2017/10/09 - 2017/10/09
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コタさん
今日は壬生寺の大念仏狂言開催日。三条から四条河原町界隈、そして壬生寺へと考えていたのが大念仏狂言は既に立ち見しかないとのこと。ならば北上して北野を目指そうと。再び西陣界隈をうろうろし最後は北野天満宮まで。
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いつもは京阪で京都に出ており三条は最も使う駅。その三条駅至近に未訪の地あり。平安遷都にあたり四方に置いた大将軍社の一つである大将軍神社で東三条社とも。
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樹齢800年と言われる銀杏の木が聳える。その昔は鵺の飛ぶ森であったそうな。千鳥酢の村山造酢の裏にある。
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西に戻り、三条大橋を渡って木屋町を南に入ったところにある瑞泉寺。豊臣秀次一族を供養する寺。秀吉から関白職を譲られた秀次であったが、秀頼が生まれたために邪魔者となってしまい、高野山に追放された挙句に切腹。その首を三条河原に晒す際に一族郎党も打ち首に。死体は河原に穴を開けて放り込まれたと。
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打ち首にされた一族を形どった人形が並べられて供養されている。
処刑後うち捨てられていたが高瀬川を開削した角倉了以が墓石を発見し供養を始めた。今では京都随一の繁華街である三条大橋界隈ですが、昔は処刑された首が転がっていたようなところだった。 -
三条寺町のすぐ北側、矢田寺があります。奈良の大和郡山にある矢田寺と関係がありますが、こちらはお盆に御霊をあの世に送るための鐘があるお寺。
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六道珍皇寺の鐘でお迎えをして、こちらの鐘でお送りするのが鳥辺野のしきたり。蓮台野では千本閻魔堂の鐘だけで送り迎えが可能、ということは千本閻魔堂の鐘の方が性能がいいということか。(こういう覚え方をすると記憶に定着するからやめられない。)
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新京極の方に向かい、誓願寺。
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ここは落語発祥の地。この日、たまたま落語会があるようでした。
和泉式部の霊が出てくる謡曲は「誓願寺」というのだが、和泉式部はお隣の誠心院なんでややこしい。 -
その誠心院。新京極の繁華街に入口がある。昔は修学旅行生ばかりだった新京極だが昼間は人が少なくなったように思える。
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一歩お寺の境内に入ると繁華街であることを忘れるような静寂感、お堂の裏は広い墓地、そんな中に一際目立つ和泉式部のお墓。
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本堂前には古そうな歌碑もあり。何と書いているのかは判別し難い。
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新京極をさらに下ると蛸薬師。母思いのお坊さんのお話があります。
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もう一つ下ると錦天満宮。錦市場の東端、鳥居が建物に飲み込まれているところ。
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境内には立派な井戸。京都の水は伏見の酒造りの水に代表されるように名水が多いが、こんな市街地の井戸の水はどんなものだろうか。
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ほぼ四条通りに面し、寺町と新京極に挟まれた究極の繁華街に染殿地蔵はあります。入口はお菓子屋さんの店奥にある自動ドアか新京極にある扉一枚分の入り口があるのみ。昼でもほの暗くて雰囲気があります。ここも安産祈願のパワースポット。
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今日はこれから壬生まで歩くので四条通りを歩いても人が多いだけなので一本北の錦小路を歩きます。さすがに錦市場は人大杉で今となっては難所になってしまっている。烏丸を過ぎると人もまばらに。途中本能寺跡を通り過ぎます。今は住宅街。
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堀川を越えてさらに歩くと壬生寺。新撰組ゆかりの寺であり、さらに大念仏狂言でも有名なお寺。今日は秋の大念仏狂言の日で来てみたがもう満席とのこと。立ち見なら可とのことだったが日を改めることにした。
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壬生の八木邸、新撰組の屯所があった御家。
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四条大宮に戻り北に向かう。途中六角獄舎跡を通りかかる。平安京の右獄以来のもので幕末には政治思想犯が多く入れられた、とのこと。日本初の人体解剖も山脇東洋によって行われる。ここの敷地は今はマンション、ここに住む勇気は無いかも。
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獄舎のすぐ北側に武信稲荷神社。竜馬とお龍のエピソードがある神社。
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武信稲荷のご神木。龍馬とお龍はこの木に登って獄舎内のお龍の父の様子を見ていたとか。
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三条商店街を経由して大宮通りを北上、二条陣屋跡へと。ここは江戸時代に京都に屋敷を持っていない大名が京都に来た時に泊まる施設とか。大きめの町家と変わらない雰囲気ですが事前予約しないと中を見れないよう。今では個人の御宅になっているのかも。
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御池に出ると神泉苑。平安時代の禁苑、大念仏狂言も行われている。今でも水が湧いているのか。
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街中なのにここだけは大自然、それもそんなに広くないはずなのに広大に見える。これが京の庭の特徴なのか。ここ神泉苑は元は広大な敷地であったものが、大半の土地を二条城に取り込まれてしまった、とか。
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道を渡ると二条城のお堀。お城としては小さいものの京都の市街にこれだけのものを造るとはさすがに徳川幕府。今では京都市の所有になっている。ここもじっくり見て回りたいので今回はお堀を巡るだけとする。
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二条城南西角。スキッとした光景。この辺り平安京の官庁街であった(二条通りに朱雀門があった。)ので石碑だけはいっぱい建っている。
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二条城北側にある公園はどこにでもあるような児童公園ですが公園北側には鑓水があって泉が湧き出ている。もしかしたら(多分)水道が流されているのかも知れないがここが源頼政が鵺(ぬえ)を射落とした矢の矢尻を洗った井戸なのかも知れない。横にある祠は鵺大明神。
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西に千本通り方面に歩いて平安京大極殿跡の小公園。千本丸太町あたりが大極殿のあった場所とされる。平安時代後期には荒廃して内野とよばれる野原であったと。
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立派な石碑が残されている。
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千本通りを北上すると千本中立売、いわゆる千中。五番町夕霧楼のあった京都随一の歓楽街(西陣の職人さんが飲む打つ買うをしていた)ですが、今ではちょっとお店がある普通の住宅街になっている。唯一残るのが千本日活、学生時代何回か来たがまだあったのか、と感動。
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ここから中立売通りをたどって北野天満宮を目指しますが途中に龍華の三具足のひとつ立本寺があるのを思い出し行くことに。さすがに大本山だけあって大きい伽藍、観光化されていない静かな佇まいは妙顕寺・妙覚寺に共通している。隠れた名所であろう。
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ひと気はないがよく手入れされておりご立派。
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北野天満宮にたどり着く前にもうひとつ寄るところがあった、それが大将軍八神社。大将軍のうち北西を護るお社。なぜかいきなり数字の「八」がついていて誤植かと思われる節もあるが、この「八」は荒ぶる神スサノオの八人のお子様を祀っている。
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近いうちにお祭りがあるらしくてお神輿も出されていた。社殿の前には星印の石碑。まさしくパワースポット。
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で、やっとのことで北野天満宮。本殿に入る前に見ておかないといけないスポット、伴氏社。菅原道真公の母親をお祀りする社(母親はあの大伴氏)。このお社の何がすごいって、鳥居が京都三珍鳥居の一つとなっている。
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鳥居の柱の根本に蓮の台座があります。
三珍鳥居の中でも最も地味、というか言われないと分からない、というのがすごい。 -
境内を進むと秀吉が北野大茶会で使ったであろう太閤井戸が。中は見れなかったが多分水はあるのでしょう。
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さらに進んで「星欠けの三光門」。太陽・月・星の三光ですが「星」はありません。この星とは、御所から見ると北野天満宮の方向に北極星が見えるということ。今の御所からでは北野天満宮は北西の方向になってしまうが、昔の御所からはほぼ真北にあるということ。
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夕刻近くになってしまったので参拝者もまばらになっており、人が写り込まない御本殿の写真が撮れた。
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北野天満宮でお参りした後は上七軒で豪遊、というのが昔の旦那の王道だったのですが現代の旦那は歌舞練場を見て満足しすんなりとお家に帰ります。
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