2017/09/24 - 2017/09/24
1882位(同エリア3579件中)
みなみんさん
今回は京都市街を東から西へ、最終は西陣。
これまで西陣というのは知っていたがどの辺りかがよく分からなかったのが、今回概ね分かった気がする。この辺り奥が深そうでまだ何回か来ないといけない気がする。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
-
今回は京阪で出町柳まで。歩いてすぐに世界遺産下鴨神社。この世界遺産の神社ですら境内敷地にマンション、式年遷宮でお金が掛かり過ぎるからなのか。そのマンション前を過ぎると糺の森でホッとする。
-
境内に入り奥には御手洗川。みたらし団子はここの名物だが、この川の波立つ泡がモチーフらしい。しかし澄んだ流れに心癒される。
-
今日はこの今出川通の北側周辺を西に向かって西陣へ。賀茂川を渡って出雲路へと。
-
鞍馬口通を西へ、上善寺。京の六地蔵のうちの鞍馬口地蔵があるお寺。
-
地蔵堂は真新しい建物でまだ木の香りがするほど。中には鞍馬口地蔵さんこと深泥池地蔵さんが鎮座されている。もともとは深泥池のあたりにあったものがここに移られて鞍馬口、ということは鞍馬街道の出口を護っておられます。
-
寺町通を少し下ると額縁門の天寧寺。
-
何度来ても気分が良くなるこざっぱりとした素敵な境内。
-
鞍馬口通に戻って西へすぐで閑臥庵、黄檗宗の禅寺。山門が中華っぽい。こちらでも普茶料理が戴けるとのことで、バーも付属しているようです。通称は鎮宅さんで方角除け、厄除けの効がある。
-
鞍馬口通をズズッと西へ、堀川通に至る寸前を南に折れると日蓮宗本山の妙覚寺。龍華の三具足のひとつ。華芳塔という石塔のために大きいお堂がある。
-
とても広大なお寺であり、秀吉による移転前は二条衣棚にあって信長上洛時の本能寺と並ぶ滞在場所であったそう。本能寺の変の際には息子の信忠が宿泊していて本能寺に駆け付けようとしたができずにこの寺で自刃したと。
-
門前の道を西に進むと水火天満宮。水難(洪水)、火難(火災)除けの神であり、同じ道真公を祀る他の天満宮(ほとんどが学問の神様)とは趣を異にする。
-
この神社には登天石という変わった形をした石があり、道真公が怨霊となって下り立ったという言い伝えがある。
-
南隣は日蓮宗本山本法寺。ここもかなりの大寺。本阿弥光悦が帰依したことで三巴の庭や数々の美術品が伝わる。
-
小川通に面して立派な山門がある。小川通のこのあたり、千家があることからとても和風な雰囲気が漂う。
-
山門の向かいは裏千家今日庵。裏千家は利休のひ孫の宗室。加賀前田家に出仕。
-
その南隣が表千家の不審庵。表千家も利休のひ孫の宗左。紀伊徳川家に出仕。
武者小路千家は宗守でここからちょっと離れたところに官休庵。こちらは讃岐松平家に出仕。 -
和装の女性(お茶の先生か)が不審庵に入って行かれるが、近寄りがたい雰囲気も漂う。ここって何でこんなに雰囲気が良いのかって、電柱が無いからか。
-
不審庵の南側が千家の豪邸。こういう豪邸にはベンツが似合うわな。そのお隣が日蓮宗大本山の妙顕寺。日蓮さん直系の日像上人が後醍醐天皇より勅願を得て創設したお寺でこれもかなりな広大さ。ここも龍華の三具足のひとつ。
-
妙顕寺から西に歩くとちょっと似つかわしくない広場があり、ここが小川通に流れていた小川に架かった百々橋があったところ。応仁の乱で激戦地となった場所。橋の礎石らしいものが一つポツンと置かれている。橋本体は洛西の竹林公園にあったという記憶が。
-
その西が人形寺で有名な宝鏡寺。代々の皇女が入る尼門跡寺院で、幼くして寺に入った皇女が持っていた人形を供養したとか。昔の天皇家では無用な争いを避けるために次期天皇以外の皇子・皇女は出家させ寺に入れられたが、その寺が門跡寺院。
境内では京人形の塚が目立つばかり。 -
こじんまりとしたお寺で普段は拝観謝絶ですが人形供養は受けてくれるようです。
-
堀川通を越えて少し歩くと日蓮宗大本山の妙蓮寺。日像上人に帰依した酒屋柳屋によって創建。
-
椿の花が有名。椿に限らず、このお寺には花々が植えられていて駐車場となっている境内のあちこちに花が咲いていた。
-
さらに西に進むと西陣聖天の雨宝院。こじんまりとした境内ですがぎっしりコンテンツが詰まっているという感じのするお寺さん。空海が開基。
-
境内は松やら桜やらで薄暗いばかり。特に歓喜天さまは霊験あらたかそうな。千手観音が祀られる観音堂もある。ここの桜は歓喜桜といって八重の桜である御衣黄という薄緑の桜が咲くことで有名。
-
近くにある岩上神社。ご神体は大きい岩。この岩にはいろいろ謂れがあって後水尾天皇の母上の屋敷にあった際に泣き声を出したりして元あったところに帰りたいと訴えたりしたので現在の西陣の地に移したとのこと。その際にこの地はお寺となったが明治の廃仏毀釈で廃寺となりその跡地に岩神座という芝居小屋ができ、この経営はのちの松竹創業者大谷竹次郎だったそうな。西陣は今でこそ普通の住宅街になっているがその昔は千本中立売には五番町夕霧楼を始めとした遊郭や芝居小屋が数多くあったとのこと。現在は千本日活しか残っていない。
-
このご神体の岩は庭石として形がよく転々としたが結局はこの地に収まり注連縄を張ってもらうまでになった。尚、庭石として最初に使われたのは藤原時平邸だったとのことで道真公の仇ゆかりの岩であることには注意が必要かも。
-
岩上神社のすぐ南が法華宗総本山の本隆寺。境内には夜泣き止めの松がありこの松の葉を枕の下にして寝ると夜泣きしないという言い伝えがあったり、千代野井の井戸があるとのこと。現在は工事中。
-
ここから堀川通寄りには山名宗全の邸宅跡があり、ここが西の陣の名のもとになった。今は石碑と駒札があるのみ。
-
また首途八幡も近くにある。ここは金売吉次の邸宅跡と言われ、平氏の絶頂期に義経はここから吉次に連れられて奥州平泉に赴くことになる。
-
数年後兄の頼朝挙兵の報に平泉を飛び出し兄とともに平氏を追いやったまでは良かったが、その兄に再び平泉に追い詰められ最後は殺されてしまう運命だった訳だが。
-
最後は京都市考古資料館前の西陣石碑を見てから、この前のバス停から出町柳までバスで帰る。この資料館はもと西陣織会館だったそうで西陣織の展示即売会をやっていたそう。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (1)
-
- 墨水さん 2017/11/04 13:33:03
- 俗世。
- コタさん、今日は。
俗世で生きるには、神職と言えども「銭、金」は必要でおます。(爆)
水火天満宮は、ひょっとすると「水火既済」を示していて、物事の完了を示す場所。
藤原道真公怨霊封じで造られたのかなと?。
既済、すべて済んだ事、転じて「水難、火災除け」かな?。
岩上神社の石、仇の石なの?。(笑)
庭園の河泊として置いたら、使えるようにも思えるんだけどね。
河泊は、北海若(海の精霊)に出会い、悟りを開く。
墨水。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
今出川・北大路・北野(京都) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
1
32