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街道ウォーク、五街道制覇を目指して歩き続けていますが、とりあえず東海道と日光街道を完歩しました。<br />3つめの中山道についてはようやく木曽路の入口の贄川まで進みましたが、そこから先はさすがに日帰りウォークが難しくなってきました。<br />そこで、全長200キロほどの甲州街道を先に歩いてしまおうと昨年9月に甲州街道を歩き始めました。<br />でも、昨年の秋以降は伊勢、長崎、福岡、小豆島、岡山と国内旅行が続き、年末にはモロッコに行ったりと旅が続いていたため、街道ウォークは4か月ほどさぼっていました。<br />ようやく甲州街道ウォークが再開できたのは1月20日のこと。<br />2度目のウォークは千歳烏山から、布田五ヶ宿、府中宿、日野宿、八王子宿までの約25キロを歩きました。

目指せ諏訪大社!  甲州街道ウォーク 2回目  千歳烏山~八王子

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2018/01/20 - 2018/01/20

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旅行記グループ 甲州街道ウォーク

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ぬいぬい

ぬいぬいさん

街道ウォーク、五街道制覇を目指して歩き続けていますが、とりあえず東海道と日光街道を完歩しました。
3つめの中山道についてはようやく木曽路の入口の贄川まで進みましたが、そこから先はさすがに日帰りウォークが難しくなってきました。
そこで、全長200キロほどの甲州街道を先に歩いてしまおうと昨年9月に甲州街道を歩き始めました。
でも、昨年の秋以降は伊勢、長崎、福岡、小豆島、岡山と国内旅行が続き、年末にはモロッコに行ったりと旅が続いていたため、街道ウォークは4か月ほどさぼっていました。
ようやく甲州街道ウォークが再開できたのは1月20日のこと。
2度目のウォークは千歳烏山から、布田五ヶ宿、府中宿、日野宿、八王子宿までの約25キロを歩きました。

旅行の満足度
4.0
観光
4.0
同行者
一人旅
交通手段
私鉄 徒歩

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  • 2回目の甲州街道ウォークは京王線の千歳烏山駅からスタート

    2回目の甲州街道ウォークは京王線の千歳烏山駅からスタート

  • 日本橋から歩き始めた1回目は、9月の上旬だったので、4か月ぶりの街道歩きです。

    日本橋から歩き始めた1回目は、9月の上旬だったので、4か月ぶりの街道歩きです。

  • 1回目はまだ残暑の時期だったので、日本橋から見るべきものもなく、ただひたすら都心の街中を歩くだけだったので、あまりに退屈で千歳烏山まで歩いてやめてしまいました。

    1回目はまだ残暑の時期だったので、日本橋から見るべきものもなく、ただひたすら都心の街中を歩くだけだったので、あまりに退屈で千歳烏山まで歩いてやめてしまいました。

  • 2回目の今回は、途中に大国魂神社、谷保天神や遺跡、日野本陣など見応えあるスポットも数多くあるので、八王子まで今日は楽しく歩けそうです。

    2回目の今回は、途中に大国魂神社、谷保天神や遺跡、日野本陣など見応えあるスポットも数多くあるので、八王子まで今日は楽しく歩けそうです。

  • でも、しばらくは甲州街道の旧道は、現道と重複した道で、あまり変化がありません。

    でも、しばらくは甲州街道の旧道は、現道と重複した道で、あまり変化がありません。

  • こちらはキューピーマヨネーズの事業所<br />「仙川キユーポート」と呼ばれるこちらの事業所は研究開発機能と関連会社の本社を併せ持つ事業所のようです。

    こちらはキューピーマヨネーズの事業所
    「仙川キユーポート」と呼ばれるこちらの事業所は研究開発機能と関連会社の本社を併せ持つ事業所のようです。

  • 入口の門の横にある時計台の上には、何故かモーニング姿のキューピーさんがくるくる回っていました。

    入口の門の横にある時計台の上には、何故かモーニング姿のキューピーさんがくるくる回っていました。

  • しばらく進むと右に進む道があり、その角に瀧坂旧道の石碑が<br />その横には馬宿川口屋の文字が刻まています。

    しばらく進むと右に進む道があり、その角に瀧坂旧道の石碑が
    その横には馬宿川口屋の文字が刻まています。

  • 馬宿というのは江戸から地方に対して伝令を伝えるための馬を交換する施設だったようで、今でも茅葺屋根の上にトタン屋根を覆ったと思われる古い風情ある建物が残っています。

    馬宿というのは江戸から地方に対して伝令を伝えるための馬を交換する施設だったようで、今でも茅葺屋根の上にトタン屋根を覆ったと思われる古い風情ある建物が残っています。

  • 旧道はこの先左の方に進みます

    旧道はこの先左の方に進みます

  • 調布に入りパルコの前を通り過ぎます。

    調布に入りパルコの前を通り過ぎます。

  • 旧道沿いにあった西光寺<br />近藤勇の上り旗を見つけ寄り道

    旧道沿いにあった西光寺
    近藤勇の上り旗を見つけ寄り道

  • 近藤勇の座像がありました。<br />近藤勇の菩提寺ではないようですが生家も近いこちらはゆかりのお寺なようです。

    近藤勇の座像がありました。
    近藤勇の菩提寺ではないようですが生家も近いこちらはゆかりのお寺なようです。

  • 府中の街に入り大国魂神社へ<br />ここは武蔵国の総社になります。

    府中の街に入り大国魂神社へ
    ここは武蔵国の総社になります。

  • 武蔵国の一之宮から六之宮 までを合わせて祀っているため、「六所宮」とも呼ばれています。<br />境内にあったこちらの末社は安産の神様

    武蔵国の一之宮から六之宮 までを合わせて祀っているため、「六所宮」とも呼ばれています。
    境内にあったこちらの末社は安産の神様

  • 1月ももう20日が経過しましたが、境内にはこんな屋台のお店がまだ何軒も出て参拝者も結構いました。

    1月ももう20日が経過しましたが、境内にはこんな屋台のお店がまだ何軒も出て参拝者も結構いました。

  • 一度御朱印をただいている神社ですがせっかくなので本殿にお参りした後に御朱印をいただくことに。

    一度御朱印をただいている神社ですがせっかくなので本殿にお参りした後に御朱印をいただくことに。

  • 御朱印を待つ間に本殿の周りを散策。<br />府中の地酒やサントリーの武蔵野工場から奉納されたビルケースが山積みに

    御朱印を待つ間に本殿の周りを散策。
    府中の地酒やサントリーの武蔵野工場から奉納されたビルケースが山積みに

  • 本殿の裏側には注連縄をめぐらせた大銀杏の木が<br />注連縄が巻かれているので、特に表示は無かったもののご神木かな

    本殿の裏側には注連縄をめぐらせた大銀杏の木が
    注連縄が巻かれているので、特に表示は無かったもののご神木かな

  • 拝殿の手前にある随神門<br />平成23年に大國魂神社御鎮座壱千九百年事業として改築された新しいものです。

    拝殿の手前にある随神門
    平成23年に大國魂神社御鎮座壱千九百年事業として改築された新しいものです。

  • 大国魂神社の御朱印がこちら。<br />最近若い女性の間で御朱印がブームになっているようでどこに行っても御朱印所混んでますね。<br />この御朱印ですがこちらのように達筆な毛筆文字ならうれしいのですが、中には小学生の習字のような文字で書かれるとガッカリ<br />もっとガッカリなのは筆ペンや最悪なのはスタンプでポン<br /><br />

    大国魂神社の御朱印がこちら。
    最近若い女性の間で御朱印がブームになっているようでどこに行っても御朱印所混んでますね。
    この御朱印ですがこちらのように達筆な毛筆文字ならうれしいのですが、中には小学生の習字のような文字で書かれるとガッカリ
    もっとガッカリなのは筆ペンや最悪なのはスタンプでポン

  • 府中街道と旧甲州街道の交差点の角にある蔵造の中久本店

    府中街道と旧甲州街道の交差点の角にある蔵造の中久本店

  • 創業1860年、7代続く老舗造り酒屋で、府中の地酒「国府鶴」を作っていた酒蔵なのですが、今は別なところでつくっているようで今はこの蔵のお店だけで和カフェとしても営業しています。

    イチオシ

    創業1860年、7代続く老舗造り酒屋で、府中の地酒「国府鶴」を作っていた酒蔵なのですが、今は別なところでつくっているようで今はこの蔵のお店だけで和カフェとしても営業しています。

  • その向かい側には高札場跡があります。

    その向かい側には高札場跡があります。

  • その脇にある大国魂神社の御旅所。<br />「くらやみ祭り」の際には、大国魂大神の神輿がここから中に入ります。<br />

    その脇にある大国魂神社の御旅所。
    「くらやみ祭り」の際には、大国魂大神の神輿がここから中に入ります。

  • しばらく歩いた先にあった大谷石の蔵<br />古い建物大好きな私、こういう建物は気になります。

    しばらく歩いた先にあった大谷石の蔵
    古い建物大好きな私、こういう建物は気になります。

  • 甲州街道を車で通る旅に気になっていた熊野神社<br />何が気になっていたかというと・・・

    甲州街道を車で通る旅に気になっていた熊野神社
    何が気になっていたかというと・・・

  • 社殿の裏側にあるこちら<br />国史跡武蔵府中熊野神社古墳<br />国内最大かつ最古の上円下方墳で、1段目が約32メートルの方形ほうけい、2段目が約24メートルの方形ほうけい、3段目が直径約16メートルの円形の3段築成の古墳です。

    社殿の裏側にあるこちら
    国史跡武蔵府中熊野神社古墳
    国内最大かつ最古の上円下方墳で、1段目が約32メートルの方形ほうけい、2段目が約24メートルの方形ほうけい、3段目が直径約16メートルの円形の3段築成の古墳です。

  • 隣接の熊野神社古墳展示館では古墳の詳細を学ぶことができます。

    隣接の熊野神社古墳展示館では古墳の詳細を学ぶことができます。

  • 神社の裏にある古墳は復元された内部に入ることができませんが、こちらは中に入れます。

    神社の裏にある古墳は復元された内部に入ることができませんが、こちらは中に入れます。

  • 甲州街道の現道をしばらく進んでいくと谷保天満宮があります。<br />

    甲州街道の現道をしばらく進んでいくと谷保天満宮があります。

  • ここは梅が有名で梅林の梅は白梅と紅梅が1本ずつだけ開花していました。

    ここは梅が有名で梅林の梅は白梅と紅梅が1本ずつだけ開花していました。

  • ここも、大国魂神社同様以前来たときに御朱印をいただいていましたが、限定の正月バージョンとのことで、こちらでも御朱印をいただきました。

    ここも、大国魂神社同様以前来たときに御朱印をいただいていましたが、限定の正月バージョンとのことで、こちらでも御朱印をいただきました。

  • 裏にあったい家は亀だらけ。<br />神社の池にいる亀の大半が今は外来種のようですが、亀の種類に詳しくないのでわかりま選が、これも外来種の感じ。

    裏にあったい家は亀だらけ。
    神社の池にいる亀の大半が今は外来種のようですが、亀の種類に詳しくないのでわかりま選が、これも外来種の感じ。

  • しばらく進んで立川に入ると日野橋の五差路で旧道は右に進み、その先で左折して柴崎体育館の脇を抜けて多摩川の土手沿いを通って先に進んでいきます。

    しばらく進んで立川に入ると日野橋の五差路で旧道は右に進み、その先で左折して柴崎体育館の脇を抜けて多摩川の土手沿いを通って先に進んでいきます。

  • 立日橋を渡って右折して進んでいくと日野宿へと入ります。

    立日橋を渡って右折して進んでいくと日野宿へと入ります。

  • 街道沿いにあった綿十という屋号の有川家の洋風の蔵造りの建物<br />すごく気になる建物でした。

    街道沿いにあった綿十という屋号の有川家の洋風の蔵造りの建物
    すごく気になる建物でした。

  • こちらは日野本陣跡

    こちらは日野本陣跡

  • 江戸時代、参勤交代の大名などが宿泊した「本陣」のの中で都内で唯一現存する貴重な建物。

    江戸時代、参勤交代の大名などが宿泊した「本陣」のの中で都内で唯一現存する貴重な建物。

  • 現在の建物は、幕末に、新選組副長土方歳三の義兄で当時の名主を務めた佐藤彦五郎が建てたもの。

    現在の建物は、幕末に、新選組副長土方歳三の義兄で当時の名主を務めた佐藤彦五郎が建てたもの。

  • 新選組の幹部も度々訪れた、新選組にゆかりの深い建物で、新撰組に衣装をまとって記念写真を撮ることもできるようです。<br />

    新選組の幹部も度々訪れた、新選組にゆかりの深い建物で、新撰組に衣装をまとって記念写真を撮ることもできるようです。

  • こちらは日野郵便局の隣に立っていた渡邊家の蔵

    こちらは日野郵便局の隣に立っていた渡邊家の蔵

  • 東京都歴史的建造物に指定されているこの蔵は江戸末期~明治初期に造られた店蔵です。<br />

    東京都歴史的建造物に指定されているこの蔵は江戸末期~明治初期に造られた店蔵です。

  • 旧道は日野駅の高架の手前で左に入り、少し先で中央線の線路をくぐって線路沿いに左に坂道を上って進んでいきます。

    旧道は日野駅の高架の手前で左に入り、少し先で中央線の線路をくぐって線路沿いに左に坂道を上って進んでいきます。

  • ようやく八王子市に入りました。

    ようやく八王子市に入りました。

  • この辺りには立派な門構えの古い家が何軒か並んでいました。

    この辺りには立派な門構えの古い家が何軒か並んでいました。

  • しばらく進んでいくと浅川に架かる大和田橋に出ます。<br />ここには終戦の直前にB29の空襲の時に投下された焼夷弾の跡が保存されていました。

    しばらく進んでいくと浅川に架かる大和田橋に出ます。
    ここには終戦の直前にB29の空襲の時に投下された焼夷弾の跡が保存されていました。

  •  橋の歩道にあった透明なプレートがそれ。<br />八王子市は太平洋戦争終結の13日前、昭和20年8月2日未明に米軍のB29、180機の空襲を受け約450名の方が亡くなり、旧市街地の約80%の家屋が焼失するという大被害をこうむりました。<br />そのとき多くの市民が大和田橋の下に避難し、助かったそうです。<br />太平洋戦争の痕跡を永く後世に伝えるために焼夷弾の跡を保存しているのだとか。

     橋の歩道にあった透明なプレートがそれ。
    八王子市は太平洋戦争終結の13日前、昭和20年8月2日未明に米軍のB29、180機の空襲を受け約450名の方が亡くなり、旧市街地の約80%の家屋が焼失するという大被害をこうむりました。
    そのとき多くの市民が大和田橋の下に避難し、助かったそうです。
    太平洋戦争の痕跡を永く後世に伝えるために焼夷弾の跡を保存しているのだとか。

  • 大和田橋を渡って右折して中学校の先を左の入る細い道を旧道は進んでいきますがそこにある永福稲荷神社という小さな神社の境内にあった力士像。<br />八王子出身の江戸時代に活躍した八光山権五郎という力士ですが、この人が神社を再建し、落成と同日に相撲を奉納したといわれているそうです。

    大和田橋を渡って右折して中学校の先を左の入る細い道を旧道は進んでいきますがそこにある永福稲荷神社という小さな神社の境内にあった力士像。
    八王子出身の江戸時代に活躍した八光山権五郎という力士ですが、この人が神社を再建し、落成と同日に相撲を奉納したといわれているそうです。

  • すぐ隣にあったのは竹の鼻の一里塚跡の石碑<br />日本橋から数えて12番目の一里塚になります。

    すぐ隣にあったのは竹の鼻の一里塚跡の石碑
    日本橋から数えて12番目の一里塚になります。

  • 八王子の駅に向かい途中に見つけたカラフルな蔵

    八王子の駅に向かい途中に見つけたカラフルな蔵

  • 八王子駅入り口にあった市守大鳥神社<br />この神社では酉の市が行われるそうです。

    八王子駅入り口にあった市守大鳥神社
    この神社では酉の市が行われるそうです。

  • 今日のゴールJR八王子駅に到着<br />ここから先比左に進みJR八王子駅から京王線に乗って帰りました。<br />ここまでで甲州街道の全体の5分の一を歩いたことになります。<br />ここから先が交通の便の悪い山越えの険しい道がしばらく続きます。<br />何とか夏まではゴールの諏訪大社まで到着したいものです。

    今日のゴールJR八王子駅に到着
    ここから先比左に進みJR八王子駅から京王線に乗って帰りました。
    ここまでで甲州街道の全体の5分の一を歩いたことになります。
    ここから先が交通の便の悪い山越えの険しい道がしばらく続きます。
    何とか夏まではゴールの諏訪大社まで到着したいものです。

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