2017/11/18 - 2017/11/30
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HOUKOUさん
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三国志関連史跡のメッカともいうべき「武侯祠」に向かう。
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意外と手ごわい成都の市内バスを乗り継いで,何とか次の見学地である「武侯祠」にたどり着く。
タクシーで乗り着ければ,どんな施設でも正門入口に車を着けてくれるのであろうが,私みたいな市内バス派では,たまたまたどり着いたバス停から歩いて行くので正門以外の門から入るケースが多い。
そのため見学の順序が本来の順路から逸れて,秩序だった見学ができないことも多い。
この「武侯祠」も正門ではない東側の入場口から入ることになった。
そこにはいきなり「恵陵」であった。 -
これは三国志の劉備玄徳の陵とされるものである。
古代中国の偉人にはしばしばあることであるが,劉備の墓とされるものは他に数か所ある。
そのせいか少し有難味が薄いような気がする。
天下三分の計により蜀の支配者になった劉備は,手順を踏み「漢中王」から「昭烈皇帝」となる。
劉備が支配したのは「蜀(蜀漢とも呼ばれる)」であるが「漢昭烈皇帝」と銘があるのは,劉備が劉邦に始まる漢王朝の流れを汲んだ正統な継承者であるということを表したものだ。
呉夫人,甘夫人(第2代皇帝劉禅の生母)もここに合祀されている。 -
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「三義庁」
「三義」とは,桃園で(桃園結義)で劉備・関羽・張飛の3人が,「生まれた月日は違えど、死ぬ時は同年同月同日を願わん!」と義兄弟の契りを結んだことを指す。
これは必ずしも史実ではないようであるが,関羽・張飛が劉備のなくてはならない両腕であったことは確からしい。 -
劉備
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関羽
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張飛
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劉備・関羽・張飛が正面に並び,両側には三国志の名場面の石刻が展示されている。
劉備が孫夫人を娶る場面。
お見合いは鎮江の甘露寺で行われた。
夫人は孫権の妹だけあって男勝りな性格であった。
劉備も夫人の侍女たちが薙刀で武装していたのを見てビビりまくる。 -
毒矢を受けて腕の手術を受ける関羽。
毒は骨まで達したため,伝説の名医・華佗は関羽の腕を切開し骨にこびり付いた毒をこそぎ落としていく。
その間関羽はというと,表情一つ変えず酒を飲み碁を打つという豪胆ぶり。 -
こちらは庭園に置かれたかなりデフォルメされた三雄。
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この「三義庁」はどうやら主だった建物の中で最も奥にあるもののようで,通常の順路と逆の見学になってしまった。
「名垂宇宙」と扁額にあった。
劉備の軍師であり,劉備亡き後二世皇帝となった劉禅を宰相として支えた諸葛孔明の祠である。 -
続いて,ここが「武侯祠」の中心となる建物だと思うが「劉備殿」。
(蜀)漢皇帝となり冕冠(べんかん=皇帝の冠)姿の劉備元徳(昭列皇帝)。
仁徳高く多くの人をひきつけた劉備らしく,その龍顔は円満そのものだ。
しかし「三国志演義」と読んだことがある人であれば,冒頭の劉備の人間離れした容貌についてのくだりには驚かされたはずだ。
「両耳は肩まで垂れ、両手は膝の下まで届き、目は自分の耳を見ることができ・・」
英雄とは人間離れした異形の相貌をしているというのが中国的発想らしい。 -
こちらは張飛。
張飛の形相も「三国志演義」にユーモラスに描かれており,こちらの方は人間として「あり得る」範囲内なので,ほとんどの場合この英雄の像はその描写に沿ったものとなっている。
「豹の如き頭につぶらな目、肉づきあくまで豊かな頬から頷に虎の如き鬚をたくわえ、その声万雷のはためくが如く・・」 -
こちらは関羽。
皇帝でもないのに冕冠(べんかん)を付けているのは,死後「関帝」として神格化されたためである。
中国各地を旅していて感じるのは,どこへ行っても「関帝」を祭る廟があまねく存在していることである。
そして,そこではどちらかというと商売の神様として信仰されているように思える。
生粋の武人である「関帝」がなぜこれだけ全土で,しかも商売の神とされているのか。
この現象には普通,山西商人の存在が語られることが多い。
元々関羽信仰が盛んだった山西地方からは,塩商人が中国全土に進出して商いを行った。
それとともに関羽信仰が全土に広まったというものだ。
山西商人がなぜ関羽をこれほど崇拝したのか。
それは山西商人が,商売するうえで最も必要なものとして「信義」を重んじたからだとも言われる。 -
建物の両側には主だった家来が数十体並ぶ。
その最も上座に座る写真右は「趙雲」である。
長坂の戦いにおいて怒涛のごとく攻める曹操になすすべもなく敗走する劉備。
それは我が妻や子をも置き去りにせざる得ないほどのすさまじさであった。
このとき趙雲がその甘夫人と阿斗(後の2世皇帝劉禅)を身に抱え救出する。
三国志の名場面である。
こうして趙雲が命がけで救出した阿斗であるが,劉備の死後皇帝位を継いだが,「残念な」君主になってしまう。
ここに居並ぶ数十体の人物像にその「劉禅」の姿はない。
蜀を滅ぼした魏により異国の地に封ぜられたということもあるだろうが,理由はそれだけではあるまい。 -
「これを読んで涙を流さなければ,その人は不忠」と言われるほどの名文とされる「出師表」。
「出師表」は前・後2つがあるが,普通は「前出師表」のことを指している。
(「後出師表」は偽作ともされる)
「出師表」は次のように始まる。
「臣・亮言う。先帝創業未だ半ばならずして中道に崩殂す。今天下三分し、益州は疲弊す。・・」
(和訳)
「陛下の臣である私、諸葛亮が申し上げます。
先帝(劉備)は、この国を作り始められてからその事業の半分も行えないまま途中で崩御になりました。
今天下は三つに分かれたままで、この益州(蜀)の地は衰退しています。」
そして先帝劉備の恩に報いるためにも,必ず魏を倒し天下統一を果たし漢を復興させるという誓いを立てる。 -
さて「武侯祠」を出るとそこは「錦里」と呼ばれる歩行街であった。
こうした観光歩行街は中国のあちこちにあって,ちょっと食傷ぎみだ。 -
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お土産物屋さんに,ばらまきお土産にピッタリなパンダキーホルダーがあったので8個ほど買い込む。
ワゴンに10種類以上のパンダキーホルダーが山盛りにされていて,これを選ぶのがまた面白い。
同じようにお土産選びをしていた10歳ぐらいの少女と,競うように目の色を変えてキーホルダーを選ぶ(笑)。
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