2017/09/24 - 2017/09/24
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比叡山延暦寺では、昭和62年(1987年)8月に、世界から仏教、キリスト教、イスラム教、ヒンズー教、シーク教、儒教の七大宗教の代表者が集まり、『世界宗教サミット-世界宗教者平和の祈りの集い-』が開催されました。(ウィキペディア)
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次は横川に所縁の日蓮上人(1222~1282年)の絵物語の紹介です。(同上)
①日蓮上人のご誕生
1222年(貞応元年)2月16日 (旧暦)(新暦:3月30日/4月6日)安房国長狭郡東条郷片海(現在の千葉県鴨川市)の小湊で誕生されました。幼名は『善日麿』、父は三国大夫(貫名次郎(現静岡県袋井市貫名一族出自)、母は梅菊と伝わります。 -
②得度
1233年(天福元年)清澄寺の道善房に入門、1238年(暦仁元年)に出家し、是生房蓮長』の名を与えられました。(是聖房とも)(同上) -
③三十番神示現
1245年(寛元3年)、比叡山・定光院に住し、俊範法印に就学しました。(ウィキペディア)この絵図では、『蓮長法師を守護すべく、三十番神が示現された』と紹介されていました。蓮長法師は、後の日蓮上人のことです。(同上) -
④立教開示
仏教の神髄は、法華経にありとの結論に達した蓮長法師は、自ら『日蓮』と名のり、故郷、清澄山の旭が森に立ち、太陽に向かって『南無妙法蓮華経』のお題目を唱え、立教開示を宣言された場面です。1253年(建長5年)4月28日(5月26日/6月2日)朝とされます。(同上) -
⑤辻説法
1254年(建長6年)清澄寺を退出し、鎌倉において辻説法を開始されました。瓦石が飛んで、苦難の生涯が始まったことが紹介されていました。(同上) -
⑥龍の口法難
『立正安国論』を鎌倉幕府に提出し、法難がいよいよ厳しくなり、ついに捉えられて、刑場に引き据えられた場面です。『立正安国論』の中で、相次ぐ災害の原因は人々が正法である法華経を信じずに浄土宗などの邪法を信じていることにあるとして諸宗を非難し、放置すれば国内では内乱が起こり、外国からは侵略を受けて滅びると唱えたものです。(同上) -
⑦佐渡流罪
1271年(文永8年) 7月、佐渡流罪の名目で捕らえられ、腰越龍ノ口刑場(現在の神奈川県藤沢市片瀬、龍口寺)で処刑されかけますが、処刑を免れました。同年 10月、評定の結果、佐渡へ流罪となりました。赦免となったのは、1274年(文永11年)春の頃です。(同上) -
⑧国諫
幕府評定所へ呼び出され、頼綱から蒙古来襲の予見を聞かれますが、日蓮上人は、生涯に三度に亘って幕府を戒めました(国諫)。予言してから5か月後の1274年(文永11年)10月に1度目を蒙古襲来である、『文永の役』が起きました。二度目の蒙古襲来の『弘安の役』は、1281年(弘安4年)に起きました。(同上) -
⑨身延山思親閣
日蓮上人は、信者だった甲斐の国波木井郷を治める南部実長の招きにより、1274年(文永11年)5月17日、身延山に入山し、同年6月17日より鷹取山の麓の西谷に構えた草庵を住処としました。絵は、身延山頂上からの父母への追善回向の光景です。(同上) -
⑩ご入寂
日蓮上人は、病を得て地頭・波木井実長の勧めで実長の領地である常陸国へ湯治に向かうため身延を下山しました。10日後の弘安5年9月18日、武蔵国池上宗仲邸(現在の本行寺)へ到着しました。10月13日(11月14日/11月21日)辰の刻(午前8時頃)、池上宗仲邸で死去しました。享年61歳(満60歳)でした。(同上) -
『龍が池弁天と龍神さま』のタイトルがあった説明パネルの光景です。この池に住んで悪さをしていた大蛇を、元三大師が弁天様の侍者にしたとする物語の紹介でした。悔い改めた大蛇は『龍神』となり善行を行うことになったようです。(同上)
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『龍ヶ池弁財天』の扁額が懸かった鳥居の光景です。その先に小さな社がありました。元はヒンドゥー教の女神でしたが、日本の弁才天は、吉祥天その他の様々な神の一面を吸収し、『七福神』の一員として宝船に乗り、縁起物にもなっています。(同上)
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『西国三十三所札所』のミニチュア版です。第二番札所の『紀三井寺』の観音様です。近畿2府4県と岐阜県に点在する33か所の観音信仰の霊場の総称で、これらの霊場を札所とした巡礼は、日本で最も歴史がある巡礼行とされます。(同上)
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イチオシ
『西国三十三所札所』の観音様には、札所の番号と寺名を記した石標が付属していましたが、この観音様には見当たりませんでした。番外だったようです。他の観音様と比べますと、大きさも異なっていました。(同上)
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イチオシ
石垣の上に見えてきた朱塗りの建物です。横川地蔵地区の本堂に当たる、横川(よかわ)中堂の建物です。周りに石垣が積まれていました。(同上)
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正面から眺めた、『横川中堂』の建物光景です。第三世天台座主の慈覚大師円仁によって開かれました。本堂の横川中堂は、遣唐使船をモデルとした舞台造りの建物です。(同上)
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横川地区に所縁の恵心僧都(942~1017年)の絵物語の紹介です。平安中期の比叡山の僧侶で、元三大師に学び、二本浄土教の基礎を築いた人と紹介されていました。恵心院重視、修行と著作に務めたことから、恵心僧都と呼ばれています。浄土真宗では、七高僧の第六祖とされ、源信和尚、あるいは源信大師と尊称されています。(同上)
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『閻魔大王の裁き』と題された絵物語です。恵心僧都の、『閻魔大王は、因果の法則に従って転生を裁かれる。人生は永遠の生命の中の短い小区間であることを記憶せよ』の言葉が添えてありました。(同上)
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『地獄』と題された絵物語です。恵心僧都の、『人間界での所業悪しきものは、閻魔大王の裁きによってそれぞれの地獄に落とされ、それぞれの報いを受ける。その苦しみから脱するためには、只々、阿弥陀仏を念ずべし』の言葉が添えてありました。(同上)
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『天国』と題された絵物語です。恵心僧都の、『人間に生まれたことを喜ぶひとは、此の世から極楽であり、本願を信じて念仏する人は未来往生疑いなし』の言葉が添えてありました。(同上)
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横川中堂の前から、東方向に伸びた参道の光景です。その入口に紅葉の樹の姿がありました。この方面での一番の目的地は、『虚子の塔』です。(同上)
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参道の左手にあった石段の光景です。石段の先には小さな社と石灯篭が見えました。時間の都合で、登るのは諦めました。(同上)
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『虚子の塔』の説明立札の光景です。高浜虚子は在郷の折、比叡山に登り、紀行文『叡山詣』を著わしたことが紹介されていました。また、横川の一念寺に泊まり、小説『風流懺法』を執筆したことも紹介されていました。(同上)
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『虚子の塔』の説明立札に紹介してあった、横川中堂の『一念寺跡』の石標です。先程の立札には、毎年、元三大師堂で俳聖を偲ぶ法要が営まれていることも紹介されていました。(同上)
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『清浄な月を見にけり峰の寺』の虚子の句碑です。昭和17年(1942年)、横川中堂が雷火で焼失した際、虚子が多額の見舞金を送ったことから、後に『虚子の塔』が建立(昭和28年)されたようです。(同上)
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『虚子の塔』の光景です。高浜虚子(1874~1959年)は、明治・大正・昭和の三代にわたる俳人で小説家でした。俳句雑誌の『ホトトギス』の理念となる『客観写生』、『花鳥諷詠』を提唱したことでも知られます。(同上)
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イチオシ
『虚子の塔』のズームアップ光景です。代表作には、
〇遠山に日の当たりたる枯野かな
〇春風や闘志抱きて丘に立つ
〇去年今年貫く棒の如きもの
〇波音の由井ガ濱より初電車
〇吾も亦紅なりとひそやかに
等があります。(同上) -
名残惜しく、振り返って眺めた『虚子の塔』の方面の光景です。まだ微かに『虚子の塔』が見えていました。(同上)
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朱塗りの鐘楼の光景です。この鐘楼から南にいけば恵心同、北に行けば元三大師堂になりますが、この位置で引き返すことにしました。(同上)
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『西国三十三所札所』のミニチュア版の紹介の続きです。
第1番札所
那智山・青岸渡寺
岸渡寺は、那智山寺と呼ばれ、和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山にあります。如意輪観音を祀る、天台宗のお寺です。(同上) -
第24番札所
紫雲山・中山寺
中山寺は、中山観音と呼ばれ、兵庫県宝塚市中山寺にあります。十一面観音を祀る、真言宗中山寺派のお寺です。(同上) -
第25番札所
御嶽山・清水寺
清水寺は、清水さんと呼ばれ、兵庫県加東市平木にあります。千手観音を祀る、天台宗のお寺です。(同上) -
第26番札所
法華山・一乗寺
一乗寺は、兵庫県加西市坂本町にあります。聖観音を祀る天台宗のお寺です。(同上) -
第27番札所
書寫山・圓教寺
圓教寺は、西の比叡山とも呼ばれ、兵庫県姫路市書写にあります。如意輪観音を祀る天台宗のお寺です。(同上) -
第28番札所
成相山・成相寺
成相寺は、成相さんと呼ばれ、京都府宮津市成相寺にあります。聖観音を祀る、古義系単立の真言宗のお寺です。(同上) -
第29番札所
青葉山・松尾寺
松尾寺は、まつのおさんと呼ばれ、京都府舞鶴市松尾にあります。馬頭観音を祀る、真言宗醍醐派のお寺です。(同上) -
第30番札所
厳金山・宝厳寺
宝厳寺は、竹生島宝厳寺と呼ばれ、滋賀県長浜市早崎町にあります。千手観音を祀る、真言宗豊山派のお寺です。(同上) -
第31番札所
姨綺耶山・長命寺
長命寺は、滋賀県近江八幡市長命寺町にあります。千手観音、十一面観音と聖観音を祀ります。(同上) -
イチオシ
延暦寺三塔巡礼を終え、峰道レストランに立ち寄り、お蕎麦と、甘いもののおふるまいを戴きました。帰路のバスの中からの光景です。琵琶湖とその沿岸の街並みが見えました。(同上)
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同じく、帰路のバスの中からの琵琶湖方面の光景です。高度が下がり、次第に見える琵琶湖の姿が少なくなりました。予定の時間に名古屋駅に到着しました。(同上)
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