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駿河国と甲斐国を繋ぐ甲州往還(現国道52号線)を監視する高台の要衛地に石垣造りの小城郭と称された小島陣屋(おじまじんや、静岡県静岡市清水区小島町)は徳川譜代の滝脇(たきわき)松平氏が1万石を以て十代約163年に亘って知行した小島藩の本拠です。<br /><br />滝脇松平氏は松平親忠の九男乗清が三河国加茂郡滝脇郷を支配したことに始まり、乗清の子孫(乗遠-乗高-乗次)はその後家康に仕え、江戸時代では旗本として代々幕府要職に就き、松平信孝(まつだいら・のぶなり、1655~1690)の頃、元禄2年(1689)若年寄となり、武蔵国埼玉郡、上野国邑楽、勢多、山田の3郡内で4千石加増され1万石の大名として立藩、信孝養子となった松平信治(まつだいら・のぶはる、1673~1724)の頃、元禄11年(1698)に前述の武蔵及び上野の領地を駿河に移され知行地を安倍、有度、庵原3郡に集約、宝永元年(1704)に当地に陣屋を構えて小島藩初代藩主となります。<br /><br />幕末慶応4年(1868)徳川家達(とくがわ・いえさと、1863~1970)が駿河・遠江両国を70万石を以て駿府藩主となると、小島藩は上地(接収)となり、代替地して上総国市原郡、望陀郡、周准郡内に移され周准郡金ヶ崎に陣屋を構えるに至り、更に明治2年(1869)には陣屋の地が不便として望陀郡貝淵に陣屋を移し桜井藩を新設するもその後版籍奉還を迎えます。<br /><br /><br />東から入る大手門入口等に設置された説明板には次の通り記載されています。<br /><br />「 小島陣屋跡<br />           清水市小島本町構内<br />           4926坪(16403平方米)<br /><br />駿河中東部唯一の大名として庵原・有度・安倍・三郡にわたる三十カ村を統治した小島藩壱万石の藩主瀧脇松平氏が宝永元年(1704年)ここに陣屋を構築、以来百六十余年間、藩政の中心地であった。<br /><br />陣屋は、小藩の城郭として古典的なものであったが、明治維新後、小島藩学問所の後身、包蒙舎小学校々舎として用いられ、昭和三年移転によりとりこわされた。<br /><br /><br />       ( 陣屋見取図-略- )<br /><br /><br />多くの歴史と誇りある伝統を秘めた子の陣屋跡がわたくしたちの精神的風土の一つとして末長く保有されることを願うものである。<br /><br />         平成十一年十二月<br />                    小島町自治会 」

駿河興津 甲州往還を一望する要衛地に幕閣を勤めた滝脇松平氏が1万石3郡を以て十代163年に亘り知行した石垣小城郭が残る『小島陣屋』訪問

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2018/03/11 - 2018/03/11

825位(同エリア1088件中)

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滝山氏照

滝山氏照さん

駿河国と甲斐国を繋ぐ甲州往還(現国道52号線)を監視する高台の要衛地に石垣造りの小城郭と称された小島陣屋(おじまじんや、静岡県静岡市清水区小島町)は徳川譜代の滝脇(たきわき)松平氏が1万石を以て十代約163年に亘って知行した小島藩の本拠です。

滝脇松平氏は松平親忠の九男乗清が三河国加茂郡滝脇郷を支配したことに始まり、乗清の子孫(乗遠-乗高-乗次)はその後家康に仕え、江戸時代では旗本として代々幕府要職に就き、松平信孝(まつだいら・のぶなり、1655~1690)の頃、元禄2年(1689)若年寄となり、武蔵国埼玉郡、上野国邑楽、勢多、山田の3郡内で4千石加増され1万石の大名として立藩、信孝養子となった松平信治(まつだいら・のぶはる、1673~1724)の頃、元禄11年(1698)に前述の武蔵及び上野の領地を駿河に移され知行地を安倍、有度、庵原3郡に集約、宝永元年(1704)に当地に陣屋を構えて小島藩初代藩主となります。

幕末慶応4年(1868)徳川家達(とくがわ・いえさと、1863~1970)が駿河・遠江両国を70万石を以て駿府藩主となると、小島藩は上地(接収)となり、代替地して上総国市原郡、望陀郡、周准郡内に移され周准郡金ヶ崎に陣屋を構えるに至り、更に明治2年(1869)には陣屋の地が不便として望陀郡貝淵に陣屋を移し桜井藩を新設するもその後版籍奉還を迎えます。


東から入る大手門入口等に設置された説明板には次の通り記載されています。

「 小島陣屋跡
           清水市小島本町構内
           4926坪(16403平方米)

駿河中東部唯一の大名として庵原・有度・安倍・三郡にわたる三十カ村を統治した小島藩壱万石の藩主瀧脇松平氏が宝永元年(1704年)ここに陣屋を構築、以来百六十余年間、藩政の中心地であった。

陣屋は、小藩の城郭として古典的なものであったが、明治維新後、小島藩学問所の後身、包蒙舎小学校々舎として用いられ、昭和三年移転によりとりこわされた。


       ( 陣屋見取図-略- )


多くの歴史と誇りある伝統を秘めた子の陣屋跡がわたくしたちの精神的風土の一つとして末長く保有されることを願うものである。

         平成十一年十二月
                    小島町自治会 」

交通手段
高速・路線バス JRローカル
  • 小島地区・案内板(全景)<br /><br />甲州道(国道52号)を北進、小島地区の入口と思われる所に小島の史跡を紹介する案内が記されています。

    小島地区・案内板(全景)

    甲州道(国道52号)を北進、小島地区の入口と思われる所に小島の史跡を紹介する案内が記されています。

  • 小島地区・案内板(近景)

    小島地区・案内板(近景)

  • 石碑等

    石碑等

  • 小島地区

    小島地区

  • 小島陣屋跡・説明板<br /><br />小屋の壁には陣屋見取図を描いた説明板が掲示されています。

    小島陣屋跡・説明板

    小屋の壁には陣屋見取図を描いた説明板が掲示されています。

  • 小島町遺跡分布図

    小島町遺跡分布図

  • 陣屋跡・案内板<br /><br />入口には酒瓶神社とともに陣屋跡の案内板が立っています。

    陣屋跡・案内板

    入口には酒瓶神社とともに陣屋跡の案内板が立っています。

  • 小島陣屋跡<br /><br />坂を上って暫く進むと左側に空地が広がっています。

    小島陣屋跡

    坂を上って暫く進むと左側に空地が広がっています。

  • 小島陣屋跡<br /><br />1mに満たない石垣が道路に沿って連なりこれが小島陣屋跡であることがわかります。そして沿道には案内板が立っています、

    小島陣屋跡

    1mに満たない石垣が道路に沿って連なりこれが小島陣屋跡であることがわかります。そして沿道には案内板が立っています、

  • 陣屋裏門跡<br /><br />どうやら陣屋の裏側に来たようです。<br /><br />

    陣屋裏門跡

    どうやら陣屋の裏側に来たようです。

  • 小島陣屋跡・説明板<br /><br />先ほど小島地区入口に掲示されていた説明板と同一のものがここにも立っています。

    小島陣屋跡・説明板

    先ほど小島地区入口に掲示されていた説明板と同一のものがここにも立っています。

  • 石積<br /><br />裏門跡看板の先は勾配高くなっており、そこには段差をつけた石積みが見られます。

    石積

    裏門跡看板の先は勾配高くなっており、そこには段差をつけた石積みが見られます。

  • 小島陣屋・御殿跡<br /><br />陣屋の中央部には藩庁と藩主の住居を兼ねた御殿跡が広がっています。

    小島陣屋・御殿跡

    陣屋の中央部には藩庁と藩主の住居を兼ねた御殿跡が広がっています。

  • 小島陣屋・城域

    小島陣屋・城域

  • 小島陣屋・城域

    小島陣屋・城域

  • 小島陣屋・城域

    小島陣屋・城域

  • 小島陣屋・城域

    小島陣屋・城域

  • 小島陣屋跡看板<br /><br />陣屋の中央部に立つ看板、このあたりが藩主の藩政と住居を兼ねた御殿跡と思われます。

    小島陣屋跡看板

    陣屋の中央部に立つ看板、このあたりが藩主の藩政と住居を兼ねた御殿跡と思われます。

  • 小島陣屋・北方向

    小島陣屋・北方向

  • 小島陣屋・南方向<br /><br />なだらかな下りの先には小島の民家が見渡せます。

    小島陣屋・南方向

    なだらかな下りの先には小島の民家が見渡せます。

  • 小島陣屋・東方向

    小島陣屋・東方向

  • 小島町住宅街区<br /><br />

    小島町住宅街区

  • 小島陣屋・南側

    小島陣屋・南側

  • 小島陣屋石垣<br /><br />野面積みの石垣が見られ、これらは陣屋ながらも小規模大名としての風格を対外的に示そうとする藩主の姿勢が窺えます。

    小島陣屋石垣

    野面積みの石垣が見られ、これらは陣屋ながらも小規模大名としての風格を対外的に示そうとする藩主の姿勢が窺えます。

  • 小島陣屋・石垣<br /><br />1万石の小藩のため城郭は望めませんが小規模ながら野面積みの石垣が立派に積まれています。

    イチオシ

    小島陣屋・石垣

    1万石の小藩のため城郭は望めませんが小規模ながら野面積みの石垣が立派に積まれています。

  • 小島陣屋・石垣

    小島陣屋・石垣

  • 小島陣屋・大手口<br /><br />大手口は御殿の東側にあります。

    小島陣屋・大手口

    大手口は御殿の東側にあります。

  • 大手口に建つ陣屋跡看板

    大手口に建つ陣屋跡看板

  • 大手口北方向<br /><br />大手口右方向は高台となっています。

    大手口北方向

    大手口右方向は高台となっています。

  • 小島陣屋・大手道

    小島陣屋・大手道

  • 小島陣屋石垣

    イチオシ

    小島陣屋石垣

  • 小島陣屋石垣

    小島陣屋石垣

  • 小島陣屋・大手門跡<br /><br />大手門はよく見かける枡形となっており、陣屋ながらも石垣とあいまって典型的な大手門を表しています。

    小島陣屋・大手門跡

    大手門はよく見かける枡形となっており、陣屋ながらも石垣とあいまって典型的な大手門を表しています。

  • 小島陣屋・城域<br /><br />高台からなだらかな南斜面となっています。

    小島陣屋・城域

    高台からなだらかな南斜面となっています。

  • 御殿への登路

    御殿への登路

  • 小島陣屋・城域

    小島陣屋・城域

  • 眼下の小川と竹林<br /><br />手前の涯と竹林との間は小川が東西に流れ、これれが水堀の役割を担っているようです。

    眼下の小川と竹林

    手前の涯と竹林との間は小川が東西に流れ、これれが水堀の役割を担っているようです。

  • 小島陣屋・全景<br /><br />竹林を背にして陣屋の御殿方向を一望します。

    小島陣屋・全景

    竹林を背にして陣屋の御殿方向を一望します。

  • 小島陣屋・全景<br /><br />同様に北西方向を窺います。

    小島陣屋・全景

    同様に北西方向を窺います。

  • 小島陣屋・全景<br /><br />同様に西方向を一望します。

    小島陣屋・全景

    同様に西方向を一望します。

  • 陣屋を囲む小川

    陣屋を囲む小川

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