2017/08/07 - 2017/08/09
149位(同エリア6047件中)
Rolleiguyさん
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- クチコミ2件
- Q&A回答11件
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いよいよ旅も終わりに近づき、今日は一人でリンクの内側、旧市街だけを回ることにしました。あれもこれもとは行かないので、1988年から94年まで住んでいた頃に、行ったきりになっていたところを中心にしました。その後出張やプライベートで5-6回来ていますが、通り過ぎただけになってしまっていたところもあるので、案外新鮮に感じました。今回の旅行の目的のひとつに、ハプスブルク帝国以前の歴史に触れたいという思いもありました。その一つはバーベンベルク王朝であり、もう一つは帝国の立ち上がり時の、ボヘミア王オットカルII世との関わりの場です。ウィーンではミノリーテン教会などに立ち寄りました。(戦いの場は翌日見学)。国立図書館では、今年が丁度フリーメイソン設立から300年になるとかで、記念展をしていたので、これは珍しいものがあると思い、少し時間をかけました。その後は、ユダヤ広場(Judenplatz)の方に行って、ハプスブルク帝国時代の政府機関や外交関係の施設を、外観だけ見ました。本当は内部も見学出来ればと思うのですが、時間的制約と、自由に出入り出来ないような建物もあり、断念しました。
日帰りでザルツブルク観光から戻った友人との最後の夜は、グリンツィングのホイリゲでワインと音楽を楽しみました。
多少思い入れがあるため、個人的なことを書いたりしていますが、ご容赦下さい。諸行無常ではない面も沢山あります。どちらもあるのがウィーンの魅力です。古さのないところとの違いが、ここの街歩きの差になっているのでしょう。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 友人
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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ウィーンに来た時に必ず立ち寄る市庁舎。ヴォティーフ教会をバックに。
変わらない美しさだと思います。 -
近年は市庁舎前の広場で度々イベントがあるようで、この夏も椅子が沢山並べられていました。ウィーンにいた頃、ツィルク(Helmut Zilk)さんという市長がいて、日本へのフライトで見た「寅さん」の映画に甚く感激し、シリーズ唯一の海外が舞台となる作品を、ウィーンを舞台にして、山田監督に撮ってもらうことに成功しました。駐在員の奥さんたちが追っかけをして、映画にも見知った顔が出ていましたが、映画に顔出しはしたくないですね。
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ツィルク市長は、手紙爆弾で手の指を失うテロに遭いましたが、断固として職務を全うしました。ジャーナリスト出身の気さくなご仁で、日本企業をいろいろサポートしてくれました。
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フォルクス・ガルテン
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フォルクス・ガルテンにある皇妃エリーザベットの記念碑。
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石像まで出来たのですから、とても人気があったのですね。
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ミノリーテン教会は市の中心部にありますが、訪れる人が少ないので、来た時にはひとときを会堂に座って、過ごすことにしています。13世紀の半ばころ、まだハプスブルクが支配する前、この地方を勢力圏としていたボヘミア王オットカルII世が、火災で燃えた当初の小さなカタリーナ教会堂を、大きくしたのが起源です。正面はフランス・ゴシックを感じさせる様式だそうです。ハプスブルクのルドルフとの戦いに敗れて戦死したオットカルの遺体は、30週間の間、このミノリーテン教会に安置されたそうです。
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ステンドグラスが外の光を受けて静かな美しさを見せていました。あれこれ目移りせずに、ひとつをゆっくりと、細部まで見るのが好きです。ローマ時代の殉教者聖チェチーリアと聖カタリナを描いたものです。詳しくは旅行記末尾の書き込みをご覧ください。
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王宮への門。古いものを見て来ると、とても新しいものに見えます。
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エルマイヤー・ダンス教室。ウィーンではネコでも踊ると言う、ワルツを覚えるには、こうしたダンス教室に通うのが手っ取り早いので、地元の若い男女に交じって、駐在員には夫婦で通う人もいました。私はそんな優雅さに少し反発もあって習いませんでしたが、今にして思うと習っておいてもよかったかなという気がします。
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国立図書館まで来ると、大きな表示があり、フリーメイソン300年の特別展をしていたので、これは見逃せないと思い、即見学することにしました。
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内部は本当に立派で、メルクの修道院もそうでしたし、国内にはいくつかそうした
見事な図書館がありますが、本の価値が現在とは比較にならないほどであったことと、知への敬意だけでなく、富と力の誇示でもあったのではないかと思います。 -
現代ではこれほどの財を投じて図書館をつくることは考えられませんが、当時の権力者は、平時のお金の使い道に、多くの選択肢がなかったのかもしれません。
富める者と貧しい者の格差が広がっている現在ですが、当時は富める者の数がずっと少なく、トリクルダウンもなくて、大方は貧しかったのでしょう。為政者が貧しい人に心を向けないのは、世の東西を問わないのかも。 -
先生に連れられて学校の生徒が見学に来ていました。床にべったり座っているのが微笑ましいですね。日本なら、他の人の邪魔になるからダメと言われそうです。
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いよいよフリーメイソンの展示です。こうした説明文が結構多く、これを読まないと展示物だけでは理解が進まないので、ひとつひとつ読みましたが、とても時間がかかってしまいました。これが最初の展示なのですが、フリーメイソンとは一体何なのかという説明です。外部からは、その儀式や規則、また新規会員の受け入れに厳しいことなどで、想像をかきたてる存在になっています。世界中にありますが、グループに分かれており、政治家を惹きつけ、スピリチュアルな側面を持ち、秘密めいています。 伝統的に、道徳的価値と啓蒙思想の推進を目指しているのだそうです。ウィキペディアに非常に詳しい説明がありますので、ご興味のある方はそちらをご覧ください。簡単に説明しにくい組織のようです。
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フリーメイソンは、外部から窺い知れない、秘密めいた組織という世間の受け止め方なので、そのメンバーもそれらしい格好をしているようですよ。元々は石工職人の組合から始まったとのことで、メイソン(石工)という名前になったとか。
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この1699年の写本を見ると、最初に、神を畏れ、神の命令を守れ、とあります。
何故なら、それが人たるものの義務の全てだからと記されています。
しかし、18世紀以降の近代フリーメイソンには、こうした定めはもう時代遅れと受け止められたようです。特定の神ではなく、至高者という観念であるため、
キリスト教会とは基本的に仲が良くないようです。キリスト教の世界では異端と呼ばれる宗教の創始者には、元フリーメイソンだったという人が何人かいます。 -
これはフリーメイソンの憲法のようです。1721年に、こうしたものを作ることになったようで、人類の祖アダム以来の歴史を記してあるのだそうです。規則としては、新入会員受け入れについてや、会員の義務などが定められているとのこと。
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正面奥に見えるシンボルは、石工の仕事道具である定規とコンパスだそうです。
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マリア・テレジアの夫であるフランツ・シュテファンも会員だったことがあるそうです。外交官や社会的地位の高い人たちから会員層が広がったようです。
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フリーメイソンの集まり。
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描かれている人たちの中に、会員だったモーツァルトがいます。他にも、エステルハージ侯爵、歌手として知られていたシカネーダの名前も見えます。
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フリーメイソンの階級。徒弟、職人、親方、という3つが基本だそうですが、
功績などによる昇格があり、30以上になることもあるとか。 -
当初は石工職人のギルドから発生したと言われていますが、もっと遡るとエジプトの祭司、ピタゴラスの信奉者、十字軍で知られるテンプル騎士団等々、本当は良く分からないのかもしれません。
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19世紀には、ヨーロッパでは貴族の入会が広く行き渡ったようで、特にイギリス王室とは近い関係にあったようです。高級軍人も多く入会したそうですが、多くの会員は中産階級だったそうです。ここには記されていませんが、近代になって、フリーメイソンの会員が始めたロータリークラブ、ライオンズクラブに見られるように、慈善団体と思われている面もありますが、それは活動の一部でしかないそうです。
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フリーメイソンには著名人も沢山いたようです。これはリヒアルト・クーデンホーフ・カレルギー(日本名:栄次郎)です。説明文には、日本・オーストリアの作家で政治家となっていました。欧州の一体化を目指した汎ヨーロッパ運動の提唱者で、賛同者には、アインシュタイン、トーマス・マン、アデナウアー(戦後の西ドイツ首相)、オットー・ハプスブルク(最後の皇帝カールの長男。ハプスブルク家の当主だった)、カール・レンナー(オーストリアの首相)などがいたと記されています。
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フリーメイソンは自由、平等、人類全てへの奉仕の旗手と任じているものの、自己矛盾も抱えており、内部には会員の階層があり、女性は会員になれないなどの
実態があるため、外部からの皮肉や批判を引き起こしている面もあるそうです。 -
ナチス時代には、体制に批判的と見られていたフリーメイソンは、ユダヤ人の結社だとして、度々ナチスの攻撃を受けたようです。これは、ユダヤ人殺害の裁判と無罪判決を受けて、大規模な集会を開くという知らせですが、右下にユダヤ人の入場は禁止と書かれています。フリーメイソンの関係の展示はここまで。
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中世の書物の美しさには感嘆します。複製本が市販されたこともありましたが、複製でもウン十万円もしたので、とても購入出来ませんでした。仕事から退いたら、静かな書斎でこんな本を読んで(見て?)過ごしたいと思っていましたが、現実はそんなに優雅なものではありません。書かれているのはドイツ語ですが、よく分かりません。
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一体どれほどの時間をかけて作った本なのだろうと思うほど、細部に至るまで手をかけています。
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1時間ほどして一回りして来たところ、生徒たちはまだ座ってお話しを聞いていました。教科書がなくても、先生の話しに集中できる生徒に感心しましたが、先生も、生徒の関心を逸らさずに、話し続けるだけの勉強をしているのは間違いないでしょう。こうして学んだことは、単なる言葉の記憶ではなく、歴史への思いにつながるものだと思います。歴史には真正な解釈はないことを学ぶことが、リテラシーなのだろうと思います。
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次は久し振りにカプツィーナー墓所に行きました。ハプスブルク家の代々の皇帝12人や妃19人、大公など全部で138人の棺が納められています(1人だけハプスブルク家ではない人がいます。マリア・テレジアの家庭教師だった人で、終生の友人として、ここに棺が安置されたそうです)。カプツィーナーとは、修道僧が被る頭巾(Kapuzeをかぶる人=Kapuziner)から来ているそうで、この墓所が頭巾を被って托鉢したフランシスコ会に管理されていることから、その名前になったようです。この墓所は30年戦争が始まった時の皇帝マティアスが自分と皇后のために作り、その後拡張されたそうです。柩は補修のために開けられることがあり、中には木製の柩があり、それも開けることがあるそうです。この柩はマリア・テレジアの伯父にあたる皇帝ヨーゼフ1世です。スペイン継承戦争でフランスのルイ14世との戦争に明け暮れて、病気のため33歳で亡くなりました。
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托鉢をするフランシスコ会の修道士。被っているのが頭巾(Kapuze)。
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これは、神聖ローマ帝国最後の皇帝となったフランツII世です。柩にはオーストリア皇帝と記されています。
善人と呼ばれた皇帝ですが、ナポレオンとの戦いに敗れ、ドイツ同盟の成立により、1806年に神聖ローマ帝国が名実ともに崩壊し、彼はオーストリア皇帝フランツ1世としてその後を過ごしました。メッテルニヒを対外政策の核に据えて、後にナポレオンを破り、1814年には王政復古によるヨーロッパ秩序の回復を図るべく、「ウィーン会議」を開催しました。「会議は踊る」として知られています。
今はドイツ国歌になっているハイドン作曲の歌、皇帝賛歌(Kaiserhymne)はハプスブルク賛歌(Habsburgerlied)とも呼ばれて、元々はフランツ1世を讃えるために作られたもので、皇帝の代替わりの際は別の歌詞になりましたが、フランツ・ヨーゼフの時に皇帝個人の名前を省き、新たに作詞されました。 -
皇帝賛歌は6番までありますが、皇帝の臨席においてはこの1番だけを歌ったようです。和訳はないので仮に訳しました。
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迂闊にも、これは誰の柩か記録しませんでしたが、マリア・テレジアだったかもしれません。この不気味さ、何故こんな気味の悪いものをくっつけるのか、理解に苦しみます。記憶が曖昧ですが、当時の祈祷書に、埋葬された遺体から湧き出る蛆虫を描いたものがあり、淑女がそれを見ることで、現世への未練を断ち切り、来世への思いを強くする目的があったのでは、と言う趣旨の説明があったような気がします(違うかもしれません)。中世のドイツに関する多数の著書がある、阿部謹也さんの本だったかもしれません。これもそうした発想なのかどうか。
(修正)
この柩に記されている年号MDCCVI(1706)からして、これは前年に亡くなったレオポルトI世)だと思われます。
その後の調査で、この骸骨は過去を象徴するものだそうで、それに対比するものとして、天の国に行くことを願う象徴として柩の上には天使や十字架があるのだそうです。 -
この場に棺のない、フランツ・フェルディナント皇太子夫妻を記念するための銘板。アルトシュテッテン城に葬られていると記されています。フェルディナント皇太子が暗殺されたため、次の皇太子となり、ハプスブルク帝国の最後の皇帝となったカールの柩もここにはありません。彼の柩は、亡命していたモデナにありますが、彼を受け入れてくれたモデナへの感謝の思いから、敢えてここに移していないのだと聞きました。そのため、ここに棺のある皇后ツィタとは別々になっています。
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2011年に亡くなったオットー・ハプスブルクの柩。ハプスブルク帝国が続いていれば、皇帝になった人です。その葬儀の模様がオーストリア国営放送(ORF)で
実況中継され、会衆がハプスブルク皇帝賛歌を歌う様はとても印象的でした。
開始25秒くらいで現れる男性が、現在の当主カールです。
https://www.youtube.com/watch?v=PXzvMF7Dx6g -
地上に戻り、気分転換に賑やかな方向に歩きました。ここは、私のオフィスがあったところです。王宮に続くコールマルクト通りで高級店が並んでいましたが、オフィスは質素なものでした。業務拡大で1992年にショッテンリングに引っ越ししました。
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この通路を入ったところにエレベーターがあり、住宅の一室といった趣でした。
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私は地図が大好きなので、この通りにあったフライターク&ベルントというお店に
よく通いました。でも、お店は移転していて、フェラガモが入居していました。
地図屋では高い家賃を払い切れないのでしょう。 -
辺りを探してみたら、横辻に入ったところに、地図屋さんがありました。
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店中地図だらけで、見ているだけで楽しくなります。今回は、オーストリアの城の地図を購入しました。山歩きのガイドブックも沢山あります。
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私の旅行記には食事は登場しないのですが、このシュニッツェルには呆れたので、
記録まで。 1.食欲を誘わない 2.付け合わせなし 3.高い 4.まずい。
レストランの名誉のために、敢えて名前は記しませんが、コールマルクトから小路を入ったところにあります。 -
近くのペーター教会でオルガンコンサートがあるので、行ってみました。
バッハのトッカータとフーガ ニ短調。とても良く知られているのに、
なかなか聴く機会がないので、幸運でした。 -
開始前に席は殆ど埋まりました。
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コンサートホールで聴くのとは違い、音が上に響き、体を包み込むようでした。
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これは、私が通っていた教会(Reformierte Kirche)で、久し振りに覗いてみました。鍵がかかっていて内部は見られませんでした。この教会は、ウィーンでは数少ないプロテスタント教会で、ウィーンに暮らす外国人が主なメンバーでした。多彩な職業の人たちで、礼拝後のコーヒータイムでの歓談が楽しみでした。在職中に亡くなられた日本大使の葬儀を執り行ったのも、この教会でした。
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教会の外観。ドロテーアガッセという場所にありましたが、通りの名前は国営のオークションハウスであるドロテウムに由来します。右側の建物です。
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ドロテウムの内部。ウィーンにいたときには、ここが物珍しくて、しばしば見学しました。趣味で集めていたアンティークカメラをよくオークションで購入しました。フィルムカメラは今では二束三文になってしまいましたが、100年前後経っている工芸品だと理解することにしています。
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例えばこんなのです。これはドイツのツァイスイコン社のユヴェールという大型カメラですが、今でも使えます。畳むと少し大きな弁当箱くらいになります。レンズ交換も出来ますが、交換レンズは持っていません。ヨセミテの写真で有名な写真家のアンセル・アダムスは戦前このカメラを使っていました。
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フライユング(Freyung)の方向に行ってみます。
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フライユングにあるこの薬局にハーブティーを買いに行きました。
スーパーなどにある大量生産のものではなく、珍しいハーブのお茶がいろいろあって、量り売りもしてくれて、しかもとても安く購入出来ます。家内から言われて思い出して行ってみました。お茶の好きな方は是非行ってみるといいですよ。 -
正面奥にショッテン教会(Schottenkirche)が見えます。バーベンベルク家が支配していたころの1155年に、オーストリア辺境伯ハインリッヒII世(別名ヤソミーアゴット Jasomirgott)が、スコットランド(実際はアイルランド)から、ベネディクト会の修道士を招いて作った、修道院付属の教会堂。ロマネスク様式のバジリカ。教会の外壁に彼の像があります。ショッテンとは「スコットランド(人)の」という意味。〇〇ゴット(・・・gott)という名前は、古いドイツやオーストリアのファーストネームに時々見かける名前で、Gott(神)への信仰を名前に盛り込んだもののようです。
Jasomirgottの意味や由来を知りたいと思い、ドイツ人の友人に尋ねたところ、Ja-so-mir-Gott-helfe(神よ我を助け給え)から来たという説があるとのこと。シュテファン大聖堂の向かい側に、ヤソミーアゴット通りというのがあります。 -
この広場にある「オーストリアの泉」(Austriabrunnen)。像はオーストリアを擬人化したもので、下にある4つの水の流れは、エルベ川、ドナウ川、ビスワ川、ポー川で、それぞれの川は北海、黒海、バルト海、アドリア海に流れ込み、その中心にオーストリアがある、という趣旨です。1846年に造られたもので、この2年後1848年は、帝国の未来を予言するかのような3月革命が起こり、メッテルニヒが失脚した年で、次第に強くなる帝国内の民族意識が、高揚した時期であることと考え合わせると、それなりの目的を持って建てられたのかもしれません。
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ペーター教会の裏通りを行く馬車
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その通りにあるレストラン・ゲッサー・ビーアクリニーク。
オフィスから近かったので、お客様とよく行きました。 -
これは別のレストラン・オーフェンロッホ。なんでこんな名前をつけたのか分かりませんが、ストーブの炬口という意味です。割といいレストランです。
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更に裏手に行き、ユーデンプラッツ(ユダヤ人広場)へ。
この周囲には帝国時代の建物がいろいろあり、帝国の紋章である、金の双頭の鷲が
掲げられています。 -
鷲を使った紋章はいろいろな国で見かけます。アメリカは白頭鷲ですし、ロシアは
双頭の鷲であるものの、ハプスブルクの双頭とは少し違います。ドイツもそうですし、東欧にもいくつかあります。元々は、ローマ帝国が単頭鷲の紋章を使い始め、その後東ローマ帝国の時代に、東と西の両方を見るという意味で双頭にしたようです。神聖ローマ帝国の紋章もこれを継承し、関わりをもった帝国、王国が似たものを使い始めたのだそうです。 -
ひとつ前の紋章は、双頭の鷲の頭に王冠が乗っています。こちらとは違う王冠です。
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ユーデンプラッツ。中世にユダヤ人のゲットーがあった場所で、当時は周囲に壁があり、4つの出入り口からしか市内に出入り出来なかったそうです。
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ユダヤ人への迫害を記す警告の記念碑があります。帝国時代にもユダヤ人への偏見や、反ユダヤ主義運動がありましたが、フランツ・ヨーゼフ皇帝はそうした動きへの盾になり、帝国内のユダヤ人の敬愛を受けていたそうです。
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ボヘミア高等法院の建物。1710-14年に、著名な建築家フィッシャー・フォン・エアラッハによって設計されたもの。ボヘミアは帝国の一部だったので、高等法院がウィーンにありましたが、後にオーストリア高等法院と一体化され、共和国になってからはオーストリア憲法裁判所(最高裁)として2012年まで使われました。私が在勤中に、外国人も年金の払い込み義務があるのに、受給することが出来ないのはおかしい、公平を欠いて憲法違反だと、国を相手に裁判を起こし、ここで審理されましたがあえなく敗訴した場所です。でも面白かったです。私は裁判が好きで、十数年前に、商標に関する裁判を起こし、1,2審で敗訴したのですが、最高裁に上告受理申し立てをし、高裁判決を取り消してもらい、最終的に勝訴しました。ちょっと自慢。
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人気のない広場を馬車が通り過ぎて行きます。
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煙突掃除屋さんのマーク。今でも煙突のある建物は、定期的に専門職のチェックを受けなければならないので、この職業は現代にも受け継がれています。
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トルコの砲弾だそうです。1683年。後年金色にされたそうです。以前ここに同名のレストランがあった由。
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コールマルクトの繁華街。 右手に見える高級スーパー、ユリウス・マインルは、
今でこそ旅行客で満員ですが、ひと昔前はある程度裕福な人を相手にしていて、
買い物に行くにも服装に注意しないと、店員の扱いがまったく違うような、嫌みな
店でした。でも、服装で客の品定めをするのは、ウィーン人に共通しており、他の店でもそうでした。散歩さえもきちんとした服装で出かけるウィーン人には、むしろそれが快適だったのかもしれません。中流以上の人たちだけでしょうが。 -
こんな裏通りでもうらぶれてはいないのが、ウィーンを感じさせます。
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ここにも観光客を乗せた馬車が来ます。
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赤十字創立者のアンリ・デュナン(スイス人)の記念碑。アム・ホーフにある元戦争省(Kriegsministerium)の建物にあります。
彼は、1859年にオーストリアとフランス・イタリア間の戦争で、傷ついた兵士が
戦場に置き去りにされたのを見て、どこの国の兵士であるかに関係なく助けの手を差し伸べました。そのため「永遠の(善き)サマリア人」と言われています。
善きサマリア人とは、イエス・キリストのたとえ話に出て来ます。ユダヤ人から見れば異教徒ですが、(ユダヤ人の)旅人が強盗に襲われて、大けがをしているのを見た通りすがりのユダヤ人が、見て見ぬふりをしたのに、異教徒であるサマリア人が介抱し、宿屋の主人にお金を渡して世話を頼んだ、この怪我をしたユダヤ人の隣人はどちらかという話です。当時、ユダヤ人にとって隣人とはユダヤ人のことでしたが、イエスは、隣人とはあなたに愛をもって接する人のことだと教えたのです。デュナンはその善きサマリア人に譬えられました。
ウィーンには「善きサマリア人」(Guter Samaritaner)という名前の救急車が走っていて、うちの娘も一度お世話になりました。 -
ウィーン最後の夜は、グリンツィングのホイリゲに行きました。
もう遅い時間だったので、お客は少なくてちょっと寂しい感じでしたが、楽士に来てもらい、ウィーンの歌や曲を演奏してもらいました。私はそういうときに、いつも「会議は踊る」をリクエストして一緒に歌います。懐かしい映画の一コマを思い出します。それにしても、グリンツィングは昔は真夜中までお客で一杯だったのですが、近年はさびれがちで、馴染みのホイリゲも廃業していました。
さあ、少し長かった旅も明日は帰国です。友人はこの後プラハに行くので、ここでお別れです。次の旅行記が最終になります。
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この旅行記へのコメント (15)
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- salsaladyさん 2018/03/13 10:02:57
- フリーメイソンはオーストリア発祥?
- ☆再び来てみました。私の知らない世界を覗かれた面白不思議な旅だから~
☆メイソン=石工ですか?その組合が何故にそこまで曰くありげな組織に祭り上げられたのかしら?日本にもメンバーが居るそうですが。。。Really?~see you again~
- Rolleiguyさん からの返信 2018/03/13 13:42:27
- RE: フリーメイソンはオーストリア発祥?
- salsaladyさん
今日は。
お出で頂き有難うございます。
フリーメイソンの発祥の地はイギリスのようですが、その経緯や正確な時期はよく分からないようです。それも秘密めいた印象を与えているのかもしれません。
日本でも200人くらいメンバーがいるようですよ。〇〇美容クリニックの院長も会員だとか。日本版のウィキペディアに詳細な説明が載っていて、私もこの旅行記の作成にあたって
参考にしましたので、もしご関心がおありでしたらご覧ください。
今日はすっかり春めいてどこかに出かけたくなります。
Rolleiguy
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- sanaboさん 2018/01/07 22:47:41
- 今年もよろしくお願いいたします。
- Rolleiguyさん、
新年おめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
今日はウィーンの旅行記を拝読させていただきました。
かつてお住まいでらしただけに、感慨深い思いで
再訪されたことと思います。
当時通われていた教会もあるのですね。
私もウィーンは大好きな街で、ヨーロッパで唯一住んでみたい都市が
ウィーンという時期がありました。 今はフィレンツェでも可です(笑)
ウィーンには4~5回行きましたが国立図書館は知りませんでした。
アドモント修道院やメルク修道院の図書館を思い出しましたが
その美しさとともに所蔵品の価値は本当に計り知れないものですね。
退職されたら静かな書斎でこのような本を読んで過ごされたいと
思ってらしたそうですね。 Rolleiguyさんのそのようなお姿を
想像するのは容易なことで、とてもお似合いです(^_-)-☆
グリンツィングが実は大好きでしたが、最近は訪れる人が少なくなり
寂れてしまったというのが信じられずにいますし、とても残念でなりません。
あの付近ですと、ベートーベンの小径やカーレンベルクの丘からの眺めなども
懐かしく思い出されます。
単なる観光客目線でないウィーンの街をご紹介いただき
楽しく拝見させていただきました♪
今年もお健やかで良い1年を過ごされますよう
心よりお祈り申し上げます。
sanabo
- Rolleiguyさん からの返信 2018/01/08 10:44:41
- RE: 今年もよろしくお願いいたします。
- sanaboさん
新年おめでとうございます。こちらこそよろしくお願いいたします。
Admontの図書館に行かれたのはsanaboさんでしたね、どなただったかなと思い出せませんでした。本当に所蔵品の価値は代替出来ないほどのものですね。
せめてそうしたものに触れる(目にする)ことが出来る幸いを感謝したいです。
目にしてすごいなと思うだけでなく、その実体を理解出来ればもっと良いのですが。
若い時分にはそうした意欲がありましたが、齢を重ねると今から新しい、しかも難しいことを学ぶだけの力はないので、せめて理解させてくれる手段があればいいのになと思います。
市場性がないから無理でしょうが。
グリンツィングの現状を知ったのは2009年に行った時ですが、昨年もほぼ同じだったと
思います。 なんでなんだろうと思いましたが、ひとつには飲酒運転の取り締まりが
非常に厳しくなったことだろうと思います。昔は、自動車を運転して行き、沢山飲んで
また運転して帰るというのが、結構一般的でした。日本人のように酔いつぶれるまで飲むということは蔑まれるので、一定の限度はありましたが。
もうひとつは、観光の対象が増えたことだろうと思います。昔のウィーン観光は、
旧市街、シェーンブルン、コンサートかオペラ、そしてホイリゲでしたが、今は多彩になったように思います。 でもホイリゲは復活して欲しいですね。
> 単なる観光客目線でないウィーンの街をご紹介いただき
> 楽しく拝見させていただきました♪
とても嬉しいお言葉、有難うございます。
今年がsanaboさんにとって稔り多い1年になりますよう、お祈りします。
Rolleiguy
-
- jijidarumaさん 2017/12/26 16:10:08
- ワルツ習得とフリーメイソン、「会議は踊る」に感慨あり。
- Rolleiguyさん、
こんにちは。クリスマスが終わり、年末年始とまだ慌ただしい期間が続きます。
シュトレン、レープクーヘンもこの時期になると無性に食べたくなって、少々高い感もある通販で購入し、毎日大事に食べています。
遅ればせながら、Wienの旅行記に舞い戻って、拝見した中で興味を持ったことにつき感想を書きます。
1)駐在員夫妻のワルツ習得のお話しが出ましたが、さすがに本場らしいと思いました。
体育会出身の私はダンスは苦手ですが、それでもWienのTV中継で時々見る、若者たちのワルツデビューを見ながら、その伝統的な優雅さは良いなと感じています。
30代のある時、ドイツの古城ホテルに宿泊した際に、宿泊客向けにクリスマスパーテイがあって、夕食会の後、ダンス会も催されました。日本人夫婦は私共たちだけで、同席した同じ年頃のビルトの記者夫妻から踊りませんかと誘われて、踊れる家内は意気揚々と踊っていました。困ったのは私で、美人の奥様相手に踊る事もかなわず、少々ご機嫌を悪くした奥様との会話も弾まず、たいへん困ったものでした。家内の方は珍しがられた所為か、ご年配の方々からも踊りに誘われ、ご機嫌で戻ってきました。
この時、Rolleiguyさんのように「習っておいてもよかったかな」という気がしましたが、結局、今もって踊れません。
2)国立図書館のフリーメイソンについての展示、たいへん興味深いものでした。いまだにこの組織が残り、なんとなく影響を持っているようにみえ、不思議な感じがあります。
バイロイトにもフリーメーソン博物館があります。1741年、辺境伯フリードリヒが設立したドイツで最も古いフリーメーソンの組織だとか。
3)グリンツィングのホイリゲはWienに行けば、必ず行って楽しんだ所ですから、現状をお聞きしてちょっと意外でした。
いつもホイリゲでは「会議は踊る」をリクエストして一緒に歌う由、読者は多分ご存じないでしょうから、下記にYoutubeを添付しました。
*「ドイツ語圏の旅行を歌で綴れば」という項を作って旅行日記を書きながら適当に集めているものです。その中から、
唯一度だけ ♪" 映画・ 会議は踊るより
Marek Weber und sein Orchester
mit Refraingesang
Foxtrot aus "Der Kongress tanzt"
https://www.youtube.com/watch?v=70XO7OaJSc8
Der Kongress tanzt (1931).
https://www.youtube.com/watch?v=h5cWBv9gm6Q
"Das gibt's nur einmal, das kommt nie wieder" written by Werner Richard Heymann and sung by Lilian Harvey.
*話は変わりますが、“Drei Husaren三人の軽騎兵”というお店がケルントナー通りをシュテファン寺院寄りにいった、ホテル・カイザリン・エリザベート(エリーザベット)の向い側にあります(かつてJALの事務所が近くにあったとか)。
2003年11月の旅で名前に魅かれて、ここで食事をしたのですが、ご利用されたことがありますか?最近調べたら、残念ながら、閉店していました。
https://www.youtube.com/watch?v=WM62Q2UjjT8
jijidaruma
- Rolleiguyさん からの返信 2017/12/26 22:22:05
- Re: ワルツ習得とフリーメイソン、「会議は踊る」に感慨あり。
- jijidarumaさん、今晩は。
クリスマスの時期はシュトレンですね。私は妹が作ったのを食べました。
ワルツのことですが、やはり習っておくべきだったと思いましたのは、
ビジネスの仲間というか競争相手というか、地元のある程度のレベルの人たちとの夜会では、うまくなくても多少踊れることは大切だと感じたからです。ワルツを全く踊れず、仕事ばかりしているのかと思われたでしょうね。ワルツだけどうのこうのというのではなく、仕事以外のことで人との関わりが持てないと、つまらん人間だと断定されてしまいかねません。人生を仕事一筋というのはあちらの人には理解されませんからね。私はワルツはダメでしたが、せめて話題くらいはつくりたいと、そうした集まりでは、いくつか当日のネタを用意するくらいのことまでは
しました。
フリーメイソンのことは今でもよく分かりませんが、ロータリーやライオンズの創設者が会員だったことから、共通することがあるのでしょうね。
グリンツィングのことは残念ですが、観光用ではないホイリゲは今でも
盛況なのではないかと思います。ノイシュティフトや、少し郊外にも沢山あります。
「会議は踊る」のユーチューブを見ました。いくつもあるので、びっくりしました。古い映画なのに今でも結構人気があるのですね。
Drei Husarenには多分1-2度しか行っていないと思います。一昨年ウィーンに行ったときに、昔よく接待に使ったレストランに行きましたが、質が落ちたと感じました。昔風の落ち着いたレストランを維持するのが難しくなっているのだと思います。残念なことです。
むしろ、田舎の格式の高いレストランの方が食事を楽しめるのではないでしょうか。私の親しくしている弁護士にいくつか連れて行ってもらいましたが、静かに食事とワインを楽しむことが出来て、とても良かったです。お勘定は彼が持ったので、いくらだったかは分かりませんが。
jijidarumaさんは、来年のドイツ旅行のご予定はもう決まっているのですか?
Rolleiguy
- jijidarumaさん からの返信 2017/12/26 22:42:34
- Re: ワルツ習得とフリーメイソン、「会議は踊る」に感慨あり。
- Rolleiguyさん、
Drei Husaren、やはり行かれてましたね。
2017年は結局断念したので、来年はシュパーゲルの時期にドイツを走ろうと考えています。できればフランケンの古城群と少し離れますが、ベルヒテスガーデン、キームゼー一帯を巡りたいのですが。
いずれも土地勘のある地域で、計画はまだまだこれからです。
jijidaruma
-
- akikoさん 2017/12/17 01:51:05
- ウィーン
- Rolleiguyさん、こんばんは。
ウィーンはRolleiguyさんが6年ほど住まれた懐かしの地なのですね。
私も一度ですが、訪れたことがあります。ウィーンは芸術の都で見どころが多く、観光する場所を選ぶのに困ったことを覚えています。
行かずに後悔している場所の一つが国立図書館です。確か国立図書館の大広間は、"世界で最も美しい図書館ホール"とされているんですよね。学校の生徒さんたちが座り込んでいるあたりですね!美術館か博物館かと見間違えるほど立派な造りで・・・ここは死ぬまでに一度は訪れてみたいと改めて思いました。
この時、フリーメイソンの展覧会が行われていたとのこと。フリーメイソンの「メイソン」とは「石工」という意味だったんですね。宗教関係から派生した秘密結社のようなものかと勝手に思い込んでいましたが、石工職人の組合が始まりだったのですね。今も昔も世界を動かしている(いた)のはフリーメイソンの人たちだという説がありますよね。
アインシュタインなどの有名人だけではなく、マリア・テレジアの夫も一時会員だったとことも知りませんでした。このような公の場所でフリーメイソンの展覧会が開催されていたこともそうですが、内容もとても興味深かったです!
ウィーンの最後の夜に行かれたグリンツィングのホイリゲ、私も行きました。Rolleiguyさんはいつも 楽士さんに「会議は踊る」をリクエストされるのだそうですね。私が訪れた時は、演奏をお願いもしたわけではないのに、日本人だと思ったのでしょう「上を向いて歩こう」など日本の歌を数曲を勝手に!?歌ってくれ、結局チップを払ったのでした(笑)ホイリゲの並ぶグリンツィング一帯の雰囲気がとても素敵だったことも思い出しました。それなのに、最近はさびれがちなのですか。それは残念です~~。
akiko
- Rolleiguyさん からの返信 2017/12/17 23:44:42
- RE: ウィーン
- akikoさん、今晩は。
書き込み有難うございます。ウィーンでの生活はチューリッヒとは楽しみ方が違い、自然人から芸術かぶれになったような気がしました。私は絵画よりも音楽の方がより興味があったので、コンサートにはかなり頻繁に行きました。オペラも行ったのですが、当時はまだ字幕がなくて、筋は追えても、歌詞やセリフを十分理解することは出来ず、深い楽しみとは行きませんでした。曲の表面的な美しさを楽しむだけではなくて、音楽を聴くことの喜びをもっと深めたいと思ったのですが、中学校までの知識ではそれも出来ず、コンサートでも少しフラストレーションがたまりました。数年前に「音楽の聴き方」という初心者向けの新書を読んで、少し理解出来るようになりました。
フリーメーソンはやはりよく分からない人たちですね。イギリスとフランス、あるいは他の国とではグループが違っていると、必ずしも仲良しでもないそうですし。
グリンツィングが寂れているのはとても残念でしたが、2009年に行った時には既にそういう状態でした。何でなのかと聞いたところ、最近の観光客は市内で済ませてグリンツィングまで足を伸ばさないからという説明でした。しかし、地元の人も少ないようだったので、私の推測では、90年代初頭まではワインを飲んで運転して帰ることに寛容だった社会が、それを全く許さないようになり、そのため、遠くまで来なくなったのではないかという気がします。大分前のことですが、馴染みの店にいた楽士のペアが一人になっていたので、彼はどうしたのかと聞いたら、数年前に亡くなったと聞かされ、次に行った時には店自体が無くなっていて、とても残念に思ったことがあります。グリンツィングの楽しいところは、日本の居酒屋では歌って騒ぐことは出来ませんが、ホイリゲであれば、傍若無人にならない限り、控えめの声で歌を歌うことはむしろ歓迎されるので、別のグループの人たちと一緒にワインジョッキ(あそこはグラスではなくてジョッキ)を掲げて互いに知っている歌を歌うのは楽しかったです。またそういう場所になってくれるといいなと思います。
真冬の寒さが続くようですので、お風邪をひかれませんように。
Rolleiguy
-
- ネコパンチさん 2017/12/07 17:57:30
- 充実のウィーン
- Rolleiguyさんこんばんは
ご無沙汰しておりました。
早いものでもう年の瀬ですね。
要約版を拝見した時から、ウィーンのこのお写真が
気になっていました。
やっぱり表紙で登場ですね!嬉しいです(^^)
美しい形のランプ(ですか?)に
ヨーロッパらしいアーチの先に見える教会の尖塔と
重なり合う街燈のシルエットが見事ですね~!
今までの旅行記から、Rolleiguyさんといえばスイス!と
思っておりましたが、ウィーンにも長く
お住まいだったのですね。
お仕事であれば単純に生活を楽しむだけでは
すまない面もありますから、こうして時間が経って
訪れると特別な感慨もあることと思います。
駐在員が夫婦でワルツ教室に通うというのも
面白いですね。
私は夫の海外勤務でバンコクに住んだことがあるのですが、
彼の地では駐在員は猫も杓子もゴルフ漬けでした。
右にならえ的な感じで皆が同じことをする風潮って
どこも似ていますね。
私も内心反発を感じるタイプです(笑)
図書館は他の旅行記でも拝見したことがありますが、
ここだけで一日撮影に費やせそうなくらいの
美しさですね!
仰る通り、昔は識字率も低く、本は限られた人々のもので
所有すること自体が富と権力の象徴だったのですね。
でも発端はどんな理由だったとしても
素晴らしいものが時代を超えて残り、
子供たちの情緒を育み、我々観光客を
楽しませてくれるのはありがたいことですね。
他にも地図のお店や教会コンサートの模様など、
1日で周られたとは思えない充実のウィーンを
興味深く拝見しました。
次が最終章になるのですね。
楽しみにお待ちしております。
ネコパンチ
- Rolleiguyさん からの返信 2017/12/07 21:19:15
- RE: 充実のウィーン
- ネコパンチさん こんばんは
本当に師走です。私も走り回っています。
表紙の写真を気に入って下さり嬉しいです。市庁舎の正面の外階段を上がったところ
から撮りました。 多分ランプなのでしょうが、灯が燈ったところを見たことは
ありません。
ウィーンの生活は、スイスのときよりも仕事上の守備範囲が広く、プライベートな
楽しみは割と限られていましたが、コンサートとオペラを楽しむには最高の場所
だったろうと思います。クラシック音楽が好きと言っても、私はただ美しいなと
受け止めていただけで、何故、どう美しいのか、五線譜に設計された構築物が
クラシックの定義だと言われても、どこに芸術性があるのか、などを
理解するまでには至らず、勿体なかったと思います。何事も勉強ですね。
ウィーンで私が親しくしていた同業者に、バンコック勤務の経験がある人がいて、
ネコパンチさんが仰るような生活だったと言っていました。それをエンジョイ
する人には天国かもしれませんね。
図書館は他の旅行記でも拝見したことがありますが、
> ここだけで一日撮影に費やせそうなくらいの
> 美しさですね!
> 仰る通り、昔は識字率も低く、本は限られた人々のもので
> 所有すること自体が富と権力の象徴だったのですね。
> でも発端はどんな理由だったとしても
> 素晴らしいものが時代を超えて残り、
> 子供たちの情緒を育み、我々観光客を
> 楽しませてくれるのはありがたいことですね。
本当にそう思います。図書館の魅力はもっと語られてもいいのではないかと思います。
どなただったか失念しましたが、4トラ会員でオーストリアのアドモント(Admont)という
地方都市にある図書館まで訪れた方がおられます。掘り起こせばもう少し出て来そうですね。
脱線しますが、高校の社会では、地理と歴史(主に西洋史)が必修で、それなりの勉強しか
しませんでしたが、今思うと、地理が好きな人はスイスが、歴史が好きな人はオーストリアが好きになるのではないかなという気がします。受験科目としては地理の方が容易だったので、そちらに力を入れましたが、長い人生で見ると逆の方が良かったですね。
どうぞまたお出で下さい。
Rolleiguy
-
- cheriko330さん 2017/12/06 17:10:42
- Rolleiguyさんの第二の故郷♪ウィーン ☆
- Rolleiguy、こんにちは 。
ご友人とは、またウィーンで合流されたのですね。
住んでいたからこその、お話も色々聞かせていただきました。
国立図書館の内部は、豪華絢爛ですね。
リヒアルト・クーデンホーフ・カレルギーさんは、光子さんの
ご次男で映画 『カサブランカ』のモデルにもなったそうですね。
映画はテレビでチラッと見た程度ですが。
中世の書物は、まるで工芸品ですね。素晴らしいです。
ウィーンの街のお写真のどれもが、素敵でとってもきれいですね。
奥行きもありますね。改めてウィーンは素敵な街だと思いました。
珍しく、お料理の写真が載っていましたが、そういうことだったの
ですね。
ユリウス・マインルは私のお気に入りで、Rolleiguyさんに評判を
お聞きしてみようと思っていましたが、そういうお店だったのですね。
トルコ帽が可愛いのですが。
ウィーンは是非ともまた行きたい街です☆
先週、あまいみかんさん(cheriko220?)とakikoさんにお誘いを受けて
思い切って京都へ出掛けました。夢のような一日を過ごすことが
できました。これも偏にRolleiguyさんのお陰でもあります。
久々で旅が出来ました。ありがとうございます。
最終章も伺いますのでよろしくお願いいたします。
ずい分と寒くなりました。ご自愛くださいね。
cheriko330
- Rolleiguyさん からの返信 2017/12/06 17:57:52
- RE: Rolleiguyさんの第二の故郷♪ウィーン ☆
- cheriko330さん
今日は。
早速書き込みいただき有難うございます。
「カサブランカ」のモデルになったとは存じませんでした。
大分前に見ましたが、筋書きもうろ覚えです。
今回、ウィーンは一人で回りましたので、誰か(今回の友人ではありません)と一緒だと、〇〇はまたセンチメンタル・ジャーニーしていると思われそうなので、体裁を気にする小心者の私としては、誰にも煩わされずにとても楽しく見学出来ました。
ユリウス・マインルは別に評判が悪い訳ではありませんので、どうぞウィーンにお出での際はお買い物下さい。質の高いモノが多いです。ウィーン人は、京都人のようなところがあると言われており、これは分かりやすい比喩だと思います。私の友人はインスブルックの出身ですが、もう何十年もウィーンで仕事をしているのに、未だにそれを感じると言っています。オーストリア人がそう思うのですから、外人である私が感じてもおかしくありませんね。どの世界にも光と影がありますから、他人を批判する資格はないとも思います。
あまいみかんさんとakikoさんとのお三方の楽し気な一日を羨ましく拝見しました。
地元(に近い)方が案内して下さると、見学の深みも増しますね。
またお出でくださいますよう。
Rolleiguy
-
- salsaladyさん 2017/12/06 10:09:54
- エリーザベット?発音が良さそう~
- ☆先日、私も駆け足のオーストリア観光に出かけて見ましたが。。。
☆ステンドグラスにはstoryがあるとか?それも披露して頂ければ幸い(ad.だけは覚えました)。。。
☆プラハは広すぎて1日観光では何が何だか~通過するだけの観光客?
☆swarovskyの爪磨きだけが想い出です~時計台の傍の~
- Rolleiguyさん からの返信 2017/12/06 17:37:26
- RE: エリーザベット?発音が良さそう?
- salsaladyさん
今日は。オーストリアに旅行されたのですね。旅行記拝見しました。
このステンドグラスは、ローマ時代の殉教者聖チェチーリア(セシリア)と聖カタリナを
モチーフとしたものです。チェチーリアは楽器を奏でて神を賛美したと言われており、カトリック教会では音楽家の聖人だそうです。アフリカで殉教し、後に聖人にされました。カタリナはアレクサンドリア出身の人で、ローマ帝国時代のキリスト教徒への迫害をやめるように皇帝に訴えて殉教した人です。2人とも聖人としてよく知られているそうです。
中央に聖チェチリアが楽器を持って、背後に神の使い3人、手前に殉教のシュロを持つ天使を従えています。左右は、左がバプテスマのヨハネ(イエス・キリストに洗礼を施した人)、右が聖チェチーリアです。一番下の左右の円形の肖像は、このステンド・グラスを寄進したオスカー・ベネの両親だそうです。
以上は、勿論見学した時には知りませんでした。salsaladyさんから思いもよらぬご質問を受け、慌てて調べました。でも、そうしたことを予め知っておれば、もっと楽しめただろうと思います。これも準備に時間をかけず、行き当たりばったり主義の私の後悔先に立たず、です。
エリーザベットと書きましたのは、それがドイツ語での発音だからなのですが、別に
拘らなくてもいいのに、エリザベートという書き方に抵抗があるため、頑固者の私は
そのように書いてしまいました。
またお出かけ下さい。
Rolleiguy
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