2017/11/22 - 2017/11/25
2368位(同エリア10763件中)
SUMIさん
友人2人と北九州を福岡から大分、熊本(宿泊のみ)、佐賀、長崎を廻り
3泊4日で各地の神社と温泉を巡りました。
今回は四日目で 眼鏡橋、軍艦島上陸、出島の観光し長崎空港から神戸空港へ帰りました。
< 概要 >
1日目は伊丹空港から福岡空港まで飛行機移動、レンタカーを利用し
福岡県の太宰府天満宮、宗像大社(辺津宮)、宇佐神宮を観光した後に別府温泉泊
2日目は別府温泉の地獄を見た後、耶馬溪、九重夢大吊橋を観光し熊本の黒川温泉泊
3日目は祐徳稲荷を観光後に嬉野温泉泊
4日目は眼鏡橋、軍艦島上陸、出島観光し長崎空港から神戸空港へ帰りました。
(今回の写真を撮った機材)
メインカメラは SONY α7 レンズ24-240mm
サブカメラは SONY RX100M3 レンズ24-70mm
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 3.5
- 交通
- 3.5
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- レンタカー ANAグループ スカイマーク 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
眼鏡橋です。
絵画モードで撮影しています。 -
眼鏡橋の近くに黄葉の銀杏がありました。
-
11月25日はここから始まります。
11月24日に泊まった”御宿 高砂”です。
手前の橋は、夜に赤くライトアップされてました。嬉野温泉 御宿 高砂 宿・ホテル
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正面の入り口です。
3階建てのこじんまりとした旅館でしたが、料理が美味しくて
暖かいもてなしの旅館でした。 -
朝食です。
左にあるのが自慢の温泉湯豆腐です、
豆腐を煮ると透明な汁が白く濁ります。 -
旅館の前の嬉野川です。
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望遠で撮った写真です。
8時開始の食事を30分ほど早めてもらい8:40頃に長崎の眼鏡橋を目指し
出発しました。 -
長崎の東新橋へつきました。
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上の写真にある東新橋の説明です。
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眼鏡橋を少し遠目から撮影しました。
10:00に軍艦島ツアーを予約しているのですが、今9:35で
ゆっくりする時間がありません。
旅館を出るのが少し遅れたせいです。眼鏡橋 名所・史跡
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有名なハート型の石で自撮りをしています。
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橋が眼鏡に見えます。
時間がないので慌てて匠寛堂でカステラを購入し車へ戻ります。
軍艦島ツアーの集合場所へ急ぎますが10時ぎりぎりに着いたので
私だけ降りて手続きを済ませ、残りの人が車を駐車場に預けに行き
遅れて集合します。
10:30出船ですが10分前にやっと乗船できました。 -
シーマン商会のさるくⅡ号ツアーです。集合場所がこの桟橋です。
9月初めに予約しましたが、ほかのツアーはすでに満員でした。
このツアーも残り少しとなっていました。
当日に来た人も数人は追加で乗せていましたが、予約で満席でした。軍艦島ツアー 名所・史跡
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すごく派手なクルーズ船です。
聞いたところ中国の船のようです。
確かに模様が中国風です。 -
15階建て以上ありそうなすごく高層の大型船です。
一番上にループ状のプール用滑り台があります。 -
三菱重工の長崎造船所です。
三菱長崎造船所 名所・史跡
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海上保安庁の船のようです。
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造船所が沢山あります。
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大型のタンカーです。
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右の白い像はキリスト像かな??
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中央右側が確か一番古い造船所の跡と聞いたように思います。
間違っていたらごめんなさい。 -
三菱重工の長崎造船所の大型クレーンです。
1200トンクレーンのようです。 -
40分ほど船が走り長崎港から19Kmの所にある端島(通称軍艦島)へ近づきました。
端島は南北480m、東西に160m、周囲1200m、面積6300m2という小さな
島で、軍艦”土佐”ににていることから軍艦島と言われるようになったとのことです。最盛期には5200人が住んでいたそうで東京の9倍の人口密度だったそうです。端島 名所・史跡
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2015年明治の産業革命遺産として世界遺産に登録されました。
島は基本的に上陸はできず、漁業権が設定されているらしく許可のない
船は長時間近づけないとのことです。
釣りをしている人がいました。たぶん渡船が漁業権を持っているのでしょう。 -
接岸する前に少し離れて島を眺めます。
交代で船室から2階のデッキへ上がり、撮影する時間があります。
右手前が31号アパートです。 -
西側から見た軍艦島です。
軍艦島の半分は鉱場なので居住地がとても狭いためか、大正5年に日本初の鉄筋コンクリート造りの高層集合住宅である30号棟が建築され、次々と高層アパートが建設されたとのことです。 -
左の島は中ノ島かな?
小中学校、共同販売所、映画館、料理屋、娯楽場、病院、郵便局、美容院、警察など最先端の技術と都市機能を持つ炭鉱都市だったそうで、今は廃墟(昭和49年閉山)となっていますが、1960年代には、この島が”日本の未来?”という新聞が出ていたとのことで、世の変遷の皮肉さを感じます。 -
廃墟となったアパート群
台風になったときは満潮時に波が8mにもなり、しぶきは30mまで
上がったそうで島を覆うような状況だったとのことです。 -
この後、廃墟の写真が続きます。
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31号アパートです。
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西側のアパート群です。
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この辺りに昭和館という映画館がありました。
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日給住宅(16号~20号棟)です。
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山の上が三菱社員用のアパートです。
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前の船が離れたので、我々の船が接岸し上陸します。
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総合事務所:鉱山の中枢であったレンガ造りの建物です。
島全体が遺産ではなく、この遺跡が世界遺産とのこと。 -
総合事務所跡です。
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中央下の黒い廃墟が昔にお風呂があった跡です。
出てきて直ぐの工員は全身真っ黒なので最初に服のまま海水の風呂につかり、
その後に普通の風呂を使ったそうです。
島では湧水が無く、水が大変に貴重でしたから・・・ -
階段が補強されています。
階段の上が第2坑道の跡で、ここから立て坑を下へエレベータで降りていきます。
最深部は1000mほどあったそうです。 -
この石積みの護岸も世界遺産とのことです。
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右が30号棟、左が31号棟です。
31号棟地下には美容院や理髪店がありました。 -
手前に倉庫と下請住宅がありました。
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仕上げ工場のようです。
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鍛冶工場かな??
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下請け住宅かな??
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別のツアーの人が説明を聞いています。
見学者は見学ルート以外(柵があります)は立ち入り禁止です。 -
上に聳え建つのが三菱正社員のアパート(3号棟)で1軒ごとに風呂、トイレが
有ったそうで、それ以外のアパートは殆どが共同トイレ、共同風呂しか
無く、トイレ、風呂のない住宅もあったそうです。
トイレは上から下に土管が走っており、汲み取り式のため1階の人は上の階の人による音がやかましかったそうです。 -
東側から見た端島の案内写真です。
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西側から見た端島の案内写真です。
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正面は端島小中学校です。
最盛期700名が在籍していたそうです。 -
左の橋脚は貯炭コンベア跡です。
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船着き場の方から撮影しました。
三菱社員の住宅は高台の一番良い場所に建っています。 -
ツアー客全員で記念写真を撮りました。
上陸時間はおよそ45分です。 -
右の上方にお堂のような端島神社が見えます。
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右端の建物は端島病院です。
隔離病棟もあったようです。 -
端島神社が真中に突き出して見えます。
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右が小中学校です。
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端島神社のアップです。
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別のツアー船が来ました。
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総合事務所、三菱アパートの全景です。
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帰り際に見た端島です。
端島の建物は海の波風でどんどん風化が進んで行きますが、人類の歴史として
残して行ってほしいと思います。 -
軍艦島上陸記念証明書です。
なお上陸に300円入場料がいります。
多分島の維持管理に使われるのでしょう。 -
端島の案内パンフレットです。
石炭から石油へエネルギーが取って代わり端島は閉山と決まり
住民は全員が3か月以内に退去することになりました。
日本の未来像というような街が、時代の変遷により廃墟となりました。
未来を予測するのは大変に難しいということなのでしょう。 -
軍艦島ツアーを13:00頃に終了し、中華街へ昼食を取りに来ました。
”江山楼 中華街本店” でちゃんぽんを食べます。江山楼 長崎中華街本店 グルメ・レストラン
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江山楼 中華街本店の内部です。
満席のため約20分ほど待ちました。
(ここはコース料理を注文する人以外の予約ができません。) -
食品サンプルです。
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皿そば(細麺)です。
この店に来て、待った甲斐がありました。
すごく美味しかったです、 -
特上ちゃんぽんです。フカヒレも乗っています。
スープがメチャクチャに美味しかったです。 -
長崎の路面電車です。
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最後の観光地の出島へやってきました。
写真は案内パンフレットです。 -
出島神学校です。
出島 名所・史跡
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出島の案内です。
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出島の東側ゲートから入場します。
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出島神学校案内図です。
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発掘で見つかった旧出島橋の石材です。
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旧長崎内外クラブです。
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出島のミニチュア模型です。
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ミニ出島の案内図です。
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手前の橋が、離れ小島へ渡る唯一の橋である出島橋です。
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ミニ出島を西側から見た所です。
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古い鉄製の扉です。
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旧石蔵です。今は考古館になっています。
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十四番蔵、乙名詰所の案内です。
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筆者蘭人部屋案内です。
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有田焼の壺で、こういうものが海外へ輸出されました。
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日本陶器をまねてヨーロッパで作られた陶器です。
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メインの通りの隣の通路です。
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筆者蘭人部屋です。
出島 名所・史跡
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一番大きい建物のカピタン部屋です。
出島 名所・史跡
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カピタン部屋案内です。
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乙名部屋です。
日本人がいた所です。出島 名所・史跡
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カピタン部屋の15畳の部屋案内です。
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15畳の部屋です。
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15畳の部屋です。
昔の調度品が展示されています。 -
カピタン部屋の調度品の説明です。
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カピタン部屋の食堂を再現しています。
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同上の写真の箇所をアップしたもの
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カピタン部屋:17.5畳の部屋です。
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昔の事務机です。
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カピタン部屋から東を見たところです。
何か催し物があったようです。 -
川の向こうで催しをやっていました。
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発掘された基礎の石です。
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輸入された花たち。
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計量のための天秤です。
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西側の出入口で、計量のための天秤があります。
これにて観光を終了し長崎空港へ向かいます。
ガソリンがほとんど無いので駐車場を出て給油しようと話していましたが
駐車場を出てすぐに長崎出島道路のトンネルに入ってしまい、トンネルを出た辺りで給油の赤ランプが点灯しました。
料金所で係の人に最寄りのガソリンスタンドの場所を聞き長崎方面へ戻りました。
給油後に何とか元の高速へもどり少し時間をロスしましたが16:30ごろに
長崎空港のレンタカー会社へたどり着きました。
脱輪の件は特にお咎めもなく、追加料金を精算しワンボックスカーで空港まで
送ってもらいました。
ナビがとんでもない所へ行く件をクレームするのを忘れました。
黒川温泉の帆山荘へ行けなかったのと、鍋ケ滝へ行けなかったのはナビが間違った指示をしたせいです。
新しい高速など昔は無かった道を間違えるのは仕方がないし
理解できますが、地道しかない所で間違うのが不思議で仕方ありません???
少しトラブルもありましたが3泊4日の神社、温泉、グルメの旅は終了し
17:20発神戸空港行きのSKY148便で帰神しました。
これにて旅行記は終了です。
閲覧有難うございました。
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