・庵原政盛(いはら・まさもり)を父に地元の横山城主・興津正信(おきつ・まさのぶ)の女を母として生まれていますが、その庵原・興津両氏はいずれも今川氏の有力家臣ゆえ雪斎はそのまま成長すれば重臣として今川氏を支えるはずでありましたが、幼児の頃に富士郡の善得寺に入り九英承菊という僧名を得て仏門の道を歩みます。

善得寺で修業した後、上洛し建仁寺にて勉学・修行を重ね、更に妙心寺の円満本光国師に師事し修行に励み、ついに師に認められ印可を受けて太原崇浮雪斎と称するに至ります。

一方、元禄11年(1698)に一万石の大名として立藩した滝脇松平氏は宝永元年(1704)に甲州に繋がる身延道を望む小島の高台に陣屋を構築、そして松平氏入部の際「了心庵」から「良信寺」を経て現在の寺号に改めた「龍津寺」の客殿再建に際し領地村民と共に小島藩家中から寄進がなされ松平氏の龍津寺への庇護が始まります。

具体的には小島藩設立後の元禄13年(1700)に龍津寺山門が建立され、享保16年(1731)には上述の通り客殿再建を果たし、宝暦5年(1755)には三代藩主の松平昌信は臨済宗の中興の祖と言われた白隠慧鶴(はくいん・えかく、1686~1769)を龍津寺に招き維摩会(ゆいまえ)には自らも出席して法話を聞くほどで他の歴代藩主の葬地となっている英信寺・西福寺(いずれも江戸)ではなく龍津寺であることから同寺への帰依の身上を現わしています。

交通手段
JRローカル 徒歩
  • 龍津寺・山門<br /><br />

    龍津寺・山門

  • 龍津寺・社標<br /><br />当初は「了心庵」と称された庵で、以降「良信寺」を経て現在の寺号となっています。<br />

    龍津寺・社標

    当初は「了心庵」と称された庵で、以降「良信寺」を経て現在の寺号となっています。

  • 龍津寺・山門

    龍津寺・山門

  • 龍津寺・参道

    龍津寺・参道

  • 龍津寺・本堂<br /><br />正式には「拈華山 龍津寺(ねんげさん りょうしんじ)」と称する臨済宗の寺院です。

    イチオシ

    龍津寺・本堂

    正式には「拈華山 龍津寺(ねんげさん りょうしんじ)」と称する臨済宗の寺院です。

  • 龍津寺・鐘楼

    龍津寺・鐘楼

  • 観音菩薩像

    観音菩薩像

  • 龍津寺・本堂扁額

    龍津寺・本堂扁額

  • 龍津寺・境内

    龍津寺・境内

  • 小島藩主墓石<br /><br />当地を支配した三代小島藩主松平昌信が眠る墓石があります。

    小島藩主墓石

    当地を支配した三代小島藩主松平昌信が眠る墓石があります。

  • 小島藩主松平昌信墓石(拡大)<br /><br />二代信嵩(のぶたか、1710~1731)の長男として小島に生まれ、享保16年(1731)信嵩の死去により僅か4歳で家督を相続、宝暦9年(1759)人材の登用と新田開発、支出の削減等を柱とした藩政改革を行うも年貢増徴と御用金の増大により領民への負担が高まり、後に農民一揆発生し改革責任者の更迭によって改革は挫折します。

    小島藩主松平昌信墓石(拡大)

    二代信嵩(のぶたか、1710~1731)の長男として小島に生まれ、享保16年(1731)信嵩の死去により僅か4歳で家督を相続、宝暦9年(1759)人材の登用と新田開発、支出の削減等を柱とした藩政改革を行うも年貢増徴と御用金の増大により領民への負担が高まり、後に農民一揆発生し改革責任者の更迭によって改革は挫折します。

  • 小島藩主松平昌信墓石<br /><br />法名「静誉円入止観愕伽院」となっています。

    小島藩主松平昌信墓石

    法名「静誉円入止観愕伽院」となっています。

  • 塔婆

    塔婆

  • 歴代住職墓石群

    歴代住職墓石群

  • 六地蔵

    六地蔵

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