2018/01/15 - 2018/01/15
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ミズ旅撮る人さん
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外観が軍艦「土佐」に似ているところから「軍艦島」と呼ばれるようになりました。
2009年から一般の人の上陸が許可されるようになり、話題の観光地となりました。
しかし、民間企業による上陸ツアーに参加という形でしか行かれず、天候に左右されるので、長崎には行っても、端島まではなかなか行かれませんでした。
この程、まったくのフリーで長崎を訪れる機会があり、一念発起。池島と端島、2つの炭鉱の島を訪れることにしました。
数日前に大雪が降り、心配しながらの出発でしたが、なんと端島は、これ以上はないという晴天の日に訪れることが出来ました。
わずか6万5千㎡という小さな島の、迫力に魅了された半日でした。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 交通手段
- 船
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
世界三大夜景の一つ、長崎の夜景。このために高台のホテルを予約しました。
しかし、まさかの積雪。ホテルまでは急坂の上、駐車場に入る坂が半端な傾斜ではないので、とても心配しました。ホテルに電話しても、凍結すると登れないかもという返事。
冬の季節に長崎の高台に宿をとるということは、こういうリスクがあるのだなと痛感しました。
手前の白く明るい場所が長崎駅です。
夜景がきれいなホテルの筈でしたが、稲佐山方面は目の前に巨木があって視界を遮り、韓国からの100人を超える団体で騒然とし、食べ放題のカニは身がスカスカ。
もう利用することはないでしょう。長崎にっしょうかん (HMIホテルグループ) 宿・ホテル
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夜明けです。長崎港の奥から女神大橋方向を見ています。
真ん中にオレンジ色の丸いものが見えます。この向こうが端島行きの船が出る長崎港ターミナルビルです。
船は女神大橋をくぐり、伊王島大橋をくぐって南下し、高島の横を通って端島に至ります。 -
これが、長崎港ターミナルビルです。
先ほど見たオレンジ色の玉は、このビルのお向かいにあるドラゴンプロムナードの先端にあり、龍が追っている玉を模したものです。長崎港ターミナル 乗り物
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ターミナルビルの中の、この窓口で受付をします。
端島への上陸クルーズは4社が行っています。それぞれ、船の大きさやクルーズの行程、そしてもちろん料金に違いがありますので、比較検討が必要です。
クルーズは午前と午後の2回あります。午前の部は受付が8:15からです。
前以て印刷して記入しておいた「誓約書」を持って、窓口で料金を支払います。 -
窓口では、乗船券と「長崎市端島見学施設利用券」をくれます。
端島に上陸する人は、クルーズの代金とは別に、長崎市に300円の利用料を支払う必要があるのです。
もし、上陸が出来なかった場合は、この券と引き換えに返金されます。 -
「軍艦島資料館」が、2017年7月16日に開館しました。
場所は、端島の対岸に当たる野母半島の中程です。 -
ターミナルビルの中央には、端島の模型が展示されています。
廃墟と化す前の模型なので、これを撮っておくと、たいへん参考になると思います。 -
手前に突き出している桟橋付近から上陸して、赤い櫓の前に設けられた第1見学広場で説明を受けます。
それから左方向に移動して、第2・第3見学広場に行きます。最後は左端に見えるプール脇になります。
端島の見学場所は極端に制限されていて、ほんの端っこだけしか歩けないのです。 -
2015年7月5日世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産 ~製鉄・製鋼、造船、石炭産業~」として登録されたのは、
旗の下部に書かれた8か所を含む8つのエリア、全23遺産により構成されています。 -
離島行きのフェリーは、こちらの桟橋から出航します。
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上陸クルーズを行っている4社のうち、今回選んだ「やまさ海運」は、最大手で、HPも立派です。
料金もそれなりに「立派」なのですが、早期割引があり、1か月前までで20%、14日前までで15%、その後もネット割引の10%が適用されます。
運航率・上陸率がグラフで示されていて、2017年1月は運航率が60%ちょっとで、上陸率は100%でした。つまり、出航すればほぼ上陸できるわけです。
夏季は運航率は高いのですが、上陸率が下がり、せっかく端島の目の前まで行ったのに、周囲を見るだけの「遊覧」コースに変更となる確率が上がります。
上陸できないなら、船に乗る意味がないと思うので(個人的意見です)、こうした点も参考になるかと思います。 -
また、早期割引で申し込んで、当日クルーズが欠航となり、翌日の便に振り替えた場合、料金は正規料金となってしまうのかというネットでの質問に対しても、即日丁寧に返答があり、これなら安心して利用できると思ったのです。(料金は早期割引が適用されるそうです)
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桟橋のお向かいには、観光丸と書かれた帆船が停泊していました。
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8:15に受付が始まり、乗船案内は8:40からです。
それまで寒いのでターミナルビルの中で座っていてもいいのですが、実はここが運命の分かれ道。大事な席取り合戦が待っているのです。
先程もらった乗船券を提示するとリーフレットなどを配られて、乗船となります。
席は船内・屋上ともに自由席です。 -
今度は「軍艦島見学者」というカードを首からぶら下げます。
このカードの色がいくつかあって、人数によって組み分けされ、下船の順番が決められます。 -
席を確保してから、桟橋側を見に行きました。9時出航です。
端島までは30分のクルーズです。この時点ではまだ、上陸できるかどうかの決定は下されません。
上陸および桟橋への接岸は、国や長崎市の条例などが厳しく適用されて決定されます。
主な要件は、風速5m以下、波高0.5m以下、現場海域の視界距離500m以上であることです。
どんなに天気がよくても波が高ければダメなのです。 -
稲佐山です。何度も長崎には来ているのに、何故か稲佐山には登ったことがありません。
長崎の夜景は、あちこちから楽しむことが出来るので、稲佐山に登らなくても充分なのです。 -
巨大なタンカーと、端島と一緒に世界遺産に登録されたジャイアント・カンチレバークレーンです。
タンカーは、日本郵船が三菱重工業と今治造船の合弁会社「MI LNGカンパニー」に建造発注した新造液化天然ガス(LNG)運搬船で、「PACIFIC MIMOSA(パシフィックミモザ)」といいます。
主な寄港地となるオーストラリアの国花「ミモザ」にちなんで命名されました。
2017年12月14日に支綱切断が行われたばかりで、2018年3月に竣工予定です。三菱長崎造船所 名所・史跡
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隣のドックでは、艦船の建造中。完成品ならよく見るけれど、建造途中を見たのは初めてです。
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これらの艦船は、完成したら佐世保に行くのかな?
佐世保の町は、軍港をぐるっと取り囲んだような場所で、高速を走りながら、軍港巡りも出来るおもしろい場所です。 -
女神大橋の下をくぐります。
女神大橋 名所・史跡
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夜のライトアップが綺麗でした。
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神ノ島教会と手前の岩の上に立つマリア像です。
岩礁の上に建てられているのですが、現在では橋が架けられていて真下まで行くことが出来ます。神ノ島教会 寺・神社・教会
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三菱重工の100万tドックです。
マルベージャ3号の屋上に陣取っています。ドックの見える方向は左舷なので後ろ向きで撮っています。
船に乗り込んだら、右舷側に乗ることが鉄則です。船の座席も右舷向きが3列並び、左舷向きはご覧のように1列だけです。何故なら、端島は右側に見えるからです。
この時は、1月の寒い時期だったので、団体ツアーなどで乗船した人たちは船内から出て来ませんでしたし、一般の人も端島が見えるまでは船内にいることを選ぶ人が多かったようで、割と屋上は空いていました(もちろん最前列は、乗船開始直後に満席になりましたが)。
しかし、暖かくなってくると争奪戦は必至です。 -
神ノ島の先端にある四郎ケ島・中ノ島です。この辺りは地形が複雑で、おもしろい景観が見られます。
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伊王島町沖ノ島にある馬込教会です。
聖ミカエル天主堂 寺・神社・教会
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伊王島大橋をくぐるとその先に高島が見えて来ました。
ここにも世界遺産の「北渓井坑跡」があります。端島は元々、この高島炭鉱の支砿でした。
グラバー商会が佐賀藩との合弁によって本格的な海洋炭鉱開発に着手し、日本で始めての蒸気機関による洋式竪坑「高島炭坑(北渓井坑)」を建設しました。
明治14年(1881)には岩崎彌太郎へと引き継がれ、三菱の所有となりました。 -
石炭採掘の最盛期は昭和30年~40年代頃で、昭和43年には高島の人口が18,019人を数えた
という記録が残っています。しかし、昭和61年(1986)に高島炭鉱は閉山することになりました。
端島は最も多くて5,300人ですから、高島の規模は相当なものだったことでしょう。
現在、高島には「石炭資料館」があり、クルーズの中にはここを訪れるものもあります。
中央の黄色い円筒形の建物のすぐ左にある白い建物です。長崎市高島石炭資料館 美術館・博物館
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高島と中ノ島の間に端島が見えました。
この構図は、すぐに中ノ島の陰になり見えなくなってしまうので、見逃さないでください。
高島の先端には「軍艦島の見える丘」があります。 -
中ノ島の向こうに端島が見えて来ました。
他の島とは異なる、人工物で覆われた島の姿が見て取れるようになって来ました。 -
ああ、これが端島・軍艦島なんだ。見れば見るほど異様な島。周りは平らで、真ん中だけこんもり山になっている。
小さな島に不釣り合いな高層建築。この島がこれほど人気があるのは、この特異さからなんだなと実感しました。
端島が「軍艦島」と呼ばれるようになったのは、
大正5(1916)年、大阪朝日新聞が、端島を二本煙突の巨大な軍艦に似ていると報道し、
大正10(1921)年、長崎日日新聞が軍艦土佐に似ているとして「軍艦島」と紹介したのがきっかけです。端島炭坑 名所・史跡
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端島の北側は、海上からしか見ることが出来ません。
左が端島小中学校、真ん中が65号棟、右が端島病院です。
学校の上にちょこんと端島神社の祠が見えます。 -
端島小中学校を右端に、手前の低い建物が資材倉庫。広くなった場所が貯炭場。
丘の上は、神社から左へ炭鉱社員社宅2・3号棟が続き、貯水槽のある場所に白い灯台が見えます。 -
灯台の下の高層住宅が、日本最初の鉄筋コンクリート造の建物30号棟です。
その左側に事務所などの遺構が散らばり、手前にドルフィン桟橋があります。 -
上陸してしまうと見えなくなってしまうので、島の北側の建物を見て行きます。
北端にある端島病院です。火災に遭い、昭和33(1958)年に建て替えられました。
病院の向こう側には、隔離病棟もあります。
右側の2階建ての建物は「ちどり荘」とだけしかわかりません。
病院の手前にはテニスコートもありました。
その手前には小中学校のグラウンドがあります。島唯一のグラウンドは、放課後には一般に開放されていたそうです。 -
右が端島小中学校、奥が65号棟です。
明治26(1893)年、三菱の私立学校として小学校が開設されました。大正10(1921)年に町立となりました。
昭和32年4月、端島小中学校校舎全焼。隣の65号棟・病院にも類焼。翌年10月、現在の校舎完成。
当初は高さ制限のため6階建てでしたが、人口増加の現状を踏まえ、36年に7階を増築しました。 -
1~4階が小学校、5・7階が中学校です。6階は講堂・図書館・防音装置つきの音楽室がありました。
教室や廊下にはアルタイルが貼られていて、音がしませんでした。 -
昭和45(1970)年に島内最後の建物として体育館も建設されました。
1階には武道場と給食センターも併設されており、島で初めてのエレベーターがありました。 -
65号棟。コの字型の建物で、見えているのは東棟、昭和24(1949)年に建てられました。
昭和20(1945)年に北棟が建てられ、最後に南棟が33年に建てられました。
当初建てられた北と東棟は、6畳と4畳半の2間に台所とトイレが付いていました。
台所はかまどを使用していましたが、30年頃から電気コンロに代わったそうです。
最後に建てられた南棟は、水洗トイレが付いており、「新65号」と呼ばれて別格扱いだったようです。 -
65号棟の正式名称は「報国寮」で、317戸最大1,500人を超える住人がいました。
昭和28(1953)年に65号棟の屋上に保育園が建設されました。
最盛期には園児が220人を超えたそうです。
保育園の認可を受けるにあたっては、幼児を10階まで上らせることに問題があるとして難航しましたが、現地視察をして、端島の特異な生活空間を理解し、補助金が下りたということです。 -
65号棟から伸びる渡り廊下で、隣接する山にある道に行くことが出来ます。
ここから下へは「50段」と呼ばれる長い階段があり、降り立った場所(65号棟南棟と56号棟の間)には、マーケットがありました。山の端には端島神社があり、拝殿や鳥居がありましたが、現在では、鳥居は上部が欠損し、小さな祠だけが残っています。
毎年4月3日に行われた山神祭では、神社から神輿を担いで島中を練り歩きました。 -
端島の社宅には2種類あって、「職員(管理職)用」と「鉱員用」とに分かれます。
台風や高潮の被害の少ない高台に「職員用」の社宅が建てられました。
写真は、その中でも一番高級なお風呂付の幹部用社宅3号棟です。
端島には、戸建て住宅がありました。鉱長の社宅ですが、既に崩壊してしまいました。 -
3号棟は、昭和34(1959)年に建設された鉄筋コンクリート造の4階建てで、20戸です。
大きな窓の上に換気用の小窓のある洒落たデザインです。 -
貯水槽です。端島では、当初は製塩過程で発生する真水を利用していましたが、昭和10(1935)年に製塩事業を廃止、以後、真水は給水船が野母半島から運んで来ました。
運ばれた真水は、この貯水槽に溜められました。
天候不良などで3日以上給水船が欠航すると、配水制限が行われました。
配水には、「水券」が各家庭に30~40枚配られ、1枚で水桶2杯(20リットル程度)をもらえます。
主婦は午前中の指定時刻に水券と水桶(墓地によくある形のもので、もっと大きい)を持って行かなければなりませんでした。
やがて、昭和32年に野母半島の岳路(たけろ)から海底水道を引いて各家庭に水道が引かれました。
端島では水道代は無料でした。 -
端島の中央部には、もともとあった岩礁がそびえています。ここを周回する道が島民の主要道路となっていました。
更に上に延びる道は、職員の単身寮や職員クラブハウスへと繋がっていました。
下に見える構造だけになった建物は、貯炭場の浮選機室です。 -
いよいよドルフィン桟橋に接岸します。
軍艦島接岸・上陸は9:30頃の予定で、離岸予定が10:30頃です。
上陸するのに時間が掛かりますから、見学時間は40分程度です。 -
まず、マルベージャ3号の船員たちが桟橋に乗り移って、友綱を括り付けます。
乗客は、乗船時に渡されたカードの色によって、上陸の順番が決められます。
今回は緑が先で、私のピンクはその後でした。おそらく、船内にいた団体さんが先で、一般客はごゆっくりということだったのでしょう。 -
さあ、これで上陸できます。上陸するとフェリーターミナルの受付窓口で渡された「長崎市端島見学施設利用券」の出番です。
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緑グループが上陸して行きます。
ドルフィン桟橋は、浮桟橋なので、端島へは更に橋を渡ります。 -
来し方を振り返ると、積込桟橋橋台が2つ見えます。
中ノ島と、更に奥に白い団地の建つ高島も見えます。 -
橋を渡って通路を進むと、コンクリートのトンネルを潜り抜けます。
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端島に渡って右手を見ると「おお、廃墟だ!」
本当に人々に打ち捨てられた工場と団地が、そのまま野ざらしになっていました。
写真で見るのとは違う、真に迫って来る臨場感があります。 -
トンネルを抜けると階段を上ります。
すると、廃墟と同じ高さになって、自分がその中に立っている様な気がします。 -
昭和49(1974)年に閉山し、無人島となって44年。こうなっちゃうんだなあ。
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外壁があったからか、意外に綺麗なレンガがありました。
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真正面に端島小中学校が見えます。増築した7階部分は崩落しています。
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自分はここに、廃墟を見に来たんだなあと、じんわり感じて来ました。
昨日訪れた池島も、炭鉱部分は廃墟の筈なのに、島に人が住んでいるだけでこうも違うものなのか。
ここには、無人島になった時から凍り付き、崩れ去って行くものしかない。 -
こうやって、柵で囲まれて限定された「現在」の部分だけが隔離されて。
「現在」が「過去」を覗き込んでいる様な気がする。 -
大正5(1916)年に建てられた30号棟。日本最古の鉄筋コンクリート造の7階建て。
後で移動する第3見学広場で、もっと近くから見られます。 -
第1見学広場の南側には選炭機があり、その後ろに第2竪坑入坑桟橋跡があります。
炭鉱の施設はほとんど崩壊してしまっている中で、第2竪坑に行くためにあるこの階段部分だけが残っています。
どの建物も手つかずで崩壊するに任せているのですが、この階段だけは、下から鉄骨で支えています。 -
貯炭場のベルトコンベアーの支柱です。この上にコンベアーがあり、精炭された石炭が積み出し口へと運ばれて行きました。
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鉄筋コンクリート造の団地ばかりが有名ですが、意外とレンガ造りもあったんですね。
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第1見学広場の説明が終わり、移動します。桟橋からトンネルをくぐった出口が見えます。
その上に15tクレーンがありました。 -
貯炭場のベルトコンベアーから右側です。操業当時はここは一面、真っ黒な精炭で埋め尽くされていたことでしょう。
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第1見学広場から真っ直ぐに伸びる通路の先、山肌にトンネルの入り口があります。
今は塞がれていますが、ここが炭鉱から掘り出した石炭を選別して、不要なボタを島の西側に送っていたベルトコンベアーのあったトンネルです。
この向こう側には31号棟が建っているのですが、なんとその建物の中をベルトコンベアーが貫通して、海岸に達していました。 -
イチオシ
第2竪坑入坑桟橋跡と、奥のレンガの壁が総合事務所です。
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第2見学広場です。第1から第2に向かう通路は、かつて桟橋のあった場所から総合事務所の前を通り、会社事務所や、30号棟に至るトンネルに沿って作られています。
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目の前に、赤錆びた機械の一部が転がっています。
-
イチオシ
第2竪坑に行くための階段が良く見えます。
昔の写真には、鉄骨の支えはなかったので、近年付け加えられたものと思われます。
背後の山の上に白い灯台が姿を現しました。
この灯台は、無人島になった後の昭和50(1975)年12月に海上保安庁が設置した「肥前端島灯台」です。
人が住まなくなって、真っ暗になった端島は、夜間の海上交通に危険なため、設置されました。 -
総合事務所です。目立つ赤レンガですが、よく見ると、後ろで支えています。
この建物の中には、仕事を終えた炭鉱夫たちの浴場がありました。
真っ黒けの彼らのお風呂は3段階の浴槽がありました。
先ずは真っ黒なまま入る「荒洗い浴場」、そして「海水の温水浴場」、最後に「真水の上がり湯」です。 -
船専属のガイドは3人で、見学広場ごとに違います。
このように、当時の写真を見せながら話をしてくれます。 -
防波堤の一部だったのでしょうか。分厚いコンクリートの壁が転がっています。
それ以外の破片はとても細かく砕かれているのに、素材の違いなんでしょうか。
端島はその立地上、台風の襲来を受けやすいのです。
過去に何度も被害を受けて、護岸工事などが繰り返されました。 -
イチオシ
この辺りが、第2見学広場のベストポイントかな?
-
この柵に沿って地面が平らなコンクリートになっている場所が、桟橋からのトンネルのようです。
-
前編を終える前に、ガイドさんに撮らせていただいた写真を掲載します。
撮っても大丈夫なのか確認済みです。
閉山1年前の貯炭場です。第4竪坑の櫓が立っています。 -
竪坑のエレベーターで鉱夫たちが、降りて行く所です。
エレベーターの箱は、1つではなく、2階建てになっているようです。 -
先日、ポーランドのヴィエリチカ岩塩坑に行った際に乗ったのが同じ構造でした。
箱は3~4階建てになっていて、乗り込む時は階段を上って、一斉に各階の箱に入ります。
出る時は、下の箱の人が出たら、1階分箱が下がって、降りるということを繰り返しました。
一気にたくさんの人を運ぶ工夫なんですね。 -
こちらは、坑道を移動するための「人車」。
採掘現場まで、何百mもあったので、早く移動するために用いられました。
池島では、このトロッコを使って炭鉱の中を案内してくれます。昨日は時間の都合で行かれなかったけれど、乗ってみたかったです。 -
見学時間は限られています。さあ、最後の第3見学広場に向かいましょう。
この後は、後編になります。
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