2017/09/30 - 2017/09/30
3737位(同エリア6669件中)
コタさん
毎週末京都で歩きまくっているので今週はちょっと日和見で軽く東山。
東山の五条から清水、円山公園、青龍院までお手軽散歩。
観光客が多いところですが、今回は清水寺界隈以外は意外と人も少なくて、見所も多い場所だけにはかどりました。
しかし清水寺参道だけはもう懲り懲りと思わせるだけの騒々しい外国人観光客の巣窟と成り果てている。お願いだから着物を着てマナーのマの字もない行為をするのは止めてもらいたいとつくづく感じ入ってしまった。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
PR
-
京阪祇園四条駅から南に下って宮川町。朝は味もしゃしゃりもない街を歩き宮川町の歌舞練場へ。ここでは京踊りが催されるんでした。祇園甲部が都をどり、先斗町が鴨川おどり、祇園東部が祇園おどり、上七軒が北野おどりでした。今日は何もない歌舞練場でした。
-
歩いてすぐに京都ゑびす神社。鳥居にお面と熊手ながら京都三珍鳥居ではない。ここと清明神社の五芒星の鳥居も入れて五珍鳥居というのは如何なものでしょうか。この神社は建仁寺と深いつながりがあり、栄西さんが宋から帰国の折暴風雨に遭って遭難しかけた際に船内にあった恵比寿さんに祈祷したところ無事帰国できた、というご縁らしい。禅寺と商売繁盛の神様がつながっている、というのがおもしろいところ。
-
ほぼ向かいにあるのが建仁寺塔頭禅居庵。摩利支天がご本尊で摩利支天は猪に乗っているので猪がいっぱいいる。
-
建仁寺の南門前を通過。このお寺はいろいろ見どころがあるので次の機会にまたじっくりと。
-
南に下って六道の辻六道珍皇寺。
-
小野篁があの世に通ったという井戸が現存。だいぶ遠いんで小さくしか見えない。最近買った隣接する土地にも井戸跡があったそうで、こちらが戻って来るときに出てくる井戸らしい。
-
お盆にあの世から精霊さんを迎える時に鳴らす鐘。送り出すときの鐘は三条寺町の矢田寺にある。千本閻魔堂の鐘は送迎両用だった。
-
六道の辻を南に向かって国道一号線沿いにある若宮八幡宮。孝明天皇の胞衣塚(えなづか:出生の際の胎盤等を埋めた塚)があったりするのだが、清水焼で有名な五条坂らしくて陶器神社もあったりする。
-
一号線に沿って東大路を渡ると大谷本廟。こちらは西本願寺の廟所で、いわゆる鳥辺野にあたるところでお墓が清水寺あたりまで続くところ。
-
お墓からは市内が良く見える。平安時代の鳥辺野と呼ばれたころは、一般的に火葬の風習がなく風葬という、死体をほったらかしにしておいて獣や鳥に啄ばんでもらいたな晒しにしておいたとのこと。だからこの辺り死体がゴロゴロしていたことでしょう。こういうところが京都にはあと二つ、蓮台野と化野にあった。
-
大谷祖廟の奥にある墓地を入っていくと親鸞聖人を火葬に付したところがある。もうかなりの谷底にあって階段を下ってゆかねばならない。
-
鳥辺野の墓地の中を清水寺方面に登ってゆく。途中仏用花を売っている売店がある。
-
途中に妙見堂なるお寺。規模は小さいが清水の舞台を髣髴とさせる建物。これは絵馬堂のよう。
-
そのまま登ってゆくと清水寺境内にある六花亭という茶店の前に出る。ここからは清水さんの敷地。今日も人が多いのでとっとと通り過ぎ。
-
塔頭の成就院。連歌師松永貞徳が作庭した雪月花の庭のうちの、月の庭がここ。
雪は洛北岩倉の妙満寺(二条寺町から移転、移転時に妙満寺本体に移設)、花は北野成就院(廃寺)。月の庭自体の作庭は小堀遠州とも(侘助椿があるため)。 -
人ごみの中を三寧坂まで。ここに料亭あけぼのが移設されていて、今ではレストランとなっている。新撰組関係の料亭。
-
今ではミニショッピングアーケードとなっている料亭阪口。この庭が料亭あけぼののあったところ。
-
京都霊山護国神社。護国神社としては靖国神社よりも古い。ここに坂本竜馬らの墓所があるのだが、山手の墓地にある墓を見に行くのに拝観料を取るというのは如何なものかと思ってしまう。前の霊山歴史館は幕末関係の資料が充実していると聞くが、そこまで新撰組好きではないし。
-
坂を下って法観寺、八坂の塔。
-
五重塔と太子堂くらいしか伽藍がないような小さいお寺ですが、この塔は京都旅情の象徴。
-
ねねの道を通り高台寺。大仏まで作ってしまうんですな。ライトアップ拝観の時に来たのでもういいか。
-
門前は広い駐車場になっていて侘び寂びとは程遠いものを感じるが、ねねの道からの登り坂はいい感じ。
-
高台寺のすぐ下に新撰組御陵衛士屯所跡の月真院。
-
大雲院の祇園閣は夏の特別公開中。大雲院はもと四条河原町にあったお寺で現在は高島屋になっている土地にあった。昭和になってこの地に移転。この地は大倉財閥創業者大倉喜八郎の邸宅だった地で、この祇園閣は大倉喜八郎が伊東忠太設計で建てたもの。金閣・銀閣に次ぐ銅閣を建てようと傘の形にしようとしたものが伊東より設計不能と言われて祇園祭の長刀鉾を形どったもの。築地本願寺も伊東の設計になるが突飛もないものを建てるというのはこちらでも。
-
大谷祖廟は東本願寺の親鸞廟所。円山公園のすぐ近く。
-
立派な門のある廟。
-
北門を出ると目の前が長楽寺への上り坂。時宗の寺で建礼門院はこの寺で出家、頼山陽の墓がある。
-
今は円山公園の最奥部の山沿いにあるが、かつては広大な境内であったと。
-
そのお隣に位置する安養寺。法然上人が住んだ吉水草庵跡で親鸞聖人もここで法然に学んだという由緒ある寺。ここもかつては広大な境内をもち、円山公園がすべて境内であったと。但し、お隣の知恩院にも吉水草庵跡がある。
-
そのすぐお隣が知恩院の鐘楼。年末の除夜の鐘を全国放送するところ。
-
鐘楼より上に一旦知恩院の境内を出て、数分登ると法垂窟。
-
奥行き数メートルの岩屋があり、法然上人はここで唐の善導大師に出会い専修念仏発祥の地で岩屋上のレリーフもそのような絵になっている。岩屋からは湧き水が湧いておりこれが吉水の起源ではないかとも。若き日の法然さんは比叡山から降りてきてこの岩屋で寝泊りしながら念仏を広げていったのかも知れない。しかしここは知恩院の敷地外でお隣は青蓮院飛地という建物があるし、また知恩院のホームページでもここのことは触れられていないしで少々不思議な場所である。
-
その知恩院に下ってゆくと、御影堂は大規模な工事中。見て回れるところを見ようと鴬張りの廊下を進む。
-
上段の勢至堂をお参りの後裏手の濡髪大明神へ、その手前に千姫のお墓。
-
勢至堂わきには紫雲水という湧き水。
-
さらに段を上って御廟。ここに法然さんは眠っておられます。
-
下って三門。最大規模の木造門建築。徳川さんに寄進されている。
-
本当にご立派。徳川幕府は知恩院と黒谷金戒光明寺に並々ならぬ寄進をしている。これはこの二寺を要塞化し、二条城とで御所を包囲しているということ。
-
門跡青蓮院。大原三千院、東山七条妙法院とともに天台三門跡寺院。大きいクスノキが目立つ。
-
門跡なのでご立派。将軍塚にも飛地でお堂があり、青不動はそちらにあり。
-
さらに北上すると岡崎公園。京都市立美術館も工事中。ここと向かいの京都府立図書館は近代建築で要チェック。で、この辺りは六勝寺跡。これを覚えるのが至難の技に思えるのですが。京都検定チェックポイント巡りはまだまだ続く。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
東山・祇園・北白川(京都) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
41