2017/09/24 - 2017/09/24
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比叡山延暦寺の諸堂巡りです。比叡山延暦寺の最盛期には、三千にも及ぶ寺院が甍を並べていたと伝えていますが、現在は100程の堂宇の数のようです。(ウィキペディア)
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右手に見える舗装道路は、『奥比叡ドライブウェイ』です。その脇に、『伝教大師御尊像・2キロ』の表示がありました。伝教大師・最澄上人が、延暦7年(788年)、薬師如来を本尊とする一乗止観院(現在の総本堂・根本中堂)を創建して比叡山を開きました。(同上)
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イチオシ
眼下に見えてきた駐車場の光景です。目的地の横川地蔵エリアへの到着です。出発まで30分ほどの時間の余裕がありましたから、これから横川地蔵エリアの散策です。(同上)
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横川の駐車場脇にあった横川バス停です。横川地蔵と、比叡山頂上を結ぶシャトルバスと、京都駅とを結ぶバスが運行されているようでした。京都駅への乗り場は、延暦寺バスセンターと東塔の2箇所のようです。(同上)
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ずらりと並んだバスは、すべて同じ旅行社がチャーターしたバスのようでした。そのバスの一部の光景です。(同上)
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高い二本の門柱が目印の、横川地蔵エリアの入口光景です。横川地蔵エリアは、本堂にあたる横川中堂を中心とする区域です。西塔から北へ4キロほどのところにあり、第三世天台座主の慈覚大師円仁(794~864年)によって開かれました。入唐八家の一人です。(同上)
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イチオシ
横川地蔵エリアの案内地図です。中心の建物が、半分が石垣の上に建つ、横川中堂です。舞台造りで、全体的に見て船が浮かんでいる姿に見える建物とされます。(同上)
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『横川地蔵産廃のご案内尾』のタイトルがあった看板の光景です。6項目に分けて、主な見所が紹介されていました。項目だけ上げますと、①横川中堂、②元三大師堂、③恵心堂、④如法堂、⑤西国33所観音石仏と、⑥その他(虚子の塔、定光院)等です。
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延暦寺の名前で掲示されていた、『比叡山と各宗祖師』のタイトルの説明看板の光景です。殊に鎌倉時代には、法然上人、親鸞聖人、栄西禅師、道元禅師、日蓮上人が命懸けの修行をして、各宗派を開かれたことが紹介されていました。横川に縁が深い人は、親鸞聖人、道元禅師、日蓮聖人であることも紹介されていました。各宗派の協力のもとでの絵看板とも紹介されていました。(同上)
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最初は道元禅師(どうげんぜんじ)の絵看板の紹介です。(同上)
①道元禅師様ご誕生
鎌倉時代の正治2年1月2日(1200年1月19日)、内大臣・源通親(久我通親)を父に、は太政大臣・松殿基房(藤原基房)の娘である藤原伊子を母として、京都で生まれました。異説もあります。 -
②出家
道元禅師は、3歳の時に父を亡くし、8歳の時に母を亡くし、深く無常を感じられ、出家の志を抱かれました。(同上) -
③比叡山での得度
出家を志した道元禅師は、14歳の4月9日、横川般若谷千光房に入り、天台座主・第70世公円僧正により得度を受けました。(同上) -
④禅の教えを求めて中国へ
比叡山での修行を終えた道元禅師は、貞応2年(1223年)に南宋に渡り、諸山を巡り始めました。最初の寧波の港では、阿育王山の典座の和尚に、禅の修行姿勢を学ばれたようです。(同上) -
⑤悟り
南宋の宝慶1年(1225年)、天童如浄の『身心脱落』の語を聞いて得悟、中国曹洞禅の、只管打坐の禅を如浄から受け継ぎました。(同上) -
⑥禅の教えの開示
宋から帰国した道元禅師は、京都の建仁寺で過ごされ、正しい座禅を進める書の『普勧座禅儀』を著わしたことが紹介されていました。その後、深草の安養寺に移り、生涯の大著、『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』の著述に取り掛かりました。(同上) -
⑦初開道場・興聖寺の開創
道元禅師の元に集まる求道の人が増え、天福元年(1234年)、わが国最初の座禅道場の観音導利院興聖宝林寺(現興聖寺)が開かれたことが紹介されていました。(同上) -
⑧永平寺の建立
新しい禅仏教の確立のため、如浄禅師の教えのみに従って、新天地の深山幽谷の越前に移り、寛永2年(1244年)、大仏時(現大本山・永平寺)を創建されたことが紹介されていました。(同上) -
⑨木の芽峠の別れ
永平寺に移られてから10年目の建長4年(1252年)の夏頃から健康を損ねられた道元禅師は、翌春、永平寺を弟子の懐奘和尚に譲られ、療養のため上洛されました。その途中、弟子の義介和尚と分かれた木の芽峠の紹介です。木の芽峠の高地には、その後鉢伏城が築かれました。(同上) -
⑩入滅
上洛した道元禅師は、西洞院高辻の俗弟子の覚念の屋敷で療養されましたが、手厚い看護もむなしく、建長5年(1253年)に亡くなりました。(同上) -
⑪道元禅師・遺跡略図
道元禅師の生涯の大半は京都で過ごされました。このため多くの遺跡が京都に残されました。比叡山の横川には、得度霊蹟が残されています。(同上) -
『親鸞聖人と比叡山』のタイトルがあった説明看板の光景です。親鸞聖人と比叡山との関わりは、治承5年(1131年)の春頃、9歳の時に比叡山で得度出家されたことに始まり、厳しい修行の後に、建仁元年(1201年)の29歳の時に山を下りられました。その後の法然上人との出会いや越後配流の苦難、関東教化など、この紹介する絵物語の粗筋が紹介されていました。浄土真宗の宗祖です。(同上)
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①出家得度
承安3年(1173年)4月1日、現在の法界寺、日野誕生院付近(京都市伏見区日野)で、皇太后宮大進日野有範の長男として誕生したとされますが、異説もあります。治承5年(1181年)、9歳の時、叔父の日野範綱に伴われて京都青蓮院に入り、後の天台座主・慈円(慈鎮和尚)のもと得度して『範宴(はんねん)』と称しました。(同上) -
②修行
出家した親鸞聖人は、比叡山に登られ修業を積まれました。源信和尚の流れを汲む横川で、堂僧として不断念仏を修行されたとされます。(同上) -
③六角堂参篭
建仁元年(1201年)の春頃、親鸞29歳の時に叡山と決別して下山し、後世の祈念のために聖徳太子の建立とされる六角堂(京都市中京区)に百日参籠を行いました。そして95日目(同年4月5日)の暁の夢中に、聖徳太子が示現され、直ちに阿弥陀如来の本願念仏を唱えられる法然上人の元を訪れ、弟子入りされました。(同上) -
④選択付属
親鸞聖人が法然上人に学ばれていた頃の出来事の紹介です。法然上人は、『南無阿弥陀仏』と念仏を唱えれば、死後は平等に往生できるという専修念仏の教えを説きました。親鸞聖人は、『法然上人に騙されて地獄に堕ちたとしても後悔しない』と述べ、専修念仏を信じたとされ、入門4年目には法然の主著の『選択集』と、肖像を写すことを許されました。(同上) -
⑤信行両座
親鸞聖人が、法然上人の許しを得て、信心で浄土往生が定まるか、念仏の行を行った功徳で浄土往生が定まるかを、二座に分けて法然の門弟に問いただした時の出来事です。親鸞と僅かの門弟が、信心の座を選びましたが、最後に法然聖人も信心の座を選んだとするエピソードです。(同上) -
⑥越後配流
元久2年(1205年)、興福寺は九箇条の過失を挙げ、朝廷に専修念仏の停止を訴えました。これが元で、建永2年(1207年)2月、後鳥羽上皇により、専修念仏の停止と西意善綽房・性願房・住蓮房・安楽房遵西の4名が死罪、法然、親鸞を含む7名の弟子が流罪になりました。また、法然、親鸞らは僧籍を剥奪されました。(同上) -
⑦東国伝道
越後流罪から赦免になったのは5年後、その3年後の建保2年(1214年)、東国(関東)での布教活動のため、家族や性信などの門弟と共に越後を出発し、信濃国の善光寺から上野国佐貫庄を経て、常陸国に向かいました。20年に亘る東国での伝道でした。(同上) -
⑧教行信証
親鸞の主著、『教行信証』が52歳ころから執筆されたことが紹介されていました。その骨子は、関東時代に出来ていたとされますが、晩年に至るまで推敲を重ねられたことも紹介されていました。(同上) -
⑨御往生
弘長2年(1262年)11月28日 (グレゴリオ暦換算 1263年1月16日)、押小路南万里小路東にある実弟の尋有が院主である『善法院』で、行年90(満89歳)をもって入滅しました。臨終は、親鸞の弟の尋有や末娘の覚信尼らが看取りました。遺骨は、鳥部野北辺の『大谷』に納められました。(同上) -
イチオシ
振り返って眺めた、『布教伝道絵看板』の光景です。横川地区に縁が深い、道元禅師の曹洞宗と、親鸞聖人の浄土真宗の絵看板でした。(同上)
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