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11月7日(火)奈良の旅二日目。興福寺で阿修羅像を拝観。東大寺で大仏様を拝観。修学旅行の学生さんに混じって仏様を鑑賞させて頂きました。殊に阿修羅像はじっくりと右のお顔10分、前のお顔10分、左のお顔10分、の感じで拝観させて頂きました。二メートルほどの距離で見るお顔はすごい。感動しました。東大寺大仏殿の大仏様大きかった。鎌倉の大仏様は空を背景にするので大きさが測れませんが、大仏殿の大きさで推し測れる奈良の大仏は大きい。

奈良興福寺・東大寺への旅

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2017/11/06 - 2017/11/09

2202位(同エリア5393件中)

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kenichi291

kenichi291さん

11月7日(火)奈良の旅二日目。興福寺で阿修羅像を拝観。東大寺で大仏様を拝観。修学旅行の学生さんに混じって仏様を鑑賞させて頂きました。殊に阿修羅像はじっくりと右のお顔10分、前のお顔10分、左のお顔10分、の感じで拝観させて頂きました。二メートルほどの距離で見るお顔はすごい。感動しました。東大寺大仏殿の大仏様大きかった。鎌倉の大仏様は空を背景にするので大きさが測れませんが、大仏殿の大きさで推し測れる奈良の大仏は大きい。

旅行の満足度
4.0
観光
4.0
交通
4.0
同行者
カップル・夫婦(シニア)
一人あたり費用
5万円 - 10万円
交通手段
高速・路線バス 新幹線 JRローカル 私鉄 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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  • 奈良二日目(11月7日)<br />ホテルから平城京の太極殿が見えます。

    奈良二日目(11月7日)
    ホテルから平城京の太極殿が見えます。

  • 北円堂(国宝)  養老5年(721年)、藤原不比等の一周忌に際し、元明上皇、元正天皇の両女帝が長屋王に命じて創建させたもの。現在の建物は承元2年(1208年)頃の再建で、興福寺に現存している建物の中では最も古い建物になる。法隆寺夢殿と同様、平面が八角形の「八角円堂」。

    北円堂(国宝) 養老5年(721年)、藤原不比等の一周忌に際し、元明上皇、元正天皇の両女帝が長屋王に命じて創建させたもの。現在の建物は承元2年(1208年)頃の再建で、興福寺に現存している建物の中では最も古い建物になる。法隆寺夢殿と同様、平面が八角形の「八角円堂」。

  • 興福寺南円堂(重要文化財) 弘仁4年(813年)、藤原北家の藤原冬嗣が父・内麻呂追善のため創建した八角堂。現在の建物は寛政元年(1789年)の再建である。

    興福寺南円堂(重要文化財) 弘仁4年(813年)、藤原北家の藤原冬嗣が父・内麻呂追善のため創建した八角堂。現在の建物は寛政元年(1789年)の再建である。

  • 東金堂と五重の塔(国宝)。

    東金堂と五重の塔(国宝)。

  • 五重塔(国宝) 天平2年(730年)、光明皇后の発願で創建された。現存の塔は応永33年(1426年)頃の再建である。高さ50.1メートルで、木造塔としては東寺五重塔に次ぎ、日本で2番目に高い。

    五重塔(国宝) 天平2年(730年)、光明皇后の発願で創建された。現存の塔は応永33年(1426年)頃の再建である。高さ50.1メートルで、木造塔としては東寺五重塔に次ぎ、日本で2番目に高い。

  • 五重塔(国宝) 天平2年(730年)、光明皇后の発願で創建された。現存の塔は応永33年(1426年)頃の再建である。高さ50.1メートルで、木造塔としては東寺五重塔に次ぎ、日本で2番目に高い。

    五重塔(国宝) 天平2年(730年)、光明皇后の発願で創建された。現存の塔は応永33年(1426年)頃の再建である。高さ50.1メートルで、木造塔としては東寺五重塔に次ぎ、日本で2番目に高い。

  • 東金堂(国宝) 神亀3年(726年)、聖武天皇が伯母にあたる元正天皇の病気平癒を祈願し、薬師三尊を安置する堂として創建した。治承4年(1180年)の兵火による焼失後、文治3年(1187年)、興福寺の僧兵は飛鳥の山田寺(現・奈良県桜井市)講堂本尊の薬師三尊像を強奪してきて、東金堂本尊に据えた。東金堂はその後応永18年(1411年)に五重塔とともに焼け、現在の建物は応永22年(1415年)の再建の室町時代の建築である。様式は、唐招提寺金堂を参考にした天平様式。平面規模は、創建時の堂に準じている。

    東金堂(国宝) 神亀3年(726年)、聖武天皇が伯母にあたる元正天皇の病気平癒を祈願し、薬師三尊を安置する堂として創建した。治承4年(1180年)の兵火による焼失後、文治3年(1187年)、興福寺の僧兵は飛鳥の山田寺(現・奈良県桜井市)講堂本尊の薬師三尊像を強奪してきて、東金堂本尊に据えた。東金堂はその後応永18年(1411年)に五重塔とともに焼け、現在の建物は応永22年(1415年)の再建の室町時代の建築である。様式は、唐招提寺金堂を参考にした天平様式。平面規模は、創建時の堂に準じている。

  • 東金堂(国宝) 神亀3年(726年)、聖武天皇が伯母にあたる元正天皇の病気平癒を祈願し、薬師三尊を安置する堂として創建した。治承4年(1180年)の兵火による焼失後、文治3年(1187年)、興福寺の僧兵は飛鳥の山田寺(現・奈良県桜井市)講堂本尊の薬師三尊像を強奪してきて、東金堂本尊に据えた。東金堂はその後応永18年(1411年)に五重塔とともに焼け、現在の建物は応永22年(1415年)の再建の室町時代の建築である。様式は、唐招提寺金堂を参考にした天平様式。平面規模は、創建時の堂に準じている。堂内には以下の諸仏を安置する。

    東金堂(国宝) 神亀3年(726年)、聖武天皇が伯母にあたる元正天皇の病気平癒を祈願し、薬師三尊を安置する堂として創建した。治承4年(1180年)の兵火による焼失後、文治3年(1187年)、興福寺の僧兵は飛鳥の山田寺(現・奈良県桜井市)講堂本尊の薬師三尊像を強奪してきて、東金堂本尊に据えた。東金堂はその後応永18年(1411年)に五重塔とともに焼け、現在の建物は応永22年(1415年)の再建の室町時代の建築である。様式は、唐招提寺金堂を参考にした天平様式。平面規模は、創建時の堂に準じている。堂内には以下の諸仏を安置する。

  • 東金堂(国宝)の「日光菩薩立像」(重文)。お堂の外からの写真。

    東金堂(国宝)の「日光菩薩立像」(重文)。お堂の外からの写真。

  • 歩いて興福寺から東大寺に向かう。<br />奈良公園の鹿。公園内は鹿だらけ。

    歩いて興福寺から東大寺に向かう。
    奈良公園の鹿。公園内は鹿だらけ。

  • 東大寺南大門(国宝) 天平創建時の門は平安時代に大風で倒壊した。現在の門は鎌倉時代、東大寺を復興した重源上人(ちょうげんしょうにん)が再建したもので、今はない鎌倉再建の大仏殿の威容を偲ばせる貴重な遺構である。正治元年(1199)に上棟し、建仁3年(1203)には門内に安置する仁王像とともに竣工した。入母屋造、五間三戸二重門で、ただ下層は天井がなく腰屋根構造となっている。また屋根裏まで達する大円柱18本は、21mにも及び、門の高さは基壇上25.46mもある。大仏殿にふさわしいわが国最大の山門である。

    東大寺南大門(国宝) 天平創建時の門は平安時代に大風で倒壊した。現在の門は鎌倉時代、東大寺を復興した重源上人(ちょうげんしょうにん)が再建したもので、今はない鎌倉再建の大仏殿の威容を偲ばせる貴重な遺構である。正治元年(1199)に上棟し、建仁3年(1203)には門内に安置する仁王像とともに竣工した。入母屋造、五間三戸二重門で、ただ下層は天井がなく腰屋根構造となっている。また屋根裏まで達する大円柱18本は、21mにも及び、門の高さは基壇上25.46mもある。大仏殿にふさわしいわが国最大の山門である。

  • 仁王像二体は、昭和63年から5年間にわたって全面解体修理が行われ、天平創建期から向かい会って立っていたことや、山口県で伐採された木材が、約1年程で搬送され、古文書の記述通り、ほぼ70日間で二体同時進行で、造像されたことも証明された。大仏師運慶、備中法橋(湛慶)、安阿弥陀仏(快慶)、越後法橋(定覚)によって造立されたことが、従来から知られており、阿形像と吽形像の作風の違いから、前者は快慶、後者は運慶が主となって制作したと考えられていた。

    仁王像二体は、昭和63年から5年間にわたって全面解体修理が行われ、天平創建期から向かい会って立っていたことや、山口県で伐採された木材が、約1年程で搬送され、古文書の記述通り、ほぼ70日間で二体同時進行で、造像されたことも証明された。大仏師運慶、備中法橋(湛慶)、安阿弥陀仏(快慶)、越後法橋(定覚)によって造立されたことが、従来から知られており、阿形像と吽形像の作風の違いから、前者は快慶、後者は運慶が主となって制作したと考えられていた。

  • 1988年から1993年にかけて造像以来初めての解体修理が実施され、像内からは多数の納入品や墨書が発見された。阿形像の持物の金剛杵の内面には、建仁3年の年紀とともに「大仏師法眼運慶」「??〔アン、梵字〕阿弥陀仏」(快慶のこと)の名が記され、吽形像の像内に納入されていた『宝篋印陀羅尼経』(ほうきょういんだらにきょう)の奥書には大仏師として「定覚」「湛慶」の名と小仏師12名の名が記されていた。運慶が制作の総指揮に当たったとする点では研究者の意見が一致しているが、阿形像・吽形像の現場での制作を運慶、快慶、定覚、湛慶がどのように分担したかについては解釈が分かれている

    1988年から1993年にかけて造像以来初めての解体修理が実施され、像内からは多数の納入品や墨書が発見された。阿形像の持物の金剛杵の内面には、建仁3年の年紀とともに「大仏師法眼運慶」「??〔アン、梵字〕阿弥陀仏」(快慶のこと)の名が記され、吽形像の像内に納入されていた『宝篋印陀羅尼経』(ほうきょういんだらにきょう)の奥書には大仏師として「定覚」「湛慶」の名と小仏師12名の名が記されていた。運慶が制作の総指揮に当たったとする点では研究者の意見が一致しているが、阿形像・吽形像の現場での制作を運慶、快慶、定覚、湛慶がどのように分担したかについては解釈が分かれている

  • 木造金剛力士立像(国宝) 高さ8.4メートルの巨大な木像。建仁3年(1203年)に、わずか69日で造られた。門の向かって右に吽形(うんぎょう、口を閉じた像)、左に阿形(あぎょう、口を開いた像)を安置する。これは一般的な仁王像の安置方法とは左右逆。

    木造金剛力士立像(国宝) 高さ8.4メートルの巨大な木像。建仁3年(1203年)に、わずか69日で造られた。門の向かって右に吽形(うんぎょう、口を閉じた像)、左に阿形(あぎょう、口を開いた像)を安置する。これは一般的な仁王像の安置方法とは左右逆。

  • 東大寺中興の祖である俊乗房重源が中国・宋から伝えた建築様式といわれる大仏様(だいぶつよう、天竺様ともいう)を採用した建築として著名である。大仏様の特色は、貫と呼ばれる、柱を貫通する水平材を多用して構造を堅固にしていること、天井を張らずに構造材をそのまま見せて装飾としていることなどが挙げられる。

    東大寺中興の祖である俊乗房重源が中国・宋から伝えた建築様式といわれる大仏様(だいぶつよう、天竺様ともいう)を採用した建築として著名である。大仏様の特色は、貫と呼ばれる、柱を貫通する水平材を多用して構造を堅固にしていること、天井を張らずに構造材をそのまま見せて装飾としていることなどが挙げられる。

  • 紅葉がそろそろです。

    紅葉がそろそろです。

  • 金銅八角燈籠(国宝) 大仏殿の正面に立つ燈籠。総高464センチ。たびたび修理されているが、基本的には奈良時代創建時のものである。火袋羽目板4面には楽器を奏する音声菩薩(おんじょうぼさつ)像を鋳出する。4面の羽目板のうち西北面と西南面が当初のもので、東北面と東南面はレプリカである。東北面の羽目板は1962年に盗難に遭い、直後に発見されたが、その後はオリジナルは別途保管し、燈籠にはレプリカを取り付けている。東南面の羽目板のオリジナルは早くに紛失した

    金銅八角燈籠(国宝) 大仏殿の正面に立つ燈籠。総高464センチ。たびたび修理されているが、基本的には奈良時代創建時のものである。火袋羽目板4面には楽器を奏する音声菩薩(おんじょうぼさつ)像を鋳出する。4面の羽目板のうち西北面と西南面が当初のもので、東北面と東南面はレプリカである。東北面の羽目板は1962年に盗難に遭い、直後に発見されたが、その後はオリジナルは別途保管し、燈籠にはレプリカを取り付けている。東南面の羽目板のオリジナルは早くに紛失した

  • 大仏(盧舎那仏像)(国宝) 東大寺盧舎那仏像(とうだいじるしゃなぶつぞう)は、奈良県奈良市の東大寺大仏殿(金堂)の本尊である仏像(大仏)。一般に奈良の大仏(ならのだいぶつ)として知られる。聖武天皇の発願で天平17年(745年)に制作が開始され、天平勝宝4年(752年)に開眼供養会(かいげんくようえ、魂入れの儀式)が行われた。その後、中世、近世に焼損したため大部分が補作されており、当初に制作された部分で現在まで残るのはごく一部である。 「銅造盧舎那仏坐像」の名で彫刻部門の国宝に指定されている。正式には大仏は「盧舎那仏坐像」、大仏殿は「金堂」というが、本項では以下「大仏」、「大仏殿」とする。また、文中の( )の年はユリウス暦、月日は全て和暦、宣明暦の長暦による。

    大仏(盧舎那仏像)(国宝) 東大寺盧舎那仏像(とうだいじるしゃなぶつぞう)は、奈良県奈良市の東大寺大仏殿(金堂)の本尊である仏像(大仏)。一般に奈良の大仏(ならのだいぶつ)として知られる。聖武天皇の発願で天平17年(745年)に制作が開始され、天平勝宝4年(752年)に開眼供養会(かいげんくようえ、魂入れの儀式)が行われた。その後、中世、近世に焼損したため大部分が補作されており、当初に制作された部分で現在まで残るのはごく一部である。 「銅造盧舎那仏坐像」の名で彫刻部門の国宝に指定されている。正式には大仏は「盧舎那仏坐像」、大仏殿は「金堂」というが、本項では以下「大仏」、「大仏殿」とする。また、文中の( )の年はユリウス暦、月日は全て和暦、宣明暦の長暦による。

  • 木造虚空蔵菩薩坐像(重文)  大仏の左右に脇侍として安置される。これらの像は大仏(銅造)とは異なり木造の寄木造である。大勧進公俊の時代、京都の仏師山本順慶一門と、大坂の仏師椿井賢慶一門らにより、30数年をかけて製作されたもので、江戸時代の代表的な仏教彫刻である。如意輪観音像は元文3年(1738年)ごろの完成、虚空蔵菩薩像は遅れて宝暦2年(1752年)の完成。

    木造虚空蔵菩薩坐像(重文) 大仏の左右に脇侍として安置される。これらの像は大仏(銅造)とは異なり木造の寄木造である。大勧進公俊の時代、京都の仏師山本順慶一門と、大坂の仏師椿井賢慶一門らにより、30数年をかけて製作されたもので、江戸時代の代表的な仏教彫刻である。如意輪観音像は元文3年(1738年)ごろの完成、虚空蔵菩薩像は遅れて宝暦2年(1752年)の完成。

  • 木造如意輪観音坐像   大仏の左右に脇侍として安置される。これらの像は大仏(銅造)とは異なり木造の寄木造である。大勧進公俊の時代、京都の仏師山本順慶一門と、大坂の仏師椿井賢慶一門らにより、30数年をかけて製作されたもので、江戸時代の代表的な仏教彫刻である。如意輪観音像は元文3年(1738年)ごろの完成、虚空蔵菩薩像は遅れて宝暦2年(1752年)の完成。

    木造如意輪観音坐像 大仏の左右に脇侍として安置される。これらの像は大仏(銅造)とは異なり木造の寄木造である。大勧進公俊の時代、京都の仏師山本順慶一門と、大坂の仏師椿井賢慶一門らにより、30数年をかけて製作されたもので、江戸時代の代表的な仏教彫刻である。如意輪観音像は元文3年(1738年)ごろの完成、虚空蔵菩薩像は遅れて宝暦2年(1752年)の完成。

  • 大仏様の光背。

    大仏様の光背。

  • 広目天像(金堂西北隅)。

    広目天像(金堂西北隅)。

  • 多聞天像(金堂東北隅)。

    多聞天像(金堂東北隅)。

  • 大仏殿から二月堂、法華堂(三月堂)に向かいます。

    大仏殿から二月堂、法華堂(三月堂)に向かいます。

  • 東大寺二月堂(国宝) 奈良時代(8世紀)創建の仏堂。現存する建物は1669年の再建で、日本の国宝に指定されている。奈良の早春の風物詩である「お水取り」の行事が行われる建物として知られる。「お水取り」は正式には修二会といい、8世紀から連綿と継続されている宗教行事である。二月堂は修二会の行事用の建物に特化した特異な空間構成をもち、17世紀の再建ながら、修二会の作法や習俗ともども、中世の雰囲気を色濃く残している。

    東大寺二月堂(国宝) 奈良時代(8世紀)創建の仏堂。現存する建物は1669年の再建で、日本の国宝に指定されている。奈良の早春の風物詩である「お水取り」の行事が行われる建物として知られる。「お水取り」は正式には修二会といい、8世紀から連綿と継続されている宗教行事である。二月堂は修二会の行事用の建物に特化した特異な空間構成をもち、17世紀の再建ながら、修二会の作法や習俗ともども、中世の雰囲気を色濃く残している。

  • 二月堂から奈良市街方面を見る、左奥の大屋根は大仏殿。

    二月堂から奈良市街方面を見る、左奥の大屋根は大仏殿。

  • 東大寺法華堂(三月堂)(国宝) 奈良時代(8世紀)建立の仏堂である。一般に三月堂(さんがつどう)として知られる。日本の国宝に指定されている。東大寺に現存する数少ない奈良時代建築の1つであり、堂内に安置する<br />10体の仏像も奈良時代の作である。

    東大寺法華堂(三月堂)(国宝) 奈良時代(8世紀)建立の仏堂である。一般に三月堂(さんがつどう)として知られる。日本の国宝に指定されている。東大寺に現存する数少ない奈良時代建築の1つであり、堂内に安置する
    10体の仏像も奈良時代の作である。

  • 正面(礼堂)、手前に重要文化財の石灯籠がある。

    正面(礼堂)、手前に重要文化財の石灯籠がある。

  • 三昧堂(四月堂)(重文) 延宝9年(1681年)の建立。寄棟造二重、本瓦葺き。本尊十一面観音立像(重文)、阿弥陀如来坐像(重文)などを安置する。旧本尊の千手観音立像(重文)は東大寺ミュージアムに移座。

    三昧堂(四月堂)(重文) 延宝9年(1681年)の建立。寄棟造二重、本瓦葺き。本尊十一面観音立像(重文)、阿弥陀如来坐像(重文)などを安置する。旧本尊の千手観音立像(重文)は東大寺ミュージアムに移座。

  • 鐘楼(国宝) 鎌倉時代、13世紀初頭の建築。吊られている梵鐘(国宝)は大仏開眼と同年の天平勝宝4年(752年)の製作で、中世以前の梵鐘としては最大のもの(高385センチ、口径271センチ)。俗にこの梵鐘は擬人化して「奈良次郎」と呼ばれる。2002年12月、NHKの下請け業者に釘を打ち込まれる事件に遭った。「東大寺鐘」 は南都八景の一つ。現在の鐘楼は、重源上人に次いで大勧進職に就いた栄西が再建したもの。

    鐘楼(国宝) 鎌倉時代、13世紀初頭の建築。吊られている梵鐘(国宝)は大仏開眼と同年の天平勝宝4年(752年)の製作で、中世以前の梵鐘としては最大のもの(高385センチ、口径271センチ)。俗にこの梵鐘は擬人化して「奈良次郎」と呼ばれる。2002年12月、NHKの下請け業者に釘を打ち込まれる事件に遭った。「東大寺鐘」 は南都八景の一つ。現在の鐘楼は、重源上人に次いで大勧進職に就いた栄西が再建したもの。

  • 午後二時を廻りました、遅いお昼を採ることに。夢風ひろばのならやさんで釜飯と三輪そうめんを頂く。厨房・ホール総員二名のお店のようで忙しくて大変。

    午後二時を廻りました、遅いお昼を採ることに。夢風ひろばのならやさんで釜飯と三輪そうめんを頂く。厨房・ホール総員二名のお店のようで忙しくて大変。

  • デザートは葛餅。

    デザートは葛餅。

  • ホテルからライトアップされた太極殿が見えます。

    ホテルからライトアップされた太極殿が見えます。

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