2017/12/22 - 2017/12/29
3位(同エリア432件中)
noelさん
この日はイシス神殿~アスワン・ハイ・ダム~アブシンベル神殿へ向かう予定です。
本来はクルーズ船でアスワンまで行き、そこから向かう予定でした。
それがナイル川の水位が低く、無理をすると座礁してしまう恐れがあるということで、前日の夜に移動するはずが、そのままコム・オンボに停泊しました。
そんなわけで当初の予定よりも1時間以上前には出発して、船ではなくバスで移動しなければならなくなりました。
ただこんな事にはなったものの一つだけ良かった点は、早朝のコム・オンボ神殿を見ることができたことです。朝の姿も威風堂々たるものでした。ただ写真を撮ったのですが、全てぼけてしまってました。(悲)
【旅程】
12月22日(金)成田発 17:30(EY871便)⇒アブダビ着 翌日0:35
12月23日(土)アブダビ発 3:20(EY651便)⇒カイロ着5:30
カイロ発 10:35(MS361便)⇒ルクソール着11:45
クルーズ船へ
カルナック神殿観光
ルクソール神殿観光
12月24日(日)王家の谷観光
ハトシェプスト女王葬祭殿観光
メムノンの巨像観光
西岸から東岸へファルーカ船にて移動
午後は自由行動
クルーズ船にてエドフへ移動
12月25日(月) ホルス神殿観光
クルーズ船にてコムオンボへ移動
コムオンボ神殿観光
クルーズ船にてアスワン移動(予定)
12月26日(火) イシス神殿観光
アスワンハイダム観光
アブシンベル神殿観光
12月27日(水) アスワン発(NP82便 9:30⇒ カイロ着 10:55
考古学博物館入場
ハンハリーリバザール
12月28日(木) ギザのピラミッド、スフィンクス観光
カイロ発 15:00(EY648便)⇒アブダビ着 20:30
アブダビ発 22:00(EY878便)⇒
12月29日(金) 成田着 12:45
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 観光バス 船
-
朝早くコム・オンボに停泊していたクルーズ船から、バスでアスワン方向に向かいます。
なんとものんびりした景色です。 -
検問所の様子です。
(写真を撮ってもいいか尋ねたら、OKとのこと。)
日中は暖かいのですが(人によっては暑いぐらい)、早朝は寒いです。
こんな風に焚火をして暖をとっていました。
この日の日の出は6時30分くらいでした。
検問所ではバスの乗客の人数など細かく報告しなければなりません。
また船名や運転手の携帯番号などまで。
かなり厳しいです。
そして写真を撮ってはいけないことになってます。
そんな訳で、一応確認をして撮らせていただきました。
それと他の検問所では、建物の上からバスに向かって銃口を向けていることもありました。やはりテロは深刻です。
即、射殺されるのでしょうか・・。
物々しい雰囲気です。
警備してる時は皆さん真剣な顔をしています。
ただ、バスからにっこり笑って手を振ってみたら、たいがいの人は笑顔で手を振り返してくれました。
ちょっとほっとしました。 -
現地の人たちも寒そうです。
朝晩と日中では寒暖の差があります。
私は冬物のダウンを持って行ったので、重宝しました。
旅行中は現地のガイドさんの服装をだいたい参考にしてました。 -
素朴な町(?)並み
トラックで牛が運搬されてます。 -
ナイルは泰然としています。
-
大きな橋があります。
-
川の向こうにまるでブロックのような建物が可愛らしく建ってます。
-
ボート乗り場です。
ここから船で向かいます。 -
船の奥の方にアスワンダムが見えます。
アスワンダムの上は道路になっていて、車が走っています。
1902年に建設されました。 -
船頭さんは携帯電話で話中です。
この辺りはヌビアの地域です。
*ヌビアとは
エジプトの南部にあるアスワン付近から隣国スーダンあたりの地域のことです。
それからこの近くには石切り場があります。
そこには切りかけた状態のオベリスクがあります。
完成していればエジプト最大のオベリスクになっていたようです。
見たかったです。 -
イチオシ
神殿が見えてきました。
イシス信仰が聖母マリア信仰に繋がっていった・・・ということもあり、この神殿には、また格別な思いをもって行きました。 -
もうすぐ着きます。
フィラエ島のイシス神殿は、アスワン・ダムが完成した後、水没してしまいまた。またアスワン・ハイ・ダムができるとアブシンベル神殿など完全に水没することがわかりました。そのためにアギルギア島に移築されました。
そして元々のフィラエ島は水没してしまったために、現在のアギルギア島がフィラエ島と通常呼ばれるようになりました。 -
神殿の反対側にある島です。
大小様々な石がゴロゴロしています。 -
さて、到着しました。
ここは島なので、ご覧のように船で来るしかありません。 -
入場料は100エジプトポンドです。
-
ブーゲンビリアが可憐に咲いています。
エジプトではよく見かけます。
ジャカランダの花も咲くそうです。
残念ながら今回の旅では見かけませんでした。
フィラエ島は「ナイルの真珠」と呼ばれたそうです。
そして緑生い茂る魅力的な島だったようです。
ここアギルキア島も綺麗ですが。 -
第一塔門方向に向かいます。
島に上陸してすぐネクタネボ1世のキオスクがあります。
まずは左側に列柱があり、しばらく行くと右側にも列柱が続きます。 -
イチオシ
フィラエ神殿(イシス神殿)の第一塔門です。
この神殿はフィラエ神殿とはいうものの、フィラエ島ではなく、現在はアギルギア島にあります。
理由はご存知のように、ダムの建設によってフィラエ島は水没してしまいました。そのためこのアギルギア島へ移転されました。
そしてこのため、ユネスコの世界遺産「アブ・シンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群」として登録されました。 -
第一塔門の左側にはプトレマイオス1世が、敵の髪をむんずと掴んでいる様子がかれいます。
そして右側はイシス神とホルス神とハトホル女神でしょうか。 -
ここはもともとはオシリス神の島であったようです。
古代エジプトでは、最も有名な神話ですが、オシリス神は弟のセト神に殺された・・・という前に書いたエドフのホルス神殿の中にもありますが・・・。
【簡単なストーリー】
兄「オシリス」と弟「セト」がいました。
(他にも姉妹もいます。イシスもそうです。)
王位を継承したのは、兄である「オシリス」でした。
そのため(厳密にはこれだけが理由ではないようですが)、「セト」は兄「オシリス」を妬みました。その結果「オシリス」を殺害してしまいます。
(正確にはセトの策略に騙されて、箱(柩)に入れられてナイル川に流されてしまいます。)
でも妻「イシス」は柩(箱)を探し求めて、東地中海のビブロスまで行きました。そして柱にされてしまった「オシリス」を魔術を使ってエジプトに持ち帰り、隠しておきました。
でもセトに見つかり、遺体を14の部分にバラバラにされてしまい、エジプト中にばらまかれてしまいます。
それを「イシス」は再び探し求めて、繋ぎ合わせて魔術をかけて復活させました。ただし完全な体ではなかったために現生ではなく「冥界の王」となりました。
そして「イシス」と、大人になった「ホルス」が協力をして「セト」を倒して「ホルス」がエジプトの王となりました。
・・・・というものです。
そのオシリスとイシスの子、ホルスが生まれたのが、このフィラエ島だったのです。
今、その第一塔門前に立っています。 -
ガラベイヤを着た人がいます。
声をかけてきますが、ちょっとお気をつけください!
中国人の女性が、写真を撮ってもらったり、また一緒にに写真を撮っていたようですが、最後にバクシーシ(喜捨(お金))を要求されていました。 -
塔門前にはスフィンクスがいます。
オシリス神の事についてちょっとだけ!
先ほどオシリスの受難について書きましたが、このことについてナイル河口のケンミスユリという所に住んでいたパン(ギリシャ神話の牧神)やサテュロス(ギシャ神話の半人半獣の精霊)が、最初に知って事件の知らせを広めました。
そのため、今もなお大勢の人が突然に混乱し興奮することを
「パニック」といいます。
これが「パニック」の語源であるとのこと。
ただ、実をいうとギリシャ神話では、ちょっとこれと違うのですが・・・。
ついでにこのことを知ったイシスは、その場で髪を一掴み握って切って、喪服を纏いました。そこからその町は「コプトス」と呼ばれて「喪失(Koptein)」を意味するそうです。
*「コプトス」とは、ルクソールの北約400mのナイル川東岸の古代エジプトの都市のことです。今は「キフト(Qift)」と呼ばれています。
これは「エジプト神イシスとオシリスの伝説について」に書かれていました。
プルタルコス作です。 -
この塔門前にはオベリスクがあったようです。
それらしき台座のような物が残っています。
そこでちょっと調べたところ、なんとイギリスにあるらしいです。
南西部のドーセットのウィムボーン・ミンスターのキングストン・レイシーに移したようです。現在はナショナル・トラストとなりましたのでお庭で見ることができます。
・・・ただ、ここで見たかった!!!
そのオベリスクには「プトレマイオス」「クレオパトラ」の名前が確認されました。
(プトレマイオス9世と妻クレオパトラ3世の名前入り碑文)
シャンポリオンのヒエログリフの最終的な解読に通じたようです。
皆さんもご存知のようにロゼッタストーンによって解読されたことになっています。
ただロゼッタスト―ンだけではなく、このオベリスクもその役に立ったのです。
本体のオベリスクにはヒエログリフ、そして台座部分にはギリシャ語で碑文が書かれていました。
それ以前にシャンポリオンは、ヒエログリフ(聖刻文字)、デモテッィク(民衆文字)とギリシャ語で書かれたロゼッタ・ストーンを見て、プトレマイオスとクレオパトラの王名を示すカルトゥーシュを比較していました。
そしてこのオベリスクが決定的な役割を果たしました。
(もうここにはありませんが・・・。)
それからロゼッタ・ストーンについて、ちょっと。
1799年にナポレオン軍が、エル・ラシード(ロゼッタ)村で発見しました。
ただし、フランス軍は敗北しましたので、イギリス軍の手に渡り、ロゼッタ・ストーンは今も大英博物館にあります。
もしフランス軍が勝利していたら、今頃ルーブル美術館にあったことでしょう。
ただ解読150周年の1972年には、ルーブル美術館で1か月展示されたようです。 -
第一塔門から桟橋の方向を見た景色です。
反対側からの眺めですので、右側が西列柱廊で、左側が東列柱廊です。
ちょうど左手前あたりがイムホテプの礼拝堂です。
イムホテプとは(Imhotep)・・・
彼のことはコム・オンボでもちょっとだけ見ました。
彼は古代エジプトの高級神官でした。
また第三王朝ジュゼル王の宰相でもありました。
そしてジュゼル王のピラミッド(サッカラの階段ピラミッド)を設計した建築家でもありました。
また内科医でもありました。
凄い人物でした。
その内科医としての姿がコム・オンボの神殿のレリーフに残されていました。
でも最も有名なのは、映画「ハムナプトラ」でしょう! -
塔門の右の内側には面白いものが・・・。
ここにはある人の名前が書かれています。
フランスで有名な人です。
「私の辞書に不可能という文字はない」と言った人です。
そうです。
ナポレオン・ボナパルト(Napoleon Bonaparte)です。
彼はエジプト遠征したことは知っていましたが、ここまで来ていたんですね。
痕跡を残してます。
水色の〇のところに名前が書かれています。
ナポレオンだから後世になっても、こんな風に「ナポレオンだ!」などと呑気な事を言って見てますが、痕跡を残したかったのでしょうか・・・。
「ボナパルト参上」な~んて。
確かにナポレオンはエジプト遠征してますので、アレクサンドリアやカイロあたりまで来てるのはわかりますが、このヌビア地域まで来ていたのは吃驚でした。
そして遠征するときに、確か学者などの調査団も同行していたはずです。
このお陰で改めてエジプトに目がいくようになったとすれば、功績は大きいのかもしれません。 -
第二塔門
もともとは第30王朝のファラオによって、ハトホル神のために造られました。
この塔門は幅32m、高さが12mあります。 -
第二塔門手前の列柱です。
-
よく見ると何かが描かれているようです。
-
列柱の柱頭には、ハトホル女神が描かれています。
プトレマイオス時代になると、列柱も随分と複雑なものまで描かれるようになってきました。
マンミシ(Mammisi)(誕生殿)です。 -
こちらは第二塔門です。
プトレマイオスがホルス神とイシス神に捧げ物を渡している様子です。 -
プトレマイオス6世による花崗岩の大きな石碑があります。
この石碑に書かれているのは、あのロゼッタストーンと同じ内容らしいです。 -
ズームします。
ロゼッタストーンではありませんが、上から
ヒエログリフ(聖刻文字・象形文字)
↓
デモティック(民衆文字)
↓
ギリシャ文字
で書かれているようです。見えにくいのですが。特に下段はほとんど見えません。 -
ホルス神とセクメト女神
2人とも左手にアンクを持っています。 -
オシリス神とイシス神でしょうか。
-
列柱に十字架が刻み込まれています。
紀元前550年に閉鎖されました。
そして4つのキリスト教会として再び利用されました。
これはその時代のコプト十字架です。 -
キリスト教徒にとって、ここが祈りの場だったのでしょう。
-
見えにくいですが、ここにもコプト十字があります。
ここには蝋燭などをたてたようです。 -
ここにもコプト十字が刻まれています。
-
イシス神に守られているオシリス神のレリーフ
-
イシス神がホルス神を抱いています。
この姿は聖母マリアとイエス・キリストに通じます。 -
アラビアの道(サウジアラビア王国の至宝展)からの展示物です。
東京国立博物館の表慶館にて。
撮影可でした。
イシス=テューケー
カルヤト・アルファーウ
紀元前1-3世紀頃
緑軸陶
エジプトのイシス女神と、ヘレニズム世界で信仰を集めたテューケーが習合。
イシス女神とホルス神です。
ちょっとここで神について・・・。
「ヘルメス文書」より一部抜粋します。
ここには神々の名前について記されているのですが、こんなことが書いているのです。
陽の道の監視のために配された力をホルスといい、ギリシャ人はこれをアポロンと言います。
風の監視にあたるのはオシリス、又はサラピスと呼ばれています。・・・・(以下省略)・・・・・・エジプト人はソティスと称します。このソティスというのは「妊娠」(kyesis)すなわちイシスに固有の星と信じられている「犬星」(シリウス)になります。
こういうような次第で神の名前について、これはギリシアのものだ、とかエジプトのものだ、と張り合うべきではありません・・・と。
なにしろイシスをアテナと呼んだり、セトはデュポンと呼んだりしています。
*「ヘルメス文書」とは古代の神秘主義の写本で、ヘルメス・トリスメギストスが著者です。
このヘルメス・トリスメギストス( Hermes Trismegistus)は、錬金術師です。
エジプトのトト神とギリシアのヘルメス神が融合されて、それに錬金術師のヘルメスが同一視されました。
参考文献:「エジプト神イシスとオシリスの伝説について (岩波文庫) 」プルタルコス -
至聖所
花崗岩のベース
イェルゲテス1世とその妻ベレニツェによって提示されました。 -
ウアジェトの目のようなものを献上しているように見えます。
-
ソベク神にも見えますが・・・。
-
左からオシリス、中央はイシス、右はホルスのレリーフ。
フィラエ島のイシス神殿は、最後までイシス信仰が保たれた神殿でした。
元々イシス信仰はありました。
ただ特別な信仰になっていきました。
まず、オシリスが復活し、ホルスが生まれましたが、ホルスが後継者として認められるまでの間、イシスはホルスを沼地に隠して、一人で密かに育てました。
イシスの母性が重要視されていきました。お乳をあげてる姿が多いのも母なる女神、大地の母として認められるようにりました。
エジプト王国が衰退した後も、大切な女神としての地位を失っていません。
そしてイシス信仰は船乗りたちによってローマに伝えられ、やがてはローマ帝国に隅々まで広まりました。 -
供物を捧げています。
-
「Cartouche(カルトゥーシュ)」について
第3王朝の後期から王朝文化の終わりごろにかけて、王の名前が記された楕円形の枠になっています。
この形は何かに似ています。
「弾薬筒(フランス語訳)」です。
これはナポレオンがエジプト遠征をした際に、その形が薬包に似ているから名付けたものでした。
そして先ほども述べたように、ナポレオンはここにも参上しています。 -
階段があります。
-
右側のレリーフはほとんど削られてしまっています。
正面にはまたギリシャ語が書かれています。
座標のようなものも書かれているようです。 -
随分とくっきり浮かび上がっています。
下に描かれているカルトゥーシュなどが隠れてしまっています。
十字架が描かれています。
フィラエのイシス信仰は、王朝文化の最後の拠点として、キリスト教時代でも生き残りました。
そして島は535年頃、最終的に放棄されました。 -
イチオシ
右側にナイル川が見えます。
アウグストゥスの礼拝堂方向を見ています。 -
こちらは左にナイル川を見て
-
ここに描かれているのも、塔門に描かれていたような場面ですが、削られてしまっているのでわかりにくいです。
-
まだ午前ですので、東の方から陽が照らしています。
-
イチオシ
トラヤヌス帝のキオスクです。
列柱が細かく描かれています。
キオスクなので船着場とか休憩場所として使われていました。
実はこれは未完成です。 -
青空との対比が美しいです。
天井はありません。
トラヤヌス帝(在位98-117年)を記念して増築されました。
そして神殿の西側のアーチ状の門はハドリアヌス(在位117-138年)を記念した門です。
それから453年に書かれた碑文には、東西に分裂するまでの最後のローマ皇帝のテオドシウス1世(在位349-395年)が、392年までにキリスト教をローマの国教とする政策を完了させて、異教の神殿を閉鎖する命令を出したことが記されています。 -
左がハトホル神殿で、ちょっとだけ見えている右の方がトラヤヌスのキオスクです。
-
ちょっと近くに寄ってみました。
ハトホル神殿です。 -
ハトホル女神が描かれています。
-
レリーフが刻まれていますが、ちょっとわかりにくいです。
-
神殿を東側から写しています。
-
海は穏やかです。
・・・・と言いたいところですが、海ではありません。
ナイル川です。 -
島が見えます。
-
でもズームして見ると、島というよりは岩山と言った方がいいかもしれません。
そしてその後方にはやはり見張り台があります。 -
ちょっと年季が入っていますが、フィラエ島の案内版です。
-
こちらも同様に案内ですが、やはり古いです。
-
桟橋付近にいた猫ちゃんです。
まるで番犬?番猫? やっぱり招き猫のようです。 -
写真で見た方が水が綺麗に見えます。
-
またアスワンダムを横に見ながら戻ります。
-
船頭さんです。
左の人は、意味不明な日の丸模様のトレーナーを着ていました。
日本人担当なのでしょう。 -
船から降りると例のごとく、土産物屋さんがずらーりと待っていました。
添乗員さんが以前に香りつきのブレスレットを買ったというので探しましたが残念ながらありませんでした。
白檀の扇子ような感じのものなのでしょうか・・・。
ちょっと気になります。
ちなみに随分前にバリ島のグランド・ハイアットのスパでいただいたブレスレットがあるのですが、石(テラコッタらしき)にアロマオイルを点けて、香りを楽しめて気にいってます。
でもブレスレットそのものから香りがするものの方が魅力的です。
ちょっと残念でした。
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この旅行記へのコメント (2)
-
- みかちゃんっすさん 2023/10/14 20:44:11
- フォローありがとうございます!
- noelさん、私の拙い旅行記見ていただきありがとうございます!
フォローまでして頂きありがとうございます!
エジプトはいつか行ってみたい場所です!
コロナで海外旅行も躊躇している所なので、まだまだ実現できるのは先の事になりそうですが、仕事もリタイアして余裕が出来たらぜひとも訪れたいですね~♪
行きたい場所はたくさんあるのですが、全て希望通り行けるかな・・・(^^;)
夢は大きく!志は高く!叶う事を願って!
また訪問させて頂きますね~(^^♪
- noelさん からの返信 2023/10/14 22:25:43
- RE: フォローありがとうございます!
- みかちゃんっすさん、こんばんは
私の方こそありがとうございます。
楽しませていただいてます。
> エジプトはいつか行ってみたい場所です!
> コロナで海外旅行も躊躇している所なので、まだまだ実現できるのは先の事になりそうですが、仕事もリタイアして余裕が出来たらぜひとも訪れたいですね?♪
それはいいですね。
時間に余裕があれば、一番いい時期に行けると思います。
> 行きたい場所はたくさんあるのですが、全て希望通り行けるかな・・・(^^;)
> 夢は大きく!志は高く!叶う事を願って!
そうですね。
旅行は行く前の方がドキドキ、ワクワク感がありますので、考えるだけで楽しいです。
しかも、辛い時でも旅行のことを考えると、何とか耐え頑張ることもできます。
ちょっと大げさですが、私の場合、心の栄養にもなっています。
今後もよろしくお願いいたします。m(__)m
noel
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