高崎市郊外ほか富岡・甘楽・下仁田のこまごまスポットを巡る旅~信玄二十四将の一人、小幡昌盛の活躍と織田信雄系織田家の小幡藩に、下仁田戦争の跡地。あれ?こんなところもありましたかというエリアに潜入です~
2017/10/26 - 2017/10/27
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富岡製糸場が世界遺産となって、群馬県を代表する観光スポットとなりましたが、聞くところによると、リピーターが少なくて、徐々に息切れしているようです。私の感覚としてもリピーターが少ないのはちょっと理解できる。富岡は養蚕や製糸ですから、ちょっと範囲が限定的。対して、銘仙と呼ばれる絹織物になるとこれは桐生銘仙、伊勢崎銘仙、足利銘仙という東のエリア。足利は栃木県ですが、県をまたいでこの三つを合わせた地域には両毛というしっかりした名前があっていて、歴史的にも一つの地域としてのまとまりがあるんですね。もし、富岡がこの両毛とコラボできれば、生糸の生産から、派生する絹織物へと広がりが出て、群馬の魅力が幅広いものとして理解されることになるとも思うのですが、あまりにも離れていてそれは無理。残念なことになっています。
ちょっと、前置きが長くなりましたが、一方で群馬の一番の都市は高崎。鉄道交通の要衝ではありますが、観光地というイメージは薄い。地元の人でも観音山が思い浮かぶくらいではないかと思います。
ただ、高崎市の南部郊外と上信鉄道沿線を富岡以外にもう少し掘り下げてみると、それでもまだまだ懐が深いものがあって前置きしたほど厚みがなくもない。今回はさわりといった感じですが、そう感じた厚みの一端を紹介できればと思います。
まずは、高崎市郊外ですが、新町と倉賀野という二つの宿場町。ちょこちょこ往時の名残りがあるし、渋いグルメの出合いもありました。
そして、上信鉄道では小幡の城下町。上州福島駅が最寄駅。歩くのは大変ですが、上信鉄道は無料のレンタサイクルをやっていて、それを利用して訪ねました。
地名は甘楽で、織田家が150年統治した小幡藩があった場所。武家屋敷を中心とした町割りも当時の面影を色濃く残していて、大名庭園、楽山園も意外や意外。洗練された美しさが見事です。小幡藩について少し説明を加えると、織田信長の次男、信雄は戦国の世を何んとか乗り越え、大和宇陀と上野小幡に5万石を与えられます。後に、小幡2万石を四男、信良に分知し、自らは宇陀藩2万8千石を隠居料とする。その宇陀藩は、信雄の死後、五男、髙長が相続します。小幡藩は移封により、天童藩へ。宇陀藩も移封により、丹波の柏原藩へという流れです。
そして、ねぎで有名な大仁多もなかなか。あの天狗党と戦った大仁多戦争の傷跡もあちこち残っていて、なんとも無益な流血事件には胸が痛む思い。ソースかつ丼も名物です。
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JR高崎線には、高崎駅の少し手前に新町駅というのがありますが、この新町というのは旧新町宿。日本橋から数えて11番目の中山道の宿場町だったんですね。そんなところには、ちょこちょこ何かが残っているものです。
新町駅で下車して、散策を開始。
まずは遠い方からということで、新町の市街地外れの八坂神社から。地元の普通の神社ではあるのですが、 -
神社の前には柳茶屋の芭蕉句碑があって、ここに茶屋島田屋という店があったのだとか。つまり、ここが中山道であったということの名残りの史跡。背後には柳ではありませんが、今でも大木が立っています。
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八坂神社から市街に戻ってきて、お菓子工房 アルルです。旧中山道沿いにあるピカピカの洋菓子屋さん。店内はハッと目を引くようなケーキがショーケースにたくさん並んでいました。
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ただ、私がいただいたのは、醤油クッキー。厚手のクッキーで、アーモンドの欠片がまぶしてあって、それがアクセント。醤油の香りの方はまあ控えめです。
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さらに帰って、これは「おかもと」。かつては料亭だったというのですが、今は仕出し屋さんも兼ねた渋い食堂です。
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さっそくお店に入って、
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新町名物と書かれたソースかつ丼をいただきました。それにしても、このかつは、牛肉ステーキみたいな立派な豚肉。これで500円ですか?と疑いたくなるような質の高さです。一方で、埼玉県で一番おいしいと謳ったうな重の方も。それもとっても気になりました。
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続いて。。
明治天皇新町行在所は、明治天皇が明治11年に、北陸・東海道各地の巡幸の際、ここで宿泊されたという場所。宿泊所は地元の寄付ほかで新築したというので、地元の自慢となっているようです。 -
イチオシ
今ある建物は質素なものですが、当時のものなのかどうかはやや不明。建物を中心に周辺は公園のように整備されています。
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於菊稲荷神社は、ちょっと賑やか。境内には千本鳥居や神楽の舞台もあって、意外に立派な構えです。
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ちなみに、於菊というのは、大黒屋於菊という新町宿で一番人気だった娼妓の名前。稲荷の加護によって病気が治り、とうとう巫女になって霊験も現した女性のようです。
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群馬銀行の支店の並びですが、これは小林一茶文学碑。
ライオンズが建てた碑のようで、隣りに説明板があって、一茶が新町に逗留した際、石灯籠建立の寄付を求められ、寂しい懐から12文を出した。その時に読んだ句だそうです。まさに地元にちなんだ句ですね。
句は「山伏の 気に喰わぬやら 行蛍」です。 -
新町駅の次は倉賀野駅。この倉賀野というのも旧宿場街。新町宿の次の宿場です。
こちらも倉賀野駅から歩きます。
丁子堂 房右衛門は、交通量の多い旧中山道沿い。名前もなんだか老舗っぽいですねえ。 -
看板商品の河岸最中はかつて、からす川と呼ばれた利根川沿いに河岸があったことに因んだ最中。その歴史をしっかり伝えています。餡子の甘さが伸びやかで、ちょっとイケテル最中です。
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イチオシ
そのすぐ先が例幣使街道の常夜灯。石造りの常夜灯が建つ場所は、中山道と例幣使街道が分かれる分岐点で、ここはかつての倉賀野宿の東端にあたります。
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左:日光道、右:江戸道と書かれた古い石造りの道しるべも建っていて、ちょっといい感じの史跡です。
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例幣使街道の常夜灯のすぐ向かいにあるのは、焼きまんじゅうの店 高橋屋。
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夏から休んでいて今日から始めましたということでしたが、今は通常営業。
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イチオシ
パリッとした焼き加減もいいですね。
なお、すっきりと整理されたきれいな店内には絵がいっぱい。女将さんの趣味のようですね。お気に入りという田舎家の絵とかちょっと絵の方の話も窺いました。 -
今度は、北に向かって。
安楽寺は、山門を入ると -
意外に立派な本堂が建っています。境内には安楽寺古墳の説明とか、異形板碑。異形板碑は、鎌倉時代から南北朝にかけての時代のもののようですが、見事な梵字が彫られていて、けっこう見応えがあると思います。
取りあえず、半日の街歩きはここで区切り。 -
その日の夜は、前橋市内の磯春松。萩原朔太郎記念館のほど近くにある知る人ぞ知るのお店。
この辺りは前橋市内でもとっても雰囲気のあるエリア。この建物もまたレトロ感がムンムンで、店内に入ると吹き抜けの天井や手すりに窓枠なども古い洋館らしいおしゃれなデザインも。海鮮も含めたコース料理をいただきましたが、値段もリーズナブル。隠れた名店といった感じかなと思います。 -
泊まりは、前橋さくらホテル。リーズナブルで使いやすいホテルです。
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翌朝、ここから高崎に戻って、今日は上信鉄道の沿線を回ります。
天気の方が気になります。何とか雨が降らないでいてくれるといいんですが。。 -
上信鉄道は、高崎駅から上州福島駅へ。上信鉄道では無料のレンタサイクルをやっていて、ここからはそのレンタサイクルを利用します。
この雄川堰は、甘楽の市街を流れる用水路。 -
豊かな水量があって、家の前にはこの川に降りていくと洗い物をしたり、なにかと使えるようになっていて。快適で清潔な暮らしを支えたものだということがよく分かります。かつては、あちこちにあったものでしょうが、昔の形をそのまま伝えているところに価値があるということでしょう。
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小幡八幡神社は、小山の中腹にある神社です。
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小幡織田家3代、信昌の時代に創建されたものですが、長屋門のような拝殿の間から、一段高い石垣の上に構える赤い本殿が見える景色はちょっと特徴的。面白い構造だと思います。
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小幡八幡神社の裏手の山は八幡山公園。小幡八幡神社の門前からきちんと整備された坂道があって、それを上って行きます。中途まで来たところで、一部畑のような場所があって、山の頂上に展望所のようなところが見えてくる。あんまりおあっとしませんが、それなりの規模の公園なので、運動だと思ってやってくる人も多いような気がします。
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さて、市街に入って。
これは甘楽町歴史民俗資料館。 -
入口からは、ちょっとごちゃごちゃしますが、
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繭や
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蚕棚とか
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イチオシ
製糸の関係展示。
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絹織物の機械とかもまあこの地方ではお決まりかなという感じ。
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一方で二階に上がると歴史関連。なので、てっきり、織田家のことが中心かと思ったら、武田二十四将の一人でもあった地元の豪族、小幡氏の関係を詳しく紹介していました。
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三方ヶ原の戦いや長篠の戦の布陣でも、重要な位置付け。その後、武田氏の滅亡から、後北条氏に仕えますが、後北条氏の滅亡とともに、小幡家も所領を失う。
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しかし、上州の西半分を支配していた小幡氏は、大名にはなれなかったにしてもなかなかのもの。
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信玄に従うことで力を付けたので、結局は地生えではないのですが、この扱いは上州の英雄といった感じ。この辺りの地生えの豪族なら、謙信の力も借りて信玄に対抗した箕輪城の長野氏になるのでしょうが、いずれにしてもそんなことを感じさせない扱いです。
ちなみに、上州は、上杉氏対後北条氏に信玄対謙信といった大勢力の草刈り場であって、地生えの大名は育たなかった地域。その寂しさを小幡氏は少し埋めてくれているのかもしれません。 -
イチオシ
ここから甘楽の市街を回るんですが、例によって、端っこから。
織田宗家七代の墓は、市街の少し外れ。
小幡は、江戸の初めから150年余りにわたって織田氏の所領となりますが、その織田家の菩提寺が崇福寺。 -
その裏側に、初代信雄(織田信長の次男)から七代信富までの墓が並んでいます。小牧・長久手の戦いでは、家康と同盟し、秀吉に対抗。実質的には家康の実力がものを言って、実戦で勝利を収めますが、その戦いの大義を保ったのはやっぱり信雄のお蔭。江戸時代、信雄は大和国宇陀郡3万石と上野国甘楽郡2万石の合わせて、5万石の領地をえますが、せめてもの配慮はあったと言えるでしょう。
ちなみに、甘楽郡2万石は分知されて、小幡藩が立藩しますが、移封により天童藩になる。宇陀郡3万石も、丹波の柏原藩に替わります。
墓地はきれいに整備されていて、近くに広い駐車場もある。甘楽の観光では必見の場所の一つかと思います。 -
そして、崇福寺の境内の方ですが、一角の小さな建物に石造聖観音坐像があります。かなり風化はしていますが、立派な蓮台に坐しているし、それなりの風格があるような。しかし、隣りの大きな犬がワンワン吠えるので早々に退散しました。
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崇福寺から甘楽の市街中心部。開けた場所に低い石垣が一直線に続いていて、どうかすると指宿とかの武家屋敷みたいですね。
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この先が楽山園です。
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一角にあるのは、食違い郭。石垣が入り組んで、ちょっとした影の部分を造った構造。防衛のためのものとも、下級武士が上級武士と鉢合わせしないよう隠れるためとも言われているようです。珍しいものなのかどうかはよく分かりませんがこれもここの見どころの一つとなっています。
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武家屋敷の中心から少し離れて、これは旧小幡藩武家屋敷松浦氏屋敷。楽山園からだと学校の校庭を突っ切っていくのですが、その先も道はけっこう分かりにくいです。
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たぶん、復元された建物で、
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藁ぶき屋根とかまだ新しい感じ。
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ただ、屋敷と日本庭園の組み合わせはとても風流なもので、武家のあらあらしさとかは全く感じられない。隠居所みたいな静かなお屋敷です。
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再び、中心部に戻ってきて。
小幡の中小路は、楽山園に続く一直線の道を途中で折れた道。入口には、食違い郭と大奥の庭が向かい合っていて、そこから少し進むと高橋家。限られたエリアですが、武家屋敷の石垣が美しいし、小幡の見どころがギュッと集まっています。
で、これが大奥の庭園。大奥というと江戸城の大奥みたいですが、これは小幡藩の藩主、松平氏の屋敷。 -
入口を入った先にちょっとした庭があって、それは松平氏の屋敷の庭。説明書があって、ペリーが浦賀に来航した時、江戸城の大奥の女官15~16名がここに疎開してきたのだそうで、そのことからここを大奥の庭だということのようです。庭自体は規模もさほどでもないし、静かな佇まいです。
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高橋家住宅は、甘楽の武家屋敷の中で公開されている屋敷の一つなんですが、門を入って、その奥の庭を遠目で拝見することができるくらい。つまり、人が住んでいらっしゃるのでそういうこと。門を入ったところで、見張りのセンサーが働きだしてちょっと驚きましたが、それは仕方ないでしょう。
なお、建物の方は漆喰壁の蔵のような建物の隅が門になっていて、たぶん、建物全体がいざという時は防御の役目を果たすので、そうしたところを味わうのかなと思います。 -
庭園の方ですが、門を入って少し進んだところ。高橋家は今も人が住んでいらっしゃるので、少し遠慮しながらですが、庭の正面にちゃんと出て鑑賞することができます。手前の敷石もなにげに大石だし、小さいながらも回遊のための遊歩道らしきものもなくはない。それなりの格式を感じさせる庭でしょう。
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イチオシ
そして、いよいよ国指定名勝楽山園です。甘楽ではここが一番の見どころでしょう。
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門を入って、順路に従って進みます。
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すぐに藁ぶき屋根の建物が現れて、
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内部は休憩室のようなちょっとしたスペース。ビデオで甘楽の説明をしていましたが、
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コテ絵をちょっと拝見したりしただけ。時間がないのでスルーします。
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さらに奥に進むと
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これはかつての御殿跡。建物の配置をコンクリートで示していますが、これは立派。2万石やそこらの大名のものではないですね。
誇り高かった織田家のこと。支出は収入の二倍だったというめちゃくちゃな財政状態だったそうですが、とばっちりを受けた領民はさぞかし大変だったことでしょう。 -
イチオシ
そこから開けた場所に出ると、なだらかな地形を使った芝生の丘と開放的な池など、明らかな池泉回遊式の大名庭園ではあるのですが、現代的な公園としてみても立派に通用するものでしょう。丘の上には茶屋風の建物が二つあって、それが景色のアクセント。ちょっと浮世離れした優雅な世界が広がっています。
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池の方はただいま工事中。
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ここに池があって、錦鯉とか泳いでいたら、変な話、ここが群馬とはとても思えません。
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もう少し奥のエリア。こちらもなだらかな地形を使った庭園です。
ちなみに、庭園の基本は石組。石組があまり目立っていないのは、実はそれほど金がかかっていないという気がしなくもないですが、この庭はそんな気持ちを上回る美がある。また、芝生の庭なら小川治兵衛なんですが、それとも違う。ここの庭は借景が雄大な分、大名庭園の匂いが濃いように感じます。 -
長岡今朝吉記念ギャラリーは、楽山園の隣り。甘楽町名誉町民の長岡今朝が集めた日本画のコレクションを展示していました。
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個人で集めただけにコレクションには限界もあると思いますが、有名画家に混じって松本竣介の絵も。私も松本竣介の大ファンなので、その審美眼にはけっこう共感するものがありました。
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ここから、もう帰りがてらですが、道の駅 甘楽へ。
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例によって、地元の産直の生鮮野菜とかを扱っていましたが、一方で、お弁当も充実。大きな稲荷寿司のお弁当を買って、一角のフードコートでいただきました。規模は中くらいですが、混み具合がそんなでもなかったので、ゆったりと寛げました。
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こちらの松井家住宅は、道の駅甘楽の裏手の方に移築保存されている旧名主の家屋。江戸時代の中期の築だそうです。
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農家であり、広い土間とか天井のない梁のむき出しの内部とかはよくあるものなんですが、一方で、座敷では何人かの地元の人が竹細工を編んでいて、どういうことなのか。ただの趣味の人の集まりでもなくて、もうちょっと本格的。ちょっと気になりました。
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続いては、こんにゃくパークです。
群馬はこんにゃくが名物だし、こんなのがあってもおかしくはないのかもしれませんが、 -
それにしても大変な賑わい。
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こんにゃくゼリー工場の見学のコースがあって、
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それを見た後は、大量に積まれた商品の販売コーナー。楽しい雰囲気があるのは間違いないですが、こんにゃくをテーマにしてここまで活気があるのはむしろ不思議。普段はたいして気にもしないこんにゃくですが、ここだとなぜかみんなが夢中になってしまう。面白い現象が起きています。
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ここで、上州福島駅から、上信鉄道の終点、下仁田駅に移動します。
駅を降りて市街に向かってすぐ。こんにゃく料理と書いた旅館があって、それが常盤館。 -
お腹もすいていたし、一見して老舗風だったので、さっそく入ってみました。
一人でも、ちゃんと個室に案内されて、やっぱり老舗ならではのサービスはいいですよね。 -
イチオシ
1600円のランチをいただきましたが、こんにゃくだけではなくて、バランスのとれた山菜料理なども。メインは地元B級グルメのソースかつ丼。けっこううまくて、新潟のタレカツに少し近い味わいのような気がしました。
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ここから市街の外れですが、下仁田町歴史館へ。
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展示の見どころは、地元の特産下仁田ネギ、世界遺産の荒船風穴、幕末の天狗党とこれを防戦した高崎藩の戦い下仁田戦争の関係。
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全然関係ない三つのテーマですが、やはりどれも下仁田にとっては強烈なもの。下仁田って限られた地域なのにけっこう濃い歴史がありますね。
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これは市川米庵という幕末の三筆と言われる書家の作品。下仁田と関係ある人ではないのですが、下仁田には米庵の愛好家が多くて、いい作品が残ったようです。
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ここからは下仁田戦争関連。水戸藩を追われ、徳川慶喜のいる京都に向かう天狗党。天狗党は藤田東湖の子、小四郎や武田耕雲斎に率いられた武装集団ですが、それを阻止すべく幕府に命じられて立ち向かったのが弱小藩である高崎藩。
天狗党の920余名に対して、高崎藩は320人余り。戦力の差はいかんともしがたく、天狗党に粉砕されてしまいます。 -
尊王攘夷を標榜して、新しい世の中を目指した天狗党ですが、私のイメージとしては横柄で無頼な連中と言えなくもない。そして、最後は加賀藩に降伏。そのほとんどが敦賀で斬刑に処せられるむごい結末を迎えます。ただ、悲劇はそこでは終わらない。天狗党の生き残りは新政府軍の力を借りて、水戸でこれも残虐な報復戦に出る。改革のフロントランナーだった水戸藩は結局のところ、内部抗争に明け暮れ、明治維新にほとんど貢献できないという皮肉な結果となったのです。
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高崎藩士戦死の碑は、下仁田町歴史館から細い道を下った先。幕末の天狗党と高崎藩の戦い、下仁田戦争で戦死した高崎藩士36名を悼むための碑です。
表の碑文は勝海舟によるもの。天狗党は尊王攘夷の志を貫こうとした志士たち。しかし、その行動は、地元にとってはならず者の集団と変わりない。高崎藩士としては無念な戦いだったと思います。 -
まるへいは、下仁田市街のこんにゃく屋さんがやっている街の休憩スポットといった感じ。
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道の駅みたいながらんとした店内で、地元の牧場の牛乳で作ったというソフトクリームをいただきました。おばちゃんが下仁田ネギの話なんかもしてくれて、なんでも下仁田ネギって収穫は年一回だけなんですね。それなら値段が高いのは当然です。ちょっとお勉強になりました。
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イチオシ
そこから、青岩公園へ。下仁田市街から鏑川の方に出たところなんですが、橋の上から、名前の通り、河原に青い岩の岩場がありまして。
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ただ、一方で、ここは下仁田戦争の際、敗れた高崎藩士が天狗党によって処刑された場所でもある。勝てば官軍、負ければ賊軍。高崎藩士が罪人のように処刑されたことを思うとちょっと心が痛みました。
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下仁田戦争跡といっても、下仁田戦争はけっこう広範囲で行われたこともあって、下仁田市街にはあれこれとそれらを伝えるスポットが複数存在します。
これもその一つで、野村丑之助の墓。野村丑之助は、天狗党の13歳。初陣で命を落とし、戦争悲話として語り継がれているようです。
ちなみに、下仁田戦争は、水戸藩の天狗党とこれを防ごうとした高崎藩の戦い。激戦の中、高崎藩は36名の戦死者を出して、惨敗することとなりました。 -
総本家紙屋では、
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ゆず最中「万葉の峰」というのをいただきました。
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食べると、鮮やかな緑の柚子餡が現れて、ちょっと目にもまぶしいくらいの美しさ。柚子の香りもなかなかだし、よくできたお菓子です。
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以上で下仁田を終わって。
今度は上州一ノ宮駅です。 -
一ノ宮駅から貫前神社に向かいますが、これはその途中のみさきやさん。
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焼まんじゅうでも食べようかと思ったら、焼きまんじゅうの他に、みさきやまんじゅうという酒饅頭があって、そっちの方をいただきました。酒饅頭は造るのに手間がかかるんですが、一部機械化とか工夫をしながら頑張ってますということでした。
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さて、貫前神社は上野国の一宮ということですが、参道をひとしきり上った先に
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総門があって、
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それをくぐると今度は急な下りの石段。上がって下がってのすごい地形です。
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楼門から
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本殿はさすが一宮だけあって
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イチオシ
赤地に極彩色の豪華なもの。ちょっと辺鄙な場所なんですが、侮れませんね。
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そして、せっかくなので宝物館の方にも入ってみると
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明治神宮外苑の聖徳記念絵画館ほどではありませんが、歴代の天皇の肖像画が圧巻です。
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その並びに富岡市立社会教育館というのがありまして。貫前神社で場所を確かめると「いい建物なんですがねえ。今は工事中なんですよ」の答え。一応、訪ねてみましたが、重機が入って大規模な改修工事。昭和天皇が貫前神社を参拝されたのを機に建てられたようですが、外観からだけだとその凄さはよく分かりませんでした。
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貫前神社からは富岡製糸場までしばらく歩きます。だんだん日も傾いてきて、最後まで行けるかどうか。今回も最後はいつものパターンになってきたようです。
さて、これは一峰公園。 -
桜の名所というだけの情報でしたが、この見どころは公園のある、この場所の地形でしょう。切り立った山の尾根のような感じ。左を見ても右を見ても、どちらも急勾配の斜面が下っていて、一峰というのはその地形をよく表しているように思います。
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ということで、平たいスペースは限られます。
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さらに歩いて。
蛇宮神社は、上州七日市駅の南。境内は広いのですが、境がないので、どうかすると空地みたいな感じです。 鳥居をくぐると広い境内。
その中に入母屋造の拝殿と神明造の本殿。傍らには神楽殿も建つのですが、境内が広いのでポツンとした感じは否めない。微妙です。 -
七日市陣屋は、かつての七日市藩の藩庁。1万石の小藩なので、城ではなく陣屋。御殿正面玄関と黒門が残っていて、
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玄関の正面には御殿山と呼ばれる土塁と錦鯉が優雅に泳ぐ池の庭園。建物は保存状態がいいので、往時の威厳をそのまま今に伝えるているように思います。
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金剛院まで来ると、七日市駅と富岡駅の中間といった場所。天台宗の寺で、入口入ってすぐに水かけ不動尊。岩の表に彫刻して浮かび上がらせた像で憤怒の形相をしていますが、前には美しい花が活けてあって、ちょっと心を和ませてくれました。
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ほとんど富岡市街に入ってきまして。
永心寺は、七日市藩の二代藩主、前田利意が前田利家の側室だった祖母、明運尼の菩提を弔うために創建したもの。境内は広いし、本堂から鐘楼の配置などもゆったり感があります。なお、明運尼墓碑は本堂に向かって左手前に建っています。 -
永心寺も立派でしたが、龍光寺はまた更に立派。こちらは、室町時代後期の創建。将軍徳川家光から寺領を安堵されるなど庇護を受けたため、栄えたと言います。一方で、富岡製糸工場で働いていた工女達の墓もあり、富岡の歴史とともにあった寺。燈籠を二つ従えた山門の構えは、けっこうな威厳があり、山門扉の彫刻も華麗。なかなか見応えがあると思います。
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また、龍光寺の梵鐘は、本堂の手前。われたちょっと小ぶりな梵鐘ですが、鐘楼は色とりどりのバンに囲まれて、勿体のある感じです。総高112.1㎝、口径65.1㎝の室町時代のものなので、たぶん寺の創建当時からのものかと思われます。
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龍光寺の板碑の方は、本堂の横。裏手の墓地に向かう途中です。
板碑が保存された小屋の中を覗くと、 -
高さ121㎝の青い緑泥片岩の表面に、梵字のような妖気を漂う文様が見事に浮かび上がっていて、予想外になかなかの迫力です。
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そして、富岡製糸場工女等の墓は、龍光寺の本堂裏手。共同墓地の中にあります。墓地の入口から標識があるので、場所はすぐに分かりました。30基ほどあるというのですが、苔むした墓石があるにはあるのですが、そこまでの数あるのかはよく分かりません。病気になって亡くなった人でしょうか。450人以上の多くの工女がいたことを考えるとやっぱりそうした人もいなくはない。むしろ、こうしてちゃんと弔っていることが官制工場としてきちんとしていたことの証だと思います。
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そして、最後は富岡製糸場の近くにある諏訪神社。
長野県の諏訪大社の分霊が勧請されたのが始まり。江戸時代には、三代将軍徳川家光から社領10石を安堵する朱印状が出されたという由緒正しい神社。夕方近くでしたが、気が付くと本殿に光がともって、厳かな雰囲気に包まれていました。 -
街歩きは、ここで限界ですね。
で、こちらは飯島屋。ラーメン屋さんなんですが、ラーメンだけじゃなくて、だんごも名物のよう。 -
そのだんごをいただくことにしました。甘辛いタレがたっぷり乗っただんごは、歯ごたえもしっかり。腰の曲がったおばあちゃんが出してくれましたが、大丈夫かなあというくらいのよぼよぼした感じ。思うほどではないかもしれませんが、ちょっと心配になりました。
これで、今回の旅は終了。富岡駅から帰ります。お疲れ様でした。
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この旅行記へのコメント (3)
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- Mitsu Rikoさん 2018/11/08 16:46:11
- すみません
- 送信してしまいました。私はつい最近き世界遺産になって初めて行きました。子供の頃は社会科見学などで結構行ったのですが…まだ動いているのも見たと思います。年がばれますが
群馬の人間でも全然知らないスポットを県外の方が伊香保や草津以外の場所をこう言う感じに見て下さったのは不思議な感じです。
富岡製糸場やはりリピートするには…ですよね。取り下げにならない事を切に願っております。
- たびたびさん からの返信 2018/11/09 19:46:42
- RE: すみません
- はじめまして。
その不思議な感じにいつか誰かが気づいてくれるだろうと心待ちにしていました。ありがとうございます。
ところで、高崎市の周辺には、他にもこうした隠れたメジャースポットがいくつかありまして、これから四段に分けて発信するつもり。半年くらいの間にたまに出すみたいな感じですが、また、よろしかったら御覧いただきたいと思います。
たびたび
-
- Mitsu Rikoさん 2018/11/08 16:38:37
- すごい
- 初めまして、投稿ご覧下さりありがとうございました。
群馬去年いらしたのですね。富岡製糸場世界遺産になり
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