2017/12/22 - 2017/12/29
3位(同エリア569件中)
noelさん
この日はいよいよピラミッド観光です。
そしてそれと同時に帰国の日でもあります。
エジプトをどこから観光するのか、どんな順番で観光するのか、結構重要な気もしますが、その最後がピラミッドというのは、何とも思い出深くなりそうです。
ただしピラミッド内に入場できるのは嬉しいのですが、帰国前にお風呂に入れないのがちょっと残念です。
そんなわけでこの日の服装にはちょっと悩みました。
カイロでは半そででOKですが、帰国すれば冬です。
空港の片隅で荷物を少しだけ入れ替えました。
【旅程】
12月22日(金)成田発 17:30(EY871便)⇒アブダビ着 翌日0:35
12月23日(土)アブダビ発 3:20(EY651便)⇒カイロ着5:30
カイロ発 10:35(MS361便)⇒ルクソール着11:45
クルーズ船へ
カルナック神殿観光
ルクソール神殿観光
12月24日(日)王家の谷観光
ハトシェプスト女王葬祭殿観光
メムノンの巨像観光
西岸から東岸へファルーカ船にて移動
午後は自由行動
クルーズ船にてエドフへ移動
12月25日(月) ホルス神殿観光
クルーズ船にてコムオンボへ移動
コムオンボ神殿観光
クルーズ船にてアスワン移動(予定)
12月26日(火) イシス神殿観光
アスワンハイダム観光
アブシンベル神殿観光
12月27日(水) アスワン発(NP82便 9:30⇒ カイロ着 10:55
考古学博物館入場
ハンハリーリバザール
12月28日(木) ギザのピラミッド、スフィンクス観光
カイロ発 15:00(EY648便)⇒アブダビ着 20:30
アブダビ発 22:00(EY878便)⇒
12月29日(金) 成田着 12:45
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 3.5
- ショッピング
- 4.0
-
今日も朝早く起きました。
ピラミッドのオープン時間前に到着するためです。
まずは朝食に向かいます。
このプールサイドを通って行きます。 -
昨夜の夕食をとったレストランとは違い、2階のレストランです。
-
種類は結構豊富です。
-
パンの種類も豊富です。ジャムも色々あります。
-
面白い鍋です。
中にに入っているのはスープです。
何だかアラブっぽい感じです。 -
種類は多くても、お腹のキャパシティが決まってますので、このぐらいにしておきます。
-
ホテルをチェックアウトして、いよいよ向かいます。
実はこのホテルの近くに、新しい大エジプト博物館が建築中です。
完成したら、カイロ博物館にあるツタンカーメン関連の物などが移動することになりそうです。
グーグルで確認したら、本来は2015年には完成してるはずだったんですが、そこはエジプト。
色々な諸事情もありますから、仕方ありません。
もうそろそろオープンすると思います。(2018年5月予定とありますが、たぶんもっと遅いでしょう)
総事業費70億円の約半分が日本のODAによるらしいです。(地球の歩き方) -
ギザのピラミッドは120エジプトポンドです。
-
クフ王のピラミッド入場は300エジプトポンドです。
(中の写真は撮れません) -
イチオシ
ピラミッドには3番のりでした。
順番に入場します。
やはり朝一番はいいです。
早起きした甲斐がありました。 -
朝日を浴びたクフ王のピラミッド、格別です。
人によっては、思ったよりも小さかった、などという方もいますが、私にはやはり大きく思えます。
これを約4500年もの昔に建設したかと思うと、ため息が出ます。 -
クフ王、カフラー王のピラミッドが目の前に。
-
馬車でピラミッドまで、なんてちょっといいかもしれません。
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こちらはカフラー王のピラミッドです。
クフ王の息子で古王国時代、第4王朝時代、紀元前2558年から紀元前2532年在位期間です。
頭頂部に化粧石が残っています。 -
こちらはクフ王のピラミッドです。
現在高さは138.74mです。当時は高さ146.59mもありました。
そして建築面積は5ha(ヘクタール)以上
容積は259万2340m3 (立方メートル)
側面の傾斜が51度50分34秒
高さと底辺の半分の長さの比が14対11になるように設計されてました。
クフ王は古王国時代、第4王朝の紀元前2589年から紀元前2566年が在位期間です。 -
階段のように段々になっています。
ただ階段一個分の大きさは、かなり大きいでです。 -
下から見上げると凄い高さです。
盗掘孔まで行くのにもちょっと登らなければなりません。
それにしても、昨日博物館で見たあの小さなクフ王の像からは、信じられないくらいの大きさです。
・・・・・・・というか、あの像が小さすぎるのでしょう。
中にはクフ王の治世はかなり悪かった、という説もあるようです。
真偽はわかりません。 -
入口も結構狭いです。
以前知り合いが、中に入った時に中腰で歩かなければならなかった、と話していましたので健脚に自身がなくなる前に行かなければ・・・と常々思っていました。
実際に体験して、そのとおり場所によっては中腰で歩きました。 -
ここから入場します。
ピラミッドが王の墓であれば財宝が入っているだろうと、多くの人が墓に入ろうとしました。・・墓泥棒です。
その中でも9世紀、アル=マムーン(当時のイスラムのカリフ(指導者))がイラク周辺からエジプトにやってきました。
アル・マムーンは財宝と天体図を得るため(人間の運命を知るため)部下たちにピラミッドを掘るように命令しました。
その時にあけられた場所がここです。(今は私たちがここから入ってます。)
でも高さは地面から約9mもあります。
それは9世紀当時の地面がここだったからです。
頂上から垂線を下したのがここです。
ここから穴を掘っていくうちに、徐々に左の東の方にずれていきました。
その結果ラッキーなことに本当の通路に突き当たったのです。
この大回廊の長さは48m
高さ8.60mです。 -
ついにピラミッドに!
なんだか感激です。
中は上り下りそれぞれ一人ずつ一列での通行でした。
それだけの幅しかありません。
そして何とか玄室までたどり着きました。
ただし玄室には石棺(花崗岩)が1つあるだけです。
おそらくアル・マムーンたちは、財宝も天体地図もなくてさぞかしがっかりしたことでしょう。
玄室(王の間)ですが、広さは5.2m×10.8mの長方形で高さ5.8mの水平な天井です。
天井は平均して約50tの巨大な9個の花崗岩で構成されています。
ところで内部は、写真撮影はできませんでしたが、あの薄暗く、重々しい空気が漂う空間を忘れないでしょう。中の温度は冬でも高く、半袖になっていました。
登る時にエネルギーを消費したせいもあるでしょうが。
ただ現在では狭いながらに階段がありますが、アル・マムーンの部下たちが登った頃の大回廊には階段はありませんでした。足をひっかけながら、現在ならボルダリングでもするように登ったのでしょうか。 -
真下から見るとこ~んな感じです。
この大きさには改めて驚かされます。
私たちの上にあるのが、ピラミッド創建時の入口です。
中心線(垂心)から7.3mほど東に寄ったところです。
それにしても中はかなり暑かったです。
半袖で正解でした。
階段を登ったせいもありますが。 -
らくだに乗っている人がいます。
ここでも物売りさんにはお気をつけください。
相変わらずしつこいです。 -
上を見上げるとかなり高いことがわかります。
-
2018年5月にTBS「世界不思議発見」で興味深いものが放映されていました。
ピラミッドの建設について記された「メレルの日誌」が2013年に発見されたという内容です。
ギザから200km離れた紅海沿岸の地でピラミッド建設にまつわるパピルスが発見されました。
何しろ4500年も昔のもので、しかもパピルスは羊皮紙などに比べて劣化しやすいです。そのバラバラになった800もの破片をつなぎ合わせて解読しました。4年もかかったそうです。
そのメレルという人の日誌によると、アケトクフ(プラミッド)とトゥーラという所を行ったり来たりしていたことがわかったそうです。 -
トゥーラは現在ののワディ・エル=ジャラフ遺跡です。
そこからナイル川までもちょっと距離があります。
でもナイル川の氾濫を利用したようです。
しかも近くまで船着場のような物を作ったのでは・・・。
おそるべし。 -
イチオシ
小さいピラミッドは王妃のためのピラミッドです。
-
三大ピラミッドの中で1番小さいのはメンカウラー王のピラミッドです。
高さ65.5m(クフ王のピラミッドの半分くらい)
底辺105m
容積24万m3 (立方メートル)を少しこえるほど。
傾斜は51度20分24秒
底辺の半分の長さとの比は5対4です。
また化粧石に赤花崗岩を使用していました。
そのためアラブ人に「彩色ピラミッド」「有色ピラミッド」と呼ばれていました。
メンカウラー王は、古王国時代、第4王朝時代、紀元前2532年から紀元前2504年が在位期間です。
カフラー王の息子です。 -
ビューポイントまできました。
ガラベイヤを着て記念撮影をしました。 -
このあたりは砂漠になっています。
-
ギザの三大ピラミッドが見える場所です。
なんだか曇っているように見えます。
砂煙のせいかもしれません。 -
エジプト人はこの三大ピラミッドをこのように呼んでいました。
「クフの地平線」
「カフラーは偉大なり」
「メンカウラーは神聖なり」 -
左がカフラー王のピラミッドです。
右のクフ王のピラミッドと比較するとわかると思いますが、(大きさは同じように見えますが、遠近法によってそう見えます。
ちなみにカフラー王のピラミッドの側面の傾斜が一番急で
53度7分48秒です。
高さ143.5m
底辺215.3m
底辺の半分の長さとの比は4対3です。
建設時の容積は221万7000m3 (立方メートル)
そして特徴的なのは化粧石が残ってます。
それと玄室の入口が2つあります。
カフラー王は古王国時代の第4王朝を統治しました。
クフ王の息子であり、メンカウラーの父でもあります。 -
太陽の船の博物館が手前にあります。
クフ王のピラミッドのすぐそばです。 -
博物館です。
紀元前2500年頃、クフ王のために造られました。
船は2つ発見されていて、ここにあるのは第1の船です。
エジプト考古庁によって発見されました。
長さが42.32m、幅が5.66mもの大きなものです。
レバノン杉からできています。
この他に第2の船が早稲田の吉村作治先生らによって発見されました。
今はまだ復元中でしょうか・・・。 -
今度はスフィンクスを観に行きます。
まずは河岸神殿から・・・。 -
スフィンクスが見えました。
長さ72m
幅20m -
河岸神殿
この神殿では王のミイラが作られたようです。
そして参道を通り、ピラミッドのふもとの葬祭殿で儀式が行われたようです。 -
ちなみに河岸神殿と呼ばれているように、ナイル川が氾濫すると、この神殿の近くまでナイルの水が流れてきていたようです。
-
コインが入っています。
トレビの泉ではないのですが・・・・。(フェンスで囲まれています。)
でもここからカフラー王の座像が発見されました。
現在はエジプト考古学博物館に所蔵されています。 -
発見されたカフラー王の座像
閃緑岩
高さ168cm
古王国第4王朝 BC2550年頃
(エジプト考古学博物館所蔵) -
同じくカフラー王の座像
横から撮りました。 -
こちらは閉まってます。ちょっと気になります。
-
神殿は大きなブロックを使用して作られています。
赤色花崗岩で作られています。
ぴったりと隙間のない作りです。 -
河岸神殿の大広間
石灰岩の巨石にアスワンさんの赤色花崗岩をはめ込んで造営されました。
柱は一つのブロックで作らています。
そして床はアラバスター製です。 -
ちょっと思い出して、スフィンクスの逆方向を見てみました。
そうです。スフィンクスが見ている方向です。
皆さんもご存知のように、この先にケンタッキー・フライド・チキンとその2階にピザハットが見えます。
やっぱりありました。ズームするとわかります。 -
ちょっと脱線してしまいましたが・・。
カフラー王のピラミッドが見えます。
頭頂部に化粧石が残っています。石灰岩です。
この手前の河岸神殿から右手にスフィンクスを見ながら、約500mの参道があり、葬祭殿に通じています。この参道はギザの台地の石灰岩で作られています。 -
この通路の両脇の上に、登ってはいけません。
-
スフィンクスです。
実はちょっと不思議なことがあります。
「歴史」の著者であるヘロドトスですが、なぜかスフィンクスについて、一行も書いていません。
なぜでしょう????
見逃してしまったのでしょうか・・・。
いえいえ、そんなはずはありません。
実は見えていなかったようです。
それは砂に埋もれていたからです。
ちなみに1798年、あのナポレオンが遠征の際にも肩まで埋もれていたようです。 -
ヘロドトスの胸像
これが、古代ギリシアの歴史家のヘロドトスです。
以前撮った写真です。
アテネのアゴラにあるアッタロスの柱廊(古代アゴラ博物館)で撮りました。 -
長さ73.5m、高さ20m、幅6mもあります。
カフラー王によって作られたと言われています。
スフィンクスはアラビア語でアブ・ル・ハウル(Abul-Haul)と
と言います。
その意味は、「畏怖の父」だそうです。
う~~~ん!なるほど。 -
こちらはステラ(石碑)です。
この碑文はトトメス4世が建立しました。
アメンホテプ2世が亡くなった後、王位継承権が高かった彼の兄が亡くなってしまい、自身が王位につきましたが、そのいきさつをこの碑に刻んでるそうです。
それには若い王子(トトメス4世)が狩りの途中でスフィンクスの陰で午睡した際にみた夢にホルエムアケト・ケプリ・ラー・アトゥム神が現れて・・・
「この埋もれた砂を取り払い、掃き清めた者・・・お前に地上での王国を授けよう。お前は後継者としてゲブ神の玉座に座し、赤冠と白冠をいただくであろう・・・・・。」とのお告げがあったそうです。
・・・どこかで聞いたことがあるような・・・。
でも、こんなわけで「夢の碑」と言われているようです。
そして、ここに「Khaf」という文字も刻まれているらしいです。
ほとんど判別できませんが。 -
こちらから行くと、スフィンクスを右手に見てます。
奥のピラミッドはクフ王のものです。 -
実はスフィンクスはカフラー王と思われていたのに、顔が似てない、顎髭がない・・・ということから、クフ王なのでは?という説もあったようです。
私自身は、似てると思うのですが・・。
もともとスフィンクスのある場所は、クフ王の採石場として利用されていたようです。 -
さて中世の石工たちは、それぞれのピラミッドの化粧石を回収してしまいました。
化粧石には関心がありましたが、その内部の石材には目もくれませんでした。
そのため内部の石灰岩などは破壊を免れたみたいです。 -
カフラー王のピラミッドが見えます。
-
イチオシ
目の前に椅子がずらりと並んでいます。
音と光のショーが行わる場所のようです。
これは夜になってからですが。
ただ私はこのショーは見ませんでした。
実はあるクチコミを見てやめておきました。
特に冬場でしたので夜は寒くなりますから、そこまでして見なくてもいいかしら・・と思ってやめておきました。
でも個人的な意見ですので悪しからず。
思い出にはなりますから、ご覧になっても悪くはないと思います。 -
イチオシ
ちょっといい感じ。
-
後ろ姿を見ると、ちょっと意外です。
なんだかバランスが悪いような気もしますが…。
そして意外に大きいです。 -
逆方向から見ました。
-
最後にカフラー王のピラミッドを見ておきます。
-
2012とは書いてますが・・・。
読めません。残念です。 -
マスタバでしょうか・・・。
「マスタバ」とは、個人の墳墓のことです。
死者は地下に葬られました。
アラビア語ではベンチを意味しました。 -
ところでマスタバは、長方形で主に日干し煉瓦で造られていました。
マスタバを積み上げていくと、ピラミッドのようになります。
今回は行けなかったのですが、カイロの近くのサッカラにはジェゼル王の階段ピラミッドがあります。
ピラミッドの変遷を見るようです。 -
ジュゼル王の階段ピラミッドだけではなく、
ダハシュールにあるスネフェル王の屈折したピラミッドもあります。
そしてピラミッドというと、まずはギザのピラミッドを思い起こしますが、他にもスーダンなどのナイル川流域にもあります。 -
ところで「スフィンクス」とはギリシア人が命名したものです。
オイディプスの神話では、「朝は4本足、昼は2本足、夜は3本足。これは何か」と問い、間違った者を食べてしまってました。
ただオイディプスに「赤ん坊の時は四つ足、成長すると二足、年をとると杖をつくから三足の人間」と答えられて、海に身を投げてしまいました。 -
お店の後方にスフィンクスが・・・。
なんだか「いらっしゃいませ。」とでも言っているかのように見えます。 -
らくだは砂漠を歩くものと思ってましたが、舗装した道を歩いています。
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らくだの後ろ姿です。
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らくだ、馬などの料金
30分で100エジプトポンド -
カイロの街並み
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左のビルの名前が可笑しいです。
カイロなのに「Waikiki(ワイキキ)」・・・(-_-;) -
このあたりの道は割と綺麗です。
カイロは本当に混沌として、特に車のクラクションの音は鳴りやみませんでした。 -
私が思っていたよりも道は広いです。
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ベス神がトレードマークになっているパピルスのお店です。
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パピルスは様々な絵があります。
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ここでパピルスの作り方を見せてくれます。
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葱のように見えますが、これはパピルスです。
水に浸してます。 -
日本語がぺらぺらなお兄さんが、パピルスの作り方を実践してくれます。
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パピルスを麺棒のようなものでのします。
ぺったんこになりました。
これを交互に並べてプレスします。
ただ湿気に弱いです。
水に濡れるとはがれてしまいますので、ご注意を!
それから観光地で売ってるいくつかで1ダラー・・のものは、バナナの皮だったりします。 -
パピルスは、よりどりみどりです。
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小さめの物もあります。
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ラムセス2世でしょうか。
勇猛果敢な姿です。 -
暦です。
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イエスキリストまでもがずらーり。
最後の晩餐もあります。
パピルスのイエスキリストとは、イメージが崩れてしまいます・・。
羊皮紙ならわかりますが。 -
これを購入しました。
これは「死者の書」ですが、暗くすると光って見えます。
164ドルで日本円では18,963円でした。
最後の審判の場面です。
右側の椅子に座っているのが、冥界の王のオシリス神です。
オシリスの前の小さな4人は、ホルス神の息子たちです。
そしてその左側が死者をオシリス神に紹介するホルス神です。
そのホルス神の左隣は、審判を受ける死者です。
その左隣のトート神は死者の名前を記録しているところです。
天秤で死者の心臓を秤にかけて目盛りを見ているのは、アヌビス神です。
秤の左側にあるのは、審判を受ける死者の心臓です。
右側にあるのが真実を表すマアト神をあらわす羽根が置いてます。
秤の均整がとれれば、オシリスのいる死後の楽園に行くことができます。
ただし羽根よりも心臓が重ければ(生前の行いが悪いと心臓は重くなります)、秤のところにいる怪獣アメミトに心臓を食べられて、二度と復活(転生)できません。
再生復活を強く願っていた古代エジプトの人々にとって死者の書は大事なものだったんですね。
そしてその右側にいるのが、怪獣アメミトです。 -
ちょっとわかりにくいのですが、電気を消すとこんな風に見えます。
左がツタンカーメン、右がネフェルティティです。
やはり普通のタイプのものにすれば良かったと、ちょっと後悔。 -
もうはがれてますが、一応ヒエログリフの址が・・・。
街並みはお世辞にも美しいとはいえません。
ただ、そこが愛すべき所なのかも。 -
橋の上です。
ナイル川が見えます。 -
シタデルが見えます。
-
側まで行くのかと思ったら、ここから見るだけのようです。
残念! -
ガーマ・ムハンマド・アリ(ムハンマド・アリ・モスク)
2本のミナレットと丸いドームが綺麗です。
エジプトの9割の人がイスラム教徒です。
そんなわけで、エジプトには数多くのモスクががありますが、ここは別格です。 -
高台にあるシタデルにあるため、よく見えます。
このモスクを建設したのは、ムハンマド・アリ・パシャです。
(Muhammad Ali Pasha)です。
1824年に着工して、息子の代の1875年に完成しました。
トルコのイスタンブールにあるブルーモスク(スルタンアフメト・モスク)をモデルに建設されました。
ブルーモスクはミナレットが6本あります。こちらは2本ですが、やはり似ています。
内部と外壁にはアラバスター(雪花石膏)が使用されています。
縞の美しい模様です。そのためアラバスター・モスクと呼ばれることもあるようです。 -
こちらはイスタンブールのブルーモスクです。(2012年8月撮影)
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当時のエジプトはオスマン帝国の属州でした。
でも最終的にエジプトをオスマンから独立させ、エジプトの発展の基礎を築きました。
エジプト総督
ムハンマド・アリー朝初代君主です。 -
このモスクのある地区は旧市街として、世界遺産になっています。
モスクだけではなく教会や学校などの生活の場でもあります。 -
ムハンマド・アリ・モスクのあるシタデル(城塞)は、1176年にアイユーブ朝にサラーフアッディーン(サラディン(創始者))によって建設されました。
この敷地の中には、他にはスレイマン・パシャ・モスク、軍事博物館、警察博物館などもあります。 -
結局は中に入って観光する時間はありませんので、残念ながらここから見てお終いです。
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下から見上げてもいいですが、シタデルから街並みを見てみたかったです。
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周囲を高さ10m、厚さ3mの城壁に囲まれています。
防護用の塔や、籠城戦に備えて井戸も造られました。
元々十字軍の侵攻に備えて造られたものだったようです。 -
運転席からちょっとだけ見えますが、水道橋です。
ナイル川ローダ島からシタデルまで約1500mも続いていました。
こんな風に水源を確保していたようです。 -
城壁が見えます。
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こんな風にガーマ(モスク)はたくさんあります。
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空港へ向かう車です。
相変わらず渋滞してます。 -
カイロ空港が見えてきました。
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出発口です。
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思ったよりも大きな空港でした。
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VIP専用です。
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空港内に入りました。
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あれれ??????
マクドナルド航空?????(笑)
エティハド航空のアブダビ行きのチェックインはまだのようです。
チェックイン・カウンターの数字を見ればアラビア語の数字の1-3までなら、すぐに理解できます。 -
出発ゲートは上のようです。
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Mind your step!
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Duty Free Shop
デューティーフリーショップです。
先が出発ゲートです。
時間がないのでスルー・・・・。 -
EY648便
Abu Dhabi行き。 -
カイロ空港内ですが、イタリアのSegafredo ZANETTIまであります。
ちょっとゆっくりしたいところですが、もう時間です。 -
結果的に空港内のwifiを利用する時間はありませんでした。
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機内食です。
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朝ごはんです。
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なんだか慌ただしくもエジプトを巡って、まだまだ知らないことも多かったように思います。
その中の一つがこれ。
6000年から6500年前の古代遺跡です。
ナブタ・プラヤ(NabtaPlaya)というアブ・シンベルから約100km西のサハラ砂漠上に発見されました。
アフリカにおける宗教建造物では、現存する中で最古のものです。
テキサス州ダラスにあるメソジスト大学の考古学調査隊によって発見されました。
「古代エジプト神殿大百科」
リチャード・H・ウィルキンソン・・より -
高さ2.75mもの立石がいくつも立てられてました。
天文学的な配列を示してます。
そしておそらく祭儀上の意味も持っているでしょう。
ところで、これを見るとストーンヘンジを彷彿とするのですが・・・。
ストーン・サークルです。
古代エジプト文明が興る数千年前に立てられたようです。
あのピラミッドも、これがそもそもの原点だったのでしょうか。
謎は深まるばかりです。 -
2021年1月追記
これより先は、エジプトの考古学者である河江肖剰氏出演の「完全解剖!大ピラミッド七つの謎」の番組を見ての追記です。
ここからは、旅行記っぽくなく、個人的な備忘録的要素が高いので、スルーしてください。
ピラミッドを建設したのは誰だったのでしょう?
古代エジプトでは、ナイル川の東側は生きている人々の世界、そして西側は死者の世界です。
でも、その死者の世界の西側に、人の住居跡が見つかったのです。
これは考古学者マーク・レーナー博士(河江肖剰氏の恩師)が、メンカウラー王のピラミッド河岸神殿西の付近に、住居の跡があるのを発見しました。
これこそがピラミッド建設に携わった人々が住むピラミッド・タウンでした。
そしてその労働者たちは、1日に2400キロカロリーの食事をしていたことがわかりました。
肉体労働を行う人たちに、炭水化物、たんぱく質が保証されていました。
パンの種類も豊富で27種類もあったようです。また、ナイル川でとれた魚を食べビールを飲み、満足のいく報酬を得られていたので、奴隷ではないことがわかりました。 -
大ピラミッド(クフ王のピラミッド)は、どのようにして造ったのか、今までも色々と論ぜられてきました。
どのようにして平均2.5トンもある巨大な石を運んだのか・・・。
ギザには建設途中の未完成のピラミッドがあります。
そこにヒントがありました。
それは、まさに傾斜路を作っていたのです。 -
石の運搬はどのようにして行ったのか、推論が次の通り3つあります。
・滑車のようなもので吊り上げた・・×(まだ、この時代にはなかった)
・複数の人間が持ち上げて運搬した・・×(落とした時に、危険である)
・傾斜路を使って運んだ・・〇 -
2018年ハトヌブ採石場で新たな発見がありました。
エジプト考古学者のオリビエ・ラビーン氏によると、壁にクフ王の刻印のあるヒエログリフを発見したのです。 -
クフ王のカルトゥーシュが刻まれています。
-
そこには丸い穴(人間一人が入れるぐらいの)がありました。
穴はこのように傾斜路の左右にありました。 -
実はその穴は柱の穴でした。
この柱にロープを巻き付けて複数のグループで交代しながら運搬しました。 -
急勾配でも上へ上へと運び上げることができたのです。
12度の傾斜でも可能でした。
本当に凄いことです。 -
ピラミッドの建設にはどのぐらいの年月がかかったのでしょう?
ギリシアのヘロドトスはピラミッドの建設は10万人の人間を使い、20年の歳月を要したと記述しています。
実際にはどうだったのでしょう。
実は2013年にワディ・エル=ジャラフという紅海の沿岸で、人類最古のパピルスの発見がありました。
何十巻というパピルスが置かれていて、そのまま砂に埋もれた状態でした。 -
その後パピルスを修復し解読した結果、ピラミッド建設のチームの記録であることがわかりました。
「メレルの日誌」と呼ばれるもので、中級役人の監督であるメレルはピラミッド建設に携わっていました。
その「メレルの日誌」がカイロ考古学博物館にあり、それを解読したところアケトクフ(ピラミッド)とトゥーラという採石場を行き来していたことが判明しました。 -
この人がメレルです。
これはカイロにあるエジプト考古学博物館にあります。
博物館には書記の座像と説明がありましたが、実際にはピラミッド建設の監督官のような仕事をしていたことがわかりました。 -
このトゥーラには化粧板に使用される石があります。化粧板はピラミッドの表面を覆った白い石です。
簡単に説明すると、白粉みたいなものです。
(三大ミラミッドの中では、カフラー王のピラミッドにだけ、頂上部分に化粧板のキャップストーンが残っています。)
つまりはピラミッド建設の最終工程に入ったことを意味しています。
ピラミッドの建設は、ファラオが即位すると同時に始められました。
それを計算すると、26-27年の歳月がかかったことがわかりました。
※ エジプトでは当時2年に1度、家畜の調査が行われていました。(現在の国勢調査のようなものでしょうか)
それによると、13回目の家畜調査の年であったようですので、26-27年という年数がわかりました。 -
なぜピラミッドは今のような形になったのでしょう?
そのヒントはダハシュールにある屈折ピラミッドにあります。
このピラミッドはクフ王の父であるスネフェル王によって建設されました。
このスネフェル王は、古王国時代の第4王朝ぐらいの王です。
ピラミッド建設を積極的に推し進めた人物でした。
屈折ピラミッドの他に、赤いピラミッド、崩れピラミッド等4基(5基?)を建造したそうです。
その総体積を計算すると全てのファラオの中で最大であると言われています。
ピラミッドだけでなく、国を興し、宮殿建設や他国への軍事遠征などを行いました。
国の力を初めて使ったとも言える王でした。
それまではマスタバと呼ばれたベンチのように見える日干し煉瓦を積み上げた王墓は地下にありました。
それが四角錘の形になったのは、太陽神信仰があったと思われます。ファラオの力が神の位置に近付いた時代でした。
エジプトはナイルの賜物で、全長約6700キロもある母なる大河が古代エジプト人にとって拠り所となっていました。この水から生まれた世界と、太陽に向かって聳え立つ神々しいピラミッドの姿は、生命の表れでもあります。ファラオだけでなく、ナイル川で生活する古代エジプト人にとってもエジプトを象徴する原風景でもありました。 -
物資はどこから来たのでしょう?
古代エジプトという国の形が生まれた時、建設に係る周辺地域との戦いが起きました。
ワディ・エル=ジャラフという紅海沿岸の辺境の地でパピルスが発見されました。
衛星写真の地図により、ピラミッド・タウンと同様の遺跡が見つかりました。
当時は建設の道具として鉄はまだ使われてなく、銅が使われていました。
銅の器具は掘り起こすためにとても重要です。このため大量の銅が必要でした。
この銅鉱山は対岸のシナイ半島にありました。そこで船で銅の運搬を行っていました。
(純度の高い銅を作るため、錬金術のようにロバの糞を混ぜてたとも・・・・・。)
ちなみに1つの鉱山で10万tを採掘したようです。
このため周辺地域との争いがありました。
砂漠の民であるベドウィンには火をつけられて燃やされたこともありました。
この当時は水上交通が最も重要でした。敵から船を守るために、石灰岩を切り出した大きな細長い岩窟に船を隠しました。そしてその岩窟を約20tのブロック岩で塞いでいたのです。
また、船の原料となるのはレバノン杉でした。つまりレバノンまで向かって調達していました。
シナイ半島にも要塞跡があるようです。
この時代は軍需品を略奪から守るために厳重に防御していました。 -
なぜピラミッドは廃れてしまったのでしょう?
これはペピ1世のピラミッドです。
大ピラミッドが建設されて、300年後に建設されましたが、かなり小さなピラミッドです。 -
4300年前のお墓の中で最も大きな物がメレルカのマスタバ(お墓)です。
メレルカはサッカラにある古王国時代の第6王朝テティ王に仕えた王の都を監督する監督官であり、司祭であり、最高判事であり、88もの称号を持ついわゆる宰相でした。
そのメレルカのマスタバの中に面白いレリーフがありました。
罪を犯した部下のレリーフを削ってしまっています。
エジプトでは、よくこのような削除されたレリーフを見ました。
後世の者が、様々な理由からこのように歴史から抹消するかのように消してしまっているレリーフです。 -
右がメレルカで、左が妻(王の娘)です。
ピラミッド建設には、物流のネットワークやシステム等のインフラ整備が急速に進められました。
人の組織管理をするイノベーティブな時代でした。
それを管理するのが官僚です。この時代は官僚たちの権力が増大した時代でもありました。
そのためメレルカには王の娘を嫁がせてまでいたのです。
つまりはファラオ(王)の力が衰えていくという新たな局面を迎えた時代でもありました。 -
ピラミッドはなぜ復活したのでしょう?
これは今のスーダン領になっているヌビアにあるピラミッドです。
ピラミッドは憧れとして、そのシンボルとしてエジプト以外でも建設されました。 -
ナイル川の流域にあるヌビアにクシュ文明が栄えました。
三角錘のこの形は傾斜が多少急ですが、明らかにエジプトのピラミッドの影響を受けているといえます。
古代エジプト文明はまだまだ謎が多いです。
そして砂漠からは次々に新たな遺跡などが発見されてます。
それによっては、歴史が塗り替えられていくかもしれません。
この悠久の大地にロマンを感じます。
The end.
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この旅行記へのコメント (7)
-
- 人見知りのサンタさん 2018/09/30 20:24:01
- ありがとうございました
- いつもありがとうございます。実は私事で恐縮なのですが日本一周のアップ終了後に、体調を崩しまた。9月27日早朝に救急搬送され、検査の結果、脳腫瘍と診断されました。明日、大学病院に転院予定になっております。まだ今は麻痺が治っている状態なので病院のベットから送信している次第です。どうぞ皆様もお身体ご自愛ください。尚、この書き込みには返信は無用でお願い致します。また4トラでお会い出来る日を楽しみにしております。
人見知りのサンタ
-
- pedaruさん 2018/08/27 22:20:21
- エジプト
- noelさん こんばんは
誰もが一度は見たいピラミッドですが、なかなかハードルが高く思えます。
いままでたくさんの写真を見てきましたが、noelさんのピラミッドは本当に高く感じられてその大きさが想像できます。また、詳しい解説で大変参考になりました。
旅行記作成は大変な作業かとお察しします。私のように気ままにいい加減なことを書いているのと違い、資料の収集も大変ですね。そのぶん中身の濃い旅行記になっています。
写真ではスフィンクスの後ろ姿もなかなか見ることもなかったのですが、珍しい写真も拝見しました。それにパピルスの作り方、実物のパピルス、茎の上の部分の葉がなるほど水生植物だとよくわかりました。
素晴らしい旅行記でした。
pedaru
- noelさん からの返信 2018/08/28 22:30:05
- ありがとうございます。
- pedaruさん、こんばんは
またピラミッドの旅行記をご覧いただきありがとうございます。
エジプト旅行は、主人の仕事の関係でどうしても行けなかったのですが、
ようやく積年の思いが実現できました。
ただしテロの脅威も勿論ありましたので、それを考えると本当にハードルが高かったかもしれません。
ピラミッドに関しては、案外と大きくなかった、という意見もあるようですが、当時のエジプト文明に思いを寄せると、私にとっては思ったよりも大きく感じました。
旅行記は、行く前よりも現地で見たものの解析をするのに、時間を要することが多いです。
パピルスの作り方は、実際に目で見て、案外簡単にできることがわかりました。(笑)
pedaruさんの、デルフィの旅も素敵でしたね。
三島由紀夫の足跡を辿っていくなんて、また別の目的があっていいですね。
私も以前タイのバンコクの暁の寺(ワットアルン)に、行きました。
また、アテネには行ったことがありますが、デルティには行っていないので、できれば行ってみたいと思ってます。
参考にさせていただきました。
ありがとうございました。
また、よろしくお願いします。
noel
-
- liccoさん 2018/07/25 21:14:16
- 素晴らしい
- はじめまして
noelさん
素晴らしい旅行記をありがとうございます😊
これから行きたいと 検討しているのですが、トランジットだったのですね。
私は いま、旅行会社から、カイロまで、直行便があるので、どうぞ!と、誘われています。
いろいろ参考になりました。
買い物の値切りに興味しんしんと不安ですね。😁
大丈夫かしら?笑
- noelさん からの返信 2018/07/26 21:32:31
- ありがとうございます。
- liccoさん、はじめまして
私の方こそありがとうございます。
エジプトへは、当初の予定ではチャーター便で行く予定でしたが、旅行の直前にキャンセルになってしまい、あえなくトランジットとなってしまいました。
その後エジプト航空の直行便でも利用できるようになったとのこと、やはり直行便の方が楽でいいですね。
エジプトでは、色々なトラブルもありましたが、その分思い出に残る旅になりました。
観光地での物売りは、本当にしつこかったです。(-_-;)
参考になるといいのですが・・・。
さて、liccoさんは昨年スコットランド・・・・英国を旅されたのですね。
実は私も8月には、ほぼ同じようなコースを回る予定です。
そんなわけで、私の方こそ参考にさせていただきます。
どうぞ今後ともよろしくお願いいたします。
noel
-
- jijidarumaさん 2018/06/16 11:37:24
- エジプト文明
- noelさん、
おはようございます。
遠い世界史の世界であったエジプト文明の偉大なる遺産の数々、
拘って旅行記にされたnoelさんに敬意を表します。名前が頭に
入らない難しさがありましたが、大変興味深かったです。
エジプト文明を筆頭に、メソポタミア文明、インダス文明の「世界三大文明」
と世界史で覚えていましたが、、近年は黄河文明を含め「世界四大文明」、
更にはメソアメリカ文明、アンデス文明を加えた「世界六大文明」という意見も。
ともあれ、エジプト文明が私共には一番身近なような気がします。
英国を始めてする欧州各国に分散した貴重なエジプト遺産、観光客には見る機会も
多いメリットがあるとはいえ、ギリシャの文化遺産の返還請求と同じで、価値が
あるだけにエジプトに返還されるのは難しいことでしょうね。
それではまた。
jijidaruma
- noelさん からの返信 2018/06/16 22:02:57
- RE: エジプト文明
- jijidarumaさん、こんばんは。
いつもありがとうございます。
確かに子どもの頃からエジプトには興味をもっていました。
世界史の授業の中でも別格でした。
そんなエジプトを体感できて、本当に良かったです。
> 名前が頭に
> 入らない難しさがありましたが、大変興味深かったです。
確かにそうですね。慣れてくると少しは覚えられました。
ありがございます。
それから、あちこちに流出してしまった遺産は、残念ですが返還はないでしょうね。
それよりもjijidarumaさんのドイツの旅行記は、本当にお詳しくていつも、色々なことを
教えていただいてます。
ドイツ愛が窺えます。
ローゼンクランツのマリア像、とても美しいですね。
蜂の一刺しも、とっても美味しそうでした。
では、またよろしくお願いいたします。
梅雨でうっとおしいですが、どうぞご自愛ください。
noel
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