2018/03/05 - 2018/03/12
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azianokazeさん
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4回目のインド旅行 今回は南インド最大都市バンガロールからハンピ方面を回るコース。
3月5日深夜に到着して、実質初日の6日は、ベルールやハレービードのホイサラ朝寺院に向かいますが、その途中、ジャイナ教の聖地シュラヴァルベルゴラに立ち寄りました。
バンガロール到着時の深夜、ホテルが見つからず、連絡は取れず・・・・、シュラヴァルベルゴラでは熱中症か日頃の運動不足のせいか、軽い脳貧血状態で頭がクラクラ・・・と、やや不安なスタートです。
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2018年3月5日深夜 タイ航空(バンコク乗り継ぎ)でバンガロール空港に到着。
いつもの一人旅です。
インドは19年前の北インド、13年前の南インド(チェンナイ→カニャークマリ→ケーララ)、2年前のエローラ・アジャンタに次いで4回目になります。
バンガロールは、デカン高原の南、カルナータカ州南西部のマイソール高原の上に位置し、標高は920m。都市圏人口は1000万人程度で、カルカッタ、ムンバイ、デリーに次ぐインド有数の大都市です。
インド経済を牽引するIT産業の中心地で「インドのシリコンバレー」とも。
ただ、観光的にはほとんど見るべきものはなく、今回はバンガロール市内は最終日に少し観光しただけ。 -
上の空港外の写真とは時間が前後しますが、到着機内からイミグレに向かう途中に、ガラス張りの広いオペレーションルームが。
こういう場所をオープンにしているのが珍しく、足を止めてしまいました。ちょっと「インドのシリコンバレー」的な雰囲気と言えば、言えなくもないかも。
これまでのインド旅行の経験から、インドの空港・銀行などは非効率というイメージがありましたが、バンガロールのイミグレは“比較的”スムーズでした。それでも、係官によります。
私が並んだイミグレの係官は、運悪く、他の係官の倍ぐらい時間がかかる人でした。(深夜で到着者が少ないのが幸いでしたが)
イライラしながらも、ようやくイミグレを終わったと思ったら、再度、一人の係員だけでやっているパスポートチェックがあり、これが長蛇の列。
さすがに空港側も見かねたのか、途中から別の係員が加わり二人になると、その係官ほとんどノーチェックで、列は一気に解消しました。
(2年前のエローラ・アジャンタ観光では、デリー空港の出国・搭乗手続きが全く進まず、パニック状態になりました。)
預けたバッグもなかなか出てこず、結局、なんだかんだで飛行機を降りてから空港を出るまで1時間ほどかかりました。まあ、前回デリーに比べたら上出来です。 -
到着日深夜(正確には3月6日の午前1時過ぎ頃)のホテル周辺
深夜着ですが、今回旅行は現地旅行会社に空港送迎を頼んでありましたので、日本語ガイド・専用車の出迎えでホテルへ直行・・・のはずでした。
ただ、ガイド氏はデリーからやってきたということで、バンガロールのことは全く知らいないどころか(仕事で数回来たことがある程度)、南インドの言葉・文字さえ“ちんぷんかんぷん”とのこと。
ドライバーは現地の方ですが、深夜で真っ暗、しかも安宿を頼んであったので、ホテルの場所がわかりません。
住所からして「このあたりのはず・・・」というあたり(写真)を車でさまよいますが、わかりません。 -
地元の方にドライバーが尋ねて、「二つ目の道を奥に入って、右に曲がって・・・・」と教えてもらい、その方向へ行くのですが、見つかりません。
再び、教えてもらった人のところへ戻り・・・・といったことを、2貝、3回繰り返しますが、わかりません。なにぶん、深夜で真っ暗ですから。
見かねて「その人に同乗してもらって、案内してもらったら?」とも言ったのですが、頼んだところ拒否されたとか。
ガイド氏がホテルへ電話しても、深夜のせいか誰も出ないとのこと。
手配した現地旅行会社の担当者に電話してもつながりません。
深夜1時を過ぎていますので、尋ねる人にもそうそう出会いません。見当たるのは犬ぐらいです。(そもそも、ガイド氏は現地の言葉がわからないので、尋ねることもできません)
地番からすると、このあたりのはずなんだが・・・・というあたりに車が止まっており、たまたまその運転手がやはりデリーの方だったため、言葉が通じるガイド氏が事情を話したところ、その方が車で先導してホテルまで連れっていってくれました。
なんだかんだで、チェックインが終わったのは深夜2時頃。40分ぐらいはホテル周辺をグルグル回っていました。
これが一人だったら、深夜の街で途方にくれるところです。
実際、数年前、乗継地の中国・昆明でやはり深夜にホテルがわからず、そこまで行くタクシー代で使い切ったため現地のお金もなく、真っ暗ななかで一人立ち尽くした・・・・という経験があります。
その時は、たまたま尋ねた中国人が非常に親切な方で、(私の切羽詰まった雰囲気が伝わったせいか)自分の車に私を乗せて、ホテルまで連れていってくれました。
今回は、ガイド氏とドライバーがいますので、私は「困ったですね・・・」とは言いつつも、他人事のようにお気楽です。
それにしても、インドには多くの言語があり、皆が共通語としてヒンディー語を理解する訳でもないようです。(ガイド氏とドライバーの会話は、半分ヒンディー語、半分は英語といった感じ) -
ようやくチェックインしたホテル「DAFFODIL」は小綺麗なホテルです。
でも2時にチェックインして、朝の8時半頃にはチェックアウトしますから、ベッドとシャワーさえあれば十分です。 -
ビュッフェ形式の朝食
「CHUTNEY」って何だろう?と思ったのですが、あとで確認すると「チャツネ」のことでした。いろんなものに添えるペースト状の調味料です。 -
なんだかわからなかったので、「COCONUT CHUTNEY」を恐る恐る少しだけ。
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3月6日朝のホテル全景
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同じく、ホテル周辺 明るければすぐわかるのでしょうが、真っ暗になると別世界です。
そう言えば、昔、中国・ウルムチで、夜明け前の真っ暗な街で、前日に確認したはずの空港行きのバスが出る建物がわからなくなり、あせりまくったことがあります。
尋ねた老人がウイグル人で漢字での筆談もできず、両手を広げて飛行機のまねをして何とかわかってもらおうとしたり・・・(結局、わかってもらえませんでしたが) -
大都市バンガロールですから、市街地を抜けるまでは渋滞で時間を要します。
空港での両替レートが悪いと聞いていたので、事前に旅行会社に頼んで、最初に両替屋によってもらうことにしていましたが、ガイド氏はマネーチェンジャーがどこにあるか知らないと、両替の話は聞いていない様子。
それならATMで・・・と思ったのですが、持参のカードで試すもうまくいきません。
ガイド氏が手持ち金から、1万円=5450ルピーで両替してくれるとのことでしたが、どう考えてもレートが悪すぎ。「最近のレートならもっといいはず・・・」と言うのですが、「そんなことはありません」の一点張り。
結局、移動途中に両替屋が見つかればそこで・・・ということになりましたが、バンガロールを出てしまうとそうそう両替できるところもありません。
旅行会社から様子伺いの電話があったので、両替に困っていることを伝えると、「バンガロールではどこでも両替できます」とのこと。ガイド氏に伝えても「どこで両替できるか知らない」と埒があきません。
この両替の話は、途中の田舎町のマネーチェンジャーらしきところで頼むも日本円は扱っていない、夕方、宿泊地のハッサンのATMを再度試すも、うまくいかない・・・と、しばらく尾を引きます。(若干の前回旅行の残金があったので、初日はそれでしのぎます)
結局、翌日、再び旅行会社の方から電話があった際に、「うちの会社では1万円=5800ルピーで両替できますが、それでよければ・・・」との話があり、ようやくガイド氏を介してルピーをゲットできました。(最初から言ってもらえば、苦労することもなかったのですが)
それにしてもガイド氏が固執していた1万円=5450ルピーという数字は何だったのか? ちょっと、ガイド氏に不信感も。「お客様は神様です、なんでもご希望に沿います」と、調子がいいというか、乗りがいい人ではあるのですが・・・。
ときおり、デリーの旅行会社から日本語での様子伺いの電話は入りますので、その点では安心できます。 -
さて、車はバンガロールから200kmほど西方向へ入った、ハッサンに向かいます。
ベルール、ハレービードという場所にあるホイサラ朝(11世紀後半から14世紀後半にかけて南インド、現カルナータカ州中南部のマイソール地方を中心に存在したヒンドゥー王朝)時代の寺院を観光するのが目的です。
位置的には「ヤシの国」ケーララ州に隣接するあたりですから、周辺はヤシの木があふれ、南国の景色です。
赤茶けた大地の北インドとは違って、南インドの豊かな緑を眺めていると、4時間ほどの車移動もさほど苦にはなりません。 -
途中の町 ドライバーによると、マネーチェンジャーがあるとのことで寄ってみました。
こんな田舎街では日本円は無理だろう・・・と期待はしていませんでしたが、案の定・・・。 -
最初に訪れたのが、ハッサンもほど近いあたりに位置するシュラヴァナベルゴラ・・・と言っても、誰も知らないでしょう。私も「歩き方」で初めて目にしました。
南インド最大のジャイナ教聖地のようです。写真は門前の賑わい。
今回の旅行は、某旅行社のハンピ観光をメインにしたツアーを参考にして、同様コースを日本語スルーガイドで出来ないか?と現地旅行会社に依頼したものです。
いつも一人旅ですので、たまにはツアーもいいかな・・・とは思ったのですが、某旅行社ツアーを利用しなかったのは、催行が直前まではっきりしないためと、一人追加料金を考えると、個人手配の方が安くなると考えたため。 -
木に隠れている丘(ヴィンディヤギリ)の上に、高さ18mのゴマテーシュワラ(ジャイナ教の聖人)の立像があります。
ヴィンディヤギリの丘は高さ143m、聖地ですから裸足で614段の階段を上ります。
強い日差しに照らされた石段ですから、麓の売り子から、足裏をやけどしないように靴下を買って、それを履いて上ります。 -
普段全く動かない生活をしているため、143mとはいっても非常にこたえます。酷暑の季節ではないとはいえ、南インドの日差しもこたえます。
出国前日はほとんど寝ておらず、一日中飛行機で移動、しかも到着時のチェックインが深夜2時過ぎといったことで、疲れがたまっていたこともあります。 -
614段の石段 日差しを遮るものはありません。
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写真撮影を口実に途中休憩
****ジャイナ教****
ジャイナ教は、マハーヴィーラ(ヴァルダマーナ、前6世紀-前5世紀)を祖師と仰ぎ、特にアヒンサー(不害)の禁戒を厳守するなど徹底した苦行・禁欲主義をもって知られるインドの宗教。「ジナ教」とも呼ばれる。
仏教と異なりインド以外の地にはほとんど伝わらなかったが、その国内に深く根を下ろして、およそ2500年の長い期間にわたりインド文化の諸方面に影響を与え続け、今日もなおわずかだが無視できない信徒数を保っている。【ウィキペディア】
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暴力を嫌い、殺生を徹底的に禁じ、肉食だけでなく、根菜類も拒否。(何を食べるのでしょうか?)
19年前に北インドを旅行した際に、布で口を覆い、箒を背負って歩く信者を見かけました。口の覆いは虫を吸い込んで殺すことがないように、箒は足元のアリなどを踏みつぶさないように・・・とのことで、強い印象を受けた記憶があります。
“無視できない信徒数”とのことですが、人口比率では、ヒンドゥー教徒79.8%,イスラム教徒14.2%,キリスト教徒2.3%,シク教徒1.7%,仏教徒0.7%,ジャイナ教徒0.4%とかなり少数派です。 -
ため池を挟んで向かいの低い丘はチャンドラギリ 今回はパスしましたが、10余りのジャイナ教寺院があるそうです。
ジャイナ教には白衣派と裸行派がありますが、白衣の信者も、裸行の信者も今回は目にしませんでした。
Halonさんの旅行記(https://4travel.jp/travelogue/11015559)など見ると、本当に真っ裸で上る信者もいるようです。
殺生を徹底的に否定するジャイナ教については、“イエズス会の伝道師たちがジャイナ教徒に顕微鏡で普段飲んでいる水をみせたところ、それをみたジャイナ教徒は飲み水に微生物があふれていることを知り、飲むよりは衰弱死を選んだという報告書の存在がトマス・ブルフィンチの著書に記されている”【ウィキペディア】という話も。 -
ようやく頂上が・・・と思ったのですが、実際はここ頂上付近からまだ少し上ります。
写真中央はガイド氏。
このあたりになると、ヘロヘロ状態にも。 -
りっぱなリンガ(男根)
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眺めはいいのですが・・・
普段の運動不足、暑さ、一昨日・昨日の疲れなどで、かなりバテできました。 -
ようやく山頂の寺院へ到着
門付近の壁に描かれたゾウと何でしょうか?馬のように見えますが獅子でしょうか? -
魚のレリーフも
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最後のひと踏ん張りで、なんとか立像のある寺院へ。
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高さ18mのゴマテーシュワラの石像 981年に切り出されたもので、一枚岩からの立像としては世界最大級とか。
ジャイナ教の開祖はマハーヴィーラですが、ゴマテーシュワラはその息子。
゛彼は直立不動の姿勢で何年間も修行を続けたために その脚には蔦がからみ、足元にはアリ塚ができたという伝説を、この一千年前の彫刻は描いている。“【歩き方】とか。
それはいいとして、立像を見上げていると頭がクラクラして、視野が狭まるというか、何だか脳貧血を起こしそうな感じも。 -
しばらく立像前の建物奥に座り込んで休みます。
汗が噴き出す感じもあって、軽い熱中症か、低血糖状態のような感じも。
あまり回復もしませんが、そんなにひどくもならないようなので、座っていても仕方がないので、ふらつく頭と足で付近を歩いて回ることに。 -
立像の上には参拝客が。警察のような制服を着用した一行が大勢いました。
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頭がクラクラしてるせいか、写真も傾いています。
向かいの低い丘が多くの寺院があるチャンドラギリです。その名前の由来には以下のような伝説があるそうです。
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マハーヴィーラの死後数百年たって、ジャイナ教誕生の地である北インドのビハール地方は 12年間に及ぶ大飢饉に襲われたと伝える。
生存をおびやかされたジャイナ教徒たちは 聖賢バドラバーフに率いられて、現在の南インドのカルナータカ州に落ちのびた。
マウリヤ朝の祖チャンドラグプタは、バドラバーフを師と仰ぐジャイナ教徒であったのでこれに従い、最後はシュラヴァナベルゴラで断食による大往生をとげたという。(チャンドラギリ丘の名は、チャンドラグプタに由来するという。)【http://www.kamit.jp/03_jaina/4_south/south.htm】
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おぼつかない足取りで、ゆっくりと下ります。
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ヤシの実やスイカと並んで、屋台でよく売られていたもの・・・キュウリです。
皮をむいて、食べやすいように切れ目を入れ、香辛料をかけて食べます。
ガイド氏が1本買ってくれましたが、苦みがあって一口、二口でギブアップ。日本のもろきゅうの方が美味です。
キュウリより昼食を。もう12時過ぎです。
「日本では昼は何時に食べますか?12時?インドでは遅いです、1時から2時ぐらい」とガイド氏。
旅行中は日本式に12時に昼食をとるように頼み、近くのレストランに向かいます。 -
食事はなるべくローカルな雰囲気のお店で・・・頼んであったあったのですが、着いたお店はドライブインのような小綺麗なお店。
「こんな感じではなく・・・」とちょっとゴネたものの、今日は体調も悪いのでここで食べることに。
低血糖のような感じもあるのですが、疲れたせいかあまり食欲もありません。
ベジ・ビリヤニ(ビリヤニはスパイスと米、肉、魚、卵や野菜などから作る米料理、インド風炊き込みご飯といったところでしょうか)で軽くすませます。
ガイド氏はドーサ(ジャガイモなどを香辛料と炒め煮にしたものをクレープのような生地にはさんだもの)
本編はここまでにして、午後の観光は次編で。
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